2010年8月26日木曜日
「黒鉱」その後
前に書いたように,鉱床学や鉱山の歴史を概観した研究というのは無いようなので(いい方が不正確ですね.経済学的見地から「鉱山の歴史」を概観した研究ならあります),なんでもいいから,入手可能な「鉱山関係」の本ということでさがしたら,以下の二冊が入手可能だったんでみてみました.
鹿園直建(1988)「地の底のめぐみ=黒鉱の化学=」(裳華房)
石川洋平(1991)「黒鉱=世界に誇る日本的資源をもとめて=」(共立出版)
残念ながら,両方とも,わたしの目的にはあわない本でした.
本の題名からいえば,普通なら「黒鉱研究の歴史」を略述してあっても,ふしぎはないはずですが…,まあ,あることはあるんですが,読むとますます混乱してしまいました.研究史だけじゃあなくて「黒鉱」そのものについても.
わたくし,一応地質学を専攻していたんで,理解できるであろうという前提でいたんですが,どうも無理でした((^^;).原因はいくつかあるようですが,わかりやすいところから.
両氏とも,普通にいう「地質屋」ではないのですね.鹿園氏は,「地球化学者」を名のっていますし,石川氏は「金属鉱山学」者ということです.
鹿園氏は,本の中のおおくの知識が「地質学」を基盤としているのに,地質学の成果を軽視しています.そこでは「研究史」を「地質学の時代」,「地球化学の時代」と「ダイナミックスの時代」に分けてはいますが,地質学の扱いは,あまりにも粗略なので(1961年以降の成果はないように書いてある),「ひょっとしてこの人は地質学が嫌い」なのかなと思わせます.
分析値についての製図は素晴らしいのに,地質学的成果は(ほとんど引用ですが)凄まじくいい加減.引用図の凡例にあるマークやシンボルが,図そのものに存在しなかったりしますし,「だれだれ,何年」から引用と書いてあるのに,その引用文献そのものが示されてないから,確認のしようもない.
内容自体がかなり高度なのに,引用文献による補足や確認もできないのですね.
一番気になったのは,どの程度の人たちを読者層としてかんがえているのかということです.引用文献を示さないということは,「読み捨て」を前提としていて,この本の読者から「後継者が育つ」ことは意識していないということだろうと思われます.「読み捨て」する読者を前提としているなら,もっとわかりやすい文章・内容でなければならないと思います.中途半端なんですね.
本人も,書き終わったあとで,気にしたらしく,「あとがき」で,言い訳らしきものを書いていますけど.どうもね.
と,いいつつも,わたくし,学生時代のことを想い出してしまいました.
それは,(金属)鉱床学実験のときには,これまでみたこともない鉱石をみたり触ったり,さまざまな実験をしたり,非常に楽しかった.また,実際に鉱山にいって,斜抗を下ったり,坑道を歩いたり(これはすごい体験でした),鉱山技術者から現場の話を聞いたことも,わくわくするような経験でした.
ところが,「鉱床学概論」みたいな(理論的な)授業は,まったく理解ができなかった((^^;).
最初の授業で,「あ,これは単位を落とすな」と直感した連中は数人ではなかったですね.その原因は,鉱床学という学問は,かなり応用地質学的なところがあり,広範な知識を要求されるので,ちょっと地質学をかじったぐらいの学生では,なかなか全体像が理解できない(今,何を勉強しているのかが理解できない)ところがあります.
一方で,一つの鉱山を構成する地質・鉱床・鉱石を理解できたとしても,別の鉱山に応用がきくとは限らない.金属鉱床をある程度理解できたとしても,非金属鉱床には応用がきかない.石油・石炭はもちろん.ま,要するに一筋縄ではいかないわけです.
だから,まあ,ある程度仕方がないというわけですね.
それにしても気になることが一つ.
後半には,鉱床の成立には海嶺から噴出する熱水が関係ある(要するに,海嶺で時々見いだされるチムニーとかブラック&ホワイトスモーカーとかいわれる現象が頭にあるらしい)ようなことが書いてありますが,黒鉱は日本独特な鉱床形態という前提なのに,なぜ中央海嶺?
中新世のグリンタフ地域に海嶺があったということなのかしら?
地質学的には,黒鉱の周囲は酸性火山岩で蔽われているのが普通と書いているのに,玄武岩が噴出する中央海嶺とイコールで結ぶのはなぜ?(無理しゃりにでも,PT論に結びつけたかったのでしょうかね?)
ま,鉱床学は難しいから仕方がないか(部外者に理解させる気はないのね).
石川氏の「黒鉱=世界に誇る日本的資源をもとめて=」についても,似たようなことがいえます.
こちらは,鉱山地質学者ですので,地質学的な成果の引用は多いのですが.ふと,こう思いました.この人は「黒鉱」全体の説明をしてるのではなく,東北地方にある一部の黒鉱鉱床についての説明をしてるのではないか,と.
それを一番感じたのは,第6章の「新鉱床の発見」のところです.なぜ,こんなところに,不自然に,ローカルな新鉱床発見の話があるのか?
黒鉱鉱床の法則性が明白になったから,その応用で新鉱床が発見されたというシナリオなら,なんとなく理解できますが,どうもそうではないよう.その辺しか知らないから,その話題を入れたのかな,と勘ぐってしまいます.
それにしても,1991年出版といえば,もうPT論全盛の時代のハズですから,PT論による「黒鉱成因論」をやっててもいいはずですが,「これからやる」というような話です.本文の解説のほうでは,どうも地向斜造山論がパラダイムだったような気もするし,残念!残念!!残念!!!です.
ということで,現在入手可能な二冊の「黒鉱」の本を読んでも,「黒鉱の全体像」ことはわかりません(もっとも,わたしの脳のレベルが低いのでわからないということかもしれませんけど.も少し経ったら,読みなおしてみよう).
いろいろさぐっていたら,おもしろい著述を見つけたので,最後に紹介しておきます.
それは,北卓治「わが国の黒鉱(式)鉱床について(1)〜(4)」です.これは,地質ニュースの121号から134号に渡って掲載されていました.これらは,無条件で「産総研HP」からダウンロードできますので,興味のある方はDLしてみてください.非常に詳しいですし,黒鉱鉱床について理解させたいという熱気が伝わってきますよ.
残念なのは,時代が時代ですから,PT論による解釈というのが全くないことです.
PT論による知見も入れて,書き直してくれれば,ありがたいのですが….
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