2019年4月26日金曜日

北海道地質学史に関する文献集(18)


植村癸巳男(1968)鉱物調査をかえりみて~明治・大正時代のスベニール~.

 明治43年から大正13年までおこなわれた北海道についての「鉱物調査事業」について.事業そのものについてではなく,実際の調査の思い出やアシストしてくれたアイヌ民族に対する感謝が述べられている.
 調査の苦労話については,私どもが学生のころにおこなったのと比べて,交通網や宿がよくなったのは別として,野外での作業の苦労は,ほとんど変わらないのでよくわかる.現在はどうなのであろうか.


 さて,この鉱物調査事業の内容については,この報告ではほとんどわからないので,鉱物調査報告のリストを下に示しておく.

鑛物調査報告(Mineral Survey Reports
内容 報告者 出版年月
第1号 明治四十三年度鉱物調査の概要            伊木常誠  明治44.3
第2号 渡島国亀田半島鉱床調査報告             大日方順三 M.44.3
第3号 膽振国勇払郡勇払油田調査報告            小林儀一郎 M.44.3
第4号 日高国沙流川流域調査報告              岡村要蔵  M.44.3
    日高国「ヌカビラ」川流域調査報告          伊木常誠   同
    日高国新冠,静内,三石三郡地方調査報告       岡村要蔵   同
    日高国南部及十勝国広尾郡調査報告          山根新次   同
第5号 胆振国勇払郡鵡川流域調査報告            小林儀一郎 M.44.6
    渡島国濁川油田調査報告               小林儀一郎  同
    日高国門別川,波恵川,慶能舞川及厚別川流域調査報告 伊木常誠   同
    日高国元浦川流域及浦河附近調査報告         伊木常誠   同
    十勝国広尾郡及河西郡地方調査報告          岡村要蔵   同
    石狩国空知川支流「ヤマエ」及「トナシュベツ」調査報告
                              山根新次   同
    附十勝石狩国道筋地質調査報告            山根新次   同
第6号 渡島国及後志国鉱床調査報文             大日方順三 M.44.7
第7号 明治四十四年度鉱物調査の概要            伊木常誠  M.45.3
第8号 後志国及胆振国の硫黄及鉄鉱調査報文         大日方順三 M.45.3
第9号 北見国宗谷炭田予察調査報文             岡村要蔵  M.45.6
    石狩国石狩油田調査報文               小林儀一郎  同
第10号 雨竜留萌炭田地質調査報文              山根新次  T.1.8
    天塩国留萌及苫前地方地質調査報文          山根新次  T.1.8
第11号 北海道北部中央地区地質調査報文           岡村要蔵  T.1.8
    石狩国恵袋別徳富産油地調査報文           小林儀一郎 T.1.8
    石狩国新十津川砂金地調査報文            小林儀一郎 T.1.8
    石狩国浜益郡浜益川流域及浜益郡茂生厚田郡安瀬間地質調査報文
                              小林儀一郎 T.1.8
第12号 後志国及渡島国の鉱床調査報文            大日方順三 T.1.9
    渡島国亀田郡尻岸内村同茅沼郡及胆振国山越郡砂鉄調査報文
                              大日方順三 T.1.9
第13号 明治四十五年大正元年度鉱物調査の概要        伊木常誠  T.2.3
第14号 北見国宗谷郡天塩国天塩郡産油地調査報文       小林儀一郎 T.2.10
    天塩国幌延炭田調査報文               小林儀一郎 T.2.10
第15号 北海道北東部地質調査報文              岡村要蔵  T.2.10
第16号 天塩国遠別及築別地方地質調査報文          渡邊久吉  T.2.10
    石狩国札幌郡定山渓付近地質鉱物調査報告       渡邊久吉  T.2.10
第17号 大正二年度鉱物調査の概要              小林儀一郎 T.3.5
第18号 浦幌炭田調査報文                  小林儀一郎 T.3.9
第19号 北見国宗谷炭田調査報文               渡邊久吉  T.3.9
第20号 北海道網走屈斜路地方地質調査報文          岡村要蔵  T.3.11
    後志国奥尻島地質鉱床調査報文            岡村要蔵  T.3.11
第21号 釧路国白糠舌辛地方地質調査報文           渡邊久吉  T.4.10
第22号 日高国北西部産油地調査報文             岡村要蔵  T.4.10
    胆振国幌別鉱山及白老鉱山調査報文          大日方順三 T.4.10
第23号 知床半島地質調査報文                門倉三能  T.5.10
第24号 石狩国札幌郡定山渓豊羽鉱山附近地質調査報文     小林儀一郎 T.6.10
    天塩国天塩郡天塩,遠別間産油地調査報文       小林儀一郎 T.6.10
    渡島国上磯郡泉沢産油地地質調査報文         小林儀一郎 T.6.10
第25号 釧路国釧路炭田調査報文               門倉三能  T.7.2
第26号 後志国太櫓郡及久遠郡鉱物調査報文          千谷好之助 T.7.3
第27号 釧路国阿寒炭田調査報文               門倉三能  T.7.10
第28号 石狩国空知郡十勝岳附近鉄鉱及硫黄鉱調査報文     納富重雄  T.9.1
    石狩国上川郡美瑛鉄鉱調査報文            納富重雄  T.9.1
    石狩国上川郡鷹栖村鉄鉱調査報文           納富重雄  T.9.1
    北見国常呂郡太茶苗鉄鉱調査報文           納富重雄  T.9.1
    北見国斜里郡斜里砂鉄調査報文            納富重雄  T.9.1
    北見国紋別郡上生田原鉄鉱調査報文          納富重雄  T.9.1
    北見国紋別郡北ノ王金山付近地質調査報文       納富重雄  T.9.1
第29号 胆振国鉄鉱調査報文                 清野信雄  T.9.2
第30号 天塩国留萌炭田及油田調査報文            飯塚保五郎
                              上村癸巳男 T.9.9
第31号 釧路国東部釧路炭田調査報文             飯塚保五郎 T.9.9
第32号 天塩国留萌郡小平蘂川南部炭田調査報文        上村癸巳男 T.11.3
第33号 根室国目梨郡忠類川上流産油地調査報文        六角兵吉  T.11.12
    北見国斜里郡斜里岳付近地質鉱物調査報文       六角兵吉  T.11.12
第34号 天塩国中川郡恩根内産炭地調査報文          鈴木達夫  T.11.12
    石狩国雨竜郡朱鞠内産油地調査報文          鈴木達夫  T.11.12
第35号 天塩国留萌郡小平蘂川北部炭田調査報文        六角兵吉  T.14.8
第36号 天塩国羽幌炭田調査報文               上村癸巳男 T.14.9
第37号 後志国茅沼炭田調査報文               鈴木達夫  S.5.3
    釧路国阿歴内産炭地調査報文             鈴木達夫  S.5.3
    釧路国糸魚沢産炭地調査報文             鈴木達夫  S.5.3


2019年4月24日水曜日

北海道地質学史に関する文献集(17)

北海道地質学史に関する文献集(17)

佐藤博之(1968)北海道の地質はどのように解明されているか.

 戦後の北海道の地質調査について,図幅調査を中心に詳述されている.敗戦前の国土膨張期には,完全に無視されていた北海道の地下資源も,敗戦とともに見直され,基礎的な地質調査の重要性が見直された.
 調査機関としては,(日本)地質調査所に加えて,北海道地下資源調査所が設立され,これに北海道開発庁(実際の調査は地質調査所と地下資源調査所がおこなった)が加わって本格的に始動する.地質家としては,上記職員のほかに,北海道大学と北海道教育大学から,ほかにも東京教育大学,熊本大学,札幌通商産業局などが調査に加わった.
 以下に,この報告の章立てを示す.

   1 5万分の1図幅
   2 20万分の1地質(図幅)
   3 小縮尺地質図
   4 図幅調査のトピック




 「4 図幅調査のトピック」には「新冠川の石灰石鉱床」と「大千軒岳山麓の石炭紀層」が挙げられている.
 「新冠川の石灰石鉱床」は,道路がないために未踏査であった地域が,北海道電力が電源開発のために切り開いた調査歩道が使えるようになり,そこで鈴木守技師(北海道地下資源調査所:当時)が新冠川を踏査中に巨大な石灰岩体を発見したという話題である.本文を引用すれば「人跡もそれまでは未到にひとしかった日高の山中に これだけの地下資源が眠っており それが図幅調査によって発見されたというめずらしい話題である」という.それが,神保小虎が命名した「日高山脈」,人を近づけない「日高山脈」の実体だったわけである.
 もう一つの「大千軒岳山麓の石炭紀層」は,道南の上ノ国村の地質調査中に,また「大千軒岳」図幅調査中に,上ノ国では石灰岩レンズから,大千軒岳付近では知内川の礫状石灰岩及び石灰質礫岩から紡錘虫や珊瑚化石が発見され,これらから石炭系の地層があることが確認されたことである.それまでは,いずれの岩体も時代未詳古生層とされていたので,非常に重要な発見であった.
 どちらも,綿密な地質調査が,どれだけ多くの情報をもたらすかという好例である.
 ところが不思議なことに,上ノ国図幅も大千軒岳図幅も,どちらも出版されずに終わっている.



 

2019年4月21日日曜日

北海道地質学史に関する文献集(16)

 
佐藤・斎藤(1968)本道地質調査事業のあゆみ 第Ⅰ部 北海道の地質調査事業はどのように進められたか.

  1 創成期
  2 油田の開発から大井上図まで
  3 昭和初期から終戦まで

 これ以上に北海道の地質調査史に付け加えることがあるとすれば,些末なほどに詳細なことか,戦後についてだけ,ということになろう.
 北海道の地質調査史は,北海道の歴史そのものと同じ,国家の都合や世相に左右されながら,日本国本土の地質調査史とはまったく別の調査史を歩んでいることがわかる.

 引用文献は,とくに示されていない.


 



北海道地質学史に関する文献集(15)

 
斎藤正雄(1967)北海道の鉄資源.

 本論文は,地質調査所報告第220号に「北海道の鉄資源」としてまとめられたもので,Ⅱ章「総説」のⅡ.2「北海道における鉄資源開発と調査の変遷」に調査史が述べられている.

 鉄資源を基本としてまとめられているので地質調査史として使うには不充分である.しかし,鉄資源調査史としては充分に詳しい.


2019年4月18日木曜日

北海道地質学史に関する文献集(14)

北海道地質学史に関する文献集(14)

今井 功(1966)黎明期の日本地質学.

 前述の今井(1963~1965)「地質調査事業の先覚者たち」を再編集したものである.地質学史に興味がある人には必読の書であるが,すでに絶版で古書店でも入手困難になっている.

 以下に,章立てと参考文献を示しておく.ただし,「Ⅱ章 ライマン」以外は北海道の地質に大きく関わらないので章題だけにし,「Ⅱ章 ライマン」については節題も示す.なお,巻末にある「おもな参考文献:全章にわたるもの」は割愛する.

  目次
  はじめに
  I コワニエ
  II  ライマン
  III 和田維四郎
  IV ナウマン
  V 原田豊吉
  VI 巨智部忠承
  VII 小藤文次郎
  おわりに
  年表
  おもな参考文献

II  ライマン
II-1 生い立ち
II-2 蝦夷地の開拓
II-3 北海道開拓使
II-4 開拓使仮学校
II-5 北海道の地質調査
II-6 全国油田地質調査
II-7 その後のライマン

Ⅱ章 おもな参考文献
B. S. Lyman: A General Report on the Geology of Yesso, 1877
ライマン:北海道地質総論 開拓使 明治11年
B. S. Lyman: A Report of Progress for the First year of the Oil Survey, 1877
B. S. Lyman: A Report of Progress for the Second year of the OilSurvey, 1879
B. S. Lyman: Report of Progress for 1878 and 1879, Geological Survey of Japan, 1878
賀田貞一略伝:日本鉱業会誌 第370号 大正4年
山際永吾小伝:日本鉱業会誌 第385号 大正 年(年数は脱字)
坂市太郎:北海道の開発と石炭鉱業 日本鉱業会誌 第403号 大正7年
佐川栄次郎:ライマン氏を憶ふ 地質学雑誌 第28巻 第328号 大正10年
小野崎五助:桑田知明翁を追悼す 日本鉱業会誌 第614号 昭和11年
桑田権平:来曼先生小伝 昭和12年
斎藤仁:北海道の地下資源調査事業の沿革(一)(ニ)(三) 地下資源 No. 1~No. 3 昭和33ー34年
加茂儀一:榎本武揚 中央公論社 昭和35年
佐々保雄:北海道地質図変遷史(一) 北方文化研究報告 第17輯 昭和37年


 

2019年4月14日日曜日

北海道地質学史に関する文献集(13)

北海道地質学史に関する文献集(13)

佐々保雄(1962)北海道地質図変遷史(一). 
佐々保雄(1964)北海道地質図変遷史(二). 
佐々保雄(1965)北海道地質図変遷史(三).

 北海道における地質学の巨人のひとり・佐々保雄による「北海道地質図変遷史」である.38+36+68頁の大著.

 章立ては以下の通り.

一,諸言
二,北海道の地質調査と地質総図
三,明治初期・北海道開拓使時代の地質図
四,明治中期・北海道庁鉱物調査時代の地質図
五,明治末期ー大正期・地質調査所「鉱物調査」時代の地質図
六,昭和期・北海道工業試験場時代の地質図
七,昭和二〇年以降・第二次大戦後の地質図

 北海道の開拓前夜から第二次世界大戦後,本書発刊当時の1960年代までが網羅され,各地質図を詳述の上,その地質図に対する評価も述べられている.この大業に付け加えることは何もないであろう.

 その緒言を示しておく.
 北海道に関する地質図は、その大小精粗を問わないとすると、明治初葉から今日にいたるまで、公刊されたものがかなりの数に達している。その中、部分図は別として、地質総図(General Geological Map)、すなわち北海道全体を一つにまとめた地質図だけを見ても、決して少い数ではない。総図としての性質上、縮尺は五〇万分台から三〇〇万分の一台の大縮尺のものが多いので、地質の詳細にわたつては描かれていないが、大局的に地質構成がどうなつているかを理解することが出来る。地質総図の目的もまたそこにある。
 しかし、それらを、時代を追つて一つ一つ点検していくと、その間に自ら移り変りがあつて、ある時は多少づつ、ある時は著しく違つて居り、道の地質が次第に明らかになり、今日の知識に近づく過程を現わし、その時々の進歩の跡をとどめていると同時に、当時の日本の地質学界の趨勢をも反映している。言わば、北海道地質調査進捗の歴史の一断面を如実に示している、と言うことができる。
 本文は、この地質総図の主なもの、即ち北海道を主としたものを第一にとり上げ、また日本全体の地質図の中で北海道をまとめてあるもののうち、主要なものをも含め、公刊の順序を追つて挙げて、その大要を述べるとともに、各々の間の変遷を見、どのように北海道の地質が明らかになつて行つたか、を知ろうと試みたものである。

 なお,佐々は北海道の地質調査史を以下の六つに分けて詳述している.

 イ、幕末期ー北海道開拓使以前
 口、明治初期ー北海道開拓使時代
 ハ、明治中期ー北海道庁鉱物調査時代
 二、明治末期・大正期―地質調査所「鉱物調査」時代
 ホ、昭和初期ー北海道工業試験場時代
 へ、昭和二〇年以降ー第二次大戦後時代

 さて,この大著を読んだ感想を一つ.
 地質図は,その当時の学問・学者のレベルによって進化・変遷するものである.神保小虎が先頭に立って引き起こしたライマン地質学へ批判は,視野狭窄の戯言でしかないことがよくわかる.これら帝大地質学者たちの戯言は,もちろん,薩長土肥の明治政府が進めた“ネオ尊皇攘夷”への忖度だったのかも知れないが.


2019年4月11日木曜日

北海道地質学史に関する文献集(12)

北海道地質学史に関する文献集(12)

今井 功(1963)地質調査事業の先覚者たち(4)炭田・油田開発の貢献者ーライマンー.


 地質学史開拓の巨人の一人・今井功氏の著作である.これは1~7のシリーズのうちのひとつ.このシリーズは,後にまとめられて今井(1966)「黎明期の日本地質学」となって出版されている.
 北海道の地質学に関係あるのは,上記(4)のみ.

 その序文を引用しておく.

 ライマンは石炭・石油など 日本の地下資源開発の上に大きな業績を残したが その地質学的評価はあまりかんばしいものではなかった.彼はアカデミックなドイツ地質学よりも 実際的なアメリカ地質学の影響を受けている.したがって いかにして地下資源を開発するかということに専念し そのために役に立つようにと助手たちを教育した.そして 助手たちとともに学び ともに成果をわかちあった.助手たちがライマンを慕ったのは当然であろう.しかし このようなやり方はまだ封建色の濃い当時の日本では受け入れられなかったため ライマンが去ってのち 助手たちは次第に官界・学界から離れ 実業界に転じていった.ライマンが再評価されるようになったのは かなり後のことである.

おもな参考文献
B.S. Lyman: A General Report on the Geology of Yesso,1877
ライマン:北海道地質総論 開拓使 明治11
B.S. Lyman: A Report of Progress for the First year of the Oil Survey ,1877
B.S. Lyman: A Report of Progress for the second year of the Oil Survey ,1878
B.S. Lyman: Reports of Progress for 1878 and 1879 Geological Survey of Japan ,1879
H.B. Woodward: History of Geology ,1911
賀田貞一略伝 日本鉱業会誌 第370号 大正4
山際永吾小伝 日本鉱業会誌 第385号 大正6
坂市太郎:北海道の開発と石炭鉱業 日本鉱業会誌 第403号 大正7
佐川栄次郎:ライマン氏を憶ふ 地質学雑誌 第28巻 第328号 大正10
小野崎五助:桑田知明翁を追悼す 日本鉱業会誌 第614号 昭和11
桑田権平:來曼先生小伝 昭和12
American Geological Society: Geology ,1888-1938, Fiftieth Anniversary Volume ,1938
B. Juffe: Men of Science in America-The Role of Science in the Growth of Our Country, 1944
日本石油史編集室:日本石油史 昭和33
日本学士院編:明治前日本鉱業技術発達史 昭和33
斎藤仁:北海道の地下資源調査事業の沿革(ー)(二)(三) 地下資源 No.1No.3 昭和33-34


2019年4月8日月曜日

北海道地質学史に関する文献集(11)

 
今井 功(1962)地質図幅調査事業の歴史.

 今井氏は,いわずと知れた地質学史研究の巨人の一人.多数の著作がある.


 地質調査所設立80周年に際し,今井氏がまとめた「地質図幅調査事業の歴史」である.章立てを示せば…

   はじめに
   地質調査所設立前の地質図
   地質調査事業の計画
   40万分の1予察図
   20万分の1地質図幅(詳図)
   7万5千分の1地質図幅
   5万分の1地質図幅
   北海道の地質図幅調査事業
   おわりに

となっている.
 図幅とは何か,に始まって,日本で最初につくられた地質図,日本本土で進み詳細化してゆく図幅調査が示されている.しかし,日本で最初に地質図がつくられた北海道は内地(本州・四国・九州)とは同等に扱われず,「北海道の地質図幅調査事業」は独自におこなわれたことが章立てだけでも見えている.



2019年4月7日日曜日

北海道地質学史に関する文献集(10)

 
北海道開発庁(1960編)北海道の地下資源.
or
斎藤仁(1960) 開発の沿革と概況.

 「Ⅱ 開発の沿革と概況」に北海道の地下資源調査の歴史が詳述されている.しかし,誤植が多いので要注意.著者は第三代所長である.

 以下に関係分の章立てを示しておく.

Ⅱ 開発の沿革と概況……北海道地下資源調査所長 斎藤 仁
沿革
1.蝦夷時代の開発
  発祥
  探検
  鉱産地
  幕府の施策
2.明治時代の開発
  開拓使の事業
  北海道庁の設置と民業の発展
3.大正時代の開発
4.昭和時代の開発

 なお,附録として「北海道地学関係年表」および「鉱業法制の沿革」が載せられている.



2019年4月2日火曜日

北海道地質学史に関する文献集(09)

 
山根・三土(1954)わが国の地質調査事業の沿革

 山根新次・三土知芳は二人とも,地質調査所・所長を務めた人物である.
 山根は鉱床学が専門らしい.地質調査所を退職後,島根大学に移り「地学概論」と「鉱床学」を講義している.のちに,初代学長を務めたらしい.
 三土の略歴・業績は地質学雑誌98巻に追悼文がある.地質調査所・所長と東京大学教授を務めた.石油地質学を専門とした.

 山根・三土(1954)は,日本の地質調査史を以下の六つに分け,詳述した.これは「日本地質調査史」であるが,日本という国の中で,北海道の地質がどのように扱われたのかが判るだろう.

第1期:わが国の地質調査事業が開始された明治10年前後より,日清戦争直前まで.
第2期:日清戦争より日露戦争直後に至るまで.
第3期:日露戦争直後より関東大震災に至るまで.
第4期:関東大震災より満州事変頃まで.
第5期:満州事変より太平洋戦争終結まで.
第6期:戦争終結より現在に至るまで.


 第1期は,わが国に地質調査事業が誕生し,生育した時代である.
 第2期は,国内においては,事業は守成の時代に止まつたが,両度の戦役にともない,事業の外地への進出が始まつた時代である.
 第3期は,国力の充実とともに,またその後期は欧州大戦後の一般の好況につれ,国内の事業の進展も著しく,外地の発展も眼覚ましかつた時代で,国の版図と勢力範囲との廓大にともなつて外地の地質調査事業が組織化して行われた時代である.
 第4期は,世界的不況により,内地の事業はその進展をはばまれたが,外地の事業はさらに進展した時代である.
 第5期は,その前期においては,満州事変および支那事変にともない,支那大陸に大きな進出が行われ,その後期には,大平洋戦争にともない南方にも進出した時代である.この期から物理探査および試錐が,地質調査に普通に用いられるようになり,地質調査は,専門化の傾向が著しくなつた.
 第6期は,敗戦による版図および植民地の喪失により,戦争の打撃を克服しつゝ,より精確な調査により,国内を再検討せんとする時代である.

参照した主な文献
井上禧之助:地質調査所の沿革及び事業,地質調査所報告,第3号,明治40年(地質調査所,1907)
遠藤隆次:満州に於ける地質研究略史,東亜地質鉱産誌,M-I-I
小倉 勉:満州国地質調査所の沿革,東亜地質鉱産誌,M-I-7
木村六郎:満鉄の満州地質鉱産調査史,東亜地質鉱産誌,M-I-2b
坂本峻雄:南満州鉄道株式調査局鉱床地質調査室の調査史,東亜地質鉱産誌,M-I-2a
立岩 巖:朝鮮に於ける地質研究の歴史,東亜地質鉱産誌,K-I-1
地質調査所:地質調査所一覧,昭和8
日本地質学会:日本地質学会史,昭和28
三田正一:全満州鉱業開発株式会社鉱産資源調査所の沿革,東亜地質鉱産誌,M-I-3
望月勝海:日本地学史,平凡社,東京,昭和23