2007年10月2日火曜日

林蔵の子孫

 「蝦夷地質学外伝」で,間宮林蔵の子孫が中学の同級生にいるという話を書きましたが,本日の昼頃,本人から電話がかかってきました.

 実は,今度の日曜日に,卒業してから40年目の同期会があるのです.
 幹事(名簿係・会計)を引き受けているので,最近懐かしい友人から連絡が入ります.

 “体が不自由なので,旭川に帰れないが,懐かしい”,“みんなに会いたい”とのことでした.
 ただ,それだけのことですが.

4 件のコメント:

  1. 今朝の道新(10/19)に出てましたね。
    「松浦武四郎選集」第5巻発刊。

    間宮の子孫が旭川にいることをつきとめ、
    02年に発表した。遠軽の秋葉さん。

    それよりずっと前から知っていたんですね。
    中学の同級生ということは…。

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  2. 02年の「発表」がどういうことなのか知りませんが,林蔵の子孫がいるということは,旭川ではけっこう有名なことなんです.

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  3. info@seikohsya.jp2017年6月11日 16:50

    こんにちはね初めて投稿します私は旭川市の本町に住んでいた石塚というものですが今から50年以上前に旭川の
    北門中学に通ってた頃同じクラスに間宮君というひとがいましたがアイヌ人でしたが随分と後になってから上川でクマ牧場を開きその後、子供がクマに腕を食いちぎられるという大参事が発生した事を知らず数年後に尋ねた事がありました。私は昭和61年から茨城県水戸市に住んでいますが不思議な縁といいますか私の人生の中での
    恩人と言っても過言ではない方がいました、その方の名前は間宮さんという方で私が初めてお会いした当時は
    見た目70は過ぎてたようにも見受けられました。私の仕事は内装工事でその頃 取手市にあるキリンビールの
    工場を作ってまして..ある日材料が不足して困ってる時にフと思いついたのが毎日の通勤途中に友建工業という
    同業の会社がありましたのでそこへ行き材料を分けてもらえるかお願いに行きました、事務所に行くと一人の老人がいたのでお願いしたら快く引き受けてくれましたが その後で [あんたはボード屋さんかいと聞くのではいそうですけど]と答えると、実は家も内装屋だけどボード貼る職人がいなくて困ってるんだよ助けてくれんかなと..聞けば近くの工業団地内でアサヒビールの工場をやってて下地は完成してるけど貼る職人がいなくて困ってる話なんで.私もお得意さんを増やしたい気持ちもあったのでそのお爺さんとアサヒの現場を見に行って驚いた!約30.000へーべーの仕事し易い現場に人っこ1人いない!!私はその場でやります、やらせて下さいと
    逆に私からお願いして夢中で工期に間に合うように働きました。そんな事があってから打ち合わせ方々事務所に行って何気に見回したら壁に系図が掛けられてあったから見たら..えー!!間宮林蔵の名前があるじゃないですか
    なんと そのお爺さんは間宮林蔵の兄の子孫で友建工業の社長さんでした..そういえば会社の所在地も林蔵の出生地の直ぐ傍でした関東鉄道の戸頭駅の近くで間宮林蔵記念館も近くにあるそうです、この友建の社長は一代で財をなして東京に本社を移して今は息子さんが後をとってます、先代は亡くなりましたが男気のある素晴らしい方でした私の人生の中で出会った最高の方でした。 水戸市 石塚 

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  4. 北門中ですか.同窓生ですね.第何期でしょうか?
    アイヌの系統なら「間宮」ではなく「間見谷」だと思います.
    本州の間宮の系統と北海道の間見谷の系統と,両方に合っているというのはすごいですね.

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