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釧路に住む友人がQoo-chanの写真を送ってくれました.
なんで,これが私のブログのテーマに関わりがあるか?って
実は「おおあり」です.
北海道産の大型化石の著名なものに,滝川産の「タキカワカイギュウ」(=滝川海牛)というのがあります.このタキカワカイギュウの発見後,道内ではいくつものカイギュウの祖先が発見され,北太平洋でのカイギュウ類の進化が明らかになってきています.
第四紀に入っては,カイギュウ類は北の海に適応し,巨大化して脂肪を蓄えてゆきました.このカイギュウ類の生き残りが「ステラーカイギュウ」です.
ステラーカイギュウは1741年に発見されました.
ベーリングを隊長とする探検隊はアラスカ探検の帰途で遭難.ベーリングは死亡.ドイツ人の医師で博物学者のステラー(George Wilhelm Steller)がかわって隊の指揮をとりますが,たどり着いた無人島(現・ベーリング島)に,この海牛が群れをなして棲んでいたのでした.まるで,平和な牧場の牛の群れに見えたとか.
で,隊員は,この海牛を食料として生き延び,ロシアに生還します.
ステラーは,海牛のほかにも珍しい動物をいくつも報告しますが,そこで注目を浴びたのが,この「ラッコ」!.
ラッコの毛皮は,超高級品でした.
ラッコの毛皮を求めて,商人やハンターたちが大挙してベーリング島へ.困ったことに食料は「海の牛」といわれる,この「ステラーカイギュウ」でした.
ハンティングというよりは,殺戮に近かったようです.
かくて,発見から30年もたたないうちに,ステラーカイギュウは絶滅.地球からいなくなりました.
カイギュウ絶滅の原因は,もちろん人間どもの欲望でしたが,その直接の目的は「ラッコ」の毛皮でした.「ラッコ」はもともと「アイヌ語」.つまり,北海道を含む北太平洋に広く生育していたんですが,彼らも絶滅寸前です.
最近は,人間の圧力も少し弱まったので,ちょっと釧路川まで戻ってきたという次第.
江戸時代が終わったのは,アメリカ人がクジラの乱獲を進めていたせいですが,ロシア人が日本に開国を迫ったのは,このラッコの毛皮のため.
大黒屋光太夫が遭難したとき,ロシア人によって助けられたのも,彼らについてカムチャッカからシベリアをさまよったのも,ラッコの毛皮を求めてロシア人がやってきていたためでした.
最上徳内が択捉島であったロシア人・イジュヨもハンターでした.ただし,イジュヨは徳内の記述によると非常に知的レベルが高く,単なるハンターではなく,相当の背景を持って北辺まで流れ着いた訳ありの人だったと思われます.
いってみれば,クジラとラッコが日本を開いたということですね.
さて,ラッコの化石というのは,日本付近では発見されていないようですが,北米西海岸の後期更新世から発見されているようです.ちゃんと調べてないので,それは別の機会に.
一般に,海に適応した生物は変異が激しいので,その進化を追うのは大変でしょうね.
ラッコが胴長短足で愛らしい体型をしているのは,実は水中生活に適応したせいです.水中では手足はあまり役に立たないのですね.クジラしかり,トド・アザラシしかり,オタリアしかり,というわけです.
そういう目で見ると,水中生活に適応しているとはいえ,まだまだ陸上に適応しているということになりますね.どんどん進化してゆくとアザラシやオタリアのようになってゆくんでしょうか.
現世種:Enhydra lutris (Linnaeus, 1758)
化石種:Enhydra macrodonta (Kilmer, 1972)
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