2010年5月8日土曜日

地球の年齢

 
「地球の年齢や宇宙の年齢がどんどん変わるのはどういうわけか」

 という問題について,少し考えてみます.
 というか,これは昔,授業でやってたネタの一つです.

 世界各地の様々な民族に,創世神話があります.世界の始まりはあらゆる民族に共通する「謎」だったのですね.この謎に挑むには長い間,「思考・思索」という方法によるほかありませんでした.

 さて,世界で最初に「地球の年齢」について「論理的」に「解」を得ようとしたのは,ほかならぬキリスト教の教会関係者でした.当時,「教会関係者」があらゆる権力を握っていましたが,権力者というものは「もの」だけでなく,人の「思考」まで制御しようとするものです.ヨーロッパではキリスト教は宗教の域を超えて,人を支配しようとしていました.現在でも,キリスト教は世界のすべてを自分の分け前とかんがえてるんじゃあないかと思いますけどね.


【アダムの系譜】
 さて,キリスト教の教会関係者…長いなあ,以後,「A司祭」と呼ぶこととします.名前を書いてもいいのですが,これは,個人の能力でやったことではなく,キリスト教という集団,その中でも指導者的な立場がやらせた仕事ですので,個人名を出すのは伏せておきましょう.
 それから…,教会内では,あるいは系列ごとに,どんな組織にもあるように,さまざまな階級名を用いているようですが(神の元で平等であるはずの人にランクがありますね),非-キリスト教徒から見れば,どれも「ただの坊主」に過ぎないので,(わざとですが)「司祭」にしておきます.

 A司祭は,どういう論理を使ったかというと,以下のごとくです.
 キリスト教の二大文献に「旧約聖書」と「新約聖書」というのがあります.その「旧約聖書」のほうに,「Aは何年生きてBを生み,Bは何年生きてCを生み,Cは….」というような記述がたくさん出てきます.
 ま,要するに,「系譜」ですね(昔,筒井康隆が最盛期のころ,このパロディーをやってました).
 これを足してゆくと,その総和が「地球の年齢」になるとかんがえたわけですね.そして,出てきたのが,「約五千五百年」という値.A司祭は「地球の誕生」を紀元前4004年10月26日午前9時と算出しています.
 この作業の結果が出たのは,1654年のことらしいです.つまり,現在から見ると「約六千年前」ということになりますか.

 ま,直感的にも「約六千年」はいかにも短い.いかにも神ならぬ,はかない身の人間がかんがえたことだと思わざるを得ないですね.

 さて,こういう話は違和感がありますか?
 宗教が「論理的思考をおこなう」,あるいは「自然を記述しようとする」ことです.
 現代に生きる我々には宗教と科学は「水と油」のようなものとかんがえるのが常識です.しかし,そう考えていては,なぜ,キリスト教に支配されていた欧州から「自然科学」が誕生したのかが理解できません.「すべては『聖書』に書かれている」のだから,わざわざ自然を観察したりする必要がない.

 答えは「キリスト教の性質」にあります.
 キリスト教の神は「唯一絶対神」であり,地球は「完全な神」が支配する「完全な世界」なのです.
 「神はあらゆるところに宿り」ますから,徹底的に自然を記述すれば,そこには「神」の姿が現れてくるに違いありません.そこで,最初の科学である「自然科学」が生まれたのです.

 最初の科学者はキリスト教団の中に生まれました.
 「坊主」の余暇(じつは主な仕事だった人もいるようです)だったんですね.
(ある哲学者の方から,「ホントにそう思います?」と疑問を投げかけられたことがありますが,もちろん,私はこれが「絶対の真実」とは思っていません.「そう考えると,(とりあえず)理解ができる,納得ができる」と思っているだけです.大きな矛盾が出てくるまでは,これで十分だと思ってます)
 一方で,三大発明なんかを最初におこなったはずの中華圏では,欧米流の科学は生まれませんでした.唯一絶対神なんか頭にありませんでしたので,病的に地球(自然)を記述するなんてことはおこなわれなかったわけです.せいぜいが,現世利益に役立つ,腹が痛ければ飲むといい「本草」とか,理由はともかく南を示せばよい「指南車」という様なものしか生まれませんでしたね.

 さて,キリスト教にとっては不幸なことに,「自然を記述する」作業を続けていると,「最初に『神』がいたとかんがえなくても良いのではないか」と感じる人が出てきます.もちろん,(欧米では)現代でも最先端の科学をやっていながら日曜になると教会へ行く人たちがいます.つまり,現代でも「世界は(キリスト教の)神がコントロールしている」とかんがえる科学者がいるわけですから,その当時でも「神はどこにでもいる」という考えは強いものでした.
 しかし,少なくとも,すべての科学者が「完全に神に支配されていた」わけではなく,こっそりとでも,「最初に『神』がいたとかんがえなくても良いのではないか」と思う人も出てきたわけです.へたに,あるいは不用意に,この考えを公表すると,世界を支配している教会が黙っちゃあいませんけどね.


【博物学の時代】
 「神」を最初に置かないとしたら,なにを?
 それは,そこにある「自然を観察」するしかありません.そして,観察に基づいた事実を繋ぎ合わせて,世界を構築するしかないのです.
 そういう人たちが徐々に増えてゆきます.
 背景には….世界を支配する組織なんてのは,成立した次の瞬間から腐敗するに決まってますからね.そういうのに我慢できない人たちは,必ず存在するモンです.
 そして博物学が誕生しました.それはやがて,(欧州世界での)ブームとなります.上流階級では,その子弟は,花や動物の学名の20や30は憶えていることが,教養の証となります.博物学に精通していることは,お茶やお花の免状を持ってるのとおなじくらい高級な人間である証だったのです.
 現代なんかよりもはるかに,自然科学がポピュラーだった時代でした.

 18世紀に入ってから,何とか,聖書に頼らないで「地球の年齢」を知りたいと行動する人が出てきます.

 その一人が,フランス王国のビュッフォン卿[Buffon, Georges Louis Leclerc, Comte de].
 彼は,なにをやったかというと,最初に「神」ではなく,最初にあったであろうと思われる「灼熱の地球」を想定しました.そして,巨大な鉄球を熱して,それが冷えるまでの時間を測定し,いくつかの仮定を加えて,地球が現在の温度に冷える時間を算出したのです.
 その値が,「74,800年」.
 現代的な知識からいうと,いかにもお笑い的な値ですが,「アダムの系譜の総和」とはまったく質の違う「科学的な値」の誕生でした.しかも,「万年」という単位は教会関係者を震え上がらせたのです.


【宗教が宗教に落ちた】
 これに対し,教会は修正案を出します.地球の年齢は「約55,000年」というものです.
 その根拠は,(当然,神の時代の記述は人の時代の記述と違うのだから)「聖書の一日は7,000日に相当する」というもの.

 ま,唖然としてしまいますが,これはじつはいいことなのです.

 宗教は,なんの根拠もなく「絶対」を使うことができる.また,たいした理由もなく「絶対」を修正することもできる.
 つまり,「科学とは別の世界」であることを,キリスト教自体が示したという風に受けとることができるわけです.

 ここから,「科学」の「宗教離れ」が始まります.

 19世紀に入ると,ケルビン卿ことウィリアム=トムソンが,今度は鉄球ではなく岩石を用いた冷却実験を行い,「地球の年齢」を計算します.
 出た値が「2~4,000万年」.その値は飛躍的に伸びましたね.

 ところで,前出の「ビュッフォン卿」も,今の「ケルビン卿」も「卿」という尊称がついていますね.職業的科学者のいないこの時代,科学者といえば,働く必要のない「貴族」の趣味の名称であったのです.科学は「坊主」から「貴族」の手に渡り,坊主の手には宗教だけが残りました.


【地層の堆積速度による地球の年齢】
 宗教が科学に口を出さないようになると,科学は自由な発想を始めます.
 「地球の年齢」を思考する作業にも別な方法が考え出されます.

 地質学が成立すると,地層というものについての理解が進みます.地球の表面ではいつも地層の形成が続いています.もしかすると,これは,「地球の年齢」の推定に役立つかもしれません.
 というわけで,さまざまな地質学者が,その推定を始めました.
 基本は「地球上にある全地層の層厚」÷「1年でたまる地層の厚さ」という考え方によることになります.しかし,「地球上にある全地層の層厚」や「1年でたまる地層の厚さ」は,その地質学者が調査した地域や,その地質学者の考え方次第で,いくらでもバリエーションがあります.したがって,結果として出た値もさまざまで,2,800万年から7億年という値が出されています.

 代表的な例を挙げておきますと,英国で近代地質学の基礎を成立させたといわれているライエル[Charles Lyell]は,カンブリア紀から現在までの期間を5億5000万年と推定しました.
 一方で,カンブリア紀のバージェス動物群の研究で有名な米国のウォルコット[Walcott, C. D.]は,カンブリア紀から現在までの期間を2,800万年と推定しました.ともに,1867年のことです.

 ま,ごらんの通りで,「地球の年齢」に関しては,地質学の枠組みでは限界があることが明瞭だと思います.化石という座標が与えられなければ,歴史学としての「地質学」(=地史学)は成立しないわけです.
 したがって,地質学では生命の痕跡が顕著であるカンブリア紀以降の研究が中心となってゆきます.

 ところで,かのダーウィンと前出のケルビン卿との間で,論争があったという話をご存じでしょうか.ダーウィンが持っていた地層に関する知識では,ケルビン卿が出した地球の年齢は桁外れに小さすぎました.短すぎて進化現象がおこるには間に合わないのです.

 ケルビン卿の実験が間違っていたのでしょうか?
 そうではなくて,ケルビン卿は地球に普通に存在する「放射性物質」のことを考えに入れていなかったのです.
 地球の表面はつねに活発な地殻変動や火山活動が起きています.こういった活発な地球の活動は,地球自体が持っている「放射性物質」がまき散らした放射線が原因です.放射能によって地殻物質に蓄えられた熱が,さまざまな地球表面の変動を引き起こすものとかんがえられています.


【放射性同位元素革命】
 放射性同位元素の存在が確認され,20世紀に入ると,その応用がどんどん進んでゆきます.正直に言うと,放射性同位元素研究は,そのダークサイドがメインであって,研究費はダークサイドに対してのみ膨大な金額がつきました.「ヒロシマ」・「ナガサキ」がその象徴です.
 平和利用など,副産物ですら,なかったわけです.
 ま,20世紀に入る以前に,科学と結びついた技術=科学技術が成立し,その威力に感激した権力者らが,見返りを求めて,膨大な資金をつぎ込んだということですが.

 放射性同位元素には,それを放射性同位元素たらしめている特殊な性質があります.
 それは,もちろん,放射能を持つ=放射性物質and/or放射線が常時放出されているということです.この放射能は時間の関数であって,元の放射性物質はどんどん減ってゆきます.このとき出される放射線の量が半分に減るまでの時間を「半減期」と呼んでいます.
 つまり,標本中の,半減期がわかっている放射性物質の存在量を測定すれば,その放射性物質が標本中に固定された時期を計算することができるわけです.

 科学者は新しい武器を手に入れました.
 科学者というのは,新しい武器を手にいれると,ついつい,なんにでも応用してみよう思うものです.
 地球の年齢を求めて,さまざまな岩石の放射性同位元素の測定が開始されました.
 とにかく,千年でも,百年でも,一年でも古い岩石を求めて,測定がおこなわれました.って,こんな小さい桁では誤差の範囲に吸収されてしまうので,実際には数千万年~億年単位ですが.
 さて,たくさんの測定がおこなわれました.(今でも続いてるはずですね).二位じゃあダメなんで,やっぱり,「世界最古の」という肩書きが欲しいわけです.
 結果,どんどん古くなっていって,現在は40億年近く古い岩石が発見されているはずです.このぐらいになると,1億や2億ぐらい古い値が出たって,「どうってことはあるめえ」と思ってしまいますが,未だに,必死になってやられているようです.いや(必死になってやられてるのに),失礼.

 しかし,地球上の岩石では,どう頑張ったって,地球の誕生の年代が出るはずもありません.理由は,地球表面はつねに激しい変動をしているからです.最初の岩石など残っているはずもない(測定の道具に使った放射性物質が引き起こした地殻変動のせいで,最初の地球がわからないとは,皮肉ですね).

 ではしばしば,いわれる地球の年齢=約45.6億年とは,一体何なのか.
 前に書いたように,その数字は,たまたま入手できた隕石や月の岩石に含まれている同位体元素の測定から導き出したものです.それを,太陽系を構成する太陽・惑星・衛星・その他の構成物質は,ほぼ同時にできあがったという仮定で「=」で結ばれているものです.
 別にこれを否定する証拠はありませんが,しかし,約45.6億年前の誕生時の地球とはどんなものだったかという質問に答えることができる人もいないでしょう.

 たぶん,数値として出てきた約45.6億年前という時代には,ガスや大きさ不定の隕石が,不均質に漂っているだけの世界じゃあなかったのかと想像します.これが地球,もしくは「将来地球になるもの」といえる「もの」も,まだどこにも存在していなかったんじゃあないでしょうかね.
 地球物理学の方では,まじめに議論されてるようですが,私の頭には,ほとんど神話の世界と変わらないです.小島よしおじゃないけれど「なんの意味もない」((^^;).

 止めておきましょう.
 やはり,「『もの』としての資料がなければ話にならない」地質屋が言及すべき問題ではないですね.地球の初原物質が手に入らないとね.


【地質学の時間】
 さて「地球の年齢や宇宙の年齢がどんどん変わるのはどういうわけか」ということの一面について,議論してきたわけですが,「どんどん変わる」ということには,もうひとつの側面があります.
 それを次に….


 その前に,「地質学の時間」について,少し.
 今でこそ,地質年代には「相対年代」と「絶対年代」がある,なんていってますけど,つい最近まで,「絶対年代」なんて言葉は地質学にはありませんでした.

 地質学における時間の概念は,現実にある地層を単位とします.

 区分できるひとつの地層をひとつの時間単位とかんがえるわけです.
 重なっている地層の上下関係が把握できる場合,上にある地層が下にある地層より新しく,下にある地層の中で起きた事件が起きたあとに,上にある地層の中で起きた事件が起こったとかんがえます.
 こういう風に,ひとつひとつの地層を把握し,ひとつひとつの地層の中で起きた事件を把握し,上下関係を確認し,地史を組み立ててゆくわけです.
 現実に存在する「もの=地層やそこに含まれる化石」から出発するわけですね.

 ひとつの地層Aに含まれる化石とおなじ化石が,遠くにある地層Bから出てきたら,「地層Bは地層Aに対比可能である」といい,地層Aと地層B はおなじ時間を共有しているとかんがえます.

 本来,この過程を全部おこなわなければならないのですが,煩雑なので,模式地という概念を導入します.そして,模式地の名前を取って「地質時代」の名前とするわけです.
 こうして,「カンブリア紀」・「オルドビス紀」・「シルル紀」・「石炭紀」・「ペルム紀」などの時代名が生まれてきました.もちろん,もっと,細かい地層と時間の単位もあります.
 地質学の研究には,本来,これで必要十分であり,時代の境目に数字を入れるという作業は必要なかったのですが,(乱暴ないい方ですが)数字を入れると“科学的”に見えるという幻想があり,数字を入れるさまざまな努力がなされました.
 いろいろな努力がなされましたけど,結局,現在では「放射性物質」を利用するのが一番良いらしいとされています.ただ,放射性物質を用いて測定した年代を「絶対年代」という人がいますが,これは誤りです.放射性物質を用いて測定し,計算して出した値は,ただの「放射年代」にしか過ぎません.この値をフィールドの事実に戻して,すべてに矛盾がないことを検証してようやく「絶対年代」として扱うことができます.
 勘違いなされぬように.

 で,そうやって提示された相対年代の境界について出された年代値,1940年代からいくつかの例について集めてありますが,それを全部示しても良いのですが,煩雑になるだけなので省略します.しかし,これらの年代は,歴史順に見ると,最初に書いたごとく,「どんどん変わる」という表現がふさわしいものです.

 原因はいくつもあります.
 まず第一に,採集した標本が地層学的にいって適切なものなのかという問題があります.つまり,それが年代を検討するのに適切な層位学的位置にあったのかどうかということですね.
 第二に,標本自体の性質が,放射年代を測定するのに適切な資料なのかという問題があります.放射年代を測定するとひと言で言っても,さまざまな方法があります.その資料に適した方法を選ばなければ,誤差が大きくなったり,測定値が意味をなさなかったりということがあります.
 第三に,年数を計算するための壊変定数は改訂されることがあり,それだけでも値は微妙に変化します.

 ひとつの年代表を見ただけではわかりませんが,違う時期に発表された年代表を見たり,同じ時期でも複数の違う文献を見たりすると,年代の数値が微妙にあるいは大きく変わっているのは,当たり前のようにあることになります.
 放射年代(絶対年代)は,どんどん変わります.
 相対年代が変わることは,まずありません.
 理解できましたでしょうか.
 

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