2009年2月14日土曜日
「空知の鉄道と開拓」
2/7付け「空知地方史研究協議会」で紹介した「空知の鉄道と開拓」を古書店から入手することができました.肝心の「石狩炭田炭鉱変遷図」の方は,全く目処がつきませんけどね.
「…鉄道と開拓」の方は大変な情報量ですので,まだ読み切っていませんが,少なくともわたしの「没ネタ」が盗作だといわれることはなさそうです((^^;).
視点が違うはずなので,同じものができる可能性は少ないと思ってはいたんですけどね.
「没ネタ」作成時には,時間がなくてすべての「市史・町史」を読み通すということはできなかったんですが,空知地方史研究協議会の「空知の鉄道と開拓」は分担してそれをやったようで,参考になることが多そうです.
また,この「発刊にあたって」にも書かれていますが,「執筆者によりその取り上げ方に差があって必ずしも統一された歴史書とはなり得なかった」と言うことで,鉄道の位置や歴史に(おっと思う程)精密な記録もあれば,この人明らかに文科系だなと思うような記述もありバラエティ豊かです.
たとえば,「地形図」を引用しておきながら,その地形図の出典がないとか,任意の方角に切り出しておいて,縮尺も方位もついてないなんてのは,私の経験してきた世界ではあり得ないのですが,けっこう多いのは,これが当たり前の世界もあるということなんでしょう.
また,オリジナルの鉄道路線復元図のようなものも時々でてきますが,拡大縮小すれば現在の地形図にそのまま重ねられそうな精密なものもあれば,ただのイメージで書いたものもあるようです.
それらを全部ひっくるめても,おもしろい情報がたくさんなので,なんとか「石狩炭田炭鉱変遷図」が入手できれば,「没ネタ」をもう少し改良することができそうなんですが….
2008年5月7日水曜日
石狩炭田の興亡
没ネタは,一応12で終わりです.
ただ,データを並べただけにすぎませんが.
昔,シムシティーとか言うゲームがあったと思います.初期値を与えておけば,人が集まってきて文明を生み出し,最後は宇宙へ向かって旅立つとか(私はやったことがないのでよく知りませんが).
こうやって,データを並べてみると…,
アイヌが時々,猟にやってくるほかは誰もいなかった山中に,ある日,ハンマーの音が響き渡り,また静かになります.
しばらくすると,ガヤガヤと人がやってきて,鉄道を造り,町を作り,石炭を掘り出し,あっという間に都市ができあがります.
しかし,まだ石炭を掘り尽くしてもいないのに,どんどん人がいなくなり,廃墟だけが残される.
要するに初期値を間違えたのでしょうけど.残るは「諸行無常」.
なにか悲しい.
こちらをうまく表現できると,いいんですけどね.
ただ,データを並べただけにすぎませんが.
昔,シムシティーとか言うゲームがあったと思います.初期値を与えておけば,人が集まってきて文明を生み出し,最後は宇宙へ向かって旅立つとか(私はやったことがないのでよく知りませんが).
こうやって,データを並べてみると…,
アイヌが時々,猟にやってくるほかは誰もいなかった山中に,ある日,ハンマーの音が響き渡り,また静かになります.
しばらくすると,ガヤガヤと人がやってきて,鉄道を造り,町を作り,石炭を掘り出し,あっという間に都市ができあがります.
しかし,まだ石炭を掘り尽くしてもいないのに,どんどん人がいなくなり,廃墟だけが残される.
要するに初期値を間違えたのでしょうけど.残るは「諸行無常」.
なにか悲しい.
こちらをうまく表現できると,いいんですけどね.
真谷地・登川付近の炭鉱と鉄道

没ネタ,その12です.
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真谷地・登川付近の炭鉱と鉄道
「真谷地炭鉱専用鉄道」
・真谷地炭鉱には,国鉄沼ノ沢駅から北炭・真谷地炭鉱専用鉄道が分岐,真谷地炭鉱から石炭を搬出していました.
1905(明治三十八)年 沼ノ沢貨物駅新設.
・翌年,追分~夕張間が買収・国有化され官設線となりました.その翌年,官設鉄道の紅葉山~楓間が開通しました.
1905(明治三十八)年 北炭,クリキ炭鉱を買収.これを「夕張第二礦」と呼ぶ.
・同年,夕張第二礦(真谷地坑と楓坑)の開発に着手.
1913(大正二)年 沼ノ沢~真谷地間に専用鉄道を開通.
1919(大正八)年 北炭,三井鉱山から登川坑を買収.
1978(昭和五十三)年 北炭再建に伴い,北炭・真谷地炭鉱として分離,独立.
1987(昭和六十二)年 北炭・真谷地炭鉱閉山.
・同年,北海道炭礦汽船・真谷地炭鉱専用鉄道,廃止.
「夕張線・登川支線」
・この地域には,三井鉱山専用線として敷設された鉄道があり,のちに国鉄・夕張線・登川支線になりました.登川炭鉱・楓炭鉱の石炭を搬出していました.
1910(明治四十三)年 “登川炭鉱”開坑.
・翌年,三井鉱山が登川鉱区を買収し,登川炭鉱の開発に伴い,三井鉱山専用線(登川~楓間)が開通.
・1916年に三井鉱山専用線が国鉄に譲渡され夕張線・登川支線となりました.
1919(大正八)年 北炭,登川鉱区を買収.真谷地礦の楓坑と共に操業.
1953(昭和二十八)年 登川炭鉱,廃止.北新工業と新北海鉱業が旧登川本坑で採炭.
1981(昭和五十六)年 石勝線開業準備のため,夕張線・登川支線,廃止.
・同年,楓駅移転.登川駅廃止.石勝線営業開始.紅葉山駅を新夕張駅と改名.
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2008年5月6日火曜日
夕張川流域の炭鉱と鉄道

没ネタ,その11です.
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夕張川流域の炭鉱と鉄道
「大夕張鉄道」
・夕張川上流域沿いには,大夕張鉄道があって,付近の石炭を搬出していました.
1907(明治四十)年 大夕張炭鉱会社,設立.
・1911年には,大夕張炭鉱専用鉄道(清水沢~二股:のち南大夕張間)が開通します.
・1916年,三菱合資会社が大夕張炭鉱会社を買収.二年後には,三菱合資会社の鉱山部が独立して三菱鉱業株式会社を設立しました.
1929(昭和四)年 炭鉱の北部展開に伴い専用線を延長.
・南大夕張~通洞(のちの大夕張炭山)間が延長されました.
1944(昭和十九)年 北炭,遠幌鉱区で遠幌斜坑の開発を開始.
・1951(昭和二十六)年 清水沢斜坑が遠幌斜坑と開通.翌年,清水沢坑と遠幌坑を統合し,清水沢炭鉱と改称しました.
1950(昭和二十五)年 三菱鉱業,美唄鉄道を買収.
・三菱鉱業・大夕張鉱業所・鉄道課による三菱鉱業・大夕張鉄道となりました.
1966(昭和四十一)年 三菱鉱業・南大夕張鉱が新鉱開削に着手。
・1970(昭和四十五)年,三菱南大夕張炭鉱,操業開始.
1969(昭和四十四)年 三菱鉱業,石炭部門を分離.
・鉄道は三菱大夕張炭鉱株式会社大夕張鉄道となる.
1973(昭和四十八)年 三菱石炭鉱業・鉄道となる.
1975(昭和五十)年 北炭・夕張新炭鉱の営業出炭を開始.
・夕張新炭鉱は1970年から清水沢方面で開発されていたものです.
1973(昭和四十八)年 三菱大夕張炭鉱,閉山.
・同年,南大夕張~大夕張炭山間,廃止.同年,三菱大夕張炭鉱は三菱石炭鉱業となり,鉄道名は三菱石炭鉱業鉄道となりました.
1980(昭和五十五)年 北炭・清水沢炭鉱,閉山.
1987(昭和六十二)年 三菱南大夕張炭鉱の合理化で鉄道廃止.
1990(平成二)年 三菱南大夕張炭鉱閉山.
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2008年5月4日日曜日
志幌加別川・阿野呂川付近の炭鉱と鉄道

没ネタ,その10です.
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志幌加別川・阿野呂川付近の炭鉱と鉄道
「夕張鉄道線」
・夕張鉄道線は野幌~新夕張(のち夕張本町)間に敷設され,主に北炭・夕張炭鉱からの石炭を輸送していました.途中の新二岐駅からは角田坑・専用線が分岐し,角田坑の石炭も輸送していました.
・夕張鉄道は,室蘭本線の栗山駅と連絡し,函館本線の野幌駅とも連絡していました.
1890(明治二十三年) 北海道炭鉱鉄道会社,夕張炭鉱の開坑に着手.
・夕張郡志幌加別に夕張採炭所を設置.(のちの)夕張第一礦を開坑.
1892(明治二十五)年 夕張炭鉱(本坑,のちの第二礦)の採炭を開始.
・同年,北海道炭鉱鉄道(追分~夕張間)により,鉄道開通.
1897(明治三十)年 落合徳,新夕張炭山開坑に着手.
・新夕張炭山は何度か所有が替わり,谷新夕張炭山,新夕張礦と名称を変え,1920年に北炭の所有となり,1938年から夕張三礦と呼ばれるようになりました.
1926(大正十五)年 夕張鉄道,開業.
・当初は,栗山~新夕張(=のち夕張本町)間が開業し,四年後に野幌~栗山間が延伸開業されました.
1954(昭和二十九)年 北炭・平和炭鉱,本格出炭開始.
・平和炭鉱は,石狩石炭を買収したもので,かつては若菜辺礦とよばれていました.
1971(昭和四十六)年 夕張鉄道線(鹿ノ谷~夕張本町)間,廃止.
・1975年には夕張鉄道線(野幌~鹿ノ谷)間が廃止され,夕張鉄道線は消滅しました.
1975(昭和五十)年 北炭・平和炭鉱閉山.
1980(昭和五十五)年 石炭博物館開館.
1982(昭和五十七)年 北炭・夕張新炭鉱,閉山.
「角田炭鉱専用鉄道」
・夕張鉄道・新二岐駅からは角田炭鉱専用鉄道が分岐し,角田坑から石炭を搬出していました.
1933(昭和八)年 北炭,角田炭鉱を直営とする.
・それまで下請けに採掘させていた角田炭鉱を角田坑として夕張鉱業所の所管としました.
1934(昭和九)年 北炭角田炭鉱専用線(角田坑~新二岐間),開通.
1954(昭和二十九)年 北炭・角田礦,廃止.
・同年,角田炭鉱株式会社・新二岐炭鉱として再生.新二岐駅接続の北炭角田炭鉱専用鉄道を角田炭鉱株式会社に譲渡しました.
1970(昭和四十五)年 角田炭礦・新二岐礦,閉山.角田炭砿・専用鉄道廃止.
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2008年5月2日金曜日
幌向川流域の炭鉱と鉄道

没ネタ,その9です.
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幌向川流域の炭鉱と鉄道
万字線
・万字線は,万字炭鉱から石炭を搬出するために,万字軽便線として敷設されました.
・1892年,北海道炭鉱鉄道の岩見沢~室蘭間が開通.その後,志文~万字炭山間を結ぶ軽便鉄道が1914年に開通しました.途中の美流渡駅から,美流渡坑・専用線が分岐し,美流渡炭鉱の石炭を搬出していました.美流渡炭鉱閉鉱後,1967年に美流渡専用線が廃止.万字線も万字炭鉱閉山後,貨物輸送が廃止され,やがて全線が廃止されました.
1905(明治三十八)年 北炭,万字坑を開削開始.
・四年後,万字坑の出炭開始(架空索道により夕張第一鉱・選炭場へ搬出).
1914(大正三)年 万字軽便線(志文~万字炭山間),開業
1918(大正七)年 北炭・美流渡炭鉱,開削開始.
・三年後,専用鉄道(美流渡炭鉱坑口~美流渡),開通
1922(大正十一)年 万字軽便線,万字線と線名改称.
1960(昭和三十五)年 万字炭鉱,北炭から独立し万字炭鉱株式会社となる.
・同年,美流渡炭鉱も独立し美流渡炭鉱株式会社・美流渡鉱業所となりました.
1966(昭和四十一)年 北星炭鉱が美流渡炭鉱の経営を引継ぐ.
・しかし,すぐに採掘中止.翌年,美流渡専用線,廃止.
1971(昭和四十六)年 北海栗沢炭鉱,閉山(開鉱年不詳).
1974(昭和四十九)年 朝日炭鉱,閉山(明治末期から運営されていたとされる).
1976(昭和五十一)年 万字炭鉱,閉山.
・1985年,万字線は全線廃止されました.
・北星炭鉱撤退後,伊藤炭鉱が美流渡炭鉱跡に進出し,露天掘りをおこなっていました1988年に中止されました.
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幾春別川流域の炭鉱と鉄道

没ネタ.その8です.
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幾春別川流域の炭鉱と鉄道
幌内鉄道
・幌内鉄道は,幌内炭田からの石炭輸送のためにつくられました.のちに,幾春別まで延長され,百年以上にわたって石炭を運んでいました.
1878(明治十一)年 幌内炭鉱,開坑に着手.
・順次,坑道を整備し,本格的な出炭は1882年から.
1880(明治十三)年 嶋田純一・山際永吾が幾春別及び奔別にて炭田を発見.
・5年後,官営幾春別炭鉱の開坑に着手.中断を繰り返す.
1882(明治十五)年 手宮~幌内間鉄道開通.
・1888年,幌内鉄道,延伸(幌内太:のちの三笠~郁春別:のちの幾春別)開業.
1889(明治二十二)年 北海道炭鉱鉄道会社(以下,北炭と略す),設立.
・幌内炭鉱・幾春別炭鉱と幌内鉄道も北炭に譲渡されました.
1902(明治三十五年) 奔別炭鉱(1902~1928),開坑.
1905(明治三十八年) 唐松炭鉱(1905~1943),開坑.
1906(明治三十九)年 幌内鉄道,国有化.
・1909年に名称が国有鉄道幌内線となり,1943年に幌内太駅を三笠駅と改称しました.
1914(大正三)年 弥生炭鉱(1914~1960),開鉱.
1928(昭和三)年 住友,奔別炭鉱を買収.
・住友奔別炭鉱は,1960年に弥生炭鉱も買収,1970年まで住友奔別炭鉱・弥生坑として出炭していました.
1931(昭和六)年 昭和鉱業・新幌内坑,開鉱.
・昭和鉱業は1941年に北炭に売却され,北炭・新幌内鉱業所となりました.
1953(昭和二十八)年 北炭・幾春別坑,採掘中止.
・四年後,北炭・幾春別坑,廃止.
1971(昭和四十六年) 住友・奔別炭鉱,閉山.
1973(昭和四十八)年 新三笠炭鉱,閉山.
1976(昭和五十一)年 桂沢で「エゾミカサリュウ」発見.
1987(昭和六十二)年 JR・幌内線,廃止.
1989(平成元)年 北炭・幌内炭鉱,閉山.
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2008年5月1日木曜日
美唄川付近の炭鉱と鉄道

没ネタ,その7です.
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美唄川付近の炭鉱と鉄道
「三菱鉱業美唄鉄道線」
・美唄市東方の美唄川には,三菱鉱業美唄鉄道線があり,周辺の炭田から石炭を搬出していました.当初,美唄軽便鉄道(美唄~美唄炭山)が運営開始し,のちに三菱鉱業専用鉄道(美唄炭山~北二ノ沢)が営業開始します.これらは,美唄鉄道によって買収され経営が一本化されて,美唄川流域の中小の炭田を含むたくさんの炭山から石炭を供給しました.のちに三菱鉱業が美唄鉄道を買収し,三菱鉱業美唄鉄道になります.
1914(大正三)年 石狩石炭,美唄軽便鉄道(美唄~美唄炭山)の運輸営業を開始.
・翌年,美唄鉄道が美唄軽便鉄道を買収.
1915(大正四)年 三菱合資会社,飯田美唄炭鉱(1913~1915)を買収.
1919(大正八)年 三菱鉱業専用鉄道(美唄炭山~北二ノ沢),運輸開始.
1924(大正十三)年 美唄鉄道,三菱鉱業専用鉄道を買収.
・美唄鉄道の買収によって経営が一本化され,常盤台駅を設置し,美唄炭山~常盤台間の営業が始まりました.
1941(昭和十六)年 三井美唄,新美唄炭鉱(1915~1941)を買収.
・新美唄炭鉱は,もとは徳田炭鉱(1910~1915)と呼ばれていました.
・三井新美唄炭鉱をへて,1951年,三井美唄炭鉱・第二坑に改称されました.
1950(昭和二十五)年 三菱鉱業が美唄鉄道を買収.
・三菱鉱業美唄鉄道事務所が運営する三菱鉱業美唄鉄道となります.
1952(昭和二十七)年 北菱産業,我路炭鉱を開坑.
・我路炭鉱はこの地域の炭山としては最後になる1973年まで営業していました.
1972(昭和四十七)年 三菱美唄炭鉱が閉山.
・同年,美唄鉄道線,廃止.
「南美唄支線」
・美唄川支流・南一の沢には,南美唄支線が敷設されていました.南一の沢から奥には複数の炭鉱がありましたが,三井美唄炭鉱に吸収され,南美唄支線から石炭を運び出していました.
1915(大正四)年 沼貝炭鉱,開坑.
1924(大正十三)年 光珠炭鉱,沼貝炭鉱を買収.
1928(昭和三)年 三井美唄炭鉱,創立.光珠炭鉱を買収.
1931(昭和六)年 南美唄支線(美唄~南美唄間),開通.
1962(昭和三十七)年 三井美唄炭鉱,子会社・三美鉱業を設立.
・三美炭鉱は三井美唄炭鉱の一部を引き継いで操業を開始し,翌年,三井美唄炭鉱は廃業しました.
・三美鉱業は1970年に露天坑を開設,1973年まで出炭していました.
1973(昭和四十八)年 三美炭鉱,閉山.
1973(昭和四十八)年09月09日 南美唄支線,廃止.
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2008年4月26日土曜日
奈井江・茶志内地域の炭鉱と鉄道

没ネタ,その6です.
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奈井江・茶志内地域の炭鉱と鉄道
「三井鉱山奈井江専用鉄道」
・豊沼奈江川沿いには,三井鉱山奈井江専用鉄道があり,沿線の炭田から石炭を搬出していました.奈井江駅から分岐した専用鉄道(三井奈井江~東奈井江)は,1949年に開通し,1968年に廃止されました.
1947(昭和二十二)年 三井鉱山・砂川鉱業所・奈井江白山坑,開発開始.
1949(昭和二十四)年 三井鉱山奈井江専用鉄道(三井奈井江~白山坑),開通.
・二年後,白山坑を廃止し,奈井江坑開発のため,鉄道を延長(白山~東奈井江),翌年,三井・奈井江坑が開坑します.奈井江坑は1961年に石狩炭鉱と改称します.
1955(昭和三十)年 三井・奥奈井江炭鉱,開坑.
1967(昭和四十二)年 三井奥奈井江坑,閉山
1968(昭和四十三)年 三井鉱山奈井江専用鉄道,廃止
1972(昭和四十七)年 石狩炭鉱,閉山
「住友奈井江炭鉱専用線」
・奈井江駅の東方約1 kmに,住友鉱業・奈井江炭鉱が開かれ,駅と奈井江坑を結ぶ住友奈井江炭鉱専用線が敷設されました.奈井江炭鉱はのちに大日鉱産に引継がれ,専用線は大日鉱産が閉山するまで使われていました.
1938(昭和十三)年 住友石炭鉱業・奈井江炭鉱,開坑.
1940(昭和十五)年 住友奈井江炭鉱専用線(奈井江~選炭場)敷設
1963(昭和三十八)年 大日興産,奈井江炭鉱を継承
1971(昭和四十六)年 大日興産,閉山.専用線,廃止.
「三菱鉱業茶志内炭鉱専用鉄道」
・茶志内駅から北東約2 kmに三菱鉱業茶志内炭鉱(1944~1967)があり,専用鉄道(1952~1967)が敷設されていました.
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2008年4月22日火曜日
歌志内・上砂川地域の炭鉱と鉄道

没ネタ,その5です.
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歌志内・上砂川地域の炭鉱と鉄道
「歌志内地域」
・ペンケウタシナイ川流域には歌志内線が敷設され,周囲の炭田から石炭を搬出していました.歌志内線は1891年に,官営幌内鉄道(手宮~幌内)の岩見沢駅から延伸され,砂川から歌志内まで敷設されました.
「北炭系」
1890(明治二十三)年 北海道炭鉱鉄道会社,空知採炭所,設置.
・1901年,周囲の炭山を買収し北炭・空知坑として統合しました.
・また,1917年,周囲の炭山を買収し北炭・神威坑として統合しました.
・さらに,1943年,開北坑を買収し,北炭・開北坑としました.
1963(昭和三十八)年 神威坑・開北坑を閉山.
・開北坑は,北斗炭鉱が引継ぎ,1970年まで営業していました.
1995(平成七)年 北炭・空知炭鉱,閉山.
・この閉山で,空知炭田群の炭山が消滅しています.
「住友系」
1930(昭和五)年 周囲の炭山を買収して,住友炭鉱・上歌志内炭鉱が成立.
・その前身は,1895年に開坑した石狩炭鉱と1905年に開坑した中村炭鉱でした.
・これらを坂市太郎が統合し,さらに住友炭鉱が買収しました.
1988(昭和六十三)年 住友炭鉱・上歌志内坑が閉山.
・同年,歌志内線が全線廃止されました.
「上砂川地域」
・パンケウタシナイ川流域には,上砂川支線が敷設され,三井砂川炭鉱からの石炭を輸送していました.
・上砂川支線は1918年に,歌志内線(砂川~歌志内)の砂川駅から上砂川まで,敷設されました.
1898(明治三十一)年 北炭・西山坑が開坑.
・これはのちに三井鉱山に買収されます.
1914(大正三)年 三井鉱山・砂川鉱業所を設立.
・1917~1924年の間に周囲の炭鉱群を買収し,第一坑~第三坑を開坑しました.
1918(大正七)年 三井専用鉄道(砂川~上砂川間),開通.
1931(昭和六)年 三井鉱山,第四坑の操業を開始.
・1934~1945年の間に第一坑~第三坑の整備を進め,さらに第五坑~第七坑を開坑しました.しかし,1950年以降,坑道の整理が進み,次々と閉鎖してゆきます.一方で,1968年には,中央立坑を完成させました.
1982(昭和五十七)年 三井石炭鉱業,露天坑の採掘を開始.
・翌年以降,露天坑の改廃が行なわれます.
1987(昭和六十二)年 三井鉱山・砂川鉱業所,閉山.
1994(平成六)年 函館本線・上砂川支線,廃止
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芦別南地域の炭鉱と鉄道

没ネタ,その4です.
どうやら,また画像が投稿できるようになったようです.
なんだろね(^^;
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「芦別南地域の炭鉱と鉄道」
・石炭の搬出方法がないこの地域の開発は遅れていましたが,1913(大正二)年に国有鉄道・釧路本線*(滝川~下富良野間)が開業.その後,多くの炭山が開坑し始めます.
* 釧路本線:のちに改称されて根室本線になります.
1939(昭和十四)年 三井鉱山芦別鉱業所・第一坑(炭山川)が開坑.
1935(昭和十)年 東芦別炭鉱が開鉱.
・東芦別炭鉱は,1944年に明治鉱業が買収.
1938(昭和十三)年 高根鉱業所芦別高根炭鉱が開坑.
・芦別高根炭鉱は1967年に閉山するまで出炭をおこなっていました.
1940(昭和十五)年 三井鉱山専用鉄道(芦別~三井芦別間)が開通.
・1944年に,三井鉱山芦別鉱業所・第二坑(頼城)が開坑し,翌年には,三井鉱山専用鉄道(三井芦別~頼城間)が延長されました.
1949(昭和二十四)年 三井鉱山専用鉄道,三井鉱山芦別鉄道になる.
・三井鉱山芦別鉄道は,1960年に鉄道部門を分離して,三井芦別鉄道を設立.
・これらの炭鉱は順調に石炭を産出していましたが,60年代に入ると閉山する炭鉱が出始めました.
・1963年には,明治鉱業KK・明治上芦別鉱業所が閉山.
・1965年には,三井鉱山は二坑(頼城)に統一.
1989(平成元)年 三井芦別鉄道が全線廃止.
1992(平成四)年 三井芦別炭鉱,閉山
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2008年4月13日日曜日
芦別北地域の炭鉱と鉄道

没ネタ,その3です((^^;)
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「芦別北地域の炭鉱と鉄道」
・石炭の搬出方法がないこの地域の開発は遅れていましたが,1913(大正二)年に国有鉄道・釧路本線*(滝川~下富良野間)が開業.これを機会に,多くの炭山が開坑し始めます.
* 釧路本線:のちに改称されて根室本線になります.
・芦別北東部には,三菱鉱業・芦別鉱業所・専用鉄道が敷設され,途中から油谷炭鉱専用線が分岐していました.
「盤の沢川地域」
1920(大正九)年 三菱合資会社が芦別地域で石炭産業に参入.
・三菱合資会社とは,のちの三菱鉱業の前身.当地域で1921年から出炭を開始.採掘箇所は、数年間で10鉱区以上に拡大しましたが,1933年に休山しました.
1947(昭和二十二)年 油谷芦別炭鉱,開坑.
・以前には久原鉱業(1917~1927)が採掘していましたが,1943年に油谷鉱業に売却されています.
1949(昭和二十四)年 三菱鉱業芦別鉱業所・専用鉄道,開通.
・三菱鉱業芦別鉱業所・専用鉄道(上芦別~辺渓間)の開通とほぼ同時に,油谷炭鉱専用線(辺渓~油谷炭鉱)も開通.1954年には,専用鉄道(辺渓~辺渓三坑間)が延長されました.
1964(昭和三十九)年 三菱芦別・ペンケ三坑,閉山.
・翌年には,油谷炭鉱も閉山しています.
「黄金町地域」
・黄金町地域には,鉄道は通っていませんでしたが,黄金町から芦別駅まで索道が石炭を運んでいました(位置不詳).
1946(昭和二十一)年 三井鉱山・黄金坑,開坑.
・索道は1966年に廃止されました(理由は不詳.自然災害による破壊が原因のようです).その後は,トラックによる輸送をおこなっていました.
1972(昭和四十七)年 三井鉱山・黄金坑,閉山
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2008年4月12日土曜日
赤平地域の炭鉱と鉄道

没ネタ,その2です((^^;).
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「赤平地域の炭鉱と鉄道」
・石炭の搬出方法がないこの地域の開発は遅れていましたが,1913(大正二)年に国有鉄道・釧路本線*(滝川~下富良野間)が開業.これを機会に,多くの炭山が開坑し始めます.
* 釧路本線:のちに改称されて根室本線になります.
1918(大正七)年 大倉鉱業KK・茂尻炭鉱,開坑.
1937(昭和十二)年 昭和電工・豊里炭鉱,開坑.
1938(昭和十三)年 住友鉱業・赤平炭鉱,開坑.“専用線”開通.
1938(昭和十三)年 北海道炭鉱汽船KK・赤間炭鉱,開坑.“専用線”開通.
・住友鉱業KK・赤平炭鉱や北海道炭砿汽船KK・赤間炭鉱は国鉄・赤平駅までの連絡に“専用線”を敷設しています.
・赤間炭鉱は独立や合併をおこないながらも運営されていましたが,60年代後半に入ると,閉山する炭鉱が出始めます.
1967(昭和四十二)年 昭和電工・豊里炭鉱が閉山.
1969(昭和四十四)年 雄別炭鉱KK・茂尻炭鉱が閉山.
1971(昭和四十六)年 西熊の沢炭鉱が閉山.
1973(昭和四十八)年 赤間炭鉱,閉山.“専用線”廃止.
1994(平成六)年 住友石炭鉱業・赤平炭鉱,閉山.“専用線”廃止.
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鉄道の興亡

北大博物館で「地質の日」記念企画「ライマンと北海道の地質―北からの日本地質学の夜明け―」が4/29〜6/1に行なわれます.
その中の,テーマ(2)「蝦夷地が北海道にかわるころ=北海道の資源開発=」を担当させてもらいましたが,没ネタがたくさん出てしまいました(^^;.
もったいないので,ここで紹介します.
これは,「石狩炭田の発見と幌内鉄道の建設」の解説の一部です.
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鉄道の興亡
=開通=
1880(明治十三)年 幌内鉄道(手宮~札幌間),開通.
1882(明治十五)年 幌内鉄道(手宮~幌内間),開通.……(7)
1889(明治二十二)年 幌内鉄道,北海道炭鉱鉄道会社に譲渡される.
・幌内炭鉱,幾春別炭鉱も同社の経営となる.
1891(明治二十四)年 幌内線・幹線延長工事(岩見沢~砂川),完成.
・支線(砂川~歌志内炭山)の工事完成.
1892(明治二十五)年 幌内線・幹線延長工事(砂川~空知太),完成.
・室蘭~岩見沢間・幹線工事,完成.
・支線(追分~夕張間),完成.
1906(明治三十九)年 北海道炭礦鉄道の所有鉄道,国有化され官設線となる.
・北海道炭鉱鉄道株式会社は北海道炭鉱汽船株式会社と社名を変更(以下,北炭と略).
1907(明治四十)年 官設鉄道,紅葉山~楓,開通.
1911(明治四十四)年 大夕張炭鉱専用鉄道が開通.……(10)
・清水沢~二股(のち南大夕張)間で開通し,1929年に南大夕張~通洞(のちの大夕張炭山)間が延長.のち,幾度か経営形態が変更され,名称もかわるが1987年まで営業.
1911(明治四十四)年 三井鉱山専用線(登川~楓),開通.……(11)
・1916年,国鉄に譲渡され,夕張線・登川支線となる.1981年まで営業.
1913(大正二)年 北炭,沼ノ沢~真谷地間に専用鉄道を開通.……(11)
1914(大正三)年 美唄軽便鉄道(美唄~美唄炭山),開通.……(6)
・1919年,美唄炭山から先には三菱鉱業専用鉄道が開通.これらは,美唄鉄道によって買収され経営が一本化.美唄鉄道は,1950年に,三菱鉱業が買収し,三菱鉱業美唄鉄道になる.
1914(大正三)年 万字軽便鉄道(志文~万字炭山),開通.……(8)
・1922年,万字軽便線は万字線に変更.
1918(大正七)年 国鉄・三井専用鉄道(砂川~上砂川),開通.……(4)
1920(大正九)年 万字線・美流渡駅から分岐する美流渡坑・専用線,開通.……(8)
1926(大正十五)年 三井専用鉄道は国有化,函館本線・上砂川支線となる.
1926(昭和元)年 夕張鉄道(栗山~新夕張:のち夕張本町),開業.……(9)
・1930年,野幌~栗山間,延長.
1931(昭和六)年 国鉄・南美唄支線,開通.……(6)
1934(昭和九)年 北炭角田炭鉱専用鉄道,開通.……(9)
・1954年,角田炭鉱株式会社・専用鉄道となる.
1938(昭和十三)年 北炭・赤間炭鉱“専用線”,開通.……(1)
1938(昭和十三)年 住友鉱業・赤平炭鉱“専用線”,開通.……(1)
1940(昭和十五)年 三井鉱山専用鉄道(芦別~三井芦別),開通.……(3)
・1945年,三井芦別~頼城間,延伸.1949年,三井鉱山芦別鉄道となる.1960年,三井芦別鉄道となる.
1940(昭和十五)年 住友奈井江炭鉱専用線(奈井江~選炭場),開通.……(5)
・1963年,奈井江炭鉱,大日鉱産に継承され専用線も譲渡される.
1949(昭和二十四)年 三菱鉱業・芦別鉱業所専用鉄道(上芦別~辺渓間),開通.……(2)
・同時に.油谷炭鉱専用線(辺渓~油谷炭鉱),開通.(1949~1964)
・1954年,三菱鉱業・芦別鉱業所専用鉄道(辺渓~辺渓三坑),延伸.
1949(昭和二十四)年 三井鉱山奈井江専用鉄道(奈井江駅~東奈井江),開通.……(5)
1952(昭和三十七)年 三菱鉱業・茶志内炭鉱専用鉄道(茶志内~茶志内炭鉱),開通.……(5)
=廃止=
1964(昭和三十九)年 油谷炭鉱専用線(辺渓~油谷炭鉱),廃止.
・同年 三菱鉱業・芦別鉱業所専用鉄道(上芦別~辺渓三坑),廃止.
1967(昭和四十二)年 三菱鉱業・茶志内炭鉱専用鉄道(茶志内~茶志内炭鉱),廃止.
・同年 美流渡坑専用線,廃止.
1968(昭和四十三)年 三井鉱山奈井江専用鉄道(奈井江駅~東奈井江),廃止.
1970(昭和四十五)年 角田炭鉱・専用鉄道,廃止.
1971(昭和四十六)年 夕張鉄道(鹿ノ谷~夕張本町),廃止
・同年 大日鉱産・専用線(住友奈井江炭鉱専用線),廃止.
1972(昭和四十七)年 三菱鉱業美唄鉄道,廃止.
1973(昭和四十八)年 国鉄・南美唄支線,廃止.
・同年 北炭・赤間炭鉱“専用線”,廃止.
・同年 住友鉱業・赤平炭鉱“専用線”.廃止.
1974(昭和四十九)年 夕張鉄道線・全線で旅客業務廃止:北炭に譲渡.
1975(昭和五十)年 北炭・夕張鉄道線,廃止.
1981(昭和五十六)年 夕張線・登川支線,廃止.
1985(昭和六十)年 万字線,廃止.
1987(昭和六十二)年 “大夕張鉄道”,廃止.
・同年 北炭・真谷地炭鉱専用鉄道,廃止.
1988(昭和六十三)年 歌志内線,全線廃止.
1989(昭和六十四)年 三井芦別鉄道(芦別~頼城),廃止.
1994(平成六)年 函館本線・上砂川支線,廃止
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のちほど,細部についても掲示しましょう.
2008年3月5日水曜日
石狩炭田の興亡(2)
“ライマン展”への作業,つづきです.
いやあ,手強い.
資料が矛盾だらけで,整理がつきません.地質屋も資源屋も,炭鉱にケリをつけてないということですね.
大手会社で出している「…年史」から整理することは可能でしょうね.本が入手できればですが.でも,中小では「社史」なんかつくってないでしょうから,図書館に行って各「市町村史」から,拾うしかないですかね.しかし,そんな時間はありそうにないですね.
また,旭川の図書館はひどく不便ですし,教育大の図書館は一年間休館という凄まじいことをやっています.たしかついこの間も,長期休館やってたはずですが,大学の先生や学生は図書館なんか使わんのかしら.
市町村の公式HPめぐりもしてみましたが,各市町村によって温度差がすごく違いますね.
炭鉱なんて,もう過去のものですし,場所によっては強制労働とかいろいろありますからね.公開したくない過去も….ということで,なかなか大変.
鉄ちゃんや廃ちゃんのHPもあるんですが,気をつけないと,誰かがやった間違いをそのままコピペしてるのが多いですからね.裏付けとるのが大変.
え?
ぼやいてるヒマがあったら,仕事しろ?
そうなんですが,これを始めてから,ず〜〜っと,朝から晩まで,こればかりですから,たまには気分転換したいし,ぼやきたい.(^^;
これが,ボランティアの仕事かよ!!
いやあ,手強い.
資料が矛盾だらけで,整理がつきません.地質屋も資源屋も,炭鉱にケリをつけてないということですね.
大手会社で出している「…年史」から整理することは可能でしょうね.本が入手できればですが.でも,中小では「社史」なんかつくってないでしょうから,図書館に行って各「市町村史」から,拾うしかないですかね.しかし,そんな時間はありそうにないですね.
また,旭川の図書館はひどく不便ですし,教育大の図書館は一年間休館という凄まじいことをやっています.たしかついこの間も,長期休館やってたはずですが,大学の先生や学生は図書館なんか使わんのかしら.
市町村の公式HPめぐりもしてみましたが,各市町村によって温度差がすごく違いますね.
炭鉱なんて,もう過去のものですし,場所によっては強制労働とかいろいろありますからね.公開したくない過去も….ということで,なかなか大変.
鉄ちゃんや廃ちゃんのHPもあるんですが,気をつけないと,誰かがやった間違いをそのままコピペしてるのが多いですからね.裏付けとるのが大変.
え?
ぼやいてるヒマがあったら,仕事しろ?
そうなんですが,これを始めてから,ず〜〜っと,朝から晩まで,こればかりですから,たまには気分転換したいし,ぼやきたい.(^^;
これが,ボランティアの仕事かよ!!
2008年3月1日土曜日
石狩炭田の興亡
“ライマン展”関連です.
ここ数日,石狩炭田の歴史について調べてました.
なにか,悲しい気持ちになりました.
何もなかったところに,ある日ハンマーの音が響き,しばらくして,たくさんの人がやってきました.
鉄道が敷かれ,あっという間に大きな町になり,石炭を運び出していきました.
これからまだまだ発展してゆくのかと思ったら,あっという間に人がいなくなり,廃虚が残されました.
べつに,石炭を掘り尽くしたわけでもないのに.
さて,石狩炭田の興亡ですが,割りと簡単に片づくのではないかという予想に反して,手ごわいです.
児玉清臣さんの力作,「石炭の技術史」と,地質調査所の「石狩炭田地質図」で,「幹」ができるだろうと考えていたわけです.両方とも力作なんですが,矛盾がたくさんあります.この整理が大変.まず,炭鉱の名前と位置の確認という,もっとも初原的なところから,調べ直しています.(^^;
さて,手早いのはやっぱり,ググること.
驚いたことに,関連の情報が山ほどでてきます.何といっても「鉄ちゃん」と「廃ちゃん」の活発な活動があるようです.このお陰で,いくつか「石狩炭田地質図」の記述が不正確だったことがわかりました.
また,私なんかは聞いたことがないような小さな専用鉄道まで調べてあって,すごすぎる.この専用鉄道というのは,石炭を運び出すために坑口から幹線まで,炭鉱会社がひいた鉄道のことです.
残念なことに,「鉄ちゃん」と「廃ちゃん」はやはり,マニアですから,詳細な調査をしているわりには,そして,インターネットでそれを公開などしてるわりには,ほかの人に分からせようというところが「おざなり」なんですね.
「鉄ちゃん」と「廃ちゃん」がこれだけやってますので,普通の切り口では,かれらにバカにされそうですね.時間はほとんど無いのですが,形になるのは,まだまだ時間がかかりそうです.
ここ数日,石狩炭田の歴史について調べてました.
なにか,悲しい気持ちになりました.
何もなかったところに,ある日ハンマーの音が響き,しばらくして,たくさんの人がやってきました.
鉄道が敷かれ,あっという間に大きな町になり,石炭を運び出していきました.
これからまだまだ発展してゆくのかと思ったら,あっという間に人がいなくなり,廃虚が残されました.
べつに,石炭を掘り尽くしたわけでもないのに.
さて,石狩炭田の興亡ですが,割りと簡単に片づくのではないかという予想に反して,手ごわいです.
児玉清臣さんの力作,「石炭の技術史」と,地質調査所の「石狩炭田地質図」で,「幹」ができるだろうと考えていたわけです.両方とも力作なんですが,矛盾がたくさんあります.この整理が大変.まず,炭鉱の名前と位置の確認という,もっとも初原的なところから,調べ直しています.(^^;
さて,手早いのはやっぱり,ググること.
驚いたことに,関連の情報が山ほどでてきます.何といっても「鉄ちゃん」と「廃ちゃん」の活発な活動があるようです.このお陰で,いくつか「石狩炭田地質図」の記述が不正確だったことがわかりました.
また,私なんかは聞いたことがないような小さな専用鉄道まで調べてあって,すごすぎる.この専用鉄道というのは,石炭を運び出すために坑口から幹線まで,炭鉱会社がひいた鉄道のことです.
残念なことに,「鉄ちゃん」と「廃ちゃん」はやはり,マニアですから,詳細な調査をしているわりには,そして,インターネットでそれを公開などしてるわりには,ほかの人に分からせようというところが「おざなり」なんですね.
「鉄ちゃん」と「廃ちゃん」がこれだけやってますので,普通の切り口では,かれらにバカにされそうですね.時間はほとんど無いのですが,形になるのは,まだまだ時間がかかりそうです.
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