2010年7月23日金曜日

「文明の海洋史観」

 
 がっかりしました.

 「文明の海洋史観」,「おや?なにかあるのかな」と思ったのは,「序」だけで,あとは「なにやらよくわからない」(-_-;

 購入前には,海洋史観で歴史を解き直しているのか,と思ったのですが,どうもそうではない.
 で,まあ表題をよく見直すと,そこには「文明の海洋史」ではなく,「文明の海洋史観」とありました.確かにウソではない.(^^;


 子供のころ,「ナントか占い入門」という本を入手して読みました.しかしその本には,始めから最後まで「ご託」が並べてあるだけで,その「ナントか占い」のノウハウどころか,購入者であるわたしの運勢すらわかるようにはなっていなかった(当たっているとか,当たっていないではなく,「運勢」そのものがかいてない).なにが「入門」なのかすら,わからなかった記憶があります.
 ま,そこまでひどくはないですが,「海洋史」がほとんどなくて,とにかく「ご託」の多い本でした.


 「序」に感激したことは伝えましたけど,「起之章」は,概論みたいなものかと思ったら,そうではなくて,どうやら,これがこの本の「海洋史」のすべてらしい.
 「承之章」は,がまんして読みましたけど,ひじょうにケツのすわりが悪い.これはそもそもいらない.
 そもそも,今時,東京学派(東大アカデミズム)とか,京都学派ってなんのことって感じ.すでに大学といえば,東京帝国大学・京都分校とか,東京帝国大学・北海道分校しか,ないんじゃあないの?と,外にいる人間にはそうとしか思えないのでね(みんな,おんなじことをいっている=これを「パラダイム」という).


 「転之章」には「文明の海洋史観」という題があたえられてますが,ここでもやはり,「海洋史」ではなくて「海洋史観」でした.
 ポロリ,ポロリ,と「海洋史」がでてきますが,“わたし”の「史観」としてとりこめるような話ではなかったです.こうなったら,とびとびにでてくる(引用されてるじゃあないです.本の題名がでてくるだけ)本の題名をひろって,ぜんぶ読むしかないようです.
 海洋史のモデルがどういうふうに事実や,論文と関連をもつのかがわからない.わたしのような歴史の素人が読む本ではなくて,歴史をすべて頭にたたき込んでいる人(=学者)が,海洋史観で整理しなおすための本なのかもしれない.


 「結之章 二十一世紀日本の国土構想」は,なんとなくわかりますけど,すでに二十一世紀に入った現在,ずれはじめている部分があるように見えます.
 理論はペーパーにしたとたん,現実とズレはじめるようです.著者はマルクス主義をこき下ろしてますけど,二の舞になるんじゃあないでしょかね.
 いや,ならないか.
 マルクスはあとで検証されてしまうようなことをかいてますけど,「海洋史観」というのがなんであるか明確にかいていない以上,検証のしようもないというところですかね.
 「ダーウィンの「種の起源」が,なにが書いてあるのかわからなくて,解説書を読まなければわからないほどだったので,延々といまでも生き延びている」という皮肉をいう人がありますが,けっこう真実(^^;.
 なんども挑戦してますけど,けっこういい睡眠薬です(^^;.
 明確に述べてしまうと,矛盾を突くのはたやすいですが, 本質を隠したままだと,反論も難しいですからね.
 ライエルの「地質学原理」もこの手の本だとか….


 正直なところ,期待が大きかっただけに,ガッカリです.
 しかし,「モデル論」はおもしろいので,これに添った話をしている人を探しますか.あるのかな?
 まだ当分,彷徨は続く…(やっぱ,歴史はウソばかりなのかなあ…).

 

0 件のコメント: