2010年2月28日日曜日

Dolichosuchus の展開

 
 学名辞典(恐龍編)いじり(その5)です.

 Dolichosuchus Huene, 1932という恐龍の属があります.
 模式種はDolichosuchus cristatus Huene, 1932

 属名のDolichosuchusはdolicho+suchusの合成語.意味は「長い+ワニ」です.
 
 dolicho-は《ギリシャ語》の「ドリコス[δολιχός]」=「長い」が《合成前綴化》したもの.
 ところが,-suchusは「ギリシャ語辞典」には(もちろんラテン語辞典にも)載っていない言葉です.
 科学用語・語源辞典には,「σοῦχος(エジプトのある地方に住む『ワニ』の名)」としかありません.説明不足としか,いいようがないですね.
 「エジプトのある地方」で《ギリシャ語》が使われていたというのでしょうかね.たぶん,「エジプトのある地方」で使われていた言葉(何語だか不明ですが)を《ギリシャ語》で記録されていたものを科学用語化(ラテン語化)した言葉なのだと思われます.が,しかし,「ソウーコス[σοῦχος]」という《ギリシャ語綴》を《ラテン語綴化》したら,-soucusもしくは-soucosになると思われ,むしろ,英語訛りの方が強く出ているのではないかと思わせます(つまり,ごく最近,英語圏の人間が創りあげた言葉である可能性が高い).

 語源および経緯は不明ですが,-such(-us)とか-such(-ia)は「ワニ」を意味する(元々は「ある種のワニ」を示していると考えるのが自然ですが,科学用語の語源となった時点で「ワニ一般」を示す言葉に変化した)とせざるを得ません.

 種名のcristatusは「鶏冠,とさか」を意味する《ラテン語》のcrista, cristaeの《形容詞》cristatus = crist-atus=「鶏冠状の」をそのまま使用しています.

 属名と種名を合わせて,「鶏冠状の長いワニ」という意味です.
 今回は「鶏冠状のDolichosuchus」という意味は採択できませんね.なぜなら,一属一種ですし,標本は「左足の脛骨[tibia]」のみなので,常識的にはnomina dubiaで,今後もこの属に所属するとされる種は出ないだろうからです.

 しかし,「一本の脛骨」で「鶏冠状」とはどういう意味なのでしょうね.

 記載者のHueneはFriedrich von Huene (1875.3.22 - 1969.4.4)のことで,von Hueneと記されることもあります.HueneについてはHalticosaurus の展開」も参照のこと.

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 なお,どこかで書いたかもしれませんが,「竜」ではなく,「龍」の字を採用してます.「竜」の字と「龍」の字の関係は混沌としているようですが,どれかの説を採用しているというのではなく,単なる趣味の問題です.
 もちろん,最近の辞典類では「龍」の字を無視する傾向が出ているのも,「龍」の字を採用する理由の一つではあります.
 

2010年2月23日火曜日

人の価値

 
 今やってる,恐龍関係の学名辞典造りではたくさんの人名が出てきます.
 必要があるので,調べてます.

 恐龍発掘レースがあったころの著名人は,ネット上でも比較的容易に発見できますが,恐龍発見史初期のころの研究者や現在活躍中の学者,および中国人は「《名前》:不詳(人名)」とするしかない状態の人物が多いですね.

 で,インデックスに《不詳》と入れるかどうかですが,いつの間にやら,名前が分かっていても生没年月日が記録にないと,《不詳》と入れるようになってしまいました.

 フルネームと生没年月日が判れば,あとからでも,ネット上の検索で特定できそうですからね.

 悲しいかな,化石発見者として,一番,名前を残したがっている化石ハンターは,望みどおりに「名前」は残りましたが,それが誰か,どんな人だったかを知るのは容易ではないです.
 名前しか残らなかった….


 さて,たくさんの研究者の名が出てきます.
 著名な人は…,みな死んでますね.だから特定できる.
 がんばった人も,そうでなかった人も,それなりの人も,みんな死んでゆきますね(あたりまえか).

 木の枝を狙った矢より,太陽を狙った矢の方が遠くへ飛ぶんだそうですが,当たらなかった矢の射手と,当たった矢の射手では,どちらが幸せなんでしょう.

 がんばってるときは,そんなこと考えたことがないのになあ.
 終わりが近いからかな(^^;

 いや,もう少し,やりたいことがある.まだ,やれるだろうと….

 

Coelophysis の展開

 
 学名辞典(恐竜編)いじり(その4)です.

 Coelophysis Cope, 1889 という恐龍の属があります.
 模式種はCoelophysis bauri (Cope, 1887).

 Coelophysis bauri (Cope, 1887)はもともと,Coelurus bauri Cope, 1887として記載されたものです.このとき,CopeはCoelurus longicollis Cope, 1887も一緒に記載しています.

Coelurus Marsh, 1879
Coelurus bauri Cope, 1887
Coelurus longicollis Cope, 1887

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 属の記載者であるMarshとは,Othniel Charles Marsh (1831-1899)のことで,米国の古生物学者で特に恐龍の研究で有名ですね.

 ここで,Coelurusとは,coel-urusという合成語で,意味は「空洞の」+「尾」です.
 種名のbauriはbaur-iで,人名「Baur」の《形容詞化》で,「Baurに属する」という意味.この「Baur」はGeorg Baur (1859 - 1898)のことで,米国の古生物学者でした.種名を人名の形容詞化で表すことは,新種の命名ではよくあることです.「Baur氏が発見した」とか,「化石の発見に功績があった」とか,あるいは単に記載者が尊敬する人物であるとかなど,理由は様々です.普通は「Baur氏の」と訳し,属名と結びつけて,「Baur氏のCoelurus」となります.
 もうひとつの,longicollisはlongi-collisという合成語で,意味は「長い」+「丘」.標本は頸椎のみというので,その一部に「長い丘状」に見える部分があったのでしょう.

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 おなじ年,CopeはTanystrophaeus willistoni Cope,1887を記載し,そのときに,Coelurus bauri Cope, 1887とCoelurus longicollis Cope, 1887をTanystrophaeus Cope,1887に属するとしました.

Tanystrophaeus Cope,1887
Tanystrophaeus willistoni Cope,1887
Tanystrophaeus bauri (Cope, 1887)
Tanystrophaeus longicollis (Cope, 1887)

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 Tanystrophaeusは,tany-strophaeusという合成語で,「長く伸びた」+「蝶番」という意味.標本は腸骨のみといいますから,その腸骨は「長く伸びた蝶番」のように見えるのでしょう.種名のwillistoniはSamuel W. Williston (1851- 1918)に献げられたもの.Willistonは米国の教育者であり,古生物学者でした.

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 1889年に,Copeは上記三種をCoelophysis Cope, 1889に属するとしましたが,このときは模式種が設定されていませんでした(のちに,Hay, 1930がC. bauri Cope, 1887を模式種に設定).

 この時点では,以下のように整理されます.
Coelophysis Cope, 1889
Coelophysis bauri (Cope, 1887) [type species]
Coelophysis longicollis Cope, 1887
Coelophysis willistoni (Cope,1887)

 ところが,C. longicollis Cope, 1887標本は頸椎一個のみ.C. willistoni (Cope,1887)標本は腸骨のみ.この二つは,現在ではnomina dubianomen dubium「=疑わしい名前」の複数形)と見なされます.

 従って,生き残ったのは以下.
Coelophysis Cope, 1889
Coelophysis bauri (Cope, 1887) [type species]

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 属名のCoelophysisはcoelo-physisの合成語で,二つで「空洞の」+「膨らみ」という意味.属名+種名で「Baur氏のCoelophysis」となりました.
 Coelophysisは日本語では「コエロフィシス」と表記されるのが普通ですが,英語では「シールゥ・オ・フィエ・シス」と発音するのは普通です.ここでは全角文字は大きな声で,半角文字は小さな声で発音してみてください.
 なお,ラテン語では「コエーロ・プュシス」と発音するのが一番近いと思います.してみると,日本語表記の「コエロフィシス」って一体何なんでしょうね.

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 一方,Podokesaurus holyokensis Talbot, 1911は,Colbert (1964)の再検討によって,Coelophysis Cope, 1889に編入され,Coelophysis holyokensis (Talbot, 1911)とされます.

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 Podokesaurusはpodoke-saurusの合成語で,「足の素速い」+「龍」という意味.種名のholyokensisはUSA,マサチューセッツ州にあるHolyoke山の《形容詞化》で「Holyoke山産の」という意味.[-ensis]は地名につけられて,産地を示す種名によく用いられます.

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 従って,以下.
Coelophysis Cope, 1889
Coelophysis bauri (Cope, 1887) [type species]
Coelophysis holyokensis (Talbot, 1911)


 ただし現在では,Podokesaurus Talbot, 1911は有効性が認められていて,Podokesaurus holyokensis Talbot, 1911独立していると見なされるのが普通です.


 う~む.なかなか整理が大変.
 古生物学者は,いい加減と見るか,厳密と見るかはあなた次第.

 

2010年2月14日日曜日

幻想の科学者

 
 なにで読んだのか忘れてしまったのですが,一般市民が「科学者」という職業に抱いているイメージが「幻想」であることを示すエピソードがあります.
 最近は,本を読まなくなった(正確には,目が悪くなったせいで読めなくなった)ので,書かれていたと思われる候補者の本はそんなに多くないのですが,ざっと見ても見つからない.ちょっと前なら,なにに書かれていたかぐらいはキチンと覚えていたんですけどね(記憶力も衰えている(^^;).

 可能性のある本では,掛谷英紀(2007)「学者のウソ」(ソフトバンク新書),福岡伸一(2009)「世界は分けてもわからない」(講談社現代新書),三中信宏(2009)「分類思考の世界=なぜヒトは万物を「種」に分けるのか=」,あたりかなと思ったのですが,ざっと見ても見つかりませんでした.

    


 もしかしたら,もっと以前に読んだ本の内容を,これらの本に刺激されて想い出したのかもしれません.以下に,想い出すままに脚色して書いていきますが,著作権問題がありましても,ご容赦(このブログで,収益は上げて(あがって)いませんので(^^;).

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 むか~し,むかしのことじゃった(常田富士男風で(^^;)
 有名な科学者である教授が,今日も大学で夜遅くまで研究しての帰り道.
 街灯の下で,なにやら捜し物をしている風の少年がおったそうな.

 教授は,いったん通り過ぎたが,少年があまり困っている様子なので,気になり,もどって訊ねたそうじゃ.

教授「少年よ,なにか捜し物かね」
少年「コンタクトレンズを落としてしまって,探しております.あれがないと家に帰って怒られます」
教授「お~.それは大変.私もいっしょに探してあげよう」

 かわいそうに思った教授は,一緒にコンタクトレンズを探してあげました.
 街灯の下で,小一時間ほど探しましたが見つかりません.
 ふと,あることに気付いた教授.少年にこう尋ねました(市原悦子風で(^^;)

教授「少年よ,君が無くしたコンタクトレンズだが,落としたのは,このあたりかね?」
少年「いえ.落としたのは,あっちの暗い方ですが,あちらは暗くて探せないので,この明るい街灯の下を探しています」
教授「き,きみ.そ,それは意味がない!」

 なんと,少年は落としたはずの場所ではなく,別の場所を探していたのでした.

 と,これだけ.

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 じつは,教授は少年の話を聞いた後,あることに気がついたのですが,はずかしいので黙っていたのでした.

 科学者のほとんど大部分は,この少年と同じなのです.
 「自分が興味あること」や「その問題を解けば,たくさんの人が助かる」という問題について研究しているわけではなく,やれば「業績が上がりそうな分野」もしくは「研究費がつきそうな分野」について研究しています.
 コンタクトレンズが必要なのではなく,明るい場所を探していれば10円拾えるかもしれないわけですね.

 この傾向は,大学が独立法人化してから一層強まったと思われますね.
 国から一括でもらえる研究費はほとんど無くなったでしょう(私は関係者でなくなってから久しいのでよく知りませんし,調べる気もない).大学では,研究能力のある学者より,研究費をもってこれる学者(ほぼ事務屋か政治家ですけどね)が偉い.というより,ほとんどそういう人たちばかりになったことでしょう.
 昔の,「研究したい」という生き残りの人たちは,非常に居辛い場所になっているでしょうね.そういう人たちも,あと数年でいなくなりますから,大学は,コンタクトレンズを落とした場所ではなく,明るい街灯の下ばかりを探す“少年たち”ばかりになるはずです.

 そういえば,私がまだ大学院生のころも,「プレートテクトニクスを研究すれば,地震予知が可能になる」といって研究費を稼いでる人たちがいましたが,彼らが思うほど彼らは街灯の下にいたわけではないらしく,いまだに地震予知は可能になっていません(そのくせ,プ・テ論以外は考えてはいけないという不思議な世界になってます).
 そういえば,上で紹介した掛谷英紀(2007)「学者のウソ」には,確か,このことについての“少年たち”のごまかし方が克明に書いてありますね.

 そういえば,「地球温暖化」がづーっと話題になってましたが,これもその手かな?

 なぜ,「ちきゅう」は「仕分け」の対象にならなかったんでしょうかね.使った研究費と説明責任はバランスがとれているのでしょうか.
 あ~~ぁ.暗いなあ….
 

Avipes の展開

 
 学名辞典(恐竜編)いじり(その3)です.

 Avipes Huene, 1932 という恐龍がいます.
 模式種はAvipes dillstedtianus Huene, 1932.
 

 Avipesは[avi]+[pes]の合成語です.
 aviは《ラ語》「avis(アウィス)《女》avis, avis」の 語根で「鳥の」という意味.元は《サンスクリット語》らしい(つまり,《ギ語》ではない)ですが,サンスクリット語まではフォローできないので,悪しからず.

 pes (ペース)も《ラ語》で「《男》pes, pedis」=「足」.こちらも元は《サンスクリット語》らしいですね.

 合わせて,この属名は「鳥の足」という意味.もちろん,「鳥の足」に似ているという指摘でしょう.「『恐龍』と『鳥』は非常に近い関係にある」という指摘は,最近始まったモンではないことが,よくわかる学名です.


 種名dillstedtianusは,dillstedt-ianusという合成語です.
 Dillstedtは,ドイツのチューリンゲン[Thueringen]地方にある地名らしいです.もちろん,この化石の産地なのでしょう.-ianusは《場所》《時》《人名》《国民》《固有名詞》につけて《形容詞化》する《接尾辞》です.合わせて,「Dillstedt産の」という意味.伝統どおりの《形容詞形》の種名です.

 「属名」+「種名」で,「Dillstedt産の『鳥の足』」.属名と種名を合わせる場合は,「属名」は訳さない方が自然ですね.従って,「Dillstedt産のAvipes」.
 これは,典型的な学名の形式で,聞いただけで重要な情報を提供してくれます.「佐藤さんの『蝦夷龍』(Yezosaurus satoi:でっち上げの学名です(^^;)」なんて学名は,いかにセンスがないか,理解できると思います.

 ところで,「Dillstedt産のAvipes」以外に,別の産地から「Avipes」が出たという話は未見です.それもそのはず,どうやら,標本は名前どおりに足の部分しか産出していない模様.現在のように,恐龍化石の標本が充実してくると,この程度の標本は間違いなく「nomen dubium」(=疑わしい名前)として扱われるようになっています.
 もちろん,現在では足の一部の化石で,「属-種」を定義することは不可能というのが常識です.


 記載者のHueneについては,「Halticosaurus の展開」を参照してください.

 

2010年2月1日月曜日

北大の先生に…

 
 「北大の先生に聞いてみよう」とかいう本が出ているそうで.

 「北大の先生」ということで,数年以上前にあるTVに出ていた「北大の先生」のことを想い出しました.
 “先生”は遺伝子組み換え大豆が大好きなそうで,どんどん輸入して喰うべきだと主張してました.ま,その“先生”が好きで食べる分には文句つける筋合いじゃあないけど,その“先生”が好きだからといって,私らにまで喰えというのは「どうかな」と思いましたね.
 その“先生”の主張は,大豆輸出元である米国のグレインエレベーターでは,遺伝子組み換え大豆を扱うときと,普通の大豆を扱うときの間に掃除とかしてるわけじゃあないから,必ず(少量の)遺伝子組み換え大豆が混入してるんだそうです.
 だから,「あんたらもう食べてるんだから,反対しても遅い」ゆえに「遺伝子組み換え大豆を解禁して喰うべきだ」ということらしいでした.

 なんて,貧困な論理だと思いましたが,ま,北大の“先生”なんてこんなモンでしょう.

 で,(話を戻して)その本ですが,(買う気は全くないですが(^^;)どんな偉い先生がなにを言ってるのかなということで(便利な世の中で,実際に本屋に行かなくても「ざっぱな」ことならネットで検索できるわけです),Amazonのレビューを見てみました.
 Amazonの書評は,その絶対数が少ないときは,極端に偏っていることが多く(著者,編集者など関係者が書いた,あるいはその反対意見を持っている人が書いたなど),気をつけなければならないのはもちろんです.十分な書評がそろうまでは,そのまま信じると問題を生じそうです.
 しかし,その目的によっては十分使えることも事実です.

 で,この本は科学者の“先生”ではなく,政治の“先生”の話のようです.
 で,急速に興味を失いました((^^;).

 ただその書評に,気になることが書いてありました.
 「本著にも書いているように、日本では政治について語る場は少なく、語る知識のある人も少ないのが現状です 」とのこと.

 まったくその通りだと思いますね.
 まともな人間は政治には手を出せない(出さない)のが,今の日本ですね.


 なぜこうなってしまったのでしょう.
 私は,ターニング・ポイントは「安田講堂攻防戦」とそのあとの「連合赤軍事件」だったと思っています.あれ以来,若者が政治について考えるのはタブーになってしまった.大学には,もう「自治会」なんて称する連中がいるのかどうか.高校でも,世の中のことより自分のことを考えろ,とやってるでしょう.
 そういう雰囲気の中で育った連中に,二十歳になったから,いきなり政治について考えろとか,投票の権利だとかいっても,それって無理がない?

 以後,政治家を目指すのは,「一旗揚げよう」組と「二世・三世」が,ほとんどになってしまいました.ま,普通にいうなら,“ろくでもない奴ら”ばかり.
 システムが安定しているなら,駒の資質は問わなくてもいいのです.上記のような,一般市民から見ると,ほとんど“ろくでもない奴ら”ばかりでも,大きな問題も起きずに,進んでいけるのです.典型的な時代が「徳川三百年の平和」の時代ですね.殿様はバカ殿でも,家臣はまじめだし,百姓町人は勤勉だから,破綻せずにいける.そういう意味では徳川家康とは偉大な政治家だったわけですね.
 ただ,世界には「一儲けしたい」連中が掃いて捨てるほどいるので,「激動の時代」をつくり出したい.「エリア88」の爺さんが言ってましたね.「火事場には儲け話が転がっている」.

 そういう時代には,愚かな指導者では破綻が生じる.
 庶民はそれを肌で感じてるから,自民党政治を拒否したわけですね.あまりにも「愚か」だから.

 で,別の政党を選んだはずだけど,これが,第二自民党にすぎなかった可能性が高い.まだどうなるかわかりませんが.「つけ」が山ほど残ってますしね.
 今度の選挙ぐらいには,はっきりしてますかね.
 もし,悪い方だったら,日本は終わりですね.もう選択肢がない.

 こんなこと,「北大の先生」に訊かなくてもわかるし(「聞く」ではないですね),訊いてもしょうがないですね.


 特効薬はないですが,高校時代から政治の実際について話せる場を造り,さらに投票権を16歳ぐらいから認めるようでなければ,国会議事堂の中は,特殊な人間の巣窟になったままですよ.