2019年5月10日金曜日

北海道地質学史に関する文献集(23)


湊 正雄(1982)北大における地質学と北海道.

 北海道大学名誉教授の湊正雄が,北大百年史に書いた「北大における地質学と北海道」である.対象が地質学者ばかりではないので,非常に分かりやすい内容となっている.また,博学多才といわれた湊教授の文章は読むものをとらえて放さない.しかもその時期その時期における研究の成果やその評価も適切である.

 以下に章立てを示しておく.

1 開拓使以前の時代
2 開拓使仮学校の時代
3 札幌農学校の時代
4 東北帝国大学農科大学の時代
5 北海道帝国大学の時代
6 北海道大学の時代

 なお,本論は「北大百年史」という性質上,1970年ころまでの内容となっている.したがって,「6 北海道大学の時代」で描かれた,日本列島に地向斜造山論を当てはめてきた湊-舟橋らの仕事は,現在となっては+α(=プレートテクトニクス論)の上書きが必要である.



2019年5月9日木曜日

北海道地質学史に関する文献集(22)

 
鈴木尉元(1982)地質調査所における石油・天然ガス調査事業の歩み.

 地質調査所がおこなった石油・天然ガス資源調査の歴史について,詳細に述べられている.しかし,その調査史は,時代の波に押し流され,国内だけにも地質調査所内だけにもおさまるものではなく,また,縮小を余儀なくされた時代もあったことが示されている.



 太平洋戦争中には,南方石油の開発に多くの地質家・石油技術者が駆りだされたが,戦況の悪化に伴う国内石油開発へ振り替えるために,まとめて国内に送り返された阿波丸が沈没.500有余名の専門家が死去した.「阿波丸殉難者追悼録」が出版されているとあるが,機会があったら読んでみたいものだ.
 我が師,湊正雄(北大名誉教授)は阿波丸を待たず,一刻も早く日本に帰りたいと危険を顧みず軍艦で帰国したが,皮肉なことに彼は生還した.湊が戦争を嫌い,科学者が軍事研究に与することがないように戦い続けたルーツである.

 敗戦後,深刻なエネルギー危機を迎えた日本は,地質調査所を中心に多くの油田開発を進めた.この報告以降,原油の輸入が可能になった日本は,国内の油田開発をやめて,地質屋の努力は灰燼に帰したが,この時期におこなわれた第三紀層の研究の結果は,いまも燦然と輝いている.

 以下,各章の表題と引用文献を掲げておく.
1.初期の油田調査
2.第一次の油田調査
3.第2次の油田調査まで
4.第2次の油田調査
5.第3次の油田調査まで
6.第3次の油田調査
7.第2次大戦後
8.まとめと今後の課題

参考文献
地質調査所(1887-1903)地質要報
地質調査所(1908-1944)地質調査所報告 No.4-125
地質調査所(1911-1922)鉱物調査報告 No. 1-34
地質調査所(1932)日本地質鉱産誌 453p.
地質調査所(編)(1957)日本鉱産誌 BV-b 主として燃料となる鉱石一石油および可燃性天然ガス 416p. 東京地学協会
地質調査所(1969)地質調査所出版物目録(明治12年̃~昭和43年) 251p.
地質調査所阿波丸殉難者追悼録刊行会(編)(1979)阿波丸殉難者追悼録 245p.
地質調査所八十周年記念出版物編集委員会(1962)懐古録 276p.
千谷好之助(1925)秋田山形及越後地方に於ける油田調査事業と其将来の試掘地域.地学雑 37 538-544
千谷好之助(1930)本邦油田第三紀層の分類と其名称に就きて(摘要).地質雑 37 262ー269
千谷好之助(1934)本邦油田調査事業に就きて 石油技協誌 2 173-18
千谷好之助(1940)討論研究題目「新潟県各油田の地層対比を論じ石油試掘との関係に及ぶ」開会の挨拶 石油技協誌 8 356-369
第三系堆積盆地研究グループ(1974)新潟第三系堆積盆地の形成と発展 層序編 地調報告 No. 250-1 1-319;構造地質・地球化学編 地調報告 No.250-2 1-233
池辺展生(1940)新潟県各油田の地層の対比 石油技協誌 8 361-372
池辺展生(1941)越後油田褶曲運動の現世まで行われていることに就いて 石油技協誌 10 184-185
池辺展生(1961)日本の新生代の研究史 槇山次郎教授記念論文集 339-342
伊木常誠先生追悼録刊行会(1962)伊木常識先生追悼録 197p.
今井 功(1966)慾明期の日本地質学 193p. ラティス
今井 功(1972)年表地質調査所90年史 地質ニュース No.220 185-210
桑田権平(1937)來曼先生小伝 99p.
日本地質学会(1953)日本地質学会史 185p.
OTUKA Y. (1941) Active rock folding in Japan. Proc. Imp. Acad. Japan 17 518-522
大塚弥之助(1942)活動している皺曲構造 地震 14 46-63
佐川栄次郎(1921)故ライマン氏を憶ぶ 地質雑 28 40-54
鈴木尉元・三梨 昻・影山邦夫・小玉喜三郎・島田忠夫・宮下美智夫(1972)地質調査所における戦後の石油・天然ガス調査事業の歩みと今後の課題 地質ニュース No.220 91-101
上床国夫・片山 勝・井尻正二・蔵田延男・大塚弥之助(1941)本邦油田の地質構造の研究(第一報) 石油技協誌 963-157
山根新次・三土知芳(1954)わが国の地質調査事業の沿革 地学雑 63 151-165.

 

2019年5月8日水曜日

北海道地質学史に関する文献集(21)

 
今井 功・鎌谷親善(1982)創立期の地質調査所.

 内容は表題の通り「創立期の地質調査所」の諸事情について詳述されている.
 北海道に関連する事項としては,後の北海道神宮の宮司となった白野夏雲や,地質調査事業が始められた頃の職員の中に,ライマンの弟子であった坂市太郎と西山正吾が加わっていたことが示されている.
 以下に,章の表題について示す.引用文献については,文中か「注」に示されているので,略す.

  地理寮木石課から地理局地質課へ
  ナウマンの「地質測量意見書」
  地質調査事業の準備
  庁舎施設の築造
  地質調査事業の開始
  内務省から農商務省へ
  地質調査所の設立



2019年5月2日木曜日

北海道地質学史に関する文献集(20)

 
今井 功(1972)年表 地質調査所90年史.

 この年表は,表題の通り「地質調査所90年史」についてのまとめであり,北海道の地質調査史とは直接の関連はない.しかし,非常によくまとまっているので,日本の地質調査史を概観するには好適であろう.
 参考文献が提示されているが,北海道の地質調査史とは直接かかわりがないので,省略する.


2019年5月1日水曜日

北海道地質学史に関する文献集(19)

 
曾我部正敏・根本隆文・佐川 昭・大島和雄(1968)石炭地質学の進歩.

 北海道における石炭地質学の歴史についてまとめられている.「まえがき」には石炭地質学の歴史が簡単に述べられている.引用文献は示されていない.


 以下に,章立てを示す.

まえがき
Ⅰ 北海道の炭田
Ⅱ 石炭調査・研究の現状
 (1)層序学・構造地質学的研究
 (2)堆積学・古生物学的研究
  堆積輪廻
  重鉱物分析
  斜層理・漣痕・ソールマーク
  貝化石
  植物化石
  花粉・胞子化石
 (3)炭層に伴う資源の研究
 (4)炭質研究
むすび

 

2019年4月26日金曜日

北海道地質学史に関する文献集(18)


植村癸巳男(1968)鉱物調査をかえりみて~明治・大正時代のスベニール~.

 明治43年から大正13年までおこなわれた北海道についての「鉱物調査事業」について.事業そのものについてではなく,実際の調査の思い出やアシストしてくれたアイヌ民族に対する感謝が述べられている.
 調査の苦労話については,私どもが学生のころにおこなったのと比べて,交通網や宿がよくなったのは別として,野外での作業の苦労は,ほとんど変わらないのでよくわかる.現在はどうなのであろうか.


 さて,この鉱物調査事業の内容については,この報告ではほとんどわからないので,鉱物調査報告のリストを下に示しておく.

鑛物調査報告(Mineral Survey Reports
内容 報告者 出版年月
第1号 明治四十三年度鉱物調査の概要            伊木常誠  明治44.3
第2号 渡島国亀田半島鉱床調査報告             大日方順三 M.44.3
第3号 膽振国勇払郡勇払油田調査報告            小林儀一郎 M.44.3
第4号 日高国沙流川流域調査報告              岡村要蔵  M.44.3
    日高国「ヌカビラ」川流域調査報告          伊木常誠   同
    日高国新冠,静内,三石三郡地方調査報告       岡村要蔵   同
    日高国南部及十勝国広尾郡調査報告          山根新次   同
第5号 胆振国勇払郡鵡川流域調査報告            小林儀一郎 M.44.6
    渡島国濁川油田調査報告               小林儀一郎  同
    日高国門別川,波恵川,慶能舞川及厚別川流域調査報告 伊木常誠   同
    日高国元浦川流域及浦河附近調査報告         伊木常誠   同
    十勝国広尾郡及河西郡地方調査報告          岡村要蔵   同
    石狩国空知川支流「ヤマエ」及「トナシュベツ」調査報告
                              山根新次   同
    附十勝石狩国道筋地質調査報告            山根新次   同
第6号 渡島国及後志国鉱床調査報文             大日方順三 M.44.7
第7号 明治四十四年度鉱物調査の概要            伊木常誠  M.45.3
第8号 後志国及胆振国の硫黄及鉄鉱調査報文         大日方順三 M.45.3
第9号 北見国宗谷炭田予察調査報文             岡村要蔵  M.45.6
    石狩国石狩油田調査報文               小林儀一郎  同
第10号 雨竜留萌炭田地質調査報文              山根新次  T.1.8
    天塩国留萌及苫前地方地質調査報文          山根新次  T.1.8
第11号 北海道北部中央地区地質調査報文           岡村要蔵  T.1.8
    石狩国恵袋別徳富産油地調査報文           小林儀一郎 T.1.8
    石狩国新十津川砂金地調査報文            小林儀一郎 T.1.8
    石狩国浜益郡浜益川流域及浜益郡茂生厚田郡安瀬間地質調査報文
                              小林儀一郎 T.1.8
第12号 後志国及渡島国の鉱床調査報文            大日方順三 T.1.9
    渡島国亀田郡尻岸内村同茅沼郡及胆振国山越郡砂鉄調査報文
                              大日方順三 T.1.9
第13号 明治四十五年大正元年度鉱物調査の概要        伊木常誠  T.2.3
第14号 北見国宗谷郡天塩国天塩郡産油地調査報文       小林儀一郎 T.2.10
    天塩国幌延炭田調査報文               小林儀一郎 T.2.10
第15号 北海道北東部地質調査報文              岡村要蔵  T.2.10
第16号 天塩国遠別及築別地方地質調査報文          渡邊久吉  T.2.10
    石狩国札幌郡定山渓付近地質鉱物調査報告       渡邊久吉  T.2.10
第17号 大正二年度鉱物調査の概要              小林儀一郎 T.3.5
第18号 浦幌炭田調査報文                  小林儀一郎 T.3.9
第19号 北見国宗谷炭田調査報文               渡邊久吉  T.3.9
第20号 北海道網走屈斜路地方地質調査報文          岡村要蔵  T.3.11
    後志国奥尻島地質鉱床調査報文            岡村要蔵  T.3.11
第21号 釧路国白糠舌辛地方地質調査報文           渡邊久吉  T.4.10
第22号 日高国北西部産油地調査報文             岡村要蔵  T.4.10
    胆振国幌別鉱山及白老鉱山調査報文          大日方順三 T.4.10
第23号 知床半島地質調査報文                門倉三能  T.5.10
第24号 石狩国札幌郡定山渓豊羽鉱山附近地質調査報文     小林儀一郎 T.6.10
    天塩国天塩郡天塩,遠別間産油地調査報文       小林儀一郎 T.6.10
    渡島国上磯郡泉沢産油地地質調査報文         小林儀一郎 T.6.10
第25号 釧路国釧路炭田調査報文               門倉三能  T.7.2
第26号 後志国太櫓郡及久遠郡鉱物調査報文          千谷好之助 T.7.3
第27号 釧路国阿寒炭田調査報文               門倉三能  T.7.10
第28号 石狩国空知郡十勝岳附近鉄鉱及硫黄鉱調査報文     納富重雄  T.9.1
    石狩国上川郡美瑛鉄鉱調査報文            納富重雄  T.9.1
    石狩国上川郡鷹栖村鉄鉱調査報文           納富重雄  T.9.1
    北見国常呂郡太茶苗鉄鉱調査報文           納富重雄  T.9.1
    北見国斜里郡斜里砂鉄調査報文            納富重雄  T.9.1
    北見国紋別郡上生田原鉄鉱調査報文          納富重雄  T.9.1
    北見国紋別郡北ノ王金山付近地質調査報文       納富重雄  T.9.1
第29号 胆振国鉄鉱調査報文                 清野信雄  T.9.2
第30号 天塩国留萌炭田及油田調査報文            飯塚保五郎
                              上村癸巳男 T.9.9
第31号 釧路国東部釧路炭田調査報文             飯塚保五郎 T.9.9
第32号 天塩国留萌郡小平蘂川南部炭田調査報文        上村癸巳男 T.11.3
第33号 根室国目梨郡忠類川上流産油地調査報文        六角兵吉  T.11.12
    北見国斜里郡斜里岳付近地質鉱物調査報文       六角兵吉  T.11.12
第34号 天塩国中川郡恩根内産炭地調査報文          鈴木達夫  T.11.12
    石狩国雨竜郡朱鞠内産油地調査報文          鈴木達夫  T.11.12
第35号 天塩国留萌郡小平蘂川北部炭田調査報文        六角兵吉  T.14.8
第36号 天塩国羽幌炭田調査報文               上村癸巳男 T.14.9
第37号 後志国茅沼炭田調査報文               鈴木達夫  S.5.3
    釧路国阿歴内産炭地調査報文             鈴木達夫  S.5.3
    釧路国糸魚沢産炭地調査報文             鈴木達夫  S.5.3


2019年4月24日水曜日

北海道地質学史に関する文献集(17)

北海道地質学史に関する文献集(17)

佐藤博之(1968)北海道の地質はどのように解明されているか.

 戦後の北海道の地質調査について,図幅調査を中心に詳述されている.敗戦前の国土膨張期には,完全に無視されていた北海道の地下資源も,敗戦とともに見直され,基礎的な地質調査の重要性が見直された.
 調査機関としては,(日本)地質調査所に加えて,北海道地下資源調査所が設立され,これに北海道開発庁(実際の調査は地質調査所と地下資源調査所がおこなった)が加わって本格的に始動する.地質家としては,上記職員のほかに,北海道大学と北海道教育大学から,ほかにも東京教育大学,熊本大学,札幌通商産業局などが調査に加わった.
 以下に,この報告の章立てを示す.

   1 5万分の1図幅
   2 20万分の1地質(図幅)
   3 小縮尺地質図
   4 図幅調査のトピック




 「4 図幅調査のトピック」には「新冠川の石灰石鉱床」と「大千軒岳山麓の石炭紀層」が挙げられている.
 「新冠川の石灰石鉱床」は,道路がないために未踏査であった地域が,北海道電力が電源開発のために切り開いた調査歩道が使えるようになり,そこで鈴木守技師(北海道地下資源調査所:当時)が新冠川を踏査中に巨大な石灰岩体を発見したという話題である.本文を引用すれば「人跡もそれまでは未到にひとしかった日高の山中に これだけの地下資源が眠っており それが図幅調査によって発見されたというめずらしい話題である」という.それが,神保小虎が命名した「日高山脈」,人を近づけない「日高山脈」の実体だったわけである.
 もう一つの「大千軒岳山麓の石炭紀層」は,道南の上ノ国村の地質調査中に,また「大千軒岳」図幅調査中に,上ノ国では石灰岩レンズから,大千軒岳付近では知内川の礫状石灰岩及び石灰質礫岩から紡錘虫や珊瑚化石が発見され,これらから石炭系の地層があることが確認されたことである.それまでは,いずれの岩体も時代未詳古生層とされていたので,非常に重要な発見であった.
 どちらも,綿密な地質調査が,どれだけ多くの情報をもたらすかという好例である.
 ところが不思議なことに,上ノ国図幅も大千軒岳図幅も,どちらも出版されずに終わっている.



 

2019年4月21日日曜日

北海道地質学史に関する文献集(16)

 
佐藤・斎藤(1968)本道地質調査事業のあゆみ 第Ⅰ部 北海道の地質調査事業はどのように進められたか.

  1 創成期
  2 油田の開発から大井上図まで
  3 昭和初期から終戦まで

 これ以上に北海道の地質調査史に付け加えることがあるとすれば,些末なほどに詳細なことか,戦後についてだけ,ということになろう.
 北海道の地質調査史は,北海道の歴史そのものと同じ,国家の都合や世相に左右されながら,日本国本土の地質調査史とはまったく別の調査史を歩んでいることがわかる.

 引用文献は,とくに示されていない.


 



北海道地質学史に関する文献集(15)

 
斎藤正雄(1967)北海道の鉄資源.

 本論文は,地質調査所報告第220号に「北海道の鉄資源」としてまとめられたもので,Ⅱ章「総説」のⅡ.2「北海道における鉄資源開発と調査の変遷」に調査史が述べられている.

 鉄資源を基本としてまとめられているので地質調査史として使うには不充分である.しかし,鉄資源調査史としては充分に詳しい.


2019年4月18日木曜日

北海道地質学史に関する文献集(14)

北海道地質学史に関する文献集(14)

今井 功(1966)黎明期の日本地質学.

 前述の今井(1963~1965)「地質調査事業の先覚者たち」を再編集したものである.地質学史に興味がある人には必読の書であるが,すでに絶版で古書店でも入手困難になっている.

 以下に,章立てと参考文献を示しておく.ただし,「Ⅱ章 ライマン」以外は北海道の地質に大きく関わらないので章題だけにし,「Ⅱ章 ライマン」については節題も示す.なお,巻末にある「おもな参考文献:全章にわたるもの」は割愛する.

  目次
  はじめに
  I コワニエ
  II  ライマン
  III 和田維四郎
  IV ナウマン
  V 原田豊吉
  VI 巨智部忠承
  VII 小藤文次郎
  おわりに
  年表
  おもな参考文献

II  ライマン
II-1 生い立ち
II-2 蝦夷地の開拓
II-3 北海道開拓使
II-4 開拓使仮学校
II-5 北海道の地質調査
II-6 全国油田地質調査
II-7 その後のライマン

Ⅱ章 おもな参考文献
B. S. Lyman: A General Report on the Geology of Yesso, 1877
ライマン:北海道地質総論 開拓使 明治11年
B. S. Lyman: A Report of Progress for the First year of the Oil Survey, 1877
B. S. Lyman: A Report of Progress for the Second year of the OilSurvey, 1879
B. S. Lyman: Report of Progress for 1878 and 1879, Geological Survey of Japan, 1878
賀田貞一略伝:日本鉱業会誌 第370号 大正4年
山際永吾小伝:日本鉱業会誌 第385号 大正 年(年数は脱字)
坂市太郎:北海道の開発と石炭鉱業 日本鉱業会誌 第403号 大正7年
佐川栄次郎:ライマン氏を憶ふ 地質学雑誌 第28巻 第328号 大正10年
小野崎五助:桑田知明翁を追悼す 日本鉱業会誌 第614号 昭和11年
桑田権平:来曼先生小伝 昭和12年
斎藤仁:北海道の地下資源調査事業の沿革(一)(ニ)(三) 地下資源 No. 1~No. 3 昭和33ー34年
加茂儀一:榎本武揚 中央公論社 昭和35年
佐々保雄:北海道地質図変遷史(一) 北方文化研究報告 第17輯 昭和37年


 

2019年4月14日日曜日

北海道地質学史に関する文献集(13)

北海道地質学史に関する文献集(13)

佐々保雄(1962)北海道地質図変遷史(一). 
佐々保雄(1964)北海道地質図変遷史(二). 
佐々保雄(1965)北海道地質図変遷史(三).

 北海道における地質学の巨人のひとり・佐々保雄による「北海道地質図変遷史」である.38+36+68頁の大著.

 章立ては以下の通り.

一,諸言
二,北海道の地質調査と地質総図
三,明治初期・北海道開拓使時代の地質図
四,明治中期・北海道庁鉱物調査時代の地質図
五,明治末期ー大正期・地質調査所「鉱物調査」時代の地質図
六,昭和期・北海道工業試験場時代の地質図
七,昭和二〇年以降・第二次大戦後の地質図

 北海道の開拓前夜から第二次世界大戦後,本書発刊当時の1960年代までが網羅され,各地質図を詳述の上,その地質図に対する評価も述べられている.この大業に付け加えることは何もないであろう.

 その緒言を示しておく.
 北海道に関する地質図は、その大小精粗を問わないとすると、明治初葉から今日にいたるまで、公刊されたものがかなりの数に達している。その中、部分図は別として、地質総図(General Geological Map)、すなわち北海道全体を一つにまとめた地質図だけを見ても、決して少い数ではない。総図としての性質上、縮尺は五〇万分台から三〇〇万分の一台の大縮尺のものが多いので、地質の詳細にわたつては描かれていないが、大局的に地質構成がどうなつているかを理解することが出来る。地質総図の目的もまたそこにある。
 しかし、それらを、時代を追つて一つ一つ点検していくと、その間に自ら移り変りがあつて、ある時は多少づつ、ある時は著しく違つて居り、道の地質が次第に明らかになり、今日の知識に近づく過程を現わし、その時々の進歩の跡をとどめていると同時に、当時の日本の地質学界の趨勢をも反映している。言わば、北海道地質調査進捗の歴史の一断面を如実に示している、と言うことができる。
 本文は、この地質総図の主なもの、即ち北海道を主としたものを第一にとり上げ、また日本全体の地質図の中で北海道をまとめてあるもののうち、主要なものをも含め、公刊の順序を追つて挙げて、その大要を述べるとともに、各々の間の変遷を見、どのように北海道の地質が明らかになつて行つたか、を知ろうと試みたものである。

 なお,佐々は北海道の地質調査史を以下の六つに分けて詳述している.

 イ、幕末期ー北海道開拓使以前
 口、明治初期ー北海道開拓使時代
 ハ、明治中期ー北海道庁鉱物調査時代
 二、明治末期・大正期―地質調査所「鉱物調査」時代
 ホ、昭和初期ー北海道工業試験場時代
 へ、昭和二〇年以降ー第二次大戦後時代

 さて,この大著を読んだ感想を一つ.
 地質図は,その当時の学問・学者のレベルによって進化・変遷するものである.神保小虎が先頭に立って引き起こしたライマン地質学へ批判は,視野狭窄の戯言でしかないことがよくわかる.これら帝大地質学者たちの戯言は,もちろん,薩長土肥の明治政府が進めた“ネオ尊皇攘夷”への忖度だったのかも知れないが.


2019年4月11日木曜日

北海道地質学史に関する文献集(12)

北海道地質学史に関する文献集(12)

今井 功(1963)地質調査事業の先覚者たち(4)炭田・油田開発の貢献者ーライマンー.


 地質学史開拓の巨人の一人・今井功氏の著作である.これは1~7のシリーズのうちのひとつ.このシリーズは,後にまとめられて今井(1966)「黎明期の日本地質学」となって出版されている.
 北海道の地質学に関係あるのは,上記(4)のみ.

 その序文を引用しておく.

 ライマンは石炭・石油など 日本の地下資源開発の上に大きな業績を残したが その地質学的評価はあまりかんばしいものではなかった.彼はアカデミックなドイツ地質学よりも 実際的なアメリカ地質学の影響を受けている.したがって いかにして地下資源を開発するかということに専念し そのために役に立つようにと助手たちを教育した.そして 助手たちとともに学び ともに成果をわかちあった.助手たちがライマンを慕ったのは当然であろう.しかし このようなやり方はまだ封建色の濃い当時の日本では受け入れられなかったため ライマンが去ってのち 助手たちは次第に官界・学界から離れ 実業界に転じていった.ライマンが再評価されるようになったのは かなり後のことである.

おもな参考文献
B.S. Lyman: A General Report on the Geology of Yesso,1877
ライマン:北海道地質総論 開拓使 明治11
B.S. Lyman: A Report of Progress for the First year of the Oil Survey ,1877
B.S. Lyman: A Report of Progress for the second year of the Oil Survey ,1878
B.S. Lyman: Reports of Progress for 1878 and 1879 Geological Survey of Japan ,1879
H.B. Woodward: History of Geology ,1911
賀田貞一略伝 日本鉱業会誌 第370号 大正4
山際永吾小伝 日本鉱業会誌 第385号 大正6
坂市太郎:北海道の開発と石炭鉱業 日本鉱業会誌 第403号 大正7
佐川栄次郎:ライマン氏を憶ふ 地質学雑誌 第28巻 第328号 大正10
小野崎五助:桑田知明翁を追悼す 日本鉱業会誌 第614号 昭和11
桑田権平:來曼先生小伝 昭和12
American Geological Society: Geology ,1888-1938, Fiftieth Anniversary Volume ,1938
B. Juffe: Men of Science in America-The Role of Science in the Growth of Our Country, 1944
日本石油史編集室:日本石油史 昭和33
日本学士院編:明治前日本鉱業技術発達史 昭和33
斎藤仁:北海道の地下資源調査事業の沿革(ー)(二)(三) 地下資源 No.1No.3 昭和33-34


2019年4月8日月曜日

北海道地質学史に関する文献集(11)

 
今井 功(1962)地質図幅調査事業の歴史.

 今井氏は,いわずと知れた地質学史研究の巨人の一人.多数の著作がある.


 地質調査所設立80周年に際し,今井氏がまとめた「地質図幅調査事業の歴史」である.章立てを示せば…

   はじめに
   地質調査所設立前の地質図
   地質調査事業の計画
   40万分の1予察図
   20万分の1地質図幅(詳図)
   7万5千分の1地質図幅
   5万分の1地質図幅
   北海道の地質図幅調査事業
   おわりに

となっている.
 図幅とは何か,に始まって,日本で最初につくられた地質図,日本本土で進み詳細化してゆく図幅調査が示されている.しかし,日本で最初に地質図がつくられた北海道は内地(本州・四国・九州)とは同等に扱われず,「北海道の地質図幅調査事業」は独自におこなわれたことが章立てだけでも見えている.



2019年4月7日日曜日

北海道地質学史に関する文献集(10)

 
北海道開発庁(1960編)北海道の地下資源.
or
斎藤仁(1960) 開発の沿革と概況.

 「Ⅱ 開発の沿革と概況」に北海道の地下資源調査の歴史が詳述されている.しかし,誤植が多いので要注意.著者は第三代所長である.

 以下に関係分の章立てを示しておく.

Ⅱ 開発の沿革と概況……北海道地下資源調査所長 斎藤 仁
沿革
1.蝦夷時代の開発
  発祥
  探検
  鉱産地
  幕府の施策
2.明治時代の開発
  開拓使の事業
  北海道庁の設置と民業の発展
3.大正時代の開発
4.昭和時代の開発

 なお,附録として「北海道地学関係年表」および「鉱業法制の沿革」が載せられている.



2019年4月2日火曜日

北海道地質学史に関する文献集(09)

 
山根・三土(1954)わが国の地質調査事業の沿革

 山根新次・三土知芳は二人とも,地質調査所・所長を務めた人物である.
 山根は鉱床学が専門らしい.地質調査所を退職後,島根大学に移り「地学概論」と「鉱床学」を講義している.のちに,初代学長を務めたらしい.
 三土の略歴・業績は地質学雑誌98巻に追悼文がある.地質調査所・所長と東京大学教授を務めた.石油地質学を専門とした.

 山根・三土(1954)は,日本の地質調査史を以下の六つに分け,詳述した.これは「日本地質調査史」であるが,日本という国の中で,北海道の地質がどのように扱われたのかが判るだろう.

第1期:わが国の地質調査事業が開始された明治10年前後より,日清戦争直前まで.
第2期:日清戦争より日露戦争直後に至るまで.
第3期:日露戦争直後より関東大震災に至るまで.
第4期:関東大震災より満州事変頃まで.
第5期:満州事変より太平洋戦争終結まで.
第6期:戦争終結より現在に至るまで.


 第1期は,わが国に地質調査事業が誕生し,生育した時代である.
 第2期は,国内においては,事業は守成の時代に止まつたが,両度の戦役にともない,事業の外地への進出が始まつた時代である.
 第3期は,国力の充実とともに,またその後期は欧州大戦後の一般の好況につれ,国内の事業の進展も著しく,外地の発展も眼覚ましかつた時代で,国の版図と勢力範囲との廓大にともなつて外地の地質調査事業が組織化して行われた時代である.
 第4期は,世界的不況により,内地の事業はその進展をはばまれたが,外地の事業はさらに進展した時代である.
 第5期は,その前期においては,満州事変および支那事変にともない,支那大陸に大きな進出が行われ,その後期には,大平洋戦争にともない南方にも進出した時代である.この期から物理探査および試錐が,地質調査に普通に用いられるようになり,地質調査は,専門化の傾向が著しくなつた.
 第6期は,敗戦による版図および植民地の喪失により,戦争の打撃を克服しつゝ,より精確な調査により,国内を再検討せんとする時代である.

参照した主な文献
井上禧之助:地質調査所の沿革及び事業,地質調査所報告,第3号,明治40年(地質調査所,1907)
遠藤隆次:満州に於ける地質研究略史,東亜地質鉱産誌,M-I-I
小倉 勉:満州国地質調査所の沿革,東亜地質鉱産誌,M-I-7
木村六郎:満鉄の満州地質鉱産調査史,東亜地質鉱産誌,M-I-2b
坂本峻雄:南満州鉄道株式調査局鉱床地質調査室の調査史,東亜地質鉱産誌,M-I-2a
立岩 巖:朝鮮に於ける地質研究の歴史,東亜地質鉱産誌,K-I-1
地質調査所:地質調査所一覧,昭和8
日本地質学会:日本地質学会史,昭和28
三田正一:全満州鉱業開発株式会社鉱産資源調査所の沿革,東亜地質鉱産誌,M-I-3
望月勝海:日本地学史,平凡社,東京,昭和23

 

2019年3月28日木曜日

北海道地質学史に関する文献集(08)

 
南 鐵蔵(1942)明治維新前に於ける北海道鑛業史.
+++
 南鉄蔵は不詳であるが,北海道経済史が専門らしい.鉱山関連史について,江戸時代が始まる前の1590(天正十八)年から述べられている.日本工学会(1930)と異なり,古い時代の記録が多くまとめられている.
 以下に章立ておよび参考文献を示す.

第一次發展時代(天正18(1590)~寛政10(1798))
 一 當代に於ける本嶋鑛業成立過程の梗概
 二 當代に於ける本嶋鑛業の特徴
 三 當代本嶋鑛業の發生・發展特徴及び其衰微又は不發展の理由
第二次發展時代(安政元(1854)~慶応3(1867))
 一 當代に於ける本嶋鑛業成立過程の梗概
 二 當代に於ける本嶋鑛業の特徴
 三 當代本嶋鑛業の發展特徴生成の理由

参考文献
箱館奉行所「安政度蝦夷地經營始末」。
松浦武四郎「西蝦夷日誌第三編」。
開拓使「北海道志」(巻之二十四)。
北海道廳(多羅尾忠郎)「北海道鑛山略記」。
北海道廳(河野常吉)「北海道史第一」。
北海道廳(同上高倉新一郎加筆)「新撰北海道史第二巻通説一」。
梁瀬捨次郎翁蔵文献。
高崎龍太郎「北海立志編」。


 

2019年3月24日日曜日

北海道地質学史に関する文献集(07)

 
日本工学会(1930)明治工業史:機械・地学編.

 日本工学会がまとめた明治工業史の「地学編」.そのまま地質学史として読むことが可能.章立ては以下の通り.

第一章 地質調査事業
 第一節 地質調査事業の萌芽(自明治初年至同十八年)
 第二節 地質調査事業の發達(自明治十八年至同二十五年)
 第三節 地質調査事業の進歩(自明治二十五年至同四十五年)
第二章 地質調査の効果
 第一節 地質調査
 第二節 土性調査
 第三節 鑛床調査
 第四節 炭田調査
 第五節 油田調査
 第六節 非金属鑛物調査(石油石炭を除く)
第三章 調査機関
 第一節 地質調査所
 第二節 文書
 第三節 北海道
 第四節 琉球
 第五節 臺灣
 第六節 樺太
 第七節 朝鮮
第四章 大學及び學會
 第一節 東京帝國大學
 第二節 東北帝國大學理科大学
 第三節 地質學社
 第四節 地學社
 第五節 東京地學協會
 第六節 東京地質學會

 1930年発行らしく,江戸末期の幕府による調査を「極めて幼稚」であるとし,ブレークとパンペリーの調査についてのみ記している.明治以降の記述に関しては詳細である.発行された地質図については詳細なリストが載せられている.
 もちろん北海道の地質調査史としては,部分的にしかあてはまらない.三章三節の「北海道」は重要である.
 四章三節は,ライマンとその弟子たちの創った学会であり,日本における最初の学会組織である.

 文献リストはない.
 

2019年3月21日木曜日

北海道地質学史に関する文献集(06)

 
石川貞治(1928)北海道探検当時の挿話.

 札幌農学校の卒業生である石川貞治氏の回顧譚である.石川氏は農学校卒業後,北海道庁で神保小虎のもとでおこなわれた地質調査に参加した.のちに一年後輩である横山壮次郎とともに調査を行い,最後はその調査の主任となった.
 回顧録には,先人たちがおこなった北海道における初期調査について簡潔に述べられ,地質調査が多くの地質家による努力の積み重ねであることが示されている.そのあとには,実際の調査時における苦労が述べられており,当時の調査の様子がよく判る.
 当時の神保,石川,横山の報告書のリストは以下の通り.

神保小虎
 北海道地質報文上、下二冊 明治二十四年 編輯北海道庁
 北海道地質略論 全 明治二十二年 編輯北海道庁
 北海道火山分布図
 Beitrage zur Kenntniss der Fauna der Kreideformation von Hokkaido, von Kotora Jimbo. Jena. 1894.
 General Geological sketch of Hokkaido, by K. Jimbo.
石川貞治と横山壮次郎
 石川横山鉱物調査報文
 石川鉱物調査第二報文
 鉱物分布図(神保氏地質図を其の後調査によって補修出版したるもの)


2019年3月20日水曜日

北海道地質学史に関する文献集(05)

 
坂市太郎(1918)北海道の開發と石炭鑛業.

 ライマンの弟子・坂市太郎による回顧談.回顧談の講演録なので,文脈を把握しにくいところもあるが,当時の「北海道の開発と石炭鉱業」の現場の様子がよくわかり,非常に貴重な証言である.
 (04)の神保がドイツ流&帝大流地質学の雄なら,坂市太郎はもう一方のアメリカ流実用地質学の雄である.ライマンが日本人未踏の地を探検・調査したように,坂も(もちろん,ほかの多くのライマンの弟子たちも)実際に歩いて探検し,正確な地質図を作り,石炭開発に役立てていった.

 坂の講演は「私の講演は石炭礦業が北海道開發の先驅となり又北海道將來の運命を定むるものなりと云ふ趣意を述ぶるのであります。」から始まる.
 維新後,専門知識の無い元・武士のみから構成された開拓使には,開拓能力が無いことは明らかで,米国から開拓顧問を呼ぶこととなった.開拓顧問・ケプロンが最初に始めたのは「教育機関」の設置し,専門能力のある学生を育てることであった.坂は,その一環として米国から呼ばれたライマンについて鉱山学を学んだ.炭田開発とは炭田を発見することだけではなく,産出した石炭の輸送路・積出港を整備することも考慮することが必要であり,長期的な見通しが必要であることが説かれている.詰まるところ,北海道開拓の百年の未来を考えた見方が必要なのだとしている.そして,大筋ではそのように進んで行くのだが,鉄道布設などは政治的に,あるいは有力者の都合の内に決められて行くこともある.その間に起きた道庁理事官・堀基の件は,のちの鉄道払い下げの遠因かと疑わせる出来事が示されている.

 「其他政事家も實業家も現在主義一點張の人のみで、歐米の文明國人の如く國家の將來と云ふ考を持つ人に乏しきは帝國の將來大いに憂ふ可きものにして遣憾千萬に思ひます。
 目的は北海道の開發なのだが,短期的な利益,個人の利益に流される政財界人.…このあたりは,いつまでたっても変わらないようだ.

 

2019年3月19日火曜日

北海道地質学史に関する文献集(04)

 
神保小虎(1905)本邦に於ける地質學の歴史.
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 東京大学鉱物学教室・初代教授の神保小虎による地質学史概観.
 時代の所為かそれとも東大教授の所為か,はたまた神保の個性か,記述がまるでクイズか迷路のようではあるが,重要なことがいくつか記してある(以下は,わたくし個人の翻訳による).

=はじめに(と受けとれるところより)=
 この論文が公表された当時(明治38年)は,日本に地質学が導入されてから30年しか経っていないが,その研究の進歩は著しいものであるとしている(この記述からは,神保はライマン以前は“地質学”とは認めていない.ここは「地質学」を「現代地質学」に改め,それ以前の日本古典地質学も地質学に含めるべきと考える).

 現在(明治38年当時),地質学には「アメリカ派(ライマンに始まり,当時は山内徳三郎を代表とする)」「ドイツ派(ナウマンに始まり原田豊吉に引き継がれ,当時は帝大諸研究者がいた)」および「和流実用派(古くから日本にある本草家を引き継いだ白野夏雲が代表.しかしこの先駆者の歴史は不詳である)」があるとする(以後,“和流実用派”は絶滅し,大学教育・研究に於ける主流はドイツ派となる.しかし,アメリカ派は鉱山,特に北海道炭田地帯で生き延び,北海道帝国大学に地質学鉱物学教室が開かれたときに復活する).

 既に発表された研究を知らずに,最初の研究成果の如く発表されることがある.これは,研究史が粗略に扱われていて,過去の研究が判らなくなっているからである.そこで,多くの諸先輩から聞き取ったことを粗略ながらも記述し,図書館などで地質学関係書籍を整理しておくことが必要である.そこで,過去の研究について資料の概略を示しておく.

 ということで,以下,神保は十項目に分け,資料のまとめをしている.

 神保のライマン批判は1890(明治23)年である.この報告が出る15年前のことであるが,歴史を述べる場合にはライマンの業績を無視することはできなかったらしく,最後に「我國の探検は初めは幕府及び開拓使のアメリカ人に因りて基を開かれ、後ドイツ流にて中央政府の地質調査所起り、之に倣て北海道廳の地質畧察始まり、一方にはドイツ風を輸入せる東京大學の地質學科ありて、比學ますま益進歩して本邦地質に關する知識今日の状態に達したる者なり」とまとめている.


 

2019年3月14日木曜日

北海道地質学史に関する文献集(03)


石川・横山(1894),石川(1896),石川(1897

石川貞治・横山壮次郎(1894)北海道庁地質調査 鉱物調査報文.
石川貞治(1896)北海道庁地質調査 鉱物調査第二報文.
石川貞治(1897)北海道鉱産及鉱業に関する舊記.

注)石川(1896)は,石川・横山(1896)とされている場合もある.第一報文(「第一報文」という記述は無い)には両編者が併記されているが,第二報文には「石川貞治編」とのみある.
+++
石川(1896)より


 石川・横山(1894)は,札幌農学校卒業生の石川貞治および横山壮次郎による「鉱物調査報文」である.その「第一 緒言」中の「北海道の鉱業沿革」に,それまでの地質調査史が簡略に述べられている.以下.

北海道の鉱業沿革
 北海道の鉱業は由来する所久しと雖ども今其詳かなるを知るべからす。
 元文元年、幕府、金座・後藤庄三郎を宗谷に遣はして、砂金を探討せしめ、又屢々吏員を派して諸鉱山を踏撿試掘せしむ。
 安政二年、函館奉行・竹内保徳、諸術教授役・武田成章に命して、亀田郡古武井海浜の砂鉄を検査し、洋式熔鑛爐を築きて製煉せしむ。中途にして廃止す。
 文久元年、幕府、地質学者米人「ブレーキ」「ポンペリー」二人を雇ひて、本道の地質及び鉱物を調査せしむ。戦乱に遭ひて果さす。此時、両氏始めて鉱業上最も必要なる火藥を以て岩石を破砕する法及び混汞法を以て金銀を分解する法を伝ふ。
 明治四年、米人「アンチセル」をして諸鑛山を巡視せしめ、翌年、開拓史四等出仕・榎本武揚、七等出仕・北垣国道をして諸鉱山を巡視せしむ。
 明治六年、全道地質鉱物調査の議起り、雇米人「ベンヂヤミン、スミス、ライマン」を主任として調査事業を創めしめ、三年を歴て畧完了す。此調査は全道の地質を分類し、有用鑛物の所在を探り、殊に意を煤田に注き、現今盛んに行業する幌内炭山の如き、實に「ライマン」の測定せる所なり。
 同十二年、雇鑛山士・米人「ゴージョー」を鑛山監督に任し、幌内炭山の開坑及び茅沼炭山の改良に従事せしむ。
 同十九年、北海道廳を設置せらるゝに及び、地質鑛山調査の業を起し、更に精密の方法を以て鑛産を探究せんとし、山内徳三郎を主任とし、理學士・河野鯱雄、工學士・大島六郎、桑田知明、阪市太郎、工學士・大日方一輔、工學士・米倉清族、前田精明、加藤清、西山正吾等之れに従事す。
 明治二十一年に至り新地質調査事業起る。其事蹟は本文に詳述するか如し。
(注:カタカナをひらがな化.句読点付加.読みやすいように改行など付加)

 また,石川(1896)の附録には「北海道鑛産及鍍業ニ關スル舊記摘録」があり,北海道庁所蔵の旧記録から明治維新前までの北海道における鉱産及び鉱業についての記述をまとめたもの.
 石川は多羅尾編「北海道鉱山略記」よりは詳細を期したが,多羅尾編には出ているにもかかわらず,その原本が見出されなかったものもあり,多羅尾編も参考にすべきであるとしている.

 石川(1897)は,これらの記録を再度編集し「北海道鉱産及鉱業に関する舊記」として連載している.