2013年12月12日木曜日

「先生はアイヌでしょ」

 
荒井和子著「私の心の師 先生はアイヌでしょ」を読んでみた.

   


不謹慎だといわれるかもしれないけど「昭和」を感じてワクワクしてしまった.

なぜ,この本を読む気になったかというと,ある書評に“アイヌの居住地であった近文付近になぜ和人が住むようになったか”が書かれているというのを信じたてしまったからだ.
じつはそういう話は,ほとんどなかった.その後の話なのだ.
一(いち)アイヌ人女性教師(著者)の経験が綴られているだけの本だった(もちろん,その話は読み応えがあります).

それでも,近所の小中学校や今でも存在する個人病院の名,橋,その他地名が出て来て…,ちょっと私の子ども時代より少し先行しているのだけれど,重なる部分もあり非常に懐かしかったというわけだ.
今よりもはるかに貧しかった時代の話です.アイヌも和人も.

じつは,この本は「後編」であって「前編」がすでに出ているという.調べてみたらすでに絶版だった.
そのうち図書館から借りて読んでみようと思う(時間的制約が多いので売ってるもんなら買いたいのだけれどね).アイヌ差別の生活感あるヤツがでてくるだろうと思う.

問題の,アイヌ居住地だった石狩川以西に和人が大手を振って住むようになった経緯については,「旭川・アイヌ民族の近現代史」を読みなおしてみることにしようと思う.こちらは「記録」的で生活感(リアリティ)がないんだよねえ.

   

2013年12月9日月曜日

訃報

 
北川芳男さんの訃報が入りました.北川さんは北海道大学理学部・地質学鉱物学教室・第二講座の出身でもありますし,北海道開拓記念館の学芸部長を長く務めた人でもあります.どちらにしても,わたしの大先輩(同じ講座,同じ学芸員として)でありました.

わたしが学生のころから,よく湊正雄(北大名誉教授)教授の部屋に出入りしていらっしゃいましたし,さまざまな地質巡検や化石の調査でも,よくお会いしました.学生の顔や名前もすぐに覚えて,気さくに話しかけてくださいました.ぜんぜん偉そうな態度を示さない方なのに,あとで第二講座の助教授だったとか,現役の開拓記念館・学芸部長だとか聞いて,驚いたものです.

学芸員になってからも,さまざまなところで援助いただきました.たぶん,第二講座の先輩としては,一番お世話になった方だろうと思います.

ご冥福をお祈りいたします.
 

2013年12月8日日曜日

北海道の登山史

 
フラリと寄った,博物館のショップで高澤光雄「北海道の登山史」を買った.
期待してなかったけど,一ページ目から興味深いことがたくさん.読み応えありそう.(^^)
利尻山初登頂(?)のエピソードはワクワクしますね.



以前,「日本の登山史」とかいうバカ高い本を買ったけど,北海道の山については,まるで記述がなかった.「北海道は日本じゃあないのかよ」とツッコミを入れたかったが,偏見の持ち主には通じるわけないね.

   

さて,最近は目が疲れて,長時間の読書はできないけれど,楽しめそうな本です.

2013年9月29日日曜日

iPod化

 
Macで作ったKeynoteファイルをiPodでプレゼンすることを考えて実行中.
マニュアルが付属していないので,全くの悪戦苦闘.操作方法すらわからない.

ファイルはAppleがいうほど互換性が無い.
iCloud経由でiMacからiPod touchに転送すると,「一部の画像ファイルは表現できません」って,それがなんなのか書いてない.
フォントも変更されてしまう.複数だとなにが変更されたのかもわからない.
だいたい,どんなフォントがiPodに実装されているのかもわからない.

還暦の頭には,無理かも~~(--;
目はショボクなるし,頭はガンガン.知恵熱が出そう.って,その前に血圧がだいぶあがってるなあ…(^^;

結果,


画像ファイルは,Photoshopファイルは受け付けない模様.
Mac上のkeynoteは受け付けるから気をつけなければ.

案の定,jpegとpngは受け付けるようだ.
ファイル名が日本語だとダメなのかなと思ったが,それは関係ないようだ.

せっかくいろいろフォントがあるのに,英数字しか反映しないようだ.
こういうのは「日本語化できている」とはいわないはずだが,これを有料で売っている.「アップル商売」と呼ばれっぞ~~(^^;

+++


今朝,TVに繋いで実験.手元にはHDMIしかないので,それで実験.実際に使うには,VGAで再度やってみなければね.
結果,ケーブルを繋いで実行すると,編集画面とは違う絵があらわれることがわかった.
こんなこと,マニュアルがないとわからんじゃろうが….

残念だが,日本語フォントは,ほとんど役にあったない.みなゴシックになってしまうようだ.
まあ,使えないこともないという程度か.

もう一つ.
文字入力の際は,横位置にするとキーボードが拡大するとかあったが,ほとんどの場合,それはないようだ.キーが小さいので,かなりの確率で隣のキーを押してしまう.
これで,iPod上で編集なんて不可能だろう.
改善を望む.実用化されたとは言いがたいと思う.

大学では,ノートPCから投影するのが当たり前になってるから,しょうがないのかな~~.
 

2013年9月5日木曜日

地学雑誌にみる蝦夷地質学

 
まずは,グラフをご覧ください.
地学雑誌の創刊,1889(明治22)年.初巻からたくさんの北海道関連の記事が載っています.
でも論文数(記事)は,ときどき突出する巻があるものの,急激にその数は減少し,10年ちょっとで,その数は0となっています.



後発の地質学雑誌の創刊は1893(明治26)年であすから,そちらに論文が移っていったのかとも考えられますが,減少傾向はほぼ一定で,地質学雑誌の創刊が,地学雑誌上の記事数に影響を与えているわけではない様に思えます.
実際,地質学雑誌の創刊号から数巻の目次を見てみましたが,北海道関連の地質論文は見あたりませんでした.
1904(明治37)年あたりから,神保小虎が散発的にトピックスを掲載しているだけですね.

これは,いったいなにを意味しているのでしょう.
ひとつには,それは神保小虎の動向に大きく関係しています.初期論文のほとんどすべては,神保の手になるものだからです.

神保は1887(明治20)年,(東京)帝国大学地質学科を卒業し,北海道庁技師になりました.
わずか二年で北海道の地質を総括し,翌(1890)年には,道庁から「北海道地質略論」を出版します.
しかし,その二年後(1892:明治25)には,ドイツ・ベルリン大学に留学することになり,北海道を離れました.
以後,北海道の地質に関する論文は,石川貞治や横山壮次郎が中心となってゆきます.

しかし,それにしても,急激に論文の数は減っています.
それは,なぜか….
それには,時代が大きく関係していると思われます.

神保小虎の略年譜をまとめると,
1867(慶応三)年,幕臣の家に生まれる.
1887(明治20)年,東京帝国大学地質学科卒業.北海道庁技師として,地質調査.
1892(明治25)年,ドイツ・ベルリン大学留学.
1894(明治27)年,東京大学の鉱物学助教授菊池安が急死.このため,急遽鉱物学に転じ,シベリア経由で帰国.11月には,菊池安の後任として助教授となる.
1895(明治28)年,理学博士.遼東半島,地質調査.
1896(明治29)年,東京帝国大学教授.
1897(明治30)年,南支那,鉱産物調査.
1899(明治32)年,ジャワ島ボルネオ島,石油調査.
1907(明治40)年,東京帝国大学,鉱物学科の独立と共に,主任教授となる.

これを加えるとわかりやすいかな.
1894(明治27)年:日清戦争
1895(明治28)年:下関条約締結(台湾・澎湖諸島・遼東半島,日本に割譲)
同:三国干渉により,遼東半島を返還


では,石川貞治の略年表を
1864(元治元)年12月20日:島根県浜田市に旧浜田藩士・石川文治の四男として生まれる
1888(明治21)年7月:札幌農学校卒業
1892(明治25)年1月:札幌農学校の嘱託教師(地質学)となる
1892(明治25)年2月:札幌農学校の兼任助教授となる
1896(明治39)年6月:札幌農学校の兼任助教授を離任,拓殖務省(台湾統治)に転出する
1898(明治41)年:官を辞し,実業界に転身.以後,炭鉱・金属鉱山・油田の開発に従事する.
1932(昭和07)年3月11日:東京鉄道病院にて死去(69歳).

もう一つ.横山壮次郎の略年表を
1869年8月10日(明治2年7月3日):鹿児島県に生まれる.
1889(明治22)年07月:札幌農学校卒業,北海道庁技師となる.
1892(明治25)年02月:札幌農学校の兼任助教授となる
1895(明治28)年05月:札幌農学校の兼任助教授を離任する
1895(明治28)年06月18日:台湾総督府民政局殖産部勤務
1898(明治31)年06月:台北県技師.
1906(明治39)年:清国政府の招聘により満洲にわたる
1908(明治41)年:帰国.郷里の鹿児島で死去(脳充血)
詳しくは「北海道・地質・古生物」へ


もちろん,石川貞治や横山壮次郎の進路にも,下関条約は大きくかかわっています.
のみならず地質屋の運命は,日本の帝国主義(植民地主義,拡張主義:なんでもいいけど)に左右されることになります.
それは,第二次世界大戦(大東亜戦争or 太平洋戦争)終了まで続くわけです.
地質屋は,植民地主義の先兵だったとはいえないにしても,地下資源収奪の猟犬だったのですね.

内地植民地だった蝦夷地=北海道は幕末から明治初めにかけては,重要な地下資源収奪地として位置付けられていましたが,明治中期以降の侵略によって,開発は後回しとなり,地質屋の多くは外地へと送り込まれていったわけです.
それが,この「地学雑誌上の北海道関連論文数に如実に表れている」と考えることが可能なのでしょう.


我が師,故・湊正雄北大名誉教授は,いわゆる南方の石油資源調査(新歓コンパの時の「ブンガワン・ソロ」は湊先生の十八番でした)から帰国したとき,傍目には半狂乱のようになって,先輩教授から預かったデスモスチルスの骨格などを理学部の庭に埋めたといいます.
湊先生は,そのことについては何一つ記録を残していないようですが,日本はすぐにも戦争に負けるであろうこと,札幌にも爆撃があるであろうこと,占領軍はなにもかも収奪してゆくであろうことを恐怖したものと思われます.
はるか南方の地で,日本および日本軍がやっていることを,占領軍もやるであろうことに恐怖したのでしょう.

敗戦後,湊先生は,地質屋が戦争の先兵となることが無いように,科学者が戦争の先兵となることがないように,ある科学運動の中心人物になってゆきます.
しかし,その運動は開始当初から,ある勢力の目の敵でした.
現在では,その運動は,ほとんど息絶えています.科学者の多くは理想や倫理よりも研究費の方を優先する人が多かったというだけのことです.
 

Kindle

 
衝動的に,Kindleを買ってみた.
届いた次の日,新型が発表された.
私の人生こんなもの(-.-;

    

それはともかく,子どもの頃読んだいわゆる古典的な小説や評論,随筆:漱石や賢治,龍之介や久作,熊楠や寅彦,(これはちょっと大人になってからかな(^^;)などなど,また読みたいと思っていた本があるのだが(折口信夫なども),みな著作権切れなので,適当なCPで読めるようだ.
さっそく,DLしてみた.
確かに,実本(文庫本)では目が疲れて,すぐにイヤになるところだが,一息つくまで読んでいても,目は疲れていない(「我が猫」読書中(^.^)).
ちょっと,バックライトにムラがあるのが気になるが.

何よりも,本棚がいっぱいで置き場所がないので,新しい実本を買わなくて済むのがうれしい.
寅彦全集,売っぱらってしまうかな(^^;
 

2013年8月31日土曜日

「…ゲン」その後.

 
「はだしのゲン」の売り上げが伸びているとか.
なんだかなあ….子どもに読ませたい本なら,もっといろいろあると思うがなあ.

てなことで,サーフィンしてたら,いまだに閲覧制限支持(というよりは焚書的だが)のマスコミ関係者が多いことに驚かされる.色分けできるね.
相手の言い分など聞かずに「見せるな」という単純な論調がほとんどだ.
主な論理は,「首切り」や「強姦」など子どもに見せたくないシーンがあるので「制限」せよというもの.教育的配慮だと(「作品としては稚拙だから,ほっとけ」というのもあった.それはそうかもしれない).
主たるテーマの「原爆」や「戦争」そのものについての是非はない.ウソを書いてるとかもない.

政府の政策に反対のデモをしているのに,道路交通法で逮捕するようなものですね.
同じ論理でたくさんの本が「禁書」になってきた歴史に興味があるものとしては,見たくないという人に強制的に見せたり,見たいという人から見る自由を奪うのは,生理的に拒否感が先に出てしまう.

首切りといえば,我が母校(母校とはいいたくない学校ではあるが)には,「中国人の首を切ってきた」というのが脅し文句の体育凶師(剣道専門)がいました.ほかにも,体格がいいのに柔道部に入らない学生を相手に,授業中に絞め技のデモと称して「落とす」ので有名な体育恐師も居ました(私も危うくやられかけた).まあ,とんでもない高校だった訳ですね.

日本では,敗戦後何十年経っても,そういう連中が野放しになっていたわけです.
そのくせ進学校なんだから,わけがわからない.理科教師も?な連中ばかりでした.正確には「受験理科教師」なんだから.公式と穴埋め問題しか知らない(^^;.
かれらのおかげで,理科大好き少年だった私は,しばらくの間,生物・化学・物理が大嫌いになってしまった.地球と星だけは相変わらず好きでしたが(^^;.
話がずれた(^^;

首切りや強姦などは,実際にあったし,もっと非道い人体実験などもあった.それには日本兵も日本の科学者も関係していたわけです.
しかし,平和憲法のおかげで,敗戦以後,日本人は海外でそのようなことをした歴史はない.
事実を隠せば,それを見たがる人がでてきて当然.みんな見よう.誰かが覆い隠そうとしているものを.そこには真実がある.
てか.(^^;
 

2013年8月28日水曜日

宮武外骨伝

 
ただいま読書中.

慶応三(≒1867)年十二月二十五日:宮武亀四郎,誕生.後に「宮武外骨」を名乗る.
その前年,親幕派・孝明天皇急死(三十六才):岩倉具視による毒殺説流れる.

翌慶応四年三月十四日:睦仁(むつひと:後の明治天皇)「五箇条の誓文」を発す.
同年九月八日:明治と改元.

明治22(1889)年2月11日:大日本帝国憲法,公布.
「大日本帝国憲法」は「五箇条の誓文」を裏切り,薩長閥のための憲法でしかなかった.
国民は憲法の中身を知らず,マスコミは批判を忘れて絶賛した.

外骨は,薩長閥の官僚,マスコミに愛想を尽かし,以後,叛骨・反権力の人として著述に励む.
筆禍による入獄四回,罰金・発禁など二十九回におよぶ.

「蝦夷地質学・明治編」の背景である.

    
 

2013年8月22日木曜日

勉強中

 
蝦夷地質学」続編のために,近現代史を勉強中.
岩波新書の「シリーズ日本近現代史」①~⑩を読みなおしている.少なくともシリーズ前半数冊は読んだはずなのに,ほとんど憶えていないのが悲しい((--;).
    

なぜか,昔読んだSFを思いだす.
確か,宇宙を漂流するアストロノートが事故で頭を怪我をし,そのおかげでたった一冊あった本を毎回新鮮な気持ちで読めるようになったという話だ.そう,彼は短期の記憶しか保てなくなったのだ.
そのうち,そうなっちゃうのかなあ…((--;)

それはさておき,このシリーズの記述が正しいとすれば(たぶん正しいのだろうけど),このところの中韓の言い分はまったく正しいことになる.日本が非道をおこなったのだ.日本がというよりは,天皇を看板に頂いた薩長土肥・野合集団がといったほうが正確なのだろうけど.
ただし,アンパンマンとばいきんまんみたいな単純な関係ではない.

当時の世界情勢を考えれば,欧米がアジアの植民地化を進めていることに恐怖した日本が,追い詰められた結果,欧米の論理を身につけて(そのため,欧米は日本をアジアのなかで唯一欧米諸国と同等の国と認めた:世界戦略に組み入れた),“脱亜”した,せざるを得なかったといえる.
だからといって,中国・朝鮮半島,東南アジアに対して「やった」ことが正当化できるわけではないが.
欧米に対してやったことは,非難される筋合いではないような気がする(マズイかな?この発言(^^;)

(いってみれば,毎回毎回ばいきんまんをそそのかしているドキンちゃんが欧米だったのね)

さて,そんな世相を背景として,蝦夷地質学はいかなる運命をたどったのか.
どう展開するか方針を固めなきゃ.
 

2013年8月3日土曜日

人類進化の神話

 
エルドリッジ, N.・タッターソル, I.(1982)「人類進化の神話(浦本昌紀,1986訳)」を読んだ.
古書店から入手後,かなり長期間,積ん読状態だったヤツ.

断続平衡説の解説かと思っていたら,確かにそうなんだが,表題通り「人類進化」の話だった.
人類進化の話としては面白いが,そのせいで,底流にある「断続平衡説」がわかりづらくなってるような気がする.
断続平衡説の話をすればいいのに.

また,人類進化の話は,新しい標本が見つかると,それまでとはまったく話が変わったりするので,こんな古いデータではあまり意味が無いのでは….題材がマズイと思う.
やっぱり,断続平衡説の話をすればよいのにと思う.

よくわからないのが,共著者の「タッターソル, I.」.日本訳版には共著者としてでているのに,原著にはない.いったいどういう役割なんだろう.
不思議な本.まあ,ダーウィニズムをバッサリ切っているのは,面白いですが.
 

2013年7月25日木曜日

ヒトは食べられて進化した

 

ドナ・ハート&ロバート・W・サスマン著「人は食べられて進化した(伊藤伸子,2007訳)」を読んだ.
「Man the Hunter(狩るヒト)」説が普通だが,こちらは,「Man the hunted(狩られるヒト)」説.
   


「狩られるヒト説」があるのは知っていたし,サーフィン中にサーベル・キャットが人類を食べた痕という論文を見つけているので,科学的な「まな板」に乗った説だということも知っていた.でも,まとまった論説を読むのは初めて.
前半2/3は進化の話ではなくて,現在捕食されている人類や猿類とハンターの話だったのは面白い.最初はウンザリだったけど,途中で面白くなった(^^;.

それにしても,外国の本というのは,なぜにこんなにも分厚いのだろう.20年前なら,二三日あれば,読み切ることができたのに,最近は「つらい」のひと言.読み終わったら,ほとんど忘れているしね.

確かに,「狩人」として成功してるのなら「進化する必要はない」わけだから,ハンターとしてのヒトが進化するのは奇妙だ.
逆に,常に狩られる側であれば,なんとかして生き延びるために「進化する必要があった」わけだ.
ただ,必要があったから進化するというのも証明できてないような気が….

不思議なのは,随所に「獲得形質が遺伝する」という前提での記述があること.欧米人も決して「ネオダーウィニズム」一色ではないんだね.

 

2013年6月15日土曜日

また,池田清彦の本

 
「不思議な生き物」を読んでたら,「38億年 生物進化の旅」という題の本を出版していることがわかったので,買ってみた.


   


帯に,「3800000000年を200ページで」とある.
まあ,無理ですね.(^^;

さて読んでみると,進化の通史を書いているわけではなく,生物進化の様子を大先生の「構造主義生物学」の目で眺めたらどうなるかという話ですね.
物理的に無理なわけですが,先生正直で「わからない」が結構でてくる.先生の理論でも「スッパリ」切れるわけではないのですね(化石のみが証拠ですから,これは当たり前).

残念なのは,大先生,「ほとんど地球の歴史がわかっていない」こと.間違いが目につきます.

それから,先生は「サイモン・コンウェイ・モリス」と表記していますが,件の人物は「サイモン・コンウェイ モリス」です.だから,「モリス」と呼んではいけません.「コンウェイモリス」です.
これは,正式な論文の略記をみればわかります.Moris, S. C.ではなく,Conway Morris, S.になっています.

おもしろいのは,あとがき.
「古生物学者は,自分の得意分野のみを大きく取り上げることが普通で,通史はあまり書きたがらないようだし,進化論の理論家は面白そうなトピックだけを取り上げることが多いし,科学ジャーナリストは生物の歴史そのものよりも,古生物学者の生態の方に興味があるようである」と,あります.
まったくそのとおり.(^^;
たぶん,もう一・二行書きたいことがあったことと思います.(^^;

地団研の会員が中心になって「双書 地球の歴史1~7」を書き上げたのが1985年のこと.いまだにこれを越えるものが出ていません.もうだいぶん古くなっていますが,こういうものをまとめ上げることができる人たちが,日本には,もういないのでしょうねえ….(--;.

   


 

2013年5月29日水曜日

ウェーゲナー伝説

 
ウェーゲナーの「大陸移動説」はプレートテクトニクスの原形もしくは始祖といわれています.
PT論のお話しをするときには,必ず彼の名前が出てきます.
しかし,南北両米大陸と欧亜-阿大陸が別れて,大西洋ができたという説は,ウェーゲナーが最初ではありません.

ウェーゲナーの「大陸移動説」発表を遡ること約50年前,1858年にアントニオ=スナイダー-ペレグリーニ[Snider-Pellegrini, A.]が大西洋はひとつの大陸が東西に別れてできたという説を発表しています.

それでは,なぜ「PT論の始祖」という栄冠はスナイダー-ペレグリーニの頭上には輝かなかったのでしょう?

それは,もちろんわかりません.
でも,歴史を独学でやってみると,なんとなくヒントがあります.

歴史は記述ですから,記述漏れがあるし,見方によっていろいろ解釈が異なるのが当たり前です(だから,歴史学は科学ではないのですが).歴史は地球上で起きたことの記述ですから,すべてが記述されているわけではありませんし,記述が連鎖しているとも限りません.

恣意的に事件を選択して,点と点を繋ぎ,勝手な解釈をすることが可能な“学門”なのです(誰かに師事していれば,きっとその影響を受け,その見方しかできなかったと思います).
だから,いまだに「日本は侵略などしていない」とか,「戦争犯罪とされていることの一部は起きていない」とか,主張できるわけです(逆もまた真).
ましてや,日本側の記述と,他国の記述では当然違うことが書かれていますし,それについての解釈となると,180度反対のことも可能になるわけです.

同様に,論争の最中につい投げかけてしまった「不適切な言葉」を繋いでゆけば,PT論に反対していた地質学者を最低の悪党に仕立てることも簡単です.ましてや,それが生き残った勝利者の著作であれば,な・お・さ・ら

さて,スナイダー-ペレグリーニに話を戻します.
スナイダー-ペレグリーニの頭上に栄冠が輝かなかった理由の一つは,彼は大西洋の展開の原因を「ノアの洪水」に求めていたらしいです(らしい,というのは原著を読むことができないので,引用したものを信じるしかないわけです).
PT論の始祖が「ノアの洪水の信者」では,いかにも(科学的に)都合が悪いですね.

もう一つ.
ウェーゲナーの大陸移動説は「地質学者」によって迫害にあい,ウェーゲナー自身は探検中に非業の最期を遂げています.
これは「ヒーロー」の素質充分.

かくして,PT論の始祖という栄冠は「ウェゲナー」の上に輝いている…と,いうわけです.
歴史学が科学でないなら,科学史とくに地学史は,まだもの凄く幼稚な学門です.常識はウソだらけ.事実の発掘もほとんど進んでいませんし,それをいいことに,いわゆるホイッグ史観で「今現在」歴史を書いている人たちも多数いるわけです.
よい子は決して,だまされてはいけませんよ((^^;).
 

2013年5月27日月曜日

デジタル顕微鏡(×)→デジタルルーペ(◎)

 
面白いものを見つけました.

ただし,商品は「デジタル顕微鏡」といってますが,「デジタルルーペ」ですね.

最大倍率はほとんど意味をなしません.

でも,×10~×17だと,下の写真のように充分使えます.


授業でも使ってみました.
その場で見つけた微化石を提示できます.
なかなかいい.


でも,最高倍率は意味ないですし,シャッターとズームボタンがいっしょで,しかもかなり押し込まなければシャッターはおりませんので,ぶれやすいなど細かいところは残念.
日本のメーカーが作れば,もっと実用的な倍率と,扱いやすさを追求してくれるのでしょうけどね.

しかし,この「デジ顕」は(中国の無名メーカー製ですが),もう日本のメーカーがなくしてしまった,アイディアを実現してゆく力や貪欲さを感じます.
一世を風靡した日本のカメラメーカーが衰退してゆく中,非常に羨ましい.
 

2013年5月26日日曜日

池田清彦の本

 
ひさびさに,池田清彦氏の本を買って読んだ.


    


明石家さんまの酷い番組に出演してるのをみてあきれかえり(・o・),久しくこの人の本を見つけても買っていなかったのだった.

ないが酷いって,共演者の大(?)先生方が,ダーウィニズム的解釈で法螺話をしているのに,池田大先生はひたすらニヤニヤ笑っているばかりなのだから.
本当に,この構造主義生物学の論客と,TVの池田大先生とは同一人物なのかと,いまだに疑っている.

でも,やはりこの人の話は面白い.
昔から,ダーウィニズムはなんかおかしいと,素人ながらに疑問に思っていたことを,スパスパ切ってくれるのだから.もし,この人がそばにいたら,生物学を専攻していたかもしれないと,思っているぐらいだ.

でも,52頁,「メガネウラ」がいたのは「石炭紀」であって,「ペルム紀」ではありませんよ.大先生(^^;.
 

2013年5月18日土曜日

「わかりやすい」ということ

 

授業で使えるネタはないかと,最近発行された地球科学ネタの本を,いくつか購入しました.
もの凄い違和感.


なにがってよくわからなかったんですが….
お金のかかったイラストと,めったに見に行けるものではない場所の写真が多用してあり,確かに「分かりやすい」と評判がある本だと思われます.
でも違和感.


「授業で使えるネタはないな」と数ヶ月放置したあと,片付けるために中を見てみました.
今度は分かりました.
「わかりやすい」ということは,ウソや間違いたくさんの意味のない情報が混じりやすいということでもあります.


たとえば,ある本の220頁の図.
「ウマの進化」の図が載っていますが,本文には説明はありません.まあ,図だけでわかるといえばわかるんですが….

ここに使われている「ウマの系統図」の原図は非常に有名な図です.
でもここでは,全く意味のない“イラスト”になっている.
なぜこんな面積を持った分岐図になっているのでしょう.

それは原図を見ればわかります(G.G.シンプソンの原図が見つからなかったので,それを引用したMüellerの図を借用しました.だから英語ではなくドイツ語です).
描かれた「枝」のひとつひとつは分類群(ここでは属名)になっています.原図の「枝のひとつひとつには意味がある」のです.
それが,ここではただの背景になってしまっている.

もっと非道いことがあります.
この系統図で,左右に枝を伸ばしているわけは原図の上部をみてもらえばわかります.左側は「南米」,中央部は「北米」,右側は「旧世界(おもにアジア)」に分けて説明されているのです(普及書のイラストには,それが欠如している).
この原図は,北米で発生したウマ科の生物が,北米大陸が南米大陸やアジアとつながったときに「移民を開始し,別な属が生まれる」ことを示しているのです.

そういう情報が一切なくなってしまって,単に古い方が「森林のウマ」,新しい方が「草原のウマ」という情報しかなくなってしまっています.
それだけなら,中新世の始め頃に一本線を引いて,下半分を「森林のウマ」,上半分を「草原のウマ」とするだけでいいのにね.

そのうち,“地質学ジョーク”として使うことを考えようっと.
それにしても,残念.

 

2013年4月28日日曜日

スパム,スパム,スパム

多忙な日
 ブログに舞い込む
  スパムかな
宮武軟骨

多少忙しいので,ブログ更新をサボっていたら,ジャンジャン,スパムコメントが舞い込む.
たぶん,成功報酬いくらで休止ブログ(もしくは休止掲示板)にスパムを放り込むハッカー(クラッカー?)がいるのだろうと思う.
かれらにとっては残念なことに,Bloggerの強力なフィルターが稚拙なスパムは排除してしまうので,実際にブログ上にコメントとして表に出ることはほとんどないようだ.

しかし,敵もさるもので,うまくカモフラージュしたスパムがフィルターを通過して,ときどき表に出てしまうことがある(「やったね」と思うのかねえ?).
だが,よく読むと巧みに怪しげなHPに導き入れようとしているのは明白だ.

どっちにしても,虱潰しに消しているのだから無理ですよ,と教えてあげたい.
相手は世界中に散らばっているようだし,そういうのを破るのを趣味としているような人たちだから,当分イタチごっこは続くのかな…(^^;

 

2013年4月1日月曜日

「日本古代史を科学する」

 
なかなか面白い本でした.
古代史専門の人にはどう思われているのかが知りたいところ.


   


ただ,著者のいいたいところをたどってゆくと,大陸の王朝の正当な後継者は,我が日本の「天皇家」になっちまいますよね.
さすが,PHP (^^;

二回目を読書中.
 

2013年3月15日金曜日

コンクラーベ?

 
コンクラーベが終わったそうです.

コンクラーベといえば,トム・ハンクス主演の映画「天使と悪魔」で,詳細に再現されていましたので日本でもよく知られるようになりました(じつは,REGZA+HDDに入れてあるので,なんども見ています).
トム・ハンクスは名優なのかどうか,私にはわかりませんが,彼が出ている映画は,どれもよくできていて,見ていて飽きないです.好きですね.

中学校の時の社会の先生が「コンクラーベはなかなか決まらないので“根比べ”だ」というジョークを飛ばしていました.もちろんこれは,だだのオヤジギャグです.

さて,でも「コンクラーベ」という言葉は,よくわからない言葉です.
「なにが?」って,なにもかも.
だいたい,何語なのかもよくわからない.

英和辞典には,conclaveとして「1)秘密会議;2)教皇選挙会議;3)枢機卿団」となっているのが普通です.これはもちろん,2)が元の意味で,ほかはそれから派生した,英語圏で使われる言葉の意味なのでしょう.
で,英語では「カンクレイブ」と発音しますから「コンクラーベ(というカタカナ語の語源)」は「英語」ではないことが明らかです.

では,教皇選挙会議を意味する言葉なのなら,イタリア語かラテン語であることが考えられます.
しかし,ラテン語では[v]は「ヴ」とは発音しませんので,イタリア語でも(たぶん)しないと思う(私は,イタリア語は知らないので判断できません.知ってる人がいたら教えて欲しい(^^;).
例によって,日本に蔓延している「よくわからないカタカナ語」のひとつなのかもしれません.
“日本人”はこういうわけのわからないもの(を強制するの)が大好きですからね.使えない受験英語を何年にもわたって学校で教えているし,実生活では使用頻度の著しく低い数学や物理の一分野を「受験数学」,「受験物理」として強要してますからねえ.
そのくせ,命を守る地学なんてものは教えない…(我田引水(^^;)


さて,閑話休題;真面目にいきましょう.
羅英辞典には,「conclave = a room, chamber」とでています.英和辞典とはまったく意味が違いますね.

このconclaveは,じつは合成語として理解することが可能です.ちょっと,強引ですがやってみます.
  conclave = com-clavis =「伴って」+「閂」:となります.

com-は接頭辞で「b, h, l, p, r, w以外の子音字の前でcon-となる」ですから,-clavisの前ではcon-になるわけです.
claveはclavisの変化形(と辞典にはでている)なのですが,こういう変化というのは,日本人には,簡単には理解できませんね.だいたい説明もろくにないし.
ただ,初期ラテン語ではこういうことがあったらしい.「訛り」とでも考えておきますか((^^;).
ところで,clavis (クラーウィス)は,もとはギリシャ語で[ἡ κλείς] > cleis《ラテン語表記》であり,意味は「横木.閂」のことです.


さて,
「閂を伴って」>「鍵をかって」ですから,1)「部屋」という意味を持つのは理解できますね.必然的に“カギをかった部屋は”>2)「密室」という意味を持ちますね.
次に,密室でやるのはだいたい悪いことですが((^^;),3)「秘密会議」もしくは「重要会議」につかわれるのも理解できますね.
ラテン語自体は完全に死語ですが,ヨーロッパでは,高級言語として宗教界や学門の世界で使われてきました.たぶんそれで,このconclave(コンクラーウェ)は枢機卿会議;それも教皇を決める特別な会議を指す言葉として使われるようになったのでしょう.


ところで,claviculaという言葉があります.
  clavicula = clavi-cula=「棒の」+《縮小詞》=「小さな棒」>「鎖骨」

ということで,解剖学用語の「鎖骨」を意味する言葉として使われています.
これも,我田引水((^^;)

 

2013年3月6日水曜日

「国の死に方」

 
ひさびさに,切れ味のいい本にであった….そんな気がした.
取っ掛かりから,どんどん切れる.中盤も鋭い.
だけど,最後は結局尻つぼみ?
最終章はなんだかよくわからない….

でも,近代日本史の見方としては,秀逸なんではないだろうか.
たとえば,
「大日本帝国の死は,明治憲法体制の確立によって予定されていた…」など.

最近の小物政治家たちが「維新,維新」というのが,私はおかしくってたまらなかったんだけれど,その理由は…これだったのね.
     

2013年2月17日日曜日

Scaphitesの展開(Ⅸ)

 
1980年,アルゼンチンの地質学者ブラスコ=デ=ヌロほかによって「アルゲントスカファイテス[genus: Argentoscaphites Blasco De Nullo, Nullo, et Proserpio, 1980]」が提唱されています.


「アルゲント・[Argento-]」は,ラテン語で「銀」を意味する「アルゲントゥム[argentum]」を語根化したもの.
したがって,「アルゲント・スカファイテス」は「銀のスカファイテス」という意味.

これは,標本が銀色だったからということではなく,産地がアルゼンチンだからつけられた名前でしょう.

それでは,「アルゼンチン」の由来を一節.
日本では「ラプラタ川」と呼ばれているアルゼンチンを流れる川.これはスペイン語で「リオ・デ・ラ・プラタ(Río de la Plata)」といいます.意味は「銀の川」.スペイン人はこの川の上流に「銀の鉱床」があると信じていたからついた名です.
もちろん,スペイン人がここを目指したのは,銀を強奪するため.

アルゼンチンがスペインから独立したときに,その圧政の記憶を消すために,スペイン語からラテン語の「銀= argentum」に置き換え,女性形・形容詞語尾の「・イーナ[-ina]」を足してできたのがargent-ina = Argentinaという国名です.
これを英語化したのが,Argentineというわけ.
「アルゲンティーナ[argent-ina]」は形容詞ですから,男性形も中性形もあります.順に「アルゲンティーヌス[argent-inus]」,「アルゲンティーヌム[argent-inum]」.形容詞で使われるときには,もともとは「銀からなる,銀に関係する」という意味ですが,もちろん,「アルゼンチンの」という意味でも使われます.


さて,種名として用いることができる「銀の」というラテン語形容詞はいくつかあります.
まずは,「~状の」という形容詞語尾「・アートゥス[-atus]」を合成した「アルゲンタートゥス[argent-atus]」=「銀のような」.これは男性形で,女性形は「アルゲンタータ[argentata]」,中性形は「アルゲンタートゥム[argentatum]」になります.

次に,「~製の」を意味する形容詞語尾「・エウス[-eus]」を合成した「アルゲンテウス[argent-eus]」=「銀製の,銀白色の」.これは男性形.女性形は「アルゲンテア[argent-ea]」,中性形は「アルゲンテウム[argent-eum]」です.


「~産の」を意味する「・エンシス[-ensis]」をつけて,「アルゲンチネンシス[argentinensis]」という種名も使われているようです.

この話,ここで一応終了
 

科学と技術,そして科学技術

 
アリストテレスは「医学」を「科学」とみなしていなかったそうだ.
つまり「医術」.
私もだいぶ前から,そう思っていた.

理由は,医界では「名医」が普通に存在することだ.
しかも,名医といわれる医者ほど,斯界の一般化された学術論文よりも自分の経験を重視することだ.
これはまったく科学者の態度ではない.
名医がもっている技術の伝承は,学問の府でではなく,直接,現場で弟子に伝えられてゆく.しかも弟子のほとんどが継承できるわけでもない.「ヤブ」は継承できない.

科学とは,技術の持っている特殊性を解析し,一般化して,基礎知識のある人間になら,誰にでも伝えることのできるシステムのことである.だから,科学は科学技術を爆発的に進化させた.

したがって,医学は科学ではない

今朝の「がっちりマンデー!!」に登場したテーブルマーク社の冷凍技術は,明らかに「科学」である.職人の持つ技術を機械化し,コンスタントにしかも大量に製造することができる.

そんなことを考えた.

日本の第一次産業,農業や漁業も,安全で安価に製造できる,そんな科学が登場しないかと,ふと思った.

高級食材をつくることで,海外の安い食品に勝ってゆこうという流れがある.勝手にやればという気がする.それでは,日本の第一次産業は滅びるにまかせることになることが分かっていないようだ.
 

2013年2月13日水曜日

Scaphitesの展開(Ⅷ)

 
1953年には,スパス氏がインドスカファイテス[Indoscaphites Spath, 1953]という属名を提唱しています.
これも,もちろん,スカファイテスの仲間.

インド・[Indo-]は,もちろん,英語でインディア[India]のこと.
ギリシャ語では「インドス[Ίνδός]」=「インダス川」,「インドの」であり,これからラテン語のインドゥス [Indus]になり,インディア[India]は,Ind- =「インダスの」という語根に《所属・関係》,《状態》,《国名》,《病気》を表す接尾辞[-ia]を合成したもので,Ind-iaとなり「インダスの大地」という意味になります.
英語はこれを借りたものですね.


ラテン語のインドゥス [Indus]は「インダス川」を示す名詞です(複数形はインディー[Indi];なお,この複数形は「インド人たち」もあらわします)が,「インドの」という形容詞でもあります(系統的な勉強をしたわけではありませんが,こうなると,ラテン語に本当に「名詞」とか「形容詞」とかの区別があるんだろうかと悩む;とくに形容詞なのに,この場合頭文字は大文字ですからねえ).
形容詞の変化は「インドウス[Indus],インダ[Inda],インドゥム[Indum](順に,男性形,女性形,中性形)」.
「インドの」をあらわす形容詞では,別に「インディクス[Indicus],インディカ[Indica],インディクム[Indicum]」(順に,男,女,中)」というのもあります.

明瞭に「インド産の」という意味を持たせたければ,「・エンシス[-ensis]」という形容詞語尾を合成して 「インデンシス[Ind-ensis],インデンシス[Ind-ensis],インデンセ[Ind-ense]」ができますが,これはあまり使われないようです.
理由は不明ですが,たぶん,元の意味が「インダス川の」ですから,あまりにも範囲が広すぎるのが原因かと考えます.どちらかというと,「・エンシス」はローカルな地名に使われた方がしっくりきますね.

たとえば,「日本(産)の」を考えた場合,「ヤポネンシス[japon-ensis]」より「ヤポニクス[japon-icus]」のしっくりきますよね.逆に,「夕張(産)の」ならば「ユバリクス[yubar-icus]」よりも「ユバレンシス[yubar-ensis]」のほうがしっくりきます.
もっとも,命名は個人のセンスに負うところが多いですから,「それは違う」といわれたら,反論のしようも無いですけど(こんなことを説明しているギリシャ語ラテン語の解説書って,ないですからね).


さて,「インド・」がついた学名ってのはたくさんあります.その中のいくつかを紹介しましょう.
まずは,中新世の北米・アフリカ・ユーラシアにいた「インダルクトス[genus Indarctos Pilgrim, 1913]」.
これは,「インドゥ・[Ind-]<[Ίνδός]」+「アルクトス[-arctos]<[ἄρκτος]」という合成語で,「インドの」+「クマ」という意味.

インドの恐龍ならば,「インドサウルス[genus Indosaurus Huene et Matley, 1933]」.これは,後期白亜紀のインドに実在した恐龍.
もう一つ,「インドスークス[genus Indosuchus Huene et Matley, 1933]」と恐龍が産出してますが,こちらは「インドのワニ」という意味.ですが,ワニの仲間ではなく,獣脚類に属する立派な恐龍の一つです.
「スークス[suchus]」はラテン語化したもので,もとはギリシャ語の「ソウーコス[σοῦχος]」.こちらは,エジプトのある地方に住む「ワニ」を示す言葉だったらしいのですが,いつの間にか「ワニ一般」をしめすようになったみたいです.

同時代の「インドケラス[genus Indoceras Noetling, 1897]」は,パキスタン産のアンモナイト.記載された頃のパキスタンは,まだインドと分離していなかったからでしょうね.
これはもちろん,「インドの角」という意味でした.

 

2013年2月8日金曜日

Scaphitesの展開(Ⅶ)

 
1953年には,ライト[Wright, C. W.]氏がプテロスカファイテス[Pteroscaphites Wright, 1953]という属名を提唱しています.もちろん,スカファイテスの仲間.


接頭語「プテル・/プテロ・[pter-/ptero-]」は,ギリシャ語の「プテロン[πτερόν]」=「羽,翼」をラテン語合成前綴化したもの.
翼竜の「プテラノドン[Pteranodon Marsh, 1876]」で有名ですね.ほかにも,たくさんの動物・植物の学名に使われている語根です.

ちなみに,「プテラノドン」は「プテル・[pter-]」+「・アノドン[-anodon]」の合成語で, 元はギリシャ語の「プテロン [πτερόν]」+「アノドーン[ἀνόδων]」=「翼」+「歯無し」という構造.つまり,「翼があって,歯が無い」ということです.


話を戻しますと,プテロスカファイテスは,図を見ればわかるように,殻の開口部にヒラヒラのフランジを持っていますね.これを「翼」と表現したのでしょう.
だから,プテロスカファイテスは「翼をもったスカファイテス」ということ.

なお,模式種は「スカプイテース・アウリクラートゥス[Scaphites auriculatus Cobban, 1952]」として記載されました.
種名「アウリクラートゥス[auriculatus]」は,ラテン語の「アウリクラ[auricula]」=「耳朶;耳」に「・アートゥス[-atus]」=「~を持った」という形容詞化語尾をつけたもの.つまり,「耳たぶを持った」という意味です.
ですから,もともとは,「耳たぶを持ったスカファイテス」という意味の学名でしたが,ライト氏が別属として,プテロスカファイテスを設定し「プテロスカプイテース・アウリクラートゥス[Pterocaphites auriculatus (Cobban, 1952)]」が成立しました.そこで,「耳たぶを持った,翼のスカファイテス」となった訳です.意味が二重になってしまいましたね.
 

2013年2月7日木曜日

Scaphitesの展開(Ⅵ)

 
1952年には,コバン氏[William A. Cobban]が,クリオスカファイテス[Clioscaphites]という属名を提唱しています.


この「クリオ・」という接頭辞の意味は,定かではありません.
考えられるのは,ギリシャ神話に出てくるオーケアヌスの娘の一人,クレイオー[Κλειώ](=歴史のミューズ神と云われる)です.これは,ラテン語化して「クリーオー[Clio]」になるわけです.
クリオスカファイテスは,図のように非常にキレイな形態をしています.しかし,なぜ「歴史のミューズ神」に結びつけられたのかは…,謎です.
これが正しいとすれば,ラテン語的には「クリーオー・スカプァイテス」と発音することになります.

このクリーオーは,あのクリオーネ(バッカルコーンで有名(^^;)の語源とも云われています.
ただし,「クリーオー[Clio]」がどうやったら「クリオーネ[Clione]」に変化するのかは謎です.説明が見つかりません.
辞典類には,この例は載っていないので,単なる俗説なのかもしれません(原著に記述はありませんでした).

ちなみに,「バッカルコーン」は《英》buccal-coneのことで,buccalは《ラ語》の「ブッカ[bucca]」=「頬」から,coneは《ラ語》の「コーヌス[conus](元は《ギ語》のコーノス[κῶνος])」=「松笠;円錐体」から借用した言葉です.
 

2013年2月4日月曜日

Scaphitesの展開(Ⅴ)

 
1947年には,スカファイテス群の先祖形と思われるエーオースカファイテス[Eoscaphites Breistroffer, 1947]が記載されています.「発見されています」と書きたいところですが,発見から記載までは「間」があるのが当たり前.研究には時間がかかるんです.
「研究なくして知識なし[No study !, no knowledge !]」(私の造語です(^^;)というわけです.
形から見ると,とてもスカファイテス群には見えませんが(あとから記載された方, 1d, eは別),たぶん,アンモナイトの分類に重要であるとされる縫合線の形が共通しているんでしょう.

さて,「エーオー・」は,ギリシャ語のエーオース[ἠώς]=「曉の女神;朝焼け,曙光」のことで,「始めの,新しい」という意味で使われる接頭辞です.しばしば「エオ・」と使われますが「エーオー・」が正しい.
この「エーオー・」は,日本語では始新世と訳されている地質時代のエーオ・シーン[Eocene]にも使われています.

エーオース(Ἠώς from Wikipedia)

アンモナイトでは,ほかにもエーオー・グンナリテス[Eogunnarites Wright et Matsumoto, 1954],エーオー・マドゥラシテス[Eomadrasites Matsumoto, 1955],エーオー・ラーエボセラス[Eorhaeboceras Alabushev, 1989]などに使用されています.
日本では,順に「エオグンナライテス」,「エオマドラサイテス(エオマドラシテス)」,「エオラエボセラス」と表記するのが一般的ですかね.

恐龍でも,エーオーブロントサウルス[Eobrontosaurus Bakker, 1998]とか,エーオーケラトプス[Eoceratops Lambe, 1915],エーオーラムビア[Eolambia Kirkland, 1998],エーオーラプトル[Eoraptor Sereno et al., 1993]など,祖先形と思われるものに使うのが一般的です.
[続く]

 

2013年2月3日日曜日

ガイガーカウンター

 
買ってみました.
今のところ,うちの中だけですが,そのうち,近所のあちこちを量ってみるつもり.


     


Amazonのカスタマーレビューでも報告しましたが,製品の外装はとても日本製とは思えないものです.
ただ,購入してから「OpenGeigerProject」なるものがあることを初めて知りました.

なにか興味深いことをやってそうなのですが,HPを見ても,あまりよくわからない.
キチンとみてませんけどね((^^;).
 

Scaphitesの展開(Ⅳ)

 
1927年には,リーサイド氏[John B. Reeside, Jr.]が,スカファイテスの仲間として,デスモスカファイテス[Desmoscaphites]という属名を提唱しています.もちろん,ラテン語的には「デスモ・スカプァイテス」と発音します.

「デスモ・」はギリシャ語のデスモス[δεσμός]から.デスモスは「紐,帯」などの「縛るもの,束ねるもの」を意味する言葉です.これが,“罪人を縛るもの”から>「投獄」や「ドアの鍵」という意味になったりもします.一方で,「束ねたモノ」>「束」も意味するようになります.
スケッチの標本は一部欠けているようですが,「束ねたモノ」のように見えますかね?

同じアンモナイトでは,デスモセラス[Desmoceras Zittel, 1885]や,デスモフィライテス[Desmophyllites Spath, 1929]にも使われています.
「デスモセラス」は「デスモ・ケラス」,「デスモフィライテス」は「デスモ・プィライテス」がラテン語的発音.


「デスモ・」をつかった学名では,新生代の海生哺乳類「デスモスチルス[Desmostylus]」が日本では有名ですね.
「デスモ・スチルス」は,ギリシャ語の[δεσμός]+[στῦλος]=「束の」+「柱」という合成語をラテン語綴り化したもの.図はマーシュ氏が1888年に,最初に記載した時のデスモスチルスの歯のスケッチです.「束ねた柱」の様でしょう?
マーシュ氏は,このときはカイギュウの仲間と考えていました.

[続く]
 

2013年2月2日土曜日

Scaphitesの展開(Ⅲ)

 
1911年には,ノワク氏[Jan Nowak]がスカファイテスの仲間として,アカントスカファイテス[Acanthoscaphites]とホプロスカファイテス[Hoploscaphites]という属名を提唱しています.

「アカント・」は,ギリシャ語のアカンタ[ἄκανθα]=「棘,針」をラテン語化して接頭辞としたもの.
「ホプロ・」もギリシャ語で,ホプロン[ὅπλον]はもともと「道具の類」を意味する言葉でしたが,転じて「楯」などの防具,さらにその「防具で身を固めた兵士」を意味するようになりますが,一方で,攻撃用の「武器」なども意味します.
アカントスカファイテスは確かに棘をもっていますし,ホプロスカファイテスは硬そうに(?)見えます(かね?(^^;).

アカントも,ホプロも,化石の名前によく使われる表現ですので,憶えておくとよいかも.

たとえば,「アカント・」では,アンモナイトの仲間に有名なアカントケラス[Acanthoceras Neumayr, 1875]に使われています.棘,ありますね.

ほかにも,デボン紀後期に現れた両生類のアカントステガ[Acanthostega Jarvik, 1952]や,恐竜のアカントプォリス[Acanthopholis Huxley, 1867]にも使われています.


アカントステガの頭骨と全身.後頭部の棘がわかりますか?
 

2013年1月31日木曜日

Scaphitesの展開(Ⅱ)

 
1871年になって,ミーク氏[Fielding B. Meek (1817-1876)]が,スカファイテスに似たディスコスカファイテス[Discoscaphites]という属を提唱しています.ミークは米国の地質学者であり古生物学者だった人.たくさんのアンモナイトを記載しています.

ディスコスカファイテスは,ギリシャ語のディスコス[δίσκος]=「円盤」をラテン語化(ディスクス[discus])し,接頭辞「ディスコ・[disco-]」としたもの.
スケッチを見てもらうとわかりますが,確かに「円盤形のスカファイテス」ですね.

ラテン語化したディスクスは,さらに英語化してディスカス[discus]になっていますので,なじみ深いかと.

アンモナイトの仲間では,有名はパキディスクス[Pachydiscus]が,この語を使っています.意味は「厚い円盤」.円盤投げの円盤にそっくりですね.北海道でも,大型のこの仲間が化石として産出します.

パキディスクスは,1884年にチッテル氏[Karl A. von Zittel (1839-1904)]によって提案された属名です.チッテル氏は独逸の古生物学者で,古生物に関する教科書をたくさん書いています.
パキディスクスについては,後日また詳しくやる予定.

ディスコサウルス[Discosaurus Leidy, 1851]という属名も提唱されています.
「・サウルス」がついていますけど,こちらは海棲爬虫類.
しかも,米国・アラバマ州産の部分的な尾椎から創設されたもので,一部はエラスモサウルスの仲間と考えられ,残りは新属新種とするにはあまりにも部分的すぎると云うことで,「ノーメン・ドゥビウム[nomen dubium]」=「疑わしい名前」とされ,属名自体も「ノーメン・バーヌム[nomen vanum]」=「意味のない名前」として,使用されていません.残念.
 

2013年1月30日水曜日

Scaphitesの展開(Ⅰ)

 
スカファイテス(もしくはスカフィテス)[Scaphites]というアンモナイトがあります.
数字の「6」みたいな形をしている不思議なヤツです.


なにが不思議って,この形からは,こいつの人生は「ここで終わり」ってことが想像されてしまうからです.アンモナイトは開口部から軟体部が出ていて生活しているはずです.そうすると,軟体部が最初の巻いた殻の部分にぶつかっているはずですから,これ以上成長できないわけです.
だから,彼の人生はこれでお終い!.

まったく,生き物の世界というのは不思議なことがありすぎます.
+++

さて,このスカファイテスから,学名についての雑学を探ってみたいと思います.
その前に,スカファイテスを最初に記載した人ですが,ジェームス=パーキンソン[James Parkinson (1755 - 1824)]といいます.Parkinsonは英国の薬学者で外科医,博物学者で政治活動家でもありました.
要するに,当時の知的階級というヤツですね.
パーキンソン氏は「パーキンソン病」の発見者でもあります.

なお,この学名は日本では「スカファイテス」と表記されるのが一般的なようですが,もとは「舵手」を意味するギリシャ語[σκαφ_ίτης]ですから,「スカプイテース」となるのが正しいはずです.
なお,英語的には「スカ・ファイ・テス」と発音しているようです.つまり,現在の日本で使われているのは,カタカナ化英語ということですね.

ギリシャ語のスカプイテース(=舵手)ですが,なぜこの名前が選ばれたのかは,パーキンソンの原著にも書いてありませんので不明です.

ちょっと探ってみます.
ギリシャ語の「スカプェー[σκάφη]」は「えぐり掘られたもの」という意味で,小舟(たぶん丸木舟)を意味します.これに接尾辞「・イテース[-ιτης]」=「《化石.鉱物.塩類.製品.身体の部分の属性》などを示す」が合成されたものですから,スカプイテースは「小舟の舵手」だったのだろうことが推測できます.
しかし,たぶんですが,パーキンソンはそうではなく,「えぐり掘られたもの」に「石(化石)」を意味する語尾をつけて合成語をつくったのだろうと想像します.
6の字型の内側が「えぐり掘られたように」見えるからです.

パーキンソンは模式種を指定していません.ま,昔のことですから,記載もいい加減だったんでしょう.
1813年になって,サービィ[Sowerby, J.]が模式種[Scaphites equalis]を指定しているようです.
種名[equalis]は意味不明.たぶん,ラテン語の[aequalis]=「等しい」なのでしょうけど,「等しいスカファイテス」って意味不明.
まあ,そんなことも,間々あります.

[続く]
 

2013年1月29日火曜日

ダイアモンド・ダスト

 
凍てつく朝
 輝くダストが
  舞う時間

宮武軟骨


ただの氷の細片に,ただ光り輝いているというだけで,何の意味もなくうれしくなる.
指先が痺れてきたので,うちに入る.

なぜか,今日もがんばろうと思う.
 

2013年1月27日日曜日

経験

 

まあ,そんなことじゃあないかとは思ってましたけど.
この経験は活かされるのでしょうか.それとも忘れ去られるのでしょうか.

「あのとき、大川小学校で何が起きたのか」(池上正樹・加藤 順子,著)
   

小学校に博物学を!
高校に地学を!

 

2013年1月18日金曜日

千代川謙一さん

 
千歳化石会名誉会長の千代川謙一さんの訃報がとどきました.

又聞きの又聞きなので,詳細は不明.ただ,「昨年末に亡くなった」…とだけ.
本人の意志で「誰にも知らせるな」ということだったらしいです.

年末に,本人から電話があったし,今年も元気で奥さんといっしょに「道の駅巡りをする予定」という年賀状ももらいました.
もしかしたら,その時には,すでに覚悟していたのかもしれません.
そんな気がします.
+++

千代川さんは,ある意味「戦友」でした.
ある日突然,穂別町立博物館を訪れた千代川さんは,私を「値踏み」するような目で話しかけてきました.

化石(マニア)の世界は,かなり怖い世界でもあります.
「化石が好き」といいながら,実は,化石の裏に付いた「値札」や化石がもたらす「虚名」が「好き」な人たちがたくさんいる世界でもあります.
公設博物館の学芸員でありながら,化石バイヤーみたいなことをしている人たちも,いなかったといえば,ウソになります.

だから,千代川さんも私を「値踏み」したのでしょう.
でも,すぐに打ち解けて,その時連れて歩いていた「近所の子どもたちやその親に紹介していいか」と聞かれました.

その時から,長いつきあいが始まりました.
機会あるごとに,一緒に山歩きをして,化石採集をしました.

千歳化石会内の了解事項として,採集した化石を,一時的に自分のものとするのはかまわないが,専門家が興味を示した場合は寄贈することというのがあります.
もう一つは,定期的に,学校・博物館・資料館などに化石をまとめて寄贈するので協力すること,というのもあるそうです.

実際,かれらは,無償で化石の発掘に協力したり,重要な化石が見つかったらしいという噂を聞けば,出かけていって確認し,地元の教育委員会等と交渉し,発掘まで漕ぎ着けたりもしています.

小平町での長頸竜発掘は一から十までかれらの成果ですし,1993年の穂別町での長頸竜化石の発掘にボランティアで参加してくれています.ほかにも数え切れないぐらいたくさん….
+++

千代川さんのお宅に,なんどもお邪魔しました.
化石会会長の邸宅には,まったくふさわしくなく,化石はほとんど置いてありませんでした.
気に入ったものはしばらく置いておくけど,みなどこかに寄贈してしまうのだそうです.

ほかにも,化石会主催者の邸宅にまねかれたことが何度かありますが,千代川邸とは,まったく異なります.どこだって,山ほどの化石とノジュールが積み上げられています.どれも,博物館級の化石ばかり.
ただ,よく見ると,裏に小さい数字の付いたシールが貼ってあります.
「27.00」とか.
あとで,事情通にきくと「それは「2万7千円」という値札だよ」とのこと.
なるほど,「化石で家を建てた」とか,「化石で息子を大学に行かせた」と豪語するひとたちがいたわけです.

日本では,化石を保護する法律なんてありませんから「勝手にとって勝手に売っても問題がない」という人もいます.昔の,某国立博物館の学芸員だった人がそういってましたし,某大学教授も主張していました.
そうなのかもしれません.
ただ結果としては,現在,学生さんがアンモナイト古生物学者を目指してフィールドに出かけても,化石を採集することは,もはやほとんど不可能です.表層部の化石はすべて持ち去られているのです.
沢を歩けば,数歩ごとにアンモナイトの入ったノジュールが落ちていた昔を知る私としては,暗い気持ちになります.

失礼.別に一部のマニア(と,マニアに毛の生えた程度の専門家)の悪口を書く気だった訳ではありません.
千代川さんとそのグループは「そんなことはしなかった」と,示しておきたいだけです.
+++

千代川さんは,事故で視力を失いました.
それでも,がんばって,周囲の支えもあり,化石会を続けていました.会長の座は別の元気な人に譲りましたが….

私も,いろいろあって,あの町で学芸員を続ける自信と気力がなくなり,生まれ故郷の旭川に戻ることにしましたので,千歳と旭川に離れてしまい,いっしょに山歩きすることもなくなりました.
でも,あの世でいっしょに山歩きする日も,そう遠いことでもないような気がするので,楽しみがひとつ増えました.
たぶん今頃は,笠巻さんといっしょに長頸竜化石の発掘に勤しんでいることでしょう.
私の分,残しておいてください.
合掌.

千歳化石会が,某資料館に寄贈した化石(一部)

小平町長頸竜発掘の準備を進めるための打ち合わせ中
左:千代川謙一会長(当時)
中:仲谷英夫さん(現・鹿児島大学教授)
右:若き日の私
後:小平町教委課長
 

2013年1月12日土曜日

学名の英語的発音がダメな理由

 
Montanoceratopsという恐龍がいる.

Montanoceratops Sternberg, 1951であるから,Sternberg氏が1951年に記載した恐龍である.

この恐龍の英語的発音をネット上からひろってみると…,簡単にいくつかひろうことができる.
以下に四つばかし.

Montanoceratops =《英》: mon-TAN-o-SER-a-tops
Montanoceratops =《英》: mon-Tan-o-Sair-a-tops
Montanoceratops =《英》: mon-TAN-oh-SER-ah-tops
Montanoceratops =《英》: MON-tan-oh-SAIR-uh-tops


この表記法は,大文字と小文字の違いは大きい声と小さい声=つまり,アクセントを意味しているらしい.また,アルファベットの綴りは,「英語的発音」ではなく,日本人が慣れ親しんだ「ローマ字的発音」を意味しているらしい.そうでなければ,記述に意味がないと思う.

さて,英語的発音はサンプルを採集した人によって,まったく異なることがわかると思う.

語根であるMontanaは,北米の地名であるのにもかかわらず,かくも読み方が違うのだ.
結局,英語の単語は「すでに発音法を知っている人でないと発音できない特殊な言語」であるので,世界共通語としては,不適切なものであることがわかるであろう.

世界共通語としての「学名」は英語的発音ではなく,ラテン語風の発音つまり,「日本人が普通にローマ字読みするようにやる」のが一番適切なのである.

 

2013年1月7日月曜日

 
軽口を
 叩く気も失せ
  静かに降る雪

宮武軟骨



ブリザードの後処理が終わらないうちに,また静かに雪が降り続いています.
肩が上がらない((--;).それでも,生活のため最低限の除雪はしなければ….
授業の準備もあるし….

ま,自然があいてでは仕様がありません.けどね.
 

2013年1月4日金曜日

酷い映画

 
昨夜,TVで放映した「キリンノなんとやら」という映画を見た.
つい最後まで見てしまったが,見たことを後悔するような映画だった.

劇団ひとり扮するところの教師が,最低の悪党に描かれていた.

少年が犯した「犯罪の原因が教師にある」ということだ.
そんなバカなといいたい.少年にモラルが無いのは,基本的に「親」の責任だ.
たまたま,出会った教師の責任であるはずがない(もちろん,親に教えてもらえなかった「モラル」を教師のおかげで身につける子どももいるであろうが).

原作者は,著名なベストセラー作家らしいが,その作品は推して知るべしだ.
たぶん読んだことはないと思うが,これからも読む気はない.あまりにも「薄っぺら」である.

劇団ひとり扮するところの教師は,夜間に至っても自分が担当している水泳部のために働いている素晴らしい教師である.

原作者は教師の現場を知らないに違いない.
ときどきニュースになるが,部活の生徒を連れて,活動予算がないが故に,自分の車で,自分で運転して,たまたま事故に遭遇した教師が槍玉にあがっている.

何の見返りもないのに,責任ばかりが重くのしかかる.
現場では,そのため心を病む教師も次第に増えているという.
いつになったら,こんな事態は解消されるのだ.

それを,あの主人公の刑事は「教師の資格がない」と罵った.
刑事は犯罪を暴くのが仕事かもしれないが,人を裁くのは仕事ではない.
実につまらない映画だった.