2009年4月19日日曜日

砂鉄“研究”史(3)

 
 1958年頃から,「たたら研究会」が結成され,「たたら研究」が発行されます.会誌「たたら研究」は公開されていませんし,論題を見る限り地質学関係者が砂鉄の問題を整理した論文もないようなので,これらについて特に言及するつもりはありません(というか,資料を集める気がないので).

 一方で,2009.03.27付け記事で示したような,部外者の私にでもたたらについて科学的検討がされていると納得できるような論文が公開されています.
 「たたら研究」そのものは,これらの論文群を読むといいでしょう.それ以前の「たたら研究」は,マユにツバをつけて読む必要があります.実際,私も膨大な時間と古書購入によるお金を消費しました.ま,それなりに楽しめましたが,読んでいる最中に「イラッ」と来たことが何度かあります((^^;).
 ろくな説明もなしに,「真砂」・「赤目」・「角閃花崗岩」などの用語が出てきたら,購入せずに本を閉じることをお勧めします((^^;).
注:「角閃花崗岩」:以前,地質屋はこんな言葉は使わないというような前提でお話ししたことがあるかと思います.古い論文を調べていたら,岩石学者が「角閃花崗岩」と使っている例を見つけてしまいました.ただし,同時期の岩石学者は「角閃石花崗岩」も使っていますので,ちょっとよくわかりません.もしかしたら,当時「閃緑岩」という言葉がなくて,「角閃花崗岩」を使っていたのかもしれません.どっちにしても,現在,砂鉄の源岩を「角閃花崗岩だ」と昔のママに引用したら,「?」と思われることにはかわりありません.


 日本で最初に,砂鉄精錬が国家の急務であるとされたのは,幕末でした.
 大砲をつくるためです.
 それ以来,何度か「砂鉄精錬」のための「砂鉄研究」がブームになりました.いずれも,ご想像のとおり,戦争に関係があります.国家間の関係が悪化し,輸入が途絶えると,国内に膨大にあった砂鉄を利用するための砂鉄精錬の実用化が求められたわけです.戦争に負けて,復興のために鉄が必要なときにお金がなかった時も.

 鉄の暴風が吹き荒れた60数年前の沖縄のビーチロックには“示準化石”としてコカコーラの瓶が埋まっているそうですが,一緒に砂鉄の鉱床もできているでしょうか.
 いえ.遺跡に鉄製品が見つからないのは,錆びて無くなってしまうからではなく,鉄は何度でも鍛えなおされ,剣や銃は鍬や鎌に変わってゆくからだそうです.
 沖縄に吹き荒れた「鉄の暴風」の残骸は,きっと鍋や釜に変わったのでしょう.

 やがて平和になり,国家間の関係が正常に戻り,経済が復興すると難易度の高い砂鉄精錬の実用化をするよりも,海外の安いかつ精錬の易しい鉄鉱石を輸入した方がよいと判断されます.安い鉄鉱石がどんどん輸入されてきますから,砂鉄研究など誰一人振り向かなくなります.
 経済大国になった日本には,国内の金属資源など調べる必要もないわけです.買えばいいわけですから.そんなわけで,二十世紀の終わりとともに長い歴史を誇る日本地質調査所が廃止されました.ほぼ同時期に地質学も滅びました.
 世界平和万歳!
 科学は絶対の真理を見つけるためにあるのではなく,社会の要請にしたがって必要な発見をするわけです.

 閑話休題
 次は,地質学の方面から理解する砂鉄の話しをしましょう.
 砂鉄研究は上記のように意味がなくなります.しかし,あれ程忌み嫌われた砂鉄の中の「チタン成分」が,今度は特殊な素材としての希少価値が上がり,チタン鉄鉱としての砂鉄の研究が始まります.
 そして,これも….


 やっと,のどの奥に刺さった刺が処理できたような気がします.
 やっと,斐三郎の熔鉱炉の検討に戻れます.もう「砂鉄精錬」には興味がありません.
 

2009年4月15日水曜日

大雪山



この季節,天気がよいと旭川からも大雪山がよく見えます.
旭川に戻ってきてよかったなあと思う数少ない瞬間です.
 

砂鉄“研究”史(2)付録

 
・たたら製鉄復元計画委員会・日本鉄鋼協会(1971編)「たたら製鉄の復元とその鉧について」.日本鉄鋼協会,特別報告書第9号,137頁.

 本書は,大正末期に消滅した「たたら」を実際に復元し,その鉧を実際に科学的に分析してみようという試みの記録です.「村下三人寄れば話しが違う」という困難な状況下,実際にたたら製鉄を復元した関係者の苦労は,たいていのものではなかったと思います.「技術(art)」である「たたら製鉄」を「科学(science)」の言葉で語る試みは成功したかどうか,私には判断ができませんが地質関係のことなら多少の評価はできると思います.

 なお,この本は北海道には存在せず(旭川市立図書館の判断),広島県立図書館から相互貸借によって借り出したものです.したがって,借用期間が短く十分な検討はできませんし,もう返却してしまいましたので間違いがあっても再確認はできません.
 あしからず.

 3章に「たたら炉復元のための基礎工事および築炉」という部分があります.
 ここに私の興味のほとんどが書かれていますが,ここを見ての私の正直な気持ちは「がっかり」です.この事業,この本の編集には地質学関係者,もしくは地質学の素養のある人物は関わっていなかったと判断できるからです.

 冒頭に地質図が一頁,凡例らしきものが二頁にわたって掲載されています.
 まず,地質図ですが,これは「島根県水産商工部工業開発課発行」とある.引用ですね.図の表題は「中国地方地図」になっています(「地質図」ではないのが不思議).しかし,示されているのは島根県の西部の一部のみであり,「中国地方地(質)図」ではありません.
 原版は多色刷りらしいのですが,白黒複写のため,地質区分がさっぱりわかりません.地質学関係者がスタッフにいれば白黒印刷用にトレースしなおすなど,地質屋なら誰でもできることなので,いなかったと判断できます.これでは,砂鉄採集地点と地質を比べることなど不可能なので,地質図を引用・掲載する意味がありません.

 もっとまずいのが,二頁にわたって掲載された「凡例のようなもの」です.地質屋なら絶対にやらないことがやられています.通常,その地域の地質の概略を示すために「模式柱状図」もしくは「地質概念図」が示されるのが普通です(これには付属していませんが).その場合,地質屋には不文律があって,古い地層が下に,新しい地層が上に表示されます.地質学の根本法則「地層累重の法則」にのっとり,古い地層は下にあり,新しい地層は上にあるからです.この法則を知らないものは,地質屋とはいえません.

 凡例もこれに準じます.
 「凡例のようなもの」といったのは「凡例」として示されていないからですが,第四紀の地層の上に,新第三紀の地層が乗り,その上に「先武寒紀(ママ:たぶん先寒武利亞紀の間違いでしょう)」や上部石炭紀(ママ:「上部」なら「石炭系」であり,「石炭紀」を使うなら「後期」であるはずです)・二畳紀の地層が乗り,さらにその上に白堊紀の地層が乗っています.
 あり得ない.

 悲しいのは,凡例のトーン(地質図上に表される模様・色など)と地質図のトーン(色・模様)とがマッチしていないので,凡例の役をほとんど果たしていないことです.
 なお,縮尺や真北・磁北も記されていません.

 あとは,推して知るべきなのですが,地質屋には理解できない用語と文章が続きます.
 以下,どうやって紹介しようかと悩むところですが,とにかくやってみようと思います.

 たたら製鉄復元計画委員会(1971)の砂鉄の分類に関する見解は以下のようです.

山陰の砂鉄は,産状および品質から,海浜砂鉄,第三紀層砂鉄,川砂鉄(噴出砂鉄),真砂,赤目(第一次)砂鉄に分類することができる.」そうです.
 しかし,これらの用語の定義もしくは解説はありません.
 その上で,(砂鉄が)もっとも集中している地域は「島根県・鳥取県境付近の山地」と,「島根県江津市付近」で,「(この地域の)浜砂鉄は江川上流 邑智郡出羽地区(現:邑智郡邑南町出羽:広島県との県境あたり)から出たものである.」としています.
 さらに「この地方」(この地方とは,島根県・鳥取県境付近を示すのか,島根県と広島県との県境あたりを示すのか,あるいは両方をさすのかは不明です)の砂鉄は以下のように分類できるそうです.

(1)山砂鉄…残留鉱床…(a)真砂砂鉄(第1次)
            (b)赤目砂鉄( 〃 )
(2)第三紀層砂鉄(噴出砂鉄)
(3)浜砂鉄
(4)川砂鉄


 いずれの用語も定義も解説もありませんが,特に,ほかではみられない「第1次」や「噴出砂鉄」という用語の定義も説明もありません.もちろん,地質図にも「第三紀層砂鉄」という区分はありません.その上で,(2)の「第三紀層砂鉄(噴出砂鉄)」は「全国各地に存在する砂鉄鉱床とほとんどことなることはない」そうです.残念ながら,私は「噴出砂鉄」という言葉は聞いたことがありません.

 (1)および(3),(4)に関しては「本邦における特殊な鉱床形態を示している」のだそうですが,「特殊」だという割には定義も解説もありません.
 以下,地質学的解説と思われる解説が続きますが,突っ込みどころが満載で面白いのですが,本質的でないので大部分省略します.

 「真砂砂鉄の原岩(ママ)」は「花崗岩類」だそうで,「大部分は黒雲母花崗岩に属するが,ところにより角閃石黒雲母花崗岩または,角閃石花崗岩となっている」そうです.
 これが,現在の通常の花崗岩の記載法に従っているとすれば,普通の花崗岩は,大部分黒雲母花崗岩でところにより角閃石-黒雲母花崗岩です.前者はマフィック鉱物が黒雲母のみの花崗岩を表し,後者はマフィック鉱物として角閃石と黒雲母を含みますが,黒雲母より角閃石が少ない花崗岩です.
 しかし,「角閃石-花崗岩」となると話しが違います.
 マフィック鉱物として,雲母を含まず,角閃石が大部分を占める花崗岩は,通常,閃緑岩です.つまり,真砂粉鉄の源岩は花崗岩および閃緑岩であると読めます(これは,長谷川熊吉(1926)および俵国一(1933)の記述とは異なります).
 では他地域で発達する花崗岩および閃緑岩からは真砂粉鉄は産しないのでしょうか.然り.真砂化していない花崗岩類からは「真砂」は産しません.したがって,真砂粉鉄も産しない.つまり,真砂粉鉄の源岩を説明するのに花崗岩の岩石学的性質を説明しても意味がないのです.

 続けていいます.
 「真砂の産地」は「鳥取県の日野川の西岸,島根県斐伊川の東岸,舟通山の三角地区」であり,「印賀地区」と呼ばれています.一方,「赤目砂鉄」の産地は印賀地区の西方「斐伊川中流地区の仁多町付近」であるとしています.
 下原重仲の「鉄山必要記事」では,「赤目」は備中の国からとれる粉鉄でした.日野郡では備中の国から取り寄せるという記事があり,この記述とは矛盾します.これは元々,下原重仲がいうように「備中産粉鉄」のあるものに対して固有名詞として与えられたものを,のちの研究者もしくは村下が,外見が似ているからという理由で「赤目」と呼び始めたのが混乱の始まりであると考えるとわかり易いです.
 一度これが始まると,はるか離れた地域の,異なる源岩からの粉鉄も同じものと見なされるようになります.しかし,のちにおこなわれる関東地域の砂鉄製鉄研究でも岡山地域の砂鉄製鉄研究でも「真砂」や「赤目」という用語は使われません.当たり前の話しですが,「真砂」や「赤目」は真砂化した花崗岩からしか産出しないからです.

 また,赤目砂鉄の「鉱床の母岩は…混成岩であ」ると書いてあります.この混成岩は「閃緑岩ないし次第に塩基性を増して来る混成岩である」としてあります.混成岩とはマグマと別な岩石が反応して両者の中間的な化学組成を持つ岩石のことですが,その意味で使っているのでしょうか.また,昔はミグマタイトのことも“混成岩”といいましたが,こちらのことなのでしょうか.
 また,「この赤目粉鉄は,真砂砂鉄にくらべて,反応性がよいとされている」としているが,「何の反応性がよい」のか書かれていません.不思議な記述が延々と続きます….

 1970年代に入っても,たたら研究者の「砂鉄鉱床」に関する認識は,この程度のものでした.

 

2009年4月11日土曜日

砂鉄“研究”史(2)の2

 
・武信謙治(1918)「中國に於ける砂鐡精錬事業に就て」
 同じ年,同じ会誌「鉄と鋼」に,別の記事が載ります.武信謙治(1918)です.
 これは非常に短い記事で,著者は前記・山田賀一記事の補足であると称しています.関連部だけ引用します.

 著者は「真砂と称するもの」や「赤目と称するもの」は「砂鉄の方言」であるとしています.そのうえで,その違いは,以下….
 “真砂”:FeO=55%, Fe2O3=28%
 “赤目”:FeO=28%, Fe2O3=55%
 であり,ほかの成分は「二者殆と同一の成分」であり,ただ「燐の含有量」に差があるだけだといいます.

 そのあと,炉内での還元反応を精密に推測していますが,省略します.
 重要なことは,たたら炉内は(製鉄作業としては)低温なので,「柄實(説明がない特殊な用語ですが,鉱滓のことでしょうか?)」に不純物が吸収され,燐分の低い鉄が精製されるとしていることです.
 これも,のちの研究者によって「燐分の低い」ではなく,「不純物が少ない」と書き直されてゆきますが,「鉄」中の“不純物”である「炭素」は「鉄の性質」を決める重要な要素なので,「燐が少ない」なら「燐が少ない」と書くべきで,「不純物が少ない」という書き方は非常によろしくないと思います.


・長谷川熊彦(1921)「製鐵原料としての砂鐵鑛」
 三年後,長谷川熊彦(1921)が掲載されます.
 長谷川(1921)は,我が国の砂鉄には二種類あるといいます.
1)は,火成岩中の磁鉄鉱が母岩の風化・浸食によって流出し,現河床堆積物あるいは海浜堆積物となったもの.これには人力によって水洗淘汰したものも含む.
2)は,一つ目の堆積鉱床が時間の経過とともに,磁鉄鉱の一部が水酸化鉄に変じたものである.
 一般に利用されている製鉄原料としての砂鉄は,前者のみであり,後者は利用が困難であるため,放置されているとしています.

 長谷川は意識的に「真砂」・「赤目」,「山砂鉄」・「川砂鉄」・「浜砂鉄」という用語の使用をさけているようですが,前者が「真砂粉鉄」であり「山粉鉄」を意識しており,後者が「赤目粉鉄」であり「川粉鉄」・「浜粉鉄」を意識していることは明瞭です.さけたのは例外が多すぎるためでしょう.
 「たたら製鉄用語」・「村下用語」の不正確さ・あいまいさを回避しようとしたものと思われますが,要するに,前者は母岩中にあったとほぼ同じ状態の「鉄鉱物」であり,後者は前者が風化運搬過程で酸化が進んだ状態を意識しているものでしょう.
 名前を付けるとしたら,前者が「一次砂鉄鉱床」,後者が「二次砂鉄鉱床」でしょうか.しかし,これは砂鉄鉱床メカニズムを意識しているのではなく,含有する砂鉄の風化度・酸化度を意識しているもので,我々地質屋にはわかりにくいことです.


・井上克已・梅津七蔵(1922a)「砂鐵に対する磁力分離實驗」
・井上克已・梅津七蔵(1922b)「同,(承前)」
・井上克已・梅津七蔵(1922c)「砂鐵鑛の顯微鏡試驗」
 翌1922年,井上克已・梅津七蔵は上記三編の論文を公表します.
 井上・梅津は,鉱業的な見地から砂鉄中のチタン成分を除去するための実験をおこなっていましたが,チタン成分の実態について,重要な情報があるのでそれを採録しておきます.
 井上・梅津は砂鉄中のチタン成分の存在状態を以下の仮説を示しています.
1)チタン元素はイルメナイト(FeO・TiO2)として単体で存在し,これも単体として存在する磁鉄鉱(Fe3O4)と物理的に混在している.
2)単体イルメナイト,単体磁鉄鉱のほかに,両者の固溶体が混在する.

 もし,1)であれば両者は磁力による選鉱が容易ですが,2)であれば固溶体が多ければ多いほど磁力選鉱は有効ではないことになります.
 実験結果,磁力によってイルメナイトを分離することは不可能で,砂鉄中のチタン成分は固溶体:チタニフェラス・マグネタイトとして存在するとしています.

 磁力実験では五つの標本が使われています.
(イ)青森県久慈五番坑砂鉄
(ロ)同    二番坑砂鉄
(ハ)千葉県佐貫砂鉄
(ニ)島根県真砂砂鉄
(ホ)岩手県産の砂鉄

 いずれも,困ったことに詳しい産地・産状・母岩などの説明はありません.それでもいくつかの貴重な情報を提供しています.
 まず,粒度分析です.
 これらを40,60,80,100,120mesh の篩に通すと,いずれも100-120 mesh (0.150 ~ 0.125mm) のサイズが半分以上を占め,40 mesh (0.425 mm) 以上のサイズはほとんどありません.ただし,(ニ)の真砂とされるものだけは,100-120 mesh が37.00%で,40-60 mesh が27.30%となり,二つのピークを持つようです.
 同時に,おのおの篩を通してサイズ別に分離した“砂鉄”について,[チタン/鉄]比を出していますが,サイズによるチタン含有量にそれほど差があるようには思えません.ただし,[チタン/鉄]比は,ほかのものが10前後であるのに対し,真砂とされる資料については1前後と極端に少ないです.前述のように資料の由来については,なんの説明もないので,なにを反映しているのかについては言及できません.

 また,井上・梅津は「砂鉄鉱」は岩石中の磁鉄鉱粒が母岩の風化による変質崩壊に伴って生じたものと想定し,その磁鉄鉱は…,
1)母岩が塩基性岩の場合は酸化チタンや酸化クロームなどを共存することは,すでに鉱物学者が発見したことであるとし,
2)母岩が酸性岩の場合は上記酸化物は共存しないとする学者と,酸化チタンは共存するとする学者がいる
と,しています.

 1)は,ほぼ共通理解のものとしていますが,その研究論文は示されていません.2)は未だ議論の最中であるとしています.
 そのうえで,各地の砂鉄を顕微鏡で観察し,以下の結論を示しています.

1)砂鉄には磁鉄鉱,イルメナイト以外に両者の固溶体が存在する.
2)従来,砂鉄は磁鉄鉱がほとんどでイルメナイトおよび固溶体は少量であると考えられてきたが,90%以上は固溶体=チタニフェラス・マグネタイトであり,単体の磁鉄鉱・イルメナイトはほとんど存在しない.
3)日本産(1資料朝鮮産を含む)の砂鉄は母岩が酸性岩であろうと塩基性岩であろうとチタニフェラス・マグネタイトを含む.
4)チタニフェラス・マグネタイトは強磁性であるので,磁力選鉱によるチタン分の除去は不可能である.


 井上・梅津の結論は重要ではありますが,観察した砂鉄の産地・量が限られていて,上記結論を言い切るのは危険ではないかと思われます.また,3)については,論文中で何のデータも示されていず,また議論もされていないために,なぜ結論中にこれが出てきたのか不可解です.


・梅津七蔵(1924)「砂鐵鑛の研究に就て」
 二年後,前記著者の一人・梅津七蔵は,上記論文を公表します.
 この論文は,論文というよりは講演録のようで,主に井上・梅津(1922a, b, c)の知見に基づいています.内容は,砂鉄が磁鉄鉱とイルメナイトの混合物ならば,磁力選鉱ができるはずであるが,それが困難なのは磁鉄鉱とイルメナイトは固溶体であり,共晶をつくっているためであるという話しです.
 この中で,注意すべき記述がいくつかあります.なお,これは「神保博士」の調べによることだと断っています.神保博士とは神保小虎東大教授ことだと思われます.

1)「日本産の砂鉄は主に塩基性岩石から来たものが多くて,酸性岩石から来たものはわずかに山陰山陽のものだけでありました」,「その他はほとんど全部が塩基性岩石から出来ましたところの砂鉄であり」,
2)「塩基性岩石から来た砂鉄粒はそのサイズが非常に区々である」,しかし,「酸性岩石から来たのは比較的自然粒が平均しているようである」
3)「一般に酸性岩石から来たものは黒色で」,「塩基性岩石から来たものは褐色あるいは黒褐色などの色をしている」ようだ


 1)の記述は非常に限定的にいっている.山陰山陽の砂鉄は花崗岩類を源岩としているのはよく知られていているが,その他の砂鉄の源岩が塩基性岩石であるといっているのは初めての指摘です.井上・梅津(1922c)で「母岩が鹽基性岩たる場合に於ては酸化チタニウム或は酸化クローム等を共存するものなる事は已に鑛物學者の發見する所なりとす」という記述は,この事を示しているのでしょう.
 2)はその粒度の性格について述べたことですが,山陰山陽の砂鉄は粒度がそろっており,それ以外の地域のものは粒度がそろっていないということです.また,
 3)は前者は真砂粉鉄を,後者は赤目粉鉄を意識しているようですが,そう明確には書いていません.
 いずれにしても,実例や具体的なデータあるいはそのことが書かれた論文の引用があるわけではなく,根拠はまったく示されていません.神保は著者に口頭でいっただけで,論文を残さずに亡くなったものでしょう.
 蛇足しておけば,山陰山陽の砂鉄は人為的に直接源岩から水で洗い出したもので,その他のものは地質学的時間の中で風化浸食堆積したものですから,サイズがバラバラなのは何の不思議もないことだと思われます.

 梅津は結論として,日本産の砂鉄はチタニフェラス・マグネタイトであり,母岩が塩基性・酸性のどちらからも産出し,それらは多少に関わらずチタンを含んでいる,としている.


・長谷川熊吉(1926)「砂鉄研究」
 長谷川熊吉(1921)から五年後,長谷川は上記論文を「鉄と鋼」に掲載します.これは,大正十四年十月十八日 日本鉄鋼協会創立第十周年紀念大会講演とあります.
 砂鉄精錬の実用化についての話しですが,特に含有するチタン成分の影響について詳しいものです.
 話しの本筋の方はあまり興味を引きませんが,いくつか重要な文言があるので,これに注意を喚起したいと思います.

 長谷川(1926)は,「古来本邦砂鐵は『真砂』(マサ)及び『赤目』(アカメ)と稱せり」といいます.長谷川(1921)では使用をさけていた「真砂」・「赤目」を使用しているわけです.
 武信謙治(1918)は「真砂」・「赤目(アコメ)」は方言であるとし,梅津七蔵(1924)は神保小虎の話しとして「真砂」・「赤目」といわれるような酸性岩=花崗岩を母岩とする砂鉄は山陰山陽のみに産するものだとしていますが,これに対する反論は特にありません.強いていえば,「古来」といっているので,昔からそういっていたので使うという意味でしょうか.

 長谷川は続けていいます.
「(真砂は)磁鉄鉱よりなり,不純物少なき優良品にして良鉄製造の原料とされたり,前掲極端なる低チタニューム砂鉄も亦此種に属す.」,「(赤目)は磁鉄鉱粒に小部分の赤鉄鉱粒又は褐鉄鉱粒を混じ,比較的不純物多く下等品にて優良鉄製造原料となし得ず,チタニューム含有も亦少なからず.」
 「真砂」・「赤目」という用語の使用法,またその主成分や微量成分について,山田(1918),武信(1918),井上・梅津(1922),梅津(1924)は微妙に,また大きく異なることがわかると思います.
 思うに,彼らの研究材料は非常にローカルなもので,全体を反映していないのも関わらず,いくつかの資料の分析のみで「一般に…」としているものでしょう.
 また,使用している基礎的な用語に共通性がないのにも関わらず,調整した様子もないのは不思議です.お互いに別の言語でしゃべっていたのでは,議論が成立しないでしょう.

 長谷川(1918)は「真砂は不純物が少ない」といいますが,なにに比して少ないのか.また,その不純物とはなにを示しているのでしょうか.一つの論文内でも議論は非常にあいまいです.

 長谷川はさらに奇妙な論理を展開します.
 長谷川は「砂鉄を塩基性及酸性の両種に分類」しました.定義は「塩基性母岩に胚胎せらるるものを塩基性砂鉄と称し,酸性母岩に出発せるものを酸性砂鉄と称せんとす.」です.
 砂鉄を分類する試みは結構ですが,砂鉄そのものの性質ではなく,母岩の性質で分けるのは意味があるのでしょうか? 結果として出てきた砂鉄に違いがなければ意味がないと思われるのですが….しかし,1980年代後半に至っても産業考古学者が使っていた意味不明な言葉「塩基性砂鉄」・「酸性砂鉄」のルーツがここにあることがわかりました.

 長谷川は続けていいます.
「前者(塩基性砂鉄)は塩基性鉱物結晶粒を,後者(酸性砂鉄)は酸性鉱物結晶粒を含む.」
「酸性母岩とは純花崗岩にして塩基性母岩とは輝石又は角閃石花岩崗,閃緑岩,安山岩等なり.」
「前者中には主として硅砂にして少量の輝石,長石粒をも混ず,後者は輝石族,就中紫蘇輝石を主要とし其他硅砂,長石を混ぜり.」

 「塩基性砂鉄」・「酸性砂鉄」のみならず,「純花崗岩」という語のルーツもここにあったようです.
 しかし,なんということでしょうか!
 「砂鉄」に「磁鉄鉱」・「赤鉄鉱」・「褐鉄鉱」・「チタン鉄鉱」などが含まれるというのならまだわかりますが,珪砂・輝石・長石を含んでいるのならば,それは「砂鉄」ではなくて,「砂鉄」をたくさん含む(ただの)「砂」でいいのではないでしょうか?

 また,「塩基性鉱物結晶」・「酸性鉱物結晶」も聞きなれない言葉で,言葉自体が矛盾を含んでいるような気がしまするが,「塩基性鉱物」は現代岩石鉱物学用語で「マフィック鉱物(=有色鉱物)」,「酸性鉱物」は同「フェルシック鉱物(=無色鉱物)」で翻訳が可能のようです.しかし,おのおの反対の性質の鉱物を少量づつ含むというのは定義としてはまずいし,「砂鉄」にマフィック鉱物やフェルシック鉱物が含まれるというのは,そもそも矛盾しています.

 さらに,「純花崗岩」(という言葉は地質学にはないが,あとに続く言葉からマフィック鉱物を含まない花崗岩を示しているらしい)のみが酸性母岩であり,輝石花崗岩・角閃石花崗岩・閃緑岩・安山岩などが塩基性母岩であるとなると,地質学の素養があるものは議論に入れません.なぜなら,この「酸性岩」・「塩基性岩」の分類は,地質学の基本である岩石学の分類を無視しているからです.岩石学では,花崗岩は酸性岩であり,閃緑岩・安山岩は中性岩です.

 総じて,長谷川がここで提示している「用語」は,類似の用語が類似の学問分野で使われていて,しかも定義が全く異なり,混乱を助長するだけだと思われます.実際に砂鉄に関する議論は常に混乱がまとわりついています.
 したがって,これらの用語は使うべきではないと思われますが,どうしても使用したい向きには,必ず長谷川熊彦(1926)に使用された用語であると断りをいれるべきでしょう.


・梅津七蔵・前田六郎(1930)「砂鐵鑛の顯微鏡的組織」
 梅津・前田(1930)は,井上・梅津(1922),梅津(1924)の続編として国内12カ所産の砂鉄の顕微鏡的観察について述べていますが,その中で,前記,長谷川(1926)の考え方を受けたものか,以下のように記しています.

「花崗岩・花崗斑岩・石英粗面岩・長石等を母岩とするものを酸性砂鉄といい,閃緑岩,玢岩,安山岩,斑糲岩,輝緑岩,玄武岩等より将来せられたるものを塩基性砂鉄と称するを便とする」
 「酸性砂鉄」・「塩基性砂鉄」の用語は長谷川(1926)の用語を引き継いでいるようですが,中身は全く異なります.
 再度記しますが,どうしても「酸性砂鉄」・「塩基性砂鉄」の用語を使用したい向きには,それが長谷川(1926)の定義なのか,梅津・前田(1930)の定義なのか明らかにしてから,使用すべきでしょう.


・俵国一(1933)「古来の砂鉄精錬法ーたたら吹製鉄法」
 現在では,「たたら製鉄論のバイブル」といわれる俵国一著「古来の砂鉄精錬法ーたたら吹製鉄法」が丸善から出版されました.これは,この時期の「たたら製鉄」関連の集大成といっていいものなのでしょう.
 残念ながら,このバイブルは,現在ではほとんど入手不可能なので,2007年に出された「復刻・解説版」によるしかありません.さらに残念なことには,同書に併載されていた「鉄山秘書(鉄山必要記事)」は「割愛」されたのだそうで,掲載されていません.全く残念なことです.
 さて,この俵国一(1933,2007)にも砂鉄に関する概説があります.

「砂鉄をその性質上大別して二種となす.即ち真砂小鉄及び赤目小鉄とす.中国地方にありては砂鉄を小鉄と俗称す.」
 文脈からは,「鉄山必要記事」からの引用だと思われます.
 俵は勘違いしているのだと思いますが,下原重仲はそういう記録はしていません.現在の我々が読むことのできる三枝版(1944編)でも,館版(2001,現代語訳)でも,「播州・但馬・美作にては鉄砂と申し,備国(備中・備後・安芸)・伯耆・出雲・因幡・石見では粉鉄という」となっています.下原重仲は伯耆国(現在の鳥取県)の出身であり,当然本人は「こがね」といい,「粉鉄」と書いたでしょう.これまでのところ「小鉄」と表したのは俵がはじめてであり,ほかには見られません.もし,過去の著述から引用しているのであれば,そう書かなければいけないのですが,「バイブル」と化しているような本では,致し方ないのでしょうか.

 下原重仲が使用している「粉鉄」には,現在使用されている言葉と同じ意味での「砂鉄」が含まれていますが,その他にも構成成分として「珪酸塩」を必要としています(ちなみに,下原重仲は砂鉄をほとんど含まない有色鉱物・重鉱物がほとんどの粉鉄も“下品”ではありますが粉鉄と呼んでいます).したがって,これに「砂鉄」という言葉をつけるのは,ただ誤解を招くだけなので,不適切でしょう.

 さらに,下原重仲は中国地方の住人であり,彼は伯耆国での粉鉄の話しを中心に,中国地方全体の話しを聞き書きで記しているだけなので,この話しをもって日本全国の「砂鉄」の分類に使うのはナンセンスきわまりないです.下原重仲が関東地方や蝦夷地,あるいは薩摩の粉鉄のことを知っていたとは思えないからです.
 あとでわかりますが,「真砂粉鉄」は山陰地方の山麓部のごく一部からしか産出しません.さらに村下によっては,さらにごく狭い範囲のものしか「真砂粉鉄」と認めません.そのような分類を日本全国の砂鉄の分類に当てはめるのは,全く意味がありません.もともと花崗岩地帯でのみ,しかも真砂化の進んだ花崗岩地帯でのみ通用する分類なのです.なぜなら,真砂化していない,しっかりした花崗岩にはいくら水をかけても粉鉄は採取できないからです.
 これは他地域の他岩石でも同じことで,玄武岩や安山岩の溶岩にいくら磁鉄鉱やチタン鉄鉱が含まれていても,そこから砂鉄を取り出そうと考えるのは意味がありません.すべて,地質学時間を経て,風化浸食され,堆積鉱床として成立したものでなければ,砂鉄は取り出せません.堆積鉱床中の砂鉄は,源岩中にあった砂鉄とは多かれ少なかれ異なったものになっていると考えるべきで,もともと様々なもので,さらに変質してしまったものを,ほぼ源岩から出たばかりの「真砂粉鉄」と比較してどうしようというのでしょうか.理解できません.

同地方一般に発達せる岩石は噴出岩にして主に花崗岩,閃緑岩等より成る.
 花崗岩・閃緑岩は噴出岩ではありません.どちらも深成岩です.当時は火成岩のことを噴出岩といったらしく,これを現在そのまま引用すると,非常におかしなことになります.

「花崗岩内に角閃石を混ぜるものと然らざるものとあり,又著しく斑理を呈して花崗質斑岩と称すべきものあり.而して概ね純花崗岩中には粗粒なる磁鉄鉱を含むこと多く,之より得たる砂鉄には粗粒の珪石を混じ,他物を含むこと少なし.所謂真砂小鉄と称し,鉧押の原料に使用するものとす.」
 “純花崗岩”という言葉は,岩石学にはありません.
 この部分は長谷川(1918)を書き写しているようです.引用したとは書いてありませんが.
 普通,花崗岩には角閃石は含まれていません.花崗岩が角閃石を含むようになると,かなり中性岩に近い成分を持つことになります.雲母よりも角閃石が多くなったら,花崗岩ではなく閃緑岩といった方が早い.この変化は連続で,分類は人為的なので,我々地質屋は「花崗閃緑岩」といって誤魔化します.この境目の違いは,たいして意味がないと地質屋は思っています.
 これに比べて,「花崗斑岩」であるか「花崗岩」であるかは,見た目に違うので少し意味があります(花崗岩質マグマと同成分のマグマが地表に噴出すると,流紋岩の溶岩になります.いわゆる黒曜石はこれ.粘性が高いので,しばしば爆発して様々な火山噴出物になる場合もあります).流紋岩と花崗岩の中間で,斑晶鉱物と石基鉱物の違いがはっきりしているものを花崗斑岩といいます.この場合は,だから,完晶質であることを“純花崗岩”といっているのかもしれません.
 地質学の言葉に翻訳しようとしても,なんにしても,これだけ“たたら学”とは言語が違うので,非常に疲れます.

 後半部は語るに落ちるで「之より得たる“砂鉄”には粗粒の珪石を混じ」といっています.珪石が混じていることが明らかなものを“砂鉄”と呼ぶのは不適切です.
 また,「真砂粉鉄」は鉧押しにも銑押しにも用いられるし,通常銑押しに用いられるといわれる「赤目粉鉄」は,鉧押しでも「籠り粉鉄」としても用いられます.

「然るに他方角閃石を混有せる花崗岩又は閃緑岩等を原岩石とする場合,…」
 ここでようやく,前記“純花崗岩”というのは,どうやら角閃石を含まない花崗岩のことをいっているらしいということがわかります.

「…原岩石とする場合,…(中略)…其の砂鉄粒の大きさ概ね小にして磁鉄鉱の外赤鉄鉱,珪酸鉄又は多量のチタン鉄鉱を含む.之を赤目小鉄と通称し専ら銑押の原料に供せり.」
 面倒くさいから,もう言ってしまいますが,赤目だからチタン鉄鉱を含むのではありません.「砂鉄“研究”史(3)もしくは(4)」で明らかにするつもりでしたが,地質学的には山陰側の花崗岩はマグネタイト系列に属するから磁鉄鉱が多く,山陽側の花崗岩はイルメナイト系列に属するからチタン分が多いのです.詳しくは(3)もしくは(4)でする予定.
 また,通常,銑押しに用いられるといわれる「赤目粉鉄」は,鉧押しでも「籠り粉鉄」としても用いられます.「真砂粉鉄」も鉧押しにも銑押しにも用いられるし,こういう誤解を招くようなことを繰り返し書くのは不適切であると思います.

 中国地方で,大山付近の海岸に“赤目粉鉄”が出るように見えるのは,大山火山が花崗岩ではなく石英安山岩質の火山噴出物からできているからです.比較しようとしている真砂化花崗岩類からの砂鉄は直接岩石から水洗したもので,沖積平野や段丘堆積物,あるいは海浜堆積物中の「砂鉄」(つまり大山付近の“赤目粉鉄”)は地表に出てから地質学的な時間の経過と風化・浸食・堆積作用を受けているものです.もともと発生源が違うし,その後の経過も違うものを比べようというのは,もともと無理があるのではないでしょうか.

 これまで,「鉄と鋼」に掲載された論文(?記事)を中心に研究の歴史的を追ってきましたが,「たたら製鉄」研究者間に共通な言語があることが疑わしいし,類似・近接の学問との間にも共通の言語を持っていないことは明らかだろうと思います.
 共通な言語を持っていないと議論は成り立たないし,議論が成立しないものを科学と呼ぶには相当な問題があります.

 このあと,「鉄と鋼」中には,話しが噛み合ないまま,砂鉄の分類に関する話題は急速に姿を消し,話題の中心はチタンを含有する砂鉄の精錬法に移ってゆきます.
 「砂鉄“研究”史(2)」のおわりに付録として,1971年に日本鉄鋼協会が編集した「たたら製鉄の復元とその鉧について」を紹介しておこうと思います.
 

砂鉄“研究”史(2)の1

 
●「鉄と鋼」時代 
 前記したように,「地学雑誌」には,その後「砂鉄」に関する記事・論文は掲載されていません.「地質学雑誌」は1893年から刊行されていますが,調べた範囲内では「砂鉄」の性状・産状に関する論文はないようです.

 日本鉄鋼協会は1915(大正4)年に設立され,その年に会誌「鉄と鋼」が刊行されて以来,現在も発行され続けています.1918年頃から製鉄原料としての「砂鉄」についての論文が掲載されはじめ議論(?)が始まりました.1933年に,俵国一の「古来の砂鉄精錬法」(丸善)が出版された頃に,一応,砂鉄に関する議論(?)は尽くされたようで,急速に砂鉄に関する論文は姿を消します.
 なお,この時代の論文は現代の論文と基本的に異なります.現代の論文は,結論が第一で,文章は簡潔で誤解を生まないものであるのが前提です.
 以下,読んでもらえればわかりますが,まず,用語があいまいであること,論理があいまいであること,先人の研究を引用しないこと,引用しても与えられた定義が無視されることなど,現代ではあり得ないことが続きます.
 できるだけ説明は簡潔にしたいのですが,突っ込みどころが満載なので,長くなりすぎました.
 それでは,順を追って「鉄と鋼」に掲載された「砂鉄」に関する記事を追ってみましょう.


・山田賀一(1918)「中國に於ける砂鐵精錬」
 山田賀一(1918)は,当時実際におこなわれていた「たたら製鉄」についての報告です.これには「たたら製鉄」の原料である「砂鉄」についても,概略が述べられています.
 以下,引用と解説を並べます.

「山陰山陽両道の脊梁をなす中国地方は概ね高原性にして,此地方を構成せる岩石は水成岩としては結晶片岩,秩父古生層,中生期層等にして,火成岩は主に花崗岩,閃緑岩及び花崗斑岩より成る」
 「結晶片岩」は水成岩というよりは変成岩です.また,現在は「水成岩」は用いず,「堆積岩」を用います.
 「秩父古生層」は関東山地・秩父地域を模式地とする地層のことで,命名当時は日本の古生界の標識的な地層と考えられており,遠く離れた中国地方でも,このように使用されていました.しかし,現在では模式地の地層は古生代の岩体と三畳系・ジュラ系のメランジ堆積物であると考えられており,現在では標識的な地層としては用いられません.模式地地域のみで「秩父系」・「秩父層群」・「秩父中古生層」として用いられています.
 「中生期層」は,現在は「中生界」という用語が使われています.

砂鐵は此等火成岩中に磁鐵鉱の形にて少量包含され花崗岩の黒雲母中に多く其外閃緑岩,花崗斑岩中にも存在せり.花崗岩より出るものは通常燐,チタン少く,閃緑岩より出るものは比較的チタン含有量多し.
 これは,複数の解釈が可能な複合文章です.
 この文章からは,1)「砂鉄は磁鉄鉱として火成岩中に少量含まれている」のはいいとして,2)「磁鉄鉱は花崗岩の黒雲母中に多く含まれ(ており),閃緑岩・花崗斑岩中(の黒雲母中)にも(それより少ないが)含まれている」もしくは,2’)「磁鉄鉱は花崗岩の黒雲母中に多く含まれ(ており),閃緑岩・花崗斑岩中に(は,黒雲母中とは限らず)も(それより少ないが)含まれている」ともよめます.
 もし,花崗岩・閃緑岩・花崗斑岩を問わずに「黒雲母中に磁鉄鉱が含まれている」のなら,花崗岩より黒雲母の多い閃緑岩の方に磁鉄鉱が多く含まれているはずですが,記述では「花崗岩>閃緑岩・花崗斑岩」なので,「花崗岩では黒雲母中に磁鉄鉱が多く含まれ」かつ「閃緑岩や花崗斑岩には(黒雲母とは限らず)少量の磁鉄鉱が含まれている」ということになります.筆者がそういう意味で書いたかどうかは定かではありません.
 こういう複合文章は論文には不適切なので,使用するべきではありません.
 3)「花崗岩から出る砂鉄には通常燐・チタンが少なく,閃緑岩から出る砂鉄には比較的チタン含有量が多い」と読めます.閃緑岩中の「燐」については記述がありません.このチタン(鉄鉱)に関する記述は,このあと大きな意味を持つので,記憶しておいてほしいです.

これら砂鐵の産出區域は伯耆,出雲,石見,安藝,備後,備中,美作の七カ國に跨れり.
伯耆国:鳥取県中西部
出雲国:島根県東部
石見国:島根県西部
安藝国=安芸国:広島県西半分
備後国:広島県東部
備中国:岡山県西部
美作国:岡山県北東部

「砂鐵には二種ありて眞砂(マサ)及赤目(アコメ)と稱す.」
 著者は「真砂」と「真砂砂鉄」,「赤目」と「赤目砂鉄」の両方を使用しています.すでに何度か書いた理由から,解説には「真砂粉鉄」と「赤目粉鉄」を使用させていただきます.

「眞砂は美麗なる白き花崗岩中に包含され中國山脈の北側然も伯耆國日野郡,出雲國仁多,飯石の両郡,石見国邑智郡地方に限り産出す.この砂鐵は大粒にして黒く光澤を有し殆と全部磁鐵鑛よりなり比較的燐の含有量少し.」
 「真砂粉鉄」は「美麗なる白き花崗岩中に」あるといいます.この意味は「有色鉱物=マフィック鉱物がほとんど含まれていない花崗岩中にある」ととれます.「磁鉄鉱は黒雲母中にある」という先の記述と矛盾しますがどうなのでしょう.また,そういうマフィック鉱物が含まれていない花崗岩が「伯耆国日野郡・出雲国仁多郡・同飯石郡・石見国邑智郡」に分布するということであり,かなり限定的であり,証拠の提出が可能なことですが,こういう場合でも,証拠として地質図とその岩石薄片などを添えて,示されたものを見たことがありませんがなぜでしょう.
 つぎは「真砂粉鉄中に含まれる砂鉄は大粒でほとんど全部磁鉄鉱からなり,燐の含有量は少ない」と読めます.こういう判断はできないことがこのあとわかります.

「赤目砂鐵は赤粘土質又は最も崩壊し易き角閃花崗岩中に含有され多く山陽道に面せる地方即ち安藝,備後,備中,地方に存在す.此砂鐵は小粒にして黒き磁鐵鑛,中に褐鐵鑛又は赤鐵鑛を混へ,多少赤色を帯ひたるか故に此名あり.燐の含有量眞砂に比して多し.」
 また複合文章です.分解すると…,
 1)赤目粉鉄は赤粘土質(の岩石)に含まれているか,または最も崩壊し易い角閃(石)花崗岩中に含有されている.
 2)赤目粉鉄を含有する岩石は,多くは山陽道に面する地域(安芸・備後・備中地方)に存在する.

 「赤粘土質」とは何にかかるのか不明ですが,ここでは(の岩石)を補ってみました.無難に考えれば「赤目粉鉄は赤粘土質の角閃(石)花崗岩に含まれている」か,または「赤目粉鉄は最も崩壊し易い角閃(石)花崗岩に含まれている」となるでしょう.つまり,「赤目粉鉄は赤色を示す粘土状風化物を伴う,真砂化著しい角閃石-黒雲母-花崗岩中に含有されている」と解釈できます.
 つまり,「赤目粉鉄」も「花崗岩からのものなのだ」とされていると考えられます.
 ところが,この「角閃花崗岩」という用語はくせ者です.私は「角閃石花崗岩」と解釈しましたが,そのような岩石学用語ではないのかもしれません.黒雲母がほとんど含まれず角閃石が多い花崗岩は,閃緑岩といった方が早い岩石です.なぜ,閃緑岩といわないのか.もしかしたら,これは「たたら学用語」で,「角閃石花崗岩」と翻訳するのはまずい岩石なのかも知れません.しかし,そのようなことがあったら,議論が成立しないので,地質屋は介入できないことになります.

 また,その産地は山陽道(安芸国・備後国・備中国)に面しているとされています.蛇足しておけば,下原重仲の「鉄山必要記事」では「備中国」でとれるものを「赤目粉鉄」としていますので,これは拡大解釈です.同等なものと判断したなら,その根拠を示してもらいたいところですが,そのような記事はありません.

 続いて「赤目粉鉄は小粒であり,磁鉄鉱中に褐鉄鉱または赤鉄鉱を混在し,多少赤色を帯びている」と,しています.地学雑誌の無署名記事では「赤目は水酸化鉄」かつ「モミジは赤鉄鉱」とし,TS生の記事では「赤目は水酸化鉄」としていたのと異なります.
 先人の報告と異なることをいっていますが,それについての説明も,異なることの証拠も示されていません.先人の研究が引用すらされていません.

 続いて,「粉鉄」の分析値が示されています(分析値省略).
 単位が示されていませんが,たぶん%だと思われます.しかし,そうだとすると,総計が100になっていないのはなんなのでしょう.

 表はまず,「真砂」と「赤目」に大きく分かれています.
 化学成分は見たところ,「真砂」と「赤目」の違いよりも,「真砂」内でのばらつきの方が大きいように見えます.それもそのはずで,何度か指摘していますが,フェルシック鉱物(=無色鉱物)の存在を必要とする「たたら製鉄」原料としての「粉鉄」は,精選の程度によってフェルシック鉱物(=無色鉱物)と不透明鉱物(=酸化鉄など)+マフィック鉱物(=有色鉱物)の比率はいくらでも変わってくるのが当たり前です.たとえば,[チタン酸/鉄総量]とか,[燐総量/鉄総量]とかの比で比較するしか意味がないのではないかと思われます.

 筆者は「真砂」には「燐」の含有量が少なく,「赤目」には多いといっていますが,あげられた分析値中の「燐」の相対量はそうなってはいません.「赤目粉鉄」の分析値が二つあげられていますが,一つは「真砂粉鉄」群と同等で,一つはほかのすべての粉鉄に比べて若干高い値を示すとしかいえないと思われます.

 また,筆者は言及していませんが,この分析値から見る限り「真砂粉鉄」および「赤目粉鉄」中の酸化チタンの量に違いがあるようには見えませんでした.

 つづけて,
「以上,真砂砂鉄は磁鐵鑛にして還元し難く且つ燐分を含むこと少き故に主に製鋼用即ち鉧押用又は低燐銑鐵の製造に用られ…」
 と,なっていますが,分析表を見ても「真砂砂鉄が磁鉄鉱」であることはわからないし,「還元し難」いか「し易」いかもわからないと思います.また,後にわかることですが「製鋼用即ち鉧押用」には「真砂粉鉄」だけではなく「籠り粉鉄」と呼ばれる「赤目粉鉄」も必要とされています.「真砂」だからとか「赤目」だからとかではなく,「低燐」の「粉鉄」が必要とされているのだと思われます.
 小塚(1966;後出)は山陰地域の17資料の分析値を示していますが,真砂粉鉄と赤目粉鉄に含まれる「燐」の量について,何かが言えるようには見えません.

「赤目砂鐵は褐鐵鑛又は赤鐵鑛を混へ比較的還元し易く且つ通常燐分を0.1%以上含有せるか故に専ら銑鐵原料とせり」
 分析表は「鐵(第一酸化鉄+第二酸化鉄)」で示されているもので,これから褐鉄鉱や赤鉄鉱が混在することがわかるなら,その方法を教えてほしいものだと思います.ましてや,先人は「アコメには水酸化鉄」が「モミジには赤鉄鉱」が入っていると主張しているのに,反証を示すことなく違うことを,このように断言するのはおかしいと思ます.
 なお,「磁鉄鉱」より「褐鉄鉱」や「赤鉄鉱」が還元し易いと書いてあるのは何度か目にしましたが,実例もしくは実験結果が示されているのを見たことがありません.あえて示す必要もない自明のことなのでしょうか.
 さらに,分析表中の「赤目砂鉄」とされている標本の「燐」含有量は0.031と示されていて,その値は著者の主張と矛盾します.

 以下には,鉄穴流しなどの記述が続きますが省略し,実際にたたら場で使われる粉鉄の記述まで跳ぶことにします.
 実際に,「たたら場」で使われる粉鉄には「籠り粉鉄」・「籠り次粉鉄」・「上り粉鉄」・「下り粉鉄」があります.この名称は「たたら製鉄」の過程・ステージを表していて,そのときに使用される粉鉄の調整の違いを現したものです.砂鉄もしくは粉鉄の分類用語ではありません.

「鐵穴流し場より持ち歸れる砂鐵には尚三,四割の砂を混へたり,これを鑪場にて再洗し.適度の砂を含む様三種乃至四種に洗別す.」
「籠り小鐵:鑪爐を吹き始めてより暫くの間熔解し易き為めに用ふるものにして尚二十%内外の砂を混入せり.」
「籠り次小鐵:籠り小鐵の次に用いるものにして前者より砂の混入量稍少なく約二十%乃至十五%なり」
「上り小鐵:籠り小鐵の次に用いるものにして砂の混入量更に前者より少なく約十二三%内外なり」
「下り小鐵:鑪吹の最後に装入する砂鐵にして砂の混入量最も少なく通常十%以下なり」

 これら「たたら場」に持ち込まれた「粉鉄」を再度水洗して「砂鉄(=不透明鉱物)」と「無色鉱物(=フェルシック鉱物)」の割合を調整したものを「清粉鉄(きよめこがね)」と呼んでいます.実際に使用する粉鉄にも,まだ一割から二割程度の無色鉱物を含んでいるということです.
 なお,おのおの名の由来は,たたら製鉄を始めると作業主任である「村下(むらげ)」は寝る暇もありません.したがって,「たたら場に籠る」のであり,このとき使うのが「籠り粉鉄」です.純粋に近い砂鉄を使わないわけは,論文などでは,しばらく明らかにされませんが,最近では無色鉱物がある程度混じっている方が,熔融温度が低く,また鉱滓をつくり易くなるので,製鉄作業が楽になることになるらしいことが示されています.
 「籠り粉鉄」は特定な場所からのみ採取されるとする村下もいたようですが,実際にはいわゆる「赤目粉鉄」を調整することで,十分に役目を果たすものらしいことがのちにわかります.たぶん,「真砂粉鉄」でも調整すれば使えるのでしょう.

 「次」に使うのが,もちろん「籠り次」です.
 徐々に砂鉄含有量を上げてゆくのがコツらしい.炉の温度が上昇し,砂鉄と無色鉱物が溶け始めると,原料である「粉鉄」と,燃料であり還元剤である「木炭」をどんどん挿入することになります.このとき積み重ねた材料の高さがどんどん上がってゆくので,このときいれる粉鉄が「上り粉鉄」.
 炉のなかでは,「粉鉄=砂鉄+無色鉱物」・「木炭」のほか「炉壁材」も鉱滓をつくるために融け始めす.これが進むと,炉壁材が消耗し,それ以上の反応は望めないために作業が終了に近づきます.そして,積み重ねた材料の高さは下がり始めます.このとき挿入するのが「下り粉鉄」となります.

 繰り返しますが,これらは「たたら過程のステージとそのとき使われる粉鉄の名前」であって,「粉鉄の分類名」ではありません.

 記事は,さらに操業法として,1.銑押し操業,2.溜め吹操業,3.鉧押操業,について解説されています.

1.銑押し操業
「銑押には一般に赤目砂鐵を使用し特に燐の少き所謂真砂白銑を製出する時のみ眞砂々鐵を用ふ.」
 銑押しには通常,赤目粉鉄を原料として用いるとしています.
 「特に燐の少き所謂真砂白銑を製出する時のみ眞砂々鐵を用ふ」といいます.
 「白銑」とは,ここでは「所謂白銑」と書いてあって説明はありませんが,製鉄関係者もしくはたたら製鉄関係者間の俗語のようで,定義は明確ではありません.出来上がった銑鉄の破断面が白色のものを「白銑」といい,ネズミ色のものを「鼠銑(もしくは「ねずみ銑鉄」あるいは「鼠銑鉄」など)」と俗に呼んでいるようです.
 しかし,かなり無責任な言葉なので科学的な定義を持った言葉に翻訳してもらいたいものです.現在の解釈では,白銑と鼠銑の違いは,原材料の違いに由来するものではなく,同一の鎔銑からでも冷却の早い部分から黒鉛が追い出されて「白銑」となり,冷却の遅い部分に黒鉛が残り「鼠銑」となるらしいです.

 「真砂白銑をつくるときのみ,真砂粉鉄を使う」というのは,トートロジーのような気もしますが,これも複合文章なので,言わんとすることは別なことなのかもしれません.「燐の含有量の少ない銑鉄をつくるときには,もともと燐の含有量の少ない粉鉄を用いる」ということなのかもしれません.これもトートロジーのような気がしますが,筆者は真砂粉鉄の方が「燐」の含有量が少ないという前提なので(前述したようにその証拠は示されていませんが),低燐銑鉄をつくることを強調したのかもしれません.

 銑押しとこのあと出てくる鉧押しに用いられる炉には本質的な違いはないとあります.実際,銑押し中にも「鉧」は生じると書いてあります.炉内を常に観察し,「鉧」が生じ始めると,すぐにそれを除去するのだそうです.

2.溜め吹操業(低燐銑鉄製造法)
 「溜め吹操業」は明治40年頃よりおこなわれた改良型の銑押し操業だとあります.
 改良点は,原料に「真砂粉鉄」を用い,炉底の凹みを五倍程度に大きくするそうです.「鉄滓を強い塩基性にする」と書いてありますが,この「塩基性」の意味は書いてありませんし,「塩基性にする方法」も書いていません.それでも話しを進めます.
 炉の凹みを大きくするのは,そこに大量の鉱滓の層をつくり,そこを通る鎔銑から燐分を吸収させるのだそうです.銑鉄の品質にバラツキが生じるのを防ぐために,炉内に長時間とどめおきます.そのために「溜め吹」の名があるわけです.
 しかし,記述によると,もともと燐分の少ない印賀村付近の真砂粉鉄だから有効な方法だそうです.例によって,製品の燐分の分析値は掲載されていますが,原料である粉鉄の燐分は示されていません.

3.鉧押し操業
 鉧押しに使用される炉および操業法は1)銑押しや2)溜め吹とほぼ変わらないものが用いられると,ありますが,炉の高さは鉧押し炉のほうが低くつくられ,送風口は大きいとあります.この違いにどういう意味があるかはわかりませんが,著者はこのために「炉の中央または壁に粘着せる鉧の塊を増大せしめ,銑となって熔解するのを防ぐ手段」だとしています.
 銑押しでも放置すると「鉧」が生じるのであるから,放置すればいいだけかと思われますが,さまざまな微妙な作業のどれかが「鉧」を増大させるものらしいです.しかし,明確な説明・解析はありません.
 明らかに異なる点は,原料が「真砂粉鉄」に限られる点であるとしています.しかし,著者は「銑押し」でも放置すれば,「鉧」が生じるといっているのですが….
 文章も,文意もかなりあいまいであることは明らかだと思います.こういうあいまいな書き方は,のちの研究者によって都合の良いように解釈され,我田引水が起きます.結果としてしばらくの間,「たたら製鉄」はなにか不思議な作業のようで,科学的なメスが入れられることがなかったのであろうと思われます.

 なお,この記事では,このあと,「鍛冶場」における作業や,たたら製鉄の結果生じた「鉄滓」を再利用する「角炉」や「丸炉」の記述がありますが省略します.

 長くなったので項を変えます.
 

2009年4月4日土曜日

砂鉄“研究”史(1)

 
●「地学雑誌」時代
 そもそも,最初に砂鉄が学術的に述べられたのは,「地学雑誌」(1895(明治28)年6月10日発行)に「中國砂鉄に付て」という無署名の記事でした.以下に関係分を示します.

【産地】
 記事には「雲伯芸備*」に数百もの砂鉄産地があると書かれています.
 しかし,砂鉄産地は伯耆沿岸(=大山の沿岸部)の「浜砂鉄」を除けば,陰陽両道の分水嶺付近の山中に限定されるといいます.

*「雲伯芸備」=(雲州=出雲国=島根県東部)+(伯州=伯耆国=鳥取県中西部)+(芸州=安芸国=広島県西半部)+(備州=備前国+備中国+備後国=岡山県南東部+岡山県西部+広島県東部)

【成因】
 「浜砂鉄」を除けば,この地方の砂鉄は深成岩類に含まれる不透明鉱物が風化作用によって現れるものであるとしています.それは,これら岩石が粗晶質であることと,この地方の厳しい気候が原因だとしているわけです.現地残留鉱床として,あるいは段丘堆積物もしくは(山間部の)現河床堆積物として残るものを「山砂鉄」と呼んでいます.また,これら砂鉄が流れ出し下流の平地に堆積したものを「川砂鉄」と呼んでいます.

【川砂鉄】
 陰陽両地方の「川砂鉄」には,ほとんど差がありません.川砂鉄には「磁鉄鉱」・「鏡鉄鉱」・「チタン鉄鉱」・「有色鉱物」などに「細粒の珪石」が混在したものであるとしています.したがって,「たたら製鉄」ではその半分以上は「銑鉄」にならず,「鋼鉄」になる傾向があるそうです.
 また,「川砂鉄」は「山砂鉄」より熔融しにくい傾向がある.と,しています.

【山砂鉄】
 「山砂鉄」は「アコメ,モミヂ普通砂鉄,黒砂鉄,青砂鉄」に分けられています.ここで,「普通砂鉄」という用語がなぜ入っているのか不明ですが,以下に説明が続きます.
 「アコメ」は水酸化鉄を混じ褐色を帯びている.
 「モミジ」は赤鉄鑛を混じ,細粒で紅葉色を帯びている(「普通砂鉄」については説明がない).
 「黒砂鉄」はチタン鉄鉱の混在量が前者より多いようである(とあるが,「前者」とは何をさしているか不明.「アコメ」と「モミヂ」のことか).
 「青砂鉄」は重珪酸化合物鉱を多量に交え,チタン鉄鉱を含有する黒砂鉄によく似ている(「重珪酸化合物鉱」という言葉は現在使われていない.「重鉱物」のことか.重鉱物がほとんどを占める「砂」を「砂鉄」と呼ぶのは問題はないか).

【山陰と山陽の砂鉄の相違】
 花崗岩からは種々の砂鉄が産出するため,一概にはいえないが,下記の違いがあるようだ.と,しています.
 「山陽砂鉄(+分水嶺付近)」vs.「山陰砂鉄」
        多い >二酸化鉄> 少ない
        多い >水酸化鉄> 少ない
        銑鉄 >製品鉄質> 鋼鉄
        熔融しやすい>熔融しづらい

 しかし,山陰砂鉄でも「有色鉱物」を混在するものは熔融しやすく,銑鉄製造に適するものもあるとしています.
 また,以上の花崗岩のものに比して,閃緑岩から産出する砂鉄は,角閃石やチタン鉄鉱を含みますので,製銑の歩留まりが悪く,鉄質も劣るのが普通であるそうです.

【歩留まり】
 山砂を流して得られる砂鉄の量は,1/100~8/10,000ですが,通常は5/1,000~1/1,000程度.その砂鉄からつくられる銑鉄は,3.5割~1.5割程度であるそうです.


[解説]
 この著者は「河砂鉄」と「川砂鉄」の両方を使っていますが,私の解説では「川砂鉄」で統一します.また,本来は「鐵」ですが,これもこの著者は「鐵」と「鉄」の両方を使っています.こちらも,私の解説は「鉄」で統一します.

 中国地方の砂鉄は,かなり特定の地域でしか産出しないとされています.ここでは,「山砂鉄」・「川砂鉄」・「浜砂鉄」は単に存在する場所を現しているだけで,「分類用語」として機能しているわけではないようです.
 「鉱山必要記事」では「山砂鉄」・「川砂鉄」・「浜砂鉄」ではなく,「山粉鉄」・「川粉鉄」・「浜粉鉄」を使用しています.私はある理由で「山砂鉄」・「川砂鉄」・「浜砂鉄」という用語は不適切と考えています.なぜなら,この著者も書いているように,これらには「磁鉄鉱」・「赤鉄鉱」・「チタン鉄鉱」のほかに,相当量の「有色鉱物」と「無色鉱物」が含まれており,しかも「たたら製鉄」には,この「無色鉱物」が非常に重要な働きをするからです.純粋に近い「鉄鉱物」のみでは「たたら製鉄」はできないからです.「石英」・「長石」の混在を前提とする混合物に「砂鉄」という言葉を使うのはおかしいでしょう.「鉱山必要記事」に使われたとおりに「粉鉄」を使うべきだと思います.

 「川砂鉄」が銑鉄にならないで鋼になるというのは「鉱山必要記事」の記述とは全く逆です.また,「『川砂鉄』は『山砂鉄』より熔融しにくい傾向がある」というのも「鉱山必要記事」の記述とは全く逆です.どちらかの記述が間違っているか,或は本来そのような違いはないのかもしれません.なお,管見(調べた)の範囲内では,「川粉鉄」と「山粉鉄」を用意して,双方の熔融温度を比較したという実験は見当たりませんでした.そもそも,「川砂鉄(川粉鉄)」と「山砂鉄(山粉鉄)」の定義が曖昧なので,実験材料すら用意できないのでしょう.山中の川から採取した砂鉄や山間部と平野部の境界あたりで採取した砂鉄はなんと呼ぶのでしょうね.
 また,この部分の記述では「川砂鉄」・「山砂鉄」という用語に,産地以外の違い(=熔融温度の差)があることを匂わせていることになります.しかし,その詳細については触れていません.「傾向がある」といっているだけです.
 また,この記事は,基本的に「鉱山必要記事」の記述をふまえて論じているようですが,「鉱山必要記事」には「山砂鉄」が上記のように分けられるという記述はありません.出典はなんなのでしょう.また,ここで示された分類はこのあと引用されたことはないようです.


 前記,無署名記事の二年後,今度はTS生(1897)という名で,「藝、備、石地方の砂鐵に就て」という記事が掲載されました.

【地域】
 まずは,その地域のついての説明です.これは,無署名記事より少し限定されていて,山陰山陽の境界部とその山陰方面側が中国砂鉄産地の主要な地域であるとしています(つまり,山陽側の大部分は入れられていないか,主要ではない地域として入れられている).

【分析値】
 ここで,史上はじめて日本の“砂鉄”の化学分析値が示され,日本の「砂鉄」は母岩に副成分鉱物として存在する「磁鉄鉱」と「チタン鉄鉱」の混合物であることを明らかにしています.しかし,残念なことに,この分析した標本は複数の地点からの“砂鉄”を精選の過程で混ぜ合わせたものらしく,「山砂鉄」・「川砂鉄」・「浜砂鉄」,「アコメ」あるいは「真砂」のいずれとも,示されていません.

  硅酸      9.80
  礬土      1.75
  第一酸化鐵  24.10
  第二酸化鐵  54.48
  石灰      0.80
  苦土      0.52
  酸化満俺    0.92
  硫酸      0.02
  燐酸      0.07
  ちたん酸    5.80
  熱灼減量    1.50

 鉄化合物総量で8割近くを占めるものの,珪酸分が約一割を占めています.
 鉱物としての存在比を示しているわけではないので判断できませんが,こういう値は,産地,精選の方法・程度によって変わってくるので一義的な意味は持っていません.ただ,最初におこなわれた化学分析であるということと,どうやら,いわゆる“砂鉄”には大量の鉄の酸化物とわずかなチタンの酸化物が含まれているということだけです.
 また,この分析値からは鉄酸化物が「磁鉄鉱」であると判断することはできないと思いますが,私はこういう分析値の“専門家”ではないのでよくわかりません.

【母岩】
 “砂鉄”の母岩はおおむね「閃緑岩」・「花崗岩」・「花崗(質)斑岩」の三つであるとしています.具体的な数値は示していませんが,砂鉄の含有量は「閃緑岩」にもっとも多く,「粗晶の花崗岩もしくは花崗斑岩に少」とし,その量は通して6/1,000以下であるとしています.

【精選】
 「たたら製鉄」所では,上記微量の“砂鉄”を65%まで精選したものを用い,そこからつくられる銑鉄は25%前後であると記述しています.
 これは,語るに落ちるで,分析値として示された標本は,異常に鉄分を高く精製したものだということがわかります.実際に使われる「粉鉄」中の「砂鉄」の割合はそんなに高くないわけです.

【砂鉄の種類】
 砂鉄には二種類あるとしています.以下,

 アコメ(目細:メゴマ):大部分は閃緑岩および“角閃花崗岩”から生じ,小粒の真砂および水酸化鉄を含む砂鉄からなるとしています.これは,もっぱら銑鉄の原料に使い,備後の国恵蘇郡・三次郡,安藝国粟屋および石見国漁山付近の地方に多いとしています.
 荒真砂(アラマサ):荒真砂は大粒の砂銑(ママ)であり珪石粒を含むとしています.主として製鋼用に使用され,石見国邑智郡に多いそうです.川砂鉄の一部もまたこれに属しているとしています.

 現在の岩石学では“角閃花崗岩”という用語はありません.「角閃石」と「角閃岩」は全く異なる概念なので,「角閃」という使い方は現在はしません.
 マフィック鉱物の存在を意図的に示す場合,「角閃石花崗岩」ということはあります.しかし,通常「角閃石」が含まれる花崗岩には,当然「雲母」も晶出しているはずなので,「角閃石-黒雲母-花崗岩」もしくは「黒雲母-角閃石-花崗岩」となるはずです.しかし,「黒雲母-角閃石-花崗岩」なら「閃緑岩」といった方が早いでしょう.

 「アコメ」もしくは「目細」と呼ばれる“砂鉄”の鉄鉱物は「小粒の真砂」と「水酸化鉄」からなるとしていますが,「小粒の真砂」の定義がどこにもありません.この時点では「真砂」はまだ俗語であり定義がありませんから,「水酸化鉄」と並置するのはまずいでしょう.
 「荒真砂」は「大粒の砂銑」と「石英長石類」からなるとしています.「砂銑」は「砂鉄」の誤植だと思われます.そうであれば,先に砂鉄は「磁鉄鉱」と「チタン鉄鉱」と定義されているから,「荒真砂」は一応定義された用語として扱うことができます.
 なお,後に,これを引用したのかそうでないのかはわかりませんが,あいまいな「アコメ“砂鉄”」・「(荒)真砂“砂鉄”」という用語が使われることがありますが,ここでは両方ともに「砂鉄」ではない珪石が相当量含まれるのが普通であるので,“砂鉄”をつけて使うのは科学的とは言い難いと思います.あくまで「鉄山必要記事」で使われた「粉鉄」を使うべきで,「アコメ(赤目)粉鉄」・「(荒)真砂粉鉄」が使われるべきです.

 論文はこのあと,「砂鉄」そのものではなく,製鉄に関する記述となるので,以下は省略します.

 「地学雑誌」には,この後,砂鉄に関する論文は見当たりません.

 蛇足しておけば,この当時の「地学」はまだ未分化の状態で,決して現在の「地学」と同じ意味ではありません.強いていえば,現在のナショナル・ジオグラフィック協会のようなもので,地質学を含むいわゆる地学に,自然地理や民俗学・民族学,さらには考古学的記載まで加えたものでした.
 したがって,地質学あるいは鉱物学・鉱床学の専門家が書いた記事との前提で議論するのはまずいのかもしれません.

注:この時代の文章は現代の私たちにとっては,まだ古文書解読のような手間がかかります.どちらにでも解釈できる複合的な文章が使われていたり.「そうだ」といっているのか,「そうではない」といっているのか判断できない場合も多々あります.現代的な科学論文と見なすのは無理があるのかもしれません.

 

2009年4月3日金曜日

差別ということ

 
 先日,「ウタリ協会」が「アイヌ協会」に改名することになったというニュースが流れました.
 「アイヌ」が差別的な言葉として使われた歴史があり,これを嫌うアイヌが同胞という意味を持つ「ウタリ」を会の名に選んだという経緯があります.なお,「アイヌ」は自然や精霊に対する「人」という意味で,さらにその「人」の中でも「男」という意味を持ち,決して差別用語ではありません.

 話しは変わりますが,私が子供の頃,こんな話しがありました.
 外出から戻った母が,旭橋のたもとで知らない人から「あなた朝鮮人じゃあないですか」と声をかけられた,といって「失礼しちゃう」と少し怒っていました.当時の私は,なぜ母親がそのことで怒るのか理解ができませんでした.まだ,差別ということが理解できていなかったのですね.
 母の名誉のためにいっておけば,母は決して差別を肯定するような人ではありません.でも,「朝鮮人ではないのか」といわれて,無意識のうちに機嫌が悪くなる程度のことはあったようです.

 最近こんなことがありました.
 「バカ・チョン・カメラ」=「バカでもチョンと押せば写るカメラ」を,私が話題にしたときのことです.高校生の長女が口をトンガラカセて抗議します.

 「チョン」というのは朝鮮人に対する差別用語だから,使ってはいけないというのです.

 一瞬,何を言われているのかが理解できなかったですが,彼女は「バカでも,チョンでも」という言い方を前提としていたのですね.私はそのときまで意識はしていなかったですが,背景にはこういうことがあります.
 明治以降の日本帝國が示す侵略的傾向の結果としての朝鮮人強制連行.それ以後,日本国内に結構な数の朝鮮人が住んでいましたが(今でも住んでいますね),古くから代々日本にいるというだけの日本人は,強制連行のためによく日本語が理解できていない朝鮮人のことを,バカにして「バカ」と「朝鮮人」を同列にしたのです.そのとき使った言葉が「チョン」.
 ちなみに,「バカ」は中国語の「馬鹿」が語源で,もともとは「馬と鹿の区別がつかない人」という程度の意味です.

 話しを戻します.
 不意をつかれた私は,それでもなんとか体勢を立て直し,「『バカ・チョン・カメラ』の『チョン』とその『チョン』とは(語源が)違うだろう」と反論しましたが,長女は納得しない様子です.
 もちろん,「バカ・チョン・カメラ」の「チョン」は,「チョンと押す」という擬音語です.しかし,私も,そうはいいましたが,完全には自信が持てません.したがって「バカチョンカメラ」という言葉は自粛しようと心に決めた(口には出さずという意味)次第.


 そういうことが気になってくると,いろいろ昔のことを思いだします.
 若い頃,教育テレビで見たUSAの差別撤廃プログラムのことを思い出しました.

 USAの高校で人種差別撤廃のプログラムを実施するドキュメンタリーでした.
 プログラム前に,一緒に歩いている黒人と白人の二人の少年にインタビュー.
 白人の少年は,インタビュアーに強い口調で反論します.彼は差別など露ほど思っていないし,実際に一緒に歩いている黒人の少年は真の友人であると主張します.
 しかし,同意を求められた黒人の少年は静かに微笑んでいるだけ.

 やがて,プログラムが始まります.
 このプログラムは,いわゆる有色人種と白色人種の立場を逆転させるゲームです.有色人種は白色人種から普段いわれている言葉をぶつけていいし,白色人種はそれに対して抗議や反論をしてはいけないというものです.

 プログラム終了後,白人少年は黒人少年に涙を流しながら「友達だと思っていたのに」と抗議します.しかし,黒人少年は一言「なぜ? 普段,君たちが僕らにしてることをしただけだよ」と.

 差別の恐ろしさは,無意識に差別が染み込んでいるところにあります.
 自分は差別していないつもりでも,相手から見れば「“立派な”差別」ということが,ありふれているわけです.


 私には,中学時代からのアイヌの友人が何人かいます.
 気のいいやつで,今でも付き合いがあります.
 私は仲のいい友人のつもりですが,彼から見た私はどうなのでしょう.考えると恐ろしくなりますが,意識しすぎるのもどうかと思います.

 鎖国時代は国内の戦争も外国との戦争もない平和な時代でした.
 しかし,その平和な時代が,本来多様な人種構成(民族構成とか部族構成といった方がいいのかな)である日本人に妙な日本人意識を生み出し,そのあとに続く不幸な時代に,さらに意識的・政治的に作り出された歪んだ日本人意識が,今でも尾を引いているというわけです.
 こんなことを考えなくていい時代がきてほしいものです.