2007年12月13日木曜日

うらぎられてしまった(-_-;

 もう何ヶ月も前になりますが,某・通販書店にPeter Simon Pallas (著), Carol Urness (編集) "Naturalist in Russia"が入荷になるというので,たのんでありました.

 こんな本がでているのかとびっくりしましたが,同時にうれしくもありました.
 パラスの著作が読めるなんて!

 ところが,一週間前に発送が遅くなるというメールが届き,つい先ほどキャンセルさせてくれという一方的なメールが届きました.

 ま.無いものはしょうがないですけどね.この落胆は,やっぱり文章にしておかなければね.
 (-_-;,(T_T),(▼▼#)

 ちなみに,パラスとはドイツの医者,博物学者で探検家.
 ロシア・アカデミーにまねかれて,シベリアを探検.マンモスや毛サイなどをたくさん収集しています.
 かわいいところではナキウサギ,それも直接エゾナキウサギにちかいヤツを記載.
 もひとつ.ジャンガリアン・ハムスターの記載も彼だそうです.

「日本登山史・新稿」

 「松浦武四郎と江戸の百名山」中に,「日本登山史・新稿」(山崎安治著)なる本が引用され,「武四郎が日本登山史において,その名を残す人であった」としてあります.
 「日本登山史・新稿」は旭川にある図書館には,どこにも蔵書になっていなかったのですが,ある古書店から入手可能だったので,つい買ってしまいました.(^^;

 どうやら,「松浦武四郎と江戸の百名山」は「日本登山史・新稿」を下敷きに発展させた本のようです.
 「日本登山史・新稿」では,武四郎の「日誌」や既刊の伝記などを無批判・無検討で引用していますが,武四郎の“登山”は,すでに,いくつかの研究で否定されたしまったものも多いのです.当然,これを引用した「松浦武四郎と江戸の百名山」でも,書かれていることは,すべて行なわれたこととして掲載されています.
 著者は,武四郎研究家の秋葉實氏に,武四郎の登山歴の一部を否定された件を描いていますが,その経験にもかかわらず,ほかの登山についての再検討をすることはなかったようです.

 さて,「日本登山史・新稿」ですが,既刊のたくさんの資料を引用しているので,資料集としてはずいぶん役に立ちそうです.しかし….
 登山史に関係ない人間がとやかくいうのはなんですが,関係部分を拾い読みしただけでも妙な点がいくつかあります.たとえば,「北辺の探検と測量」という節があり,「最上徳内・間宮林蔵・近藤重蔵」らがあげられているのですが,かれらが「登山」したという話は聞かないし,この本でも「登山」したことは書いてありません.なんでかれらが出てきたのだろう.(^^;

 この本の後半は,「日本アルプス」の登山史ですが,結局「日本登山史」と称しながら,「日本アルプス登山史」ぐらいにしかなっていないような気がします.そう,たとえば,「日高山脈」の登山なんかは一行もでていないようなのですね.
 なにしろ,550ページちかい大作なので,どこかに書いてあるかもしれないですが,少なくとも,ざっと読んだ部分と,目次にはありませんでした.なんか買って損したような気がしますが,旭川の図書館にはこの手の本はおいていないので,借りて読むこともできず,しょうがないんですね.蔵書してあっても,どうせ「禁帯出」だろうし.
 でも,前述のように律義に引用文献を明示してあるので,すくなくとも,その点は役に立ちそうです.

2007年12月4日火曜日

松浦武四郎と江戸の百名山

 タイトルの本(平凡社新書344)をやっと入手しました.
 相当前にAmazonに注文してあったのですが,一緒にたのんだ本の発行が遅れていて,最近になってようやくとどいたものです.Amazonでは¥1,500以下は送料を取られるので,まとめて注文します.

 著者は中村博男氏で,元NHKチーフディレクターとあります.
 8月30日に少し触れた,渡邊 隆(2007)「江戸明治の百名山を行く──登山の先駆者 松浦武四郎──」(北海道出版企画センター刊)とよく似た題名です.

 中村氏の本も,武四郎の伝記として扱うことが可能ですが,あまり重要と思われる情報はありません.
 武四郎の登山に関する雑文に近いもので,軽い読み物という所でしょう.個人的に興味のある蝦夷地に関することも,ごく一部でしか扱っていませんでした.大部分は,蝦夷地紀行以前の登山の話に使われています.それも,余り深く掘り下げたものではないので,読み飛ばしてしまいました.

 肝心の「蝦夷地(における登山)」もどうもね((^^;).

 さすがに,武四郎の“石狩岳登山”は「石狩岳」ではなく,「“大雪山”である」としていますが,この“大雪山”登山については疑問を持っていないようです.
 蝦夷地質学外伝では,サンケソマナイをでて途中で引返したという説を取りました.

 なお,“大雪山”という「山」もしくは「ピーク」は存在せず,複数のピークを総称して「大雪山連峰」と呼ぶのが正しいのですが,国土地理院の地形図でも最近は「大雪山連峰」ではなく「大雪山」としているようです.どこに登ったら「大雪山登山をした」といえるんでしょうかね.

2007年12月1日土曜日

ラマルクのこと

 「ラマルクは『自然の体系』八巻を出版する計画を立てた.しかし,そのような大部の出版物に対する国家予算はなく,その一部として書いた『水理地質学』(一八〇二)のみが出版された.」
 「この本で彼は,地表を流れる水の影響は僅かな変化をもたらすが,積もり積って,深い谷,広い平野をつくるという『斉一説Uniformitarianizum』の考えをとった.これはキュビエの『天変地異説Catastrophism』に対するものであった.」
 「この思想がフランスを訪れた地質学者チャールズ・ライエル(一七九七-一八七五)に伝わり,ライエルの『地質学原理』(一八三〇-三三)がチャールズ・ダーウィン(一八〇九-八二)に深い影響を与えたとすれば,ラマルクのダーウィンへの影響は,ダーウィンが考える以上に深いものがあるだろう.」

 木村陽二郎(1983)「ナチュラリストの系譜」の169頁からの引用です.

 以前から,ラマルクに対する評価は低すぎるように感じていましたが,今から20年以上も前に,ラマルクをこれだけ評価している人がいました.残念なことに,木村氏は生物学がご専門なので,ラマルクの地質学については,ほとんど触れられていません.
 だれか,フランス語ができる地質屋さんがラマルクの地質学に関する著作を評価してくれないですかねえ.

 近代地質学が,英国で始まったというのは,もうだいぶボロが出てきているようですが,それにしても,フランスやロシアの地質学(当時は「博物学」といった方がいいのかも知れませんが)を系統的に論じた著作というのはないですねえ.