2017年5月15日月曜日

アイヌの伝説と火山(1)

アイヌの伝説と火山(1)

駒ヶ岳噴火

噴火湾の人々
室蘭の岬の絵鞆部落(エトモコタン)に男三人,女三人の兄弟がいたが,生活が苦しいので噴火湾の対岸に移ろうと,ルクチ岳*を日当てにして舟を漕いでいると,突然に駒ヶ岳が爆発し,噴出した軽石が海上に浮んで,舟を動かすことができなくなってしまった.
(八雲・椎久トイタレケ翁伝)
(更科源蔵「アイヌ伝説集」)

 このあと話は続き,鯱神を呼んで助けてもらい,舟は訓縫と黒岩の間に着き,その後この人たちの子孫は「岬の族(エンルムウタラ)」と呼ばれ長万部や瀬棚の方まで広がって繁栄したといいます.
 でも,その話はわれわれには関係が無いので,駒ヶ岳噴火に集中します.

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北海道駒ヶ岳は3万年前より以前に活動を開始した.駒ヶ岳溶岩噴出後,3~4万年前頃に駒ヶ岳岩屑なだれが生じた.その後,2万年以上の休止期をおいて,約6000年前に降下火砕物と火砕流が噴出し,再び500年余りの休止期をおいて,約5500年前に降下火砕物と火砕流(Ko-f)が噴出した.更に5100年余りの長い休止期の後,江戸時代になって火山活動が再開した(宝田・吉本,1998).
気象庁HPより

 この話が3~4万年前のものとは思えないので,約6000年前からこちらの話なのでしょう.またアイヌの一族が世代を越えて繁栄したというのですから,明治以降も除外してもよいでしょう.
 そうすると,可能性のあるのは...,
1640(寛永十七)年 大噴火:山体崩壊.津波発生.
1694(元禄七)年 大噴火:軽石降下.火砕流発生.
1856(安政三)年 大噴火:軽石降下.火砕流発生.
くらいでしょうか...

 このうち,長期間の休止期を破って起こした噴火は山体崩壊を伴った大噴火となっています.岩屑なだれが起き,内浦湾では津波が発生(この時七百余名が溺死と伝えられる)していますから,舟で絵鞆から黒岩あたりに渡ることは不可能かと思われます.
 そうすると,元禄の噴火,あるいは安政の噴火ということになりますが,安政三(1856)年から,世代を越えて各地に繁栄したというのも考えにくいですね.つまるところ,この伝承ができたのは元禄の大噴火のときということになりましょうか....


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*ルクチ岳:現在の八雲町黒岩は,昔はルクチと呼ばれていたらしい.その海岸に黒い岩があり,アイヌは「クンネ・シュマ(黒い岩)」と呼び「シュマ・カムイ(石神)」として崇めていたらしい.それで和人はこのあたりを「黒岩」と呼んだのだそうだ.
ところで,現在「ルクチ岳」と呼ばれる山はない.「ルコツ岳」がそうだという説があるが,「ルコツ」は「道のある沢」という意味で山の名ではないという(更科源蔵,1982).そうすると,この話の当時,その山が「ルクチ岳」と呼ばれていたというこの話には疑問が生じるが,詳細は不明である.


2017年2月3日金曜日

ヒト―異端のサルの1億年

 
ひさびさのヒット.
たぶん,再読することになると思われます.


人類史関係の本は何十冊と持ってますけど,また読むだろうと感じるものは少ないですね.

おすすめです

もっとも,人類関係の本は数年で陳腐なものになってしまう可能性が高いですが.
 

2017年1月17日火曜日

ブログ更新停滞中

まだ生きてますので,ご心配はご無用に.(^^;

Mac OSのv. upとアプリ販売方法の変化により,ブログ投稿環境が急速に悪化したためです.それを乗り越えて...という根性が...
それと,Facebookの利用が増えたため,わたしの「しゃべる」が満足されているため.(^^;

ご心配な方はFBを通じて消息をご確認ください.
 

2016年7月4日月曜日

思いだしたこと

 
ここ半月くらいの間で,上川盆地関連の論文を数十単位で読んだ.
そこで思いだしたことがある.

それは,化石が産出したぐらいでは地層の時代は決まらないこと.
大げさにいえば,すでに時代は「生層序学の終焉」を迎えていたということ.
それで,多くの生層序屋が限界を感じたんだな.

「オリストストローム」,「メランジ」,「付加体」…,これらの概念が生層序学を吹っ飛ばした.
たとえば,「Aという地層の中に含まれている石灰岩からαという化石を産出した」…むかしは,そのαという化石が示す年代をそのまま,「Aという地層」の年代としていた.
ところが上記の概念によって,その石灰岩は「別なところから運ばれてきた」ものであり,地層の年代は示していないという厄介なことになったのだ.

結局,その石灰岩は異質な岩体であるから,石灰岩の「母岩となっている地層と同時代の化石」を探さなければならないのだ.それには,緻密な地質調査とある程度の実験施設が必要になった.母岩を破壊し,中の微化石を抽出しなければならないからだ.
母岩から僅かな微化石が産出したとしても,対比すべきスタンダードが「正しい」のか再検討・確認しなければならないし….模式地の検討が遅れていれば,それで終わり….海洋底堆積物に含まれる微化石がスタンダードとなったが,それはせいぜいジュラ紀ぐらいまでしか遡ることは出来ないし….

つまるところ化石学は,アマチュアにはつまらない学問と化した.むかしは,アマチュアでも発見すれば科学に貢献できたのだが….
科学の他の分野では「ビッグ・サイエンス化」に伴う一般人の科学離れがおこっていたが,それとおなじことが化石の世界でも起こっていたわけだ.

しかし,よく考えれば,かなり以前から「タービダイト」という概念はあった.大陸棚にいったん溜まった堆積物やそこに生息していた生き物が大陸斜面を滑り落ち,そこに落ち着いたわけだから,厳密には地層が溜まった時代と化石の示す時代は…すでに同じではなかったわけだ.
同様に「現地性化石」,「異地性化石」という概念もあった.まあ,この場合だって「ほとんどの化石は異地性」だったし….
とはいえ,地質学的には,ほぼ同時代で済ましていたんだな.

古生代の化石が石灰岩とともに,白亜紀の地層に紛れ込んでくるとなると「だいたい同じ」ではすまないし….

さて,一番の問題はそういうところも含めて「ジオパークは面白い」と見せる(魅せる)ことができるかなんだが…(^^;;;.


 

2016年5月13日金曜日

「北海道地質総論」の用語

 
ブログ更新,とどこおってますが,ちゃんと生きてます.(^^;

現在,來曼(1878)「北海道地質総論」をテキスト化中.で,忙しいのです.d(^^)
ほかに,この地方には雪解けとともに片付けたり,準備したりしなけりゃならないものがたくさんありますもので.(^^;;

de,「北海道地質総論」
その中に,見慣れない用語がたくさん出て来ますので,ちょっと紹介.

まずは,「煤炭」.これは,現代の言葉で「石炭」のこと.
日本では江戸時代から「石炭」という言葉が使われていましたが,明治にはいって「煤炭」が用いられるように.これは中国の「煤炭[méi-tàn]」の借用語.なぜ,明治期に入って使われるようになったのかは不明ですが,すでにライエルの「地質学の基礎」が「地学浅釈」として中国語訳されてますので,その影響かも知れません.
つぎは「骨状煤炭」.
これは「bony coal」の和訳.なぜbonyなのかは置いといて((^^;),これは「劣質炭」を意味します.
蛇足しておけば,これは英語ではなく米の地質屋スラング.

さて,普通に出てくる堆積岩.細かい方からいくと….
「舎兒」.中国語では「家の子」という意味らしいですが,この場合は違います.
「舎兒」=「シャー・エル」つまり「シェール[shale]」のこと.語源はチョットわかりません.調査中です.
つぎに「坭石」.「坭」は「泥」の旧字.すなわち「坭石」は「泥岩[clay stone]」のことです.
も少し粗くなって….
「沙石」.「沙」は「砂」のこと.なお,英語版のLyman (1877)では「sand rock」になってます.
さらに粗くなって….
「粗糙(そそう)沙石」.「粗」は普通につかいますが,「糙」とは「黒米」のことらしいです.でも,この場合は「粒」を表してるんだろうとおもいます.つまり,「粗粒砂岩」のこと.英語版では「coarse sand rock」になってますね.
もっと粗くなります….
「石子」.「石子」ってなんだろうと少し悩みましたが,英語版を見ると「pebble」になってました.「小礫」のことでした.
面白いのが,
「豆大豆子層」.なんじゃろうと思いましたが,英語版では「Bean size pebble rock」.なるほど((^^;).

で,堆積物の中に「雲母[mica]」が目立つと…「枚格状=micaceous」とありました((^^;).

さて,色の道はむつかしい…((^^;)と,いいますが….
「銷泐變棕色」.わかんね~((^^;).読み方も,どこで切るのかすら?((^^;). 
では解析.
「銷」は音読みでは「ショウ」,訓読みでは「と・ける,け・す」と読みます.
「泐」は音読みでは「リョク,ロク」ですが,現代日本では使用しませんね.で,中国語辞典を見ると「石が筋に沿って割れる;書写する;彫る」など.
「變」は「変」の旧字です.
で,最後の「棕」ですが,「シュ」と読むらしいことはわかるのですが意味がわかりません((^^;).

でもなんとなく,「銷泐」が風化して脆くなったもの.「變棕色」は色らしい,ということは推測できます.
で,伝家の宝刀(でもないですが(^^;)を見ると該当する個所には「weathering brown」がありました.なるほど,“風化した茶色”ですか.


 

2016年3月30日水曜日

アラビア科学

 
以前から気になっていたアラビア科学ですが(実際に興味あるのは,歴史としての「イスラム地質学」ですが),チョットした取っ掛かりが見つかり,しばらくそこに没頭してました.

取っ掛かりとは,
伊東俊太郎(1978, 2007)近代科学の源流.
伊東俊太郎(1993, 2006)十二世紀ルネサンス.
伊東俊太郎・広重徹・村上陽一郎(1996, 2002)改訂新版 思想史の中の科学.

      


いろいろ興味深いことはありますが,まとめると….
「異文化は受け入れた方が発展するのであって,文化を守り始めるとあっという間に腐る.」


具体的にいうと,ギリシャ文化を受け入れ,ヨーロッパ・キリスト教世界で異端とされ,排除された耶蘇教各派を受け入れたアラビアは科学革命を起こす.アラビア世界はもちろん,当時,インドや中国とも交流があり,さらには日本にもそれらは輸入されている.
一方,ヨーロッパ・キリスト教団(カトリック)はどんどん硬直化し,ヨーロッパは中世暗黒時代を迎える.

その後,アラビアで発展した文化を受け入れたヨーロッパはルネサンスをおこし,一方の文化を守り始めたイスラムのためにアラビア世界は頑迷となる.で,現代に繋がるというのがアラビア科学史の顛末.

ということで,学校で「ルネサンス」を習ったときには,なんで「(文芸)復興(or 再生)」なのか,意味がわかりませんでしたが,「もともとギリシャにあった文化」がアラビア世界で発展し,ヨーロッパの一部まで拡大したアラビア世界から,ヨーロッパ世界がその文化を学び(つまり帰ってきた),ヨーロッパで更に発展したから「ルネサンス=再生」な訳ですね.


これらを読んで,入手したのが「アラビア科学」に関する”真面目な”研究の情報.
以前やってたときは,見つからなかったンですがねえ,
矢島祐利(1965)アラビア科学の話.
矢島祐利(1977)アラビア科学史序説.

      


1965は「岩波新書」で,1977は箱入りの立派な装丁です.
ちなみに,第一次オイルショックは1973年のこと.
それまで日本人はオイルをたくさん使いながら,そこから輸入しているアラブ世界のことなんか,これっぽちも考えていなかった.焦って研究者を探した結果が「立派な箱入り本」なのかな?

でも,1965も,1977も,アラビア科学に関する具体的な記述はほとんどなく,発見されてるラテン語本を英訳したもののリストに過ぎません.「アラビア地質学」までは,まったく到達しない.
まあ,「発見されたラテン語訳の本」,それを発見した「西欧の研究者の眼」さらに,それを研究しようとしている「日本人・科学史家の眼」,と,二重三重のフィルターを通しているわけで,”アラビア科学史”の概略すら「いまだに,わからない」のは,仕様がありません.ましてや,”地質学史”なんてね.(^^;;

そして,これ以降,アラビア科学史研究は,まるで見つからないのです.
オイルを断たれて真っ青になった日本人.その時だけは,アラブ世界に目を向けようとしましたが,オイルの安定供給が始まると,またすぐに「のど元過ぎれば…」だったようです.
日本人がアラビア世界を理解しようとしなかったことと(たぶん,同様に世界も),いま,イスラム過激派が世界を震撼させていることと,「関係がある」とはいえないでしょうけど,誤解がさらに悪い関係をまねくことは考えられることです.

さて,21世紀になってから,日本で出た本が一冊あります.それは…
ジャカール,D.(2005)アラビア科学の歴史(遠藤ゆかり,2006訳).
もちろん,日本人のオリジナルではありません.



「知の再発見シリーズ」のひとつとして創元社(大阪)が出版したものです.

 

2016年2月25日木曜日

今やってること.

 
「北海道鉱山畧記」,略した部分があったので,現代語訳・注釈を編集中.
なんか飽きてきたけど,ケリをつけなきゃ.(^^;