2010年12月31日金曜日

蝦夷地,最初の炭鉱 pt.2

 
 白糠炭鉱は,1857(安政四)年五月,採掘を開始しました.

 採掘の指導者は栗原善八という名前だそうです.
 伝えには「奉行所手付」とするものもありますが,どういう立場なのかは微妙.「山師」であり,奉行所の「臨時雇い」と考えるのが一番ありそうですが,なんの記録も見つかりません.
 実際の作業にたずさわった人も微妙で,筑後の人(九州・福岡の炭鉱労働者・採炭夫)が数人とするものもあり,箱館から連れてきた無宿人を強制労働させていたような記述をするものもありますし,アイヌが使役されていたという記述もあります.
 いずれもありそうなことですが,どれも原典が明記されていないので,確認不可能.

 実際に採炭をはじめると,採炭そのものは炭層が厚いので採掘しやすく,積み出し港にも恵まれていました.しかし,積み出した石炭は崩れやすく粉炭になり,扱いづらかったようです.
 また,試掘段階では優良とされた炭質も,「火力が弱く,灰分が多い」ため,汽船の燃料としては歓迎されなかった,と,されています.
 かなり,あいまいですが,要するに商品としてはあまり良いものではないと判断されたということでしょうか.くわえて,新しく発見された岩内の茅ノ澗の石炭のほうが炭質や企業パフォーマンスが良好(箱館に近いなど)とされたために,栗原善八以下の作業員は茅ノ澗に移動.必然的に,1864(元治元)年白糠炭山は廃山となりました.

 わずか,七年の稼働でした.

 これらの記述の元ネタは「白糠町史」あたりなのだろうと思われます.
 こういった記述には,疑問の点,不明な点が多く,洗い直されるべきなのですが,今一歩がね….町史を貸してくれるところもないし….
 

2010年12月30日木曜日

蝦夷地,最初の炭鉱 pt. 1

 
 北海道で最初の炭鉱はどこにあったのか,というのはけっこう難しい問題のようです.

 クスリ(久摺)辺り(旧釧路国)の海岸沿いに石炭露頭があったという記録はたくさんあるようですが,事業として石炭を採掘した記録となると,とたんにあいまいになります.
 石炭が露頭していれば,付近の住民がひろって薪がわりに使用したということは,十分に考えられますが,小規模であったとしても,短期間であったとしても,産業としておこなわれたという確実な記録を見いだすのは,なかなか困難です.


 たとえば,1799(寛政十一)に発行されたといわれている「赤山紀行」には以下のような記述があるそうです.

「オタノシキ川より左に原を見て行けば,原いよいよ廣くクスリ川までは皆原なり.この附近石炭あり.桂戀の附近なるションテキ海岸には,磯の中にも石炭夥しく,総てトカチ領よりクスリ領までのうち,山谷海邊とも石炭なり.今度,シラヌカにて石炭を掘りしに,坑内凡そ三百間に至れども石炭毫も盡くることなしという.」

 この「赤山紀行」は「北海道炭砿港湾案内」(昭和六年刊)の冒頭に引用されていると児玉清臣「石炭の技術史」にありますが,詳細不明です.
 そもそも「北海道炭砿港湾案内」そのものの存在が確認できないですし,「赤山紀行」の存在も確認できません.著者も不詳.
 この時代は,蝦夷地のどこであれ,石炭が採掘されてたという傍証がまるでないので「坑内凡そ三百間」なんてあり得ないのです.


 次の可能性は,これも児玉清臣「石炭の技術史」にある記述ですが,「安政三年,幕府は初めて釧路獺津内で煤炭を採掘し,幾許もなくして止む」と「開拓使事業報告」にあるそうです.「獺津内」は現在の釧路市益浦あたりの旧名であると釧路市のHPにでています(安政三年は西暦1856年).

 おかしいのは,幕府側の記録ではなく,開拓使の記録であること.つまり,幕府側の記録には残っていないということでしょうかね.その割には,この記事の前に,「奉行は…安政二年七月『蝦夷地開拓觸書』を公布して,広く鉱産資源の….すでに露炭地として知られていた北海道東海岸の開発可否を検討するため,翌三年六月,調査団を派遣した.候補地は釧路の東方「オソツナイ」と,「シラヌカ」である.」とあります.妙に詳しい.
 残念ながら,この部分が,なにに記述されているのか引用が明記されていないため,前後を確認することはできません.
 したがって,「幾許もなくして止む」というのが,どの程度の規模だったのか,短期間でも商業ベースに乗ったのか,あるいは試掘程度だったのか,それも不明です.試掘程度では,「蝦夷地最初の炭鉱」と“冠”をかけるのは無理でしょうね.
 しかし,もしこれの裏付けがとれたとすれば,現在,日本最後の炭鉱「釧路コールマイン」が釧路市興津にありますから,蝦夷地最初の炭鉱は最後の炭鉱でもあったことになります.

 一方,同年同月,「シラヌカ」の石炭も採取され,箱館の英国人が鑑定し「良品」と位置づけたとあります.しかし,残念ですが,「別の記録」とあるだけで,なにに書かれているのか確認できません.「箱館の英国人」も何者なのかそれも不明.可能性があるのはガワー(E. H. M. Gower)ですかね.

 白糠炭鉱は1857(安政四)年に採掘を開始.
 こちらは,複数の記録が残っていますので,信頼できます.
 つづく.
 

2010年12月25日土曜日

「光にしませんか…」

 
 数ヶ月に一回は,N○Tの代理店と称する人から電話がかかってきます.
 「光にしませんか?」と.

 だいたいは,
 「めんどくさいので」
 「特に不便は感じてませんから」
 で,あきらめてくれるのですが,今回のはしつこかった(^^;.

 たしか,訪問販売だったら,いちど断ったら,ある期間は再来してはいけないはずですが,電話はいいのかしらね.もっとも,おなじ代理店なのか,べつな代理店なのか,いちいち確認してないですが….

 今回の人は,しごく論理的に説得してくるので,あやうく折れるとこでした((^^;).
「Faxはみましたが,いまより安くならないので…」
「いえ.使用料よりも速度の方が格段に…」

「はやさは,とくに不満がないので…」
「いま,どこのHPをみても格段に情報量が増えてますよね.これからますますそうなるので,いまのうちに『速い』光に代えといたほうがいいですよ.」

「そういう,『イタチごっこ』にのる気はありませんから.」

 これは本音.
 通信会社が「速さ」をうりものにすれば,どのHPにも余計な情報が付け加えられて,どんどん重たくなります.1頁がまるで「ふんどし」のように長いHPもざらですね.画像でうまってるし,動画の広告も当たり前のようについてきます.
 読んでもらえることよりも,情報を載っけることを優先している.
 こういうHPは,みんなで見ないようにしないと,ますます酷くなりますね.

「いや,それが時代の流れで…」
「だから,そういう流れに乗らないように,ささやかな抵抗を続けてます」(これも本音)
「そのうち,みられなくなりますよ」
「なったときに考えます.そんころには,『光』よりもっと速い回線が出てるかもね」

 ここで,敵さんは方針を変えた模様.
「TVは地デジに変わりましたよね…」
 たぶん,それで「キレイなった」とか「便利になった」ということを強調しようというのだろうと感じたので,先回りして,
「アナログでも,だれも不便を感じていなかったのに,業界だか政界だかのつごうで強引に代えましたよね…」
「……」

また方針を変えたのか,
「ビデオありますよね…」
たぶん,「VTRがデジタルになってキレイになった」とか,「便利になった」といいたいのだろうと感じたので,先回りして,
「ビデオね.それも,業界の都合でなくなったものありますよね.ベータなんかのライブラリをどうしてくれるんでしょうね…」
「……」

 さすがのわたしも,ベータのライブラリなんか持ってませんが,娘たちを撮った8mmVTRをようやくDVDに移し替えたところ.8mmVTRのデッキが壊れる前の滑り込みです.8mmハンディカムはもうすでにない.
 デッキが壊れたら,もう再生できないできないですからね.結局DVDライターを購入しなけりゃならなかった.
 デジタルVTRも,ハンディカムが壊れたら,もう再生できない.
 VHSだって,もう怪しい.

 すべてのDVD化なんかとてもやってるヒマはありませんが,子どもたちの映像だけは,なんとか残さなきゃあね.

 話を戻します.

 なんで,NT○は光に変えたいんですかね.イヤだといってるのに.
 按ずるに,普通回線はもうやめてしまいたいんでしょうね.

 このまま行くと,「お使いの電話回線は来年7月1日以降はお使いになれなくなります」なんてアナウンスが流れるかな?
 

2010年12月18日土曜日

石炭の名前(8)

 
 前回までに,我が国では(読み方は別として)江戸時代には(公式には)「石炭」と書かれており,その名称は明の李時珍(1518-1593)が編纂した「本草綱目」に由来することが判明しました.

 「本草綱目」には,昔は「石墨」と記述されていましたが,現在では俗称の「煤炭」が使われているとも解説されていました.つまり,現代中国で使われている「煤炭」は元々は俗称だったわけです.
 江戸時代の本草学者が使っていた「石炭」は,明治時代の公文書などでは中国での俗称であった「煤炭」に変わり,昭和にはまた「石炭」にもどっています.

 さて,「江戸時代には(公式には)」という回りくどい書き方をしました.本草学者のようなインテリは,もちろん,土人の言葉など下賤であり使いたくありません.だから,高級な学術用語である「漢語」の「石炭」を使ったわけですね(ここで,「土人」という言葉を使いましたが,江戸時代の「土人」は「現地住民=土着民」の意味であって,和人にたいしても使われていました.現代のような「民族差別語」の意味はありません.マスコミ界のタブー語でもありませんので勘違いの無いように).

 閑話休題
 ただ,漢語としての「石炭」という文字はいいとして,どのように読むか(つまり「和語」として)となると,千差万別ということになります.

 インテリとしては,漢語の読み方を使いたい.だから,和漢三才図会では「石炭[shí-tàn]」をひらがな化した「しつたん」を使っています.これがのちに「せきたん」という呼び方に変わってゆくわけですが,和語としての呼称は一般人を中心に普通に生き延びていたようです.

 なぜなら,“石炭”を薪代わりに使うのは,「木炭」を買うことのできない貧民階級だったからです.当時の貧民階級は,もちろん「漢語」など理解できませんからね.
 蛇足しておくと,経済的に余裕のある階級が“石炭”を使わないのは,“石炭”を焚くと「臭い」からだそうです.

 すでにあげた,各本草本には,たくさんの現地語が収録されてあります.その名称は,もちろん,「燃える」ことからきたもの,「色が黒い」ことからきたもの,「木炭の代わりに使う」ことからきたもの,などさまざまです.その地方だけで通じるローカルネームが多いことも特徴です.
 これは,当然で「あるから使う」だけで,わざわざ「遠くまで運んで使うもの」ではないことを示しています.産業としては成立していなかったので,全国的に通用する名前は不用だったわけですね.

 これに対し,中華圏では,用途別の名称,たとえば,「墨」の代わりに使う「石墨」,鉄を融かすために使う「鉄炭」のほか,粒度分類に由来する煤炭の名称もあり,日本よりははるかに広範囲に使用されていたようです.「烏金石」なんてのは,ただの「烏石(からすいし)」でもいいようなものですが,細工物に使うということで「烏金石」と呼ばれたのでしょうね.

 しかし日本では,日本の産業・産物を紹介した「日本山海名物図会」(1754:宝暦四),「日本山海名産図会」(1799:寛政十一)には,石炭のことなどまったく触れられていません.
 それが,なぜ,江戸時代末期から急速に注目されるようになったのでしょう.
 それは,「蝦夷地質学」を読んでください((^^;).
 

2010年12月17日金曜日

今日もまた

 
 「今日もまた 二時間番組 目白押し」

 最近,TV番組がザックリ二時間というのが多くなりましたね.
 それでも内容があればいいのですが,どうひいき目に見ても,もとは一時間番組を水増しした風ですね.おもしろくないお笑いに「笑いを足した」(業界用語だそうです)番組とか.
 最近の放送は見るものがないので,もっぱらDVDをアーカイブから引っ張り出して見るという機会が増えました.VTRはだんだん見なくなってきたなあ….

 某,なんでも識ってる小父さんがいってたそうですが(娘の証言による),近いうちにTV局がひとつぐらいは潰れるのだとか.広告収入の総和が減ってるのに,TV局の数は変わらず.おまけに「アナログ」と「地デジ」の並行放送が負担を増やし,さらに手を出してしまったBS放送も負担になっているのだとか.

 民放の視聴は無料だというけれど,地デジ騒ぎで,本来ならば不用な出費を余儀なくされた家庭も多いはず.
 おまけに液晶テレビは「音が悪い」ので,耳の悪い年寄りは音響部品にさらなる出費を強いられているはず.
 N○Kなんか悪質で,受信料のランクで,放送番組のランクも決めてるとか.絶対BSなんか着けんぞ((^^;)
 と,いっても,低価格放送も見もせんのに強制的に受信料を取られてるもんなあ….

 み~~んな,TVなんてやめてしまえば,少しは業界・官界・政界含めて反省したかも.

 不況で,娯楽はTVのみなんて世帯も増えつつあると思いますが,見てもらえる番組をつくらんと,ほんとにTV局,見放されッぞ.視聴者からも,スポンサーからも….

 

石炭の名前(7)「本草綱目」

 
 なにか,完全な間違いが生じていたようです.

 あいまいな書き方をする文献を先に読んでいたので,「石炭」は日本独自の用語であり,中華圏ではこの用語は使われなかったと解釈していました.が,より原著に近い文献に当たれば当たるほど,「本草綱目」には「石炭」が使われていたのではないかという疑問が生じてきました.

 なんとかその記述を見られないか,と,ネット上をサーフィンしていたら,以前にも見たことがある頁に当たりました.
 それは,国会図書館のweb pageで公開されているものです.
 以前見たときには,先入観から,日本でつくられた写本だろうとおもって放置してあったヤツです.頁の構成がわかりづらいので苦労しましたが,結局これは李時珍撰の初版本と見なされていることがわかりました(「石炭」の記述にいたるまでも,けっこう苦労しました(-_-;).

 つまるところ,「本草綱目」には「石炭」という見出しがあったわけです.

 テキスト化されたものも,現代訳されたものも見あたらないので,「ヘタ訳」してみました((^^;).
 途中までですけどね.
 けっこういろいろなことがわかります.

 時珍は,「石炭は即ち烏金石」だと言っています.「烏金石」とはなにかというと,辞典を引いても無駄で「石炭のこと」と書いてあります(ドードー巡り(^^;).
 これは,たぶん,いわゆる「メナシ炭(目無炭)」のことだと思います.
 「メナシ炭」は,通常の石炭とは異なり,植物の樹脂が主体となって炭化したもので,均質緻密なため,細工物の原材料として使われていたものです.日本でも,古墳の中から「装飾品」として発見されたことがあるそうです.
 この実物は見たことがありませんが,児玉清臣「石炭の技術史 摘録」に書いてありました.

 また,やはり,「上古は『石墨』と書にしるされている」と書いてあります.
 “石炭”で字を書くとか,眉を描くとか書かれていた二次文献がありましたが,これは誤解を招く説明不足です.“石炭”で紙の上に字を書いたら破けてしまいますし,眉を描いたら痛いだけです.
 これは“石炭”そのままで書いた(あるいは描いた)のではなく,微粉末にした“石炭”を用いたもので,ほぼ現代の「墨」と同じ役割を果たしていたわけです.

 さらに,「今は,俗に『煤炭』といわれている」と,あります.
 これは「煤[méi]」と「墨[mò]」とは発音が似ているからだそうです.

 わかる限り,最初は「石墨」と言われていたと時珍は判断しているわけです.
 それが,時珍の時代には,俗に「煤」・「煤炭」・「石煤」と呼ばれるようになっていたわけですね.
 もちろん,「本草綱目」成立後は,公式には時珍が選定した「石炭」が使われていたはずです.その一方で,俗称のほうも現場を中心に使われていたのでしょう.
 なんとなく,「殭石」が「化石」になった経緯と似ていますね.

 

2010年12月16日木曜日

石炭の名称(6)「本草綱目啓蒙」

 
 1847年に出版された「本草綱目啓蒙」には,「石炭」という見出しがありますが,よみは「カラスイシ」に戻っています.
 著者は小野蘭山.
 但し,私が見たのは「重丁版」(東洋文庫531)のみ.

 別にローカル名として,イハキ(長州),タキイシ,モヘイシ,イシズミ(筑前),イハシバ(筑前),馬石(伊州),ウニ(同上),ウジ(江州),アブライシ(播州)などがあげられています.

 また,文献から見つけたものなのでしょう.以下の名前も掲載されています.
 〔一名〕水和炭(明一統志) 石煤(本草彙言) 楂(燕間録) 礁(物理小識) 臭煤(物理小識)

 「石煤」は「地学の語源をさぐる」(歌代ほか,1978;東京書籍)に載っていたものと同じですね.
 「本草彙言」は1624~1645年ころ成立したとされていますが,詳細は不明です.これを信じるならば,もっとも古い“石炭”の名は「石煤」ということになります.

 う~~ん.矛盾だらけだ.またあとで整理しようっと(^^;
 

石炭の名称(5)「雲根志」

 
 1773(安永二)年に,「雲根志」前編が刊行されます.
 石之長者・木内石亭の著したものです.

 見出し語は「石炭」で,ここではじめて「よみ」も「せきたん」になります.
 記述は,これまでのものと大きく異なり,オリジナリティ豊かです.

 明白に,「植物の変じたもの」と断定しています.

 見出し語は「石炭(せきたん)」ですが,各地のローカルネームも紹介されていて,「ウシ(土ウシ,木ウシ)」,「からす石」,「石スミ」など.
 石亭は「堅きものは石」,「半ばなるは木」,「柔なるは土」とし,(現代的にいうならば)炭質岩石および石炭と泥炭とに分け,いずれも植物が変じたもので,まったく異なるものというわけではないという認識です.


 1801(安永八)年には,「雲根志」三編が刊行され,これにも「石炭」の項目があります.
 読みはやはり「せきたん」.

 しかし,ここでは以前「ウシ」と表記していたものを「ウニ」に変え,「雲丹」の漢字を使っています.雲丹は「石雲丹」・「木雲丹」・「土雲丹」に三分され,薪代わりに用いられるのは「木雲丹」であるとしています.
 気になるのは「本草綱目曰石炭昔人不用」とあること.本草綱目には,やはり「石炭」とあったのでしょうか….

   

石炭の名前(4)「物類品隲」

 
 さて,1763年刊の「物類品隲」は,名高い平賀源内の作ですが,ここでも見出しは「石炭」.しかし,よみは「カラスイシ」とされています.
 そして,ローカルネームとして「イワシバ」・「イシズミ」があげられています.

 美濃,大和水谷川,信濃,筑前鞍手郡などから産するとし,品質のランクづけをおこなっています.

 「物類品隲」は現代思潮社から復刻され,現代思潮新社から購入できます.
 

石炭の名前(3)「和漢三才図会」

 
 1712年に出版された「和漢三才図会」(寺島良安著)では,やはり「石炭」という用語が使われていますが,こちらの「よみ」は「いしずみ」.別の読み方として「シツタン」と振ってあります.これは「石炭」を中国語読みすると[shí-tàn]になることからきているのでしょう.
 別名として,「煤炭」・「石墨」・「鉄炭」・「焦石」・「烏金石」があげられています.

 我々が見ることができるのは,東洋文庫版「和漢三才図会」と国会図書館のweb page(近代デジタルライブラリー)で公開されているものです.

   


 さて,困ったことに,本文には「本綱石炭南北諸山出處多」とあります.これは,「『本草綱目』には『石炭』は『南北の諸山』に『出』る『處』,『多』し」と読むようです.すると,「本草綱目」には「石炭」という見出しがあることになってしまいます.
 それでは,なぜ見出しが「石炭」で,「別名」に「煤炭」があげられているのでしょう.
 「本草綱目」の原著にどのように書かれているのか,確認が必要です.日本にも原著がいくつか現存するようですが,典型的な「お宝」のようで,わたしには確認不可能です.

 もし「本草綱目」に「石炭」という見出しがあったのだとすると,「石炭」から「煤炭」に変わったのは「本草綱目」が出版された1596年から,「天工開物」が出版された1637年のあいだのこと.なぜなら,1637年刊行の「天工開物」には「煤炭」という見出しがあるからです.


 なお,九州大学図書館のweb pageで公開されている「天工開物」の見出しは「煤炭」ですが,平凡社・東洋文庫版の「天工開物」での見出しは「石炭」になっています.

   


 東洋文庫版はうかつにも「原本」が明記されていず,確認はできません.しかし,章末に示された図版には「南方求煤」と書かれており,もとは「煤」もしくは「煤炭」と書かれていた可能性を示しています.

 また,東洋文庫版では「注」として「中国語で石炭を俗に煤とか煤炭という。」と書かれています.そうすると,「正=石炭」&「俗=煤 or 煤炭」ということを強調していることになります.
 付け加えておくと「古くは石炭を石墨とよんだ。顧炎武の『日知録』巻三に墨が煤に誤ったという。」していますが,これは明らかに説明不足です.

 「古くは石炭を石墨とよんだ」というのなら,証拠をのせるべきです.
 後半は,日本語として変です.何通りにも読み取ることが可能です.「顧炎武」の「日知録」(巻三)を見ることができれば,なにが起きたのか知ることも可能ですが,ま,それは不可能でしょう.お宝ですから.

 さて,東洋文庫版の「注」が「顧炎武が『日知録』で「昔は『墨』・『石墨』とされていたのを『煤』と誤記するようになったのだと指摘していたのだ」とすれば,顧炎武の『日知録』が出版されたのは1670年ころといいますから,実は「石墨」と“石炭”とは別のものだということがわかり,それに「煤」という名を与えたのは,誤記ではなく区別のためだったのかもしれません.いずれにしろ,あいまいなことばかりですが….


 なお,「和漢三才図会」では,「石墨」は「石炭」の異名のように書かれていますが,石炭で「字を書いたり,眉を描いたり」というのは「妙」なので,「石炭」と「石墨」の区別がついていないのだと思われます.
 なお,東洋文庫版では「石墨」に「せきぼく」と読みを振っていますが,国立国会図書館蔵のweb page公開版では「ふりがな」は振ってありません.訳者の勇み足なのかもしれません.


 末尾に,石炭は「筑前の黒崎村」,「長門の舟木村」で産するとし,現地の人は薪の代用にしているとあります.
 

石炭の名前(2)「大和本草」

 
 1709(宝永六)年には,「石炭」という用語が使われています.
 原著は貝原益軒「大和本草」.

 しかし,この用語の「よみ」は「もえいし」となっており,「せきたん」ではありません.

 このとき,すでに「すくも(泥炭)」とは異なるものと認識されていて,また,漢方医が用いる「乾漆」とも異なるものだと明記されています.

 「大和本草」は「本草綱目」をネタ本とし,日本版として作成されたものです.しかし,現在「本草綱目」は見ることができないので,比較検討はできません.「本草綱目」に「石炭」という「見出し」が有るとは思えないのですが,貝原益軒の造語なのでしょうかね.
 また,「日本にも處々に多くあり」と有りますが,日本における「石炭」の産地などは明記されていません.

 なお,「大和本草」は中村学園図書館のHPで閲覧可能です.
 

石炭の名前(1)

 「石炭」は日本独自の名称とされています.
 中国では,古くから「煤[méi]」・「煤炭[méitàn]」と呼ばれ,現在でもこの言葉が使われています.

 では,「石炭」という用語は,いったい,いつころ成立したのでしょう.

 地質学用語の由来をしらべるのに便利な「地学の語源をさぐる」(歌代ほか,1978;東京書籍)という本があります.しかし,残念ながら,「石炭」については,書いてあることはあいまいです.
 「漢の時代から文献に見える」とし「それには煤・石煤・また[石某](組み合わせで一文字.現在は使用されない)の字が用いられた」とあるだけです.

   


 幸いなことに,江戸時代の本草学者(博物学者)の著作のいくつかが活字化されていて,入手可能ですし,ま,まれではありますが,図書館などに蔵書されている当時の本が,web上で公開されている場合もあります.

 だいたい,こういう文献は“お宝”ですから,我々が見ることすら不可能な場合がほとんどで,事実の確認に障害になっています.
 活字化された場合でも,あいまいなことが多く,混乱をまねく元になっている場合もあるようです.

 それでも,いくつか検討することが可能ですから,やってみることにします.
 

散歩減り


 「散歩減り 糞もなくなる 厳冬期」

 このあいだ,「犬の糞」でGoogleしたら,予想どおりたくさんの「憤慨(糞害)」する人たちがでてきました.
 予想外におおかったのが,飼い主の側の自己弁護.注意されたので(あきらかに)「逆ギレ」している記事.

 わたしも,これ,体験してます.
 ベランダから下をながめていたら,花壇の擁壁の影でゴソゴソしてる犬と飼い主.
 「そこで糞をさせないでくださいね」と,声をかけると,逆ギレしたおばさん.「させてませんよ!」,「させてませんからね!」と大声.
 反応にビックリして声を失っていると,そそくさと去ってゆきます.

 あとで現場にいってみると,濡れたコンクリート.
 そういえば,「糞はダメだが,小便はいい」という勝手なルールを作ってる飼い主もたくさんいるようで.どっちもかけられる方にとっては大迷惑です(こんな当たり前のことがわからない?).
 これらは,石灰をまいて,防臭スプレーをかけておかなければなりません.ほとんど効果はありませんが(だって,次から次へだもんね).


 一方,こういう逆ギレにも,しばしば遭遇しているのか,「憤慨している人たち」もしくは「糞害をうけている人たち」が,なんとかこれを「ユーモア」でかわそうとしていること.
 飼い主に云ってもダメだから,「飼いイヌへの忠告看板」なんてのも,たくさんありました.
 「糞と一緒に,いずれアンタも棄てられる」


 今日は急激に冷え込みましたので,朝の散歩はひかえた飼い主がおおかったようです.
 でも,これから多くなるのが,夜間に犬を放す人たち.
 寒いからついていくのがイヤなようで.糞も片付けずにすむしね.
 朝になったら自宅へ帰ればいいですが,ここは通学路なので,子どもたちに事故が起きないかが心配ですね.

 「厳冬期 夜間に増える 離れイヌ」

 「癒し系 他人にとっては 迷惑系」

 おそまつ
 

2010年12月13日月曜日

犬の糞


 「犬の糞 半年ばかりは 雪の下」

 無神経な飼い主が増えたせいで,周囲の歩道ばかりか敷地内にまで糞尿を落としていくイヌが増えました.
 もちろん,イヌに責任があるわけではなく,全ての責任は飼い主にあります.

 驚いたのは,最近,妻が経験したことです.
 妻が帰宅して車を車庫に入れようとしたら,我が家の玄関先にまいてある砂利の上で,イヌが小便をしています.もちろん,離れイヌではなく,鎖の先には飼い主の手が….
 この飼い主,妻が車庫に車を入れようとしているのを邪魔しているばかりでなく,家主の前でイヌに糞尿をさせて,なにも感じてないわけです.

 つい数日前の新聞に,類似のことが出ていました.
 「自分が他人になにをしてるのか」気がつかない人が増えているというのですね.

 狭い道路の真ん中で,右折しようとしている車.
 道路に平行に一時停止していれば問題はないのに,斜めに停止して,後続車が連なっていても「意に介していない」のです.

 同じく車の話ですが,狭い道路から広い道路への交差点.
 「右折禁止」の看板が出ているのにもかかわらず,なにがなんでも右折しようとしてる車.
 後続車が連なっていても,もちろん,なにも感じていないわけです.

 町中で,蛇行運転や超低速運転をしているドライバー.
 見ると必ず,携帯電話です.

 自分がルール,マナー,エチケットに反していることに気付かない人たち.
 それとなく注意されても,普段からそれをしているから,それらが他人に不快感を与えていることなど,思いもよらないというわけです.
 これが,けっしてその人が悪人・反社会的な人なのだというわけではなく,ただ「それが理解ができない」のだそうです.

 最近,マスコミを賑わしている「暴力事件」も,根は案外そんなところかもしれません.

 こういう人たちは,「これこれこうだから,そういうことは他人にはしてはいけないのだよ」と教えても,「理解できない」のだから「逆ギレ」するのが関の山です.
 いきおい,関わり合いたくないから,「二度とコンタクトをとらないでくれる」とお願いしても,「自分は悪くない」と思っているから,しばらくしたら又やってきます.
 自分の言葉が,どんなに相手を傷つけたとしても,「あれはジョークだ」ですまそうとする人たちです.「ジョークが理解できないおまえが悪い」とか,言い出しそうです.


 どんな動物も,必ず,相手とは距離をおいて生活しています.
 相手を傷つける恐れがあるからです.

 人間だけは,空間的にも精神的にも非常に密接して生活しています(ヒトが飼っている家畜もそうですね).
 これは,「ヒト」の性質だというわけではありません.
 単に,コントロールする(権力者)側にとってコストパフォーマンスがいいから(集約的)というだけの理由です.

 ヒトも動物ですから,他のヒトと常に接して生活していると,それだけでストレスが生じます.
 このストレスを緩和する目的でつくり出されたのが,ルール・マナー・エチケットです.
 それも守れない人間が増えているということは,この社会が崩壊する寸前だということなのかもしれません.

 あ.もちろん,昔だって,そういう人間がいなかったわけではないですよ.
 ただ問題になるほどは密度がなかったということですね.

 半年ぐらい,人間関係の汚物をおおってくれる「白い雪」はないモンでしょうかね.

 

2010年12月8日水曜日

地質学から見た北海道学

 
 ここ半月ばかり,某団体から依頼を受けて,「地質学から見た北海道学」というテーマで,講演をやってました.
 一回二時間で六日間.

 内容は,以下のような感じ.

Ⅰ)蝦夷と地質学=近代地質学の導入と北海道=
 1)前史:和地質学
  a) 蝦夷キリシタン=大千軒岳金山=
  b) 「山相秘録」by 佐藤信淵
  c) 冒険家たちの地質学
 2)本史:蝦夷地質学
  a) 箱館鉱山学校=近代地質学の導入=
  b) "Japan in Yezo" by Thomas Wright Blakiston:箱館戦争の勇者たち
  c) もうひとつの「日本地質調査所」=ライマン調査隊=
 3)後史:札幌農学校から北海道帝国大学理学部地質学鉱物学教室へ(調査中につき略)
  a)「地質測量生徒」の地質学=石川貞治・横山壮次郎の生涯=
  b)北海道帝国大学理学部地質学鉱物学教室,開室す.
  c)地質学の滅亡=北海道大学理学部地質学鉱物学教室,閉室.

Ⅱ)地球の時間=地球観=
 1)我々の先祖はいかにして地球を認識したか
  a)ゴーギャンの問いかけ
  b)自然史の系譜
  c)地質学と地球科学
 2)近代地質学の成立=山脈の研究
  a)聖書地質学
  b)(神がいなくても)地球は回る=アルプスの真実
  c)近代地質学の誕生
 3)地球の時間
  a)地球時間認識の歩み
  b)古生代・中生代の生物群
  c)地球時計・地球カレンダー

Ⅲ)化石の意味
 1)化石とは
  a)「化石」とは?
  b)ベリンジャー事件
  c)化石化作用
 2)生き物としての化石
  a)「生きている化石」の研究
  b)「絶滅してしまった古生物」はどうするか
  c)類縁の生物が見つからない古生物はどうするか
 3)記録書としての化石
  a)示準化石と示相化石
  b)化石による地層同定
  c)動植物と地質時代

Ⅳ)失われたものたち=北海道の化石・古生物=
 1)穂別の化石から
  a)長頸竜
  b)ウミガメ
  c)滄龍類
 2)同時代の道内の化石から
  a)翼竜
  b)アンモナイト
  c)イノセラムス
 3)道内の博物館から
  a)中川町エコミュージアム
  b)足寄動物化石博物館
  c)沼田町化石館

Ⅴ)我々の時代=第四紀=
 1)魔境へ
  a)魔境へ(フランケンシュタインの誕生)
  b)そして,魔境へ(アルプスと北極海)
  c)第四紀年表
 2)氷河期
  a)四つの氷期(?)
  b)氷期のイメージ
  c)氷河がもたらす変動
 3)新古生物学(現世生物学と古生物学の合体)
  a)ナキウサギ
  b)ヒグマ
  c)サケ

Ⅵ)北海道地質構造発達史=テーテュスの末裔の旅=
 1)テーテュス海
  a)パンゲア - パンタラッサ - テーテュス海
  b)テーテュス海の消長
  c)動物群の進出
 2)テーテュス動物群
  a)化石種
  b)現生種
  c)(略)
 3)北海道地質構造発達史
  a)穂別町地質構造発達史
  b)平朝彦「日本列島の誕生」
  c)北海道地質構造発達史

 最終回は今度の金曜日なので未了.

 いずれも,以前にやったことがある内容なので,それほど負担ではないのですが,しばらく放置してあったので,ブラシ=アップが大変でした.
 なにせ,ほとんどの図はイラストレーター10で作成したものなので,描き直そうそしたら,現在使用中のイラストレーターCS3はファイルの書き換えを要求します.
 ま,これが,メモリ足りない事件の始まりね(^^;.

 またこんな講演というか授業をする機会があるだろうかな~~.
 でも,久しぶりに充実してました.
 

メモリ増設

 
 前回,ブツクサたれましたが,今はとっても快適です(^o^).

 ちょっと,あるMac用メモリ専門の販売会社を想い出したからです.
 大昔になりますが,G3MTの寿命を延ばしたときにも,この会社のお世話になりました.

 同社のHPを読んでいると,我が愛機のメモリ搭載量は,アップル公式には4GBなんですが,実際には6GBまで積めるとか.
 さっそく,追加分を注文したら,先ほどとどいて,新しいメモリをインストールしおわったところです.

 なんとまあ(!),ストレス無くアプリが動くこと(!)

 ありがたい会社があるモンです(感謝!!).

 それにしても,virus barriersがほとんどメモリを独占してるなあ.
 今度は余裕があるからいいけど(^^;