2010年7月27日火曜日

ケントゥリオドンの眠り

 
 崖が,また少し崩れたようだった.*1
 崩れる岩の音と落下の感触で,ボクは目覚めかけた.
 でも,すぐにおさまったので,また寝ることにした.
 ボクは少し落ちたようだ.


 崖?,崖ってなんだろ?
 まあいいや.眠たい.
 ずいぶんと寝たようだけれど,まだ寝足りない気がする.*2
 あくびがでて,ボクはまた眠りに落ちた.


 「あ,骨だ」という声がした.*3
 ボクは持ち上げられて,運ばれているようだ.
 しばらくすると,乾いた気持ちのいい場所に連れてこられていた.
 あんまり気持ちがいいので,また,寝ることにする.


 酸っぱい臭いがする.*4
 どうやら,ボクは「酢のお風呂」に入れられているようだ.
 真っ暗だったボクの視界が,いちまい,いちまい,ベールを剥ぐように明るくなってきた.
 もうすぐ,目覚めの時間のようだ.


 「おはよう」と,男の人の声がした.
 目を開けると,メガネに髭の人がいた.頭にハチマキを巻いている.この人がボクを見つけてくれたようだ.
 あとで仲間に聞いたら,「学芸員」というんだそうだ.
 ボクは,「ヒゲの学芸員さん」とよぶことにした.


 学芸員さんは,博物館からおうちに帰る前に,ボクを「酢のお風呂」に入れてくれる.一晩をそこで過ごす.
 朝は一番に,真水で洗ってくれる.ボクの体のあちこちを点検して,壊れそうなところに,接着剤を塗って補強してくれる.
 そんなことが何日もつづいた.


 「イルカの頭みたいだな」と,ヒゲの学芸員さんがいう.
 そうだ.ボクは長い眠りにつく前には,海で泳いでいたんだ.
 「残念だけど,キミはもうここに居られない.」と,ヒゲの学芸員さんがいう.
 ボクは少し驚いた.ヒゲの学芸員さんを好きになりかけてたし,ずーっとここにいられるもんだと思っていたから.


 「仕事が忙しくて,キミの研究は,とてもできないんだ」*5
 「本当は,ボクの手でキミを世界に送り出してあげたいんだけど」
 「キミのことは,Iさんにたのんだ」
 「Iさんはキミのことを研究したがっていたので,よくしてくれるとおもう」


 ボクは,箱に詰められて,Iさんのもとに送られた.
 Iさんは,ボクの回りに残っていた石のかけらをキレイに取りのぞき,それから,毎日ボクをながめている.
 ボクとIさんの長いつきあいが始まった.
 Iさんは,ボクの弟をつくってくれた.弟は真っ白な顔をしている.*6


 ボクと弟は,Iさんと一緒にニュージーランドやアメリカに旅行した.
 なんでも,ボクの仲間は世界中の地層からでているんだそうだ.
 Iさんは,ボクに名前をつけてくれた.
 ケントゥリオドン・ホベツ[Kentriodon hobetsu]というんだ.*7


 ボクは世界でも一つだけの,めずらしい化石らしい.
 外国の仲間とは,少しだけ,ちがうんだそうだ.
 ボクのことは,日本語や英語の論文になった.
 ボクは世界に羽ばたいた.ヒゲの学芸員さんの願いどおりになった.


 忙しい日々が終わり,ボクは懐かしい博物館に帰ってきた.
 ヒゲの学芸員さんにあえると思ったけど,いなかった.
 となりのミンククジラさんに聞いたら,退職したそうだ.*8
 残念だけれど,しょうがない.ボク一人では,どこにも行けない.


 博物館は気持ちがいい.
 毎日,たくさんの人がボクたちを見に来てくれる.
 毎日が,穏やかに過ぎる.
 ボクはまた,寝ることにした.今度起きるのはいつのことだろう.


【解説】
*1:日高山脈とその周辺は,かつて海だった.かつての海に平らに堆積した地層は,日高山脈の上昇に伴い,山脈の肩にのった格好で陸地化した.そのとき以来,地層は傾斜し,褶曲作用がつづいている.
 陸地化すると同時に,風化浸食作用がはじまり,以来,つねに,どこかの崖が崩れている.

*2:この小さなイルカは,いまから約千五百五十万年前の“滝ノ上”海とよばれる海に生息していた.それ以来,発見されるまで,滝ノ上層とよばれる地層の中で,眠っていた.

*3:化石は生物の遺骸なので,どれも特有の組織と構造をもっている.慣れてくると,岩石の表面に飛び出している化石のわずかな断面だけで,貝殻であるとか,動物の骨であるとかが判断できる.

*4:産出する化石の多くは,石灰質団球(俗に「ノジュール」ともいう)の中に見いだされ,母岩は「酸」に溶けやすい.これを利用して,化石の剖出をおこなう場合があるが,化石自体が石灰質の場合が多いので,細心の注意が必要である.まさに,ベールを剥がすような作業である.

*5:小規模博物館の学芸員は,俗に「雑芸員」とよばれるほど,雑用が多い.その大部分は設置自治体の無理解とご都合によるもので,学芸員本来の業務を圧迫している.この場合,化石の採集や研究,その化石による普及活動が「本来の業務」であるが,実際は,そのほとんどが「それ以外」の“業務”である.中には,文字にするのが差し支えるような“業務”も多い.業務に真剣な学芸員ほど,ジレンマに悩むことになる.

*6:化石の研究には,レプリカ(=複製)を多用する.実物は貴重で,代替がきかないからである.展示用には,多くは(実物に類似した)着色したレプリカをもちいるが,研究用には不要である.したがって,素材の色そのままのレプリカも数多くある.

*7:Kentriodon hobetsu Ichishima, 1994:ケントゥリオドン属[Kentriodon]は世界中で数種が発見されている.それらと,明らかに異なる点があるために別種であると見なし,「穂別(産)のもの」という意味で,種名をホベツ[hobetsu]と命名された.なお,Ichishimaは命名者名.1994は命名した論文が発表された年である.
 「針」のことをギリシャ語で「ケントゥロン[κέντρον]」といい,これをラテン語風につづると,「ケントゥルム[centrum, kentrum]」になる.これが,語根となり,centr-, centri-, centro-, kentr-, kentri-, kentro-とつづられる.
 一方,ギリシャ語で「歯」のことを「オドン,オドントス[ὀδών, ὀδόντος]」といい,これをラテン語風につづると,「オドン,オドントス[odon, odontos]」となる.
 ケントゥリオドン[Kentriodon]はこれらの合成語で,「針の歯」という意味.上顎,下顎に針のような歯が並んでいたのだろう.ケントリオドンと書かれることも多いが,不正確.
 なお,ケントゥリオドン・ホベツの化石は頭骨の前半部が欠けており,歯は発見されていない.

*8:ミンククジラ[Balaenoptera acutorostrata]:じっさいに現代の海を泳いでいたクジラの骨格標本.化石ではない.化石との比較用に標本とされたもの.ケンタくんの傍に置いてある.お話しでは,ケンタくんが帰ってきたときには,わたしは居なかったことになっているが,展示はわたしの手でおこなった.
 

2010年7月25日日曜日

ザ・ブーム(4)

 
 またぞろ,夏休みの“大恐竜展”をやってるようで.

 化石ブームは去りましたね.
 ッて,じっさいに山から化石を掘り出してくるブームのことです.
 なぜかというと,もう,ほとんど化石がなくなってしまったからですね.

 わたしが,学生のころは,ちょっとした山に行けば,アモンナイトがはいった原石など,もってくる気がしないほどたくさんありました.
 それが何回かのブームがとおり過ぎたせいで,山には化石がなくなりました.

 現役の学芸員のころ,化石の保護を定着させようと,ついでに化石関係の博物館の連携や話題づくりをしようとしてましたが,挫折しました.
 障害は山ほどあったのです.
 ここには書けないようなことが,たくさん.

 もう時効だからいいようなことなら….

 ある朝,博物館協力会の会長が,大きな声で話しながら,館長のところへやってきました.
 「いや~~.はじめて化石取りに行ってきたさ.化石会の連中につれてってもらってさ.こ〜〜んなアンモナイトがとれたさ.」と両手で輪を作っています.

 で,どうしたかって?
 それだけです.なんにもおこらんかった.

 後日,その会長が経営しているお店で,値札のついたアンモナイトが置いてあるという話を聞きましたが,事実を確かめるのも怖いし,バカバカしいし….

 ホントになにもおきなかったです.
 化石会の連中から,化石採集にいくという連絡もなかったし,その後,そのとき採集された化石が博物館に寄贈されたという記録もないはずです.
 ちなみに,化石会とは博物館協力会・化石部会のことです.


 たくさんあった貴重な北海道の化石を,みんなのものにしたいという希望は実現しませんでした.
 上記はその背景の一つ.
 ブームは怖い.

 あ,そうだ,自治体の博物館建設ブームも終わったようで,閉館する館が増えてきているそうです.
 まっこと,ブームは怖い.

 

ザ・ブーム(3)

 
 自然保護がブームだそうです.
 保護されなきゃならないような,ヤワな自然って,見たことないけど.

 大昔のことですが,ある町の自然保護の会の会長宅に伺ったら,庭に高山植物の鉢がたくさんありました.
 なんもいえんかった.

 あんたらから保護せにゃならんようですね.

 保護したいのなら,わすれられた里山の手入れをすればいい.
 里山から向こうの自然は放っておいてください.人間が+の影響も-の影響も与えてはいけないと思う.
 人間が手を出していないのに消滅してしまう種あるいは生態系は,人間が手を出したって,消滅してしまうのだろうとおもう.
 それが消滅しても,代わりの種が侵入してきて,あらたな生態系を創りあげるだけ.それが自然なのだから,それで,自然が壊れるわけではないですね.


 「遺伝子汚染」だとか「外来種」だとかいう言葉が,猛威をふるってます.

 どこやらで,莫大な税金をかけて,繁殖させてる「トキ」は「遺伝子汚染」ではないのでしょうかね?
 「外来種」を絶滅させようとかしてる人たちは,トマトとか食べないのかしら.野菜のほとんどは「外来種」だと思うけど.

 いわゆる「外来種」が繁殖をはじめたら,それはすでに新しい生態系に組み込まれてるのであって,それを絶滅させるのは「不可能」に近いと思うけど.

 純血種の「ニホンザル(Macaca fuscata (Blyth, 1875))」を守るために「タイワンザル(Macaca cyclopis Swinhoe, 1863)」との混血を殺戮します? 
 ッて,いまGoogleしたら,ホントにやってるんじゃあないですか!
 びっくり!

 あのね.混血ができて,それらが繁殖するなら,それらは「同一種」!
 分類体系のほうが間違っているの! 

 これが,自然保護ブームの実態.
 勘違いばかり.
 シーシェパードとかいう連中も,別な勘違いをしてるんだろうな.
 

ザ・ブーム(2)

 
 登山が,中高年にブームだそうです.
 いいことなのかもしれない.

 でも,団体で登るのは,よしてほしい.
 こういう団体は,(自分ではプロだと思っている)一・二人の“指導者”と「ど」のつく多数の「素人」とで構成されています.
 せめて,一対一(経験者:素人)ぐらいの構成にしてほしいものです.ホントならば,多数の経験者に一人の素人ぐらい.総員が二桁こえるのもどうかとおもう.
 絶対に眼が行きとどかない.素人は「なにをするかわからない」から素人なんです.その集団なんて,「怖い」のひと言.


 挙げ句の果てに集団遭難.

 反省するかと思ったら,登山道の整備が悪いんだそうです.
 「避難小屋を多くせい」とか,「レスキュー体制をどうせい」とか,こうせいとか.

 そのうち,山中にコンビニをつくれとか,診療所をつくれとかいいだしかねない.登山道は舗装して,急斜面には階段ですか?

 ブームが去るまで,我々は,山から撤退するしかないようで.
 でも,ブームが去ったあとの山のことを考えると…,怖いなあ.

 

ザ・ブーム(1)

 
 「伊勢屋,稲荷に,犬の糞」

 ま,これは,江戸のどこにでもあるものということで,別に「火事,喧嘩,伊勢屋,稲荷に犬の糞」ともいうらしいです.
 後三者は,単語のはじまりがすべて,「い-」ですから,これだけのほうが「ごろ」がいいですね((^^;).
 と,笑ってる場合じゃあない((^^;).

 ほかのものはともかくとして,近ごろ,どこにでも落ちているのが「犬の糞」と「たばこの吸いがら」.
 (ほぼ)毎朝,家の前の道路を掃除していると,必ず落ちているのが「たばこの吸いがら」.わすれたころに落ちているのが「犬の糞」.

 ベランダから,下の道をながめていると,犬に引きずられた飼い主が通っていきます.そういう犬は,必ず,角・角に小便をします.
 いきなり座り込むと,「大」をするヤツもしばしばです.
 他人のうちの庭の花に,小便をかけているのに,頭をなでている飼い主もいる.

 こういう飼い主は,犬に軽蔑されているんだそうです.
 「犬は,“飼い主”を自分の手下だと思い込んでいるので好き勝手をする」と,動物好きで,長年,犬を飼っている人がいってました.
 飼い主が「してはいけない」ということを示すと,犬はしないものだそうです.

 なるほど,こういう人たちに,「注意」をすると,すぐに逆ギレするもんな.犬にも軽蔑されるわさ.
 小便を注意すると,「小便くらいいいべさ」という.他人のうちの玄関先なのに? 花にかけてるよ!
 大便を注意すると,「片付けるからいいべ」という.玉砂利にこびりついた糞など,キレイに片付けていった飼い主なぞ見たことがない.
 しばらくの間,石灰でもまいて,乾燥させるしか手がない.

 通学中の小学生に吠えかかる犬(“飼い主さま”を連れて散歩中)がいるので,(“飼い主”に)注意すると,(“飼い主”に)「何様のつもりだ!」と逆ギレされました.

 ブームだからって,猫も杓子もになるのはしかたないかもしれないけど,しつける能力もないのに,高い犬買って,その結果,飼い犬に乱暴されて,手に負えないからって,棄てるのはやめてよね.
 純血種と思われる高級犬が,保健所の収容施設にたくさんいるそうです.
 きっと,そういうことだな.

 独国では,犬を飼うのにライセンスが必要だそうです.
 愚かな飼い主が増えつづけていけば,日本もそうなるかも.

 動物,大好きなのに,犬だけは嫌いになりそうです.
 

2010年7月23日金曜日

「文明の海洋史観」

 
 がっかりしました.

 「文明の海洋史観」,「おや?なにかあるのかな」と思ったのは,「序」だけで,あとは「なにやらよくわからない」(-_-;

 購入前には,海洋史観で歴史を解き直しているのか,と思ったのですが,どうもそうではない.
 で,まあ表題をよく見直すと,そこには「文明の海洋史」ではなく,「文明の海洋史観」とありました.確かにウソではない.(^^;


 子供のころ,「ナントか占い入門」という本を入手して読みました.しかしその本には,始めから最後まで「ご託」が並べてあるだけで,その「ナントか占い」のノウハウどころか,購入者であるわたしの運勢すらわかるようにはなっていなかった(当たっているとか,当たっていないではなく,「運勢」そのものがかいてない).なにが「入門」なのかすら,わからなかった記憶があります.
 ま,そこまでひどくはないですが,「海洋史」がほとんどなくて,とにかく「ご託」の多い本でした.


 「序」に感激したことは伝えましたけど,「起之章」は,概論みたいなものかと思ったら,そうではなくて,どうやら,これがこの本の「海洋史」のすべてらしい.
 「承之章」は,がまんして読みましたけど,ひじょうにケツのすわりが悪い.これはそもそもいらない.
 そもそも,今時,東京学派(東大アカデミズム)とか,京都学派ってなんのことって感じ.すでに大学といえば,東京帝国大学・京都分校とか,東京帝国大学・北海道分校しか,ないんじゃあないの?と,外にいる人間にはそうとしか思えないのでね(みんな,おんなじことをいっている=これを「パラダイム」という).


 「転之章」には「文明の海洋史観」という題があたえられてますが,ここでもやはり,「海洋史」ではなくて「海洋史観」でした.
 ポロリ,ポロリ,と「海洋史」がでてきますが,“わたし”の「史観」としてとりこめるような話ではなかったです.こうなったら,とびとびにでてくる(引用されてるじゃあないです.本の題名がでてくるだけ)本の題名をひろって,ぜんぶ読むしかないようです.
 海洋史のモデルがどういうふうに事実や,論文と関連をもつのかがわからない.わたしのような歴史の素人が読む本ではなくて,歴史をすべて頭にたたき込んでいる人(=学者)が,海洋史観で整理しなおすための本なのかもしれない.


 「結之章 二十一世紀日本の国土構想」は,なんとなくわかりますけど,すでに二十一世紀に入った現在,ずれはじめている部分があるように見えます.
 理論はペーパーにしたとたん,現実とズレはじめるようです.著者はマルクス主義をこき下ろしてますけど,二の舞になるんじゃあないでしょかね.
 いや,ならないか.
 マルクスはあとで検証されてしまうようなことをかいてますけど,「海洋史観」というのがなんであるか明確にかいていない以上,検証のしようもないというところですかね.
 「ダーウィンの「種の起源」が,なにが書いてあるのかわからなくて,解説書を読まなければわからないほどだったので,延々といまでも生き延びている」という皮肉をいう人がありますが,けっこう真実(^^;.
 なんども挑戦してますけど,けっこういい睡眠薬です(^^;.
 明確に述べてしまうと,矛盾を突くのはたやすいですが, 本質を隠したままだと,反論も難しいですからね.
 ライエルの「地質学原理」もこの手の本だとか….


 正直なところ,期待が大きかっただけに,ガッカリです.
 しかし,「モデル論」はおもしろいので,これに添った話をしている人を探しますか.あるのかな?
 まだ当分,彷徨は続く…(やっぱ,歴史はウソばかりなのかなあ…).

 

2010年7月22日木曜日

共貧状態

 
 「ザ・コーヴ+α」で,「江戸時代に鎖国した日本は“フラスコの中の生態系”とおなじで,日本人は共貧状態で生きることになれている(いた?).」と表現しましたが,「誤解をうけているかも」と思い,補足します.

 「共貧状態」というと「共倒れ」みたいなイメージがありますが,そうではありません.「フラスコの中の生態系」は動的なバランスを保った,安定した生態系のことで,“外圧”でもない限りバランスが崩れることはありません.

 この話は,たしか栗原康「有限の生態学=安定と共存のシステム=」(岩波書店)の中にでてくると記憶します.出版されたのが確か1975年ですね.

   


 大学教養部のつまらない教授の授業を聞くより,岩波新書でも読んでる方がまし,と思い,教室より大学生協の書店にいくことのほうが多く,手当たり次第に読書していたころに読んだ本です.
 もちろん,これは大学の中ではルール違反で,年度末に手痛いしっぺ返しがありますが(つまり,ドッペる),教養部のつまらない授業をきくよりは,よっぽど勉強になったと思います.
 しばらくしたら,「教養改革」なんてことが,大学スタッフの中で問題になっていたようですが,結局,つまらない教授連が定年退職するまで,「改革」なんてことはできなかったようです.


 話を戻します.
“フラスコの中の生態系” 
 そこでは極端な贅沢はできないですが,明日の食い物を心配する必要もない.
 逆に,喰わないとバランスが崩れるほどに.

 江戸時代がちょうどそういう時代だった.
 フラスコは,米国の「捕鯨」のために,壊されることになりますが,このため,日本では,欧米流の「改革」が生じ,「富国強兵」のために資源を求めて突っ走ることになります.それは,新しい生態系を求めて「もがく」状態だったのでしょう.
 欧米にしてみれば,人跡未踏の地に踏み込んで,新しいウィルスに遭遇してしまった様な状態ですね.

 その後は,いろいろありましたが,この話題とは関係がないので省略.

 で,現在は,世界(=地球全体)が“フラスコの中の生態系”だということが,如実に表れてきています.

 「地球は閉鎖系」,「資源は有限」

 誰かが“とりすぎる”と,生態系のバランスを崩し,あらゆる生物が安定した状態(共貧状態)を求めて,“もがき”はじめます(米国は,そういうのを「テロ」とよぶそうです).

 米国人は,イルカの心配をするよりは,フラスコの中で贅沢をしようとしている自分たちを反省すべきだと思いますね.

 

2010年7月20日火曜日

ザ・コーヴ+β

 
 びっくりしました.

 前回,「ザ・コーヴ+α」で,わたしがつたない言葉で,「江戸時代に鎖国した日本人は“フラスコの中の生態系”」また,「欧米流の「徹底的に利用する!」」というふうに表現していましたが,これを正式に歴史学的に表現している書物に出会ってしまいました.

 それは,川勝平太「文明の海洋史観」(中公叢書)です.

       


 まだ,「序」しか読んでませんけどね.

 まったく別な興味から,自分の歴史観の再構築をと思い,あちこちさぐっていて,偶然にであったものです.

 そこには,江戸時代の日本がおこした「勤勉革命は資本節約・労働集約型の生産革命」であり,ヨーロッパの場合の「産業革命は資本集約・労働節約型の生産革命」である,とされています.

 わたしが漠然と感じていたことを,歴史学者の言葉でいうと,こうなるのね.
 そして,「産業革命は資本集約型であり,大量の石炭を費消するエネルギー資源浪費型の産業革命であった」,「フロンティア開拓の美名のもとに自然破壊を進行させたのである」そうな.
 一方,「勤勉革命は,資本を節約し,資源をリサイクルすることに工夫をこらした産業革命である」としています.

 そういう中でできあがったのが,イザベラ・バードが書き残した箱庭のような日本の風景でした.
 う〜〜ん.納得.

      


 「歴史(学)」は事実の羅列だけで,その事実にさえ「ウソ」がたくさん混じってると認識していましたが,そうじゃない考えの人たちもいたようです.
 歴史がモデル化できれば,歴史の流れが理解でき,未来についての予測も可能になるかもしれない.

 さて,続きを読んでみよう.
 

2010年7月18日日曜日

ザ・コーヴ+α

 マグロも「喰うな」といわれています.
 しかし,よく聞くと,喰うなといわれているのは,「クロマグロ」という超高級魚で,表札くらいのサイズが,何千円も何万円もするもの.そもそもが,我々貧乏人の口には入らないもの.
 禁止されても,我々庶民は,痛くも痒くもない.

 これには裏がありすぎて,提案者以外の国から猛反発を喰らい,成立しなかったようです.


 利用できるものは,ほぼなくなるまで利用し,絶滅してから,あるいは絶滅寸前になってから,これは貴重なものだから保護しよう,などというのは,欧米人のパタンですね.
 世界遺産とか,国立公園なんてのもその例だそうです(唯一残された自然が,世界遺産指定を受けることで,観光客が殺到し,唯一残された自然の中で生きている野生動物が圧迫されるというお笑い).


 江戸時代に鎖国した日本は“フラスコの中の生態系”とおなじで,日本人は共貧状態で生きることになれている(いた?).
 そもそも,自然と共生することで生きてきた.
 絶滅させれば,もう食えないということを知っている.そして,絶滅したものは,もう,しようがないということも,知っている.

 クジラなんか,日本人とっては,まれに手に入るもので,常食にするものではありません.
 大型船を仕立てて,世界中を追い回し,絶滅寸前まで追い込むなんてのは,欧米人のセンスでしかない.しかも,かれらは油だけとって,ほとんど捨てていた.

 悲しいかな,欧米流の「徹底的に利用する!」が日本まで蔓延してきて,以前のような生き方のほとんどが,すでにできなくなっているのも事実ですが.
 里山はなくなったし,(もと)水田には雑草が生え,畑ではとれすぎた野菜が土に鋤込まれている.
 国際化で,食い物は命を繋ぐものではなく,戦略物資になってしまいました.
 

 この辺のことを整理しても,SSやザ・コーヴの作者の様の人たちは,実力行使を止めないでしょうね.それは,かれらの目的が上記のようなところになはないからにほかならない.ということなんでしょう.
 いまもクジラを常食にしている民族はいますけど,攻撃を受けているのは日本人だけ(しかも,それをやっているのはごく一部の人たちだけ),というのも,大きなヒントになるでしょう.
 この向こう側は,わたしのブログとはまったく関係がなくなるので,この辺で….
 

2010年7月17日土曜日

こんなのあるといいね

 

 住処の外側の壁についた蜘蛛の巣を払っていたら,ちょっと見えにくいところに蜂の巣があり,数カ所さされました.

 今夕には,退治するつもり.

 で,考えたのですが,防犯用に「模擬・蜂の巣」なんてどうでしょうかね.

 ふだんは使っていない,非常階段や点検用のはしご.

 いっぱんに,狙われやすいといわれてるトイレや浴室の窓の下などに,ぶら下げておくと,泥棒さんも二の足を踏むんじゃあないでしょうかね.((^^;)

 

2010年7月13日火曜日

「世界史の中の石見銀山」+α

 
 解決方法が一つ見つかったような気がします.

 それは,江戸時代の鉱山用語,とくに石見銀山で使われていた言葉にポルトガル語由来のものがあるかどうかですね.
 調べてみようかと思ったんですが,これからポルトガル語をやるものもね.
 脳細胞にもう余裕がないです.(^^;

 どなたか,やってみませんか?

 

2010年7月12日月曜日

「世界史の中の石見銀山」

 
 ひさびさの,鉱山史ネタです(ちょっと違うけど).

 「世界史の中の石見銀山」(豊田有恒;祥伝社)という本が出ています.

     


 記述されている「事実」に関しては,目新しいものはなにもありません.
 この本の目的は石見銀山でもちいられた高度な鉱山技術と日本に大量に移入している「ポルトガル語」を結びつけ,当時の世界情勢から多くのポルトガル人が日本に帰化したであろうことを推定しているものです.
 したがって,鉱山史的な情報が書かれていると思うと,がっかりする.
 ポルトガル人の「高度な鉱山技術」の一端でも書かれていれば,それで,私は十分満足だったんですが…(残念).


序章「石見銀山は,今」
 ま,「序」ですね.


第一章「金銀王国ジパング」は,石見銀山を中心とした日本の鉱山の歴史が略述されています.
 目新しいものは,何一つありません.皆,一度は眼にしたことのある史実の継ぎ合わせです.
 豊田有恒氏をして,これだけの情報しかないんですから,たぶん,これしかないんでしょう.日本には,鉱山史とか,鉱山技術史を調べてる学者はいないんでしょうかね.
 ま,ある意味,「これだけなんだ」と安心しましたけどね.


第二章「日本と世界の大航海時代」は,背景となった世界史の略述.
 視点が面白いので,思わず,世界史の勉強をやり直したくなりました.
 世界史図録を横に置きながら,何度も読み返しました.


第三章「なぜ日本の外来語にはポルトガル語に由来する単語が多いのか」
 ここが,この本のメインパートですね.こちらは,日本史の略述.


第四章「石見銀山を支配した謎の豪商・神屋家」
 ここは,一番興味があるところですが,雑学は多いけれども,肝心の「神屋」家の実態については,何一つ目新しいことはありません.というよりは,ほとんどわからないということが書かれているだけです.
 残念.


終章「石見銀山とポルトガル」は,なにが言いたいのかよくわかりません.


 総じて,どの部分も,引用が明示されていず,巻末に「参考文献」が羅列されているだけです.
 どの部分も,裏付けが明示されてないので,ただのSFですといわれても仕方がないです.もともと,豊田氏はSF作家ですしね.

 歴史には「ウソ」が多いことは,実際に自分で原著に近い文献を調べてみるとしばしば体験できます.それ経験すると,引用が明示されていない話は,確認・検証ができないので,眉唾で聞くしかなくなります.

 たぶん,歴史の定説というのは,最初は大家が「私はこう思う」から始まってしまっているのでしょう.
 でも,それを覆すのに,おなじ様な「私はこう思う」では,誰も受け入れてくれません.状況証拠だけではどうにもならない,たくさんの証拠と水も漏らさぬ論理の構造が必要.後発は,けっこうつらい宿命を負っているものです(ここは一般論).

 もっとも,ポルトガル人のDNAが“日本民族”に蓄積されていようが,いまいが,今のところ,私にはあまり興味がないですが….

 

2010年7月8日木曜日

ザ・コーヴ

 
 このブログとは,ほとんど関係ない話題ですが,あまりにアホらしいので.

 「ザ・コーヴ」なる映画が,何かと話題になっています.
 あまりに的外れなような気がするので,ひと言.

 この映画は(話題になってるので,それ自体については説明する必要はないかもしれませんが),日本のある町でイルカ漁がたまにおこなわれており,それをもって,日本人(全体)がクジラの絶滅に手を貸していると糾弾しているのだそうです.
 いつも出てくる一部のおかしな人たちが多少抗議したので,いつものように圧力に弱い映画館が上映中止したそうです.

 以前と違い,映画館は弱小産業ですから,「トラブルは困る」と考えるのは当たり前のことかと思います.
 それを,こんどは,「言論の自由を奪うものだ」と,またいつものように,映画館に逆圧力を加える人たちが出てきて,厳重な警備の中,いくつかの映画館が上映を開始したようです.ま,話題になれば,上映したいと考える映画館が出てくるのも当然の話ですね.商売ですから.
 それを,上映を取り消した映画館が悪者で,上映した映画館が正義の味方みたいにいうのは,どうなんでしょう.


 しかし,この流れ自体がおかしいですが,事件のそもそもがおかしい.

 第一に,日本人はクジラなんか食っていない.
 私なんか,貧乏人の典型なので,30年以上もクジラ肉を食べたことがありません.それ以前だって,好きでくってたわけではない.それぐらいしか食うものがなかったからです(子供のころ食べてたものだから,懐かしいという感情はありますけどね).
 現在だと,非常に特殊な立場,美食が趣味のお金持ちであるとか,たまにイルカ漁ができる地域に生活しているとか,そういうごく一部の人たちしか,食べていないはずです.

 我々,普通の日本人がクジラ肉を食べられなくなったのは,欧米人がクジラを絶滅寸前まで追い込んだからです.メルビルの「白鯨」を読めばわかるし,ディズニー・シーの港町は,捕鯨船団の母港をイメージしているはずです.
 ナンタケットだったかな?
 いやがる日本を開国に追い込んだのも,米国の捕鯨のため.

 閑話休題(話を戻すと).
 (現在の)我々貧乏な,普通の日本人は,「クジラを食うな」というアメリカ人やオーストラリア人がつくっている牛肉ぐらいしか食べられない.牛肉は,あまり,好きじゃないから,たまにしかたべないけど.高いし.

 そんな状態の今になって,ごく一部の地域の,まれにイルカの肉が手に入る人たちが食べたからといって,ごく一部のマニアックなお金持ちがクジラの肉を食べたからって,日本人全体を悪者にするのはどうかと思う.
 そもそもが的外れ.
 何か,表面とは違う,特殊な,別な目的があるんじゃあないかと疑いたくなります.

 たとえば,太った白人がステーキやハンバーグを食うシーンと牛が殺されるシーンを交互に延々と繰り返す映画を作ったらどうでしょう.
 表現の自由だからといって,上映させてくれるでしょうか.
 反白人キャンペーンだといって,怒り出すでしょうか.
 さらなる,反日キャンペーンを生み出すだけでしょう.


 も一つ.
 シーシェパードなる団体が,反日活動を繰り広げているそうです.
 「本当の目的は自然保護なのだ」というけど本気なのかなあ,と思う.

 あんな,高級ボートを買うぐらいのお金があったら,もっと地道で有意義な自然保護活動がいくらでもできると思うけど….
 何か,裏が?

 もっとも,日本だって,パンダとトキで,自然保護活動してるってプロパガンダしてるけど…(欧米向け?).