2011年3月31日木曜日
阿部任くん
「バリスカン造山運動」の記事の中で,日本のバリスカン造山運動に対して,湊先生が「安倍族造山運動」と名づけたという話をしました.
東北関東大震災で,九日ぶりに救出された高校生の名前が「阿部任」でした.阿部の字が違いますが,安倍族の首魁とされる人物の名前が「安倍貞任」.きっと意識してるのだと思いますね.
典型的な東北人のようで,無口.でも,やるときゃあキッチリやる.そういう人を何人か知っています.
2011年3月30日水曜日
炭田と炭山
前の記事「小樽で」の中で,「炭田」と「炭山」を使い分けています.
国語辞典などでは,解説を読んでもあまり違いがわかりませんが,一応違いを示しておきましょう.
「炭田」は地質学用語ではありません.
「鉱山学用語」としては,使用可かもしれません.なぜなら,「炭田」には経済的な意味があるからです.地層中にはしばしば,石炭層が含まれていますが,必ずしも企業化できるものとは限りません.「炭田」と呼ぶには,企業化ができるほど,経済価値のある石炭層が存在していなければ,ならないわけです.
さて,「炭山」も地質学用語ではありません.
「鉱山学用語」としても,使用はしないでしょう.炭山は単に“石炭のある山”ではなく,石炭を掘り出し,消費地に送り出すシステムであり,そこに働く労働者や,その家族まで含めた一つの完結したシステムのことです.
この“山”は江戸時代の初めにはすでに成立しています.多くは金属鉱山として.普通に歴史でいう士農工商などとは別の特殊な存在として認められていたようです.
非常におおざっぱですが,そういう使い分けをしています.
2011年3月29日火曜日
プルトニウムが…
プルトニウムがついに,原発事故現場から発見されてしまいました.
自然状態では存在しない元素ですから,明らかに,原子力発電所から出たものです.
例によって,たくさんの御用学者さんたちが,「危険だけど安全」というわけのわからない論理を展開しています.
プルトニウムは危険です.
どのくらい危険なのかわからないほど危険なのです.ある研究者は「角砂糖数個分で日本が全滅」するほど危険だといっています.一方,例えば,「プルサーマル」(プルサーマルのプルはプルトニウムのプルです)を実用化したい人たちは「事実誤認」だといってますが,じゃあどれほど危険なのかというと,簡単には実験を許可できないほど危険なわけです.だから,いまだにどれほど危険なものなのか,よくわからない.
今朝の学者さんがいってました.
過去におこなわれた核実験の時に日本列島の地面に降って,すでに地面に保存されているプルトニウムと同じくらいの量だから安全なのだそうです.よくわからない論理ですが….
つまり,福島第一では,今回程度の事故でも,地中のプルトニウム量は「倍」になったということなのですが,どうして安全なのでしょうね.
で,原子力関係者の説明はよくわからないので,今後のこととして,わたしの立場からひと言.
プルトニウムは,非常に特殊な例を除いて,自然状態では存在していない元素です.その理由は「放射性元素」なので,時間が経つとどんどん減ってゆくからです.もとの存在量が半分になる期間を「半減期」といっています.半減期が短い241Puの半減期は14.4年だそうです.
一方で,プルトニウム爆弾をつくるのにもちいられる239Puの半減期は約2.5万年です.これは,原子炉の使用済み燃料には普通に含まれているそうですが,その存在量は,よくわかりません.
ただ,今回のような事故でも(冷却水が漏れただけだといってます),過去の核実験によって蓄積された土中のプルトニウム量を倍にするほど含まれているわけです.
わたしはそちらのほうの専門家じゃあないから,それがどういう意味を持つのかについては,何も言うことができません.でも,安全だ,安全だという学者先生の頭の中には,ないのではないかと思われる時間の感覚について,すこしいっておきたいことがあります.
239Puの半減期は約2.5万年.
2.5万年という時間はイメージしづらいと思いますね.
たとえば,いまから2.5万年前というと,どんな時代でしょうか.
一番最近の氷期(=ヴュルム氷期)が終わったといわれるのが,約1万年前.
2.5万年前というと,この氷期が最盛期を迎えている頃でしょうか.
人類はといえば,マンモス・ハンターといえば聞こえはいいですが,要するにまだ旧石器による狩猟生活の時代.
よっく,考えてください.
いま漏れたプルトニウム239は2.5万年経っても,半分にしかならないのです.その間に,人類が達成したことといえば,もちものが旧石器から携帯電話になったぐらいの,わずかな進歩しかしていません.
安全になるのは(基準すらありませんが),もとのこぼしてしまった量に規制されますが,5万年経っても1/4にしかなりませんから,いつになるやら.
そういう物質をコントロールできると考えているとすれば,きっとその人は,自分を神だと思っている人にちがいありませんね.「原子力の神」は我々普通の人間から見れば,「紙一重の人物」のほうに見えますね.
違いますでしょうか?
あ.もうひとつ.
今回の地震・津波は1000年に一度ほどの規模だというのが,関係者の評価のようです.
つまり少なくとも,1000年くらい前から現在までに一度くらいはあったと考える方がいいようです.人類が文明らしきものを築いてからも何度か体験している(洪水伝説は世界中の民族がもっています).
プルトニウム239が半減期を迎えるまでには,この程度の地震・津波は25回くらいは経験するはずです.その中には,今度は,一万年に一度ほどの地震・津波も体験することになるでしょう.その規模については,考えたくもないですね.
小樽で
日曜日(3/27)に,小樽市総合博物館で「石炭がもたらしたもの=炭山・鉄道・造山運動=」という題でお話しをしてきました.
そのあと,室蘭まで,娘のアパートの引越しにいって昨晩遅く帰ってきたので,今日は朝からヨレヨレです.
お話しの骨子は…,
かつては“産炭王国”とよばれた北海道ですが,すでに「石炭」を見たこともない,触ったこともない大学生が普通にいる時代になりました.この子らの多くは,卒業すると学校の先生になるわけですが,理科の先生になろうと,歴史の先生になろうと,「石炭」はどんどん現実感のない「もの」にリサイクルされてゆくわけです.
日本では,江戸時代の終わり頃になるまで,「石炭」に注目する人は,本草家や好事家を除けば,ほとんどいませんでした.それは,“石炭”の名称(呼び方)をしらべてみれば,すぐにわかります.
そんなものが,なぜ重要物資になったのかといえば,江戸時代の終わり頃に「鎖国」を解いたからです(1859:安政六,箱館開港).当時は,外洋を航海する大型船は帆船から蒸気船に移り変わっていっている時代で,外国からは石炭の供給を求められていました.
それに対応するために,箱館奉行は蝦夷地の海岸地域で産炭地を調査.クスリ場所の「白糠石炭窟」,イワナイの「茅ノ澗(茅沼)」で,産炭の試行錯誤を繰り返します.
その流れの中で,欧米の鉱山技術・地質学をはじめとする最新の科学技術が蝦夷地に流れ込みます.
やがて,旧幕臣グループ(榎本武揚を中心とする幕府留学生たち)やブレイク,パンペリー,ライマンらの米国鉱山学者・地質学者が育てた開拓使仮学校・地質測量生徒らが競い合って,石狩炭田を発見します.榎本は,明瞭に巨大な「石狩炭田」の存在を言い当てています.
巨大な「炭田」には,巨大な資本が投下され,各地で「炭山」が成立します.石炭を運ぶネットワーク=鉄道網がつくられ,人びとが集まり,なにもなかった谷間に巨大な集落が発生します.
18世紀後半から19世紀前半にヨーロッパでおきた「産業革命」のミニチュア版が東アジアの小さな島におこったわけです.
こんな風に,19世紀後半から20世紀前半にかけては,地下資源の重要性が認知され,各地につくられた大学には,必ず「地質学鉱物学教室」がありました.それらは,石炭・石油のエネルギー資源だけではなく,金属鉱山などの開発にも一役も二役も買っていたわけです.この国の義務教育の教科には,長い間,博物学がありました.
ところが,21世紀を迎える前に,各地の炭山は閉鎖され,金属鉱山もほとんどなくなってしまいました.
これに併行して,大学から「地質学鉱物学教室」が姿を消し,高校では「地学」が選択科目となり,授業は,ほぼおこなわれなくなりました.
こうして,現在では「石炭」を見たことも,触ったこともない若者がほとんどとなり,大人になっていったわけです.
マスコミでは,「地球」とか,「環境」とかいう言葉が発せられない日は,まず無いですが,実際に,地球がもっている時間とか,地球を構成している「もの」を理解している人たちが,どれだけいるのだろうかと疑問に思う日が続きます.
10年にいっぺんの地震・津波は,みんなよく覚えているので,この程度かと思っています.
しかし,100年にいっぺんの地震・津波には「まさか」と思い,1000年にいっぺんの地震・津波には「夢にも思わなかった」というのが普通の感想です.
しかし,地球の歴史は45~46億年といわれていますし,地球上に原始的な生態系ができてからも,すでに5億7000万年経っているのです.
ヒトの体験した自然災害は,地球の歴史が,ときに体験した事件に比べれば,そのスケールとは,じつは比べものにならないくらい小さなものです.
この時間の感覚,スケールの感覚は,地学の必修の必要性を要求しています.
人類に歴史が長くなれば長くなるほど,どんな事件に遭遇するかわからない.たまたまそういう事件に遭遇した生物たちは,すでに,化石としてしか見ることができません.
この時間の感覚,スケールの感覚は,地学の必修の必要性を要求しています.
地球上で起きる自然現象は,時として,我々にとっては壊滅的な破壊を与える事件になり得ます.
高校で地学を教えなくなったから,石炭を知らない大人が増えています.
津波警報が出ても避難する人は一割以下という統計がでているそうです.それは,地学を教えなくなったからだ,とは言い切れないでしょうけど,関係がないとはいえないでしょう.
我々が立つ,この大地のことを知るための学問をぜひ復活させてほしいものだと….
2011年3月23日水曜日
サバの値段
昨夕,晩飯のおかずを買いに,スーパーに行ったら,三陸沖産の塩鯖が半身二枚で100円で売っていました.ノルウェー産よりはるかに安い.
スーパー側では,三陸沖の魚は売れないと踏んだのでしょうか.
確かに,野菜類は安全なことが確実なものでも,福島産ならば,安くしても,売れ残っているという話です.
当地では,どんどん出荷停止も拡がっているらしい.
魚には,そんなに早く,放射能汚染は拡がらないだろうし,原発付近だとしても,現在の値はそれほど高いものではないから,買って夕飯のおかずにしました.
そしたら,怒られました(^^;
ま,半ば冗談ですが.
しかし,これから,どんどんそういうものが増えてくるでしょう.
日本国内でそうなのだから,海外に輸出している日本の食品は,まったく関係がない地域からのものでも,いわゆる風評被害に遭うことでしょう.
天気予報で,各地の放射線量をアナウンスする.そういう時代も近いかもしれません.
そうでなければ,食べ物も安心して購入できないでしょうから.
情報を隠すなよ! 各位へ.
2011年3月22日火曜日
そんなことをしている暇が…
そんなことをしている暇があるのかと思いますが,東京あたりじゃ政治ショーが繰り広げられています.
被災した国民を救護・援助するよりも国会で主導権を取ることが大事?
なんとかしなけりゃならないことはたくさんあるのに,足の引っ張り合い? 責任のなすり合い?
えらい人たちは失言を繰り返し,失点を取り返すことに夢中?
えらい人たちがこれなんだから,えらくない人たちは買いだめしたり,燃料や募金を盗むぐらいはするわね.
どこを見ても同じ内容の民放が「節電」を呼びかける?
節電が必要な期間ぐらい,交代で放送休止時間を作ったら?
東京で消費する電力をつくっていた原子力発電所の事故なのに,東京で野球?
被災地が復旧するまでとはいわないけれど,せめて,節電が必要な期間くらい自粛できないのかい?
これからの日本経済を考えたら,民放はいくつか減るだろうし,球団もいくつか減らすべきでしょう.共倒れになる前に.
いまはとにかく,東北地方および北関東を救うことを第一に考えるべきなのでは….
ただし,えらい人たちの正体は,いま,一番見えやすい時期を迎えていますので,しっかりと見極めるべきでしょうね.
怖いのは,東北大震災が終わったといえる時期がくる前に,十勝沖や西日本太平洋側で大きな震災が起きること.
これだけ大きな地震が日本列島の一部で起きたら,周囲の地域に地殻の歪みが蓄積されたことでしょう.どの程度起きているのか,それが心配.
2011年3月17日木曜日
昨晩は…
昨晩は,外国のメディアで,現場で最後の砦となって働く原発作業員の勇気をたたえる記事が出始めていました.朝には,この論調が日本のメディアでも増えているかと期待していたのですが,一夜明けると,東電社員のブログに関する是非論のみになってしまいました.
新聞・テレビでは,そんなことがあることさえ報道されない.
日本のメディアでは,いま,福島第一原発で何人の人たちが働いているのかさえ,報道されていないようです.
現場の人たちが,命をかけて働いていることは,間違いありません(東電社員であれ,下請け,孫請けであれ).
なぜ,このような雑音が入るのか.
昨晩は,退職間近の,別の会社の,原発関係者が,福島第一に向かうとの報道がなされました.
現場に向かうことのできない我々は,名前もわからないかれらにエールを送るぐらいのことしかできません.
あとは,ひたすらおろおろするぐらいしか.
2011年3月16日水曜日
まるで天気予報のように
まるで天気予報のように,本日の放射線量について,アナウンサーがしゃべっています.
非現実的ですが,ことの始まりから,ずーっとトレースしてきただけに,現実であることは,理解しています.
30年に一度の地震・津波は考慮されても,100年に一度は「まさか」と思われ,1000年に一度の地震・津波は「夢にも思わなかった」といわれるのが現実です.
一万年や一千万年,一億年を時間の単位に使ってる私たちでも,人生の時間は最大でも百年.
ヒトはちっぽけなもので,また儚いものです.
もっと真剣に,地球の大きさと,その時間の長さを訴えるべきでした.
1000年に一度しか起きない事件は,1000年に一度,必ず起きるのです.そして,まれにしか起きないだけに,その暴力も凄まじいものです.
遭遇してしまった私たちは,これを乗り越えて生きるしかない.
この記憶を伝えるしかない.
科学者の端くれとして,この事件を予知していたものとして,伝える場所を奪われたとしても.
2011年3月3日木曜日
ネット上の怨念
なぜ,今頃こんなことを想い出したのか,わたし自身もよくわかりませんが….
この世には「怨念」があります.
以前,あるキーワードでGoogleしていたときのことです.
偶然,知り合いだった人のHP上の記事にヒットしたことがあります.
「知り合いだった」というのは,すでに亡くなった方だからです.
そこには,彼がその博物館を退職した理由がかかれていました(他人に読ませる気はなかったんでしょう.ある程度,事情を知ってないと理解できない書き方でしたね).背景が,かなり,わたしと似たところがありますので,思わずぜんぶ読んでしまいました.
普通ならば,つくった人が亡くなれば,プロバイダとの契約もなくなってしまうでしょうから,自然にサーバから消されてしまうでしょうけど,このHPは,遺族が,しばらく残しておきたいということで,そのままになっているようです.
そこに,どこにもリンクしていない,そのページも残ってしまっているということなんでしょう.
いじめた相手が退職して,その上死んでしまったから,もう安心と思ってるそこのあなた.あなたの知らないところで「怨念」は残っているんですよ.
と,いっても,地方小都市の博物館学芸員なんて,とってもマイノリティですから(正面の敵と戦ってたら,後から斬りつけられるなんて日常茶飯事.心も病むわ),やった方は何ほどにも感じていないでしょうから「怨念」も空回りですわね.
わたしのように,偶然出くわしてしまったもののみが知るだけということです.
途中で退職してるんです.やめる理由は山ほどあるに決まってます.
世界中に張り巡らされたネットの中には,きっとたくさんの「それ」があるんでしょうね.
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