2010年2月14日日曜日
幻想の科学者
なにで読んだのか忘れてしまったのですが,一般市民が「科学者」という職業に抱いているイメージが「幻想」であることを示すエピソードがあります.
最近は,本を読まなくなった(正確には,目が悪くなったせいで読めなくなった)ので,書かれていたと思われる候補者の本はそんなに多くないのですが,ざっと見ても見つからない.ちょっと前なら,なにに書かれていたかぐらいはキチンと覚えていたんですけどね(記憶力も衰えている(^^;).
可能性のある本では,掛谷英紀(2007)「学者のウソ」(ソフトバンク新書),福岡伸一(2009)「世界は分けてもわからない」(講談社現代新書),三中信宏(2009)「分類思考の世界=なぜヒトは万物を「種」に分けるのか=」,あたりかなと思ったのですが,ざっと見ても見つかりませんでした.
もしかしたら,もっと以前に読んだ本の内容を,これらの本に刺激されて想い出したのかもしれません.以下に,想い出すままに脚色して書いていきますが,著作権問題がありましても,ご容赦(このブログで,収益は上げて(あがって)いませんので(^^;).
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むか~し,むかしのことじゃった(常田富士男風で(^^;)
有名な科学者である教授が,今日も大学で夜遅くまで研究しての帰り道.
街灯の下で,なにやら捜し物をしている風の少年がおったそうな.
教授は,いったん通り過ぎたが,少年があまり困っている様子なので,気になり,もどって訊ねたそうじゃ.
教授「少年よ,なにか捜し物かね」
少年「コンタクトレンズを落としてしまって,探しております.あれがないと家に帰って怒られます」
教授「お~.それは大変.私もいっしょに探してあげよう」
かわいそうに思った教授は,一緒にコンタクトレンズを探してあげました.
街灯の下で,小一時間ほど探しましたが見つかりません.
ふと,あることに気付いた教授.少年にこう尋ねました(市原悦子風で(^^;)
教授「少年よ,君が無くしたコンタクトレンズだが,落としたのは,このあたりかね?」
少年「いえ.落としたのは,あっちの暗い方ですが,あちらは暗くて探せないので,この明るい街灯の下を探しています」
教授「き,きみ.そ,それは意味がない!」
なんと,少年は落としたはずの場所ではなく,別の場所を探していたのでした.
と,これだけ.
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じつは,教授は少年の話を聞いた後,あることに気がついたのですが,はずかしいので黙っていたのでした.
科学者のほとんど大部分は,この少年と同じなのです.
「自分が興味あること」や「その問題を解けば,たくさんの人が助かる」という問題について研究しているわけではなく,やれば「業績が上がりそうな分野」もしくは「研究費がつきそうな分野」について研究しています.
コンタクトレンズが必要なのではなく,明るい場所を探していれば10円拾えるかもしれないわけですね.
この傾向は,大学が独立法人化してから一層強まったと思われますね.
国から一括でもらえる研究費はほとんど無くなったでしょう(私は関係者でなくなってから久しいのでよく知りませんし,調べる気もない).大学では,研究能力のある学者より,研究費をもってこれる学者(ほぼ事務屋か政治家ですけどね)が偉い.というより,ほとんどそういう人たちばかりになったことでしょう.
昔の,「研究したい」という生き残りの人たちは,非常に居辛い場所になっているでしょうね.そういう人たちも,あと数年でいなくなりますから,大学は,コンタクトレンズを落とした場所ではなく,明るい街灯の下ばかりを探す“少年たち”ばかりになるはずです.
そういえば,私がまだ大学院生のころも,「プレートテクトニクスを研究すれば,地震予知が可能になる」といって研究費を稼いでる人たちがいましたが,彼らが思うほど彼らは街灯の下にいたわけではないらしく,いまだに地震予知は可能になっていません(そのくせ,プ・テ論以外は考えてはいけないという不思議な世界になってます).
そういえば,上で紹介した掛谷英紀(2007)「学者のウソ」には,確か,このことについての“少年たち”のごまかし方が克明に書いてありますね.
そういえば,「地球温暖化」がづーっと話題になってましたが,これもその手かな?
なぜ,「ちきゅう」は「仕分け」の対象にならなかったんでしょうかね.使った研究費と説明責任はバランスがとれているのでしょうか.
あ~~ぁ.暗いなあ….
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