2010年5月11日火曜日

「或る地質屋の記」・続

 
 大久保雅弘(2010)「或る地質屋の記」(丸源書店).
 一通り,読みました.
 とても興味深い本でした.

 前半の自伝部分も,その時代は興味深いものでしたし,後半の「古生層研究史」は南部北上山地の話がたくさんでてきて,懐かしかった.
 もっと,湊正雄の悪口やいいことが出てくるかと思ったら,そうでもなかった.  ま,あまり具体的なこともかけないでしょうしね.

 地質屋はもっとこういうものを書いていいと思います.
 そうでないと,江戸時代末期から明治初めにかけて西洋から地質学が導入されたのはいいけれど,その後,長い空白期があって,昭和末期にプレートテクトニクスが導入されて,地質学が滅びたという話にしか見えない.
 それでは「地質学史」が成立しない.

 ただ,一般の読者向けにはもう少し砕かないといけません.さまざまな用語や事件が,読者は知っているということを前提として書かれています.もちろん,大久保氏は読者は地質屋である前提で書かれているのでしょうから,「しったことか」といわれそうですが,もう少し解説を加えれば,十分に一般読者の知的好奇心の対象になると思います.
 もちろん,地質学に興味を持つ若者にも(もう,そんな人たちはいないか…).

 本文の末尾の方に,「日本列島地質構造発達史」(英語版)の編集時の話が出てきますが,その時に,デザイナーから出された疑問のエピソードがあります.
 それは,「地質学者の図は,真上からみるか真横からみるかのどちらかですね.斜めにみるということはしないのですか?」というもの.
 そう,確かに地質学史も「真上からみる」か,「真横からみる」か,しかしてこなかったようですね.
 「或る地質屋の記」は…,斜めからみた地質学史です.それ故に….
 

恐龍語源辞典

 
 「恐龍語源辞典」がほぼ完成して,あとはこれまで「…の展開」としてやってきたようにして,矛盾がないかチェックをかけるだけなんですが,なんかやる気がしなくなってしまいました.
 原因は,その人気に比して,日本では(学名が話題になるような)恐龍なんかほとんどでないからです.

 現在は,ウェイトを「海成爬虫類」や「アモンナイト」の学名語源辞典作りに移してます.
 私としては,むしろ,こちらの方をポピュラーにしたい.
 しかし,恐龍に比して,海成爬虫類は情報が少ないので,なかなか困難です.

 直接,原著論文を見られればいいのですが,そういう状況じゃあないですしね.

 ま,ネタが詰まったら,小出しにということで,恐龍学名辞典も整備してゆくこととしましょう.

 今日も病院,明日も病院.うんざりだなあ.
 

2010年5月8日土曜日

地球の年齢

 
「地球の年齢や宇宙の年齢がどんどん変わるのはどういうわけか」

 という問題について,少し考えてみます.
 というか,これは昔,授業でやってたネタの一つです.

 世界各地の様々な民族に,創世神話があります.世界の始まりはあらゆる民族に共通する「謎」だったのですね.この謎に挑むには長い間,「思考・思索」という方法によるほかありませんでした.

 さて,世界で最初に「地球の年齢」について「論理的」に「解」を得ようとしたのは,ほかならぬキリスト教の教会関係者でした.当時,「教会関係者」があらゆる権力を握っていましたが,権力者というものは「もの」だけでなく,人の「思考」まで制御しようとするものです.ヨーロッパではキリスト教は宗教の域を超えて,人を支配しようとしていました.現在でも,キリスト教は世界のすべてを自分の分け前とかんがえてるんじゃあないかと思いますけどね.


【アダムの系譜】
 さて,キリスト教の教会関係者…長いなあ,以後,「A司祭」と呼ぶこととします.名前を書いてもいいのですが,これは,個人の能力でやったことではなく,キリスト教という集団,その中でも指導者的な立場がやらせた仕事ですので,個人名を出すのは伏せておきましょう.
 それから…,教会内では,あるいは系列ごとに,どんな組織にもあるように,さまざまな階級名を用いているようですが(神の元で平等であるはずの人にランクがありますね),非-キリスト教徒から見れば,どれも「ただの坊主」に過ぎないので,(わざとですが)「司祭」にしておきます.

 A司祭は,どういう論理を使ったかというと,以下のごとくです.
 キリスト教の二大文献に「旧約聖書」と「新約聖書」というのがあります.その「旧約聖書」のほうに,「Aは何年生きてBを生み,Bは何年生きてCを生み,Cは….」というような記述がたくさん出てきます.
 ま,要するに,「系譜」ですね(昔,筒井康隆が最盛期のころ,このパロディーをやってました).
 これを足してゆくと,その総和が「地球の年齢」になるとかんがえたわけですね.そして,出てきたのが,「約五千五百年」という値.A司祭は「地球の誕生」を紀元前4004年10月26日午前9時と算出しています.
 この作業の結果が出たのは,1654年のことらしいです.つまり,現在から見ると「約六千年前」ということになりますか.

 ま,直感的にも「約六千年」はいかにも短い.いかにも神ならぬ,はかない身の人間がかんがえたことだと思わざるを得ないですね.

 さて,こういう話は違和感がありますか?
 宗教が「論理的思考をおこなう」,あるいは「自然を記述しようとする」ことです.
 現代に生きる我々には宗教と科学は「水と油」のようなものとかんがえるのが常識です.しかし,そう考えていては,なぜ,キリスト教に支配されていた欧州から「自然科学」が誕生したのかが理解できません.「すべては『聖書』に書かれている」のだから,わざわざ自然を観察したりする必要がない.

 答えは「キリスト教の性質」にあります.
 キリスト教の神は「唯一絶対神」であり,地球は「完全な神」が支配する「完全な世界」なのです.
 「神はあらゆるところに宿り」ますから,徹底的に自然を記述すれば,そこには「神」の姿が現れてくるに違いありません.そこで,最初の科学である「自然科学」が生まれたのです.

 最初の科学者はキリスト教団の中に生まれました.
 「坊主」の余暇(じつは主な仕事だった人もいるようです)だったんですね.
(ある哲学者の方から,「ホントにそう思います?」と疑問を投げかけられたことがありますが,もちろん,私はこれが「絶対の真実」とは思っていません.「そう考えると,(とりあえず)理解ができる,納得ができる」と思っているだけです.大きな矛盾が出てくるまでは,これで十分だと思ってます)
 一方で,三大発明なんかを最初におこなったはずの中華圏では,欧米流の科学は生まれませんでした.唯一絶対神なんか頭にありませんでしたので,病的に地球(自然)を記述するなんてことはおこなわれなかったわけです.せいぜいが,現世利益に役立つ,腹が痛ければ飲むといい「本草」とか,理由はともかく南を示せばよい「指南車」という様なものしか生まれませんでしたね.

 さて,キリスト教にとっては不幸なことに,「自然を記述する」作業を続けていると,「最初に『神』がいたとかんがえなくても良いのではないか」と感じる人が出てきます.もちろん,(欧米では)現代でも最先端の科学をやっていながら日曜になると教会へ行く人たちがいます.つまり,現代でも「世界は(キリスト教の)神がコントロールしている」とかんがえる科学者がいるわけですから,その当時でも「神はどこにでもいる」という考えは強いものでした.
 しかし,少なくとも,すべての科学者が「完全に神に支配されていた」わけではなく,こっそりとでも,「最初に『神』がいたとかんがえなくても良いのではないか」と思う人も出てきたわけです.へたに,あるいは不用意に,この考えを公表すると,世界を支配している教会が黙っちゃあいませんけどね.


【博物学の時代】
 「神」を最初に置かないとしたら,なにを?
 それは,そこにある「自然を観察」するしかありません.そして,観察に基づいた事実を繋ぎ合わせて,世界を構築するしかないのです.
 そういう人たちが徐々に増えてゆきます.
 背景には….世界を支配する組織なんてのは,成立した次の瞬間から腐敗するに決まってますからね.そういうのに我慢できない人たちは,必ず存在するモンです.
 そして博物学が誕生しました.それはやがて,(欧州世界での)ブームとなります.上流階級では,その子弟は,花や動物の学名の20や30は憶えていることが,教養の証となります.博物学に精通していることは,お茶やお花の免状を持ってるのとおなじくらい高級な人間である証だったのです.
 現代なんかよりもはるかに,自然科学がポピュラーだった時代でした.

 18世紀に入ってから,何とか,聖書に頼らないで「地球の年齢」を知りたいと行動する人が出てきます.

 その一人が,フランス王国のビュッフォン卿[Buffon, Georges Louis Leclerc, Comte de].
 彼は,なにをやったかというと,最初に「神」ではなく,最初にあったであろうと思われる「灼熱の地球」を想定しました.そして,巨大な鉄球を熱して,それが冷えるまでの時間を測定し,いくつかの仮定を加えて,地球が現在の温度に冷える時間を算出したのです.
 その値が,「74,800年」.
 現代的な知識からいうと,いかにもお笑い的な値ですが,「アダムの系譜の総和」とはまったく質の違う「科学的な値」の誕生でした.しかも,「万年」という単位は教会関係者を震え上がらせたのです.


【宗教が宗教に落ちた】
 これに対し,教会は修正案を出します.地球の年齢は「約55,000年」というものです.
 その根拠は,(当然,神の時代の記述は人の時代の記述と違うのだから)「聖書の一日は7,000日に相当する」というもの.

 ま,唖然としてしまいますが,これはじつはいいことなのです.

 宗教は,なんの根拠もなく「絶対」を使うことができる.また,たいした理由もなく「絶対」を修正することもできる.
 つまり,「科学とは別の世界」であることを,キリスト教自体が示したという風に受けとることができるわけです.

 ここから,「科学」の「宗教離れ」が始まります.

 19世紀に入ると,ケルビン卿ことウィリアム=トムソンが,今度は鉄球ではなく岩石を用いた冷却実験を行い,「地球の年齢」を計算します.
 出た値が「2~4,000万年」.その値は飛躍的に伸びましたね.

 ところで,前出の「ビュッフォン卿」も,今の「ケルビン卿」も「卿」という尊称がついていますね.職業的科学者のいないこの時代,科学者といえば,働く必要のない「貴族」の趣味の名称であったのです.科学は「坊主」から「貴族」の手に渡り,坊主の手には宗教だけが残りました.


【地層の堆積速度による地球の年齢】
 宗教が科学に口を出さないようになると,科学は自由な発想を始めます.
 「地球の年齢」を思考する作業にも別な方法が考え出されます.

 地質学が成立すると,地層というものについての理解が進みます.地球の表面ではいつも地層の形成が続いています.もしかすると,これは,「地球の年齢」の推定に役立つかもしれません.
 というわけで,さまざまな地質学者が,その推定を始めました.
 基本は「地球上にある全地層の層厚」÷「1年でたまる地層の厚さ」という考え方によることになります.しかし,「地球上にある全地層の層厚」や「1年でたまる地層の厚さ」は,その地質学者が調査した地域や,その地質学者の考え方次第で,いくらでもバリエーションがあります.したがって,結果として出た値もさまざまで,2,800万年から7億年という値が出されています.

 代表的な例を挙げておきますと,英国で近代地質学の基礎を成立させたといわれているライエル[Charles Lyell]は,カンブリア紀から現在までの期間を5億5000万年と推定しました.
 一方で,カンブリア紀のバージェス動物群の研究で有名な米国のウォルコット[Walcott, C. D.]は,カンブリア紀から現在までの期間を2,800万年と推定しました.ともに,1867年のことです.

 ま,ごらんの通りで,「地球の年齢」に関しては,地質学の枠組みでは限界があることが明瞭だと思います.化石という座標が与えられなければ,歴史学としての「地質学」(=地史学)は成立しないわけです.
 したがって,地質学では生命の痕跡が顕著であるカンブリア紀以降の研究が中心となってゆきます.

 ところで,かのダーウィンと前出のケルビン卿との間で,論争があったという話をご存じでしょうか.ダーウィンが持っていた地層に関する知識では,ケルビン卿が出した地球の年齢は桁外れに小さすぎました.短すぎて進化現象がおこるには間に合わないのです.

 ケルビン卿の実験が間違っていたのでしょうか?
 そうではなくて,ケルビン卿は地球に普通に存在する「放射性物質」のことを考えに入れていなかったのです.
 地球の表面はつねに活発な地殻変動や火山活動が起きています.こういった活発な地球の活動は,地球自体が持っている「放射性物質」がまき散らした放射線が原因です.放射能によって地殻物質に蓄えられた熱が,さまざまな地球表面の変動を引き起こすものとかんがえられています.


【放射性同位元素革命】
 放射性同位元素の存在が確認され,20世紀に入ると,その応用がどんどん進んでゆきます.正直に言うと,放射性同位元素研究は,そのダークサイドがメインであって,研究費はダークサイドに対してのみ膨大な金額がつきました.「ヒロシマ」・「ナガサキ」がその象徴です.
 平和利用など,副産物ですら,なかったわけです.
 ま,20世紀に入る以前に,科学と結びついた技術=科学技術が成立し,その威力に感激した権力者らが,見返りを求めて,膨大な資金をつぎ込んだということですが.

 放射性同位元素には,それを放射性同位元素たらしめている特殊な性質があります.
 それは,もちろん,放射能を持つ=放射性物質and/or放射線が常時放出されているということです.この放射能は時間の関数であって,元の放射性物質はどんどん減ってゆきます.このとき出される放射線の量が半分に減るまでの時間を「半減期」と呼んでいます.
 つまり,標本中の,半減期がわかっている放射性物質の存在量を測定すれば,その放射性物質が標本中に固定された時期を計算することができるわけです.

 科学者は新しい武器を手に入れました.
 科学者というのは,新しい武器を手にいれると,ついつい,なんにでも応用してみよう思うものです.
 地球の年齢を求めて,さまざまな岩石の放射性同位元素の測定が開始されました.
 とにかく,千年でも,百年でも,一年でも古い岩石を求めて,測定がおこなわれました.って,こんな小さい桁では誤差の範囲に吸収されてしまうので,実際には数千万年~億年単位ですが.
 さて,たくさんの測定がおこなわれました.(今でも続いてるはずですね).二位じゃあダメなんで,やっぱり,「世界最古の」という肩書きが欲しいわけです.
 結果,どんどん古くなっていって,現在は40億年近く古い岩石が発見されているはずです.このぐらいになると,1億や2億ぐらい古い値が出たって,「どうってことはあるめえ」と思ってしまいますが,未だに,必死になってやられているようです.いや(必死になってやられてるのに),失礼.

 しかし,地球上の岩石では,どう頑張ったって,地球の誕生の年代が出るはずもありません.理由は,地球表面はつねに激しい変動をしているからです.最初の岩石など残っているはずもない(測定の道具に使った放射性物質が引き起こした地殻変動のせいで,最初の地球がわからないとは,皮肉ですね).

 ではしばしば,いわれる地球の年齢=約45.6億年とは,一体何なのか.
 前に書いたように,その数字は,たまたま入手できた隕石や月の岩石に含まれている同位体元素の測定から導き出したものです.それを,太陽系を構成する太陽・惑星・衛星・その他の構成物質は,ほぼ同時にできあがったという仮定で「=」で結ばれているものです.
 別にこれを否定する証拠はありませんが,しかし,約45.6億年前の誕生時の地球とはどんなものだったかという質問に答えることができる人もいないでしょう.

 たぶん,数値として出てきた約45.6億年前という時代には,ガスや大きさ不定の隕石が,不均質に漂っているだけの世界じゃあなかったのかと想像します.これが地球,もしくは「将来地球になるもの」といえる「もの」も,まだどこにも存在していなかったんじゃあないでしょうかね.
 地球物理学の方では,まじめに議論されてるようですが,私の頭には,ほとんど神話の世界と変わらないです.小島よしおじゃないけれど「なんの意味もない」((^^;).

 止めておきましょう.
 やはり,「『もの』としての資料がなければ話にならない」地質屋が言及すべき問題ではないですね.地球の初原物質が手に入らないとね.


【地質学の時間】
 さて「地球の年齢や宇宙の年齢がどんどん変わるのはどういうわけか」ということの一面について,議論してきたわけですが,「どんどん変わる」ということには,もうひとつの側面があります.
 それを次に….


 その前に,「地質学の時間」について,少し.
 今でこそ,地質年代には「相対年代」と「絶対年代」がある,なんていってますけど,つい最近まで,「絶対年代」なんて言葉は地質学にはありませんでした.

 地質学における時間の概念は,現実にある地層を単位とします.

 区分できるひとつの地層をひとつの時間単位とかんがえるわけです.
 重なっている地層の上下関係が把握できる場合,上にある地層が下にある地層より新しく,下にある地層の中で起きた事件が起きたあとに,上にある地層の中で起きた事件が起こったとかんがえます.
 こういう風に,ひとつひとつの地層を把握し,ひとつひとつの地層の中で起きた事件を把握し,上下関係を確認し,地史を組み立ててゆくわけです.
 現実に存在する「もの=地層やそこに含まれる化石」から出発するわけですね.

 ひとつの地層Aに含まれる化石とおなじ化石が,遠くにある地層Bから出てきたら,「地層Bは地層Aに対比可能である」といい,地層Aと地層B はおなじ時間を共有しているとかんがえます.

 本来,この過程を全部おこなわなければならないのですが,煩雑なので,模式地という概念を導入します.そして,模式地の名前を取って「地質時代」の名前とするわけです.
 こうして,「カンブリア紀」・「オルドビス紀」・「シルル紀」・「石炭紀」・「ペルム紀」などの時代名が生まれてきました.もちろん,もっと,細かい地層と時間の単位もあります.
 地質学の研究には,本来,これで必要十分であり,時代の境目に数字を入れるという作業は必要なかったのですが,(乱暴ないい方ですが)数字を入れると“科学的”に見えるという幻想があり,数字を入れるさまざまな努力がなされました.
 いろいろな努力がなされましたけど,結局,現在では「放射性物質」を利用するのが一番良いらしいとされています.ただ,放射性物質を用いて測定した年代を「絶対年代」という人がいますが,これは誤りです.放射性物質を用いて測定し,計算して出した値は,ただの「放射年代」にしか過ぎません.この値をフィールドの事実に戻して,すべてに矛盾がないことを検証してようやく「絶対年代」として扱うことができます.
 勘違いなされぬように.

 で,そうやって提示された相対年代の境界について出された年代値,1940年代からいくつかの例について集めてありますが,それを全部示しても良いのですが,煩雑になるだけなので省略します.しかし,これらの年代は,歴史順に見ると,最初に書いたごとく,「どんどん変わる」という表現がふさわしいものです.

 原因はいくつもあります.
 まず第一に,採集した標本が地層学的にいって適切なものなのかという問題があります.つまり,それが年代を検討するのに適切な層位学的位置にあったのかどうかということですね.
 第二に,標本自体の性質が,放射年代を測定するのに適切な資料なのかという問題があります.放射年代を測定するとひと言で言っても,さまざまな方法があります.その資料に適した方法を選ばなければ,誤差が大きくなったり,測定値が意味をなさなかったりということがあります.
 第三に,年数を計算するための壊変定数は改訂されることがあり,それだけでも値は微妙に変化します.

 ひとつの年代表を見ただけではわかりませんが,違う時期に発表された年代表を見たり,同じ時期でも複数の違う文献を見たりすると,年代の数値が微妙にあるいは大きく変わっているのは,当たり前のようにあることになります.
 放射年代(絶対年代)は,どんどん変わります.
 相対年代が変わることは,まずありません.
 理解できましたでしょうか.
 

「或る地質屋の記」

先日,大久保雅弘さんの「或る地質屋の記」が届きました.
 この本は,要するに大久保さんの自伝です.亡くなられたあと,息子さんらが「フロッピー」に保存されていた遺構を編集して出されたものらしい.

 大久保雅弘(2010)或る地質屋の記.丸源書店,東京,216頁.

 大久保さんと直接の面識はありませんが,南部北上山地の論文をいくつも書いていらしゃるので,お名前は存知申しあげている.
 ざっと眺めると,昔聞いた地名や地質用語のほかに,故・湊正雄北大名誉教授の写真が出てきたりして,何ともいえず懐かしい.

 「我が師,湊正雄」なんて,私は書いていますが,実のところ,最盛期の湊先生のことは,私は知りません.私が二講座に入れてもらったころは,湊先生はすでに盛りを過ぎた老人のようで,大学院時代には,指導もしてもらえませんでした.
 怖いころの湊正雄を追体験してみようと思う.

 話を戻すと,大久保さんの子供のころの話には,来日した愛新覚羅溥儀が天皇と一緒の車に乗っていたのを見た話など,明治から昭和にかけての地質屋の歴史と,その背景を調べている私には,紙の上に書かれた歴史ではなく,リアルな歴史を体験したような気がしました.
 じっくり読んでみようと思います.

 話は変わりますが…,
 悲しいことに,この本も,前に紹介した二冊の本とおなじで,通常の流通ルートには乗っていないようです.
 
 もっとも,このような本が,一般に売れるとは,とっても思えません.しかし,読みたいと思う人が現れても,そこに行き着かない=購入できないのは,何とも情けない.


 早いとこ,現在の出版業界は潰れてほしいと思う.
 そして,インターネット上でオンライン=ソフトウェアのように,書きたい人が誰でも出版でき,読みたい人が誰でもダウンロードして読むことができる時代が来ればよいと思う.PC上でも,i-Pad上でも,携帯電話上でも,種々の機器の上でも,読めるような.
 そして,著作権を持つ著者に,正当に報酬が入るようなシステムも.
 もちろんそれには,オンライン=ブックスのエディター(フリーウェア)の開発と,オンライン=ブックスを供給できるNPOみたいな組織が必要だけれど.

 たぶん,このまま放っておくと,旧出版界がネット上の出版システムも牛耳って,利益だけを吸収して,著者も読者も育てないシステムが再来し,ネット上の出版界も,できると同時に崩壊すると思う.

 現在の出版不況は,全面的に業界に責任があります.
 ネットで書籍が購入できるようになる以前には,札幌のような北海道一の都市にある大書店でも,注文してから入手できるまで二ヶ月もかかるのが当たり前でした.
 しばらく田舎暮らしをしていましたが,そこの本屋さんに行くと,本がありませんでした.店主に聞くと,これは出版業界のシステムで,田舎の本屋には,本は(特に皆が読みたいと思うような本は)回ってこないとのことでした.
 その町の図書館の司書は,(もちろん)地元の書店からは購入できず,休日に大きな町の本屋に行って,直接本を買ってこなければ,皆が読みたいと思うような本は入手できないといってました.
 大都市でも,中心街の大書店には平積みにされているような本だって,中心を少し外れた小書店には,そのような本は回ってこないのが普通です.
 既成の出版業界は,田舎や郊外の小書店は眼中にないし,そこしか利用できない読者がいることも眼中にありませんでした.書店は潰れて当たり前なのでした.

 今,ネット書店とリアル書店などという言葉をつくって,インターネットが本屋を潰すというよなキャンペーンを張ってる筋もありますが,本屋を潰したのは,本を配本しなかった本の流通業界です.多くの人は,ネットで(出版さえされているなら)どんな本でも,速やかに入手でき,ありがたいと思っているはずです.
 ネット書店は,読者を育てているのです.
 結局,旧業界が読者を育てるという努力を怠ったのだから,本を読む人がいなくなったのでしょう.

 業界は,作者を育てるという努力も怠り,ベストセラー作家ばかり優遇したから,売れる本しか流通しなくなりました.当たり前と思われるかもしれないけど.海外では,再版されるような本を持っている著者は,それだけで喰っていける.でも,日本では,つねにベストセラーを出し続けるような作家でないと,著述家としては成立しません.

 早いところ,ネット上の作家-書店-読者というシステムが確立してほしいものです.

 話を戻せば,そうなれば,流通ルートに乗っていない自主出版みたいな本でも,インターネットが結ぶ世界では,読みたい人の総和は,けっこうな数になるはず.少なくとも,作者が赤字を出さなくてすむシステムができると思うのですが….
 10年,20年もすれば,今のベストセラーなんかよりも,こちらの方が,よっぽど資料的価値が上がると思いますけどね.
 

2010年5月4日火曜日

「科学の真実」もしくは「科学者のいう真実」

 
先日,高校時代の恩師から電話がありました.

なんでも,現在もボランティアで科学知識に関する講演活動をしているそうです.
もう退職してからも,相当経っているはずなのに,大変なものだと思います.

いろいろと話したのですが,その中で気になることがあったので,一つ.

地球の年齢や宇宙の年齢がどんどん変わるのはどういうわけか」というもの.
もちろん,先生は高校の理科の教師だったので,一通りのことは理解しているはずなので,「科学の進歩の成果」というような,ありきたりの答え求めているわけではないと思います.先生がボランティアで講演していると,たぶん,聴衆からそういう質問が出るのだろうと思う.しかも,その質問者も比較的,科学的知識が豊富な層なのだろうと思う.

一番の原因は,マスコミに登場する科学者の無責任な発言にあると思います.

科学者が話をする時には,「これが真実」,「私のいうことが真実」という立場でおこなう.
しかし,これは「ウソ」です.

より正確にいうならば,「現在までの観察からは,こう考えるのが一番,楽」ぐらいでしょう.「こうとしか考えられない」といういい方をしたら,もうこれはだいぶ怪しい.

長く生きていると,しばしばこういうことに出会います.
私は,恥ずかしながら,大学院時代が長かったので,大学生協の食堂にずいぶんお世話になりました.

食堂の食卓には,栄養士からの通信などが置かれています.
私が学生のころは,「単品食いはよくありません」,「サラダや果物を一品追加しましょう」などとか,「栄養はバランス良く」ということで,あれも食え,これも食え,などと書かれているのが普通でした.
理想の地質屋体形(身長高め,若干太り気味)だった私は,「そんなに食べたら,栄養過多じゃん」と思いながらも,栄養士の薦める「定食」を食べるのが普通でした.

長くいると,しばしばそんなことに出会います.
ある日突然,栄養士からの通信は,「食べ過ぎに注意しましょう」に変わりました.たぶん,以来,ずーっとそうなってると思います.

最近だと「無理なダイエットはやめましょう」とか,書いてありますかね.
これは,身近な例.


長く生きていると,しばしばそんなことに出会います.
私が,高校生のころは,「地球は寒冷化している」と騒がれました.
気象学者の書いた「氷河期がやってくる」というような本がベストセラーになったこともあると記憶します.

それから,40年ばかし経ちましたが,現在では「地球は温暖化している」と騒いでます.
「温暖化」どころか,“人類の生き残りも怪しい”とまでいわれてます.
私の記憶違いでなければ,40年の間に氷河期はなかったと思います.
冷害で外米を強制的に食わされた記憶はありますから,もしかしたら,あれが気象学者のいう「氷河期」だったのですかね.
してみると,「地質屋」のいう「氷河期」と気象学者のいう「氷河期」とは,別のものですね.
別な意味では,政治家の無能のせいで,現在は「就職氷河期」ですけどね(政治家にも「就職氷河期」を起こすために「議員半数化法」&「議員報酬半額化法」でもつくって欲しいですね.もちろん,議員年金も廃止).


閑話休題.
科学者は,いつだって,「現在の観測値からは…,こう考えるのが妥当だ」ぐらいのことしかいえないはずです.
しかし,特にマスコミに登場するような“科学者”は,なぜか「絶対の真実」を語り,マスコミと組んではパニックを煽り立てます.
結果,恐れおののく一般市民も多数出ますが,それよりも,一般市民には,科学を支持する人たちが,どんどん減ってゆきます.経験豊富な市民であるほど.


過去,私が住んでいた「地質学」の世界にも,そんなことがありました.
現在,「プレートテクトニクスは観測された事実」(元,地質学会会長やら東大教授やらがそういってました.ま,たぶん,口を滑らせたんでしょうけど,ホントにそう思ってるとしたら,救いようがない)なんだそうですが,“PT革命”を経験した私には,「冗談だろ」としか思えません.

「プレートテクトニクスでは,地向斜造山論では説明できなかった現象が説明できる」とか「プレートテクトニクスの方が地向斜造山論より,地球上で観察できる(無限に近い)自然現象の多くを説明できる」ぐらいなら,わかりますけどね.

PT論者の得意な「パラダイム論」を使えば…,PT論では説明できない事象は無視されますが,やがて,PT論では説明できない事象が無視できなくなるほど増え,PT論は修正を必要とされるようになります.
やがてそれも不可能になり,まったく別なパラダイムが登場する筈です.

蛇足しておけば,私は「地向斜造山運動論者」ではありません.
日本では,大学もしくは公立研究機関に勤めているものしか“科学者”とは呼びませんので,私は科学者ですらない.(博物館の学芸員でも,国立・都道府県立および政令都市級の博物館の学芸員は“科学者”ですが,市町村立の博物館の学芸員は“科学者”ではありません.ウソだと思う人は,科研費受給資格や日本育英会(現,日本学生支援機構?)の奨学金返還免除規定を調べればわかります.)
だから,私には,科学者の愚行に関する責任は一切ありません.悪しからず.


科学者が,自らの云うことが「真実である」と云えば云うほど,市民が科学者のパラダイム転換を経験すればするほど,当然,市民は科学離れしてゆくことになります.


え?
まだ,ほかに原因があるって?
科学者が,市民の側に立っているか,権力者の側に立ってるのか,それが信用されない原因だ?
うーむ,正しいような気がする.

なお,最初の問題「地球の年齢や宇宙の年齢がどんどん変わるのはどういうわけか」に関しては,稿を改めて.
 

2010年5月3日月曜日

小さなツルの挑戦

 
小さなツルの挑戦=「アネハヅルの進化」

草原に春がやってきた.
海を越えてやってきた小柄なツルの「つがい」に卵が産まれ,やがて雛が孵る.
雛は,順調に生育し,夏が過ぎる.
雛は,秋には海を越えた南の島まで遠征できるような,たくましい若鳥に成長する.

繰り返す,生命の営み.
繰り返す,地球の公転.
繁殖の春が来,成長の夏が過ぎ,渡りの秋を迎え,暖かい南の島で冬を過ごす.
繰り返す,生命の営み.
繰り返す,地球の公転.


海は,恐龍が闊歩する時代からそこにあった.
やがて,巨大な恐竜たちはすべて滅び,チョコチョコと走り回る哺乳類の時代になった.
恐龍の末裔である鳥類は,一時的に勢いを失っていたが,展開する哺乳類と同様に,新しいタイプの子孫たちを生み出し,やがて地上に空に,広がっていった.
そして,この小さなツルの最初の仲間が誕生した.

大洋は海峡に変わり,そして浅い海へと変わっていった.
春から秋にかけて,北の草原で卵を産み,雛を育て,そして,南の島で冬を越す.
繰り返し.繰り返し.
そして,永い時が過ぎた.

小さなツルの仲間は気付かなかったが,彼らの旅はわずかづつだが,父や祖父の時代よりも短くなっていた.

繰り返し,繰り返し続く,南の島と北の草原での暮らし.
やがて,浅い海は平原へと変わり,平原から山へと変わっていった.
この地表で一番高い山脈へと.

相変わらず,北の草原で雛たちを育て,今は陸続きとなってしまった南の小さな大陸で冬を過ごす,小さなツルの仲間たち.
いつの間にか,小さなツルは世界で一番高い山を越え,一番高い空を渡る不思議な体を備えるようになった.
山はまだまだ高くなる.
そして小さなツルたちは,その山への挑戦を続ける.

繰り返す,生命の営み.
繰り返す,地球の公転.
繰り返す,生命の営み.
繰り返す,地球の公転.

【解説】
【小さなツル】
えー.
この小さなツルの学名はAnthropoides virgo (Linnaeus, 1758)といいます.

日本名は「アネハヅル」.漢字では「姉羽鶴」と書くようですが,その由来は不明です.
英名はDemoiselle Craneといい,Demoiselleは「未婚の(若い)女性」を意味するといいます.
日本名も英名も,たぶん,小さめの体で,繊細な羽の色をもつこのツルの外観を表現しているのでしょう.

学名の方は,Anthropoides virgo (Linnaeus, 1758)といいます.
Anthropoidesは,ギリシャ語の「アントゥローポス[ἄνθρωπος]」=「人」をラテン語綴り化した[anthropos]に「・オイデース[-oides]」=「類似の」を合成した言葉.すなわち,「人に類似の」.
普通,属名は名詞ですが,これは形容詞ですね.

一方,種名の「ウィルゴー[virgo]」は「乙女,処女」の意.この複数形は「ウィルギニス[virginis]」で,英語の「処女[virgin]」の語源.天文の方でいう「ウィルゴー[Virgo]」は「おとめ座」のこと.
種名は普通は,形容詞なんですが,こちらは名詞ですね.

属名+種名で表す二名法の歴史を考えれば,属名は名詞で種名は形容詞であるべきなんですが,現在の動物命名規約では名詞の種名の使用も許されています.

さて,「属名」+「種名」を合わせて,その「意味」は「人間に似た乙女」.なにか,意味深ですね.本来の「属名=名詞」,「種名=形容詞」であれば,「乙女のような,人間に似たもの」となるはずですが….

【テーテュース海】
話は変わりますが,まだ恐龍が地表を闊歩していた白亜紀のこと.インド亜大陸とユーラシア大陸の間には「テーテュース海」という巨大な内海がありました.正確にいうと,北米とユーラシアが一体となった「ローラシア大陸」と,南米・アフリカ・インド・オーストリア・南極が一体となった「ゴンドワナ大陸」の間です.

なお,「テーテュース海」は,しばしば「テチス海」と書かれることがありますが,ギリシャ神話の「テーテュース[Tethys]」と「テチス[Thetis]」は別人.というか,別神.テーテュース海自体は前者を由来としていますので,「テーテュース海」と書くのが正しい.(以上蛇足)

【海と山脈】もしくは【ヒマラヤはいかにして小さなツルを偉大なツルに進化させたか】
白亜紀の終わり頃から,この内海のテーテュース海が閉じ始めます.
インド亜大陸が,ゴンドワナ大陸を離れて,ユーラシア大陸に衝突を開始したからです.
と,いっても,白亜紀から始新世にかけてはまだまだ,浅い海が広がっていました.

アネハヅルの化石というのは発見されていないようですが,ツル科の先祖は始新世の終わりころのヨーロッパで発見されています.ツル科の仲間が繁栄し始めたのが,中新世に入ってから.中新世とは約二千三百万年前から約五百万年前の期間です.北米,ヨーロッパで繁栄を開始したツルの仲間は,アジアへと進出してゆきます.
この頃,アネハヅルへと進化していたとすれば,チベットの草原から浅海となったテーテュース海を渡りインド(当時は島)へと渡る彼らの姿が見られたはずです.

中新世に入ると,かつてのテーテュース海のあちこちに島ができはじめ,この島から風化浸食した岩石がテーテュース海を埋め始めます.
鮮新世に入ると,ヒマラヤ山脈が成立し,次第に,陸域の動物たちにとっては移動を妨げる障壁になってゆきます.鮮新世とは約五百万年前から約二百万年前ぐらいの時代のこと(最近,このあたりの時代の定義を変えようという動きがあり,これからどんどん変わってゆきますのでご注意).
このヒマラヤ山脈の成長は,次の時代である更新世前期まで続きます.

テーテュース海がヒマラヤ山脈に変わる時代に,進化繁栄したアネハヅルはヒマラヤが高くなるにしたがって,春と秋の渡りに苦労が多くなってゆきますが,もちろん,その世代世代のアネハヅルには,そんなに大きな変化は感じられなかったでしょう.
だから,アネハヅルは「渡り」をやめることはなかったですし,わずかづつ高くなるヒマラヤ山脈はアネハヅルの体に大きな変化をもたらします.

更新世中期には,ヒマラヤはほぼ現在の高さに到達します.約百万年前のことです.
世界の屋根といわれるヒマラヤ山脈は,巨大な壁となり,チベット側とネパール側で動物の世界を二つに分けてしまします.
しかし,ヒマラヤの成長と共に進化したアネハヅルは動物界最強の肺と羽を持ち,今も毎年,春と秋にヒマラヤ山脈を越えるという偉業をなしつづけています.

*ヒマラヤの形成史については,吉田充夫(1984)「ヒマラヤはいつ成立したのか」を参考にしました.


(このシリーズ,まだネタがあるので,続けるつもりです.誰か,写真を貸してくれるか,絵本にしてくれないかな…)