2022年3月1日火曜日

パドレたちの北紀行Ⅷ(中休み1)


 本来ならば,永田(1960)のパートをやる予定でしたが,ここまで来て当初の目的は果たせそうもないことがわかり,またこれまで入手できなかった文献についても,いくつか入手できたので,ここで「中休み」を入れて,全体を振り返るとともに,今後の道筋を考えて見ようと思います.

 ここで,当初の目的とは,ジェローニモ・デ・アンジェリス(Jeronymo de Angelis S. J.)とディオゴ・デ・カルヴァーリョ(Diogo de Carvalho)の二人の北紀行をたどり,可能であれば,松前金山(大千軒金山)の概要に触れて見ることでした.加えて,誰かが喋ると必ず出てくる伝道者たちが鉱山技術を教えた」というのは事実かも.

 しかし,入手できない(しかも重要と思われる)文献もいくつかあり,あたりが見えないままに手探りで探索している状態でした.今回入手した(じつは入手はもっと前ですが,諸般の事情で報告できなかった)文献のおかげで,いい切ることができるものが増えたようです.

 これまで所在が分からなかった文献の一つ(一つ以上?)が“鮮血遺書”と呼ばれるものです.


 一般に“鮮血遺書”と呼ばれるものは非常に複雑で,版によって書名や編著者が異なっており,非常に混乱したものです.以下に整理すると…


初版は「加古義一(1887編)日本聖人鮮血遺書」.その中表紙には「弗国ビリヨン閲/日本加古義一編」となっています.これでは意味がわかりませんが,のちに松崎実が編集した版では,“ビリヨン”宣教師が祭礼ごとに物語った聖人の話を加古義一が筆記し,表題の「日本聖人鮮血遺書」は「やまとひじりちしおのかきおき」と読ませます.これは第六版まで同じです(3~5版は不明のため未見).


 松崎(1926編)の「校注切支丹鮮血遺書」の「二 鮮血遺書の典據と編纂」によれば,「本書の典據となったものはレオン・パジェスの日本基督教史卽ち Léon Pagès: -- "Histoire de la religion chrétienne au Japon"である.」としてあります.

 ビリオン(Pére A. Villion:初版では「ビリヨン」と表記されていましたが,松崎編では「ヸリヨン」と表記され,現代ではビリオンとされていますので,以後ビリオンとします)は1843(天保十四)年生まれ.長州萩や奈良において伝道していた公教会の宣教師でした.ビリオンが京都にいた頃,Pagès (1869)をテキストとして,殉教の事実を物語りました.それを信徒の一人であった加古義一が筆記し,この筆記を集めて,ヴィリヨン師校閲のもとに加古が編纂して出版したのが“鮮血遺書”でした.説教が始まったのは1884(明治17)年からで,“鮮血遺書”の初版が1887(明治20)年でした.書名は「日本聖人鮮血遺書」と書き「やまとひじりちしほのかきおき」と読むそうです.今風に示すならばヴィリヨン口述,加古義一(1887編著)「日本聖人鮮血遺書」となるのでしょうか.

 重要なことは,これは研究書ではもちろんなく宣教師が信者に物語った“お話し”であったので,話者が日本語の不自由な外国人であることもあり,用語や修辞の稚拙,地名人名などの固有名詞の不備,年月日などの間違いは非常に多かったそうです.しかし,初版において目に付くそれは再版三版と版を重ねるにつれ訂正が進み,六版では文章構造の異なるところもあるそうです.

 しかし,ヴィリヨンはフランス人であるからして,引用文献は Pagès (1869)であることは疑いなく,間違いが多々あっても正統であると考えて良いでしょう.パジェスの原著は歴史書構成であって人物ごとの構成ではないため,人物を追うのは不適ですが,ヴィリヨン口述は人物ごとに構成されており,分かりやすいといえます.

 なお,ヸリヨン・加古・松崎(1926)の「切支丹鮮血遺書」は,松崎の再編集(当時の現代語訳.地名人名年号の訂正.パジェスの原著と対照しての訂正)によりますが,史伝としての形態をとり,ヴィリヨン・加古(1887)とは叙述順も異なるようです.


 「日本聖人鮮血遺書」(ヴィリヨン・加古,1887初版~第六版),および「校注切支丹鮮血遺書」(松崎編,1926改造社版)「では,「天使のエロニモ聖師」,「リダツシヨカルバリヨ」,「ヂダシヨカルヷリヨ聖師」,「ジダシオ・カルバリヨ師」という,ほかにはない非常に特殊な表記をしているので,これで追跡ができるかも知れません.


 なお,現代語訳が燦葉出版社から1997年に出版されているが,すでに絶版です.

 古書店を通じて入手したところ,これはまったくの別物でした.表紙には,松崎本とおなじ絵柄を使っているにもかかわらず,また,帯には「復刊」とか「ビリオン神父、松崎実氏が編んで出版された本書を、このたび読み易い現代語訳として刊行されることになったのは誠に喜ばしい」という某枢機卿の推薦文が示されているにもかかわらず.

 引用文献として正確に示す(ほぼ不可能ですが)とすれば,書名は入江浩(1996編訳)「現代語訳・切支丹鮮血遺書」なのでしょうか.しかし,奥付では「著者 松崎 實/現代語訳 入江 浩」となっていますが,これまで書かれていた「天使のエロニモ」および「ヂダシヨカルヷリヨ」の逸話は本文ではなくなっています.わずかに後半の「日本殉教者一覧」において「第百三十二次殉教者」に「エロニモ・アンゼリス」,「第百四十二次殉教者」に「ジダシオ・カルバリヨ」とリストアップされているだけなのです.これで著者が“松崎實”といえるのでしょうかね.


 もっと不思議なことには,松崎編と同じ年に「著作者 ヴィリヨン/姉崎正治 山本信次郎監修」という本が日本カトリック刊行会から出版されていることです.書名は「日本聖人鮮血遺書」.これはヴィリヨンの正統なのでしょうかね.こちらの本には「天使のエロニモ」および「ヂダッシヨ・カルバリヨ」の逸話が残されています.


 つまるところ,「日本聖人鮮血遺書」の第何版を読んだのか,あるいは「切支丹鮮血遺書」を読んだのかで,引用内容は微妙に(あるいは大きく)異なるであろうし,これがしばしば出てくるノイズの元なのかも知れませぬ.この場合,引用を明示していない著述は検証も不可能ですね.またどれを引用したものであっても,これは宗教関係者の講話であって,検証できない部分は参考程度であって,まともには取り上げるべきではないということになるのでしょう.実際あり得ない会話の再現など,フィクションと考えられる部分が多過ぎます.

(つづく)


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