●舊記
(ソラチ石炭)
東蝦夷日誌に曰く,「ソラチブト」より登り「ヲホングツフ」*1「シユフヲマナイ」*1等を越へ,「ナエー」*1を過きて「バンケホロナイ」*1に至る.此の間石□*2露出多し.
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*1:いずれもアイヌ語地名は失われている.但し,赤平市街地へ南から流れる「ハクシュオモナイ川」があり,これが「シユフヲマナイ」と関連しているかと思われる.
*2:□:空白.「炭」の字が欠けていると思われる.
(シビチャリ川*1石炭)
開拓使事業報告に曰く,明治六年八月,石橋大主典*2等復命略左の如し.
日高國「シツナイ」郡シビチャリ川上に石炭二脉あり.一は西北の□*3.層厚六尺,幅三尺二寸.一は正北より正南に亘る□*3.層厚五尺,幅五尺二寸.其分析左(下)の如し.
(表140)
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*1:シビチャリ川:シベチャリ川(静内川)
*2:石橋俊勝:不詳.北大図書には石橋俊勝の肖像写真がある.また,十勝川から佐幌岳を通って空知川までの測量図が残されており,「三角術測量北海道之図」(1875(明治8)年発行)の当該部分のデータは石橋ほか三名の測量と思われる.これらから,石橋らは測量作業が中心であり,鉱山踏査はサブであったことが推測される.(「北海道鑛山畧記」:(一)鉱業略沿革より)参照.
*3:□:「金」偏に「比」とある.不詳.「𨫤」の略字として扱われていたのかもしれない.
(クヲナイ褐炭)
開拓使事業報告に曰く,天鹽國テシオ郡テシオ川上字クヲナイ*1に褐色石炭の脉あり.層厚一尺乃至二尺云云.
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*1:天鹽國テシオ郡テシオ川上字クヲナイ:天塩川川上には「褐炭がある」ことは知られているが,この記述では場所が特定できない.
(シラヌカ石炭)
開拓使事業報告に曰く*1
『シラヌカ』舊石炭坑は,上古の石炭を含む岩石と變し,坑の前邊灰色シェールの近代に成る岩層の一端あり.坑上灰色砂石は,此岩層に連續する如きなれとも,坑近傍の岩石は,其質甚堅硬にして数多の黒斑あり.
往年開採の跡を見るに,岡麓に一の坑質あり.坑口,土石崩落匍匐して入るに,凡八碼許にして,土石充塞し進むへからす.又,其側面は板張にて岩層を見す.層厚さ半尺より四五尺と云ふ.坑外堆積中良質と見ゆる拳大の岩塊あれとも,概子破砕して多く「スレート」を混す.炭質良なるか如しと雖も開採に堪へさるへし.
東蝦夷日誌に曰く
『シラヌカ』石炭を掘出す.其稼方九洲邊の掘方と異なるヿなし.
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*1:開拓使事業報告に曰く:「開拓使事業報告」に見あたらず.
(オソツナイ石炭)
開拓使事業報告に曰く「オソツナイ*1」舊煤坑は「クシロ」を距る凡一里半海岸にあり.
明治四年九月,工部省にて開坑し,翌年五月に至て廢す.抗内土崩れて入り難し.坑外に在る炭塊を見るに堅良なるか如し.其中,骨狀のものあり聞く.此の炭層は二脈にして脈厚さ一尺.下脈二尺.黒色「スレート」の一尺許なるもの其間に挟めり.
又,上脈の上に黒色「スレート」一尺あり.其上に灰色軟舍兒*2ありと.「スレート」の層の依て計算すれは,炭層五尺なるか如しと雖とも,露出する所,唯三尺のみ.此抗「アッケシ」地方第一の石炭にして,坑は炭層と共に北西へ二十度の傾斜に下るか故に,二三碼を距る峭石の露面に依て自然に瀦水*3を排除すへし.此海岸に沿て露出炭坑の外,尚ほ一二の炭層あり.其中開採すへき石炭は,總て厚さ四尺三寸五分あり.夫より東北に三碼の所に同様の岩石あり.但其傾斜反對す.其岩層の露面上より下を量る左(下)の如し.
(表142)
合五尺六寸にして石炭三尺三寸あり.前の「オソッナイ」を合し,平均石炭三尺八寸五分を得へき割合なり.上層石炭は光澤ありて堅く,甚良質の如し.然れとも其平均の厚と變異と及ひ近傍良港なく運輸の便を缺くを以て觀れは,唯開採し得へしと謂ふのみ.
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*1:オソツナイ:「獺津内」.現・釧路市益浦あたりの旧地名.
*2:舍兒:不詳.
*3:瀦水:たまり水.
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