千歳化石会名誉会長の千代川謙一さんの訃報がとどきました.
又聞きの又聞きなので,詳細は不明.ただ,「昨年末に亡くなった」…とだけ.
本人の意志で「誰にも知らせるな」ということだったらしいです.
年末に,本人から電話があったし,今年も元気で奥さんといっしょに「道の駅巡りをする予定」という年賀状ももらいました.
もしかしたら,その時には,すでに覚悟していたのかもしれません.
そんな気がします.
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千代川さんは,ある意味「戦友」でした.
ある日突然,穂別町立博物館を訪れた千代川さんは,私を「値踏み」するような目で話しかけてきました.
化石(マニア)の世界は,かなり怖い世界でもあります.
「化石が好き」といいながら,実は,化石の裏に付いた「値札」や化石がもたらす「虚名」が「好き」な人たちがたくさんいる世界でもあります.
公設博物館の学芸員でありながら,化石バイヤーみたいなことをしている人たちも,いなかったといえば,ウソになります.
だから,千代川さんも私を「値踏み」したのでしょう.
でも,すぐに打ち解けて,その時連れて歩いていた「近所の子どもたちやその親に紹介していいか」と聞かれました.
その時から,長いつきあいが始まりました.
機会あるごとに,一緒に山歩きをして,化石採集をしました.
千歳化石会内の了解事項として,採集した化石を,一時的に自分のものとするのはかまわないが,専門家が興味を示した場合は寄贈することというのがあります.
もう一つは,定期的に,学校・博物館・資料館などに化石をまとめて寄贈するので協力すること,というのもあるそうです.
実際,かれらは,無償で化石の発掘に協力したり,重要な化石が見つかったらしいという噂を聞けば,出かけていって確認し,地元の教育委員会等と交渉し,発掘まで漕ぎ着けたりもしています.
小平町での長頸竜発掘は一から十までかれらの成果ですし,1993年の穂別町での長頸竜化石の発掘にボランティアで参加してくれています.ほかにも数え切れないぐらいたくさん….
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千代川さんのお宅に,なんどもお邪魔しました.
化石会会長の邸宅には,まったくふさわしくなく,化石はほとんど置いてありませんでした.
気に入ったものはしばらく置いておくけど,みなどこかに寄贈してしまうのだそうです.
ほかにも,化石会主催者の邸宅にまねかれたことが何度かありますが,千代川邸とは,まったく異なります.どこだって,山ほどの化石とノジュールが積み上げられています.どれも,博物館級の化石ばかり.
ただ,よく見ると,裏に小さい数字の付いたシールが貼ってあります.
「27.00」とか.
あとで,事情通にきくと「それは「2万7千円」という値札だよ」とのこと.
なるほど,「化石で家を建てた」とか,「化石で息子を大学に行かせた」と豪語するひとたちがいたわけです.
日本では,化石を保護する法律なんてありませんから「勝手にとって勝手に売っても問題がない」という人もいます.昔の,某国立博物館の学芸員だった人がそういってましたし,某大学教授も主張していました.
そうなのかもしれません.
ただ結果としては,現在,学生さんがアンモナイト古生物学者を目指してフィールドに出かけても,化石を採集することは,もはやほとんど不可能です.表層部の化石はすべて持ち去られているのです.
沢を歩けば,数歩ごとにアンモナイトの入ったノジュールが落ちていた昔を知る私としては,暗い気持ちになります.
失礼.別に一部のマニア(と,マニアに毛の生えた程度の専門家)の悪口を書く気だった訳ではありません.
千代川さんとそのグループは「そんなことはしなかった」と,示しておきたいだけです.
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千代川さんは,事故で視力を失いました.
それでも,がんばって,周囲の支えもあり,化石会を続けていました.会長の座は別の元気な人に譲りましたが….
私も,いろいろあって,あの町で学芸員を続ける自信と気力がなくなり,生まれ故郷の旭川に戻ることにしましたので,千歳と旭川に離れてしまい,いっしょに山歩きすることもなくなりました.
でも,あの世でいっしょに山歩きする日も,そう遠いことでもないような気がするので,楽しみがひとつ増えました.
たぶん今頃は,笠巻さんといっしょに長頸竜化石の発掘に勤しんでいることでしょう.
私の分,残しておいてください.
合掌.
千歳化石会が,某資料館に寄贈した化石(一部)
小平町長頸竜発掘の準備を進めるための打ち合わせ中
左:千代川謙一会長(当時)
中:仲谷英夫さん(現・鹿児島大学教授)
右:若き日の私
後:小平町教委課長
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