2008年4月26日土曜日

奈井江・茶志内地域の炭鉱と鉄道


没ネタ,その6です.



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奈井江・茶志内地域の炭鉱と鉄道

「三井鉱山奈井江専用鉄道」
・豊沼奈江川沿いには,三井鉱山奈井江専用鉄道があり,沿線の炭田から石炭を搬出していました.奈井江駅から分岐した専用鉄道(三井奈井江~東奈井江)は,1949年に開通し,1968年に廃止されました.

1947(昭和二十二)年 三井鉱山・砂川鉱業所・奈井江白山坑,開発開始.
1949(昭和二十四)年 三井鉱山奈井江専用鉄道(三井奈井江~白山坑),開通.
  ・二年後,白山坑を廃止し,奈井江坑開発のため,鉄道を延長(白山~東奈井江),翌年,三井・奈井江坑が開坑します.奈井江坑は1961年に石狩炭鉱と改称します.
1955(昭和三十)年 三井・奥奈井江炭鉱,開坑.
1967(昭和四十二)年 三井奥奈井江坑,閉山
1968(昭和四十三)年 三井鉱山奈井江専用鉄道,廃止
1972(昭和四十七)年 石狩炭鉱,閉山

「住友奈井江炭鉱専用線」
・奈井江駅の東方約1 kmに,住友鉱業・奈井江炭鉱が開かれ,駅と奈井江坑を結ぶ住友奈井江炭鉱専用線が敷設されました.奈井江炭鉱はのちに大日鉱産に引継がれ,専用線は大日鉱産が閉山するまで使われていました.

1938(昭和十三)年 住友石炭鉱業・奈井江炭鉱,開坑.
1940(昭和十五)年 住友奈井江炭鉱専用線(奈井江~選炭場)敷設
1963(昭和三十八)年 大日興産,奈井江炭鉱を継承
1971(昭和四十六)年 大日興産,閉山.専用線,廃止.

「三菱鉱業茶志内炭鉱専用鉄道」
・茶志内駅から北東約2 kmに三菱鉱業茶志内炭鉱(1944~1967)があり,専用鉄道(1952~1967)が敷設されていました.

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2008年4月22日火曜日

歌志内・上砂川地域の炭鉱と鉄道



没ネタ,その5です.





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歌志内・上砂川地域の炭鉱と鉄道

「歌志内地域」
・ペンケウタシナイ川流域には歌志内線が敷設され,周囲の炭田から石炭を搬出していました.歌志内線は1891年に,官営幌内鉄道(手宮~幌内)の岩見沢駅から延伸され,砂川から歌志内まで敷設されました.

 「北炭系」
1890(明治二十三)年 北海道炭鉱鉄道会社,空知採炭所,設置.
  ・1901年,周囲の炭山を買収し北炭・空知坑として統合しました.
  ・また,1917年,周囲の炭山を買収し北炭・神威坑として統合しました.
  ・さらに,1943年,開北坑を買収し,北炭・開北坑としました.
1963(昭和三十八)年 神威坑・開北坑を閉山.
  ・開北坑は,北斗炭鉱が引継ぎ,1970年まで営業していました.
1995(平成七)年 北炭・空知炭鉱,閉山.
  ・この閉山で,空知炭田群の炭山が消滅しています.

 「住友系」
1930(昭和五)年 周囲の炭山を買収して,住友炭鉱・上歌志内炭鉱が成立.
  ・その前身は,1895年に開坑した石狩炭鉱と1905年に開坑した中村炭鉱でした.
  ・これらを坂市太郎が統合し,さらに住友炭鉱が買収しました.
1988(昭和六十三)年 住友炭鉱・上歌志内坑が閉山.
  ・同年,歌志内線が全線廃止されました.

「上砂川地域」
・パンケウタシナイ川流域には,上砂川支線が敷設され,三井砂川炭鉱からの石炭を輸送していました.
・上砂川支線は1918年に,歌志内線(砂川~歌志内)の砂川駅から上砂川まで,敷設されました.
1898(明治三十一)年 北炭・西山坑が開坑.
  ・これはのちに三井鉱山に買収されます.
1914(大正三)年 三井鉱山・砂川鉱業所を設立.
  ・1917~1924年の間に周囲の炭鉱群を買収し,第一坑~第三坑を開坑しました.
1918(大正七)年 三井専用鉄道(砂川~上砂川間),開通.
1931(昭和六)年 三井鉱山,第四坑の操業を開始.
  ・1934~1945年の間に第一坑~第三坑の整備を進め,さらに第五坑~第七坑を開坑しました.しかし,1950年以降,坑道の整理が進み,次々と閉鎖してゆきます.一方で,1968年には,中央立坑を完成させました.
1982(昭和五十七)年 三井石炭鉱業,露天坑の採掘を開始.
  ・翌年以降,露天坑の改廃が行なわれます.
1987(昭和六十二)年 三井鉱山・砂川鉱業所,閉山.
1994(平成六)年 函館本線・上砂川支線,廃止

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芦別南地域の炭鉱と鉄道


没ネタ,その4です.
どうやら,また画像が投稿できるようになったようです.
なんだろね(^^;






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「芦別南地域の炭鉱と鉄道」

・石炭の搬出方法がないこの地域の開発は遅れていましたが,1913(大正二)年に国有鉄道・釧路本線*(滝川~下富良野間)が開業.その後,多くの炭山が開坑し始めます.
           * 釧路本線:のちに改称されて根室本線になります.

1939(昭和十四)年 三井鉱山芦別鉱業所・第一坑(炭山川)が開坑.
1935(昭和十)年  東芦別炭鉱が開鉱.
  ・東芦別炭鉱は,1944年に明治鉱業が買収.
1938(昭和十三)年 高根鉱業所芦別高根炭鉱が開坑.
  ・芦別高根炭鉱は1967年に閉山するまで出炭をおこなっていました.
1940(昭和十五)年 三井鉱山専用鉄道(芦別~三井芦別間)が開通.
  ・1944年に,三井鉱山芦別鉱業所・第二坑(頼城)が開坑し,翌年には,三井鉱山専用鉄道(三井芦別~頼城間)が延長されました.
1949(昭和二十四)年 三井鉱山専用鉄道,三井鉱山芦別鉄道になる.
  ・三井鉱山芦別鉄道は,1960年に鉄道部門を分離して,三井芦別鉄道を設立.
  ・これらの炭鉱は順調に石炭を産出していましたが,60年代に入ると閉山する炭鉱が出始めました.
  ・1963年には,明治鉱業KK・明治上芦別鉱業所が閉山.
  ・1965年には,三井鉱山は二坑(頼城)に統一.
1989(平成元)年  三井芦別鉄道が全線廃止.
1992(平成四)年  三井芦別炭鉱,閉山
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2008年4月21日月曜日

投稿できませんね

PCを入れ替えたので,そのせいかと思い旧PCでテストしていますが,やはり画像添付ができません.

投稿用の画面がおかしくなって,様々なオプションのボタンが使用不能になっています.
これは,ブラウザを変えても同じですので,たぶん,Blogger側の設定が変わったのでしょう.

当分テキストしか,投稿できません.
つまらないですね.
あ.プレビューもできない!
いきなり「投稿を公開」かよ!

ブログの場所変えようかな.

2008年4月20日日曜日

テスト

新しい記事の投稿ができなくなりました.
画像添付ができないのです.

これはとりあえず,テキストを投稿したテストです.

2008年4月13日日曜日

芦別北地域の炭鉱と鉄道


没ネタ,その3です((^^;)

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「芦別北地域の炭鉱と鉄道」
・石炭の搬出方法がないこの地域の開発は遅れていましたが,1913(大正二)年に国有鉄道・釧路本線*(滝川~下富良野間)が開業.これを機会に,多くの炭山が開坑し始めます.
            * 釧路本線:のちに改称されて根室本線になります.

・芦別北東部には,三菱鉱業・芦別鉱業所・専用鉄道が敷設され,途中から油谷炭鉱専用線が分岐していました.

「盤の沢川地域」
1920(大正九)年 三菱合資会社が芦別地域で石炭産業に参入.
  ・三菱合資会社とは,のちの三菱鉱業の前身.当地域で1921年から出炭を開始.採掘箇所は、数年間で10鉱区以上に拡大しましたが,1933年に休山しました.
1947(昭和二十二)年 油谷芦別炭鉱,開坑.
  ・以前には久原鉱業(1917~1927)が採掘していましたが,1943年に油谷鉱業に売却されています.
1949(昭和二十四)年 三菱鉱業芦別鉱業所・専用鉄道,開通.
  ・三菱鉱業芦別鉱業所・専用鉄道(上芦別~辺渓間)の開通とほぼ同時に,油谷炭鉱専用線(辺渓~油谷炭鉱)も開通.1954年には,専用鉄道(辺渓~辺渓三坑間)が延長されました.
1964(昭和三十九)年 三菱芦別・ペンケ三坑,閉山.
  ・翌年には,油谷炭鉱も閉山しています.

「黄金町地域」
・黄金町地域には,鉄道は通っていませんでしたが,黄金町から芦別駅まで索道が石炭を運んでいました(位置不詳).

1946(昭和二十一)年 三井鉱山・黄金坑,開坑.
  ・索道は1966年に廃止されました(理由は不詳.自然災害による破壊が原因のようです).その後は,トラックによる輸送をおこなっていました.
1972(昭和四十七)年 三井鉱山・黄金坑,閉山

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2008年4月12日土曜日

赤平地域の炭鉱と鉄道


没ネタ,その2です((^^;).

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「赤平地域の炭鉱と鉄道」
・石炭の搬出方法がないこの地域の開発は遅れていましたが,1913(大正二)年に国有鉄道・釧路本線*(滝川~下富良野間)が開業.これを機会に,多くの炭山が開坑し始めます.
           * 釧路本線:のちに改称されて根室本線になります.

1918(大正七)年  大倉鉱業KK・茂尻炭鉱,開坑.
1937(昭和十二)年 昭和電工・豊里炭鉱,開坑.
1938(昭和十三)年 住友鉱業・赤平炭鉱,開坑.“専用線”開通.
1938(昭和十三)年 北海道炭鉱汽船KK・赤間炭鉱,開坑.“専用線”開通.
  ・住友鉱業KK・赤平炭鉱や北海道炭砿汽船KK・赤間炭鉱は国鉄・赤平駅までの連絡に“専用線”を敷設しています.
  ・赤間炭鉱は独立や合併をおこないながらも運営されていましたが,60年代後半に入ると,閉山する炭鉱が出始めます.
1967(昭和四十二)年 昭和電工・豊里炭鉱が閉山.
1969(昭和四十四)年 雄別炭鉱KK・茂尻炭鉱が閉山.
1971(昭和四十六)年 西熊の沢炭鉱が閉山.
1973(昭和四十八)年 赤間炭鉱,閉山.“専用線”廃止.
1994(平成六)年  住友石炭鉱業・赤平炭鉱,閉山.“専用線”廃止.

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鉄道の興亡


 北大博物館で「地質の日」記念企画「ライマンと北海道の地質―北からの日本地質学の夜明け―」が4/29〜6/1に行なわれます.

 その中の,テーマ(2)「蝦夷地が北海道にかわるころ=北海道の資源開発=」を担当させてもらいましたが,没ネタがたくさん出てしまいました(^^;.

 もったいないので,ここで紹介します.
 これは,「石狩炭田の発見と幌内鉄道の建設」の解説の一部です.

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鉄道の興亡
=開通=
1880(明治十三)年 幌内鉄道(手宮~札幌間),開通.
1882(明治十五)年 幌内鉄道(手宮~幌内間),開通.……(7)
1889(明治二十二)年 幌内鉄道,北海道炭鉱鉄道会社に譲渡される.
  ・幌内炭鉱,幾春別炭鉱も同社の経営となる.
1891(明治二十四)年 幌内線・幹線延長工事(岩見沢~砂川),完成.
  ・支線(砂川~歌志内炭山)の工事完成.
1892(明治二十五)年 幌内線・幹線延長工事(砂川~空知太),完成.
  ・室蘭~岩見沢間・幹線工事,完成.
  ・支線(追分~夕張間),完成.
1906(明治三十九)年 北海道炭礦鉄道の所有鉄道,国有化され官設線となる.
  ・北海道炭鉱鉄道株式会社は北海道炭鉱汽船株式会社と社名を変更(以下,北炭と略).
1907(明治四十)年 官設鉄道,紅葉山~楓,開通.
1911(明治四十四)年 大夕張炭鉱専用鉄道が開通.……(10)
  ・清水沢~二股(のち南大夕張)間で開通し,1929年に南大夕張~通洞(のちの大夕張炭山)間が延長.のち,幾度か経営形態が変更され,名称もかわるが1987年まで営業.
1911(明治四十四)年 三井鉱山専用線(登川~楓),開通.……(11)
  ・1916年,国鉄に譲渡され,夕張線・登川支線となる.1981年まで営業.
1913(大正二)年 北炭,沼ノ沢~真谷地間に専用鉄道を開通.……(11)
1914(大正三)年 美唄軽便鉄道(美唄~美唄炭山),開通.……(6)
  ・1919年,美唄炭山から先には三菱鉱業専用鉄道が開通.これらは,美唄鉄道によって買収され経営が一本化.美唄鉄道は,1950年に,三菱鉱業が買収し,三菱鉱業美唄鉄道になる.
1914(大正三)年 万字軽便鉄道(志文~万字炭山),開通.……(8)
  ・1922年,万字軽便線は万字線に変更.
1918(大正七)年 国鉄・三井専用鉄道(砂川~上砂川),開通.……(4)
1920(大正九)年 万字線・美流渡駅から分岐する美流渡坑・専用線,開通.……(8)
1926(大正十五)年 三井専用鉄道は国有化,函館本線・上砂川支線となる.
1926(昭和元)年 夕張鉄道(栗山~新夕張:のち夕張本町),開業.……(9)
  ・1930年,野幌~栗山間,延長.
1931(昭和六)年 国鉄・南美唄支線,開通.……(6)
1934(昭和九)年 北炭角田炭鉱専用鉄道,開通.……(9)
  ・1954年,角田炭鉱株式会社・専用鉄道となる.
1938(昭和十三)年 北炭・赤間炭鉱“専用線”,開通.……(1)
1938(昭和十三)年 住友鉱業・赤平炭鉱“専用線”,開通.……(1)
1940(昭和十五)年 三井鉱山専用鉄道(芦別~三井芦別),開通.……(3)
  ・1945年,三井芦別~頼城間,延伸.1949年,三井鉱山芦別鉄道となる.1960年,三井芦別鉄道となる.
1940(昭和十五)年 住友奈井江炭鉱専用線(奈井江~選炭場),開通.……(5)
  ・1963年,奈井江炭鉱,大日鉱産に継承され専用線も譲渡される.
1949(昭和二十四)年 三菱鉱業・芦別鉱業所専用鉄道(上芦別~辺渓間),開通.……(2)
  ・同時に.油谷炭鉱専用線(辺渓~油谷炭鉱),開通.(1949~1964)
  ・1954年,三菱鉱業・芦別鉱業所専用鉄道(辺渓~辺渓三坑),延伸.
1949(昭和二十四)年 三井鉱山奈井江専用鉄道(奈井江駅~東奈井江),開通.……(5)
1952(昭和三十七)年 三菱鉱業・茶志内炭鉱専用鉄道(茶志内~茶志内炭鉱),開通.……(5)

=廃止=
1964(昭和三十九)年 油谷炭鉱専用線(辺渓~油谷炭鉱),廃止.
  ・同年 三菱鉱業・芦別鉱業所専用鉄道(上芦別~辺渓三坑),廃止.
1967(昭和四十二)年 三菱鉱業・茶志内炭鉱専用鉄道(茶志内~茶志内炭鉱),廃止.
  ・同年 美流渡坑専用線,廃止.
1968(昭和四十三)年 三井鉱山奈井江専用鉄道(奈井江駅~東奈井江),廃止.
1970(昭和四十五)年 角田炭鉱・専用鉄道,廃止.
1971(昭和四十六)年 夕張鉄道(鹿ノ谷~夕張本町),廃止
  ・同年 大日鉱産・専用線(住友奈井江炭鉱専用線),廃止.
1972(昭和四十七)年 三菱鉱業美唄鉄道,廃止.
1973(昭和四十八)年 国鉄・南美唄支線,廃止.
  ・同年 北炭・赤間炭鉱“専用線”,廃止.
  ・同年 住友鉱業・赤平炭鉱“専用線”.廃止.
1974(昭和四十九)年 夕張鉄道線・全線で旅客業務廃止:北炭に譲渡.
1975(昭和五十)年 北炭・夕張鉄道線,廃止.
1981(昭和五十六)年 夕張線・登川支線,廃止.
1985(昭和六十)年 万字線,廃止.
1987(昭和六十二)年 “大夕張鉄道”,廃止.
  ・同年 北炭・真谷地炭鉱専用鉄道,廃止.
1988(昭和六十三)年 歌志内線,全線廃止.
1989(昭和六十四)年 三井芦別鉄道(芦別~頼城),廃止.
1994(平成六)年 函館本線・上砂川支線,廃止
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 のちほど,細部についても掲示しましょう.

2008年4月5日土曜日

DNAでたどる日本人10万年の旅

 久しぶりにいい本を読んだもので.(^^)
 ちょっと,これまで読んできた本とは毛色が変わっていますが,面白い本でした.

 日本という地域は,DNAの多様性が例外的に残されている地域なんだそうです.温暖で豊かな自然に招かれて,北から南から,また朝鮮半島から多系統の人たちが集まってきました.豊かな自然に包まれて,かれらは争うこともなく,互いの文化や習慣を尊重して暮らしてきました.いわゆる縄文時代ですね.
 そこへ,大陸での戦乱から逃れた人たちが,いわゆる難民としてやってきます.大陸とは異なり,豊かな自然は,新旧の争いを引き起こすことはなく,どんどん受入れていったということですね.

 いわゆる弥生文化ですが,日本列島全域がそうなったわけではなく,東日本や北日本さらに沖縄地域では,独自の文化が栄えていたということです.教科書で教わったこととは違いますね.

 このなんでも受入れていったというのは非常に説得力がありますね.
 今でもわれわれ日本人は,外国の文化でもなんでも受入れてしまいますね.年末にはキリストの誕生日を祝い,大晦日にはお寺で鐘を衝いて,正月には神社に初詣で….ですからね.とくに,キリスト教なんてのは,一神教で,ほかの神様は拝んじゃあダメってきつくいわれるのに,日本人は一緒くたに拝んでしまいますね.日本という自然が生んだ習慣です.とてもいい習慣ですね(^^;.

 「日本人は単一民族である」=幻想ですね.国民を管理するための.
 昔に戻って,北朝鮮からでも韓国からでも,チベットからでも,世界中の難民をみんな受入れたいですね.
 たぶん,それが日本なんですね.

 崎谷満「DNAでたどる日本人10万年の旅」(昭和堂刊).ぜひ読んでみてください.
 学問は無駄じゃあないです.