2015年9月14日月曜日

「北海道鑛山畧記」:(五)金銀銅鉛の「フルピラ銀銅鑛」

●フルピラ銀鑛(のちの稲倉石鉱山)

(地名)
後志國フルピラ郡イナクライシ字フタマタ*1
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*1:後志國フルピラ郡イナクライシ字フタマタ:後志国古平郡稲倉石字二股(現:後志支庁古平郡古平町稲倉石)


(鑛山實況)
後志國フルピラ郡フルピラ市街の正南フルピラ河*1本流を遡るヿ凡三里.左岸より注水する支流「イナクライシ」の澤*2,字フタマタ(海面を抜くヿ凡六百尺)の所にあり.
該山は明治十八年七月十日フルピラ市街の樵夫・猪股五平・大竹嘉蔵・和田淸作(不詳)の發見する者にして,同年十月二十日,發見者三名にて試掘を出願し,十九年二月,試掘許可を得て,三月二日より着手し,當時大俣坑と稱する鑛脉に,横坑僅に十五尺,竪坑十三尺の試掘をなし,資金に乏しくして試掘を中止す.
後幾何もなく試掘期限滿ち,廢山となりしを以て,北海道鑛山會社員・植杉貢二(不詳)より發見人と示談の上,廿一年十二月,再び試掘の許可を得,二十二年,解雪の期を待ち着手し,富饒なる銀坑を發見す.
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*1:フルピラ河:古平川.
*2:イナクライシ」の澤:稲倉石川.


 

2015年9月9日水曜日

「北海道鑛山畧記」:(五)金銀銅鉛の「ユーナイ銀銅鑛」

ユーナイ銅銀鑛

(鑛山地名)
後志國ヨイチ郡オキ村ユーナイ字ユノサワ*1
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*1:後志國ヨイチ郡オキ村ユーナイ字ユノサワ:後志国余市郡沖村湯内字湯の沢(現:後志国余市郡余市町豊浜町);同鉱山は住友金属鉱山が経営する「余市鉱山」と場所的にはほぼ一致するが,沿革(古平および幌武意図幅)は一致しない.調査を要する.
**Webページ「余市町でおこったこんな話・その74:余市鉱山のにぎわい」によれば,「ユーナイ銅銀鑛」は「余市鉱山湯内鉱区」の前身である.


(鑛山實況)
明治十六年六月「ユーナイ」の人・中村留吉,仝村「ユノサワ」の小川に至り漁撈の際,山谷の間にて光ある石を發見し,金類ならんと之を携へ歸り,仝年中其道に達する人に依頼し,取調しに銀銅鑛ならんとの評あり.依りて仝村住・竹内孫兵衛・小黒喜三治*1,小樽の人・大竹作右衛門*2と共に試掘を出願し,同二十一年一月許可を受け試掘をなせり.後望を嘱すべきを以て,同二十二年四月に至り借區,開坑す.
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*1:竹内孫兵衛・小黒喜三治:不詳.
*2:大竹作右衛門:不詳.旧・会津藩士らしい.足跡は小樽のみならず,小平蘂川での石炭調査,岩内町での牧場経営などもあるらしい(調査中).
 

 

2015年9月5日土曜日

「北海道鑛山畧記」:(五)金銀銅鉛の「モイワ銀銅鑛」

モイワ銀銅鑛

(地名)
後志國フルウ郡オキシナイ村字ムサワ*1、盬越澤*2、サカヅキ村*3、サカヅキ川*4,アカエ川*5、カブト山*6
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*1:後志國フルウ郡オキシナイ村字ムサワ:不詳(茂岩川のことか?).
*2:盬越澤:塩越川.
*3:サカヅキ村:現・泊村興志内村.
*4:サカヅキ川:泊村盃村.
*5:アカエ川:不詳.
*6:カブト山:泊村兜山.


(試掘の實況)
明治二十一年四月試掘出願.
仝五月,許可を受く.試掘人は益田孝*1なり.
仝月より着手せり.
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*1:益田孝:益田孝(1848.11.12.-1938.12.28).三井財閥中心人物の一人.


(掘採方法)
鑛石を掘採するとき,一坑ロを付するに竪五尺余横三尺余とし,之を掘進するに,一晝夜を二十四時間三交退となし(仕業時間一交代を八時間とす),坑夫坑業中は大工鎚・鶴嘴・タカ子*1の道具を以て磐石を碎き,或は穴ロを穿ち火藥を用井るヿあり.右(上)方法にて既に坑口十二ヶ所を起せり.其内最も鑛石を採取したるは一番二番三番坑なりとす.
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*1:タカ子:鏨(タガネ)


(職工坑夫賃金は左(下)表の如し)
自明治廿年五月至仝廿一年四月 職工坑夫賃金表



(坑夫工程)
壼ヶ所の坑ロを假定し,譬へは縦五尺余横三尺余の坑ロを開掘するに,石質堅柔により一定せずと雖とも,概畧三寸乃至六七寸切延すを一工とす.


(人員表)


右(上)事務所員中二名,廿年九月,當鑛山を辞し,其他諸工夫は種々雇入れの方法を設け置たれとも時々出入あるを以て滿壹ヶ年の平均を示す.


(諸職人食料給與方法)
諸職人に對する需用品は該鑛山事務所に於て買入れ置き,請求の時々貸渡ものとす.而〆之に貸附くるに通帳を製し銘々に壹通を渡し置き,月末に至りて仕業金高を勘定するの際諸物貨(ママ)代價を精算せしむ.


●舊記
開拓使事業報告に曰く,明治十三年五月後志國フルウ郡オキシナイ村*1海岸に於て銅鉛鑛を發見す.其鑛脉,厚さ尺餘にして熔鑛運輸の便あり(鑛物分析表を記せり).
東蝦夷日誌に曰く*2「サカツキ」の名義は金銀鑛あるの義なり.此所,金銀及び鉛鑛あり.故に名く.又「モイワ」にも鉛氣あり.
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*1:後志國フルウ郡オキシナイ村:後志国古宇郡興志内村(現:古宇郡泊村(大字)興志内)
*2:東蝦夷日誌に曰く…:「蝦夷地質学」参照.
 

 


2015年9月2日水曜日

「北海道鑛山畧記」:(五)金銀銅鉛の「モイワ銅鑛」

(五)金銀銅鉛
モイワ銅鑛
(地名)
後志國フルウ郡オキシナイ村字モイワ*1
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*1:後志國フルウ郡オキシナイ村字モイワ:古宇郡興志内村(現:古宇郡泊村興志内(大字)茂岩(字))


(鑛山實況)
イワナイ港より北に面し,凡四里餘にして,海岸路傍に在りて開採運輸の便,極めて善しとす.
然れとも古來開採に従事するものなく,只該鑛脉の路傍に顯出するを以て,漁夫或は旅客等,他に轉話し,偶々該塊を採去するものあるも,其何たるを試驗せしものなく,開採の業を營むものなし.然るに明治五年頃一商,該鑛一塊を「ハコダテ」に齋し,當時同港に滞在せる「ケプロン」に就て,其鑛物の何たるを質問せり.
之を分析するに,硫化銅・硫化鉛・硫化亜鉛,鐵を含めるを知しりと雖とも,硫化鉛多量にして銅を含有するヿ,極めて少なしと云へり.其後數月ならずして「ケプロン」は「イワナイ」郡カヤノマ石炭山,檢査の爲め出張し,滞留中,再ひ該鑛を試驗せしに,銅鉛銀の三金を得たるを以て,稍々良質なるを探知せられたり.然れとも遂に着手するものなく,明治十年,舊開拓使に於て米國博覽曾出品に供せんか爲め,該鑛の掘採幷に製銅を「カヤノマ」炭山物産局出張所へ命令せられたり.
所長・伊地知季雅の指揮により銅山坑夫・木村熊五郎なるものを派出せしめ,粗鑛凡二百貫を探り「カヤノマ」炭山へ運送し,同山に於て製煉するに百分の八を得たりと雖とも,曩に「ケプロン」の試驗に係れる調書を閲するに,一割四分六厘に當るを以て,今之と比するに六分六厘の減少を來たす.蓋し経験に乏しきに原由せしならん.因て再び精密に注意し製煉するに一割七分強の製銅を得たり.

其後,明治十二年,米國鑛山師「ゴージョー」*1,「カヤノマ」炭山巡回の際「モイワ」銅山の實況を視察し,一の鑛脈を發見せられたり.其時「サッポロ」に於ても,屢分析ありしが,概して良品なりとの評あり.然れとも民間にては未た鑛業に注目するものなく,實に北海道は海産一事を以て足れりとするの慣習甚たしく,偶ま該山に志ある者あるも,却て故障を入るヽの弊害なしとせず.

明治十四年,舊開拓使に於て硫礦質の善良なるヿを廣示せんか爲め,開拓使三等属・仁田登*2を該地に派遣し若干金を投し,字「〓越澤」*3に於て試掘に着手す.然るに都合に據り數月を俟たずして事業中止となり,未た良質の鑛石を見る能はず.
其頃より「カヤノマ」炭山に寄留せる中野力之助*4なる者あり.同人は院内銀山の坑夫となり,鑛業を以て得意とす.「カヤノマ」川上流「キンフセン」山に登り鑛脈を捜索せしに,數個を發見せり.又明治十七年,「モイワ」鑛山に至り,独り鑛脈を探るヿ數日間,敢て倦むヿなし.然れとも無資にして事業を興起する力なし.「イワナイ」の商・木部熊平*5,其志を賞し,若干金を投して其業を助く.然るに僅一年ならずして,債主・木部熊平,病に罹りて死す.依て廢業す.
其後,東京の人・徳田與三郎*6,「モイワ」鑛山の頗る良鑛なるを聞き,試掘せんとす.都合ありて加登甚左門・〓*3田六郎*7,両名の名儀にて明治廿年四月,試掘を出願.同月許可を受け,翌月より着手す.
同年七月,北海道廳技師・大島六郎*8該山を巡回し,着手の方法を示したり.
同二十一年四月,三井物産會社長・益田孝,之を譲り受け,同人に於て二十七万〇七拾八坪の借區を出願し,五月許可せらる.
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*1:米國鑛山師「ゴージョー」:E. Ganjot(不詳:調査中).
*2:開拓使三等属・仁田登:不詳.札幌市博物場の場長を務めたという記録がある.
*3:「〓越澤」:「塩」の異字.日本語フォントには無い.
*4:中野力之助:不詳(調査中).
*5:木部熊平:不詳(調査中).
*6:徳田與三郎:三菱美唄炭坑の前身に徳田炭鉱なるものがあり,徳田與三郎が興したらしい.同一人物か否かは不明.
*7:加登甚左門・〓*3田六郎:両者とも不詳.
*8:大島六郎:北海道庁技師.退職後,北炭役員を務める.



(開抗の實況)
玉掘坑(試掘の節以下同し)を玉株抗と改稱す.
此の坑,「モイワ」に在りて兩磐とも稍定り一丈の中石を狭み,二線脉あり.白硅石*1硫化銅*2を含めり.現今追切*3中にして,之を掘進するときは良鑛を得へき見込なり.
「壱番坑」を改めて「幸坑」と稱す.此の坑は字ユトマリ海岸にて鑛脉中より温泉三ケ所*4湧出す.鑛石は青軟石に混したる硫化銅鑛にして良鑛なり.脉巾三寸乃至一尺余に至ると雖とも,前試掘人にて探取したる處は追切普請中にて採収せず.
「シヤフト」と稱する處を改めて「吟盛坑」と稱す.此の坑は「ユトマリ」海岸の底部に良好なる鑛脉あるの見込にて,海岸水際の地に竪坑を掘下し,地下百尺内外の點より更に横坑道を穿ち探鑛する目的なり.鑛質は幸坑と異なるヿなし.
「二番坑」を改めて「萬歳坑」と稱す.青軟石に混在する硫化銅鑛にして,些少鉛鑛を含めり.兩磐稍々定り脉巾二尺余にして五寸乃至一尺余の硫化銅を含有す.
「三番坑」を「盛坑」と改む.該坑は「オキシナイ」海岸の水際にありて,銅(ママ)巾一尺余青軟石に銅鑛を露出す.底部に良鑛あるの見込なるを以て竪坑を掘下し,六十尺にして横坑道を穿ちたるに良鑛を得たり.該坑は海水侵入.水揚器械を据付け掘進す.
「興成坑」は廿一年六月,開坑す.之は稍々「盛坑」と同脉にして青軟石に硫化銅鑛を含有せり.
「一貫坑」は廿一年六月開坑.之は「オキシナイ」海岸に在り.該坑ロより二十間離れたる海岸水際に五寸乃至一尺余の硫化銅鑛脉露出せり.之を掘進するときは山腹根合にて其鑛脉と相曾するの見込なり.
「立入坑」を「榮盛坑」と改む.此の坑ロは西より東に通する鑛脉を探討するか爲め南北へ通し,後坑道とするの見込なり.
「七番坑」を「清正坑」と改む.舊坑ロより十五尺,地下の磐より.二十一年八月開坑.兩磐とも定り八尺の中石を狭(ママ)て二線の脉あり.掘進するときは相會するならん.
「輝晴坑」は本年九月開坑.「オキシナイ」雨降澤にありて青石と白硅石と混在し,硫化銅を含む.之れ頗す望を屬する箇所にして,掘進するときは良鑛を得るならん.
「新勢坑」は二十一年七月開抗.「オキシナイ」鹽越澤西より東に連續する鑛脉を探討し,後抗道に供する目的なり.
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*1:白硅石:白珪石;石英を主成分とする岩石(鉱山用語).岩石学的にはさまざまなものを含む.
*2:硫化銅:銅と硫黄からなる化合物.天然には輝銅鉱もしくは銅藍であるが,この場合は黄鉄鉱か黄銅鉱か?.
*3:追切:鉱山用語.すでにある坑道を目的の大きさまで切り広げること.
*4:温泉三ケ所:現在の杯温泉か?


(掘採の實況)
總て一坑ロを付するに,縦五尺餘・横三尺餘とし,之を掘進するに,一晝夜二十四時間を三交退[交代]となし(一交退を八時間とす),坑夫名々[銘々]就業時間中,大工鎚・鶴嘴・タカ子[タガネ]等の道具を以て磐石を砕き,或は穴ロを穿ち,又火藥を用ひ一撃大孔を穿つヿあり.


(坑夫の工程)
縦五尺横三尺の坑ロを開掘するに石質の堅軟により一定せずと雖も通常三寸乃至六七寸を一工とす.


(職工坑夫の賃金)



(役員其他人員)
役   員   十一人
開坑夫人員  七十九人
留坑夫人員    五人
雑役夫人員  八十九人
 合 計  百八十四人

備考:諸工夫雇入出入多きに依り,本表は四ヶ月(五月より八月まで)平均を揚く.


(諸工夫生計の實況)
諸職人の需用品は事務所に於て概略豫算を以て買入れ置き,他商人より安價にして貸付け,又之を貸付るには銘々に通帳を渡置き,月末に至つて仕業金高より諸物品貸付代價を引去り精算するものとす.


(留木矢板寸法代價)
留木は長六尺.末口五寸余,代償一本に付金九錢,長さ六尺より一丈まてを長延する毎に金二錢つヽを増價す.矢板は長さ四尺巾三寸厚さ一寸五分(一枚に付き金壱錢二厘)

 

「北海道鑛山畧記」:(四)石油

 
(四)石油(略)