2019年8月3日土曜日

お休み中

 
しばらくブログの更新が滞っておりますが,体調不良とかではありませんのでご安心を.だれも心配なんかしてないか.(^^;;

じつは,下記HPの構築中なので,ブログの方はしばしお休みです.
まだ,見ていただくほどには完成しておりませんが,おいおい充実させてゆくつもりでおります.



2019年6月28日金曜日

北海道地質学史に関する文献集(おわり)

 
 これまで示してきたように,26編程度の報告を読めば,だれでも“北海道地質学史”の研究者になれることがわかる.すでにもう,事実の概略は示されているのである(それにしては,いまだに学会発表なんかで“あらすじ”とかやってる“研究者”が見受けられるが).
 もっとも,各報告に載せられた「引用文献」については,すでに入手不可能なものや,(わたしを含めた)一般人にはアクセス不可能な資料もあるので,このあたりは大都市在住者か大学関係者でなければ,「だれでも」というわけにはいかないだろうけど(半分愚痴である:(^^;;).

 そういうことはさておき,全体を通して眺めてみて気のついた点をいくつか.

第一に,これから地質学史(とくに北海道について)の概略について述べるなんて,学会発表や報告はナンセンスであること.
第二に,事実を羅列するのは,すでにナンセンスであり,全体としてどういう発展を遂げてきたのか(歴史的流れ)とか,時代に反応して進んできた地質学史(社会地質学的見方)など,「見方」を考察すべきであること.
第三に,以上のことから「概論」の時代は過ぎたので,「細部」のこと,ひとりの地質家の生き様であるとか,一つの地質現象についての解明の道筋とか,が語られるべきであると思われること.

さいごに,地質家(大学教授や公的研究機関の諸先生だけでなく)は,もっと自分がやってきたこと,歩いてきた路を語るべきだということ.最先端の学問についてのみではなく,地道な調査と「失敗」の記録を,残しておくべきだろうと….

 

北海道地質学史に関する文献集(26)

 
鈴木 理(2014~2015)日本地質学の軌跡

 鈴木(2014~2015)は「日本地質学の軌跡」という表題で,地質調査所と地質学に関する歴史を,地質学者の生き様や学者層の拡大に注目しながら,26回にまとめるという予定で連載を開始した.しかし,2015年の第6話にとどまったまま,以降は未発表のままである.

第1話:和田維四郎と小藤文次郎:14歳,運命の外国語選択
第2話:和田維四郎と小藤文次郎:東京大学地質学専攻と内務省地質課の誕生.
第3話:原田豊吉:帝国大学理科大学と農商務省地質局の星.
第4話:巨智部忠承と神保小虎:日清戦争と地質学.
第5話:高峰譲吉と高山甚太郎:地質調査所からの広がり.
第6話:井上禧之助と小川琢治:日露戦争下の地質調査.


 たしかに,数人の地質学者について詳細にその人生に迫っている.しかし,表題が「日本地質学の軌跡」というわりには,東大と地質調査所の歴史ばかり目立つのは,まだ6話しか進んでいないからだろうか.それとも,日本の地質学といえば,東大と(国立)地質調査所しかないと考えているのだろうか.残念だが,北海道の地質学の話は出て来そうもない.

 

2019年6月27日木曜日

北海道地質学史に関する文献集(25)

 
佐藤博之(1985)百年史の一こま

佐藤博之(1985a)百年史の一こま(1)地質調査所初期の地磁気観測.
佐藤博之(1985b)百年史の一こま(2)博覧会と地質調査所.
佐藤博之(1985c)百年史の一こま(3)ライマンとナウマン.

 百年史の一こま(1)のテーマは「地質調査所初期の地磁気観測」であるので,あまり関係がない.
 (2)「博覧会と地質調査所」には,明治6年のウィーン万国博覧会に出品された資料に関連して,開拓史勤務の白野夏雲についての言及がわずかにある.
 また,1877(明治10)年の第一回内国勧業博覧会に関して,地質調査所から内務省地理寮諸務課に転入した白野夏雲の収集した「土石と木材」が出品され,これらについての記述もわずかにある.また,末尾に夏雲の次男である白野己巳郎についても言及されている.

 (3)「ライマンとナウマン」では,いわずと知れた北海道地質学の大恩人=ライマン氏について詳述されている.
 ライマンとナウマンを対比させながら地質調査史を語っている.ライマンについてはたくさんの弟子たちが語っているのだが,ナウマンを語る弟子が一人もいないことが印象的だった.
 また,二人とも日本の地質学にとっては大恩人であることは明らかなのだが,両人が去ったあと,東大や匿名の連中が二人の業績を抹消しようという動きがあったことも注目される.もちろん,明治政府の軍国主義化に伴う,第二の「尊皇攘夷」であったと考えられるだろう.

 下に引用した引用文献だけでも,概略は理解できると思う.

文献
坂市太郎(1918)北海道の開発と石炭鉱業.日本鉱業会誌,no.403, p.14-22.
一一一一(1892a)北海道石狩炭田の炭量.日本鉱業会誌,vol.8, p.534-535.
一一一一(1892b)北海道ノ炭鉱ニ就テ.東京地学協会報告,vol.14, no.11, p.3-25.
団 琢磨(1926)思い出す事どもー其頃の三池と筑豊一.石炭時報,vol.1, p.599-608.
北海道総務部文書課(1978)ベンジャミン・S・ライマン.開拓に尽した人びと.vol.2, p.125-142. 理論社.
井黒弥太郎(1968)榎本武揚伝.みやま書房,札幌,418+10p.
今井 功(1966)黎明期の日本地質学.地下の科学シリーズ,ラティス,193p.
今津健治(1979)山内徳三郎「ベンジャミン・スミス・ライマン氏小伝」.エネルギ一氏研究,no.10, p.90-97.
石原初太郎(1898)伊豆半島第三紀層論.地質学雑誌,vol.5, p.273-286.
伊藤弥次郎(1927)鉱山局の思い出.石炭時報,vol.2, p.358-361.
Imperial Geological Survey (1893) Imperial Geological Survey of Japan, with a catalogue of articles exhibited by the Geological Survey at the World's Columbian Exposition. 49p.
賀田貞一略伝(1915)日本鉱業会誌,no.370.
加藤鉄之助(1914)大正博覧会における地理的出品物に就て.地学雑誌,vol.26, p.544-552.
桑田権平(1937)來曼先生小伝.99p.
松井 愈(1953)ライマン(B.S. Lyman)と北海道の炭鉱.一北海道の炭鉱を主にする地質学史に関する考察:その一ー.歴史家,no.1, p.1-13.
中村新太郎(1930a)新訳日本地学論文集集(三)ナウマン博士一トルコ及びメキシコに於ける地質研究(上).地球,vol.14, p.53-58.
一一一一(1930b)新訳日本地学論文集(五)ライマン一日本油田調査第二年報(ー).地球,vol.14, p.191-200.
中島謙造(188920万分の1地質図幅「静岡」説明書.地質調査所,47p.
日本工学会(1930)明治工業史・地学篇,87p.
西山正吾(1920)地質学者ライマン先生小伝.東洋学芸雑誌,vol.37, p.487-490.
小川啄治(1985)伊豆半島石英安山岩略説.地質学雑誌,vol.2, p.444-451.
一一一一(1937)一地理学者の生涯⒀.地理教育,vol.23, p.411-418.
佐川栄次郎(1921)ライマン先生を憶ふ,地質学雑誌,vol.28, p.40-54.
一一一一(1936)ナウマン氏小話 フォッサマグナ 賛川風景.地球,vol.26, p.277-285.
山陰一生(1884)地質調査事業進歩の景況.東洋学芸雑誌,no.35, p.151-154.
佐藤博之(1983)先人を偲ぶ(1).地質ニュース,no.346, p.52-63
沢村孝之助(1972)明治期の伊豆半島調査.杉山隆二(編)「伊豆半島」,東海大学出版会,p.35-39.
島田純一(1926)ライマン先生ー弟子の観た先生一.石炭時報,vol.1, p.270-272.
鈴木 敏(188820万分の1地質図幅「甲府」説明書.地質調査所,128p.
鈴木 醇(1949)北海道鉱業開拓者ライマン先生の業績.北海道鉱山学会誌,vol.5, p.279-289.
徳間貞一・永淵正叙(1941)佐川さんを憶ふ.地質学雑誌,vol.48.
ユネスコ東アジア文化研究センター(1975)資料御雇外国人.小学館,524p.
江原真伍(1962Fossa Magna を中心としてー Naumann 博士の日本島の調査.地学研究,vol.12, p.307-309.
山根新次(1953)日本地質学会創立六十年に寄せて.地質学雑誌,vol.59, p.279-282.

YOKOYAMA, M. (1904) On some Jurassic fossils from Rikuzen. Jour. Coll. Sci. Imp. Univ. Tokyo. vol.18, art. b, p.1-13.

北海道地質学史に関する文献集(24)

 
佐藤博之(1983a)先人を偲ぶ(1)
佐藤博之(1983b)先人を偲ぶ(2)

 この論文は,地質調査所(本庁)の100年史編纂後に,旧所員についてまとめたものである.したがって,すべてが北海道の地質調査史に関係あるというわけではないし,地質調査所には土質試験関連の部所もあったので,これも地質調査とは無関係である.しかし,白野夏雲はじめ数名は,北海道の地質調査史には欠かすことのできない人物であるので,示しておく.

 以下に,章立てと引用文献について示す.章立ては,錯綜しているので分かりにくい.

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佐藤(1983a)の章立て

(はじめに)
(はじめに,という章題はないが,内容から緒言であるので,こうしておく)

白野夏雲
(この章の)文献
 神保小虎(1903)我邦に於ける鉱物学の歴史.地質学雑誌 vol. 10, p. 442-450
 一一一一(1905)本邦に於ける地質学の歴史.地質学雑誌 vol. 12, p. 393-405

 なお,白野夏雲に関しては,翌年,白野仁(1984)「白野夏雲」が出版されている.
阿曽沼次郎

坂市太郎及び西山正吾
地質調査所における業績
北海道の石炭開発
神保ー坂論争
鉱山経営者としての坂

(この章の)文献
坂市太郎(1890)神保君ニ質シ併セテ其教ヲ乞フ.地学雑誌 vol. 2 p. 147-148
一一一一(1918)北海道の開発と石炭鉱業.日本鉱業会誌 no. 403, p.14-22.
早坂一郎(1955)LYMANと化石.科学史研究 no. 35, p. 39-41.
井黒弥弥太郎(1968)榎本武揚伝.みやま書房 札幌 418+9p.
今井 功(1966)黎明期の日本地質学.ラティス 東京,194p.
神保小虎(1890)ライマン説を論す.地学雑誌 vol. 2 p. 7-11, 53-54.
一一ーー(1890)右答.地学雑誌 vol. 2 p.148
一一一一(1905)本邦に於ける地質学の歴史.地質学雑誌 vol. 12, p. 393-405.
西山正吾(1920)地質学者ライマン先生小伝.東洋学芸雑誌 vol. 37, p. 487-490.
佐川栄次郎(1921)ライマン氏を憶う.地質学雑誌 vol. 28 p.40-54.
住友石炭鉱業(株)赤平鉱業所(1968)住友赤平開坑三十年.528p.
XYZ生(1927)坂市太郎氏の片鱗.石炭時報 vol. 2 p. 830-832.
山根新次(1962)地質調査所事業の変遷.略史 地質調査所 p.33-38.


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佐藤(1983b)の章立て

神足勝記/関野修蔵/鈴木民作
地質調査所発足当時の地形部門
地質調査所の磁気観測
御料局測量課長として
鈴木民作
地形責任者としての関野
(この章の)文献
 土井正民(1978)わが国の19世紀における近代地学思想の伝播とその萌芽.広島大地学研究報告. no.21, 170p.
 藤井陽一郎(1960)工部省測量司による東京府下測量について.科学史研究 no. 54, p. 20-25.
久松将四郎(1956)地質調査のための測量の歴史(1).地学雑誌 vol. 65, p. 89-99.
上條 武(1983)孤高の道しるべー穂高を初縦走した男と日本アルプス測量登山.銀河書房 長野 597p.

長井長義
(この章の)文献
 金尾清造(1960)長井長義伝.長井長義先生顕彰会,465p.
 山下愛子(1962)今日を築いた化学のフロンティアー長井長義をめぐる化学者(2).MOL, vol. 2, no. 5, p. 70-73.
 ー一一一(1965)長井長義についての一考察ーそのエフェドリン研究についてー.科学史研究,no. 76, p. 156-163.

佐川栄次郎
(この章の)文献
 半沢正四郎(1953)東北大学理学部地質学古生物学教室.日本地質学会史 日本地質学会60周年記念 p. 101-104
 田代修一ほか(1953)関係会社の地質調査研究史 三井鉱山株式会社 日本地質学会史 日本地質学会60周年記念 p.175-176
 山根新次・三土知芳(1954)わが国地質調査事業の沿革 東京地学協会,vol. 63, p. 151-165.
 一一一一・徳岡貞一・永淵正叙(1941)故佐川栄次郎君の主なる研究業績 地質学雑誌,vol. 48, p.213-214

杉浦稠三
(この章の)文献
 Fukutomi, T. (1918) Preliminary note on the lavas of Volcano Sambe. Jour. Geol. Soc. Japan, vol. 25, p. 10-23.
 Kōzu, S. and Yoshiki, B. (1029:ママ) Thermo-optic studies of anomite-basaltic hornblende-quartz andesite in association with biotite-common hornblende-quartz andesite, which together from the Volcano Sambe in Japan. Sci. Rep. Tohoku Imp. Univ., ser. 3, vol. 3, p. 177-193.
 住友金属工業六十年小史,社史編さん委員会,昭和32年,315+38p.

えぴろーぐ
荒井郁之助
 (この章の)文献
  星 為蔵(1974)荒井郁之助系図および年譜.百年史編纂ニュース nos. 33-34 気象庁百年史編纂委員会事務局 p.2-8.

高島得三(北海)
 (この章の)文献
  土井正民(1978)前出 神足及び関野の項
  一一一一(1982)高島北海(得三)ー官行生野鉱山に発芽した近代地質学者一 昭和57年度全国地下資源関係学協会合同秋期大会 p. 7-12
  小林貞一(1974)100万分の1日本地質図第2版と揺籃期の日本地質図史.地学雑誌 vol. 88,p.70-77.
  河野通弘(1962)高島北海と「山口県地質図説」.地学研究 vol. 12,p. 310-314.

堀田連太郎

原田鎮治
 (この章の)文献
  原田鎮治君小伝.日本鉱業会誌 vol. 48,1932.

白石直治

吉田彦六郎
 (この章の)文献
  松井悦造(1957)漆の研究.科学史研究 no. 44,p. 10-17.
  柴田雄次(1961)Edward Divers 先生と垪和為昌先生.化学 vol. 16,p. 782-786.
  田中 実(1967)「東京化学会誌」最初の5年.化学と工業 vol.20,p.260-262.
  湯浅光朝(1980)日本の科学技術史100年史(上) 中央公論社 自然選書 東京 258p.

若林平三郎

えぴろーぐのえぴろーぐ
分析関係の人達
 高山甚太郎
 喜多村弥太郎
 肥田密三
 松本 収
 小寺房治郎
 北村彌一郎
 荘司市太郎
 清水省吾

土性関係の人達
 恒藤規隆
 渡辺 朔
 青山 元
 鴨下松次郎
 三成文一郎
 小林房次郎
 伊藤源蔵

 (この章の)文献
  友田清彦(1978)わが国草創期の土性調査事業に関する考察.農村研究 no. 47, p. 24-38.
  一一一一(1980)フェスカ来日前後の土性調査事業とその従事者たち.農村研究 no. 50, p. 113-126.

  農技研80年史編さん委員会(1974)農業技術研究所八十年史.農業技術研究所 724p.

2019年6月24日月曜日

中断中

 
 「北海道地質学史に関する文献集」の続編がストップしてますが,私の体調不良ではありません.融雪後の春の後片付けや庭の整備に加えて,私生活でいろいろ込合っているためです.

 少し余裕が出てきたので,もうすぐ復活させる予定.
 それに,しばらく休んでいたので,いろいろやりたいことが出てきました.
 請うご期待.
 

2019年5月10日金曜日

北海道地質学史に関する文献集(23)


湊 正雄(1982)北大における地質学と北海道.

 北海道大学名誉教授の湊正雄が,北大百年史に書いた「北大における地質学と北海道」である.対象が地質学者ばかりではないので,非常に分かりやすい内容となっている.また,博学多才といわれた湊教授の文章は読むものをとらえて放さない.しかもその時期その時期における研究の成果やその評価も適切である.

 以下に章立てを示しておく.

1 開拓使以前の時代
2 開拓使仮学校の時代
3 札幌農学校の時代
4 東北帝国大学農科大学の時代
5 北海道帝国大学の時代
6 北海道大学の時代

 なお,本論は「北大百年史」という性質上,1970年ころまでの内容となっている.したがって,「6 北海道大学の時代」で描かれた,日本列島に地向斜造山論を当てはめてきた湊-舟橋らの仕事は,現在となっては+α(=プレートテクトニクス論)の上書きが必要である.