2012年12月22日土曜日

ブラックジョーク?!

 
ヒマにまかせて,サーフィンしていると興味深い記事に出くわすことがある.
これもそのひとつから.

いまだに「福島第一の放射能で死んだ人はいない」とかいってる人がいる.
放っておけば,と思うのだが,ネット上にはもの凄く親切な人がいて,ていねいに相手をしている.

その会話だが,追っかけて行くと,まるでよくできた漫才のボケとツッコミのようなのだ.
題材が題材だから,完璧な「ブラックジョーク」であって,TVなどで放送されることはあり得ないけど.

A:福島第一の放射能で死んだ人はいないですよね~~
B:アホか!
A:だって,実際に死んだ人はいないですよ~~~だ.
B:事故現場に行ってみろ,みな一時間で死ぬわ!
A:そんなこというなら,火力発電所だって炉の中に入れば,みな死んじゃいますよ~~.
B:止まってる火発の炉の中で死ぬ人はおらんけど,壊れた原発は止まってても,そばに居るだけでみな死ぬわ!
A:原発より,トンネルの中の方がいっぱい死んでますよ~~.
A:原発止めるより,トンネルをみな塞ぐのが先でしょ~~.
B:アホか!もうええわ!!

ああ,つまらね~~
本物は,もっと面白いですよ.第三者の目で見ればの話ですが.
とても転記できねえ.
 

迷惑!

 
Webの上
 休むと増える
  バイアグラ

宮武軟骨


なにかと忙しく,ブログの更新が途絶えていると,スパムコメントがどんどん投稿されるようになります.
ブロガーが,キーワードを登録しているらしく,いかにも怪しげなのはブロックされてますが,もちろん,それが投稿されたことは連絡が来るので,あまりに頻繁だと,鬱陶しい.

まれにですが,巧妙にブロガーのブロックをすり抜けてくるものもあります.
だから,どうしてもメンテに行かなきゃならない.

実はこれは,「まだ生きているブログだぞ!」という意思表示です(--;
 

2012年12月10日月曜日

教科書に…

 
訳あって,S研出版の高等学校「地学Ⅰ」を眺めていたら,懐かしい図にであいました.
下図⇩


我々の世代ならば,「浸食輪廻(もしくは地形輪廻)」と「回春」という言葉のセットで憶えているかと思います.
でも,これって確か,「死語」というか「死んだ概念」じゃあなかったでしょうかね.
もう何十年も前に教科書から姿を消したと聞いていましたが….
確かにというか,さすがに「浸食輪廻(もしくは地形輪廻)」と「回春」という言葉は使われていませんが.

確かその理由が「幼年期地形」,「壮年期地形」,「老年期地形」とその概念にあてはまる「地形」はあるけれど,「その順に進んだという例は確認できない」からだったと記憶します.

だいたいこれ,「地学(地質学)」の概念じゃあないし….どうして,まだ地学の教科書に載ってるのだろう.
「千島火山帯」とか「鳥海火山帯」とかいう言葉を聞いたときの気分ですね((^^;).
 

2012年11月29日木曜日

北海道スタディズⅡ

 
この話は「試験をする=成績をつける」という作業に合わないので,レポートを課することにしました.

レポートの題は,
1)赴任先の学校の児童が,奇妙なものを見つけてきました.
 どのように対処しますか.
2)児童が発見した「奇妙なもの」の現場では,正体は不明なものの,たくさんの骨様のものが岩盤に張り付いていました.

 どのように対処しますか.
以上二点について,授業の内容を参考に「教師の立場」で自分の行動を考察しなさい.
でした.

苦肉の策ね((^^;).
教育大での授業なので,首尾よく教師になれたとして,という前提で考察させました.

あまり,どうなるかを考えていなかったのですが,面白い結果が出ました.
なんと,みんなほとんど同じ((^^;)


一番感心したのは(私は予期していなかったことですが),1)の最初に多くの学生さんが「真っ先に,それが児童にとって危険なものでないかどうか確かめる」と述べたことでした.

もちろん,わたしらには「山には危険がいっぱい」なんてことは,当たり前のことなので,いわれて始めて「ああ,なるほど」((^^;)

次に多かった答が「褒める」こと.決して児童の行動を無視したり,否定するようなことをしてはいけないということ.
可能であれば,それを「学習」レベルまで高めたいという答があったこと.
教科書が全てで,それ以外のことは避けたいという答はありませんでした(文部科学省の人,残念ですね(^^;).
もちろん,多くの学生さんは「私がそういう答えを期待している」と思ってのことでしょうけど((^^;).

あとは,緻密に「どう対処してゆくか」を考察した学生さんが多かったことに感心しました.

2)に関しては,ちょっと残念でした.
もちろん,教師としての赴任先に,どこでも理解のある学芸員が存在するとは限らないので,というよりはそんなことがあれば「非常にラッキー」というのが実情なんでしょうけどね.
「自分は化石に関しては素人であるが,自分で進める」という怖い答が多かったことです.
「「あっ」といったがこの世の分かれ」なんて例も多いのがこの世界です.資料は「この世にたったひとつ」なんてこともね.そんなことで「闇から闇」へ消えていった資料も多いことと思いますね.

もちろん,同僚や上司に相談したり,教育委員会や大学,博物館職員に連絡を取るという答も多かったんですよ.

あと,まともな博物館の学芸員は,児童が発見してきたものを取り上げるなんてことはしませんよ((^^;).
「貴重なものだから,公的な機関に寄贈して欲しい」と説得はするでしょうけど.

ま,一時期,危ない学芸員がたくさんいたのは事実ですし,今でも大学では自分たちのものにするのは当たり前と考えている人がいるのも否定できませんけど((--;).

 

北海道スタディズ

 
11/06と11/13に「北海道スタディズ」という授業をしました.
題は「北海道産脊椎動物化石=その発見と社会的影響=」にしました.

内容は,表題の通りで,北海道で発見された脊椎動物化石とそれが起こした事件と起こさなかったこと.
たくさんの人の協力があって,博物館建設まで漕ぎ着け,子どもたちを含めた地元の人たちに還元されていった話.
ただの化石が子どもたちの郷土愛や自覚に繋がる話.

糸が途中で途切れて,化石そのものが忘れられていった話.

久しぶりに,今教育長や都田哲さん,笠巻袈裟男さんの話をしました.この人たちは太い糸.
ほかにも細い糸がたくさん.

滝川で切れた糸が,沼田や穂別,札幌で繋がった話.
まだまだ太い糸で繋がっているという話.

天塩中川では,ほぐれたままの糸が,町民の努力によって少しずつ太い糸になって,今では道北随一の自然誌博物館になっているという話.

忠類では,ゾウの化石であることを見抜いた子どもがいたのに,地元の先生方の努力によって発掘がなされたのに,糸が切れたままの話.

足寄では,点に過ぎなかったデスモスチルスの発見が,地元民の努力によって奔流となり,繋がってユニークな博物館となった話.

さて,これからどうなることやら.

 

2012年11月25日日曜日

ネタ

軍神も
 かくありしや
  EVA.の中

宮武無骨


久々に,DQネタを授業で使うつもり.

Evangelionネタも,いつか授業でやってやろうと画策中だけど,難しいね.
DQは「冒険」だけど,EVAは「エゴ」だものなあ.チッポケナ.

庶民は謀略の中で,夢も希望も打ち砕かれてゆく.
ただ生きてゆくことさえ.

「軍神」と祭り上げられるのは,ただ処世術のままに生きて死んだ人….
そういうことね.

「no!」といえる人でないと,いつの間にか,あちら側についてしまいそうだ.
 

2012年11月9日金曜日

相も変わらず

 
某出版社からダイレクトメールがとどいたので買ってみた.
なんか面白くないので,居間に放置しておいたら,妻が見て「なにこの図鑑.知ってるものがなにも出ていない」という.

なるほど,「なんか面白くない」と感じたのはそれが原因か.
妻は小学校教師で,ボルボックスとかミドリムシとか,ゾウリムシなど,教科書に出ているようなことしか知らない.
そんな感じで,この図鑑で,知ってるプランクトンを引いてみようとすると…,出てこないのだ.

この図鑑,例によって「学名が粗略」に扱われている.

「学名を粗略」に取り扱う言い訳が,前書きの「本書における和名について」に二頁にわたって,書き連ねてある.
書いている本人たちは「正当な理由」としてあげているみたいだが,私には「私たちは学名の意味を知りません」と書いているようにしか読めない(各項は,いちいち反論できるが,むなしいのでやらない).
日本の学者のレベルである.

さて,それで,学名をおとしめるかわりに「和名」をつかった理由が延々と書いてあるのだが,残念なことに,一般の反応は「妻の如き」だろう.だって,数少ない知っているプランクトンの名前「ミドリムシ」を引いてみたが,出てこなかったのだから.

学者が,学名に市民権を与える努力を放棄して,おもしろ半分に和名を大量作成し,悦に入っている.そんな図鑑.
ところが,某ネット書店での「カスタマーレビュー」を見ると,絶賛のあらし.
不思議なもんですね.
ん? これって,「ステマ」なの?


   

注:妻が目的のプランクトンにたどり着けなかったのは,実は当たり前で,この図鑑は「日本の」,「海産」のプランクトン図鑑だからです(ただし,和名の構造からくる「引きにくさ」には,なんの違いもありません).

プランクトン図鑑」という文字の巨大さに比べて,「日本の海産」は異様に小さい.
こういうやり方は,最近では当たり前のことなのかな.意図的に相手のミスを先導するような….
書くなら,「日本の海産プランクトン図鑑」だと思うが….
 

2012年10月26日金曜日

アニメ主人公の堕落

堕落した
 サザエにアトム
  スヌーピー

宮武軟骨


サザエさんはともかく,ヒーローであったアトムや,癒やし系のスヌーピーが特定企業の看板になっているのは悲しい(--;

 

2012年10月14日日曜日

時節

秋工事
 冬には壊す
  舗装面

宮武軟骨


なんか,急に工事が増えました.それも,意味が無いような工事が.
今,工事しても,冬には除雪車が壊してゆくのに.果てしないループ.土木業者とお役所の関係は永遠です.
消費税を上げることにしたので,税金の使い道が楽になったのかな?


なめられる
 大陸・半島
  クマにシカ

宮武軟骨


このところ領土に関する問題が続出ですが,なにか意図的と思われないでもない.あるいは,見えないところでなにかが動いている?
意思の疎通が難しい相手とは,常にコミュニケーションを心がけておかないといけないはずなのにね.
どちらが悪いとかいう問題ではないでしょうに.


ギスギスギ
 ギスギスギスギ
  ギスギスギ

宮武軟骨


気をつけていないと,どんなことで文句をつけられるかわからない怖い世の中になりました.
だんだん社会生活不適応者になってゆくのが感じられる.イヤな世の中だねえ.


ほら吹きも
 ビックリしたろう
  大新聞

この件で,一番驚いているのは,当のほら吹きおじさんだと思う.
権威面するヤツほど権威に弱いし.
大本営発表は一世紀近くの伝統.とくに××新聞は….

あ.科学にも弱い(--;
 

2012年8月30日木曜日

アイヌ伝説と蓬莱山

三石の焼串岩

日高線三石駅のところを流れる三石川の二㌔ほど上流に,イマニッという十㍍ほどの岩がたっているが,イマニッとは焼串のことをいうので,昔この附近の人々が魚を焼いて食うことを知らなかったので,この浜に鯨が寄ったのをオキクルミが切って,それを蓬の串に刺して焼き,人々に魚を焼いて食うことを知らせ,それをいつまでも忘れないようにするため,その串を岩にしてここへ残したのであるという.
そしてその岩は段々と大きくなっていったが,ある時この岩の下を不浄な女が通ったので,岩の中ほどから折れて,先の方は川の向うに飛んで行ってしまったという.なおこの岩の上には三石山にある草木が全部あるとも言われ,昔からアイヌ達が神を祭るときには,この岩にも木幣をあげることになっている.
(松浦武四郎「東蝦夷日誌」三.永田方正「蝦夷語地名解」.中田千畝「アイヌ神話」)

国造神が鯨をとって焼串をつくり,それに鯨をさして三石川の傍で焚火をして焼きながら居眠りをしていると,串の根元がこげて折れ,ドタリと川向に倒れたので,国造神がびっくりして尻餅をついた.そのあとを尻餅沢といって川向いにあり,折れた焼串が岩になったのが今の蓬莱岩である.
(三石町幌毛・幌村トンパク老伝)

昔はあの岩の下に祭壇をつくって春と秋とに祭をしたものだ.岩の上には沼があってヤマベやウグイなどがいたし,ここには北海道中の植物があるということだ.
(三石町・幌村運蔵老伝)

昔,三人兄弟の悪い神が焼串岩の上にいて,時々部落を荒しに来るので,よい神様が怒って岩を取囲んで攻めたので,たたらなくなった三人は岩の上から跳ねおりたが,兄の二人は岩にぶつかって死んでしまったが,一番の弟がうまく川の水の中に飛びおりて助かり,川上に逃げたので追って行くと,途中で魚を焼いて食った跡があるので調べてみると,その中が毒のある木でつくられていたので,
「こんなもので魚を焼いて食っているような奴は,追っかけるのもけがらわしい」
といって戻って来たが,この焼串も岩になったということだ.
(三一石町幌毛・幌村トンパク老伝)

三石の焼串岩は,文化神オキクルミが鯨を刺して焼いて食ったときの串だ,串はヨモギだった.
(門別町受乞・葛野藤一老伝)

鯨をやいて食っていたのは国造神で,この神は海に入っても膝小僧の濡れないほど大きかったが,支笏湖と石狩の海は深くてキンタマ濡らしたそうだ,川とか沢はこの神様の指先の跡だ.三石の串が折れてびっくりして尻餅ついた跡が静内のトープッ(沼口)だということだ.
(門別町富川・鍋沢モトアンレク翁伝)


伝説で「焼串岩」と呼ばれているものは,現在は「三石蓬莱山」と呼ばれている小山(?岩)のことです.

この山は「北海道地質百選」にも選ばれています.

この三石蓬莱山を中心に北西-南東方向に伸びる山稜があり,ピークは「社万部山」・「軍艦山」などの山名がつけられています.この山稜は,構造地質学的には「蓬莱山地塁帯」(和田信彦ほか,1992)と呼ばれ,岩石学的には「神居古潭帯・三石岩体」(和田信彦ほか,1992)とも呼ばれています.古くは「蓬莱山変質岩体」(石橋正夫,1939)と呼ばれていました.

このあたりでは変わった岩石が採集できるので,私も幾度となく遊びに行ったものです.最初にいったのは,大学三年目の夏.当時は道東巡検というものが教室行事としておこなわれていて,この付近の地質の説明を担当したのが,私でした.
当時,卒論生だったKさんに,石橋さんの論文の存在を教えていただきました.

最後にいったときには,以前は歩けた林道がまるでわからなくなっており,車道の道ばたに落ちていた陽起石(アクチノ閃石)の塊をひろってむなしく引き上げた思い出があります.


なお,「北海道地質百選」の「三石蓬莱山の角閃岩」を担当した川村さんは「この部分が自然地形なのか開鑿されたものかは不明」としていますが,永田方正の「蝦夷語地名解」は1891(明治24)年に出版されたものであり,その時に「岩」と表現されていますから,あとから周囲の道を広げた可能性はあるものの,岩自体の形は自然に近いものと思われます.

アイヌたちが,岩石学的な重要性に気付いていたとは思われませんが,奇妙な石が落ちていることや蓬莱山そのものの形に興味を引かれた結果できあがった伝説なのだろうという気がします.
 

2012年8月21日火曜日

ひさびさの面白い本

 
偶然ですが,面白い本を見つけました.
それは,松村昭著「いしかりがわ」です.

   


こういう鳥瞰図というか,一目瞭然図って好きだなあ.地質屋の性かしら.
一目で全体像がわかる.

細かいところでは,いくつか残念なところがありますけど,まあ,そういう重箱の隅をつつくようなことはやめて,石狩川の旅を楽しみましょう.
 

2012年8月19日日曜日

アイヌ伝説と宝玉

染退川の鐘乳石

染退川の支流メナシュベツが更にペンペツとパンペツとに分れる近くにポルウシュナイという小川がある.鉱坑のある沢で,ポルとは洞窟のことで,洞窟のある沢というのである.
昔,この土地にいた神様が,或る日のこと何ということなしに足もとの土を蹴ったところ,土の中から白く輝く宝物が出てきたので,さっそくそれを天上の神様のところへ差上げたところ,天上の神様は大変それを喜ばれて,宝物を発見した神様に地中の宝玉を司ることを命じられたという.初めて地中の宝玉を発見した土地というここには,川の中に石英の鐘乳石がある.
(永田方正「蝦夷語地名解」.中田千畝「アイヌ神話」)


「染退川(しべちゃりがわ)」は現在の「静内川」のこと.
「染退」のもとはアイヌ語ですが,すでに原語が失われていて,語源には多数の説があります.

メナシュベツ・ペンペツ・パンペツもすでに該当する沢名が残されていません.

メナシュベツについては,静内川上流部の高見湖の直下に「目梨別橋」という橋があり,この付近にあった川なのかと思わせますが,染退川上流部を「メナシュベツ(メナシベツ)」というという説もあり,よくわかりません.
蛇足しておけば,「メナシ(manasi)」は「東」のことで,確かに,この付近では東から流れています.

これが正しいとすれば,「ペンペツ」は高見湖中央から分岐する「ペンケベツ沢」のことで,「パンペツ」は高見湖から北へ分かれる「パンケベツ沢」のことなのかと思わせます.
そうすると,「ポルウシュナイ」はこの付近の沢ということに.

さて,染退川上流の本流筋にはいくつかの鉱山が知られています.
有名なのはペラリ山周辺の蛇紋岩帯に胚胎するクロム鉱床で「静内クロム鉱山」と呼ばれていました.また,このそばの本流には石綿鉱床の「農屋鉱山」もありました.
もう一つ,高見湖のはるか上流に静内鉱山と呼ばれるアンチモニー鉱床があったらしいのですが,こちらは位置がはっきりしません(五万分の一地質図幅「農屋」には,図幅の東端とあります:地質図そのものを所持していないので確認できない).

ところが,高見湖附近には鉱山の記録はありません.

結論として,染退川上流部には確かに鉱山があったのですが,伝説にいう地域とは微妙に一致していません.
また,いずれの鉱山も昭和の中ごろの操業ですから,この伝説が採録された永田方正の時代とは整合しません.そうすると,江戸時代から明治の初期にかけてのいずれかの時期に坑道を掘って何らかの鉱石を採掘していた可能性があることになりますが,上記の鉱床では,当時としてはあまりにも魅力に乏しい.


なにかが違う.
そこで,最後の行に注目してみます.「川の中に石英の鐘乳石がある」という言葉.これは,地質学的には字義通り受けとると「ナンセンス」のひと言です.
石英はSiO2が成分であり,鍾乳石は(通常)CaCO3の層状成長したものだからです.

もう少し柔軟に考えてみます.
これは“白い宝玉”だったわけです.何かそれに該当する可能性のあるものは無いかと地質図幅説明書(松下・鈴木, 1962)を読んでいたら,興味深い記述を見つけました.
先ほどの「ペラリ山周辺の蛇紋岩は,…『優白岩』によって貫かれている」とあります.続けて「この接触部では,優白岩によって接触変質を受け,…ひじょうに硬質になっている.…(中略)直閃石の放射状集合から成り立っている球顆が,多数みとめられる」とあります.
この“球顆”の大きさの記述はありません.
付図の球顆は顕微鏡レベルの大きさですが,もし眼に見えるような大きさものがあったなら,アイヌにとっては宝玉にも等しいものとして扱われたかもしれません.

これが,もしかしたら「伝説の正体」だったのかもしれませんね.


蛇足しておきます.
染退川下流部には砂金鉱床がありました.
シャクシャイン蜂起」に関する記述を読んでいると,多数の和人の砂金掘りがアイヌ居住地に入りこんでいたことがわかります.しかし,それと対照的に,アイヌには「金」にまつわる伝説は見あたりません.アイヌは,金には興味が無かったようです.
歴史の本を読んでいると,アイヌ蜂起は和人とアイヌの「金争い」に原因があったかのような記述をみることがありますが,「砂金伝説」がないことから,これは和人側の都合にたった小規模な歴史の捏造と判断するべきでしょう.
軋轢は,砂金そのものでは無く,砂金掘りによって荒らされた河床にあると思われます.そこは,アイヌにとっては「神の魚(カムイチェプ)」が遡上する場所だったからでしょう.
 

2012年8月13日月曜日

アイヌ伝説と石炭

十勝の川々


十勝の平原を流れている川に男と女とがある.太陽の出る方向から流れて来るのは男の川で,音更川やトミサンペツはそれであり,札内川など西からくる川は女の川である.十勝川の水源には,十勝川を監視しているシーペッヘニウンカムイシセという神様がいて,男の川には山にある宝物を送ってよこすので,音更川の奥から石炭とか硫黄とかがでるのだ.

(音更町・細田カタレ姥伝)


音更川は,石狩岳の隣峰音更山を水源とし,上士幌町-士幌町-音更町を通って,帯広市街で十勝川と合流する川.
一方,「トミサンペツ」は,悲しいかな,現在は地名が残っていません.

音更川は北から南へ流れているので「太陽の出る方向」というのはしっくりきません.
一方,札内川は確かに,西から流れています.
だから,伝説の前半は「?」です.「男の川」・「女の川」の意味も不明.
十勝川の水源にいる神様が音更川の奥に「山にある宝物を送ってよこす」というのも,意味が分かりません.

この伝説で唯一意味が通るのは,「音更川の奥から石炭とか硫黄とかがでる」ということ.

しかし,石炭はこの流域には見あたりません.可能性があるのは第四系「池田層」に夾在する亜炭層.もちろん,炭鉱としては成立していませんが,品質のよいところから採取して暖をとるぐらいは可能かもしれません.

もっと,困ったのが「硫黄」のこと.
硫黄鉱山や鉱床があったという記録は見いだせません.
可能性があるのは,隣の美里別川上流にある「芽登温泉」が硫黄泉だということで,これと間違えているか,あるいは尾根一つの違いですから,小規模の硫黄の気があった可能性はあります.

音別の炭川


釧路音別町の尺別川の隣りに、パシウシュベという小川がある.昔この附近の海上で,鯨と海馬とが争いを起し,鯨の方が負けそうになったので,この小川へ逃げ込んでしゃにむに川上へ向って泳ぎ上り,どうやら海馬からの難をのがれることが出来たが,さて海に戻ろうとしたが,あまり勢いよく突込んだ為,体を廻すことも後戻りすることもできなくなって,そのまま川をうずめてしまった為に,川は炭のように真黒くなってしまったという.ハシとは木炭のことでウシュは沢山あるところ,ベはものという意で,炭の沢山ある川ということである.

(中田千畝「アイヌ神話」)


「音別の炭川」については,「アイヌ伝説と化石」でも紹介しましたが,これは「釧路炭田」の一部を示しているものと思われます.でも,前述したとおり,釧路炭田の詳細な地質図を所持していませんので,検討不可能.
探索はまだまだ続く….
 

2012年8月12日日曜日

アイヌ伝説と鉄鉱床

大岸の金敷岩

室蘭本線大岸駅の近くオプケシ川の川口に,鍛治屋の金敷のような岩かある.
この岩は附近の人々の崇拝しおそれていた岩で,昔本州から一人の旅人が来て,この川の奥から鉄鉱をとって来て,この岩を金敷にして刃物をつくっていた.ところがこの旅人というのが実は疱瘡の神で,アイヌに疱瘡を流行させる為に来たのであった.その為たちまち部落には疱瘡が蔓延し,ここにあった大きな部落がすっかり死絶えてしまったという.
(鵡川町・山下玉一郎氏輯)

不思議な話です.

まずいくつか説明を加えておかなければなりません.
第一に,「大岸」というのは由緒のある地名ではなく,もとは「小鉾岸」とかいて「おふけし」と読んでいたそうです.この名は,そこを流れる川の名前に残っています.
もともとは,もちろんアイヌ語なのですが,これにはいくつか説があります.
更科源蔵編著「アイヌ語地名解」では「オ・ケシ」=「鉾の石突き」説と,永田方正「蝦夷語地名解」の「オプ・ケスペ・シレト」=「鉾の石突きに似た岩のある岬」説を紹介し,「他の説もあって問題の多い地名」としています.

前説では「川尻のところが鉾の石突きのところのように,二股になっている」という説明が加えられていますが,「鉾の石突き」なるものがどのような形をしているのか現代人にはイメージ不能です.「鉾の石突き」がすべて「二股になっている」のかどうかは判りませんが,とりあえず「二股になっている」のだと考えておきましょう.
現在の「小鉾岸川」の河口は二股にはなっていませんので,なんですが,二股になってるだけで「鉾の石突き」を連想するものでしょうかね.

後説では,“小鉾岸”は「鉾の石突きに似た岩のある岬」ですから,現在も残る岬(国土地理院の地形図では無名)のことかと思われます.
そうすると,伝説の「岩」は「岬の岩」なのかもしれません.
現地に行けば解決するかもしれないですけどね.

さて,当初この伝説を見つけたときには,噴火湾沿いにしばしば存在する「砂鉄鉱床」のことを示しているのかと思いましたが,旧地質調査所や旧道立地下資源調査所の鉱床図には,それに該当する鉱山・鉱床はありません.
「川の奥から鉄鉱をとって来て」とありますので,川の上流部に鉄鉱床があるのかと思いましたが,これも該当するものがありません.
この川の奥には,金銀鉱床ならあるのですけれどね.

ということで,地質学的にはまるで説明が付きません.
もしかしたら,「地名」が間違って伝わっていて,別な場所のことなのかもしれないですね.

蛇足しておくと,この物語の後半部は,当時は渡り歩く冶金職人もしくは刀鍛冶・野鍛冶(正確にはなんと表現していいのか分からない)がいたことを示しているのだとおもいます.「当時」というのがいつのことかは判りませんけどね.
コシャマイン蜂起の原因は,志濃里の鍛冶とアイヌの青年とのいざこざから始まっていますから,アイヌ居住地を旅する“渡り鍛冶”は相当数いたことを示しているのでしょう.

さらに蛇足しておくと,この野鍛冶は「(実は)疱瘡神であった」とされていることについてです.
アイヌは,こういった病気に免疫がなく,感染した和人がアイヌのコロニーに入りこめば,あっという間に伝染病が蔓延し,一つの部落が全滅などということはしばしばあったということです.
つまり,この伝説は,和人=「危険な病気を持ち込む連中」ということについての警告となっているわけですね.

しかし,鉄鉱石との関係は,謎のままです.
探索は続きます….

2012年8月9日木曜日

自然と仲良く


仕事(金にならないから,仕事じゃないかな?)に疲れたら,目を休めるために庭いじり.
あまり手をかけていない庭には,雑草や虫がいっぱい.

さりとて,雑草抜きや虫殺しにも疲れたので,何とかならないかと思っていたら,面白い本にであいました.
曳地トシさん,曳地義治さん夫妻の「雑草と楽しむ庭づくり」と「虫といっしょに庭づくり」.
バーサスするのではなく,相手を知っておつきあいする方法ね((^^)).

      


ヒマがあったら読んでます.
しかし,この境地に達するのには時間がかかりそう.

一抹の不安が….
これまで数限りなく「エコ…」にはだまされてきたからなあ….
やってみなくちゃあ分からない((^^;)

2012年8月6日月曜日

アイヌ伝説と化石(2)

小山になった鯨と鯱


穂別市街から穂別川に沿うて六,七百㍍のぼると,厚真町へ越して行く間道にそうて,パンケオピラルカの流れが穂別川にそそいでいる.この落口の近くにフンベ(鯨)という鯨の形をした小高い丘があり,穂別川をはさんでこの丘の対岸の畑の中にレブンカムイ(鯱)という高みがある.
昔,この附近まで一帯の海であったときに,鯱に追われた鯨が逃げ場を失って,陸の上にのしあがってしまい,そのままフンベの丘になってしまったが,鯱は鯨が陸へあがっておりて来ないので,鯨のおりて来るのを見張りながら待っているうちに,あたりの海の水がなくなって,これも小さな丘になってしまって,今でもまだにらみ合っているのであるという.
この附近は山が穂別川にせりだして急傾斜になっているが,ここをフンキとよんでいる.フンキとは海岸の崖のことである.
(穂別町・種田角蔵老伝)

パンケオピラルカ沢と穂別川の合流点は標高60m程度あるので,ごく最近(考古学的歴史上)このあたりまで海だったことは考えられません.
海岸地域であれば,クジラが上陸するということは希にあることなので,鯱に追われた鯨が…という話は,あっても不思議はないのですが,なぜこのような内陸部に「鯨が上陸」した話が残っているのでしょうかね.

でも,いまだに鯨と鯱がにらみ合ってるなんて,面白い話です.
残念ですが,フンベ*,レブンカムイ**,フンキ***という地名は今は確認できません.

この伝説は,学芸員時代に苫小牧民報の記者の人に聞いたことがあるんですが,その時はあまり興味が持てませんでした.ところが,そのあとで興味深い体験をすることになります.
じつは,私が発見したホベツケントリオドンは,この鯨がいたというパンケオピラルカ****沢の支流,穂別川合流部にごく近い博物館の裏山にあったものです.

もしかしたら,この丘がフンベの丘だったのかも.
そうすると,アイヌの伝説は真実を語っていることになります.
ただし,ケントリオドンの海は約1,500万年前のことですけど….

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* フンベ(humpe)(ふぺ):クジラ
** レブンカムイ(rep-un kamuy)(レぷン・カむィ):「沖の」+「神(魔)」≒「シャチ」
*** フンキ(hunki)(ふンキ):①浜から上がってくると一段高くなってハマナスなどが生えている地帯.②海岸の砂丘.③小山,丘.
**** パンケオピラルカ:不詳;pán-ke=「川下の」
以上,知里真志保著「地名アイヌ語小辞典」より

2012年8月5日日曜日

アイヌ伝説と化石

利別川の鯨

十勝川第一の支流利別川に,フンベポネオマナイ(鯨の骨のある川)という川があるが,この川は或る年の大津波でこの附近の人が皆死んでしまったとき,鯨も津波におされて来て骨だけが残ったところであるという.
(音更町・細田カタレ姥伝)

現在,「フンベポネオマナイ」という川の名(もしくは地名)は残っていません.
アイヌ伝説と津波の関係を調べている高清水(2005)によれば,利別川-十勝川合流部でさえ「海抜約10mあり,太平洋から直線距離で約20kmある」ので「アイヌの時代に津波に襲われたということはないだろう」としています.
この判断を評価する能力は私にはありませんが,「鯨の骨のある川」という記述は見逃すことができません.

利別川の支流に本別川があり,合流地点から約2km東に「義経山」と呼ばれる山があります.そこにも「伝説」があります.
義経山の伝説

十勝池田から北見市に通じる,池北線の本別駅附近に,俗に義経山と呼ばれている山がある.古い名はサマイクルカムイサンテというのであって,天地創造神の乾し棚という意味であるが,昔この附近がまだ海であった時代に,サマイクルカムイが,ここで鯨をとって料理したところであるといい,山の上には今もその時の鯨が岩になったままのこっているという.
(永田栄氏輯)

そして,「義経山」の隣にも….
本別のオチルシカムイ

義経山の隣に,山の峰が本別市街の方へせり出したところがあり,ここはお祭りがあるたびにオチルシオンカムイ(峯の神)といって,酒をあげて祈願するところであるが,昔このあたりが見渡す限りの蒼海原であったとき,山の神さまが鯨をとって食べて,その頭を投げたのがこの山になったのであるという.
(池田町高島・山越三次郎老伝)

この付近には,十勝層群下部の本別層や足寄層が分布し,その北部延長は,もちろん,クジラ化石で有名な足寄町へと続いているからです.
蛇足しておけば,足寄動物化石博物館が中心になって研究が進んでいるデスモスチルス類が産出するのは,この十勝層群の下位に連なる古第三系の川上層群で,その延長はやはり義経山の東麓に続いています.

つまり,津波はたしかに大きな事件なので,これに結びついてしまったのは致し方ないことですが,義経山付近にもクジラやデスモスチルスの化石骨が産出していた可能性が非常に高いことが判ります.


もう一つ,「義経山の伝説」や「本別のオチルシカムイ」の話で気になることがあります.
それは,双方共に,「昔,この付近が滄海であった」としていること.
津波をベースに考えれば「こんなところまで津波が来るわけはない」となってしまいますが,本当にこの付近が海だったことはなかったのでしょうか.

たとえば,いわゆる「縄文海進」と呼ばれているものがあります.
縄文海進時にこのあたりが海であれば,縄文人の末裔であるアイヌ民族に,民族としての伝承があっても不思議ではありません.

しかし,この証明はなかなか難しいようです.
そもそも「縄文海進」自体の実態がはっきりしていませんし,十勝平野に縄文海進の影響があったという報告は見あたらないからです.

「縄文海進」の実態がはっきりしないということは,話し出すと長くなりますので,やりませんが,まあ,「地球温暖化騒動」にかなり関係があるとだけいっておきます.
科学的な議論ではなく政治的な議論が紛れ込んでいるので,常に眉に唾をつけながら調査しなければならないわけです.
面白いのは海進の程度ですが,非道いのになると0~2mとしているものがあります.そもそも0mでは海進ではない((^^;).0~2mなんていう程度の小規模海進が「判断できる解像度があるのか」ということも心配になります.
なお,第四紀学会の公式見解では2~3mということになっています.
いいたかありませんが,ネオテクトニクスを考えれば地域差があって当然なのに,日本平均で2~3mなんてことを「見解」としていいのでしょうかね….

さて,千歳市にある美々貝塚は縄文海進時の生活の場とされています.それは(現在の)標高20m程度の台地の上にありますが,その直下の河床は標高5m程度なのでしょうか.2~3m程度の海進でシジミを中心とする半塩水-半真水の環境が,ここにできるかどうか.
まさか「そんな検討はしていない」ということはないでしょうから,この地形,この海進の程度で「できた」と判断されているのでしょう(ちなみに,ある北海道の研究者は3~4mとしています:もちろん,海進の程度がどこでも一緒である必要はありません).

そうすると,縄文海進時に,十勝平野が一部でも海域になったという証拠はなさそうです.十勝平野に貝塚があるという話もあまり聞きませんモンね.
もっとも「海進時」に住めるところは,ある程度の高さのある台地の上ということになりますから,広大な十勝平野では貝塚をつくる条件がそろっていなかっただけなのかもしれません.


さて次の可能性は「下末吉海進」と呼ばれるものです.
関東平野で確認された12~13万年前ころの出来事です.下末吉海進は10mぐらいまで海進が進んだとされています.もちろんこれも,地域によってかなり程度が違うようですけど.10mならば利別川-十勝川合流部は「海」だったことになります.

下末吉海進に相当する海進が,十勝地域で確認されているかどうかは定かではありません.
もっとも,下末吉海進は12~13万年前ころの出来事ですから,約二万年前がもっとも古いといわれる北海道の人類遺跡記録からは,この頃の旧日本列島人がこの海を見たとは考えられません.

そうすると,本別地域に伝わる「海の伝説」の原因は,やはり「山で発見される“クジラのような巨大な骨”に求めるべき」ということになりますかね.


似たような伝説が釧路市音別町にあります.
音別の炭川

釧路音別町の尺別川の隣りに、パシウシュベという小川がある.昔この附近の海上で,鯨と海馬とが争いを起し,鯨の方が負けそうになったので,この小川へ逃げ込んでしゃにむに川上へ向って泳ぎ上り,どうやら海馬からの難をのがれることが出来たが,さて海に戻ろうとしたが,あまり勢いよく突込んだ為,体を廻すことも後戻りすることもできなくなって,そのまま川をうずめてしまった為に,川は炭のように真黒くなってしまったという.ハシとは木炭のことでウシュは沢山あるところ,ベはものという意で,炭の沢山ある川ということである.
(中田千畝「アイヌ神話」)


現在「パシウシュベ」という地名はありません.
そのため,具体的にどこでの伝説なのか検討することができません.

後半の記述は,釧路炭田の一部を意味しているものと思われます.
つまり,このパシウシュベ川の奥には石炭の露頭があることは間違いがなさそうです.

残念なことに,手元に釧路炭田の地質図がないので,これも検討不可能.
こういう伝説を聞くと,あることを思いだします.
ある小さな炭鉱の経営者が博物館にやってきて「骨みたいなものがたくさん出ているので見て欲しい」というのです.その時に持ってきたものは「ただの妙な石」でしたが「ほかにもたくさんある」といってました.「また持って来る」といってましたが,それっきり現れませんでした.

こんなことは,たぶん「ある」ことなのでしょう.なぜなら,その附近では,昔,アミノドンの化石が発見されているからです.
ただ,個人経営だといろいろ都合があって,荒らされたくないのだともいってました.まだ,埋もれたままの(発見はされているが,持ち主の都合により公表できない)化石があるに違いないと思います.

そんな背景を考えれば,そこらあたりには,やはり,骨の化石が埋まっているのではないかという気がします.

氷河期の「発見」


少しずつ読み重ねて,やっと読み終わりました.
これは「科学史ドキュメント」です.こんな本は「恐竜関係」以外では初めて読みました.
ワクワクするような「科学の始まりの物語り」でした.

ちょっと,回りくどいので,この世界に入りこむまでが大変ですけどね.
授業には使えない((^^;)
でも,氷河期の授業は「フランケンシュタインの怪物」を象徴として使い,アルプスの氷河や北極探検とつなげていったので,よりリアルに話せるようになるかもしれない.
英語でなぜ「Glacial (period)」というのかもようやく判りました.

氷河説に反対していたライエルが単に「極寒期」の意味で使っていたとは….
それがなぜまだ生き残っていて「氷河期」の意味で使われているのは,まだ謎ですけどね.

著者はEdmund B. Bolles,原題はThe Ice Finders.お勧めです.

   


2012年8月1日水曜日

アイヌ伝説と柱状節理

浜益の魔神の簗材

魔神が日本海の中に簗をかけて,浜益の方に鰊の廻遊するのをさまたげようとした.それを知った文化神サマイクルカムイ*が簗を打ちこわして,その用材を海岸に積みあげたので,浜益ではさわりなく鰊が群来るようになった.その魔神の簗材を積みあげたのが岩になったのが,幌の増毛よりの海岸にある.
(新十津川町泥川・空知保老伝)

これも「北海道地質百選」にある「幌の玄武岩熔岩」といわれているものです.
正体は「柱状節理」を呈する玄武岩の熔岩.
まるで角材のような形をした石が積み重なっているのを見て,「魔神の簗材」を連想したのでしょう.ただし,柱状節理は水平に流れた熔岩の温度差を反映して直立しているそうです.だから,“積み上げた”ようには見えません.立て掛けたようには見えますね.

また,これと同じ伝説が網走付近にもあるそうで,「ポンモイ柱状節理」と呼ばれていて,網走市指定の「天然記念物」になっています.
地質学的には「ポンモイ岬の玄武岩」といういい方のほうが適切でしょう.「柱状節理」は節理の形態を表しているだけですから.

こちらは,熔岩ではなく貫入岩なので,貫入方向に垂直に節理が発達し,角材を積み上げたように見えるわけです(道東の自然史研究会編「道東の自然を歩く」:188頁参照).ほぼ水平の柱状節理が発達していて,たしかに「魔神の簗材」を「積み上げた」ように見えますね.

この「ポンモイ岬の玄武岩」については,江戸時代末期から明治の初期にかけて箱館に在住したブラキストンが「えぞ地の旅(西島照男訳)」で記述しています.
わたくしめも,「蝦夷地質学外伝」で引用していますので,よかったら読んでみてください.

*サマイクルカムイ:アイヌの伝説で天地創造神の役割を果たしているのですが,「文化神」という肩書きも付き,さらに「源義経」ともゴッチャになっているようで….

2012年7月31日火曜日

アイヌの伝説と砕屑岩脈


知人岬の神橋

「釧路市の知人岬(シレトミサキ)に,海の中へ突き出ている二条の水成岩脈があって,干潮のときにはそれがこわれた橋の杭のように見えた.これは昔はカムイ・ルイカ(神の橋)といって,海の神様であるレブンカムイ(鯱)が,陸の神様のところへ会いに行くとき,ここを通って行くためにつくった橋であるという」
「北海道の口碑伝説」(北海道庁編)より


「水成岩脈」というのは,地質学用語としては,ほとんど「死語」です.「地学事典」にも載っていませんね.
もともとは,neptunian dike (Strickland, 1840)の和訳として使われていたようです.
詳しい経緯は判りませんが,dike(=岩脈)といえば,通常 igneous dike(=火成岩脈)であるのに対し,そのdike rock (=脈岩)がclastic rock(=砕屑岩)からできているので特別な言葉として造語されたものでしょう.
あるいは,その昔,「岩石は火が造ったものである」=「plutonism(=火成論)」という説と「岩石は水が造ったものである」=「neptunism(=水成論)」という説をめぐって論争が繰り広げられた時期があり,この関係でneptunian dikeとして名付けられたものかもしれません.

現在は,「水成岩脈」という言葉は使われず,もっぱら「砕屑岩脈(clastic dyke)」が使われます.
この場合,既にできあがっている地層を切って未固結の砕屑物が侵入してくるわけですが,既存の地層にできた割れ目の下から貫入してできたものを「injection clastic dyke(=貫入砕屑岩脈)」とし,上から侵入してできたものを「neptunian clastic dyke(=ネプチュニアン砕屑岩脈)」として分けることもあるようです.
上から来たか下から来たかで分ける意味があるのか無いのかについては,私には判りません.あしからずご了承ください.

なんにしても,知人岬には巨大な砕屑岩脈があり「橋(あるいは橋脚)のように見えた」.そして,これはアイヌにとって特別な意味を持っていたということです.
しかし,残念なことに,この砕屑岩脈は釧路港の築港工事のとき,一つはハッパでこわされ,もう一つは土の中に埋められてしまったそうです(一説には,地元の人が破片を見つけ出し,地元の神社に奉納したともいわれています).

ちなみに「知人(シレト)」は,アイヌ語が語源で,「シリ・エト°」=「大地の鼻」.すなわち,「岬」のこと(更科源蔵「アイヌ語地名解」より).「知床(シレトコ)」と同じ語源ですね.

この知人岬の砕屑岩脈には,別の伝説もあります.

「義経が阿寒の山にいたとき,ここから十勝の方へ橋をかけようとしたときの,橋杭のあとだとも言う」
「東蝦夷夜話」(大内余庵)より


いわゆる,「義経伝説」のひとつです.
詳しくは判りませんが,アイヌに伝わる「義経」は創世神話の「神」とゴッチャになっていることがあるようで,詳しい検討が必要なようです.
どなたかご存じであれば….


さて,この砕屑岩脈には,まったく別の系統の伝説もあります.
知人岬の神石

「釧路築港が出来る前まで知人岬に,ノッコロカムイ(岬の神)といってうやまっていた二つの神石があった.大昔,世界の初まりに,男と女の二つの星が,人間共に幸福を授ける為に天から天降って,ここに鎮まったと伝えられている.大きい方の石をピンネカムイ(男神)といい,小さい方をマチネカムイ(女神)といって,春の漁期にはこの岩に向って,大漁を祈願する祈願祭が行なわれた」といいます.
「北海道の口碑伝説」(北海道庁編:佐藤直太郎氏輯)より


どっちにしても,アイヌにとっては,特別な意味を持つものだったわけですね(それを和人は壊してしまったわけです).


この知人岬の砕屑岩脈は,知人岬だけにあるわけではなく,付近の興津浜には「春採太郎」と呼ばれる幅4m以上,長さ数キロにわたる砂岩脈が知られています(北大の川村信人氏のブログに詳しい).
これは「北海道地質百選」にも選ばれています.

川村氏によれば,春採太郎だけではなく「次郎」,「三郎」,「四郎」とも呼ぶべき砂岩脈があるそうです.してみると,もっともっとたくさんの岩脈がありそうな….

なお,柴田賢(1958)によれば,この砂岩脈には「(洪積世と云われている)化石破片を含んでいる」そうです.そうであれば,この砂岩脈は,まさしく「上から侵入してきた」「neptunian clastic dyke(=ネプチュニアン砕屑岩脈)」=「水成岩脈」であるわけです.
そうすると,洪積世(洪積世もじつは死語.「更新世」が正しい)には,このあたりには幅4mを越える亀裂が多数できるような事件があったわけで,それは,いったいどのような出来事だったのだろうと恐ろしく思うわけです.まったくイメージが湧きませんが….

アイヌ伝説と地質学


何の気なしに,アイヌの伝説について読んでいたら,膨大な量の地質学的再解釈が必要な記述を見つけました.
たとえば,津波に関する伝説.
太平洋岸を中心に恐ろしい「巨大津波の伝説」が伝わっています.

その多くは,常識を越えた津波の高さ,到達高度・距離が想定されるため「有り得ない」と否定されてきましたが,3.11を経験して以来,「見直し」が起きているようです.
もしかしたら,そのほとんどが「事実だったかもしれない」というわけです.
事実かどうかは,伝説の解釈とそれに見合う堆積物の発見にかかっているわけですが,悲しいことに,私には津波堆積物に関する知識がない.
しかし,誰かがこれを検証していかなくてはならない.そんな気がします(実際進んでいるらしい).

それはそうとして,ほかのアイヌ伝説には,すぐにでも地質学的再解釈が可能な記述がありますので,それを紹介してゆきたいと思います.

2012年7月11日水曜日

最近の学生気質

 
昨日の授業のあと,珍しく学生が話しかけてきました.
うれしかった((^^;).

でも…,
「試験はどのような形式でやるんですか?」
「穴埋め式ですか?」

「…?!」

「大学の試験で「穴埋め式」なんかあるか!」と,いいたかったですが,とどまりました.
だって,そうなのかもしれないからです.

TVの学習塾などのCMでは,「やる気スイッチ」とか,「疑問を育てる」とか,やってますけど,難関(?)を突破して出来上がった大学生は「○×式」と「五択式」が思考回路になっているようにしか思えません.
(そういえば,娘の授業参観で,穴埋め式の授業・板書をやっている先生をたくさん見たなあ)
(試験をクリアーするには,いい方法なのかもしれないけど…,実生活にはまるで役に立たないよ~な)

授業で「地球に関しては,まだ判らないこともある」とか,「どちらにでも解釈できる」とか,「人間の知識には限界がある」とかやると,テキメンに「曖昧で判らない!」とか,「意味不明!」とかいう反応が返ってきます(じつは,帰ってくるだけまだマシなのです.大概は聞いているだけ.飽きると昼寝(^^;).

ほかの授業では,どんなことをやってるのかと心配になります.
ま,所詮,非常勤ですから,大学の方針とやらに関わり合いはないですがね.
しかし,一般市民,普通の国民としては,こんな教育やってたらこの国はダメになるという不安感でいっぱいです.

もうダメなのかもしれないですが.
だって,この“教育”は,もう何世代にもわたって続けられてきて,そういう思考の人たちが,既に日本の中枢にたくさんいることがはっきりしてるからです.

判りやすい授業は,学生をダメにするかもしれない….
考えよう….
 

2012年7月1日日曜日

先日読み終えた本


この間,待ち合わせ時間まで少し間があったので,ブックオフで時間を潰してました.
そこで,ブックオフには場違いな本を発見.つい,買ってしまいました((^^;).


   



興味深い内容でした.
10数年前に,ヒステリックなエコマニアの主張に,ちょっとウンザリだったので,まともなエコロジーの本を探しましたが,当時は,ほとんど見つかりませんでした.
当時は,本当に「生態学」の本か,ヒス・エコマニアの本しか,無かったんですね.

この著者は,私が普段,疑問に思っていることを見事に整理してくれています.
なんかすごく当たり前のことしか書いてないのですが,ヒス・エコマニアが蔓延してるおかげで,逆にすごく新鮮になっているわけですね.
+++

本文中のエピソードを読んでいて,思い出し笑いしました.

それは,ある学校の校長先生が「雑草という植物はない」と演説した話.
あとで,その校長に「植物にお詳しいのですか?」と訊ねたら(博物館の手伝いをさせようと企んだ(^^;),帰ってきた返事が「いえ,まったく知りません」.
「?」

ま,こんなもんさ.
「雑草という植物はない」などというセリフは,目につく植物の和名・学名はほとんどすべて知っている人が言ってこそ「意味がある」んで,かっこよさそうなフレーズだからというだけで使ってはいけませんね.

歪んだ「エコ」を他人に押しつけるエコ・マニアとな~~~んも変わらんですからねえ.

え? 私?
私も,現世植物の名前なんか,ほとんど知りません.
だから,使うフレーズは,「どんな生きものにも,数百万年,数千万年の歴史がある」です((^^;)

2012年6月29日金曜日

うっかりできない.

 
忙しいので,ブログの更新をサボっていたら,迷惑コメントがどっさり((^^;)
たぶん,休眠中のブログを狙うソフトかなんかがあるんだろうと思う.

つまらない技術ばっかり,進むなあ.

タイマー付きの電化製品みたい((^^;).
安くして,一年で壊れる(保証期間経過後)技術の開発をしてる,なんて信じたくないですけどね~~.
 

トンデモCM


 
今日もまた
 トンデモCM
  目白押し

(宮武軟骨)


つい笑ってしまうのが,最近の眼鏡の宣伝.

「真空のように軽い」とか,「無重力フレーム」とかいって,月面でのCGを流したりする.

でも,企業の科学的常識を笑ってばかりもいられない.
こんなアホみたいなCMでも,流し続ければ,「真空は軽い」とか,「月面は無重力」とか,思い込んでしまう人たちが増えてくるのだろうと思う.

以前は,そんなことはないだろうと思っていたけど,いまだに「マイナスイオン」とか「ナノイオン」とか,身近にも普通につかう人がいて,これは絶滅できないので,TVCMの歪んだ力の偉大さをキチンと評価しておかなければならないのだと思うようになりました.
 

近ごろ,近所で流行るもの

 
犬の糞
 煙草の吸いがら
  花どろぼう

宮武軟骨


「このぐらいはいいさ」と考える人が多いのだろうと思う.
また,自分が感じている漠然とした不安に,イライラして,他人にわずかの不幸を押しつけることで,憂さを晴らしている人も多いのだろうと思う.
マフラーを改造したボロ車で,毎朝出て行くアパートの住民も同じ.「うるさい」って,思わせたいのだろう.

近ごろTVに出てくる人たちは,「公約を守らないでも平気な政治家」とか,「原子炉を爆発させても平気な企業」とか,「警察に現行犯逮捕されてもまだ逃げようとする奴ら」とか,そんなのばかりだものなあ.

小市民が犬の糞を放置したり,吸いがらを投棄したり,花をちょっと盗むぐらいたいしたことではないさ.

死人宗教と化した仏教に復活してもらって「因果応報」とか,「輪廻」とかいう日本人の常識を再生させてほしいと思う.
 

2012年6月9日土曜日

パニック?

 
先日録画しておいた「宇宙戦争」をみました.
伝説のオーソンウェルズの「宇宙戦争」の再映画化ですね.

十分楽しめるのですが,気になることが一つ.
それは,モブ・シーン.

ものすごく違和感があります.いくら切羽詰まっているからといって,他人の乗っている車を奪ってまで,自分だけ助かろうとする人がいるのだろうかと思う(もっとも,みんなあるいて逃げてるところに,一家族だけ車で逃げてきたら,むかつくことは事実でしょうけど).

昨年の3.11とそれ以降の原子炉爆発事件などでも,日本ではパニックもモブも起きなかった.個人的にオロオロするぐらいのパニックはあっただろうけど,他人を踏みつけにしたり,どさくさにまぎれて,窃盗をはたらいたり,怪我させたりなどのモブ・シーンはなかったと思う(我が国政府は爆発事故を無かったこととして,原子炉再稼働を企んでますが,このことにこそパニックを起こすべきだと思いますが,これがまた,起きない(^^;)).

というより,モブが(ほとんど)なかったことに対し,海外のメディアが感心していたことのほうに驚いた(実際には,報道されてない範囲でのことはあったのだろうけど).

まあ,映画だから,そのぐらいのシーンを作る必要があるのだろうけど….と思っていたら,どうも違うようだ.某国でハリケーンに襲われた地域では,映画さながらのモブ・シーンが展開されていたらしい(で,その国では,ああいう状態では,そのぐらいのことは許されると公然といわれているらしい).
こちらも,普通にそういうことがおこなわれていたのか,マスコミ特有の取捨選択で一番ひどいところだけが強調されていたのか,そこも判らないですけれど.

なにが本当の姿なのでしょうかね….
(自分でも,なにを書こうとしてるのか判らなくなってきた(^^;)
 

2012年6月6日水曜日

昨日読んだ本


授業が終わった後の疲労感と開放感のまぜこぜで,つい,積ん読状態の本に手を出してしまいました((^^;).

それは,笹沢教一「ニッポンの恐竜」.

    


チャラけた題名のせいで,いわゆる「恐竜バカ本」(「恐竜トンデモ本」ともいう(^^;)の一つとしてコレクションしておいたもの.

読んだら,まったく違いました.

なんとこれは,日本では稀少本ともいえる「地質学史」もしくは「古生物学史」のまじめな本でした.
おまけに著者は新聞記者ということで,文章が平易でうまい.
午後3時ころから読み始めて,合間合間に別のことをやり,夜になってから本格的に読み始めて,結局,寝る前に読み切ってしまいました.

本来なら,こういう内容の本は,(今となっては全国に数ある)大学博物館の職員が書くべき本ですが,博物館から出ないところが悲しい…((--;).
日本の大学は研究の際に出た資料を重視しなかったので,明治の初めに大学ができてから,ほぼすべての資料は放置され,紛失するままになっていました.
ここ10数年の「開放された大学」のイメージ作りのために,旧帝大を中心に大学博物館が設置されてきましたが,歴史がないので,付け焼き刃であることは証明するまでもありません.

こういった大学および大学博物館がもつ問題や,よくわからない業績主義によって放置されている本来の学問とか….
口を開けば「エコ」とか「環境」とかいうくせに,地球の環境を創りあげてきた「ものたち」に一切の敬意を払わないこの国のシステムとか….

そのため,民間の化石ハンターによって,あらしたい放題になったたくさんの化石=古生物とか….
それを確保するために孤軍奮闘したアマチュア化石研究家とか,小さな自治体とか….

一時的な,街おこしブームによって悲劇に見舞われた貴重な資料や研究者とか….

この国の,生きていく姿勢とか,学問に対する姿勢とか,国民の教育に対する姿勢とか,いろんなことを考えさせる一冊でした.

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そういえば,昔,博物館の研究報告で収蔵されている化石の主なものについて,発見者のあるいは寄贈者の名前を明記しておいたら,非常に喜ばれたことを思いだしました.

2012年6月3日日曜日

最近読んだ本


「最近」でもないのですが,忙しくて,ブログの更新に手が回らないのです.
非常勤でやってるところの授業内容を大幅に変えたもので….

飯沼二郎・堀尾尚志(1976)農具





を読みました.

ぜんぜん畑違いですけどね((^^;).

単に,縄文・弥生時代の農具(多分に「鉄製品」)について知りたかっただけなんですが,内容が面白かったので,読み通してしまった((^^;).
考古関係の人が書いたものと,若干内容が異なるような気がしますが,よくわかりません.
でも,面白かった.
専門家というのはかくありたいものです.

2012年5月21日月曜日

日蝕

 
地ベタの我々の思惑とは無関係に,太陽と月はいつもの通りに回ってゆく.
たまたま,地球の一部ではその影が見えるだけ.

さて,日蝕を見ながら,太陽と月そして地球の関係が実感できた人が何人いるだろうか.

天体ショーなんかではない,無窮の営みの断面を.
 

2012年5月18日金曜日

あいさつ

 
今朝,ゴミを出しに行くときに,たまたま登校中の小学生の進行方向をふさぐかたちになってしまった.
そうしたら,「おはようございます」とあいさつしてきた.いつもはしないのに.

たぶん,学校で「怪しげな人にあったら,先にあいさつしてしまいなさい」とか指導されているのだろう.
ちょっと怖かったのかな?

娘が小学校に通っていたころ,6~7年前には,通学路であった大人にあいさつするのは,ごく普通のことだった.私の方から,あいさつすることも,よくあった.
それが,ここ数年で,こちらからあいさつすることは,まったくなくなった.理由は,小学校と(先生方とも)疎遠になり,顔が売れていないので,不審者と判断されることが怖いからだ.

同時に,子どもたちに注意をすることもなくなった.
最近の子どもたちは,しかられていることが理解できないそうだ.だから,しかっても意味が無い.
教師が,キチンと理由を説明して,注意しても,ポカンとしている子が多いそうだ.ましてや,あいてが知らないおじさんなら,明白に不審者だと判断されることだろう.
不審者に声をかけられたと学校で報告しそうだ.

そこいらを通る子どもたちと会話したり,ちょっとした相談事を受けていたころが懐かしい.
困った時代になったものだと思う.
 

2012年5月15日火曜日

最近買った本

某所で,ワニのことが話題になったのがきっかけで,この本を買ってしまいました.

    


なかなかいい本です.
A4版で大きいのが玉に瑕ですが,図版が大きいので,まあいいか(^^;

それにしても,大学の博物館で出すのだから,マチカネワニの綿密な記載論文のほうがいいのに.
海外の大学博物館なら,まずそれが先でしょうけど,日本の大学博物館だと,これが限界か….

2012年5月2日水曜日

冬すぎて…

ステーション
 なぜか集まる
  犬の糞

宮武軟骨


歩道の雪がすべて溶けて,路面が乾燥してきたので,いつも使用しているゴミ=ステーションの周囲を掃除しました.
半年間,雪の下に埋もれていた犬の糞がアスファルトにこびり付いています.しかも,ほぼ足の踏み場もなく.

犬の飼い主というのは,町内会で設置したゴミ=ステーションを糞の捨て場だと思っているのでしょうかね.
別に,犬の飼い主が持ち歩いているビニール袋に入って棄ててあるわけではなく,ほぼ平らになってアスファルトにこびり付いて堆積してますから,わざわざ,ステーションの周りで,袋から出して棄てているのですね.

確信犯です.

犬の飼い主,すべてがモラルのない人というわけではないでしょうけど,自主的に自分の住んでいる街をきれいにしたい,気持ちよく住みたいと思っている人たちにとっては,どうしてもイヌに引きずられている情けない飼い主(ほぼ,犬に見下されている人たちですが(--;)をみると,冷たい視線を向けずにはいられなくなっています(「こいつかな?」という目で見てしまう).

まあ,モラルが無いというよりは,社会生活が理解できてないのでしょうけどね.

せっかくの,春の気持ちよい風も,捨てられたゴミや犬の糞が舞う悲しい季節になりはててますから.

住民そろって「街おこし」なんてことをやっている地域が,本当に存在するなんて信じられない気分です.
それとも,それはそれ,これはこれ,なんでしょうかね.

だんだん,社会生活不適応者になってゆく,自分が見えます((^^;).
頑固親父なんて,時代遅れもいいとこですもんねえ….
 

2012年4月5日木曜日

石油が!

ガソリン価格を始めとする石油製品価格が,冗談ではないぐらい高沸している.
このところ,「政府はなんのためにあるのだろうか」と思うことが多いのだが,今回もそうだ.

無策.

このままでは,産業も生活も破壊されてしまうのではないだろかと思うのに,あの竜兵もどきは,なにが起きても「消費税」なんだそうだ.

このところ,こういう政治家が多いとおもう.
最初は,小泉純一郎か.この人は「おはようございます」と挨拶されても,「郵政民有化!」と叫んだそうだが,竜平もどきも,なにが起きても「消費税増税!」と叫んでいるみたいだ.

被災地の復興が進まないのは,政治のせいだと思うが,いつの間にか瓦礫を受け入れない地方自治体のエゴだということになっている.批判をかわそうとしているのか.
瓦礫を片付ければ,復興がなるのだろうか.
壊れた原発をそのままにして,原発再開を既成事実化していこうという姿勢も見える.

何がしたいのかサッパリわからないが,説明しようともしない.
たぶん,やったことの責任もとろうとしないだろう.

昔,国を無責任に戦争に突入させ,無責任だから,戦争をやめることもできなかった連中にそっくりだ.国の中心に巣くう連中の特質なのだろうか.頭ではなく,空気でものを考えているのだろう.

いずれ,この人たちは政治の世界から消えてゆくのだろうけど,背後からひたひたと押し寄せてくる連中もいる.またぞろ,ご真影と日の丸,君が代の影に隠れて,無責任を押し通そうとする連中が….
 

デフレーションの正体

我が国政府は,物価は下がっているとおっしゃる.
それを根拠に,困ったことが起きているのも事実だと思う.

だけど,本当に物価は下がっているのだろうか.

たとえば,10年前に買った衣類は,まだ十分に着られるし,これからも着られると思う.
だけど,去年買った衣類は,一シーズンすぎれば,「これはちょっと…」と思うぐらいよれよれになっている.
ま,メーカーとしては,毎年毎年購入してくれるほうが有難いだろうけど.

コストパフォーマンスの良さ悪さは明確だと思う.
でも,見かけ上は物価は下がっているように見えるのだ.

家電などは,一流メーカーの製品でさえ「タイマー付き」と揶揄されるほど,壊れやすくなっている.
ただ壊れやすくなっているのではなく,「タイマー付き」なのだ.補償期間が過ぎると,面白いように壊れる.

一応,販売終了後,10年間は部品確保が義務づけられていると聞く.
でも,これは正確には「部品」ではない.「アセンブリー」というヤツで,回路のパック,部品のパックなのだ.
昔は,たとえば,コンデンサー一個を交換すれば,また数年は使えるという故障&修理が普通だった.
でも,現在は,故障修理はマニュアル化されていて,「こういう故障はこういう対応」と決まっているのだ.結果,アセンブリーをごっそり交換することになる.

これがまた,うまい具合な価格設定になっていて,一万円をわずかに切るとか,二万円をわずかに切るという風になっている.結局,コンデンサー一個を交換すれば済む故障に,一万円+出張料+技術料+&….
結果,ものによっては,新品を買ったほうが安いということになる.
実にうまい設定である.

百均がスタートしたころは,「こんなものが100円で!」と思うような商品が山積みだった.
現在では,「百均は百均」.百均でもいいものしか買わないという判断が必要だ.
たぶん,コストが上がっているのだと思う.おなじような商品でも,確実に品質が下がっている.
ということは,物価はやはり上がっているのだ.

高校の「政治経済」でならった,デフレは「ウソ」だった.
品質の悪いものは売れないのが当たり前だが,品質は二極化していて,貧乏人は品質の悪い,したがって「持ち」も悪いものを選択せざるを得なくなっている.
これが,下がっているといわれる物価の正体….

高給取りの国会議員には理解できないはずだ.
 

2012年4月1日日曜日

最近購入した本

山賀進氏の本を二冊購入しました.
いまだに,このような本を出版してくれる会社があるのかと,ある意味感動しました.
中身はまあ,一般向け「地球の本」というところで,新知見はほとんどありません.
しかし,教育者らしく情報のバランスがとれているので,持ち合わせている知識の整理,再検討にはうってつけかと.

      

さっと速読して,若干違和感がありました.
いえ,中身に間違いがあるとかそういうことではありません.

一つは,地質屋として勉強してきた私には,具体的な物証のない「理論」は,「こうである」といいきるべきではないと思っているので,この本に書かれていることの大部分は,面白いけど興味を持てない(物証のない)世界であることです.
地質学は,博物学の直接の末裔であるので,手に取ることのできる標本が示すことではない「論」にはついていけない面があります.

たとえば,スーパーコンピューターを使って,三葉虫の進化をシミュレーションしたら面白い結果が出るでしょう.でもそれは,シミュレーションにすぎないので,シミュレーション結果にあわない三葉虫の新種が発見されたりしたら,その時点で「まるで意味の無い空論」になってしまいます.
地質学的な発見は,アマチュアの高校生が発見したものでも,事実は事実です.理論より強い証拠なのです.

マグニチュード8より上の地震は理論的には起きないといわれていたのに,実際に起きたら,ありとあらゆるものの評価が変わってしまったのも,事実と理論は違うという証拠です.
1000年に一度の巨大津波は,1000年に一度は「起きる」ものなのに,「ためにする議論だ」といってまるで,非科学的なものののように扱われてきました.
でも起きちゃった.
科学者は,たいして反省することもなく,また新しい研究費の獲得に向けて,運動を開始したようです.
あ,そういえば,プレートテクトニクスを研究すれば,地震予知が可能になるし,そうすれば災害はなくなるって,いってませんでしたっけ?


最近の歴代地質学会会長は,どの人も,プレートテクトニクスは「理論ではなく,観測された事実だ」とおっしゃいます.口が滑ってるのかもしれないですけれど.
そういう人は,地質学会会長ではなく,地球科学会の会長に立候補したら? と,思います.どうでもいいですけれど.
本人たちも,地質学者は名のらずに,地球科学者を名のってますから,ますますそうあるべきでしょうね.
手にサンプルを持った地質屋は,手に石器を持った原始人みたいな連中のことですから….


山賀さんは,「かつては地球を研究する学問は,地質学,岩石・鉱物学,古生物学,…(中略)…などと細分されていました」といい,「これらが,いまでは地球科学,さらには惑星までも視野に入れた地球惑星科学となってきました」と断言しています.
そして,「こうした視野で自然を見ることも大切だということが少しでも伝われば幸いです」とおっしゃられています.

たしかにそういう視点は大切です.そう思います.
でも,山賀さんがあげた「細分化された学問」は,相互に矛盾することもある学問であり,互いに独立した学問でもあります.おのおのが「不足した体系」ではなく,その中で「完結した体系」だったのです.
矛盾したものをすりあわせてなにができるのか.
そう,矛盾したものは,すりあわせられて,削り取られてなくなってゆくのです.
いちばん悲しい目にあっているのは,「古生物学」カナ?
山賀さんの二冊の本の中にでも,古生物学の成果は,ほとんどないに等しい記述です(地質学も怪しい).
古生物学の成果は,古生物学の本で書くしかない.それはもう,日本では不可能に近い.


もう一つ,違和感を感じたのが,「地球について,まだわかっていないこと」の「まえがき」です.

「起きない」といわれていた,「マグニチュード9」の地震,地震では壊れないといわれていた「炉心」,起きないといわれていた「原発事故」….ありえない「津波」(実際には,過去に起きていたことが,すでに論文にもなっていた),これらに言及し,「まだ(我々には)わかっていないこと」のほうが多いのだと明言していること.もちろん,この本自体が「まだわかっていないこと」をテーマしにした本,そのものなんですけどね.

わたしは,地球科学というのは「なんでもわかっている/わかる」という「傲慢」という枠組みだと思っていたので,山賀さんのような方がおられることで,私自身の視野の狭さを思い知らされました.
地球科学的枠組みでも,人類は無知であるという自覚が可能なんだ.

地球科学者は「地質学は錬金術にも等しい存在で,地球科学こそ真の科学である」といってたモンですからねえ.

反省を込めて,二度目の精読に入ろうっと….

PS.:地球の本なのに,生命の痕跡がほとんどないのが悲しい.隠生累代に戻ってしまったのかしら.それとも,「地球科学的枠組み」というヤツに問題があるのだろうか.

2012年3月21日水曜日

名医の時間

相変わらず,健康番組が盛んです.

最近よく聞く言葉が「名医」.
マスコミ的には「ほら,こんなに『名医』がたくさんいるよ」といいたいのでしょうけど,冷静に考えると,これは困ったことなのです.
だって,「名医じゃない医者」がたくさんいることの裏返しなのですから.

また,「名医」が存在するということは,現代“医学”は,「医学」ではなく「医術」の面が多いことの「証明」でもあります.
「科学」は,教える側と教えられる側に一定のレベルがあれば,「伝授できる体系」のことを指しています.
「科学」は,ある「体系だった知識」の一群を意味していますから.

ところが,「名医」がいて,彼のノウハウを他者に伝えることが困難なのであれば,それは「科学」ではなく「技術」であることを示しています.
名医の弟子となって,特に並外れた才能を持つ人だけが,師匠の「ワザ」を受け継ぐことができる.これが「技術」の特徴です.言葉や知識の体系とはならない「秘伝」なのです.

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科学論の世界では,日本人には「科学」と「技術」および「科学技術」の違いがわからないと,よくいわれます.普段は,それでもいいのですが,ときどき確認しておかないと,世の中の動きがわからなくなることがあります.
科学技術庁(現・文部科学省)に,科学が理解できていないことなどね.
 

2012年3月16日金曜日

地質学と歴史との境界領域

面白い論文を見つけました.

それは,新関敦生さんの「地質学と歴史との境界領域」というものです.

(其の一)は「地質学からみた戦国時代のいくつかの古戦場について」という副題があり,其の二には「地下資源開発からみた戦国時代の一断面」という副題がついています.

其の三,其の四もあるらしいのですが,こちらは掲載雑誌が変わり,ネット上からはみることができません.しかし,いずれも地質学から見直した戦国時代論のようです.
読んでみたいものですが,入手はちょっと困難かと(一,二はネット上で入手できます).


また,地質学史探索を始めようかという気にさせました.
戦国時代どころか,はるか古代から人類は地下資源を使用してきたのに,これまでろくな解析がないのはなぜでしょうね.
以前,砂鉄のことについて,少し調べてみたのですが,惨憺たる結果でした.
それで,少し遠ざかっていたのですが,休憩期間中に,けっこう文献もそろってきたし,また,散歩してみるかな~~~.

あ,似たような研究に,盛本昌広(2008)「軍需物資から見た戦国合戦」というのがあります.
   

こちらも,これまでの戦国時代観と異なり,「資源」という方向から見直したものですが,わたしら地質屋からみたら物足りないものでした.
だって「軍資金」=「金銀」や,「武器」=「刀・鎧」=「鉄資源」ということには,まるでふれられていないのですからねえ.どこから,どういうふうに掘ったのか,どういう技術だったのか.


そういえば,世界遺産になった石見銀山だって,地質学的な総括はほとんどされていないという気がします.
まだまだ,やれることはたくさんありそう….

風物詩

風物詩
 むかしは馬糞で
  いま,犬糞

宮武軟骨


ちょっと前までは「車粉」だったですけどね~~~.

質問:車粉は規制されたけど,犬糞は規制されないのはなぜでしょう.
答は,スタッドレス化は大もうけできる業界があるけど,犬の糞を規制しても儲かる業界がないからです.
そんな気にさせる.底の浅い政府.恥ずかしい政治家.

次の風物詩は,「放射能混じりの瓦礫」かな.
政府が,なにかを強引に推し進めるときには,いつも,裏になにかあったものね~~.

補助金付けの地方自治体に,住民を守る強固な意志なんてあり得ないよね~~~.

こういうときのマスコミは,ニコニコ笑いながら「被災地のために」という“民間人”のコメントを流すけど,反対している人のコメントを流すなんてことは,無いものね.
消費税導入の時もそうでしたね.
原子力発電所が,どんどん増えていったときも….

マンションに使われた砂利のように,動かせなくなった状態で,危険なレベルの放射性物質が廃棄場から見つかったなんてことがなければいいですけどね.

「絶対無い」ということであれば,「水俣病」や「薬害エイズ」なんて言葉は,存在しなかったはずですしね.
これらの言葉は,いまは,個人の病気そのものをさす言葉ではなく,企業-政府(お役人)-学者の「ムラ」をさす言葉に意味が変わってますからね~~.
 

2012年3月13日火曜日

春近し

春近し
 煙草の吸いがら
  犬の糞

宮武軟骨


三月に入ると,天気のいい日はさすがに日差しが強くなります.
と,いっても,まだ,真冬日のほうが多いんですけどね.

日中の日差しに,日当たりの良い場所は雪解けが進みます.
きれいな白い雪が,だんだん薄ぼけてきて,やがては泥と変わらない色に.
そして,その下には,春の風物詩,たばこの吸いがら,犬の糞です.

さっさと片付けてしまいたいのですが,朝は凍っていて取り除けないし,日中は泥水の中なので,やはり掃除できません.
もう少し雪解けが進むまで…,いまは一番悲しい季節です….

2012年3月8日木曜日

アイドルの名前

もう,相当前からですが,TVにでてくる若い女性の名前がわかりません((^^;).
別に,それはそれでかまわないのです.
だいたいが二十代の半ばぐらいには,若い女性のしゃべる言葉が「キャピ,キャピ」としか聞こえなかったですから((^^;).

でも,娘たちとの会話する中で,まったくわからないのも,ちょっと困ったものなのです.
で,ようやく憶えかけた,うろ覚えのアイドルの名を確認しようと,ネットで検索すると,うろ覚えであればあるほど,「アイドル」ではなく「AVアイドル」にぶち当たります((^^;).
これはなにか裏があるらしく,いわゆる「AVアイドル」の名前は売れっ子である「アイドル」の名前に似せてつくってあるのと,普通に検索をかけた場合,そちらが出てくるように仕掛けがしてあるらしい.というか,そちらの方がたくさんでてくる.

別に,そういうのが出てきて驚くほどウブではありませんので,かまわないのですが,もうかなり昔の爺さまとの会話を思いだしました.
たまたま,うちの親父と二人でいたときに,TVに,ある若い女優が笑顔で出てました.

親父「こんなポルノ女優をTVに出して!」と不快そう.
私 「この人そんな人じゃあないよ.誰かと間違ってるんじゃあない?」
親父「そうかあ⤴」と納得できない様子.

まあ,当時ですら,若い女性がヌード・セミヌードの写真集をだすのはよくあることでしたから,親父がそう思ったのも無理はないかと思います(ただ,それと,そのときTVにでていた女優と一致していたかどうかは,定かではありません.そういうのって,ほとんど興味ないですから).


若いころから男性週刊誌などを読む習慣がなかったので,どういうふうに変わってきたのかは知りません.ただ,むかし,喫茶店でモーニングサービスをなどを楽しむときに,手近にあった雑誌をたまに見ることはありました.
ほとんどの話題について行けないので,ざっと眺めるだけでしたけどね.
最近,病院通いがあるので,待合室においてある雑誌に手を伸ばすと,とても待合室で(つまり,公衆の面前で)見られるようなものではない写真がたくさん載っています.驚いて,マガジンラックに戻します.
まあ,一人だったら,そのまま,見てるかもしれないですけどね((^^;).

いつの間に,こんなになってしまったのだろうと思います.
それこそ,むかし喫茶店で見た週刊誌から比べたら,私の頭では「ポルノ」としか判断できません.でも,現代では,これが普通なのかもしれませんね.
勘違いしてほしくないのは,他人の趣味について,とやかく言おうとしているわけでは,ないことです.


もしかしたら,親父が「ポルノだと思った,その,なにものかにでていた女性」とその時「TVにでていた女優」とはおなじ人だったかもしれない,ということです.

時代が変わり,価値観が変わります.
だんだん,ついて行けない人たち(私も含めて)が増えてくるわけです.
 

2012年3月2日金曜日

限界

何日か前のことだが,道新の「読者の声」欄に,ある民生委員からの投稿があった.
確か「民生委員はボランティアだから,結果について責めないでください」ということだったと思う.

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もう何年前になるか,私が町内会の総務部長をしていたとき,町内会費を集めていたある班の班長が「○○さんの言動がおかしいので心配だ」という.
「○○さん」というのは独り暮らしのおばあさんである.

「お金がない」
「泥棒が(しょっちゅう)入る」
「ものがなくなる」
その他,よく意味がわからないことを口走る.

私は,その足で,近所の民生委員のお宅にお邪魔し,その状況を説明した.
その民生委員は,すぐにいって調べてみるということだったので,ひとまず安心して,その場は終わった.

数日後,近所についでがあったので,その民生委員のところに行って状況を聞いてみようと思った.
町内会として,できることはないかと思ったからである.

ところが,民生委員の態度が一変していた.
「プライバシーのことは一切話せない」の一点張りである.
おまけに,“あなたは町内会費がほしいのかもしれないけど,民生委員には関係がない”というようなことまでいう.
私は,会費のことをいっているのではなく,同じ町内会に住むものとして心配だから,「どうだったのか」,「どう判断したのか」,「これからどうなるのか」が知りたいだけだし,「町内会に住むものとしてなにかできることはないか」が知りたいだけだといったが取り合わない.

まったく話にならないので「『町内会でできることは一切ないので,関わらないでくれ』という意味と解釈していいのか」といったら,目を丸くしていた.
たぶん,こんな失礼なヤツにはあったことがないのだろう.

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後日,町内会長にそのことを報告したら,「そうなのよ.あの人たちは,プライバシーを楯になにも話してくれないし,どうなったかも教えてくれないのよね.」「なにもしてないのかもしれないし…」ということだった.
世間知らずのわたしは知らなかったが,民生委員というのはそういうものというのが世間の評価らしい.

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なにがまずいのか.
答は簡単である.
民生委員がボランティアであることが,マズイのだ.

コミュニティ内の構成員が,なにかマズイ立場にいるようなとき,これからマズイことがおきそうなとき,市民が一番最初に思いつくのは「民生委員」だ.
その民生委員が,ただのボランティアで,どんな資格や能力があるのかもわからない人たちなのだ.
起きるかもしれない事件が,民生委員の性格や能力がボトルネックとなって,見過ごされてゆく.

行政の中にプロがいれば,簡単に,未然に防ぐことができる事件が放置されている.その行政側の楯になっているのが「ボランティアの民生委員である」といえるかもしれない.

米国の映画やドラマには,「ソーシャルワーカー」なる職業の人がでてくることがある.
彼,彼女らは資格と,ある程度の権力を持って,困っている人を助ける仕事をしているらしい.
日本にはそんな制度や資格者がいるのかどうか知らないし,見たこともないが,ボランティアの民生委員などなくして,ちゃんと仕事をすることが求められるプロをおくことが先決だと思う.
そうすれば,電気もガスも止められたまま餓死するなんてことが,起きるはずがない.


あれから,数年が過ぎた.
「○○さん」は,もう,この街にはいない.
どうなったのか気にはなるが,(行政から「ボランティア」という称号すらもらっていない)ただの市民には何ほどのできることもない.
プライバシーを楯に(誰のプライバシーだか…(--;),なにかできるはずのことが,することを許されない.
 

2012年2月27日月曜日

貧乏再生産の法則

公共施設などの屋根に溜まった雪が,施設そのものを押しつぶす事故になって,新聞紙上を賑わせている.

われわれの学生時代,あまり裕福な仲間はいなかった.
普通は,学生の引っ越しといえば,リヤカー一台あれば,充分間に合った.そんな時代だった.
現代のように,あまりに家財道具が多いので,一度入居したら卒業までは引っ越すことがないのが普通というのが信じられない.

そんな時代に造った言葉が一つ.
「貧乏再生産の法則」

お金がないからといって必要なお金を使わずに,適当に間に合わせていると,後でもっと余計な出費を余儀なくされることをいう.

このことを自虐的に,かつ得意げに友人に話したら,それは「貧乏拡大再生産の法則だ」という.
貧乏は貧乏を産むのではなく,もっと非道い貧乏を産むというわけだ.

壊れた施設の管理者のいい分を聞いていて,このことを思いだした.
曰く「予算がないので」.
曰く「現在は使用していないので」
曰く「危険を察知したので,近日中に雪下ろしをする予定だった」

管理者の都合なんか関係なく,雪は降り積もり,放置された施設は押しつぶされてゆく.
余計な出費を余儀なくされる.

まさに,貧乏拡大再生産の法則だ.

我が町にも雪は降り続く.
住宅街の車道は両側で一車線に.
歩道は既にない.
歩行者は危険な車道を歩くか,元の路面より50cm以上は積み上げられた雪の上を歩くしかない.

悪質な業者が,歩道に雪を積み上げ,橋の上から雪を投棄する.
庶民は,住宅の隙間に,雪を積み上げてゆくしかない.

いずれ,大きな出費(もしくは,それに近いもの)を余儀なくされるだろう.
  

2012年2月24日金曜日

あぶないよ

今朝(5/17),日課の除雪中のこと.

登校中の児童が,ふざけて二三人道路へ飛び出した.
どうするべきか迷ったが,ほぼ反射的に「道路で遊んじゃあぶないよ」といってしまった.
その児童は,こちらをふり返ったが,相変わらずふざけながら遠ざかってゆく.

やっぱ,いうんじゃあなかったなあと思ったとき,T字路を斜めに横断しようとしたかれらは相変わらずふざけて絡み合っていたが,通行中の車を二台止めてしまった.
もちろん,車が止まらなければ,かれらは轢かれていたはずである.

思わず,大きな声で「道路で遊ぶんじゃないといっただろ!」と怒鳴ってしまった.
登校中のほかの児童はみんなこちらを見ていた.

大事には至らなかったので,思わず大きな声を上げたこちらが恥ずかしくなった.そして,なにもなかったかのように,時間の流れが元に戻った.

もう,今度はちゃんと歩くだろうな,と思って眺めていると,こちらの声が届かないくらい少し離れたところで,またふざけて,歩道で転がっている児童がいる.
そして,そのたびに横を通過する車が急ブレーキをかけている.


子どもたちの登校のピークが過ぎたので,我が家の除雪に戻ったが,どうしても気になるので,家に戻り小学校へ電話した.

だが,結果は残念なことだったようだ.

教頭「どうも不愉快な目にあわせまして」
私「不愉快なんじゃなくて,目の前で事故は見たくないから,指導をお願いしますといってるんですが…」

実は,昨年末頃にも,同じT字路で児童の飛び出しがあり,横からきた車が急ブレーキをかける事態を目撃している.その時にも,教頭に電話して,事態を伝え,指導をお願いしている.
しかし,登校時の児童の態度はどんどん悪化してきているように思える.

+++


と,書いておいたのが,一週間前.
本日もまた,ふざけて道路に飛び出す子らが….
なんの指導もなされていないか,通り一遍で「跳びだしちゃダメですよ~~」,「は~~ぃ」で終わっているのだろう.
排雪にこないので,交差点はますます見えにくくなってきている.
市内ではいくつかの建物が雪に押しつぶされたという.

私としては,もう,心配するのはやめた.
なにがおきようが,見て見ぬふりをすることとしよう.

+++


と書いたのが今朝.
先ほど,用事があって,学校の周りを歩いていたら,歩道がない!.
あっても,高さ50cm+の雪山の上を通っている!.車道もほぼ両側で一車線.

これでは「歩道をちゃんと歩きなさい」なんて指導しても,意味ないわな….というか,理解できない子どもがでるわな….
学校の周りぐらい除雪しろよ.革新市長さんよ.確信犯なのか?
民主党関係者は,ダメだな.
 

2012年2月23日木曜日

最近のベストバイ

ICレコーダーとアクティブスピーカーを買いました.

一応,“ピュアオーディオ”(?)に該当するコンポももっているのですが,あまりにも古いので(音はいい),操作性がいまいち.に.さん.し.
そのため,たくさんためた(たまった)ジャズのCDを聞こうと思っても,ついつい,聞き慣れたのを選んでしまうことになります.

それで,一計を案じ…((^^;),「ICレコーダー」と「アクティブスピーカー」をセットで買うことにしました.
ICレコーダーには,16GBのmicroSDHCをいれ,Macに貯め込んだCDを,ほぼ全曲移動しました.
こうすると,ジャンル別・アーティスト別・アルバム別にならんでいるので,CD一枚分を聞き飽きたら,次のCDへというやり方で,いままで眠っていたCDが聞きやすくなります.

昔聞いた思わぬ曲がかかって,思わず懐かしんだり,昔聞いた番組のテーマ曲がながれて「ああ,これだったのか」と,世界が広がってゆきます.

そう感じたときに,CDを引っ張り出してきて,古オーディオで聞き直したりすると,また,いちだんとステキな世界が広がります.

一応,下記にそのシステム(というほど,大げさなものではないですね(^^;)をあげておきます.

ICレコーダー:SONY ステレオICレコーダー ICD-SX813/B

   

これは,もともと,うちの近所で,電柱のてっぺんの金属部をたたくアカゲラさんの啄音を採りたくて購入しようと考えてたものです.
いわゆる,ポータブルオーディオにしなかったわけは,上記の理由が一つと,Amazonでカスタマーレビューを見ていたら,ICレコーダーを二つ買って,自分のレコーダで妻の好きな音楽を録音し,病院で寝たきりの妻のICレコーダーにそのmicroSDHCを入れるという話があって,ものすごく感動したからです.

Macを使ってる都合上,そのICレコーダーそのものは,選択の範囲には入らなかったですが….

アクティブスピーカー:SONY アクティブスピーカーシステム SRS-TD60(B)

   

スピーカーは,どれにしようかとかなり悩みました.
それこそピンからキリまであるし,もちろん,高いからいいとは限らない.
いい音にこだわると,どんどん大きなものになってゆきますしね.
昔あったような大型ラジカセに,ICレコーダーを繋ごうかとも考えたのですが,第一に,その大型ラジカセそのものが存在しなくなってました.

いろいろ悩んだあげく,選択を失敗してもいいぐらいの値段のアクティブスピーカーを見つけました.
それが上記.
買って,直後に聞いたときは.「あ,失敗した」と思いました.
音が悪いし,あまり大きな音にならない.目一杯あげても「こんなモンかい」というぐらい.もちろん,大きな音を出したいわけではないのですが,レコーダーもスピーカーもフルパワーでというのはどうもね….
それが,しばらく鳴らし続けたら,音の悪さが気にならないぐらいよくなったし,最初のころより大きい音が出るようになりました.
エージングなんて,眉唾だと思ってたんですが,どうやらあるようです.

てなわけで,今日も,いろんなCD(CDからメモリカードにうつしたものですが)を聴きながら,文章を書いています.
昼寝もしやすくなった…(いい音楽は,心地よい眠りを誘う)(^^;

2012年2月14日火曜日

陰陽道のお勉強

ここしばらく,陰陽道に関する本をまとめて読んでました.

しばらく放り出している間に,わかりやすい「陰陽道」および「安倍晴明」関連の本がたくさん出ていました.
例の「晴明ブーム」のおかげで,大量のオカルト本が出版されたわけですが,これらがあまりにもひどいので,まじめな研究者の側から,この流れを修正すべく出版が相次いだようです.

もっとも,まじめな研究者の側も,かなり「ブーム」にのった様子が認められますが…((^^;).

最初に読むべきは,やはり,前に紹介した田中貴子「安倍晴明の一千年=「晴明現象」を読む=」でしょう.取っつきやすいので,あっという間に読めるかと.
ただし,これでは,もちろん,「陰陽道」そのものに関しては,あまりよくわかりません.しかし,「晴明ブーム」で定着した「安倍晴明」の姿は虚像であることはよくわかります.

    

次に,読むべきは鈴木一馨「陰陽道=呪術と鬼神の世界=」でしょうか.

    

ただし,わたしはこれを読んでいて腹を立ててました((^^;).
ちょっと難しいことは軽く流してあるし,簡単なことは回りくどく説明してあるので,イライラします.ひょっとして職業は坊主なのかなと,思わせました.それなら,「肝心なことは曖昧に,簡単なことは回りくどく」という文章も理解できます(いいすぎかな(^^;).
しかし,この本が「陰陽道」について,オカルトを離れて客観的に記述した,ほぼ最初の一般向きの本であるというのは評価すべきことで,文章の癖はガマンして読むしかないですね.
それにしても,もっと文章を推敲してほしいし,推敲する余地がたくさんあると思います.
そんな本です.

上記二冊は講談社選書メチエから.
学研のエソテリカ・シリーズとはひと味違う((^^;).

さて,概略がつかめて,陰陽道および安倍晴明が理解でき始めたら,斎藤英喜にチャレンジすべきです.
「安倍晴明ー陰陽の達者なりー」および「陰陽道の神々」を,よめば,かなりの「通」になれます.残念ながら,わたしの頭脳はin-outの効率がすごく悪くなっているので,もう「通」にはなれないみたいです.

      


いま,村山修一「日本陰陽道史話」を読みなおしていますけれど,読み終わったら,もう一度,上記の本を読み直し,それから藪内清やニーダムの本に戻ってみようと考えています.
結局,古代中国地質学史の勉強に戻ることになるな.

    

      

2012年2月11日土曜日

動物名考(14) ウサギ

ウサギ


ウサギはもともと「ウ」だったのだそうです.古事記の“因幡の白兎”には「裸菟伏也(はだかなる「う」ふせり)」とあるので,古代には「う」と呼ばれていたのだろうと推測されています(中村浩「動物名の由来」).しかし,その「う」がなにを意味していたのかは,すでに失われてしまってわからないそうです.
ところで,「因幡の白兎」は,なんで「白兎」なんでしょうね.私たちは,「カイウサギ」を普通に見ていますから「白兎」を普通に思っていますけど,野生のウサギは褐色であり(降雪地域では冬期間,冬毛=白になるものもある),古代に白兎が普通にいたとは思えないのです.つまり,「白」であることは,なんかの意味がある.

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旭山動物園で展示されているウサギ類で,農協キャラに使われているウサギには「エゾユキウサギ」と「カイウサギ」がいます.
ちょっと,話が錯綜するので,先にウサギ科以上の上位分類から.

ordo: LAGOMORPHA Brandt, 1855[兎型類]
 familia: LEPORIDAE Fischer, 1817[ウサギ科]

と,まあ,実に簡単.DNA分析が進めば,亜科とか族とかに細分され,関係がもっとはっきりするのでしょうけど,現在のところは,ウサギ科という大家族におさまっています.

さて,LAGOMORPHAはlago-morphaという構造です.
lago-は,ギリシャ語の[ὁ λαγός]=《男》「ウサギ」が,ラテン語の《合成前綴》化したもの.
-morphaは,(なんどもでてきますが)ギリシャ語の「モルプェー[ἡ μορφή]」=《女》「形」が,ラテン語の《合成後綴》したものです.この場合は「~様のものども《中複》」という意味です.
合わせて,「ウサギ様のものども」=「兎形類」です.

一方,LEPORIDAEはlepor-idaeという構造で,lepor-は,ラテン語のlepus, leporis =「ウサギ」が,《合成前綴》化したものです.つまりは「ウサギ科」.
lepusはギリシャ語の語源をもつようなのですが,辞典の記述が曖昧なので,不詳.


ついでに書いておくと,日本に住んでいるLAGOMORPHAの科は,ほかにfamilia: OCHOTONIDAE Thomas, 1897があります(います?).
これに属しているのは,ご存じ「ナキウサギ」.ただ,ナキウサギは飼育が不可能なので,動物園キャラにはなりっこないですね.

ordo: LAGOMORPHA Brandt, 1855[兎型類]
 familia: OCHOTONIDAE Thomas, 1897[ナキウサギ科]
  genus: Ochotona Link, 1795 [type: Ochotona minor Link, 1795 (= Lepus dauuricus Pallas, 1776)]
   Ochotona hyperborea (Pallas, 1811) [キタナキウサギ; Northern Pika]
    Ochotona hyperborea yesoensis Kishida, 1930 [エゾナキウサギ; Yezo Pika]

亜種yesoensisは認めないのが普通ですが,一応示しておきます.
なお,yesoensisyezoensisの誤記.北海道の古名=「蝦夷」はezo, yezo, emisi, ebisuなどの変異はありますが,yesoというのはありません.

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ユキウサギ


Lepus timidus Linnaeus, 1758


[Mountain hare]


エゾユキウサギ


Lepus timidus ainu Barrett-Hamilton, 1900


[Yezo hare]



まずは「エゾユキウサギ」について.ちょっと,微妙ですが.
エゾユキウサギの学名はLepus timidus ainu Barrett-Hamilton, 1900とされているのが一般的です.だだし,これは亜種を認める立場.
亜種に意味があるかないかは,いつも議論になります.まあ,ほとんど「ない」のでしょうけど.そうすると,分類学的には「エゾユキウサギ」という言葉は無意味になります.大陸のユキウサギと同一種ですから.
ちなみに,和俗語では「ユキウサギ」ですが,英俗名は「ヤマウサギ[Mountain hare]」で,こちらのほうが言葉としては正確.なぜなら,草原から森林まで広い環境に住みますけど,どちらかというと山地を好むからです.
一方,ブラキストンラインをはさんで南側の日本には,下記のニホンノウサギ(「日本の兎」ではなく「日本野兎」)が住んでいます.困ったことに「野兎」なのに,こちらも草原よりは「山地」を好む((^^;).ま,もっとも,北海道ならともかく,本州には,そう,草原なんかないでしょうけどね.

種名のtimidusは,ラテン語の形容詞「臆病な」です.したがって,ヤマウサギは「臆病なウサギ」.でも,かれらは臆病というよりは「慎重」なんだともいます.野兎を飼ったことがありますけど,カイウサギより懐いて大胆でしたよ.

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ニホンノウサギ


Lepus brachyurus Temminck, 1844


[Japanese hare]


こちらは,北海道にはいない本州以南のウサギ.二種は典型的なブラキストン=ライン指示種ということですか.

種名brachyurusは,brachy-urusという構造です.
brachy-は,ギリシャ語の[βραχύς]=「短い」が,ラテン語の《合成前綴》化したもの.
-urusは,ギリシャ語の[ἡ οὐρᾱ]=《女》「尻尾」が,ラテン語の《合成後綴》化したもので,この場合は《形容詞》です.
合わせて,「短い尾の」という意味.しかし,「長い尾のウサギ」っているのだろうか…((^^;).

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アナウサギ


Oryctolagus cuniculus (Linnaeus, 1758)


[European rabbit]


カイウサギ


Oryctolagus cuniculus (Linnaeus, 1758)


Oryctolagus cuniculus f. domesticus (Gmelin, 1778)


Oryctolagus cuniculus ver. domesticus (Gmelin, 1778)


[Domestic rabbit]


こちらはいわゆる“移入種”.
原産地はヨーロッパおよびアフリカ北部のもの.野生種は「アナウサギ」ですが,飼育されて品種が増えたものを「カイウサギ」としています.
domesticusの前に,f.とかvar.が入っている場合があるかもしれません.この場合の f. は formaの略で「品種」のこと.var.はvarietasの略で「変種」を意味します.

属名Oryctolagusは, orycto-lagusという構造で,「掘られた穴の」+「~ウサギ」という意味です.つまり,和俗名「アナウサギ」は,この学名からきていることになります.

cuniculusは,ギリシャ語の[ὁ κύνικλος]=《男》「地下道,穴;ウサギ」をラテン語綴り化したもの.-culus, -ulusは《縮小詞》としてよく使われる語尾ですが,だからといってcuni- [κύνι-], cunic- [κύνικ-]に「なにか意味がある」と書かれていある辞書も無いので,別に「小さな(なにか)」を示しているのではないようです.
ただし,ギリシャ語の[κυνικός]は「イヌ様の」という意味ですので,これだとすれば,「小さなイヌ様の」の意味.ただし,通常のラテン語綴り化ではcynicosになってしまいます.したがって,cyniculusという綴りになるはず.

でも,「地下道,穴」と「ウサギ」が同じ意味だとは,なにか謂われがありそうです.もちろん,「穴を掘るもの」>「ウサギ」という関係は明らかですけどね.

亜種名domesticusは,domes-ticusという構造です.
domes-は,ラテン語の「ドムス[domus]」=「家,家庭」が《合成前綴》化したもの.
-ticusは,形容詞化語尾の一つですが,「所有,従属」関係を示すものとされています.
したがって,「家庭(のもの)の;国内の;その土地産の」という意味です.飼育種には,種名,亜種名に頻繁に使われる名前です.

前記したように,このウサギは家畜として輸入されたものですが,各地で野生化し,名前の通り穴を掘って生活するので,そのために起きる土壌流出が深刻化し,害獣扱いされています.
 

2012年2月8日水曜日

動物名考(13) カピバラ

カピバラ(Kapiyva),オニテンジクネズミ


Hydrochoerus hydrochaeris (Linnaeus, 1766)


(Capybara, Capibara)


カピバラは,英俗名の日本語表記です.
元は,南米先住民の言葉で[Kapiyva]=「草原の主」という意味らしい.それが,ポルトガル語では[Capivara]になり,スペイン語では[Capibara]と表記されるようになったようです.その後,英語化して[Capybara]になったわけですね(Wikipedia &ウィキペディア).
別の説では,やはり南米先住民の言葉で「カピグワラ[kapigwara]」=「草喰い」が,ポルトガル語表記の「カピバラ[capibara]」になり,さらにそれが英語化して「[Capybara]」になったといいます(新英和大辞典第6版).
さて,どちらを信じるべきでしょう(^^;.
印刷物である後者を優先すると,現地語の「カピグワラ[kapigwara]」(正確には,なんと発音するのかわからない)を採用すべきと思います.

別な和俗名で,「オニテンジクネズミ」というのがあります.
「テンジクネズミ」は,テンジクネズミ科に属する(下記)からでしょうけど,“オニ”はどうも….和俗名は,小さければ,“ヒメ”とか,“チビ”とか,大きければ,“オニ”とかつけることが多いのですが,センスが….疑っちまう….

さて,カピグワラの上位分類は以下のようです.

ordo: RODENTIA Bowdich, 1821[齧歯目]
 subordo: HYSTRICOMORPHA Brandt, 1855[豪猪形類(山嵐形類)]
  infraordo: HYSTRICOGNATHI Tullberg, 1899[豪猪顎類(山嵐顎類)]
  infraordo: CAVIOMORPHA Wood, 1955[天竺鼠形類]
   familia: CAVIIDAE Fischer de Waldheim, 1817[テンジクネズミ科]
    subfamilia: HYDROCHOERINAE J. E. Gray, 1825[カピバラ亜科]
     genus: Hydrochoerus Brisson, 1762 [Type: Sus hydrochaeris Linné, 1766]

familia: CAVIIDAEまでは,モルモットと同じなので省略.

亜科HYDROCHOERINAE は,hydrochoer-inaeという構造です.hydrochoer-は,属Hydrochoerusを語根化したもの.つまり「Hydrochoerusの亜科」ですね.

Hydrochoerusは,hydro-choerusという構造です.
hydro-は,ギリシャ語で[τό ὕδωρ]」=《中》「水」をラテン語の《合成前綴》化したもので「水の」という意味.
choerusは,ギリシャ語の[ὁ/ἡ χοίρος]=《男/女》「豚;子豚」をラテン語綴り化したもの.本来は,choirosですが,ラテン語転記の際,二重母音[-οι](-oi)は[-oe]になり,末尾が[-ος](-os)の場合,[-us]になるという「奇妙な」習慣があります.これは,ICZN:付録Bに「そうするように」という勧告がありますので,それに従うと,choirosはchoerusになるわけです(一方,ラテン語レキシコンにはchoerosという単語が明記されていますが,その変化を含めて解説は曖昧です).
合成すると,Hydrochoerusは「水のブタ」という意味.カピグワラが水好きである様子をよくあらわしていますね.

模式種はリンネが記載したSus hydrochaeris Linné, 1766なのですが,原記載の属名をみればわかるように,Susはラテン語で「ブタ」の意.カピバラは「ブタ」の仲間に見られてた!

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さて,genus: Hydrochoerus Brisson, 1762に属するとされる種を下記に,

genus: Hydrochoerus Brisson, 1762
 Hydrochoerus hydrochaeris (Linnaeus, 1758) [カピバラ、オニテンジクネズミ; capybara]: SA.
 Hydrochoerus isthmius Goldman, 1912 [lesser capybara]: CA.
 Hydrochoerus gaylordi MacPhee, Singer & Diamond, 2000(extinct) : Up. Plioc. SA.

hydrochaerisは,hydro-chaerisという構造です.
が,-chaerisという語はギリシャ語にもラテン語にも見あたりません.通常,hydro-が[τό ὕδωρ]=《中》「水」というギリシャ語ですから,-chaerisも,もとはギリシャ語のはずなのですが.
これは,実は,[ὁ/ἡ χοίρος]=《男/女》「豚;子豚」をラテン語綴り化するときの誤記もしくは誤植だろうといわれています.
[χοίρος]は上記したように,本来はchoirosになるはずですが,我々にはわからないルールによってchoerusと,ラテン語綴り化されます.ところが,リンネはしばしば-chaerisの綴りを使っているようなのです.

たとえば最近,帰化植物(外来種)として,あちこちに目立つ“タンポポモドキ”あるいは“ブタナ”という植物がありますが,この学名がHypochaeris radicata Linnaeus, 1753.
このHypochaerisの語根-chaerisは,しばしばその由来が話題になっています.
これも,誤記・誤植説が有力なのですが,複数あるということは誤記や誤植であるより,リンネがそう記述してある辞典を所持していた可能性のほうが高いのではないかと思いますが,どうでしょう.
なお,誤植だとしてHypochoerisと訂正してある論文・書籍もあるのだそうですが,そうすると,こんどは,どうしたら[χοίρος]をchoerisと綴ることができるのかということが説明できない.

手持ちの植物図鑑でブタナの学名を確認してみてください.
Hypochaeris radicata Linnaeus, 1753になっていたら,その図鑑は信用できないと判断していいでしょう.
ま,たぶん記載者名もしめされていないか「L.」となっていると思いますね.それは,学名の意味も知らず,いわゆるコピペでつくった「いい加減な図鑑」であるという証拠です.

話を戻します.
で,Hydrochoerus hydrochaerisは,強引に訳して,「水のブタ,水のブタ」.う~~ん.センスが….

種名isthmiusは,ギリシャ語の[ὁ Ἰσθμός]=《男》「首,細道;隘路,地峡」をラテン語綴り化したもので,どうやら,この種の模式地がパナマ地峡であることからきているらしいです.合わせて,「地峡の水ブタ」.凄い名前だなあ.

種名gaylordiは,不詳.
たぶん,古生物学者のGeorge Gaylord SimpsonのGaylordをとったものだと思いますが,原著に当たれないのでなんとも.
なお,この種は化石種です.
 

2012年2月7日火曜日

タニタの…

タニタの活動量計を使用しています.
購入してから,三ヶ月で3kg体重が減りました.

   


ただ活動量計をつけて,毎朝50g単位まで測れる体重計で体重を量っているだけです.とくに,ダイエットといえるようなことは,なにもしていません.

いえるのは,これをつけていると,自分がどれくらい動いているのかが把握できることです.
万歩計の機能がありますから,一万歩/日あるけば,たしかに使用すべきカロリーは消費することができます.しかし,一万歩あるくのは,けっこう大変なことです.体力よりも,時間が.
で,たくさん歩いたつもりでも,消費したカロリーは驚くほど少ないことにも気付きます.
一方,なにもしなくても,消費すべきカロリーは,けっこう消費されています.

結局,意識的に時間をとってウォーキングやジョギングをするよりも,日常の生活で,こまめに動いた方が,カロリーは消費されているみたいです.
これが理解できるので,つまるところ,この活動量計をつけていると,こまめに体を動かす習慣がつきますし,ご飯も少なめになるし,間食も余りしなくなるというわけです.
くわえて,微細な変動がわかる体重計で,自分の体重を把握しておくことが必要ですが.

結果,筋肉がついて,腹回りの脂肪が減りました.
と,いうよりも病気前の体形・体重に戻った.

血液検査の数値も,徐々に問題ない値を示すようになってきています.
気を抜けばきっとすぐに戻っちまうのでしょうけど.


皮肉なことに気がついてしまいました.
家を作るときなどに,家事の動線を考えて,調理台-冷蔵庫置き場-シンクの配置を考えるとか,いうように,システマチックにやると,無駄が省ける,無駄な動きがなくなるとか(>だから,いい.やるべきだと),いわれてきました.
でも,体のことを考えると,「無駄な動き」は「必要な動き」だったわけです.
いいシステムやリーズナブルなシステムより,無駄な動きを強制するシステムや不合理なシステムのほうが,実は人間という動物には,必要なものだったという不思議.

便利は不便.
不便は便利.
なにか,不思議な哲学.これって,陰陽思想?

動物名考(12) モルモット

モルモット


Cavia porcellus (Erxleben, 1777)


[Guinea pig, Cavy]


「モルモット」は困った言葉です.
モルモットは,実は日本語としかいいようがないのです.

“モルモット”が,日本に初めて輸入されたとき,まったく別の生きものである「マーモット[Marmot]」と勘違いされたうえで,訛って「モルモット」になったという説があります.したがって,この生きものは,英語でも「マーモット[Marmot]」とはいいません.
同様に,英俗名の「ギニアブタ[Guinea pig]」も,アフリカ経由の船でヨーロッパに持ち込まれたための誤解であり,“ギニア・ピッグ”はギニアには生息しません.
なんちぅ,不幸な動物だ((^^;).
和俗名は,別に「テンジクネズミ」ともいいます.こちらのほうが競合する名前,および混乱を誘発する名前がないのでいいのですが,困ったことに,「天竺」(=インド)に生息しているわけではないので,適切な名称とはいいがたい.
なんちぅ,不幸な動物だ((^^;).

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ちなみに,マーモット(アルプスマーモット)の分類は以下.

ordo: RODENTIA Brandt, 1855[齧歯類]
 subordo: SCIUROMORPHA[リス様類]
  familia: SCIURIDAE Fischer von Waldheim, 1817[リス科]
   subfamilia: XERINAE Osborn, 1910[ジリス亜科]
    tribus: MARMOTINI Pocock, 1923[マーモット族]
     genus: Marmota Blumenbach, 1779 [type: Mus marmota Linnaeus, 1758]
      Marmota marmota (Linnaeus, 1758)[アルプスマーモット; Alpine marmot]以下略

marmotは,もともと,ラテン語のmus montanus=「山のネズミ」だったのですが,ロマンシュ語の murmontを経由して,フランス語のmarmottになり,英語のmarmotになったといわれています.
それが,なぜ,属名すなわちラテン語化したときにMarmotaになったのかは不明.Musは《男性名詞》ですから,本来種名はmarmot-usだと思うんですが
蛇足しておけば,語尾-aは《女性形》.

どこかに間違いがあるのですかね….

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さて話を戻して,モルモットの上位分類は以下のようです.

ordo: RODENTIA Bowdich, 1821[齧歯目]
 subordo: HYSTRICOMORPHA Brandt, 1855[豪猪形類(山嵐形類)]
  infraordo: HYSTRICOGNATHI Tullberg, 1899[豪猪顎類(山嵐顎類)]
  infraordo: CAVIOMORPHA Wood, 1955[天竺鼠形類]
   familia: CAVIIDAE[テンジクネズミ科]
    subfamilia: CAVIINAE[テンジクネズミ亜科]
     genus: Cavia Pallas, 1766 [テンジクネズミ属]

目RODENTIAは,“ネズミ”目などとされている場合がありますが,RODENTIAという語のどこにも「ネズミ」の意味はありません.こういう混乱を起こすようなことは,やめてほしいと思うものです.
Bowdich (1821)の原著が入手不能ですので,どういう意味でつけたのか正確なところはわかりませんが,元は,ラテン語の「ロード[rodo]」=「齧る」と,《合成前綴》「デントゥ・[dent-]」=「歯の」を組み合わせたものに,《接尾辞》-ia=《中複》「~に属するものども」を合わせたものだと思います.したがって,昔から使われている「齧歯類」が正しい.

亜目HYSTRICOMORPHAはhystrico-morphaという構造です.
《合成前綴》hystrico-は,元はギリシャ語の[ὁ/ἡ ὕστριξ]」=《男女》「ヤマアラシ(porcupine)」で,その属格形[τοῦ/τῆς ὕστριχος]をラテン語綴り化したもの.
《合成後綴》-morpha《中複》も,元はギリシャ語で[ἡ μορφή]=《女》「形」をラテン語綴り化した上で,《中性・複数》語尾化したもの.
合わせて,「ヤマアラシ形類」ですが,ここでは漢字を使って「豪猪形類」としてみました.
「豪猪(やまあらし)」もしくは「箭猪(やまあらし)」は中国語らしいのですが,よくわかりません.
和漢三才図会にでている「豪猪」は(これは「本草綱目」からの引用ですが),絵はほとんどイノシシですが,「豪猪」を「やまあらし」と読ませていますし,説明は「ヤマアラシ」です.

下目は,上記したように二説あり.わたしにはどちらがリーズナブルなのか判断できませんので併記してあります.
HYSTRICOGNATHIはhystrico-gnathiという構造で,上記《合成前綴》hystrico-に,《合成後綴》-gnathi《男複》を合成したもの.意味は「ヤマアラシの顎を持つものども」です.ここでは,漢字を使って「豪猪顎類」にしてみました.
CAVIOMORPHAはcavio-morphaという構造です.cavio-は不詳.元はポルトガル語のsavia = ratが語源とか.語源はネズミですが,これは「テンジクネズミ属」に与えられた属名Caviaなので,「テンジクネズミの」として扱います.-morphaと合わせて「天竺鼠形類」としておきます.

科名CAVIIDAEは,もちろん,cavi-idaeで「天竺鼠の科」ですが,科レベルまで下がると,漢字表記はどうかと思いますので,「テンジクネズミ科」にしておきます.

CAVIIDAE-CAVIINAE-Caviaは同じ語源なので省略.

なお,Caviaが語源の英俗名Cavyは,Caviaには用いられていず,クイやヤマクイに用いられているという不思議.

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Cavia Pallas, 1766は,模式種が [type: Cavia cobaya Pallas, 1766]となっています.ところが,C. cobaya Pallas, 1766はMus porcellus Linnaeus, 1758の同物異名と判断されているらしく,結局,模式種はCavia porcellus (Linnaeus, 1758)になります.
なお,消えてしまった種名cobayaは不詳.
南米原住民の言葉で,Cavia porcellus (Linnaeus, 1758)そのものを指す言葉らしいです.それだったら,和俗名は「コバヤ」にするべきですよね.

porcellus は,ラテン語で「飼いブタ」意味する「ポルクス[porcus]」に《縮小詞語尾》-ellusがついたもの.つまり,「子ブタ」です.
属名のCaviaの語尾が-aなので,一見女性名詞のように思え,種名と“性の不一致”をおこしているように見えます.しかし,Caviaはもともとラテン語ではないので,判断不能.
下に,Caviaに属するとされる種のリストを挙げておきますけど,種名が《男性形》と《女性形》が入り乱れていますね.こんな場合は,属名Caviaを提案した人が,その属名が男性なのか女性なのかを指示してあるはずなのですが,原著が入手できなければ,こんなこともおきますね.さて,原著ではどうなっているのでしょうかね.

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Caviaに属する種については,下記のものがあるとされています.怪しげなのもあるようです.

genus: Cavia Pallas, 1766 [type: Cavia cobaya Pallas, 1766 (= Mus porcellus Linnaeus, 1758)]「テンジクネズミ属」
 Cavia porcellus (Linnaeus, 1758) [モルモット ; Domestic Guinea Pig]: wild ancestor unknown
 Cavia aperea Erxleben, 1777 [Brazilian Guinea Pig]: widespread east of the Andes
 Cavia fulgida Wagler, 1831 [Shiny Guinea Pig]: eastern Brazil
 Cavia tschudii Fitzinger, 1867 [Montane Guinea Pig ]: Peru south to northern Chile and north-west Argentina
 Cavia guianae Thomas, 1901[often considered a synonym of C. porcellus]: Venezuela, Guyana, Brazil
 Cavia anolaimae Allen, 1916 [often considered a synonym of C. porcellus]: Colombia
 Cavia magna Ximenez et al., 1980 [Greater Guinea Pig]: Uruguay, south-east Brazil
 Cavia intermedia Cherem et al., 1999 [Intermediate Guinea Pig]: Moleques do Sul islands, Santa Catarina, Brazil, first described in 1999
 

2012年2月5日日曜日

東大話法

東大話法なるものがあるそうだ.
面白そうなので,購入しようかと思ったが,そんなのを憶えて,つい,使ってしまったら,恥ずかしくて死にたくなるに決まっている.

     


ニヤニヤ笑いながら,人を見下した態度で「素人はこれだから困る」とやるような人間にはなりたくないモンね.

p.s. カスタマーレヴュー上の論争も面白い!

2012年2月4日土曜日

動物名考(11) ワシミミズク

ワシミミズク(鷲木菟)


Bubo bubo (Linnaeus, 1758)


[Eurasian Eagle Owl]


ワシミミズクの上位分類は,フクロウと同じなので,そちらを参照のこと.
「ミミズク」という言葉は,一般に角のように見える「羽角(角羽?,どちらが正確なのかわからない)」のあるものを指しますが,これは系統分類やDNA分類と関係があるという情報はなく,「羽角」の存在がなにを意味しているのかは不明です.
つまり,ミミズクは分類用語としては意味がない.

その上で,日本で見られるフクロウの仲間で“ミミズク”といってもいい鳥には,以下の属種があります(ただし,「羽角」か「角羽」かがはっきりしない様に,この「羽角」も典型的な場合は,目視で判断ができるけど,単に盛り上がっている程度のものをそう判断すべきかどうかはわかりません).

genus: Asio Brisson, 1760 [type: Strix otus Linnæus, 1758]
 Asio otus (Linnaeus, 1758) [トラフズク; Long-eared Owl]
 Asio flammeus (Pontoppidan, 1763) [コミミズク; Short-eared Owl]

genus: Otus Pennant, 1769 [type: Otus bakkamoena Pennant, 1769]
 Otus scops (Linnaeus, 1758) [コノハズク; Eurasian Scops-owl]
 Otus lempiji (Horsfield, 1821)[オオコノハズク; Sunda Scops Owl]
 Otus elegans (Cassin, 1852)[リュウキュウコノハズク; Ryūkyū Scops Owl]

つまるところ,どれかの種あるいは属に「ミミズク」という言葉を当てはめることも不可能のようです.ただし,和俗語で「~ミミズク」は「ワシミミズク」と「コミミズク」だけのようですけどね.
和漢三才図会の「木菟」の記載は「ワシミミズク」を指しているようですが,専門家はどう判断するのでしょうか.訊いてみたいところです.

なお,三属とも,ほかに世界中にたくさんの種が分布しています.面白いのですが,割愛.

ミミズクもメンコイ((^^;)

Buboは,ラテン語のbubo (būbo)=《男》「フクロウ;ミミズク」をそのまま学名としたもの.
模式種はStrix bubo Linnaeus, 1758ですから,ワシミミズクそのものが模式種です.
Strix bubo Linnaeus, 1758は,Bubo Duméril, 1805の模式種ですから,Bubo bubo (Linnaeus, 1758)に訂正されてます.こういう,同じ単語を重ねるのは,学名では希にありますが,この場合,種名のほうは属格を使ってBubo bubonis もしくはBubo bubonusのほうがスマートなような気がします.現行だと「ミミズク・ミミズク」ですが,訂正すると「ミミズク(の中)のミミズク」で,「属名を種名が説明する」=「名詞を形容詞が修飾する」という原則に従っているからです.
ただ,“性の一致”にはうるさいのに,他の文法的不都合や誤字・誤植はそのまま使うという不思議なルールがあるので,修正は無効として扱われるでしょうけどね.

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【蛇足】
Asioは,ラテン語のasioが語源で,英語では[horned owl]といいますから,「ミミズク」そのものを指しているようです.
種名otusは,ギリシャ語の[τό οὖς]」=《中》「耳」の属格で[τοῦ ὠτός]」=「耳の」をラテン語綴り化したもの.属名と合わせて,「耳のミミズク」という意味.この場合は「耳のフクロウ」のほうがいいかもしれません.
flammeusは,「火炎の,引火性の」という意味のラテン語.属名と合わせると「火炎のフクロウ」という意味.胸のあたりの模様が「火炎」のように見えないでもないですが,色は「火炎」とは….

蛇足2
Otusは,上記種名に使われたotusを属名にしたもので,「耳」ですね.やっぱり,「ミミズク」なんだ((^^;).
scopsは,ギリシャ語の[ὁ σκώψ]をラテン語綴り化したもので,意味は「小型のミミズク;とくにOtus scops (Linnaeus, 1758)」を表します.つまり,ギリシャ語で呼ばれていたものをそのまま学名としたわけですね.
lempijiは,不詳.-iがついていますから,通常は人名の形容詞化ですが,その人物が不詳です.
elegansは,ラテン語の「エーレガンス[elegans]」=「優雅な,完全無欠の」です.属名と合わせると,「優雅な耳」という意味になります.

2012年2月3日金曜日

市立大学の夢

新年度から,東海大学旭川キャンパスが募集停止になる.
いい機会だから,設備を貰いうけて,旭川市立大学を開校するといいと思う.

道内でも,人口の多い市には市立大学がある.函館,名寄,釧路など.しかし,“道内二番目の人口を誇る”(市のエライさんはそういういい方をする)という我が市には市の大学がない.

医大と教育大があるが(もちろん,これは市の持ち物ではない),これはある意味大学ではなく,医師養成所と教員養成所である(失礼は十分承知です(^^;).旭川(あるいは上川)という地域を支える学府ではない.
はっきり言わせてもらうと,旭川では,大学を出たうえで地域に尽くそうなどと考えても,医者と教員しか職業を選べないのだ(しかも,実際の学生のほとんどは,旭川あるいは上川出身者ではない:原因はセンター試験).

旭川市立大学だから,旭川市民であれば学費は半額だな.倍払ってもいいというのであれば,よその地域から来てもいいことにする.上川盆地内・富良野盆地内・名寄盆地内出身であれば,2/3ぐらいの学費?

学部は既成のものではなく,旭川あるいは道北の自然と環境を生活と産業に結びつけることができる新しい学問体系とする.旭川学,北海道学など.
観光やら自然ガイドなんかも,体系化すべきだろうな.

今後重要な輸出品目となるだろう芸術・文化もいいな.アイドル養成課とかお笑い養成課は必須でしょう.
アニメや映画,ゲーム作成も有望でしょうね.

などと妄想していると,旭川に戻ってきた直後のことを思いだしてしまった.
旭川に新しい短大ができるということで建物ができた.直後,パチンコ屋に改造され,その後,葬儀屋になった.まさか,旭川の将来を予言しているのじゃあ…と,思った.
文化のない街だものなあ….

粉雪…

粉雪が
 降らぬが如く
  降るが如く

宮武無骨


窓から外を眺めると,曇天だが雪は降っていないように見える.
しかし,よく見ると,細かい雪が気配も見せずに静かに落ちている.

最近あまりに寒いので,雪も結晶をつくる暇がないのか,サラサラの粉雪が静かに落ちてきます.
除雪の必要もないぐらいしか溜まりませんが,集めてみると,意外と多い.
こんな日は,外にいると,顔が痛くなってくるし,指が痺れてくる.靴が鳴る.
それにしても,子どもたちは元気だなあ….
 

2012年2月2日木曜日

鎚の音…

鎚の音
 空き家が消えて
  賃貸へ

宮武軟骨


地方都市(いなかまち)では,住民の高齢化が進み,あちこちに空き家が目立っていました.このあたりは,市内では比較的古い住宅街なものでね.

数年前から,空き家だった古い住宅が壊され,次世代の住宅が建つのかと思っていたら,建つのはまず100%のところ「~~建託」のアパートです.
旅だった子どもたちは,みな大都市に流れ,生まれた土地には戻ってこない.子ども時代の思い出はあるから,なかなか手放しにくいということはありますが,親が死んだら,残った土地は税金がかかる負担があるだけ.
だから,「~~建託」は渡りに船のわけです(たぶん,子ども世代にとっても危険な罠じゃあないかという気はしますけどね).
おかげで,一軒家より,アパートのほうが,はるかに多くなってしまった.

一見したところ「新しい住人が移入してきて,街に活気が戻るかな」と思ってたら大間違いで,街(コミュニティ)がどんどん壊れてゆきます.新しい住民はコミュニティに参加しない.挨拶すらしない.一方で,昔から町内会が整備してきた環境を当然のように使用する.
ここでは,老人が若者のお世話をするボランティアと化しています.
道・市公報の配布.ゴミステーションの管理.下水道の掃除.街灯の整備,電気代の徴収・支払い.市道の管理.
お役所は町内会を市の下部組織のように扱う.いろんな雑用が舞い込む.しかし,ほぼ限界で,町内会を把握していても住民を把握しているとはいえない状態にある.

「建託」がどんどん増えているので,新築でないと借り手がないようになりつつあります.
たくさんあるアパートのほとんどが,空室状態なのです.
ただでさえ,若い夫婦は共働きで,日中は街に人がいない.
町内会の仕事で訪問しても,室内に人のいる気配がしても,返事はないのが普通です.かといって,夜の訪問も,明らかに迷惑がられる.
アパートの周りは,ゴミだらけ,雑草だらけ.踏み分け道をつくる以外は除雪しないから雪の山ができる.管理業者は,たまにアパートの駐車場の排雪をしているが,その雪はすぐそばの歩道に積み上げるか,橋の上から川に投げる(おかしなことだが,重機に「市委託」のプレートがついてたりする).
自然,古くからの住人と,アパートの住人とは,なんとなく敵対関係が生じる.

「時代の流れ」と,いってしまうのはたやすいですが,では,新しいタイプのコミュニティができあがりつつあるのかというと,そうではない.単なる無法地帯と化しつつあるのです(あるいはスラム化?).
3.11のような地震や,その他自然災害など起きたら「絆」などといっておられるのだろうか.と思わせます.

「限界集落」は“ド田舎”にだけあるのではなく,地方都市の住宅街も「ほぼ限界集落」なのです.
住民はいるというのに.
 

2012年2月1日水曜日

動物名考(10) エゾフクロウ

エゾフクロウ(蝦夷梟)


Strix uralensis japonica (Clark, 1907)


[Yezo owl]


エゾフクロウは,かなり困った言葉です.
Clark が1907年に,この亜種を記載したとき,Jesso(蝦夷=北海道)産のフクロウにSyrnium uralense japonicum Clarkとし,Hond(本土=本州;この場合の模式地はIwaki)産のフクロウをSyrnium uralense hondoense Clarkとしたようです.
まあ,蝦夷産のものをjaponicumとするセンスも困ったものですが,島ごとに亜種を創ろうという細分主義も困ったものです.
標本から,亜種を判定する明瞭な方法も見あたらないし….

ということで,「エゾフクロウ」というものは存在しないという前提で進めさせていただきます.つまり,以下.

フクロウ(鴞・鴟・梟)


Strix uralensis Pallas, 1771


[Ural owl]


まずは,genus Strix Linnaeus, 1758の上位分類についてですが,下記をご覧になればわかるようにきれいにそろっていますね.

ordo: STRIGIFORMES Wagler, 1830
 familia: STRIGIDAE Vigors, 1825
  subfamilia: STRIGINAE Vigors, 1825
   genus: Strix Linnaeus, 1758 [Type species: Strix stridula Linnaeus, 1758]

リンネが属Strixを創ったときの模式種はStrix stridula Linnaeus, 1758らしいのですが,これは,Strix aluco Linnaeus, 1758 [Tawny Owl]のシノニムとされているらしい.どうやら,alucoのほうが先の頁に書かれているということで,Strix aluco Linnaeus, 1758が生き延びているようです(正確なところは,記載論文が見つからないので不詳).そうだとすれば,誰か修正案をキチンと論文にしとけや!

さて,属名Strixは,ラテン語のstrixをそのまま学名としたものです.
ただし,ラテン語の辞書には,strix = screech-owl=「コノハズク類のミミズク」とありますが,フクロウは通常,角毛のないものを指しますので,辞典には齟齬があります.ラテン語のstrixは,ギリシャ語の[ἡ στρίξ]=「フクロウ」を語源とするもので,こちらは単に「フクロウ」になっています.
英語ではフクロウとミミズクは区別しないようですから,ラテン語辞書>英語辞書>和訳という経路に無理があるので,区別すると間違いが入りこむのかもしれません.

《合成語》《属名》Strix = strix=「フクロウ(属)」
《合成前綴》には,strixの属格であるstrigisの語根strig-=「Strixの」が使われます.

以下,
《合成語》《亜科》STRIGINAE = strig-inae=「Strixの」+《亜科》
《合成語》《科名》STRIGIDAE = strig-idae=「Strixの」+《科》
《合成語》《目名》STRIGIFORMES = strig-iformes=「Strixの」+「~の形をした」=「フクロウ形類」

種名uralensisは,もちろん「Ural産の」という意味.
実際には,ヨーロッパ・アジアに広く分布し,東はサハリン・日本・朝鮮半島,西はスカンジナビア半島までいるといいます.それほど移動が激しい鳥とも思えませんので,地域によって遺伝子の偏りはあるのかもしれませんね.しかし,それが亜種を設定できるほどの違いかどうかは,論文が見あたらないのでわかりません.

Strix uralensisの和俗名は「フクロウ」です.
和漢三才図会の項目は「鴞」となっていて,別名「梟鴟(きょうし)」などがあげられています.しかし,本文(解説)中には「梟」が使われていて「梟の字は鳥の首を木の上にのせる」とあります.フクロウは“親不孝”な鳥なので,木の上にさらすからだそうです.わたしには,単に木の上に止まったまま動かない鳥であることを示しているような気がします.
北方では,不吉な鳥としてこれを怪しむが,南方では家禽として飼育し,ネズミを捕らせると猫よりも獲ると評価されています.人間の評価なんて勝手なモンです.

フクロウはメンコイですよね((^^;).
なお,genus Strixの日本産種はStrix uralensisだけなので(亜種は無視します),genus Strix所属種は無視します.
 

2012年1月31日火曜日

通学時…

通学時
 児童を蹴散らす
  車に児童

宮武軟骨


交差点を渡ろうとしている児童が,車の途切れるのを待っているとき,クラクションを鳴らして子どもたちを蹴散らして行く車がある.そこは,除雪の状態によっては,区別がつきにくいかもしれないが,見慣れている人間にとっては,明らかに「歩道の一部」だ.
歩道で,彼らは待っているのである.
よく見ると,その車には,蹴散らされた児童と同じくらいの年頃の子どもが乗っている.いわゆる自家用車通学だ.だから,運転しているのは,同年代の子どもを持つ「親」.
とくに,母親の場合が多い.

悲しいことだが,「あれが自分の子どもだったら」とは考えないらしい.
地域住民,PTA,学校,役場(教育委員会および除雪を担当している部局),四者がキチンと状況を把握して,共通の理解の上で「児童を守る」システムを作りあげて行かないと,いずれ,もっと悲しい事態が起きる可能性は否定できまい.
悲しいことだが.

近所に大型店舗(いわゆる「巨艦」といわれるヤツ)ができてから,バス通りの交通量が増え,通学路である裏道に入りこんでくる車が極端に増えた.
昔は,確かスクールゾーンとかいうのがあって,通学時間帯には通行制限されていたと記憶するが,いまはそんなことはないようだ.普段でも30km/h制限の道を,雪煙を立てて,まるでラリー中のように,たくさんの車が走って行く.絶対,30km/h以下じゃあないな.
交差点の角に雪を積み上げたまま放置する,いまの除雪法では,交差点を渡ろうとする子どもたちは,ある意味,表通りの交差点を渡るより必死である.すべての子どもを持つ親は,一度,自分の子どもがどのような道を通学しているか,経験してみるといい.
スクールゾーンを復活させようという気になるだろうから.
 

2012年1月30日月曜日

動物名考(9) クマタカ

クマタカ(角鷹,熊鷹)


Spizaetus nipalensis (Hodgson, 1836)


[Mountain Hawk-eagle]


タカ(鷹)はタカ目タカ科に属する鳥のうち,比較的小型のものを指すそうです(理系ではなく,国語辞典系の定義).逆に,比較的大型のものはワシ(鷲)と呼ばれています.クジラとイルカの関係に似ていますね.
ただし,昔のアジアでは,二つは区別していたようです(本草綱目および,それに準じている和漢三才図会など).
和漢三才図会に,「鷹」の字は,「ムネ(「鷹」の字の「鳥」を「月」に換えた字)で他の動物を撃つ.それでこう名づける」とあります.

クマタカについて考察する前に,クマタカの上位分類について整理しておこうと思ったのですが,困った現象が起きています.現代的な混乱です.リンネの分類法に従った古典的な分類(基本はこうあるべき)と,クラディズムの手法を利用した分類(実際には分類ではなくて,進化系統の筋道を表したもの),それとDNA分析による近縁関係を基本とした分類(絶滅種は無視せざるを得ない:こちらも類縁関係を表しているだけで,分類とはいいがたい),この三者が「ごった煮」になってしまっています.
この場合は,遺伝子学者がDNAの近縁関係によって再配列したようなのですが,リンネの記載法を無視しているので,分類になっていないのですね.食い散らかして放り出した.そんな感じです.

おまけに,日本の“学者”が原語の意味も考えずに学名を“和訳”したから,分類用語が錯綜して,ますます,わけがわからなくなっています.わたしの能力では解きほぐせそうにもありませんね.

===


まずは,目ですが
order ACCIPITRES Linnaeus, 1758
order ACCIPITRIFORMES Vieillot, 1816
order FALCONIFORMES Sharpe, 1874
ざっと,こんなものが出てきます.もっとあるのかもしれないですが,少なくとも記載者の名前が明示されてるものだけです.
現世生物の記載にはありがちですが,分類名だけあって定義は明示されていないのが普通です.ひどい場合には(じつは普通ですが),その分類名の定義者名すら明示されていない.
その分類群名を採用した根拠も書かれていない.ま,ナイナイ尽くしで「記載」と称しているわけですね.
というわけで,これらのどれがリーズナブルなのかは,判断できないのです.

なお,“和名”(和訳)はもっとひどく,このどれにも“タカ目”の“和訳”((^^;)が与えられています.

FALCONIFORMESに“隼形目”という和訳が与えられている例も見たことがあります.falco-はラテン語としては「ハヤブサ」ですが,genus Falcoは「チゴハヤブサ属」ですから,和訳としては,「チゴハヤブサ形類」が正しいのですがね.“タカ目”よりはましでしょうけど((^^;).
ACCIPITRIFORMESも,ラテン語のaccipiterは,1)「タカのような捕食性の鳥」,2)「とくにAccipiter nisus (Linnaeus, 1758) =ハイタカ」を意味する言葉ですので,“タカ目”や“タカ形目”よりも「ハイタカ形類」がリーズナブル.

また,DNA分析からは,FALCONIFORMESはACCIPITRIFORMESから,かなり遠い位置にあるので,分離すべきという意見があり,実際にそれに従っている分類もあるようです.残念ですが,その「原著論文」が見つからないので,判断ができません.公表されているのかどうかも不明.
まあ,でも現世生物は古典的な形態分類よりもDNAの相違による分類に置き換わりつつあるので,時代の流れにしたがって,FALCONIFORMESは分離独立ということで考えた方がいいのかもしれません.

したがって,クマタカは,以下のように記述されます.
order ACCIPITRIFORMES Vieillot, 1816
 familia: ACCIPITRIDAE Vieillot, 1816
  genus: Nisaetus Blyth, 1845
   Nisaetus nipalensis Hodgson, 1836

なお,“クマタカ”をSpizaetus nipalensis (Hodgson, 1836)としている場合がありますが,これは,古い分類体系(形態のみによる分類)とされています.
DNA分析の結果,アジア産の“クマタカ”類はNisaetus Blyth, 1845 に編入されています.DNA分析で分類をいじるのは引っかかるところがあるんですが,この場合は「動物地理区」とも調和的で「これでいい」のかもしれません.
なお,結果として genus: Spizaetus Vieillot, 1816に属する種は中南米産に,genus: Nisaetus Blyth, 1845に属する種はアジア産に統一されたようです.
しかし,どちらの属も模式種が見つからないのは,いじくり回された結果で(整理が終わっていないので)はないかと邪推するものですが.
こういうのは,シノニムをキッチリ記載している論文でも見つからないと手に負えません.

===


さて,上記したように,genus: Nisaetus Blyth, 1845は模式種が不明ですので,なんと和訳するべきなのかわかりません.
何はともあれ,クマタカ[Nisaetus nipalensis Hodgson, 1836]に行き着いたこととしておきます((^^;).
属名Nisaetusは,Nis-aetusという構造で,「Nisusの鷲」という意味.このNisusは,ギリシャ神話に出てくる「ニースス王[Νῖσος]=[Nisus]」のことで,ある事件の後,王はハイタカに変えられたという伝説があります.-aetusは,ギリシャ語のアエトス[ὁ αετός]=《男》「鷲」で,あわせて「Nisus王のワシ」となります.
種名nipalensisは,nipal-ensisという構造の合成語で,「Nepal産の」という意味.

和俗名「クマタカ」は,和漢三才図会によれば,本草綱目を引用し「角鷹」と表記しています.元は中国語で,日本でも相当古くから使われていたことになりますね.
「角鷹」の「角」は,「角毛」のことで,耳を覆う毛が角のように立っているところから出た言葉.したがって,「熊鷹」と書くのは間違いということになります.“熊のように強いから”などというのは「後付け」じゃあないかと思います.少なくとも「(古典の)何々に書いてある」という記述は見あたらないです.

英俗名は「Mountain Hawk-Eagle」.Hawk-Eagleというのは,なにか不自然な単語です.英和辞典にも載っていない.最近の造語でしょう.そういえば,日本語でも「ワシタカ類」という不自然な言葉が使われていましたね.無視してもいいでしょう.

なお,genus: Nisaetus Blythに属するとされる種は7~8種あげられていますが,いずれも,日本には生息せず,和俗名も与えられていないようなので,割愛します.
 

2012年1月27日金曜日

動物名考(8) タンチョウ

タンチョウ(丹頂)


Grus japonensis (Muller, 1766)


[Japanese crane, Manchurian crane, Red-crowned crane]



タンチョウは,俗に「タンチョウヅル(丹頂鶴)」ともいうように,ツルの仲間です.一般にいうツルは分類学的はGRUIDAE(ツル科)に属するものをいい,大変に広い分類群が該当します.

タンチョウはもちろん,頭の頂が紅い(丹:通常は赤色顔料のことをいい,硫化水銀や鉛の酸化物=鉛丹などを指します)からですが,では「ツル」はどういう意味なんでしょう.
中村浩「動物名の由来」によれば,複数の説があるとし,代表的な四つの説を挙げています.
一つ目は,「ツルはツラナル也.多くつらなり飛ぶ鳥也」(日本釈名)
二つ目は,「ツルは鳴く声もて名づくなるべし」(和訓栞).同,「鶯,郭公,雁,鶴は我名を鳴くなり」(古今集註)
三つ目は,「ツルはすぐるの転也.諸鳥にすぐれて大なる鳥也」(引用不詳)
四つ目は,「ツルは朝鮮語に由来するもので,朝鮮語ではツルのことをツリという.ツリが転じてツルになった」(引用不詳)

しかし,中村氏は“中村説”とでもいうべきものを主張.
「ツルはつるむ」に由来する名ではないかといいます.「『ツルム』とは『交尾』のことで,古くは『ツルブ』といった」そうです.「『ツルブ』とは漢字で“婚”とかく.結婚とは“つるび結ばれる”ことである」そうです.
タンチョウの求愛ダンスは,広く映像で知られていますし,アイヌの民族舞踊「ツルの舞」なんかでも有名ですね.
タンチョウは明治に入ってすぐに絶滅したとされていました(殿様の狩り場がなくなってしまったために,狩りたい放題になったのが原因とか).それまでは,日本全国で普通に見られたらしいです.つまり,昔の人は「ツルの求愛ダンス」を普通に見ていたはずなのです.
蛇足しておけば,大正も終わりころになって,釧路原野で再発見されたときには,誰も知らなく巨大な鳥がいるということで,話題になったそうです.
絶滅したと思われていた生物が,じつは生きていたわけですから,つまり,タンチョウは“生きている化石”ということですね.

「田鶴」という言葉があります.使われている漢字から,これは「ツル」を指しているように思われていますけど,「タズ」は「多豆賀泥(たずかね)」が略されたもので,古語としては,ツルに限らず,「大きな鳥」を,すべて「タズ(多豆)」と「よんだと思われる」とされています.
「田鶴」がでてくる和歌に添えられた絵をよく見ると,ツルではなくコウノトリであることも多いとか.

タンチョウの学名は,後述しますが,Grus japonensisです.もちろん,「日本産のツル」という意味.ところが実際は,日本よりも中国北東部や朝鮮半島に多い鳥で,それを反映して,英俗名は「Manchurian crane(満洲鶴)」になっています.
しかし,中国政府にとっては「満洲」は「満洲国」を思い起こさせるということで「タブー」になっていて(「偽満」というらしい),英俗名にクレームがつき「Red-crowned crane」と呼ぶようにと圧力がかかっているそうです.
満洲は,古来からの中国の領土だと主張しているんですから,別に「Manchurian crane」でもかまわないようなモンですが….よくわかりません.

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さて,タンチョウの上位分類から.
ordo: GRUIFORMES Bonaparte, 1854
 familia: GRUIDAE Vigors, 1825
  subfamilia: GRUINAE Vigors, 1825
   genus: Grus Brisson, 1760 [type: Ardea grus Linnæus, 1758]

きれいにそろってますね.
語根のgru-は,ラテン語のgrus=「ツル(鶴)」から.
したがって,鶴形類(鶴形目),ツル科,ツル亜科,ツル属です.
ツル属の模式種はArdea grus Linnæus, 1758ですから,種名のgrusは形容詞と見なして,「ツル(の中の)のツル」.原記載のArdeaはラテン語で,「サギの類」(とくに青鷺の類)を意味しますから,ツルとサギは近縁と考えられていたのでしょうね.
なお,希に,genus: Grus Pallas, 1766となっていることがありますが,これは異物同名でまったく別の鳥です.Pallasの方が後記載ですから,Grus Brisson, 1760が有効.

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続いて,genus: Grus Brisson, 1760に属するとされる種のリストを.

genus: Grus Brisson, 1760
 Grus grus (Linnaeus, 1758)(クロヅル; Common crane)
 Grus americana Linnaeus, 1758(アメリカシロヅル; Whooping crane)
 Grus antigone Linnaeus, 1758(オオヅル; Sarus Crane)
 Grus canadensis Linnaeus, 1758(カナダヅル; Sandhill Crane)
 Grus leucogeranus Pallas, 1773(ソデグロヅル; Siberian crane)
 Grus japonensis (P. L. S. Müller, 1776)(タンチョウ; Red-crowned crane)
 Grus rubicunda (Perry, 1810)(オーストラリアヅル; Brolga)
 Grus vipio (Pallas, 1811)(マナヅル; White-naped crane)
 Grus monacha Temminck, 1835(ナベヅル; Hooded crane)
 Grus nigricollis Przevalski, 1876(オグロヅル; Black-necked crane)

grusは上述の通り.
和俗名は“クロヅル”と呼ばれているようですが,クロヅルというよりは“ハイヅル”のよう.現在の日本にはあまりあらわれないツルのようですが,「和漢三才図会」には「黒鶴」の名が見えています.でも,色彩の記述が微妙です.ただし,「色の淡いものがあり,薄墨と名づけるものがある」とありますので,こちらはあたっているかと.でも,そうすると,「クロヅル」に該当する鳥がいなくなります.この種のヨーロッパ産のものが,多少色が黒いといいますから,寺島良安の時代以前にはこれらも日本に来ていたのでしょうか(後出,「ナベヅル」参照).
英俗名は「フツウヅル[Common crane]」.ざっぱな命名ですが,分布範囲などを考慮すると,そうなのかな.日本で普通のツルは後述の「マナヅル」ということになりますけどね.

americanaは,ラテン語で「Amerigo の」という意味.これは,Amerigo VespucciのAmerigoをラテン語化したAmericusの《女性形》ですが,ここでは,「人物;Amerigoの」ではなく,「地名;Americaの」という意味になりますね.
主な生息地は北米で,日本にはあらわれない模様.だから和俗名は必要ないのですが,こう呼ぶ人もいるようです.面白いのは,英俗名は単に「whooと鳴くツル」なのに,和俗名には「シロ」の文字が入ること.欧米人にとっては,普通のツルは「灰色」ですが,日本人にとっての普通のツルは「白色」という認識の違いが出たようです.
ただ,“アメリカクロヅル”というのがいないのに,わざわざ「シロ」を入れる必要があるのかという気がします.

antigoneは,ギリシャ神話のオイディプスの娘の名前[ἡ Ἀντιγονη]=《女》「アンティゴネー」をラテン語化[Antigone]したもの.ちょっと,命名の趣旨が不明だったのですが,この鳥が「頸上部から頭部にかけて羽がなく,赤い皮膚が露出する」ということと,アンティゴネーが「首をつって自殺した」というのと関係があるのかもしれません.そうであれば,ちょっと命名者のセンスを疑いますね((--;).
和俗名は“オオヅル”というのがあるようです.英俗名が「湖のツル」ですが,これは英語ではなく,サンスクリット語が語源だそうです.サンスクリット語が語源ということは,この鳥の生息地はインド.おまけに,湖が生息地なので,う~~ん,なるほど.こちらは英俗名のセンスがいいのに対し,和俗名は悲しい((--;).

canadensisは,ラテン語で「カナダ産の」という意味.ところで,Canadaの語源ですが,欧米人が侵出したときに,現地人に「ここは何処だ」と訊ねたら,原住民は「ここはkanada(=「村」だ)」と答えたので,地名と勘違いしたという話です.よくある話((^^;).
和俗名は,学名から引っ張った「カナダヅル」.英俗名は地名の「Sandhill」だそうです.

種名leucogeranusはleuco-geran-usという構造の合成語で,元はギリシャ語.
leuco-は,[λευκός]=「明るい,輝く,鮮やかな;白い」という形容詞をラテン語の語根化したもの.
geran-は,[ἡ/ὁ γερανός] =《女・男》「ツル (crane)」という名詞をラテン語の語根化したもの.
-usは,形容詞化語尾で,あわせて,「白いツルの」という意味になります.
和俗名が,「ソデグロヅル」で,風切り羽根が黒いのを表しているのに対し,学名が「白いツルの」なのは,やはり欧米では,「灰色~淡黒」のツルが“普通”だからだでしょうか.これに対し,英俗名はSiberian crane.これは,繁殖地を示しています.

japonensisは,もちろん「日本産の」という意味.ただ,なぜ,日本のことをJaponというのかがわからない.
和俗名は「タンチョウ」.和漢三才図会には「丹頂鶴」がでていますから,相当古くからこの名称があったことになりますね.「本草綱目」の「鶴」の記載は「丹頂鶴」のことだと良安が解説しています.アジアでは,鶴の代表は「丹頂鶴」ということですね.
あまり英名のことを書いて,炎上されても困るので…略.

rubicundaは,ラテン語の形容詞 rubicundus =「赤い」の《女性形》.つまり,属名と合わせて,「赤いツル」.ですが,「赤いツル」というほど,赤くありませんね.頭部の一部が「赤い」だけです.
和俗名「オーストラリアヅル」は生息地を示したものですが,英俗名の「Brolga」のほうが,アボリジニの言葉だということですから,こちらのほうが好きですね.和俗名でも「ブロルガ」とすればいいのに.

vipioは,ラテン語で「小さなツルのある種」をさす言葉だそうですが,具体的にはどんなツルを指しているのかは不明です.
和俗名は「マナヅル(真鶴)」で,和漢三才図会に記述があります.古い時期から,ツルの典型として認識されてきた種です.
英俗名は「White-naped crane」.「エリジロヅル(襟白鶴)」とでも訳しておきましょうか.

monachaは,ラテン語の《女性名詞》monacha で,意味は「尼僧,修道女」です.元が,ギリシャ語で[ἡ μοναχή]=《女》「尼僧,修道女」.
男性形のmonachusは,もちろん「僧侶」という意味.こちらは(も),元はギリシャ語で[ὁ μοναχός]=《男》「僧侶」です.本来は《形容詞》[μοναχός]=「単一の;孤独な」であり,「独りで生活するもの」の意味です.昔は,坊主も純粋だったんですねぇ.
さて,この語は,たぶん,体幹部が「黒っぽい」ところからきているのでしょう.写真を見るかぎりでは,Grus grus (Linnaeus, 1758)=「クロヅル」よりも黒っぽく見えます.ひょっとしたら,和漢三才図会でいう「黒鶴」の黒っぽい方は,じつはこちらを指しているのかもしれません.和俗名をつけた人は,古語の知識が足りなかったのかな.
和俗名は「ナベヅル(鍋鶴)」.鍋鶴の意味は不詳ですが,和漢三才図会には,「肉の味も佳い」とあり,普通に食されていたようですから「鶴鍋」の「鍋鶴」なのかもしれませんね.
英俗名は「頭巾鶴 [Hooded crane]」です.ツル科の鳥は,多かれ少なかれ頭部に特徴があり,頭巾をかぶっているように見えるので,この名称が適当かどうかは疑問のところです.

nigricollisは,nigri-collisという合成語で,意味は「黒い丘/高まり」です.ちょっと,意味がピンときません.もしかしたら,原著者はcollum =「頸」と勘違いしたのかもしれません.ちなみに英俗名は「首黒鶴[Black-necked crane]」になっています.
一方,和俗名は「オグロヅル」.英俗名と和俗名では,ぜんぜん違うように思えてしまいますが,じつは,この鳥は,首と尾が黒いのです(それと,風切り羽根も).困ったモンだなあ….
 

2012年1月26日木曜日

「安倍晴明の一千年」

鉱脈にあたったのかもしれない.
かなり以前から,日本人の世界観,自然観を理解したいと考えて,いろいろな書物にあたってきたのですが,宗教・占いなど,この手の本は,ほとんどすべてが胡散臭く,読むに値しないというよりは,混乱を深めるためにあるようなものが多く,行きつ戻りつというのがこれまででした.

先日紹介した「陰陽道の神々」は,理系頭でも理解できる((^^;)数少ない本の一つでした.それに引用されていたのが,田中貴子「安倍晴明の一千年=「晴明現象」を読む=」で,珍しく(失礼(^^;)市立図書館の蔵書にあったので,借用して一晩で読みました.

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市立図書館は不便なので,まずはネット上で蔵書を検索するのですが,データ不足のため本に書かれていることの概略もわかりません.とりあえず,題名だけで借用してみると,たいていが,「トンデモ本」ネタになりそうなものばかりで,いわゆる研究書に引用されているような書籍は,ほとんどないのが事実です.
もっとも,一般市民が愛するのは,事実や真実より,夢や虚構なのでしょうから仕方がありません.

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で,たまたま田中貴子氏の著書があったので,借り出してみると,これがなかなか面白い.
安倍晴明の実像が,歴史が流れる中でいかにして「歪んで」いったのかが,事細かく書いてあります.ホントはわたしの興味とは少し違う流れの中にある書籍なのですが,立ち位置がまじめなので,引用文献も信用できる(もっとも,怪しげな本は引用文献すら示されていないですが)ので,Amazonから購入することに.
あ,これはどうも絶版なようで,新品は入手不可能です.

で,陰陽道に関しては,投げ出してある間に,最近の研究者がわたしでも「理解できる」ような解説書をだしているらしいことがわかりました.早速,四・五冊まとめて発注.
基礎的知識を仕入れたら,昔投げ出した藪内清らの著作に戻ってみようかと考えています.

   

2012年1月23日月曜日

「陰陽道の神々」

最近,また,オカルトに凝っています.
といっても,別に新興宗教に入ったり,怪しいことをやってるわけではありません((^^;).

最近,斎藤英喜氏の「陰陽道の神々」を読みました.

      

中世の公的「陰陽道」と大衆に支持された別の「陰陽道」があるそうです.
現代に至っても,われわれが,さまざまな場合において方位にこだわる理由は,安倍晴明が著したといわれる「簠簋内伝」にそのルーツがあるといわれていますけど,これが実は偽書.晴明が書いたものではないというのが通説です.
つまり,現在でも頻繁におこなわれている「恵方に向かって」なんてのは,誰が書いたのかすらわからない偽書から,すべてが発しているわけです.その背景には,公的ではない「陰陽道」があるんだそうです.


ここまで読んで,「なにか」と「なにが」わたしの頭の中で結びつきました.
たとえば,「占星術」は,王族がみずからの国家の安泰を願い,維持するために発達させたものです.だから,たくさんの学者を傭い,精密な天文学が形成されています.現代天文学のルーツです.
一方,庶民だって,安定した生活がしたい.イヤな出来事はできればさけたい.だから,王族がやっている「占星術」を,できればやってみたい.しかし,庶民ですから,それほどお金があるわけじゃあない.

占星術師を商売としても,手間がかかるだけで,もうけは少ない.
そこで,占星術の「大衆化」が起きます.
占ってほしい人の,生まれた時のすべての星の位置を特定するのではなく,そのときに,ある星座の中に太陽があることをもって簡略化してしまえばいい.そうすると,12程度のわけ方で,すべての人の運勢がわかることになる.そうして生まれたのが「星座占い」です.
簡単だし,占いの結果に,たいした根拠がいるわけでもない.占星術に比べれば「星座占い師」は非常に仕事が楽なわけです.

理解できます?
星座間での太陽の移動は連続しているはずなのに,隣り合った星座同士でも異様に“運勢”が違うことが普通にあることを.


同じことが,風水術でも起きます.
風水術も古代科学の一種で,安全な土地に「都」を置きたいという考えから,発達したものです.安全な土地というのは,自然災害からでもあり,周囲の異民族からでもあります.
だから,風水は,砂漠地帯や大平原,山間部や島国とか,風水土が異なれば,基本になる考え方も違う.しかし,個々の例を見れば,非常にリーズナブルなことがたくさんあります.

皇帝ならば,たくさんの科学者=風水師を傭って綿密な風水を判定することができます.
しかし,庶民は違う.
「風水」が悪いからといって,簡単に引っ越すことはできませんね.身分制度で移動を縛られている時代がありました.家のローンが残ってます.借家住まいだと,造作を変えることもできません.
そこで,風水の大衆化がおきます.
どっちかの方角に(これは,大衆化陰陽道からの借り物です)金色のものを置けとか,枕元に緑色のもの(植物)をおけとか,庶民でもできる(ほとんどわけがわからない)ことが“対応法”として示されます.
現代風水はそうしてできあがったものです.

仏教も神道も同じことが起きています.仏教も神道も一時期,国家の管理におかれたことがありますから,単に大衆化が起きただけではない.あっちこちに歪んでいます.

こういったものは,「ひとつの道」を通ってきたものではないので,現代のわれわれから見ると歴史的に重なってしまったものを見ていることになります.宗教・占い同志が重なっている場合もある.そうすると,一筋縄ではいかない,ひどく複雑なものとして,われわれの目に写ることになります.

けっこういろんな分野(宗教・占い)の本を読みました.しかし,伝説上の聖職者と実際に身の回りにいる「坊主ども」には,呆れるほどのギャップがあるように,「かれら」が書いたものを読んでも,「現状」は理解できないものでした(仏教を理解するのに,坊主の書いたものを読んでも意味がない).
「陰陽道の神々」を読んで,ようやく上記のことどもが,納得できた次第.名著です.

さて,そうすると,「(現代)科学が大衆化」した場合は,一体どんなことが起きるのでしょうね….

2012年1月22日日曜日

動物名考(7) コハクチョウ

コハクチョウ


Cygnus columbianus (Ord, 1815)


[Tundra swan]



「コハクチョウ」って,困った俗名ですね.
これは,われわれが,ふつう「白鳥」と呼んでいる種をさすのだそうです.では,別に「ハクチョウ」と呼ぶように推奨されている鳥はいるのかというと,ない.困ったものです.おい,学者先生!,横暴すぎるぞ!!((^^;)

上位分類は
ordo: ANSERIFORMES Wagler, 1831
 familia: ANATIDAE Vigors, 1825
  subfamilia: ANSERINAE Vigors, 1825
まで,「マガン属」と同じなので省略.

「和漢三才図会」に,「天鵞(はくちょう/テンゴウ)」という項目があるのですが,記述が混乱しているのでなんとも.
ただし,注に「思うに,天鵞〔一名は鵠〕とは俗にいう白鳥である」と,あります.寺島良安の時代以前に「白鳥」は俗名として使われていたことがわかります.一方,「鵠」のほうは,「鵠〔音は斛(こく)〕 皓皓とはっきりした声で鳴く.それで鵠という」とあります.白鳥が「コウ,コウ」と「はっきり」と鳴くのは聴いたことがあると思います.ですから,たぶん,「天鵞」は白鳥なのでしょう.

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Cygnus Bechstein, 1803について.
Cygnusは,1803年にBechstein がたてた属です.そのときはAnas olor Gmelin, 1789のみがこの属に入れられていたようです.
のちに,下記の種が,この属に入れられてゆきますが,困ったことに,のちにAnas cygnus Linnaeus, 1758も入れられていますね.
そもそもが,類似の,というよりはまったく同じ種名が,類似の動物に使われているのに,それを属名とするのは,混乱を引き起こす可能性があり,勧められたことではないのに,Bechsteinはやってしまったようですね.

さて,属名Cygnusはラテン語の《男性》名詞で「白鳥」を意味しています.元は,ギリシャ語の[ὁ κύκνος]=《男》「白鳥」をラテン語化したものでしょう.
ラテン語には,もう一つ「白鳥」を意味する言葉があり,それはolorです.そう,Anas olor Gmelin, 1789のolorですね.おや,anasは《女性》なのにolorは《男性》です.「性の不一致」ですね.マズイですね.命名年代が古いからいいのかな?
まあ,結果として一致したからいいか.Anas olorinaなら問題はなかったんですけどね.

さて,Cygnusの模式種はAnas olor Gmelin, 1789でした.Anas olor Gmelin, 1789の和俗名は「コブハクチョウ(瘤白鳥)」ですので,Cygnusの和俗名は「コブハクチョウ属」が適切ということになりますね.
ただし,コブハクチョウは日本には,自然状態では迷鳥としてしかあらわれない種であるそうです(しかし,例によって,人為的に持ち込まれたものを中心に,日本国内で繁殖しているそうです).つまるところ「コブハクチョウ」は学者が任意でつけた名称なんでしょう.それが属の代表というのは,しっくり来ないですね.でもしょうがない.
和俗名を「ハクチョウ属」としている場合もあります.この場合,日本で「ハクチョウ」と呼ばれているものは,後述する「コハクチョウ」のことですので,模式種がAnas columbianus Ord, 1815と混同される場合がでてきます.ハクチョウ属なのにハクチョウ種がいない.おまけに「(白鳥)ハクチョウ(属)」の中に「(黒鳥)コクチョウ(種)」がいたりする.どうして,こんな,わざわざ混乱を引き起こすような命名や改訂をおこなうのでしょうかね.

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以下に,コブハクチョウ属各種についてリストアップしておきます.

Cygnus olor (Gmelin, 1789)[コブハクチョウ, Mute Swan]
 syn. Anas olor Gmelin, 1789
Cygnus cygnus (Linnaeus, 1758)[オオハクチョウ, Whooper swan]
 syn. Anas cygnus Linnaeus, 1758
Cygnus melancoryphus (Molina, 1782)[クロエリハクチョウ, Black-necked Swan]
 syn. Anas melancoripha Molina, 1782
Cygnus atratus (Latham, 1790) [コクチョウ, Black Swan]
 syn. Anas atrata Latham, 1790
Cygnus columbianus (Ord, 1815)[コハクチョウ, Tundra swan]
 syn. Anas columbianus Ord, 1815
Cygnus buccinator Richardson, 1832[ナキハクチョウ, Trumpeter swan]

olorについては,上記しました.
Cygnus olorは「白鳥・白鳥」という意味になります.ユーラシア大陸に普通にいる白鳥だということで,ふさわしい命名なのかもしれません.しかし,やはり種名は形容詞にしてほしいものです.
英俗名[Mute Swan]は,「沈黙の白鳥」という意味.ほかの白鳥の仲間より鳴き声が静かだからといいます.なお,英語の[mute]には「鳥の糞」という意味もあるそうです.なんでだろ.

cygnusは,属名と同じですが,こちらの語尾は《形容詞》と考えた方がいいでしょう.
したがって,意味は「白鳥の白鳥」.同じ意味を重ねるのは学名ではよくあることです.
英俗名[Whooper swan]は,「大声を上げる白鳥」という意味.オオハクチョウが大きな声で「コォー(皓)」と鳴く様子を示しているようです.
おや?そうすると,「和漢三才図会」でいう「天鵞」はオオハクチョウのことなのかな.

melancoryphusは,melan-coryphusという構造で「黒い+頭の」という意味.どちらも元はギリシャ語でラテン語綴り化したものです.
この種は,頭というよりは(長~~い)頸から黒いので,どうもしっくりきません.和俗名は「クロエリハクチョウ」で,これは英俗名の[Black-necked Swan]の訳ですね.どちらも「頭はどうなの?」となるかもしれません.
まあ,どっちにしても,普通,日本にはいない種ですので,どうでもいいといえばどうでもいい.

atratusは,ラテン語のatratus =「暗い,黒い,黒ずんだ;黒衣の,喪に服している」の《男性》形です.
英俗名は[Black Swan]で,「黒い白鳥」.和俗名も「黒鳥」ですね.矛盾を含んでますが,これは今のところ,オーストラリア固有種ということで,日本は繁殖していませんので,あまり考えなくていいかと….
なお,旭山動物園でも,この「コクチョウ」は飼育されています.が,キャラとしては採用されていません.

columbianusは,日本では普通に見られる渡り鳥(冬鳥)です.つまり,これが「ハクチョウ」ということになりますか.しかし,寺島良安の時代では「コハクチョウ」・「オオハクチョウ」の区別はしていないようですね.ただ産地によっては,味に差があり,羽も良-不良の差があるとしていますので,何らかの違いがあることは認識していたのかもしれません.
英俗名は[Tundra Swan].生息地を示していますね.ところが,種名はcolumbianus.語根columb-が具体的になにを指しているかは不明ですが,これが主な生息地を代表しているとは思えないですね.Colombiaにも,いるのかもしれませんけど.
命名者が米国人なので「ハハン,なるほど」と思いますが,少し視野が狭すぎたようで.
 

2012年1月18日水曜日

動物名考(6) マガモ

マガモ(真鴨)


Anas platyrhynchos Linnaeus, 1758


(Mallard)


マガモの仲間を,一般的に「カモ」といいます.しかし,「カモ」という名称は必ずしも分類学的な単位とは一致していないので,注意が必要です.
ま,分類学的にも相当混乱していて,よくわからないことの方が多いみたいですが.探索もひどく大変でした((--;).

分類学的な記述をするときの,動物の名前を表記する慣習に従ってカタカナで「カモ」と書きますが,これは漢字の「鴨」の「読み」です.しかし,「カモ」は分類学的なグループをつくっていない名称なので,その定義は曖昧です.したがって,カタカナの「カモ」を使うと誤解をうけるかもしれません.

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「カモ」は,某辞典には「『カモ科』に属する鳥のうち,比較的小柄な水鳥をさす」とされていますが(後述するように「カモ科」という言葉は「おかしい」ので,この説明には意味がない),和語としては,語源をたどると「カモメ」や「カラス」と交差するところがあり,なかなか奥深いところがあります.

一説を紹介すると,「カモ」は「カモドリ(鴨鳥)」の略だそうです.
もともとは「浮かぶ鳥(うかぶとり)」だったものが「浮かむ鳥(うかむとり)」に転じ,「カモドリ」になったそうです.そのうちに,「浮かむ」の「浮」が略されて,「カム」となり,さらに「カモ」に転じたとされています.これは,中村浩(1998)「動物名の由来」(東京書籍)に書かれている説で,興味深いですが,出典が書かれていないので,なんとも.
これが本当だとすると,「カモ」は,単に水に浮かんでいる鳥を示す「一般名詞」だったことになり,ある「種」や「属」(もしくは「科」も含めて)などの狭い範囲のグループについていうべき「言葉」ではないということになりそうですね.

別な説では「カモ」は「カミ(神)」に関係あるとされ,これはとくに「地名」に関係があるとされているようです.
どちらにしても,出典もない説なので「曖昧」としかいえませんけどね.

漢字では「鴨」や「鳧」が使われています.
「鴨」は「カモ」でいいようですが,「鳧」(昔はこちらが本字だったらしい)は「カモ」とも読みますが「ケリ」とも読み,こちらは,「チドリ科」の一種を呼ぶ場合もあるので要注意です.

英名は「ダック(duck)」で,日本語のようにアヒルとカモの区別がなく,家鴨を[domestic duck],野鴨を[wild duck]と呼びます.
仏名は「カナール(canard)」,独名は「エンテ(Ente)」といい,どちらも飛行機の翼の形=中程が持ち上がった「へ」状の形を呼ぶ言葉に使われていますね.

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さて,マガモ属の上位分類について,見ておきましょう.

ordo: ANSERIFORMES Wagler, 1831
 familia: ANATIDAE Vigors, 1825
  subfamilia: ANATINAE Leach, 1820
   genus: Anas Linnaeus, 1758 [type: Anas platyrhynchos Linnaeus, 1758]

アンセリフォルメス目[ordo: ANSERIFORMES Wagler, 1831]は,ANSERIFORMES = anser-iformes=「ガチョウの類」+「形態」という合成語で,昔は「ガンカモ形類」が使われていたと記憶しますが,最近は「カモ目」というのがまかり通ってます.どこにも「カモ」を意味する言葉はないのですけどね.
語根ANSERI-はanser (= genus Anser Brisson, 1760)を接頭辞化したものなので,模式種「ハイイロガン」の名称を採用すべきなんだろうと思います.したがって,ANSERIFORMESの和訳(=和名)は「ハイイロガン形目」となるべきなんでしょう.一方で,genus Anser Brisson, 1760はgenus: Anas Linnaeus, 1758 と一緒にfamily ANATIDAE Vigors, 1825に入れられてますから,わけがわからないことになっています.
本来はorder ANATIFORMESが採用されるべきなんですが,ANSERIFORMES Wagler, 1831の「定義」が矛盾の無いものなので,採用されているのだと考えるべきなのでしょう.
それならば,科はfamily ANSERIDAE が採用されるべきなんですが,こちらも,familia: ANATIDAE Vigors, 1825の「定義」が修正の必要のないものなので,採用されているのだともいます.
おかしいですが,しょうがないですね.
だからといって,「カモ」という意味のないANSERIFORMESの訳に「カモ」を入れていいというものではないと思いますけどね.

アナティダエ[familia: ANATIDAE Vigors, 1825]は,ANATIDAE = anat-idae=「Anasの」+《科》という合成語です.anasはラテン語で「カモ・アヒルの類」を意味する言葉です.anasの《属格》はanatisなので《合成前綴》としては anat-, anato-が使用されます.一方で,familia: ANATIDAE Vigors, 1825の模式属はgenus: Anas Linnaeus, 1758なので,学術的な和訳としてはAnas=「マガモ属」を採用し,「マガモ科」とするのがいいでしょう.くどいようですが,「カモ」は自然語で,特定の分類群を示す言葉ではないので,学名に使うのはマズイでしょう.

分類に亜科を使用するときは,subfamily: ANATINAE Leach, 1820とsubfamily: ANSERINAE Vigors, 1825(のほか多数)に分かれています.したがって,
subfamily: ANATINAE Leach, 1820 (マガモ亜科)
subfamily: ANSERINAE Vigors, 1825(ハイイロガン亜科)
となりますので,ANSERIFORMESを「カモ目」と訳すと,ANATINAEも「カモ亜科」,ANSERINAEも「カモ亜科」になってしまいます.気をつけましょう.

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さて,「亜目」という単位に意味があるのかないのかわかりませんが,マガモ科は非常に複雑な様相を示していますので,以下に「亜目」分類を示しておきます.
ただ,分類名称は並べてありますが,その亜科分類にどういう意味があるのかが示されている論文・図鑑・解説書には行き当たらないので,あまり意味がないのだろうと思いますけどね.

subfamilia: ANATINAE Leach, 1820 [type: Anas Linnaeus, 1758]
subfamilia: ANSERINAE Vigors, 1825 [type: Anser Brisson, 1760]
subfamilia: DENDROCYGNINAE Reichenbach 1850 [type: Dendrocygna Swainson, 1837]
subfamilia: MERGINAE (Author unknown) [type: Mergus Linnaeus, 1758]
subfamilia: OXYURINAE (Author unknown) [type: Oxyura Bonaparte, 1828]
subfamilia: PLECTROPTERINAE (Author unknown) [type: Plectropterus Stephens, 1824]
subfamilia: STICTONETTINAE (Author unknown) [type: Stictonetta Reichenbach, 1853]
subfamilia: TADORNINAE (Author unknown) [type: Tadorna Oken, 1817]
subfamilia: THALASSORNINAE Livezey, 1986 [type: Thalassornis Eyton, 1838]

開いた口がふさがりませんね.半数以上の亜科に定義者が見つからない.本当に定義された亜科なのでしょうか.疑問に思ってしまう.
….
ざっと調べてみたのですが,信頼のおける情報にあたらないので,これ以上は無意味と判断.中略するしかありません.

しょうがないので,genus: Anas Linnaeus, 1758へ.

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genus: Anas Linnaeus, 1758 [type: Anas platyrhynchos Linnaeus, 1758](マガモ属)

Anasは,ラテン語のanas = 「カモ・アヒルの類」をそのまま属名としたものです.
genus: Anasの模式種はAnas platyrhynchos Linnaeus, 1758とされていて,これは和俗名としては「マガモ」とされていますので,genus Anasは「マガモ属」とされるべきですね.だいたいはそうなっていますが,しばしば,「カモ属」とされていることがありますので,要注意.「カモ」がマズイのはすでに記述しました.

platyrhynchos = platy-rhynchosはギリシャ語の[πλατύς]=「広い」と[τό ῥύγχος]=《中》「嘴,鼻,吻状突起,吸嘴」の合成語をラテン語綴り化したもの.意味は,もちろん「広い嘴」です.種名は形容詞か,名詞の属格であるべきなのですが,名詞もなぜか許容されています.あまりよろしくないと思うけど.
もっとまずいことに,属名Anasは《女性》なのに,platyrhynchosは《中性》です.修正しなくていいのでしょうかね.どこかに間違いがあるのかな.と,おもったらAnas platyrhynchaで記述してある論文もありますね.なんたること!.手に負えんなァ.

マガモ科の仲間は,だいたいが「広い嘴」をもっていますが,「マガモ」がとくに広い嘴を持っているのかどうかは,記述がないのでわかりません.
でも,属名とあわせた意味は「広い嘴のカモ」(強引に形容詞として訳しました).
和俗名は「マガモ(真鴨)」.「和漢三才図会」には,マガモは「真鳧」としてあります.これは「本草綱目」からの引用.「和名は『加毛』」とあります.
「鴨は『呷呷(こうこう)』と鳴く」からその名がついたと説明されています.一方で,「野鴨を鳧(かも),家鴨を鶩(あひる)としてこれを区別する」とありますから,アジアでは,やはり当初から区別していたことになりますね.
英俗名はMallardです.元は古いフランス語らしいですが,意味はどうも曖昧.

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以下,マガモ属に属するとされている種について記しておきます.
なお,旭山動物園キャラに「コールダック(Call Duck)」がリストアップされていますが,コールダックは,「マガモ(Anas)から家畜化された小型の品種.小型のアヒル」ということなので,略します.
なお,下記リストは日本鳥類学会(2000)から拾ったものなので,日本で見られないものについては入っていません.

genus: Anas Linnaeus, 1758 [type: Anas platyrhynchos Linnaeus, 1758](マガモ属)
 Anas platyrhynchos Linnaeus, 1758 [Mallard] (マガモ)
 Anas crecca Linnaeus 1758 [Teal](コガモ)
 Anas strepera Linnaeus, 1758 [Gadwall](オカヨシガモ)
 Anas penelope Linnaeus, 1758 [Eurasian Wigeon](ヒドリガモ)
 Anas acuta Linnaeus, 1758 [Northern Pintail](オナガガモ)
 Anas querquedula Linnaeus, 1758 [Garganey](シマアジ)
 Anas clypeata Linnaeus, 1758 [Northern Shoveler](ハシビロガモ)
 Anas formosa Georgi, 1775 [Baikal Teal](トモエガモ)
 Anas falcata Georgi, 1775 [Falcated Duck](ヨシガモ)
 Anas poecilorhyncha Forster, 1781 [Spot-billed Duck](カルガモ)
 Anas americana Gmelin, 1789 [American Wigeon](アメリカヒドリ)

creccaは,意味不明.
スウェーデン語の[kricka]から来ているという説があり,[kricka]はオスの鳴き声らしいのですが,よくわかりません.
和俗名は「コガモ(小鴨)」.
「和漢三才図会」では,「鸍」の字を示し「こがも,たかべ」と読んでいます.「和名は多加閉(たかべ)」とも.「鳧に似ているが小さい」という記述は,合っているともいます.しかし,色彩の記述がどうも(現在いわれている)「コガモ」と微妙に合いません.鳥類に詳しい人に判断してほしいものです.

種名streperaは不詳.
ラテン語のstrepoは「大きな雑音を立てる;困惑して叫ぶ;反響する」という意味で,これが変化したものらしいのですが,もちろんこんなことを説明している辞書は存在しないので,なんとも.
どうやらstreperus = streper-us=「雑音を立てる」+《形容詞》という構造らしいのですが,語根streper-の生成過程がわからない((^^;).ただ,streperaはstreperusの女性形とみることは可能ですので,「マガモ」であったような「性の不一致」は起きてませんね.

種名penelopeは,ギリシャ神話のオデッセウス[Ὀδυσσεύς, Odusseus]の妻,[ἡ Πηνελόπη]=《女》「ペーネロペー」のラテン語形.ペーネロペーは“貞淑な妻”という役割だそうです.この鳥にそういう性質があるのでしょうかね.「オシドリ」は仲がいい(らしい)ので有名ですが,この鳥の和俗名は「ヒドリガモ(緋鳥鴨)」です.
「和漢三才図会」では,「赤頭鳧(あかがしらがも)」と呼び,「俗に緋鳥(ひどり)と称する」としています.「赤頭」のほうが,特徴を捉えているような気がしますが….

種名acutaは,ラテン語で「尖った」を意味する形容詞の《女性形》.
和俗名は「オナガガモ(尾長鴨)」ですが,じつは,尾っぽが「長く尖っている」ということで,同じ意味.
「和漢三才図会」では,「尾長鳧」(一名は「佐木加毛(さぎかも)」)としています.

種名querquedulaは,ラテン語で「カモの一種(もちろん,欧米では「カモ」と「アヒル」は一緒のものです)」とあります.具体的になにをさすかは不明.
和俗名は「シマアジ(縞味)」というのが通用しているようですが,由来は不明.
「和漢三才図会」では,「味鳧(あじかも)」というのが,これにあたるようです.面白いことに「注」に「どうしてこういうのかよくわからない」とあります.西行法師が歌った和歌が引用されていますので,相当昔から「あぢ」と呼ばれていたことがわかります.なぜ,「あぢ」ではなく,「しまあじ」に変わったのでしょうね.

種名clypeataはclype-atusという合成語の《女性形》で「円楯を備えた」,つまり「円楯状の保護物をもった」という意味です.
和俗名「ハシビロガモ(嘴広鴨)」は,嘴が広く大きいという意味ですが,たぶん,種名の“円楯”は,この大きな嘴を意味しているのだと思います.
「和漢三才図会」には,該当しそうな記述のあるカモは見つかりませんでした.

種名formosaは,ラテン語で「美しい形の」という意味のformosusの《女性形》です.現在,台湾と呼ばれている島のポルトガル名が,このformosaですが,こちらは,単に「美しい」という意味.
和俗名は「トモエガモ(巴鴨)」といい,この鳥の頬にある模様が「巴」に見えるからだといいます.こんな特徴的な色彩・模様なのに,「和漢三才図会」には該当の鳥が見あたりません.

種名falcataは,ラテン語で「鎌状の,鎌を備えた」という意味のfalcatusの《女性形》です.風切り羽根が「鎌様」に見えるからだとされています.和俗名は「ヨシガモ(葦鴨)」とされています.「和漢三才図会」には,「葦鳧(よしがも)」のほか,「蘆鳧(あしがも)」もありますが,色の記載はどちらも微妙.本当に合っているのでしょうか.

種名poecilorhynchaは,poecilorhyncha = poecilo-rhynchaという構造のラテン語合成語.「色取り取りの嘴の《単女》」という意味です.しかし,カルガモの嘴を「色取り取り」という表現をする人はいないだろうと思いますが….
「和漢三才図会」にも「軽鳧(かるがも)」という項目はありますが,名称の由来については,なにもありません.

種名americanaは,合成語Americanusの《女性形》.Americanusは,インドと誤解されていた大陸を新大陸だと認識したといわれるAmerigo Vespucci の名 Amerigo のラテン語形がAmericusで,この語根americ-に形容詞語尾の-anusをつけて形容詞化したもの.
意味はもちろん「アメリカの」ですが,この鳥は,A. penelopeと雑種をつくることが知られており,和俗名も「アメリカヒドリ」だそうです.雑種というのがどのようなものかわからないですが,次の世代が生まれるなら,同一種でいいと思いますけどね.

あ~あ.「カモ」は難物でした((--;).