2015年7月12日日曜日

「北海道鑛山畧記」:(三)石炭の「雑」

●雑
 ●舊記
ライマン著北海道地質總論*1

石狩平原中,少なくも厚さ三尺有餘の良質炭層拾箇あり.速に開取すへきものとす云々.

石炭の性質は一千八百七十四年,我地質測量の爲めに「マンロー」氏之を分析試験し,報文一冊既に刊行す.請ふ,就て炭質の良否を判決すへし(以下,各煤田の概説あれとも省く).

我煤田實測に據て作れる地質及地理的圖,數葉あり.此圖に據れは,其測量區域内,開取に堪る各炭層の其平準に於る廣狭を測度するを得へし.

開拓使事業報告に曰く,明治八年十二月,膽振國アプタ郡ベムベ村*2,海岸を距る三里許の所,凡方一里内に斷續露出の木炭*3を發見す.依て之を紙幣寮雇米人「アンチセル」に鑑定せしむ.其報左(下)の如し.
木炭は褐色上質にして,焼燼すれは紅褐色灰三割二分(三分の一に近し)を存す.鑛坑より掘出したるものは多量の濕氣を含み燃方宜からす.故に數日を經て之を用ひは少しは有用物となるへし.

北海道地質總論に曰く,繊緯ある木炭の重立たる層は「イソヤ」と「 クマドマリ」の間なる「ケムシドマリ」*4(一時開抗せり)と「ハコダテ」港を隔てたる「卜ミカワ」*5とにあり.
「ケムシドマリ」の層は,僅に一尺五寸の厚さなれは開取するも益なく,殊に純粹のものにあらす.
「トミカワ」の層は,尚夫より薄く,凡一尺なるへきを以て,全く開取するに足らす.
「トカチ」川口より上少距離の所にも,僅少にして開取に足らさる者あり.
其他「ワシノキ」近傍「トリサキ」*6の石層中に僅少なる木炭の痕跡あり.其片塊は(恐らく碎片となりて沈積層中に濕せし者ならん.
「シリベッ」の下流、フルビラ及ムロラン近傍に於て之を發見せしと雖とも,今日迄檢査せる所の層は皆薄小に〆,後來開取するの厚層を發見すへき望を起さしむる者に非す.

北海道地質總論に曰く,既に發見せし泥炭の最厚層はコブイ*7近傍の「オツキ」*8川口なる鐵砂場接近し,其厚さ八尺有餘なり.
其他イクシエムベツ、ホロムイ及ひ「トヨヒラ」の下流なる沈積層の河岸及ひ河床,三尺以上の者あり.蓋し如此厚さあるも其質不純粹なるか故に現今之を開取するに足らすとす.
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*1:ライマン著「北海道地質總論」:ライマンがまとめた北海道の地質の概略.開拓使刊.英語版と日本語版がある.そのうちに,現代語訳して,英語版と比較してみたい.
*2:膽振國アプタ郡ベムベ村:弁辺村(現在の豊浦町).
*3:木炭:不詳.豊浦の内陸部には「美和層」(豊浦図幅,留寿都図幅および狩太図幅)があり,亜炭を含むことが知られている.この亜炭のことかもしれない.
*4:「イソヤ」と「 クマドマリ」の間なる「ケムシドマリ」:不詳.「イソヤ」は磯谷川河口(中流に,かつて熊泊硫黄山と呼ばれる鉱山があった),「クマドマリ」は熊泊(かつて函館市臼尻のとなりにあった村;現在地名は失われている)と思われる(現在でも熊泊山という地名が残っているため,現在の常路川一帯が「クマドマリ」であったのだろう).したがって,「ケムシドマリ」とは黒羽尻川河口のあたりか.
*5:「卜ミカワ」:北斗市富川.
*6:「ワシノキ」近傍「トリサキ」:茅部郡森町鷲ノ木および同鳥崎町.
*7:コブイ:古武井.
*8:「オツキ」:不詳.

  

2015年7月1日水曜日

「北海道鑛山畧記」:(三)石炭の「舊記」

 
●舊記
(ソラチ石炭)
東蝦夷日誌に曰く,「ソラチブト」より登り「ヲホングツフ」*1「シユフヲマナイ」*1等を越へ,「ナエー」*1を過きて「バンケホロナイ」*1に至る.此の間石□*2露出多し.
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*1:いずれもアイヌ語地名は失われている.但し,赤平市街地へ南から流れる「ハクシュオモナイ川」があり,これが「シユフヲマナイ」と関連しているかと思われる.
*2:□:空白.「炭」の字が欠けていると思われる.


(シビチャリ川*1石炭)
開拓使事業報告に曰く,明治六年八月,石橋大主典*2等復命略左の如し.
日高國「シツナイ」郡シビチャリ川上に石炭二脉あり.一は西北の□*3.層厚六尺,幅三尺二寸.一は正北より正南に亘る□*3.層厚五尺,幅五尺二寸.其分析左(下)の如し.

(表140)

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*1:シビチャリ川:シベチャリ川(静内川)
*2:石橋俊勝:不詳.北大図書には石橋俊勝の肖像写真がある.また,十勝川から佐幌岳を通って空知川までの測量図が残されており,「三角術測量北海道之図」(1875(明治8)年発行)の当該部分のデータは石橋ほか三名の測量と思われる.これらから,石橋らは測量作業が中心であり,鉱山踏査はサブであったことが推測される.(「北海道鑛山畧記」:(一)鉱業略沿革より)参照.
*3:□:「金」偏に「比」とある.不詳.「𨫤」の略字として扱われていたのかもしれない.


(クヲナイ褐炭)
開拓使事業報告に曰く,天鹽國テシオ郡テシオ川上字クヲナイ*1に褐色石炭の脉あり.層厚一尺乃至二尺云云.
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*1:天鹽國テシオ郡テシオ川上字クヲナイ:天塩川川上には「褐炭がある」ことは知られているが,この記述では場所が特定できない.


(シラヌカ石炭)
開拓使事業報告に曰く*1
『シラヌカ』舊石炭坑は,上古の石炭を含む岩石と變し,坑の前邊灰色シェールの近代に成る岩層の一端あり.坑上灰色砂石は,此岩層に連續する如きなれとも,坑近傍の岩石は,其質甚堅硬にして数多の黒斑あり.
往年開採の跡を見るに,岡麓に一の坑質あり.坑口,土石崩落匍匐して入るに,凡八碼許にして,土石充塞し進むへからす.又,其側面は板張にて岩層を見す.層厚さ半尺より四五尺と云ふ.坑外堆積中良質と見ゆる拳大の岩塊あれとも,概子破砕して多く「スレート」を混す.炭質良なるか如しと雖も開採に堪へさるへし.

東蝦夷日誌に曰く
『シラヌカ』石炭を掘出す.其稼方九洲邊の掘方と異なるヿなし.
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*1:開拓使事業報告に曰く:「開拓使事業報告」に見あたらず.


(オソツナイ石炭)
開拓使事業報告に曰く「オソツナイ*1」舊煤坑は「クシロ」を距る凡一里半海岸にあり.
明治四年九月,工部省にて開坑し,翌年五月に至て廢す.抗内土崩れて入り難し.坑外に在る炭塊を見るに堅良なるか如し.其中,骨狀のものあり聞く.此の炭層は二脈にして脈厚さ一尺.下脈二尺.黒色「スレート」の一尺許なるもの其間に挟めり.
又,上脈の上に黒色「スレート」一尺あり.其上に灰色軟舍兒*2ありと.「スレート」の層の依て計算すれは,炭層五尺なるか如しと雖とも,露出する所,唯三尺のみ.此抗「アッケシ」地方第一の石炭にして,坑は炭層と共に北西へ二十度の傾斜に下るか故に,二三碼を距る峭石の露面に依て自然に瀦水*3を排除すへし.此海岸に沿て露出炭坑の外,尚ほ一二の炭層あり.其中開採すへき石炭は,總て厚さ四尺三寸五分あり.夫より東北に三碼の所に同様の岩石あり.但其傾斜反對す.其岩層の露面上より下を量る左(下)の如し.

(表142)

合五尺六寸にして石炭三尺三寸あり.前の「オソッナイ」を合し,平均石炭三尺八寸五分を得へき割合なり.上層石炭は光澤ありて堅く,甚良質の如し.然れとも其平均の厚と變異と及ひ近傍良港なく運輸の便を缺くを以て觀れは,唯開採し得へしと謂ふのみ.
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*1:オソツナイ:「獺津内」.現・釧路市益浦あたりの旧地名.
*2:舍兒:不詳.
*3:瀦水:たまり水.