2015年11月13日金曜日

「北海道鑛山畧記」:(五)金銀銅鉛の「雑」

●雑
●舊記
東蝦夷日誌*1に曰く,「ビクニ」岳「フルウ」岳「サ子ナイ」岳「シャコタン」岳等に金鑛ありと云ふ.
同誌に曰く,「アベヤキ」「ヌツチナイ」「コンガニ」*2,昔黄金を掘りしか故か澤の奥に金坑の跡あり.
同誌に曰く,「ヒハウシ」「ヲホウシナイ」「クロマトマナイ」*3,此處文化年度金丁を入れて,金を掘りし道あり.其近傍多く鑛石を拾たり.
同誌に曰く,「チヤラセナイ」*4,此處三十間餘,瀧に成り落つ.是より「ポンチヤラセナイ」「シヨロカンベツ」「ヘテウコヒ」を経て「ニシユイ」*4に至る.此「ニシユイ」とは臼の事にて,昔金坑盛の時,山丁か用ひし臼ありと.又た神作の臼とも云へり.
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*1:東蝦夷日誌:「ビクニ(美国)岳,フルウ(古宇)岳,サ子ナイ岳(珊内岳),シャコタン岳(積丹岳)」といえば,東蝦夷ではなく,西蝦夷である.誤記か?
*2:「アベヤキ」「ヌツチナイ」「コンガニ」:不詳.
*3:「ヒハウシ」「ヲホウシナイ」「クロマトマナイ」:不詳.
*4:「チヤラセナイ」,「ポンチヤラセナイ」「シヨロカンベツ」「ヘテウコヒ」を経て「ニシユイ」:「シヨロカンベツ」は元浦川上流の支流に河川名として残る.いずれも元浦川の支流名と思われるが,現行地名としては残っていない.


東蝦夷日誌に曰く,「シビチャリ」*5に金坑盛の時,往來せし道ありと云ふ.
仝誌に曰く,「イツケナイ」「子トナイ」「アフカシヤンヘ」*6諾川の上に「アフカシヤンベ」岳あり.往古の金坑跡多し.
仝誌に曰く「ウエンシリウトルクシナイ」「ニナラハクシ」*7此處,寛文年度,金丁多く入りしと云ふ跡あり.
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*5:「シビチャリ」:シベチャリ川.現・日高郡新ひだか町を流れる静内川.
*6:「イツケナイ」「子トナイ」「アフカシヤンヘ」:不詳.静内川には「ネトナイ滝」というものがあるようだが,不詳.
*7:「ウエンシリウトルクシナイ」「ニナラハクシ」:不詳.


蝦夷見聞誌*1に曰く,蝦夷國金銀銅出る處多し.即ち「クンヌイ」*2「チクンヌイ」*3「ウンベツ」*4「スウバリ」*5「シコツ」*6等なり.
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*1:蝦夷見聞誌:(えぞけんもんし)林子平および秦檍丸に同名の著があるとされるが不詳.
*2:「クンヌイ」:訓縫(現・山越郡長万部町字国縫).ただし,この場合は訓縫川のこと.
*3:「チクンヌイ」:不詳.モクンヌイの誤記か?>山越郡長万部町を流れる茂訓縫川のこと.
*4:「ウンベツ」:不詳.様似郡を流れる「海辺川」かもしくは「門別川」か.
*5:「スウバリ」:不詳.石狩川水系夕張川のことか.
*6:「シコツ」:Sikot-pet;現・千歳川か.千歳川最上流(美笛峠付近)には千歳鉱山があった.


松前東西管闚*1に曰く,元文三*2,午年二月,松平左近將監*3,御書付を以て被仰付候へは,金銀稼方の儀,引受取計可相勤侯由,後藤庄三郎*4へ被仰付候間,庄三郎差圖を受け板倉源八郎*5山稼方取計の積.後藤庄三郎被仰付候間,山稼等可申付旨被仰出.同年,後藤庄三郎,名代の者・佐原木藤兵衛・福島數右衛門上下四拾六人にて下着.處々見分致候得共,出來不申相止め申候.佐原木藤兵衛,當時にて病死致候.
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*1:松前東西管闚:不詳.表題からは,松前藩による蝦夷地の諸統計・情報誌と思われるが所在不明.
*2:元文三(年)二月:1738年3月.
*3:松平左近將監:当時の老中首座・松平乗邑のこと.
*4:後藤庄三郎:御金改役に与えられた名称.六代・庄三郎光富か?
*5:板倉源八郎:坂倉源次郎(「蝦夷地質学外伝」其の伍「北海随筆」参照)


蝦夷舊聞*1に曰く,赤夷風説考*2に云ふ「センゲン」山*3,松前府より丑寅に在り.往時鑛の跡,斷岩屏風の如くに聳へ,高さ數十丈なる處あり.今是を切通しと云ふ.
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*1:蝦夷舊聞:蝦夷旧聞,鈴木善教(不詳)が安政元年に著した蝦夷地に関する記載(未見).
*2:赤夷風説考:赤蝦夷風説考:工藤平助著.
*3:「センゲン」山:大千軒岳;渡島半島南部,松前町と上ノ国町の境にある(「蝦夷地質学外伝」其の参「蝦夷国まぼろし」参照)


蝦夷草紙*1に曰く,古來より銀山の沙汰話し「カワクミ」山*2「ユ一ラプ」山*3等に在り.
蝦夷草紙に曰く,銅山は東蝦夷地「シベツ」*4の奥山にあり.「ハコダテ」在の山に在り.
蝦夷草紙に曰く,「メツノイヲヽストロフ」*5といふ島に黄銅あり.此金日本にて未見.生れなから金色なる銅にて,眞鍮の柔かなる様なりと赤人渉海して委細物語れり.
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*1:蝦夷草紙:最上徳内(1789;寛政元)著.
*2:「カワクミ」山:「カツクミ(川汲)鉱山」.
*3:「ユ一ラプ」山:遊楽部鉱山(鉛川鉱山,八雲鉱山).
*4「シベツ」:標津郡標津町.
*5「メツノイヲヽストロフ」:別紙には「メツノイヲ,ストロフ」とあり.どちらにしても地名としては不詳.


蝦夷舊聞*1に曰く,赤蝦夷風説考に言ふ「アカガミ」の地より先き「キヨベ」*2の地,銅を産す.
東の方箱舘に「エサン」の銅山*3あり.東蝦夷「サル」の地,往古鑛の夫数千人群集し家數千軒ありしと.(窃々夜話*4に云,「サル」塲所へ「ナコ」より東の方,十四里半「シコ」と言ふ地銅山なりと.又同塲所イケウシリ川上二十里「チロ」金山.昔金銅出しと)
「エリモヒ」と云地,往時鑛の夫諸國より群集せしに「シヤムシヤイン」亂の時,賊徒百人を此地にて斬首ありてより後,是を百入濱*5と呼へり.此處金甚多しと云ふ.(窃々夜話に「ホロイツミ」塲所「カムイ井ト」一に「エリモ」岬と云ふありて,其地續きに百人濱の名見へたり).
西蝦夷「ヌツキ」,昔鑛の夫多く聚りし地にて,今其遺趾あり.
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*1:蝦夷舊聞:蝦夷旧聞,鈴木善教(不詳)が安政元年に著した蝦夷地に関する記載(未見).
*2:「キヨベ」:松前郡松前町清部.小鴨津川流域にいくつかの鉱山がある.
*3:「エサン」の銅山:恵山鉱山は硫黄鉱山として知られており,恵山の銅山というだけでは,たくさんありすぎて特定できない.
*4:窃々夜話:不詳.「東夷窃々夜話」のことか?(未見). 
*5:百入濱:えりも町苫別付近に「百人浜」の地名が残る.地名の由来は複数の説があり,またこの付近に金・砂金鉱床の記述は見あたらない.


蝦夷草紙*1に言,箱舘、屬村、大森、石崎其他諸處に銅山多し*2.又東蝦夷「シベツ」*3の奥に銅山あり.「ウラカハ」に鑛の跡あり(窃々夜話*4言,浦川塲所ホロヘツ川二里上「シユマン」*5と云ふ地,金の古蹟あり).
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*1:蝦夷草紙:最上徳内(1789;寛政元)著.
*2:所蔵する「蝦夷草紙」にこの様な記述のあるものはない.
*3:東蝦夷「シベツ」:標津郡標津町.標津町金山付近には根室鉱山,東亜鉱山,武佐鉱山などがあった.
*4:窃々夜話:不詳.「東夷窃々夜話」のことか?(未見). 
*5:「シユマン」:日高幌別川支流にシマン川があり,この付近と考えられる.金山としては,この付近の様似町海辺川付近の金鉱が古く松前藩によって探鉱された記録がある.


東蝦窃々夜話*1云ふ「シツナイ」塲所「シビチヤリ」川源「アフカシアンベ」山,昔銀銅を出せしと云ふ(蝦夷亂記事に此地,昔金多し.邦賊首シヤムシイン*2此に住居せしヿを言へり).
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*1:東蝦窃々夜話:不詳.国会図書館には所蔵されているようである.
*2:シヤムシイン:印字のまま.


野作雑記*1に言ふ,「ウナヘツ」*2の土人,近傍の地,銀を生するヿを云へり.
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*1:野作雑記:不詳.「東北韃靼諸国図誌野作雑記訳説」のことか.この写本は,いくつか現存するらしく,オランダの地理学者ウィツェンの著書“Noord en Oost Tartaryen”(1677年再版)中より、「エゾ」に関する部分を編訳し注を付したものらしい.馬場貞由という人物が1809年に訳したとされるが,詳細は不明.
*2:「ウナヘツ」:斜里町に「海別岳」がある.硫黄鉱山・褐鉄鉱鉱山は存在したが,銀鉱床は記録がない.


窃々夜話*1に言ふ,「ウシヤフ」*2と言ふ處より五里程上チロ*3合と言處の山,昔金掘出しよし申傳ふと.
窃々夜話に「チフカルべツ」より海岸を行キ「トシヨロ」ニ至ル此處銀山ナリト言傳フト言ヘリ
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*1:窃々夜話:不詳.「東夷窃々夜話」のことか?(未見). 
*2:「ウシヤフ」:右左府(日高村の旧名)か?.
*3:チロ:現・日高町市街地の沙流川上流では千呂露(チロロ)川と合流する.この付近にはクロム鉱山はあったが,金鉱の記録はない.


蝦夷地見聞録*1に曰く,鉛山の義は所々に見當りたれば,山稼すれば出銀もあるべきなり.去り乍ら是とても嶮岨なる澤々の事にて,稼塲何れも嶮岨に稼く事故,山々を吟味し,彌々出鉛ありと見極たらば,山稼するに差支なかるべし.又曰く西蝦夷地の内,鉛石見當りたる塲所はアカガミ村*2,豐部内*3,「ユウラツプ」*4,「サカツキ」*5,見市村の奥「ヲボユ(ママ)」*6等なり.
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*1:蝦夷地見聞録:不詳.
*2:アカガミ村:松前郡松前町赤神.
*3:豐部内:桧山郡江差町(1900年豊部内町は他町と合併し江差町となる).現在も「豊部内川」の名が残る.
*4:「ユウラツプ」:二海郡八雲町にある地名.遊楽部川,遊楽部岳(見市岳)の名も現存する.
*5:「サカツキ」:古宇郡泊村盃村.
*6:見市村の奥「ヲボユ」:「ヲボコ」の誤記か?.二海郡八雲町熊石見日町を見市川が流れる.ヲボコは「雄鉾岳」であろう.


東蝦夷日誌に曰く「チヤラセナイ」「チケウエ」「ホンチケウエ」*1邊の山總て鉛氣又石英の氣あり.土人取り來り,鑛を焼き鉛を取り鎭石を作れり.
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*1:「チヤラセナイ」「チケウエ」「ホンチケウエ」:不詳.いずれも複数の候補がある.


2015年11月3日火曜日

大鳥圭介

 
しばらく江戸時代から遠ざかってたら,こんな本が出ていた.
ざっと読む.彼も「蝦夷地質学」関係者.
幕末は,ドキドキするなあ.