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2015年11月3日火曜日

大鳥圭介

 
しばらく江戸時代から遠ざかってたら,こんな本が出ていた.
ざっと読む.彼も「蝦夷地質学」関係者.
幕末は,ドキドキするなあ.


 
 

2015年10月31日土曜日

Erasmus H. M. Gower のこと

 
昨日,文化圏としての縄文時代について書かれた本はないかと,市内の大型書店に行ってきました.期待した本(研究)は見つからなかったのでガックリ.でも,近くの本棚を散策していたら思わず声を上げてしまいました.(^^;;

「蝦夷地質学」で「謎の外人」として紹介したガワー(Erasmus H. M. Gower)に関する本を見つけてしまったのです.
現在読書中.
著者・山本有造氏は経済学者なので,地質学史的なことは,あまり期待できませんが,これが,いちばんよくまとまった記録ではないでしょうかね.



 

2015年1月22日木曜日

アンモの地球生命史

 
FBの方にも書いたのですが,あまりに面白いので,残しておこうと.

「アンモの地球生命史」小川隆章


むかし,「大人の童話」で探ってたのと同じ方向ですか.(^^;

もう,紙版は絶版のようですが,Kindle版は販売されているようです.

2013年8月3日土曜日

人類進化の神話

 
エルドリッジ, N.・タッターソル, I.(1982)「人類進化の神話(浦本昌紀,1986訳)」を読んだ.
古書店から入手後,かなり長期間,積ん読状態だったヤツ.

断続平衡説の解説かと思っていたら,確かにそうなんだが,表題通り「人類進化」の話だった.
人類進化の話としては面白いが,そのせいで,底流にある「断続平衡説」がわかりづらくなってるような気がする.
断続平衡説の話をすればいいのに.

また,人類進化の話は,新しい標本が見つかると,それまでとはまったく話が変わったりするので,こんな古いデータではあまり意味が無いのでは….題材がマズイと思う.
やっぱり,断続平衡説の話をすればよいのにと思う.

よくわからないのが,共著者の「タッターソル, I.」.日本訳版には共著者としてでているのに,原著にはない.いったいどういう役割なんだろう.
不思議な本.まあ,ダーウィニズムをバッサリ切っているのは,面白いですが.
 

2013年6月15日土曜日

また,池田清彦の本

 
「不思議な生き物」を読んでたら,「38億年 生物進化の旅」という題の本を出版していることがわかったので,買ってみた.


   


帯に,「3800000000年を200ページで」とある.
まあ,無理ですね.(^^;

さて読んでみると,進化の通史を書いているわけではなく,生物進化の様子を大先生の「構造主義生物学」の目で眺めたらどうなるかという話ですね.
物理的に無理なわけですが,先生正直で「わからない」が結構でてくる.先生の理論でも「スッパリ」切れるわけではないのですね(化石のみが証拠ですから,これは当たり前).

残念なのは,大先生,「ほとんど地球の歴史がわかっていない」こと.間違いが目につきます.

それから,先生は「サイモン・コンウェイ・モリス」と表記していますが,件の人物は「サイモン・コンウェイ モリス」です.だから,「モリス」と呼んではいけません.「コンウェイモリス」です.
これは,正式な論文の略記をみればわかります.Moris, S. C.ではなく,Conway Morris, S.になっています.

おもしろいのは,あとがき.
「古生物学者は,自分の得意分野のみを大きく取り上げることが普通で,通史はあまり書きたがらないようだし,進化論の理論家は面白そうなトピックだけを取り上げることが多いし,科学ジャーナリストは生物の歴史そのものよりも,古生物学者の生態の方に興味があるようである」と,あります.
まったくそのとおり.(^^;
たぶん,もう一・二行書きたいことがあったことと思います.(^^;

地団研の会員が中心になって「双書 地球の歴史1~7」を書き上げたのが1985年のこと.いまだにこれを越えるものが出ていません.もうだいぶん古くなっていますが,こういうものをまとめ上げることができる人たちが,日本には,もういないのでしょうねえ….(--;.

   


 

2013年5月18日土曜日

「わかりやすい」ということ

 

授業で使えるネタはないかと,最近発行された地球科学ネタの本を,いくつか購入しました.
もの凄い違和感.


なにがってよくわからなかったんですが….
お金のかかったイラストと,めったに見に行けるものではない場所の写真が多用してあり,確かに「分かりやすい」と評判がある本だと思われます.
でも違和感.


「授業で使えるネタはないな」と数ヶ月放置したあと,片付けるために中を見てみました.
今度は分かりました.
「わかりやすい」ということは,ウソや間違いたくさんの意味のない情報が混じりやすいということでもあります.


たとえば,ある本の220頁の図.
「ウマの進化」の図が載っていますが,本文には説明はありません.まあ,図だけでわかるといえばわかるんですが….

ここに使われている「ウマの系統図」の原図は非常に有名な図です.
でもここでは,全く意味のない“イラスト”になっている.
なぜこんな面積を持った分岐図になっているのでしょう.

それは原図を見ればわかります(G.G.シンプソンの原図が見つからなかったので,それを引用したMüellerの図を借用しました.だから英語ではなくドイツ語です).
描かれた「枝」のひとつひとつは分類群(ここでは属名)になっています.原図の「枝のひとつひとつには意味がある」のです.
それが,ここではただの背景になってしまっている.

もっと非道いことがあります.
この系統図で,左右に枝を伸ばしているわけは原図の上部をみてもらえばわかります.左側は「南米」,中央部は「北米」,右側は「旧世界(おもにアジア)」に分けて説明されているのです(普及書のイラストには,それが欠如している).
この原図は,北米で発生したウマ科の生物が,北米大陸が南米大陸やアジアとつながったときに「移民を開始し,別な属が生まれる」ことを示しているのです.

そういう情報が一切なくなってしまって,単に古い方が「森林のウマ」,新しい方が「草原のウマ」という情報しかなくなってしまっています.
それだけなら,中新世の始め頃に一本線を引いて,下半分を「森林のウマ」,上半分を「草原のウマ」とするだけでいいのにね.

そのうち,“地質学ジョーク”として使うことを考えようっと.
それにしても,残念.

 

2012年12月10日月曜日

教科書に…

 
訳あって,S研出版の高等学校「地学Ⅰ」を眺めていたら,懐かしい図にであいました.
下図⇩


我々の世代ならば,「浸食輪廻(もしくは地形輪廻)」と「回春」という言葉のセットで憶えているかと思います.
でも,これって確か,「死語」というか「死んだ概念」じゃあなかったでしょうかね.
もう何十年も前に教科書から姿を消したと聞いていましたが….
確かにというか,さすがに「浸食輪廻(もしくは地形輪廻)」と「回春」という言葉は使われていませんが.

確かその理由が「幼年期地形」,「壮年期地形」,「老年期地形」とその概念にあてはまる「地形」はあるけれど,「その順に進んだという例は確認できない」からだったと記憶します.

だいたいこれ,「地学(地質学)」の概念じゃあないし….どうして,まだ地学の教科書に載ってるのだろう.
「千島火山帯」とか「鳥海火山帯」とかいう言葉を聞いたときの気分ですね((^^;).
 

2012年8月5日日曜日

氷河期の「発見」


少しずつ読み重ねて,やっと読み終わりました.
これは「科学史ドキュメント」です.こんな本は「恐竜関係」以外では初めて読みました.
ワクワクするような「科学の始まりの物語り」でした.

ちょっと,回りくどいので,この世界に入りこむまでが大変ですけどね.
授業には使えない((^^;)
でも,氷河期の授業は「フランケンシュタインの怪物」を象徴として使い,アルプスの氷河や北極探検とつなげていったので,よりリアルに話せるようになるかもしれない.
英語でなぜ「Glacial (period)」というのかもようやく判りました.

氷河説に反対していたライエルが単に「極寒期」の意味で使っていたとは….
それがなぜまだ生き残っていて「氷河期」の意味で使われているのは,まだ謎ですけどね.

著者はEdmund B. Bolles,原題はThe Ice Finders.お勧めです.

   


2012年6月6日水曜日

昨日読んだ本


授業が終わった後の疲労感と開放感のまぜこぜで,つい,積ん読状態の本に手を出してしまいました((^^;).

それは,笹沢教一「ニッポンの恐竜」.

    


チャラけた題名のせいで,いわゆる「恐竜バカ本」(「恐竜トンデモ本」ともいう(^^;)の一つとしてコレクションしておいたもの.

読んだら,まったく違いました.

なんとこれは,日本では稀少本ともいえる「地質学史」もしくは「古生物学史」のまじめな本でした.
おまけに著者は新聞記者ということで,文章が平易でうまい.
午後3時ころから読み始めて,合間合間に別のことをやり,夜になってから本格的に読み始めて,結局,寝る前に読み切ってしまいました.

本来なら,こういう内容の本は,(今となっては全国に数ある)大学博物館の職員が書くべき本ですが,博物館から出ないところが悲しい…((--;).
日本の大学は研究の際に出た資料を重視しなかったので,明治の初めに大学ができてから,ほぼすべての資料は放置され,紛失するままになっていました.
ここ10数年の「開放された大学」のイメージ作りのために,旧帝大を中心に大学博物館が設置されてきましたが,歴史がないので,付け焼き刃であることは証明するまでもありません.

こういった大学および大学博物館がもつ問題や,よくわからない業績主義によって放置されている本来の学問とか….
口を開けば「エコ」とか「環境」とかいうくせに,地球の環境を創りあげてきた「ものたち」に一切の敬意を払わないこの国のシステムとか….

そのため,民間の化石ハンターによって,あらしたい放題になったたくさんの化石=古生物とか….
それを確保するために孤軍奮闘したアマチュア化石研究家とか,小さな自治体とか….

一時的な,街おこしブームによって悲劇に見舞われた貴重な資料や研究者とか….

この国の,生きていく姿勢とか,学問に対する姿勢とか,国民の教育に対する姿勢とか,いろんなことを考えさせる一冊でした.

---

そういえば,昔,博物館の研究報告で収蔵されている化石の主なものについて,発見者のあるいは寄贈者の名前を明記しておいたら,非常に喜ばれたことを思いだしました.

2012年6月3日日曜日

最近読んだ本


「最近」でもないのですが,忙しくて,ブログの更新に手が回らないのです.
非常勤でやってるところの授業内容を大幅に変えたもので….

飯沼二郎・堀尾尚志(1976)農具





を読みました.

ぜんぜん畑違いですけどね((^^;).

単に,縄文・弥生時代の農具(多分に「鉄製品」)について知りたかっただけなんですが,内容が面白かったので,読み通してしまった((^^;).
考古関係の人が書いたものと,若干内容が異なるような気がしますが,よくわかりません.
でも,面白かった.
専門家というのはかくありたいものです.

2012年5月15日火曜日

最近買った本

某所で,ワニのことが話題になったのがきっかけで,この本を買ってしまいました.

    


なかなかいい本です.
A4版で大きいのが玉に瑕ですが,図版が大きいので,まあいいか(^^;

それにしても,大学の博物館で出すのだから,マチカネワニの綿密な記載論文のほうがいいのに.
海外の大学博物館なら,まずそれが先でしょうけど,日本の大学博物館だと,これが限界か….

2012年4月1日日曜日

最近購入した本

山賀進氏の本を二冊購入しました.
いまだに,このような本を出版してくれる会社があるのかと,ある意味感動しました.
中身はまあ,一般向け「地球の本」というところで,新知見はほとんどありません.
しかし,教育者らしく情報のバランスがとれているので,持ち合わせている知識の整理,再検討にはうってつけかと.

      

さっと速読して,若干違和感がありました.
いえ,中身に間違いがあるとかそういうことではありません.

一つは,地質屋として勉強してきた私には,具体的な物証のない「理論」は,「こうである」といいきるべきではないと思っているので,この本に書かれていることの大部分は,面白いけど興味を持てない(物証のない)世界であることです.
地質学は,博物学の直接の末裔であるので,手に取ることのできる標本が示すことではない「論」にはついていけない面があります.

たとえば,スーパーコンピューターを使って,三葉虫の進化をシミュレーションしたら面白い結果が出るでしょう.でもそれは,シミュレーションにすぎないので,シミュレーション結果にあわない三葉虫の新種が発見されたりしたら,その時点で「まるで意味の無い空論」になってしまいます.
地質学的な発見は,アマチュアの高校生が発見したものでも,事実は事実です.理論より強い証拠なのです.

マグニチュード8より上の地震は理論的には起きないといわれていたのに,実際に起きたら,ありとあらゆるものの評価が変わってしまったのも,事実と理論は違うという証拠です.
1000年に一度の巨大津波は,1000年に一度は「起きる」ものなのに,「ためにする議論だ」といってまるで,非科学的なものののように扱われてきました.
でも起きちゃった.
科学者は,たいして反省することもなく,また新しい研究費の獲得に向けて,運動を開始したようです.
あ,そういえば,プレートテクトニクスを研究すれば,地震予知が可能になるし,そうすれば災害はなくなるって,いってませんでしたっけ?


最近の歴代地質学会会長は,どの人も,プレートテクトニクスは「理論ではなく,観測された事実だ」とおっしゃいます.口が滑ってるのかもしれないですけれど.
そういう人は,地質学会会長ではなく,地球科学会の会長に立候補したら? と,思います.どうでもいいですけれど.
本人たちも,地質学者は名のらずに,地球科学者を名のってますから,ますますそうあるべきでしょうね.
手にサンプルを持った地質屋は,手に石器を持った原始人みたいな連中のことですから….


山賀さんは,「かつては地球を研究する学問は,地質学,岩石・鉱物学,古生物学,…(中略)…などと細分されていました」といい,「これらが,いまでは地球科学,さらには惑星までも視野に入れた地球惑星科学となってきました」と断言しています.
そして,「こうした視野で自然を見ることも大切だということが少しでも伝われば幸いです」とおっしゃられています.

たしかにそういう視点は大切です.そう思います.
でも,山賀さんがあげた「細分化された学問」は,相互に矛盾することもある学問であり,互いに独立した学問でもあります.おのおのが「不足した体系」ではなく,その中で「完結した体系」だったのです.
矛盾したものをすりあわせてなにができるのか.
そう,矛盾したものは,すりあわせられて,削り取られてなくなってゆくのです.
いちばん悲しい目にあっているのは,「古生物学」カナ?
山賀さんの二冊の本の中にでも,古生物学の成果は,ほとんどないに等しい記述です(地質学も怪しい).
古生物学の成果は,古生物学の本で書くしかない.それはもう,日本では不可能に近い.


もう一つ,違和感を感じたのが,「地球について,まだわかっていないこと」の「まえがき」です.

「起きない」といわれていた,「マグニチュード9」の地震,地震では壊れないといわれていた「炉心」,起きないといわれていた「原発事故」….ありえない「津波」(実際には,過去に起きていたことが,すでに論文にもなっていた),これらに言及し,「まだ(我々には)わかっていないこと」のほうが多いのだと明言していること.もちろん,この本自体が「まだわかっていないこと」をテーマしにした本,そのものなんですけどね.

わたしは,地球科学というのは「なんでもわかっている/わかる」という「傲慢」という枠組みだと思っていたので,山賀さんのような方がおられることで,私自身の視野の狭さを思い知らされました.
地球科学的枠組みでも,人類は無知であるという自覚が可能なんだ.

地球科学者は「地質学は錬金術にも等しい存在で,地球科学こそ真の科学である」といってたモンですからねえ.

反省を込めて,二度目の精読に入ろうっと….

PS.:地球の本なのに,生命の痕跡がほとんどないのが悲しい.隠生累代に戻ってしまったのかしら.それとも,「地球科学的枠組み」というヤツに問題があるのだろうか.

2011年5月7日土曜日

「山が楽しくなる地形と地学」

 
 久々に面白い本を見つけました((^^)).

 広島三朗(1991)山が楽しくなる地形と地学=山,それ自体がおもしろい!=.(山と渓谷社刊)

    


 ずいぶんと古い本ですが,まだ現役.
 気がつかなかったのは,「登山家」あるいは「登山初心者」のための本だったからでしょう.
 読んでいて,一頁を読み終わると,次の頁が読みたくなる.しかも,なんとなくワクワクする.

 「地形と地学」と書いてありますが,地質学そのものです.
 しかも古いタイプの「博物学」の匂いを濃く残している.眼に止まるものすべてについて「これはなに?」,「あれはなぜ?」という原始的な欲求を満足させてくれる本.
 著者は高校教師ということで,あまりに専門に流れていないのがいいんでしょう.

 いってみれば,「博物学的地質学の本」.お勧めです.

 

日本列島の生い立ち

 
 北大地鉱教室の先輩でもある田沢純一さん(新潟大学名誉教授)が,専門である「腕足動物」についての本を出版したらしいので,探していました.

 残念ながら,Amazonでは取り扱っていません(例によって,この系統はメジャーじゃあないのね(^^;).
 でも,しらべてみると「セブンネットショッピング」で扱っているようでしたので,取り寄せてみました.時間はかかりましたが,なんとか取り寄せることができました.

   


 出版元は「新潟大学大学院自然科学研究科ブックレット新潟大学編集委員会」.発行者は「新潟日報」でした.

 「ブックレット」というとだいたいこの大きさですね.A5版?
 「ブックレット」は「小冊子」を意味しますので,A5版はないですよね.持ち運びに不便です.ポケットに入らない.もって歩いて,通勤途中や待ち時間にでも読もうか…というサイズではないですね.
 新書サイズだと,図版が苦しいので,B6ぐらいが適当なのでしょうか.
 出版社にはもっと読み手のことを考えてほしいものです.
 また,経費節減のためなのでしょう,接着剤で端を留めただけの装丁ですが,これは本来の意味の装丁ではないですね.開きにくい.読んでいる最中に手元から離れると,本が閉じてしまう.読み捨てが前提ならば,本の値段は¥1,000以下でなければね.
 まあ,このあたりは,みんながそうやっているから…,ということなんでしょうけどね.読み手のことは考えていない証拠ですね.


 さて,本の方ですが,題名が「日本列島の生い立ち=腕足類の化石からみた大昔の日本=」でした.「腕足類そのもの」についても,「日本列島の生い立ち」についても,たいへん興味深いことなので購入したのですが,なぜか,「次の頁を読みたい」というワクワク感がおきない.

 「第6章エピローグ:日本の地質と腕足類の研究」で著者が少し触れているように,日本では「化石の研究」など重要視されていないことが,底流にあるようです.腕足類の絶滅より先に,腕足類の研究者が絶滅しそう…って,いうあれですね.
 日本では,どうして「自然についての記述」が理解されないのか.著者は,腕足類の研究のおもしろさ,そのものについて書くべきなのに「それが(なにかの)役に立つ」という視点でしか,本の著述すら要求されない.だから,主題が「日本列島の生い立ち」で副題が「腕足類の化石からみた大昔の日本」になってしまうわけです.
 (教育予算はどんどん削られてゆくのに,ノーベル賞受賞者だけが賞賛されるお国柄ですから)

 変な例ですが,昆虫採集大好き少年たちへ昆虫採集のおもしろさを伝えたいときに,昆虫採集がなんの役に立つかという視点からしか,本がかかれていなければ…確実に面白くないでしょう.


 「第6章エピローグ」で,著者が図らずも書いていますが「化石の記載論文」は確実に生き残ります.キチンと記載しておけば,いつか誰かが利用してくれます.
 ところが,みんながいま夢中になってやっている「最先端の科学」は,いつか「時代遅れ」になります.だれも,見むきもしなくなります.もちろん,プレートテクトニクスだって例外ではないでしょう.
 科学は小さな事実の記載の積み重ねです.点と点を結んで作りあげた「高尚な理論」しか「科学」ではないと思われてますけどね.

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 最後に,このブックレットは,一般市民向けに書かれているのだそうですが(「刊行に当たって」にでている;内容から見れば,そうは思えない),そうならば,地学事典はともかく,国語辞典に載っていないような言葉は脚注で解説するべきと思います.理由は,いうまでもなく,わからない言葉が続いて解説もなければ,読み続けられないからです.

 最後の+αです(^^;.
 ずいぶんケチを付けてしまいましたが,もっと,たくさんこのような本が出版されてほしいと思います.そうでなければ,いい本は結局生まれない.
 また,こんな本(失礼!)ですら入手しようとすると,けっこうな手間暇がかかります.こんな状態は改善されるべきです.
 「出版社は文化を担ってる」などとは露,思いませんが,結局,いい本は,いい書き手,いい読み手,いい編集者を育てることから始まるのだと思います.
 

2011年2月23日水曜日

学びなおすと地学はおもしろい

       

 
 なにかの書評で,「せんべいの力学」の絵のホンワカに惹かれて,購入してしまいました.
 まだ,こういう本が成立することが,不思議な気がしますけどね.

 わたしらは,「学びなおさなくても」=「現状のままでも」地学はおもしろいと,思ってますから(^^;.

 「はじめに」と「第1章」は,まったくその通りだと思います.高校ぐらいまでは,理科は「地学」だけで,必要十分です.受験テクニックなど忘れて,地球のおもしろさを,授業で充分に味わってほしいものだと思いますね.

 2章以降は,易しさと難しさが,カオス状態.
 ま,地学≒地質学は教科書で勉強するんじゃあなくて,そこにある地球の一部を使って勉強するのが本当ですから,カオスは仕方がないですね.

 気になったのが断層の話.
 「フォルト」は著者のいうように「失敗」の意味です.日本語で「断層」と訳すのは「意訳」です.
 もともとは,英国の炭田地帯で炭層に沿って狸堀りしていたら,炭層が見あたらなくなったので「フォルト=失敗」でした.
 なくなったからといって,あきらめるわけにはいかないので,「フォルト面」に(そのまま)沿って掘り続けると,また,炭層に再会します.これが「ノーマルな失敗=ノーマル・フォルト」.
 なかなか,炭層に再会しないので,しょうがないから(フォルト面を)逆に掘ると出てくるのが「リバースな失敗=リバース・フォルト」.
 もともと,「地層が切れている=断層」という意味はありません.
 ノーマルとリバースの語源は「学びなおすと…」の著者が推定しているようなことではありません.
 層位学ができてから,ようやっと,「地層が切れている」という概念が後付けされたのです.

 だから,妙なことも起きます.
 今は「横滑り断層」なんて,妙な言葉もありますが,本来はあり得ない.なぜなら,横に滑っただけでは,炭層はちぎれていないので,そのまま掘り続けることができます.だから「失敗=フォルト」ではない.

 このブログのどこかでも,いちど書いたような気がします.
 でも,20人/日程度の読者のブログでは,教授の著作には太刀打ちできませんね.


 説明すると,必ず,その説明とは矛盾する事例がでてくるのが地学.
 この本は,説明しすぎのような気もしますが,著者はかなりの雑学派のようで,いろんなことを知っている=まさに「地質学者(=博物学の末裔)」なんでしょうね.
 突っ込みどころもいっぱいありそうで,おもしろく読んでます.
 

2010年8月26日木曜日

「黒鉱」その後

 
 前に書いたように,鉱床学や鉱山の歴史を概観した研究というのは無いようなので(いい方が不正確ですね.経済学的見地から「鉱山の歴史」を概観した研究ならあります),なんでもいいから,入手可能な「鉱山関係」の本ということでさがしたら,以下の二冊が入手可能だったんでみてみました.

鹿園直建(1988)「地の底のめぐみ=黒鉱の化学=」(裳華房)
石川洋平(1991)「黒鉱=世界に誇る日本的資源をもとめて=」(共立出版)

    


 残念ながら,両方とも,わたしの目的にはあわない本でした.
 本の題名からいえば,普通なら「黒鉱研究の歴史」を略述してあっても,ふしぎはないはずですが…,まあ,あることはあるんですが,読むとますます混乱してしまいました.研究史だけじゃあなくて「黒鉱」そのものについても.

 わたくし,一応地質学を専攻していたんで,理解できるであろうという前提でいたんですが,どうも無理でした((^^;).原因はいくつかあるようですが,わかりやすいところから.
 両氏とも,普通にいう「地質屋」ではないのですね.鹿園氏は,「地球化学者」を名のっていますし,石川氏は「金属鉱山学」者ということです.


 鹿園氏は,本の中のおおくの知識が「地質学」を基盤としているのに,地質学の成果を軽視しています.そこでは「研究史」を「地質学の時代」,「地球化学の時代」と「ダイナミックスの時代」に分けてはいますが,地質学の扱いは,あまりにも粗略なので(1961年以降の成果はないように書いてある),「ひょっとしてこの人は地質学が嫌い」なのかなと思わせます.
 分析値についての製図は素晴らしいのに,地質学的成果は(ほとんど引用ですが)凄まじくいい加減.引用図の凡例にあるマークやシンボルが,図そのものに存在しなかったりしますし,「だれだれ,何年」から引用と書いてあるのに,その引用文献そのものが示されてないから,確認のしようもない.
 内容自体がかなり高度なのに,引用文献による補足や確認もできないのですね.

 一番気になったのは,どの程度の人たちを読者層としてかんがえているのかということです.引用文献を示さないということは,「読み捨て」を前提としていて,この本の読者から「後継者が育つ」ことは意識していないということだろうと思われます.「読み捨て」する読者を前提としているなら,もっとわかりやすい文章・内容でなければならないと思います.中途半端なんですね.

 本人も,書き終わったあとで,気にしたらしく,「あとがき」で,言い訳らしきものを書いていますけど.どうもね.

 と,いいつつも,わたくし,学生時代のことを想い出してしまいました.
 それは,(金属)鉱床学実験のときには,これまでみたこともない鉱石をみたり触ったり,さまざまな実験をしたり,非常に楽しかった.また,実際に鉱山にいって,斜抗を下ったり,坑道を歩いたり(これはすごい体験でした),鉱山技術者から現場の話を聞いたことも,わくわくするような経験でした.
 ところが,「鉱床学概論」みたいな(理論的な)授業は,まったく理解ができなかった((^^;).
 最初の授業で,「あ,これは単位を落とすな」と直感した連中は数人ではなかったですね.その原因は,鉱床学という学問は,かなり応用地質学的なところがあり,広範な知識を要求されるので,ちょっと地質学をかじったぐらいの学生では,なかなか全体像が理解できない(今,何を勉強しているのかが理解できない)ところがあります.
 一方で,一つの鉱山を構成する地質・鉱床・鉱石を理解できたとしても,別の鉱山に応用がきくとは限らない.金属鉱床をある程度理解できたとしても,非金属鉱床には応用がきかない.石油・石炭はもちろん.ま,要するに一筋縄ではいかないわけです.
 だから,まあ,ある程度仕方がないというわけですね.

 それにしても気になることが一つ.
 後半には,鉱床の成立には海嶺から噴出する熱水が関係ある(要するに,海嶺で時々見いだされるチムニーとかブラック&ホワイトスモーカーとかいわれる現象が頭にあるらしい)ようなことが書いてありますが,黒鉱は日本独特な鉱床形態という前提なのに,なぜ中央海嶺?
 中新世のグリンタフ地域に海嶺があったということなのかしら?
 地質学的には,黒鉱の周囲は酸性火山岩で蔽われているのが普通と書いているのに,玄武岩が噴出する中央海嶺とイコールで結ぶのはなぜ?(無理しゃりにでも,PT論に結びつけたかったのでしょうかね?)

 ま,鉱床学は難しいから仕方がないか(部外者に理解させる気はないのね).


 石川氏の「黒鉱=世界に誇る日本的資源をもとめて=」についても,似たようなことがいえます.

 こちらは,鉱山地質学者ですので,地質学的な成果の引用は多いのですが.ふと,こう思いました.この人は「黒鉱」全体の説明をしてるのではなく,東北地方にある一部の黒鉱鉱床についての説明をしてるのではないか,と.
 それを一番感じたのは,第6章の「新鉱床の発見」のところです.なぜ,こんなところに,不自然に,ローカルな新鉱床発見の話があるのか?

 黒鉱鉱床の法則性が明白になったから,その応用で新鉱床が発見されたというシナリオなら,なんとなく理解できますが,どうもそうではないよう.その辺しか知らないから,その話題を入れたのかな,と勘ぐってしまいます.
 それにしても,1991年出版といえば,もうPT論全盛の時代のハズですから,PT論による「黒鉱成因論」をやっててもいいはずですが,「これからやる」というような話です.本文の解説のほうでは,どうも地向斜造山論がパラダイムだったような気もするし,残念!残念!!残念!!!です.

 ということで,現在入手可能な二冊の「黒鉱」の本を読んでも,「黒鉱の全体像」ことはわかりません(もっとも,わたしの脳のレベルが低いのでわからないということかもしれませんけど.も少し経ったら,読みなおしてみよう).


 いろいろさぐっていたら,おもしろい著述を見つけたので,最後に紹介しておきます.
 それは,北卓治「わが国の黒鉱(式)鉱床について(1)〜(4)」です.これは,地質ニュースの121号から134号に渡って掲載されていました.これらは,無条件で「産総研HP」からダウンロードできますので,興味のある方はDLしてみてください.非常に詳しいですし,黒鉱鉱床について理解させたいという熱気が伝わってきますよ.
 残念なのは,時代が時代ですから,PT論による解釈というのが全くないことです.
 PT論による知見も入れて,書き直してくれれば,ありがたいのですが….

 

2010年8月20日金曜日

反プレートテクトニクス論,読後

 
 星野通平「反プレートテクトニクス論」(イー・ジー・サービス出版部)が到着したので,読んでいました.
 ほとんど新知見はないですね.しかし,プレートテクトニクスに対する疑問の集大成というところ.どの主張にも違和感を感じないのが,逆にふしぎ.

 Ⅰ章は,「プレート説の誕生」で,ごく短い略説.
 Ⅱ章は,「プレート説が主張する観測事実の検討」で,この本のほとんどを占めています.
 Ⅲ章は,「地球の歴史」ですが,これは星野さんの独擅場.
 Ⅳ章は,「プレート説流行の背景」.これが,この本の本論ですね.

 わたしは,単純に「プレート論は「軍事科学」と「キリスト教」が創りだしたもの」という話を授業でしたことがありますが(そんな話をしてるから,非常勤講師を切られるんだな(^^;),こんなにたくさんのデータをそろえてしゃべったわけではありません.

 で,読んでいて,気分が高揚してきたかというと,どんどん沈んできました.
 なぜなら,この本に対する反応は,「たぶん,ない」だろうから.

 理由はたくさんありますが,第一に,PT論者にとっては“プレートテクトニクスは観測された事実”であるから,今さら,土俵を下げて相手をしても「得るものがない」からですね.
 だから,無視される.

 第二に,実際には,PTが「パラダイム」でなければ困る人は(その他のテクトニクスでなければ困る人たちにしても),ホントはごく少数だと思われること.
 地質学会に,いったい何人の会員がいるかは知らないですが,圧倒的多数が,(個々の)論文レベルでも(個人の)研究テーマレベルでも,別に「どっちでもかまわない」人たちでしょう*.地向斜造山論がパラダイムのときは,地向斜造山論で解釈し,PT論がパラダイムのときはPT論で解釈するだけ**.
 したがって,自分に向かっていわれているとは,だれも思わない.よって反論も肯定もしない.

 悲しい.

 そういえば,「パラダイム論」そのものも,「唯一絶対神」の影が見えるなあ.

* 化石の記載論文や,新鉱物の記載論文,露頭現象の記載論文,はては地域地質の記載にいたるまで,「地向斜」とか「プレート」とかの存在を前提としてしか書けない論文は,これまで,いったい,いくつあったのでしょうか.

** たとえば,昔の「鉱床学」の教科書などを読むと,もちろん「地向斜造山論」に調和的に書かれていますが,よく読むと,「マグマの活動に関係がある」といってるだけで,背後に「地向斜」があろうが「プレート」があろうが,そんなに関係ないことがわかります.PT論による新しい「鉱床成因論」など,ないだろうかとさがしていますが,そんなものはみつからない.以前それらしき論文を見つけたとき,いっしゅん喜びましたけど,書かれていたことは,鉱脈を裂罅としてみて応力場解析をやっているだけで,鉱床成因論をやってるわけではなかったですね.
 つまり,現象を「解釈」しているだけでした.
 

2010年8月13日金曜日

「黒鉱」

 
 鉱床学は地質学の滅亡とほぼ同時に滅びた学問のようです(滅亡の原因は多少異なるようですけどね).だから,現在では鉱床学関連の書籍をさがすのは容易ではないです.
 さらには,日本の鉱床学あるいは鉱山の歴史を概観した本というのは,もはや入手不可能なようです.

 「鉱床成因論」などは,大学において「鉱床学」が普通に研究されていたころは,パラダイムは「地向斜造山論」でした.成因論は「造山運動論」に密接に関係していたと思います.
 しかし,PT論でしかものを考えてはいけない現在では,どのような解釈がおこなわれているのか.これは,以前から気になっていたことです.

 やっと,それらしき本がみつかりましたので,紹介しておきます.
 それは,石川洋平(1991)「黒鉱」(共立出版株式会社)です.その第7章「黒鉱研究の将来」の7-3に「黒鉱とプレートテクトニクス」という節がとってあります.あとでゆっくり読むつもりです.
 ただ,入手してから気付いたのですが,「PT論による黒鉱成因論」と「地向斜造山論による黒鉱成因論」どちらがよりリーズナブルなのかということは,わたしには,判断能力がありませんでした(困ったもんだ (^^;).
 なにせ,「鉱床学」はむずかしい.ま,努力してみるつもりですけれどね.

    

 ところで,興味深いことに気付いたので,特記しておきます.
 それは,この本は「地学ワンポイント」シリーズの一冊で,このシリーズの編集者は,「藤田至則・南雲昭三郎・森本雅樹」の三人です.後二者の方は存じ上げませんが,「藤田至則」氏は「グリンタフ造山運動」の提唱者として有名であり,藤田氏は「グリンタフ造山運動」は「PT論」では説明できないとしていました.

 しかし,石川氏は著書「黒鉱」の「はじめに」で,藤田氏へ「原稿を読んでいただいた」として謝辞を述べています.もちろん,藤田氏は人格者なので,PT論による各種解釈の出版を邪魔するような人でないことは,多くの人の知るところでした.
 そういえば,わたしの北大地鉱教室の先輩であり,尊敬する卯田強さん(新潟大学)も「さまよえる大陸と海の系譜=これからの地球観」を訳されたときの「訳者あとがき」で,つぎのように記しています.

「本書の翻訳は,新潟大学積雪地域災害研究センターの藤田至則教授から紹介された.本書の内容が自らの地球観とは相反する内容であるにもかかわらず,翻訳を勧められたばかりか,原稿を読んでさまざまな指摘から細かな語句の訂正までしていただいた.藤田先生の熱心さと寛大さにあらためて敬服するとともに,御厚意に心から感謝を申しあげたい.」

   


 ちなみに,卯田さんは(当時,大学院生でした),一般的には“地団研の牙城”とよばれた北大地鉱教室にいながら,PT論による地質現象解釈をおこなっておられましたが,同時に地団研の会員でもあり…,というよりは,当時,私ら学生にとっては,ほとんど指導者的な立場におられました.
 わたしが学部移行した年の,春の自主巡検に全行程でつきあっていただき,非常に熱心に指導していただきました.その後も,ことあるごとに,卯田さんのはたした影響は大きいものだったと,いま,想い出します.
 当初は,あまりにも“うるさい”(失礼(^^;)ので,若干苦手な先輩でしたが,ただひたすらに「熱い心を持った人」なのだと気付いたときに,大好きな先輩の一人になりました.

 話がずれました.元に戻します.
 現在,「地団研=悪の帝国.PT論者=虐げられた正義の人たち」,みたいな単純な図式が大手を振ってまかり通ってますが,このたった二つの「謝辞」からも,そんな単純なものではないことがわかるかと思います.
 わからないかな?
 「善悪二元論」,「勧善懲悪」,「ばいきんまんとアンパンマン」のほうが,わかりやすいもんな.

 わたしのように,「ちがう立場でものを考える人がいるから,学問が前進する」と考えるのは,幼稚なようで…(でも,書いておかなくっちゃ(-_-;).

 

2010年8月8日日曜日

反プレートテクトニクス論

 
 「反プレートテクトニクス論」という本の新刊案内がとどきました.
 著者は,星野通平さん.

 「う~~ん,ガンバルなあ」という気持ちと,「もう,いいんじゃあない」という気持ちが半々.星野通平さんには,わたしがまだ学生のとき,湊正雄教授の部屋でお目にかかったことがあります.もちろん,わたしのことなど覚えていないでしょうけど.
 当時もじいさんだったから,いまは相当な歳かとおもいますが,元気いっぱいのようですね.

 「まえがき」が紹介されています.

「私が本書で主張したかったことは、プレート説一辺倒の地球科学の世界に、若い人たちがおのおのの仮説をもって、もっと自由闊達に討論をまきおこしてもらいたいことである。そして、科学の世界だけでなく、政治・経済・教育など、あらゆる分野にはびこっている、閉塞感あふれた世の中の風潮を、少しでも打ち破ってもらいたい、というねがいを、本書にこめたつもりである。」

 これは無理だと思います.

 皆が口をそろえて「おなじこと」をいうことを「パラダイム」といいます.ちがうことをいうのは,先行する「パラダイム」に矛盾が蓄積し,その「パラダイム」ではどうしようもなくなってきたときに,やっと始まるとなっています.
 数十年前に「地向斜造山論」から「プレートテクトニクス」というパラダイム変換が起きました.これは,「地質学」から「地球科学」へというパラダイム変換でもあったらしい.
 前者はともかく,後者のパラダイム変換は,近代地質学が成立したといわれているのが1800年代の初めですから,170年はかかっているわけです.ここしばらく,これに匹敵するパラダイム変換は起きそうにない.

 しかも,現代の科学者が求めているのは,「地球の真実」などではなく,学会における自分の立場.しばらくの間,「プレートテクトニクス」と「地球科学」というパラダイムに安住できるわけです.「ちきゆう」なんていう船は,このための強力な盾(武器ではないです)(「ちきゆう」は,どうして,仕分けの対象にならなかったのだろう?)(地質学は政治的に不要だけど,地球科学はまだまだ,政治的に「つかえる」のかな?).


 わたしは,「パラダイム論」にも「パラダイム論」が適用されるだろうと思っています.しかし,それが当分のあいだ,くずれないであろうことは,「プレートテクトニクス論」の本は市販ルートにのりますが,「反プレートテクトニクス論」の本は,市販ルートにのらないことからもわかります(もちろん,地質学雑誌にものらない).

 勝ち馬にのること自体は,決して恥ではないとはおもいますが,大多数が「勝ち馬にのっている」以上,自由闊達な議論など,起きるはずがない(そもそも,パラダイムがちがうのだから,議論自体が成立しない).
 ちなみに,わたしは,地向斜造山論者でもPT論者でもないので,どうでもいいのですが,科学史・科学論の興味深いテーマが,ここに転がっていますので,先ほど,ファックスで,この本を注文をしました.

 

2010年5月11日火曜日

「或る地質屋の記」・続

 
 大久保雅弘(2010)「或る地質屋の記」(丸源書店).
 一通り,読みました.
 とても興味深い本でした.

 前半の自伝部分も,その時代は興味深いものでしたし,後半の「古生層研究史」は南部北上山地の話がたくさんでてきて,懐かしかった.
 もっと,湊正雄の悪口やいいことが出てくるかと思ったら,そうでもなかった.  ま,あまり具体的なこともかけないでしょうしね.

 地質屋はもっとこういうものを書いていいと思います.
 そうでないと,江戸時代末期から明治初めにかけて西洋から地質学が導入されたのはいいけれど,その後,長い空白期があって,昭和末期にプレートテクトニクスが導入されて,地質学が滅びたという話にしか見えない.
 それでは「地質学史」が成立しない.

 ただ,一般の読者向けにはもう少し砕かないといけません.さまざまな用語や事件が,読者は知っているということを前提として書かれています.もちろん,大久保氏は読者は地質屋である前提で書かれているのでしょうから,「しったことか」といわれそうですが,もう少し解説を加えれば,十分に一般読者の知的好奇心の対象になると思います.
 もちろん,地質学に興味を持つ若者にも(もう,そんな人たちはいないか…).

 本文の末尾の方に,「日本列島地質構造発達史」(英語版)の編集時の話が出てきますが,その時に,デザイナーから出された疑問のエピソードがあります.
 それは,「地質学者の図は,真上からみるか真横からみるかのどちらかですね.斜めにみるということはしないのですか?」というもの.
 そう,確かに地質学史も「真上からみる」か,「真横からみる」か,しかしてこなかったようですね.
 「或る地質屋の記」は…,斜めからみた地質学史です.それ故に….