2021年2月13日土曜日

「えぞキリシタン」の基礎知識


 目的は松前金山(もしくは大千軒岳金山)の詳細なのだけれど,直接当たれる資料はなし.しかたが無いので,キリシタン関連の文献から,その姿を探らんとす.

 しかし,これ自体が特殊な世界だから,またまた遠回りから始めることになる.まずはその固有名詞から….


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 さて「キリシタン」から.

 キリシタンは,ポルトガル語でCristãoもしくはChristanを日本語風に表すとこう聞き取れるらしい.どちらも「キリスト教徒」のこと.漢字では当初「吉利支丹」と書かれたが,日本で禁教が始まると「切死丹」・「鬼理死丹」なども使われたらしい(須藤,1969).また,五代将軍は徳川綱吉の名に「吉」が含まれているため,綱吉以後は「吉」の使用をおもんばかって「切支丹」が一般的になったと,デジタル大辞泉や日本大百科全書に出ている.

 面倒だから,カタカナで「キリシタン」に統一しよう(固有名詞で使われた漢字はもちろん別扱い).


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 蝦夷地に住んだ切支丹についての名称.なんと呼ぶべきなのか.

 最初に,蝦夷地のキリシタンについて言及したのは,知る限り姉崎(1930)である.しかし,姉崎は日本の「切支丹迫害史」として扱っていて,蝦夷地に住むという範囲での区別はしていない.

 知る限り,この名前が出てきたのはフーベル(1939)の「蝦夷切支丹」である.むかしのひとは難しい漢字も平気で使うので,こうなったらしい.私もときどき使うけど,PCだから出てくるので,手書きではほとんど無理だろう.

 つぎにえぞキリシタンのことを記述したのは永田(1960)である.永田は「蝦夷の切支丹」を表題に使い,本文中でも蝦夷地のキリシタンという特定はしていない.もちろん,これは「切支丹風土記」というシリーズの中での北海道編であるから,全体とあわせたものだろう.

 つぎにえぞキリシタンのことを記述しているのは,チースリク(1962)で「切支丹」ある.チースリクもまた,日本にいたキリシタン全体を「切支丹」と呼んでおり,「北海道にいた」という意味では特定していない.

 須藤隆仙(1969)は,北海道にいたクリスチャンというくくりで,かれらを「えぞ切支丹」と呼んでいる.ただし,須藤は永田やチースリクと交流があり,二人に多くを学んだと「あとがき」に書いている.彼らの研究会ないし議論では普通に出ていたものかも知れない.

 永田富智は古くからえぞキリシタンについて調べていたらしい.しかし,独自の書籍を発表したのは1972年になってから.その表題は「えぞキリシタン」であった(永田,1972).

 福島(1982)は「北海道キリスト教史」で「蝦夷キリシタン」と表記.


 まあ,つまらんことですが,信教の自由化以前の弾圧されたクリスチャンのうち,蝦夷地に在住(仮住も含む)したものを「えぞキリシタン」とし,さまざまなバリエーションがあるということでどうでしょう.


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 次に敬称もしくは肩書きについて.


パードレ [Padre]:ポルトガル語,スペイン語,イタリア語で「神父,司祭」のこと.

 元はギリシャ語のパテール [πατηρ]で「父」を意味する.これがラテン語化してパテル [pater] になり,ポ,ス,イでパードレ [Padre]となり,本来「父」の意味である.ポルトガル語として日本に入ってきた時には,キリスト教と結びついているので「パードレ=神父,司祭」の意味になる.一方,キリシタン内では「パデレ」や「バテレン」と変化し,「伴天連」と書くようになる.


イルマン [irmão]:ポルトガル語で「兄弟」のこと.

 こちらも日本に入ってきた時にはキリスト教と結びついているので,神父に従って布教した“助手”を意味する言葉としてとらえられている.イルマンの当て字は「伊留満」「以留満」「入満」であるが,「修士」「助修士」と書かれることも多い.

 また,もともと兄弟の意味であるから,信者の組織(講・組:コンフラリア[confraria])の構成員も「イルマン」と呼ばれることがあるらしい.

 神父になる前の“見習い”がイルマンで,ただの“平”信者もイルマン.神の下に平等であるはずのキリスト教徒にも区分(ランク)があり,見習いは平信者と同じに見なされる.キリスト教徒でないものには「違和感」が感じられるが,膨張する組織維持にはありがちなことであろう.

 この他にも「司教」・「大司教」などもいるはずであるが,日本のような辺境,さらに蝦夷のようなもっと辺境に現れるわけもないので,放置.


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 さて,辺境の蝦夷地までやってきたパードレについて.そのひとの名前の日本語表記にバラつきがあるので整理.


 蝦夷地に始めてやってきたとされる神父:Girolamo de Angelis

 秋岡(1929)は「アンゼリーJerome de Angelis)」としている.

 姉崎(1930)は「アンゼリスGirolamo de Angelis)」という章題で解説している.名前は「ジロラモ」であり,「ジロラモ」,「ゼロニモ」,「エロニモ」も同じとしている.本文中では,名前の方が紛らわしいので,ファミリーネームの「アンゼリス」を使うとしている.

 フーベル(1939)は「ジロラモ・デ・アンジェリス師」と表記.この場合の「師」にはキリスト教世界の特別な意味はなく,単に「先生」くらいの扱い.

 児玉ほか(1954)は同じく「ジロラモ・デ・アンジェリス」と表記.原名の [Girolamo de Angelis] を付記している.本文では「アンジェリス」と呼び捨て.しかし,別なパードレと併記する時には「両神父」と尊称(職名)を使用.

 今村(1960)は「ジロラモ・デ・アンゼリス」と表記.原名の [Girolamo de Angelis] を付記している.同じ本ではあるが,別の章を担当した松野(1960)は「デ・アンジェリス」と出身を表す「デ[de]」を付記.今村が本文内で呼んでいる「アンゼリス」とは異なる.編集者は統一を計るべきではなかったかと思うが,各著者に任せたものであろう.永田(1960)は「ジロラモ・デ・アンジェリス神父」と表記.本文内では「アンジェリス」とし,「デ[de]」は使用していない.蛇足すると永田(1964)では「ジロラモ・D・アンジエリス神父」というのも使っている.

 チースリク(1962)は「ジェロニモ・デ・アンジェリス神父」と表記.原名として [Jeronymo de Angelis S. J.]を付記している.この場合の[S. J.][Societas Jesu](ラテン語)の略で,「イエズス会員」のこと.さて,「ジロラモ」と「ジェロニモ」は別人格か? [Jeronymo de Angelis S. J.]でググって見ると,この表記は確かに存在し,[Girolamo de Angelis]と同じ行動をしているので,同一人物であろう.表記が違うのは,イタリア語では[Girolamo]がポルトガル語では[Jerónimo]となるから,らしい.元はヒエロニュムス[Hieronuyms](ラテン語)という聖職者の名から来ているようだ.

 須藤(1969)は「ジエロニモ・デ・アンジェルス神父」と「ジェロニモ・デ・アンジェルス神父」を使用している.これは,印刷の品質が悪いからか,校正時に見逃したものであろう.

 永田(1972)は,「ジェロニモ・デ・アンジェリス師」を使用.本文内では「デ・アンジェリス」を使用している.

 福島(1982)は,「ジロラモ・デ・アンジェリス」を使用.[Girolamo de Angelis (1568-1623)]を付記している.本文中では「アンジェリス」を使用.「デ[de]」は使用していない.


 カタカナ表記及び原名は,以下のようになる.

 アンゼリー(Jerome de Angelis)(秋岡,1929)

(ジロラモ・デ・)アンゼリス(Girolamo de Angelis)(姉崎,1930)

ジロラモ・デ・アンジェリス(フーベル,1939

ジロラモ・デ・アンジェリス(Girolamo de Angelis)(児玉ほか,1954

ジロラモ・デ・アンゼリス(Girolamo de Angelis)(今村,1960

デ・アンジェリス(松野,1960

ジロラモ・デ・アンジェリス(永田,1960

ジェロニモ・デ・アンジェリス(Jeronymo de Angelis S. J.)(チースリク,1962

ジロラモ・D・アンジエリス(永田,1964

ジエロニモ・デ・アンジェルス/ジェロニモ・デ・アンジェルス(須藤,1969

ジェロニモ・デ・アンジェリス/デ・アンジェリス(永田,1972

ジロラモ・デ・アンジェリス(Girolamo de Angelis 1568-1623)(福島,1982


 ファーストネームは「ジロラモ」もしくは「ジェロニモ」という表記が多い.このうちジロラモは原名が Girolamo である.Girolamoはイタリア語で,フランス語ではJérôme となる.どちらもギリシャ語のイエローニュモス(Ιερωνυμος:「神聖な名」という意味)がラテン語化してヒエロニュムス(Hieronymus:同上)に変わったものから派生したとのこと.蛇足するとポーランド語ではHieronimになる.日本で有名な「ちょいワル小父さんジローラモ」さんは,じつは由緒正しい名前だったのね.

 もう一つのジェロニモは,原名がJeronymoであり,フランス語に近いものかと思わせるが不詳.これは「アンジェリスの第一蝦夷報告」(1618. 10. 01)の署名に使われた名前で,「第二蝦夷報告」でも同じ署名が使われているらしい.日本人になじみ深いジェロニモはアメリカインディアンの勇者であるが,じつはこれはメキシコ人の付けたあだ名だという.綴りはGeronimo.もちろんこれもラテン語ヒエロニュムスから派生したスペイン語なのであろう.

 Girolamoにしろ,Jeromeにしろ,Hieronimにしろ,ファミリーネームのアンジェリス(Angelis:天使/使徒)と同様に本名とは思えないおめでたい名前である.これは洗礼名というものなのか.筆者はキリスト教には詳しくないのでわからない.


 これは本名ではなく,聖名ともいうべき名なので,言語の違う各国において異なった呼び名が使用されているものなのだろう.たとえば,日本では「使徒の聖名」(安倍晴明みたい(^^;)さんでもいいのかも知れない.しかし,本人が署名に使っていた名前を使うのが一番いいだろうと思う.

 Jeronymo de Angelis S. J.ジェローニモ・デ・アンジェリス)もしくはデ・アンジェリスで統一することとする.なお,上記はすべてシノニム(同物異名)扱い(なおこれはわたし個人のルールであって,他人を規制するつもりはない).



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 次に蝦夷地に現れたのは Diogo Carvalho である.この人物はデ・アンジェリスに比して研究者の扱いが粗略である.

 秋岡(1929)は「カルヴァグリオJakob Carvaglio)」と呼んでいる.ファーストネームのヤコブ(Jakob)という例は,ほかには見あたらない.記述された行動履歴からは,同一人物である.

 姉崎(1930)には,該当する人物が現れないようである.

 フーベル(1939)は「ディエゴ・カルワルホ師」と呼んでいる.原名は本文には示されていないが引用文献にはDiogo Carvalho S.J.と記した文献が示されている.文献自体はローマで出版されたもの.したがって,イタリア語かラテン語かと思われるので,これがディオゴ・カルワルホかと思われる.また,別の引用文献にはDiogo de Cawahoとある.これは誤植なのか,別の語表現なのかは不明である.CawahoCarvalhoの誤植である可能性が高いが,出身を表すde が使われる例もあるようだ.

 児玉ほか(1954)はフルネームの日本語表記はなく「カルヴァリオ [Diogo Carvalho]」と記している.Carvalhoがカルヴァリオと表記されるべきなのかどうかは不明.ポルトガル語ではこのように発音されるのだろうか.

 今村(1960)は「ディエゴ・カルバリオDiego Carvaglio)」と記している.DiegoDiogoのスペイン語表記らしいが,なにか混乱があるのだろうか.同じ本で,松野(1960)は「ガルバリオ」と「ガルバリヨ」の二つの表記を混用している.また,同本で永田(1960)は「リーダッショ・カルワルホ」と記しているが,記述からはデイエゴ・カルワルホと同一人物である.「リーダッショ」の出自および意味は不明.知内町史には同一人物を「リーダッショ・カルワーリュ」と書かれているらしいのだが,町史は入手不能なので確認できない.“リーダッショ・カルワーリュ”は,Google検索には引っ掛かってこないので,なにか特殊な出自と思われる.

 チースリク(1962)は,「ディオゴ・カルワーリュ [Diogo Carvalho S. J.]」としている.Carvalhoがカルワーリュと書かれるべきものなのかどうかは不明.スペイン語系では「カルヴァーリョ」,「カルバリョ」と表記するものが見受けられる.しかし,Diogo Carvalhoはスペイン系ではなくポルトガル系の人物である.ポルトガルの人物ではCarvalhoと綴ってカルヴァーリョと日本語表記されるものがある.

 須藤(1969)は,「デイオゴ・カルバリオ」とし原名は示していない.

 永田(1972)は,こんどは「ディエゴ・カルワルホ」とし,原名は示していない.

 福島(1982)は,「ディエゴ・カルワルホDiego Carvaglio 1578-1624)」としている.



 カタカナ表記および原名は以下のようになる.

カルヴァグリオ(Jakob Carvaglio)(秋岡,1929

ディエゴ・カルワルホ師(フーベル,1939

カルヴァリオ神父(Diogo Carvalho)(児玉ほか,1954

ディエゴ・カルバリオ(パードレ/師父)(Diego Carvaglio)(今村,1960

ガルバリオ(ガルバリヨ)(松野,1960

リーダッショ・カルワルホ神父(永田,1960

ディオゴ・カルワーリュ神父(Diogo Carvalho S. J.)(チースリク,1962

デイオゴ・カルバリオ神父(須藤,1969

ディエゴ・カルワルホ/カルワルホ(永田,1972

ディエゴ・カルワルホ(Diego Carvaglio 1578-1624)(福島,1982



 Wikipediaの英語版には Diogo de Carvalho の項目があり,記述内容からは明らかに蝦夷地に現れたパドレである.同ポルトガル版でもDiogo de Carvalhoの項目がある.同日本語版にはこの項目は存在しない.

 Carvaglio(カルバリオ)はイタリア語と思われるが,それならば「カルヴァーリィオ」もしくは「カルヴァーリョ」と表記されるべきではないかと思う.また,Carvalho(カルヴァリョ)はポルトガル語として存在し,その意味は「樫=oak」であるという.どちらも出身を表す「デ de」が使われているのが,日本に於ける旧研究とは異なるところである.


 Wikipediaの仏語版ではJacques Carvalhoとしてあり,ポーランド語版ではJakub Carvalhoとなっている.Jacquesは仏語.ポーランド語ではJakubとなる.元はラテン語のIacōbus.これはギリシャ語のἸάκωβος (Iákōbos)から来たもの.


 Diogoはポルトガル語で,別な表現としてDiago, Diegoがあるという.

 Diegoはスペイン語.Santiagoの略名.Santiagoはラテン語のSanctus Iacobus (“Saint James”)から来たもの.Iacobusは古代ギリシャ語の Ἰάκωβος (Iákōbos)から派生.


 つまるところ,Diego も,Diogoも,Jacquesも,Jakubも,みなヤコブ(聖書中の人物)から各国の言葉に変換されたもの.

 つまり,書籍や論文あるいは手紙など,どこの国の言葉で書かれたものを引用したかで,一人の人物が別名で呼ばれることになる.さらに日本語のカタカナ表記では著者の主観が入って,まったく分けのわからないバリエーションができる.原名を併記するか,どこかで日本語カタカナ表記を統一してもらわんと困るね.まとめきらん.

 また,Diegoはおめでたい名の一種であり芸名(洗礼名?)の一種で,つまり本名ではないのだろうと思う.一方,「Carvalho=樫の木」がキリスト教世界で「特別なもの」と見做されているのかどうかはわからないので,なんともいい切れない.


 さてようやっと,二人の神父の「旅」について調べ始めることができる…