2014年11月28日金曜日

「先カンブリア-」という言葉

 
カンブリア系(Cambrian)という地層が認識されたのが,1836年.
英国のシジュイック(A. Sedgwick)の造語でした.英国Wales地方の古名「クムブリア(Cumburia)」のバリエーションである「カムブリア(Camburia)」に,英語・形容詞語尾である-anを使ったもの.
この英語・形容詞語尾の-anは,ラテン語の-ānusを借用したもので,この場合は,本来は形容詞ですが,しばしば名詞として用いられるそうです.

したがって,カンブリアンは「形容詞であるとともに,時代・地層・岩石のどれをも表す名詞でもあ」ったわけです.文脈上でわかる時を除いて,これは,しばしば混乱を引き起こしますので,困ったものです.
これを日本語に訳した時には,原語の「カンブリア」に地層を表す「系」か時代を表す「紀」を必ずつけます.原文にCambrianとしか書いてなければ,文脈でもって判断するしかないわけです.


ところで,1845年に,英国のマーチソン(R. I. Murchison)ほかが,カンブリア系の下位にある地層に「アゾイック(Azoic*)」という用語を提唱しています.
「アゾイック(Azoic*)」はギリシャ語のἀ-(否定辞)とζωικός (=動物の,動物に富む)からつくられた言葉.したがって,日本語では「無生代」と訳せます.


さて,J. S. Dana(1872)は北米で,片麻岩のように高度の変成作用をうけた岩石と,それらをおおって変成作用をまったく受けていないか,または弱い変成作用しかうけていない地層を識別しました.
これらは英国地方のアゾイックに相当すると考えられ,それにArchaean (or Arche'an)の名を与えました.Archaeanはギリシャ語のἀρχαῖος (=始原の,古い)に英語・形容詞化語尾-ean (ラテン語・形容詞化語尾-eanusの借用)を加えたもの(ギリシャ語と英語とラテン語がゴッチャになってる⇒品がない言葉:失礼!).
その時に,こういってます.
「Archaean層のどの部分であれ,一つの時代に属しているという生命の証拠がなければ,Archeozoicと呼ぶべきではない(生命の証拠が見いだされれば,Archeozoicと修正されるであろう)」
つまり,-zoicというのは「生命の証拠」に基づくべきで,「アゾイック(生命が居ない時代)」という用語は,言葉そのものが矛盾している,ということですね.
その上で,「動物(この場合は生命)」を示す語根をなくして「アルカエアン(始原の)」という言葉を造ったわけです.
日本の英和辞典ではArchaeanに「始生代」の訳を与えているものがありますが,造語した人が「やってはいけない」と注意書きした間違いを犯しているわけです.
だから,Archaeanは「太古(代/界)」と訳し,Archeozoicを「始生(代/界)」と訳すのが正しいわけです.


ところで,「プレカンブリアン」だれが造った言葉かはわかりません.
しかし,1878年に英国でつくられたようです.そして,1896年に米国のC. R. Van Hiseが「下部カンブリア系よりも古いすべての地層を意味する」と定義しました(松下,1967).

さて,「先カンブリア(系/紀)」という言葉があります.
これは,元はプレカンブリアン(Precambrian)という英語.この場合は,pre-は「『(時間・時代・時期的に)前…』,『(地位,順位が)上位の,すぐれた」の意を表す」(研究社 新英和大6)ですから,困ったことになります.
なぜなら,プレカンブリアンが時代の場合は「カンブリア紀より前の…」ですし,地層の場合は「カンブリア系より上の…」を表してしまうことになります.まったく逆ですね.
実際には,「プレカンブリアン」といった場合には,時代的には「カンブリア紀より前…」を示しますし,地層としても「カンブリア系より下の…」を意味します.不思議なことですが.
だから,地質学では「プレカンブリアン」は常に「時代を示す」ことになってしまいます.だから日本語に訳した時は必ず「先・」なわけですね.「下カンブリア系」という訳語は使われない.


(多分ですが)これは「世界最初の地質図はW. スミスによってつくられた」という伝説を維持したいがためなんではないかと思ったりして(実際には,フランスのキュビエとブロンニアールが,ほぼ同時か先行して地質図作成を行っているようです).
スミスは英国地質図を描く時に「化石による地層同定の法則」を提案しています.世界最初といわれています(実際には,フランスのキュビエとブロンニアールが,ほぼ同時か先行して化石による地層対比を行っているようです(^^;).だから,英国人にとっては,「地層=時代」だったわけですね.

これは,「化石がでる地層」の場合は問題ないわけです.
が,カンブリア系の下には化石のでない地層がまだあり,化石がでないので時代が決まりません.だから「地層でしかなかった」はずなのです.だったら,「サブ・カンブリアン(Subcambrian)」か「ヒュポ・カンブリアン(Hypocambrian)」のはずですが,そうなっていない.不思議です.
それはともかく,カンブリア系の下にある地層は,化石が産出しないので「時代が決定できない」.したがって,研究不可能=非・科学的=研究放棄.ということになります.プレカンブリアンという言葉は「こっから下は研究しませんよ」という宣言の言葉だったのでしょうね.少なくとも,英国ではそうでした.


そして1954年,カナダのガンフリント層(約19億年前とされる)から藍藻化石(現在ではシアノバクテリアと呼ばれるのが普通)をはじめとする顕微鏡的な微化石が発見***され,アーケアン(太古代)は,アーケオゾイック(始生代)と呼んでもいいことになるわけです.


ということは,「プレカンブリアン(先カンブリア)」という言葉は,すでに意味のない言葉になっているはずですね(なぜ,まだ生き延びてるんでしょう?;そもそも英国でしか役に立たない言葉だし(^^;).
俗語ならともかく,学術用語として使うのはやめてほしいものです.「英国が地質学の中心」伝説でもあるのでしょうかね(じつは地質学史を調べると…それは,ある).
英国では「無生代(Azoic)」,「先カンブリアン(Precambrian)」として研究放棄した地層・時代について,北米では研究できることが明らかにされ,地層名・時代名も提案されたわけですから,それを使うべきでしょう.
使うにしても「先カンブリア紀」ではなく,せいぜい「先カンブリア時代(Precambrian Age)」でしょうね.

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* Murchison, R. I., De Verneuil, E. and Keyserling, Von A., 1845, Geology of Russia in Europe and the Ural Mountains, 2 volumes, London.

** Dana, J. D., 1872, Green Mountain Geology. On the Quartzite.
The American Journal of Science and Arts. vol. 3, nos. 13-18, pp. 250-256.

*** Tyler, S. A. and Barghoorn, E. S., 1954. Occurrence of structurally preserved plants in Precambrian rocks of the Canadian Shield.
Science, 119: 606--608.