2010年12月31日金曜日

蝦夷地,最初の炭鉱 pt.2

 
 白糠炭鉱は,1857(安政四)年五月,採掘を開始しました.

 採掘の指導者は栗原善八という名前だそうです.
 伝えには「奉行所手付」とするものもありますが,どういう立場なのかは微妙.「山師」であり,奉行所の「臨時雇い」と考えるのが一番ありそうですが,なんの記録も見つかりません.
 実際の作業にたずさわった人も微妙で,筑後の人(九州・福岡の炭鉱労働者・採炭夫)が数人とするものもあり,箱館から連れてきた無宿人を強制労働させていたような記述をするものもありますし,アイヌが使役されていたという記述もあります.
 いずれもありそうなことですが,どれも原典が明記されていないので,確認不可能.

 実際に採炭をはじめると,採炭そのものは炭層が厚いので採掘しやすく,積み出し港にも恵まれていました.しかし,積み出した石炭は崩れやすく粉炭になり,扱いづらかったようです.
 また,試掘段階では優良とされた炭質も,「火力が弱く,灰分が多い」ため,汽船の燃料としては歓迎されなかった,と,されています.
 かなり,あいまいですが,要するに商品としてはあまり良いものではないと判断されたということでしょうか.くわえて,新しく発見された岩内の茅ノ澗の石炭のほうが炭質や企業パフォーマンスが良好(箱館に近いなど)とされたために,栗原善八以下の作業員は茅ノ澗に移動.必然的に,1864(元治元)年白糠炭山は廃山となりました.

 わずか,七年の稼働でした.

 これらの記述の元ネタは「白糠町史」あたりなのだろうと思われます.
 こういった記述には,疑問の点,不明な点が多く,洗い直されるべきなのですが,今一歩がね….町史を貸してくれるところもないし….
 

2010年12月30日木曜日

蝦夷地,最初の炭鉱 pt. 1

 
 北海道で最初の炭鉱はどこにあったのか,というのはけっこう難しい問題のようです.

 クスリ(久摺)辺り(旧釧路国)の海岸沿いに石炭露頭があったという記録はたくさんあるようですが,事業として石炭を採掘した記録となると,とたんにあいまいになります.
 石炭が露頭していれば,付近の住民がひろって薪がわりに使用したということは,十分に考えられますが,小規模であったとしても,短期間であったとしても,産業としておこなわれたという確実な記録を見いだすのは,なかなか困難です.


 たとえば,1799(寛政十一)に発行されたといわれている「赤山紀行」には以下のような記述があるそうです.

「オタノシキ川より左に原を見て行けば,原いよいよ廣くクスリ川までは皆原なり.この附近石炭あり.桂戀の附近なるションテキ海岸には,磯の中にも石炭夥しく,総てトカチ領よりクスリ領までのうち,山谷海邊とも石炭なり.今度,シラヌカにて石炭を掘りしに,坑内凡そ三百間に至れども石炭毫も盡くることなしという.」

 この「赤山紀行」は「北海道炭砿港湾案内」(昭和六年刊)の冒頭に引用されていると児玉清臣「石炭の技術史」にありますが,詳細不明です.
 そもそも「北海道炭砿港湾案内」そのものの存在が確認できないですし,「赤山紀行」の存在も確認できません.著者も不詳.
 この時代は,蝦夷地のどこであれ,石炭が採掘されてたという傍証がまるでないので「坑内凡そ三百間」なんてあり得ないのです.


 次の可能性は,これも児玉清臣「石炭の技術史」にある記述ですが,「安政三年,幕府は初めて釧路獺津内で煤炭を採掘し,幾許もなくして止む」と「開拓使事業報告」にあるそうです.「獺津内」は現在の釧路市益浦あたりの旧名であると釧路市のHPにでています(安政三年は西暦1856年).

 おかしいのは,幕府側の記録ではなく,開拓使の記録であること.つまり,幕府側の記録には残っていないということでしょうかね.その割には,この記事の前に,「奉行は…安政二年七月『蝦夷地開拓觸書』を公布して,広く鉱産資源の….すでに露炭地として知られていた北海道東海岸の開発可否を検討するため,翌三年六月,調査団を派遣した.候補地は釧路の東方「オソツナイ」と,「シラヌカ」である.」とあります.妙に詳しい.
 残念ながら,この部分が,なにに記述されているのか引用が明記されていないため,前後を確認することはできません.
 したがって,「幾許もなくして止む」というのが,どの程度の規模だったのか,短期間でも商業ベースに乗ったのか,あるいは試掘程度だったのか,それも不明です.試掘程度では,「蝦夷地最初の炭鉱」と“冠”をかけるのは無理でしょうね.
 しかし,もしこれの裏付けがとれたとすれば,現在,日本最後の炭鉱「釧路コールマイン」が釧路市興津にありますから,蝦夷地最初の炭鉱は最後の炭鉱でもあったことになります.

 一方,同年同月,「シラヌカ」の石炭も採取され,箱館の英国人が鑑定し「良品」と位置づけたとあります.しかし,残念ですが,「別の記録」とあるだけで,なにに書かれているのか確認できません.「箱館の英国人」も何者なのかそれも不明.可能性があるのはガワー(E. H. M. Gower)ですかね.

 白糠炭鉱は1857(安政四)年に採掘を開始.
 こちらは,複数の記録が残っていますので,信頼できます.
 つづく.
 

2010年12月25日土曜日

「光にしませんか…」

 
 数ヶ月に一回は,N○Tの代理店と称する人から電話がかかってきます.
 「光にしませんか?」と.

 だいたいは,
 「めんどくさいので」
 「特に不便は感じてませんから」
 で,あきらめてくれるのですが,今回のはしつこかった(^^;.

 たしか,訪問販売だったら,いちど断ったら,ある期間は再来してはいけないはずですが,電話はいいのかしらね.もっとも,おなじ代理店なのか,べつな代理店なのか,いちいち確認してないですが….

 今回の人は,しごく論理的に説得してくるので,あやうく折れるとこでした((^^;).
「Faxはみましたが,いまより安くならないので…」
「いえ.使用料よりも速度の方が格段に…」

「はやさは,とくに不満がないので…」
「いま,どこのHPをみても格段に情報量が増えてますよね.これからますますそうなるので,いまのうちに『速い』光に代えといたほうがいいですよ.」

「そういう,『イタチごっこ』にのる気はありませんから.」

 これは本音.
 通信会社が「速さ」をうりものにすれば,どのHPにも余計な情報が付け加えられて,どんどん重たくなります.1頁がまるで「ふんどし」のように長いHPもざらですね.画像でうまってるし,動画の広告も当たり前のようについてきます.
 読んでもらえることよりも,情報を載っけることを優先している.
 こういうHPは,みんなで見ないようにしないと,ますます酷くなりますね.

「いや,それが時代の流れで…」
「だから,そういう流れに乗らないように,ささやかな抵抗を続けてます」(これも本音)
「そのうち,みられなくなりますよ」
「なったときに考えます.そんころには,『光』よりもっと速い回線が出てるかもね」

 ここで,敵さんは方針を変えた模様.
「TVは地デジに変わりましたよね…」
 たぶん,それで「キレイなった」とか「便利になった」ということを強調しようというのだろうと感じたので,先回りして,
「アナログでも,だれも不便を感じていなかったのに,業界だか政界だかのつごうで強引に代えましたよね…」
「……」

また方針を変えたのか,
「ビデオありますよね…」
たぶん,「VTRがデジタルになってキレイになった」とか,「便利になった」といいたいのだろうと感じたので,先回りして,
「ビデオね.それも,業界の都合でなくなったものありますよね.ベータなんかのライブラリをどうしてくれるんでしょうね…」
「……」

 さすがのわたしも,ベータのライブラリなんか持ってませんが,娘たちを撮った8mmVTRをようやくDVDに移し替えたところ.8mmVTRのデッキが壊れる前の滑り込みです.8mmハンディカムはもうすでにない.
 デッキが壊れたら,もう再生できないできないですからね.結局DVDライターを購入しなけりゃならなかった.
 デジタルVTRも,ハンディカムが壊れたら,もう再生できない.
 VHSだって,もう怪しい.

 すべてのDVD化なんかとてもやってるヒマはありませんが,子どもたちの映像だけは,なんとか残さなきゃあね.

 話を戻します.

 なんで,NT○は光に変えたいんですかね.イヤだといってるのに.
 按ずるに,普通回線はもうやめてしまいたいんでしょうね.

 このまま行くと,「お使いの電話回線は来年7月1日以降はお使いになれなくなります」なんてアナウンスが流れるかな?
 

2010年12月18日土曜日

石炭の名前(8)

 
 前回までに,我が国では(読み方は別として)江戸時代には(公式には)「石炭」と書かれており,その名称は明の李時珍(1518-1593)が編纂した「本草綱目」に由来することが判明しました.

 「本草綱目」には,昔は「石墨」と記述されていましたが,現在では俗称の「煤炭」が使われているとも解説されていました.つまり,現代中国で使われている「煤炭」は元々は俗称だったわけです.
 江戸時代の本草学者が使っていた「石炭」は,明治時代の公文書などでは中国での俗称であった「煤炭」に変わり,昭和にはまた「石炭」にもどっています.

 さて,「江戸時代には(公式には)」という回りくどい書き方をしました.本草学者のようなインテリは,もちろん,土人の言葉など下賤であり使いたくありません.だから,高級な学術用語である「漢語」の「石炭」を使ったわけですね(ここで,「土人」という言葉を使いましたが,江戸時代の「土人」は「現地住民=土着民」の意味であって,和人にたいしても使われていました.現代のような「民族差別語」の意味はありません.マスコミ界のタブー語でもありませんので勘違いの無いように).

 閑話休題
 ただ,漢語としての「石炭」という文字はいいとして,どのように読むか(つまり「和語」として)となると,千差万別ということになります.

 インテリとしては,漢語の読み方を使いたい.だから,和漢三才図会では「石炭[shí-tàn]」をひらがな化した「しつたん」を使っています.これがのちに「せきたん」という呼び方に変わってゆくわけですが,和語としての呼称は一般人を中心に普通に生き延びていたようです.

 なぜなら,“石炭”を薪代わりに使うのは,「木炭」を買うことのできない貧民階級だったからです.当時の貧民階級は,もちろん「漢語」など理解できませんからね.
 蛇足しておくと,経済的に余裕のある階級が“石炭”を使わないのは,“石炭”を焚くと「臭い」からだそうです.

 すでにあげた,各本草本には,たくさんの現地語が収録されてあります.その名称は,もちろん,「燃える」ことからきたもの,「色が黒い」ことからきたもの,「木炭の代わりに使う」ことからきたもの,などさまざまです.その地方だけで通じるローカルネームが多いことも特徴です.
 これは,当然で「あるから使う」だけで,わざわざ「遠くまで運んで使うもの」ではないことを示しています.産業としては成立していなかったので,全国的に通用する名前は不用だったわけですね.

 これに対し,中華圏では,用途別の名称,たとえば,「墨」の代わりに使う「石墨」,鉄を融かすために使う「鉄炭」のほか,粒度分類に由来する煤炭の名称もあり,日本よりははるかに広範囲に使用されていたようです.「烏金石」なんてのは,ただの「烏石(からすいし)」でもいいようなものですが,細工物に使うということで「烏金石」と呼ばれたのでしょうね.

 しかし日本では,日本の産業・産物を紹介した「日本山海名物図会」(1754:宝暦四),「日本山海名産図会」(1799:寛政十一)には,石炭のことなどまったく触れられていません.
 それが,なぜ,江戸時代末期から急速に注目されるようになったのでしょう.
 それは,「蝦夷地質学」を読んでください((^^;).
 

2010年12月17日金曜日

今日もまた

 
 「今日もまた 二時間番組 目白押し」

 最近,TV番組がザックリ二時間というのが多くなりましたね.
 それでも内容があればいいのですが,どうひいき目に見ても,もとは一時間番組を水増しした風ですね.おもしろくないお笑いに「笑いを足した」(業界用語だそうです)番組とか.
 最近の放送は見るものがないので,もっぱらDVDをアーカイブから引っ張り出して見るという機会が増えました.VTRはだんだん見なくなってきたなあ….

 某,なんでも識ってる小父さんがいってたそうですが(娘の証言による),近いうちにTV局がひとつぐらいは潰れるのだとか.広告収入の総和が減ってるのに,TV局の数は変わらず.おまけに「アナログ」と「地デジ」の並行放送が負担を増やし,さらに手を出してしまったBS放送も負担になっているのだとか.

 民放の視聴は無料だというけれど,地デジ騒ぎで,本来ならば不用な出費を余儀なくされた家庭も多いはず.
 おまけに液晶テレビは「音が悪い」ので,耳の悪い年寄りは音響部品にさらなる出費を強いられているはず.
 N○Kなんか悪質で,受信料のランクで,放送番組のランクも決めてるとか.絶対BSなんか着けんぞ((^^;)
 と,いっても,低価格放送も見もせんのに強制的に受信料を取られてるもんなあ….

 み~~んな,TVなんてやめてしまえば,少しは業界・官界・政界含めて反省したかも.

 不況で,娯楽はTVのみなんて世帯も増えつつあると思いますが,見てもらえる番組をつくらんと,ほんとにTV局,見放されッぞ.視聴者からも,スポンサーからも….

 

石炭の名前(7)「本草綱目」

 
 なにか,完全な間違いが生じていたようです.

 あいまいな書き方をする文献を先に読んでいたので,「石炭」は日本独自の用語であり,中華圏ではこの用語は使われなかったと解釈していました.が,より原著に近い文献に当たれば当たるほど,「本草綱目」には「石炭」が使われていたのではないかという疑問が生じてきました.

 なんとかその記述を見られないか,と,ネット上をサーフィンしていたら,以前にも見たことがある頁に当たりました.
 それは,国会図書館のweb pageで公開されているものです.
 以前見たときには,先入観から,日本でつくられた写本だろうとおもって放置してあったヤツです.頁の構成がわかりづらいので苦労しましたが,結局これは李時珍撰の初版本と見なされていることがわかりました(「石炭」の記述にいたるまでも,けっこう苦労しました(-_-;).

 つまるところ,「本草綱目」には「石炭」という見出しがあったわけです.

 テキスト化されたものも,現代訳されたものも見あたらないので,「ヘタ訳」してみました((^^;).
 途中までですけどね.
 けっこういろいろなことがわかります.

 時珍は,「石炭は即ち烏金石」だと言っています.「烏金石」とはなにかというと,辞典を引いても無駄で「石炭のこと」と書いてあります(ドードー巡り(^^;).
 これは,たぶん,いわゆる「メナシ炭(目無炭)」のことだと思います.
 「メナシ炭」は,通常の石炭とは異なり,植物の樹脂が主体となって炭化したもので,均質緻密なため,細工物の原材料として使われていたものです.日本でも,古墳の中から「装飾品」として発見されたことがあるそうです.
 この実物は見たことがありませんが,児玉清臣「石炭の技術史 摘録」に書いてありました.

 また,やはり,「上古は『石墨』と書にしるされている」と書いてあります.
 “石炭”で字を書くとか,眉を描くとか書かれていた二次文献がありましたが,これは誤解を招く説明不足です.“石炭”で紙の上に字を書いたら破けてしまいますし,眉を描いたら痛いだけです.
 これは“石炭”そのままで書いた(あるいは描いた)のではなく,微粉末にした“石炭”を用いたもので,ほぼ現代の「墨」と同じ役割を果たしていたわけです.

 さらに,「今は,俗に『煤炭』といわれている」と,あります.
 これは「煤[méi]」と「墨[mò]」とは発音が似ているからだそうです.

 わかる限り,最初は「石墨」と言われていたと時珍は判断しているわけです.
 それが,時珍の時代には,俗に「煤」・「煤炭」・「石煤」と呼ばれるようになっていたわけですね.
 もちろん,「本草綱目」成立後は,公式には時珍が選定した「石炭」が使われていたはずです.その一方で,俗称のほうも現場を中心に使われていたのでしょう.
 なんとなく,「殭石」が「化石」になった経緯と似ていますね.

 

2010年12月16日木曜日

石炭の名称(6)「本草綱目啓蒙」

 
 1847年に出版された「本草綱目啓蒙」には,「石炭」という見出しがありますが,よみは「カラスイシ」に戻っています.
 著者は小野蘭山.
 但し,私が見たのは「重丁版」(東洋文庫531)のみ.

 別にローカル名として,イハキ(長州),タキイシ,モヘイシ,イシズミ(筑前),イハシバ(筑前),馬石(伊州),ウニ(同上),ウジ(江州),アブライシ(播州)などがあげられています.

 また,文献から見つけたものなのでしょう.以下の名前も掲載されています.
 〔一名〕水和炭(明一統志) 石煤(本草彙言) 楂(燕間録) 礁(物理小識) 臭煤(物理小識)

 「石煤」は「地学の語源をさぐる」(歌代ほか,1978;東京書籍)に載っていたものと同じですね.
 「本草彙言」は1624~1645年ころ成立したとされていますが,詳細は不明です.これを信じるならば,もっとも古い“石炭”の名は「石煤」ということになります.

 う~~ん.矛盾だらけだ.またあとで整理しようっと(^^;
 

石炭の名称(5)「雲根志」

 
 1773(安永二)年に,「雲根志」前編が刊行されます.
 石之長者・木内石亭の著したものです.

 見出し語は「石炭」で,ここではじめて「よみ」も「せきたん」になります.
 記述は,これまでのものと大きく異なり,オリジナリティ豊かです.

 明白に,「植物の変じたもの」と断定しています.

 見出し語は「石炭(せきたん)」ですが,各地のローカルネームも紹介されていて,「ウシ(土ウシ,木ウシ)」,「からす石」,「石スミ」など.
 石亭は「堅きものは石」,「半ばなるは木」,「柔なるは土」とし,(現代的にいうならば)炭質岩石および石炭と泥炭とに分け,いずれも植物が変じたもので,まったく異なるものというわけではないという認識です.


 1801(安永八)年には,「雲根志」三編が刊行され,これにも「石炭」の項目があります.
 読みはやはり「せきたん」.

 しかし,ここでは以前「ウシ」と表記していたものを「ウニ」に変え,「雲丹」の漢字を使っています.雲丹は「石雲丹」・「木雲丹」・「土雲丹」に三分され,薪代わりに用いられるのは「木雲丹」であるとしています.
 気になるのは「本草綱目曰石炭昔人不用」とあること.本草綱目には,やはり「石炭」とあったのでしょうか….

   

石炭の名前(4)「物類品隲」

 
 さて,1763年刊の「物類品隲」は,名高い平賀源内の作ですが,ここでも見出しは「石炭」.しかし,よみは「カラスイシ」とされています.
 そして,ローカルネームとして「イワシバ」・「イシズミ」があげられています.

 美濃,大和水谷川,信濃,筑前鞍手郡などから産するとし,品質のランクづけをおこなっています.

 「物類品隲」は現代思潮社から復刻され,現代思潮新社から購入できます.
 

石炭の名前(3)「和漢三才図会」

 
 1712年に出版された「和漢三才図会」(寺島良安著)では,やはり「石炭」という用語が使われていますが,こちらの「よみ」は「いしずみ」.別の読み方として「シツタン」と振ってあります.これは「石炭」を中国語読みすると[shí-tàn]になることからきているのでしょう.
 別名として,「煤炭」・「石墨」・「鉄炭」・「焦石」・「烏金石」があげられています.

 我々が見ることができるのは,東洋文庫版「和漢三才図会」と国会図書館のweb page(近代デジタルライブラリー)で公開されているものです.

   


 さて,困ったことに,本文には「本綱石炭南北諸山出處多」とあります.これは,「『本草綱目』には『石炭』は『南北の諸山』に『出』る『處』,『多』し」と読むようです.すると,「本草綱目」には「石炭」という見出しがあることになってしまいます.
 それでは,なぜ見出しが「石炭」で,「別名」に「煤炭」があげられているのでしょう.
 「本草綱目」の原著にどのように書かれているのか,確認が必要です.日本にも原著がいくつか現存するようですが,典型的な「お宝」のようで,わたしには確認不可能です.

 もし「本草綱目」に「石炭」という見出しがあったのだとすると,「石炭」から「煤炭」に変わったのは「本草綱目」が出版された1596年から,「天工開物」が出版された1637年のあいだのこと.なぜなら,1637年刊行の「天工開物」には「煤炭」という見出しがあるからです.


 なお,九州大学図書館のweb pageで公開されている「天工開物」の見出しは「煤炭」ですが,平凡社・東洋文庫版の「天工開物」での見出しは「石炭」になっています.

   


 東洋文庫版はうかつにも「原本」が明記されていず,確認はできません.しかし,章末に示された図版には「南方求煤」と書かれており,もとは「煤」もしくは「煤炭」と書かれていた可能性を示しています.

 また,東洋文庫版では「注」として「中国語で石炭を俗に煤とか煤炭という。」と書かれています.そうすると,「正=石炭」&「俗=煤 or 煤炭」ということを強調していることになります.
 付け加えておくと「古くは石炭を石墨とよんだ。顧炎武の『日知録』巻三に墨が煤に誤ったという。」していますが,これは明らかに説明不足です.

 「古くは石炭を石墨とよんだ」というのなら,証拠をのせるべきです.
 後半は,日本語として変です.何通りにも読み取ることが可能です.「顧炎武」の「日知録」(巻三)を見ることができれば,なにが起きたのか知ることも可能ですが,ま,それは不可能でしょう.お宝ですから.

 さて,東洋文庫版の「注」が「顧炎武が『日知録』で「昔は『墨』・『石墨』とされていたのを『煤』と誤記するようになったのだと指摘していたのだ」とすれば,顧炎武の『日知録』が出版されたのは1670年ころといいますから,実は「石墨」と“石炭”とは別のものだということがわかり,それに「煤」という名を与えたのは,誤記ではなく区別のためだったのかもしれません.いずれにしろ,あいまいなことばかりですが….


 なお,「和漢三才図会」では,「石墨」は「石炭」の異名のように書かれていますが,石炭で「字を書いたり,眉を描いたり」というのは「妙」なので,「石炭」と「石墨」の区別がついていないのだと思われます.
 なお,東洋文庫版では「石墨」に「せきぼく」と読みを振っていますが,国立国会図書館蔵のweb page公開版では「ふりがな」は振ってありません.訳者の勇み足なのかもしれません.


 末尾に,石炭は「筑前の黒崎村」,「長門の舟木村」で産するとし,現地の人は薪の代用にしているとあります.
 

石炭の名前(2)「大和本草」

 
 1709(宝永六)年には,「石炭」という用語が使われています.
 原著は貝原益軒「大和本草」.

 しかし,この用語の「よみ」は「もえいし」となっており,「せきたん」ではありません.

 このとき,すでに「すくも(泥炭)」とは異なるものと認識されていて,また,漢方医が用いる「乾漆」とも異なるものだと明記されています.

 「大和本草」は「本草綱目」をネタ本とし,日本版として作成されたものです.しかし,現在「本草綱目」は見ることができないので,比較検討はできません.「本草綱目」に「石炭」という「見出し」が有るとは思えないのですが,貝原益軒の造語なのでしょうかね.
 また,「日本にも處々に多くあり」と有りますが,日本における「石炭」の産地などは明記されていません.

 なお,「大和本草」は中村学園図書館のHPで閲覧可能です.
 

石炭の名前(1)

 「石炭」は日本独自の名称とされています.
 中国では,古くから「煤[méi]」・「煤炭[méitàn]」と呼ばれ,現在でもこの言葉が使われています.

 では,「石炭」という用語は,いったい,いつころ成立したのでしょう.

 地質学用語の由来をしらべるのに便利な「地学の語源をさぐる」(歌代ほか,1978;東京書籍)という本があります.しかし,残念ながら,「石炭」については,書いてあることはあいまいです.
 「漢の時代から文献に見える」とし「それには煤・石煤・また[石某](組み合わせで一文字.現在は使用されない)の字が用いられた」とあるだけです.

   


 幸いなことに,江戸時代の本草学者(博物学者)の著作のいくつかが活字化されていて,入手可能ですし,ま,まれではありますが,図書館などに蔵書されている当時の本が,web上で公開されている場合もあります.

 だいたい,こういう文献は“お宝”ですから,我々が見ることすら不可能な場合がほとんどで,事実の確認に障害になっています.
 活字化された場合でも,あいまいなことが多く,混乱をまねく元になっている場合もあるようです.

 それでも,いくつか検討することが可能ですから,やってみることにします.
 

散歩減り


 「散歩減り 糞もなくなる 厳冬期」

 このあいだ,「犬の糞」でGoogleしたら,予想どおりたくさんの「憤慨(糞害)」する人たちがでてきました.
 予想外におおかったのが,飼い主の側の自己弁護.注意されたので(あきらかに)「逆ギレ」している記事.

 わたしも,これ,体験してます.
 ベランダから下をながめていたら,花壇の擁壁の影でゴソゴソしてる犬と飼い主.
 「そこで糞をさせないでくださいね」と,声をかけると,逆ギレしたおばさん.「させてませんよ!」,「させてませんからね!」と大声.
 反応にビックリして声を失っていると,そそくさと去ってゆきます.

 あとで現場にいってみると,濡れたコンクリート.
 そういえば,「糞はダメだが,小便はいい」という勝手なルールを作ってる飼い主もたくさんいるようで.どっちもかけられる方にとっては大迷惑です(こんな当たり前のことがわからない?).
 これらは,石灰をまいて,防臭スプレーをかけておかなければなりません.ほとんど効果はありませんが(だって,次から次へだもんね).


 一方,こういう逆ギレにも,しばしば遭遇しているのか,「憤慨している人たち」もしくは「糞害をうけている人たち」が,なんとかこれを「ユーモア」でかわそうとしていること.
 飼い主に云ってもダメだから,「飼いイヌへの忠告看板」なんてのも,たくさんありました.
 「糞と一緒に,いずれアンタも棄てられる」


 今日は急激に冷え込みましたので,朝の散歩はひかえた飼い主がおおかったようです.
 でも,これから多くなるのが,夜間に犬を放す人たち.
 寒いからついていくのがイヤなようで.糞も片付けずにすむしね.
 朝になったら自宅へ帰ればいいですが,ここは通学路なので,子どもたちに事故が起きないかが心配ですね.

 「厳冬期 夜間に増える 離れイヌ」

 「癒し系 他人にとっては 迷惑系」

 おそまつ
 

2010年12月13日月曜日

犬の糞


 「犬の糞 半年ばかりは 雪の下」

 無神経な飼い主が増えたせいで,周囲の歩道ばかりか敷地内にまで糞尿を落としていくイヌが増えました.
 もちろん,イヌに責任があるわけではなく,全ての責任は飼い主にあります.

 驚いたのは,最近,妻が経験したことです.
 妻が帰宅して車を車庫に入れようとしたら,我が家の玄関先にまいてある砂利の上で,イヌが小便をしています.もちろん,離れイヌではなく,鎖の先には飼い主の手が….
 この飼い主,妻が車庫に車を入れようとしているのを邪魔しているばかりでなく,家主の前でイヌに糞尿をさせて,なにも感じてないわけです.

 つい数日前の新聞に,類似のことが出ていました.
 「自分が他人になにをしてるのか」気がつかない人が増えているというのですね.

 狭い道路の真ん中で,右折しようとしている車.
 道路に平行に一時停止していれば問題はないのに,斜めに停止して,後続車が連なっていても「意に介していない」のです.

 同じく車の話ですが,狭い道路から広い道路への交差点.
 「右折禁止」の看板が出ているのにもかかわらず,なにがなんでも右折しようとしてる車.
 後続車が連なっていても,もちろん,なにも感じていないわけです.

 町中で,蛇行運転や超低速運転をしているドライバー.
 見ると必ず,携帯電話です.

 自分がルール,マナー,エチケットに反していることに気付かない人たち.
 それとなく注意されても,普段からそれをしているから,それらが他人に不快感を与えていることなど,思いもよらないというわけです.
 これが,けっしてその人が悪人・反社会的な人なのだというわけではなく,ただ「それが理解ができない」のだそうです.

 最近,マスコミを賑わしている「暴力事件」も,根は案外そんなところかもしれません.

 こういう人たちは,「これこれこうだから,そういうことは他人にはしてはいけないのだよ」と教えても,「理解できない」のだから「逆ギレ」するのが関の山です.
 いきおい,関わり合いたくないから,「二度とコンタクトをとらないでくれる」とお願いしても,「自分は悪くない」と思っているから,しばらくしたら又やってきます.
 自分の言葉が,どんなに相手を傷つけたとしても,「あれはジョークだ」ですまそうとする人たちです.「ジョークが理解できないおまえが悪い」とか,言い出しそうです.


 どんな動物も,必ず,相手とは距離をおいて生活しています.
 相手を傷つける恐れがあるからです.

 人間だけは,空間的にも精神的にも非常に密接して生活しています(ヒトが飼っている家畜もそうですね).
 これは,「ヒト」の性質だというわけではありません.
 単に,コントロールする(権力者)側にとってコストパフォーマンスがいいから(集約的)というだけの理由です.

 ヒトも動物ですから,他のヒトと常に接して生活していると,それだけでストレスが生じます.
 このストレスを緩和する目的でつくり出されたのが,ルール・マナー・エチケットです.
 それも守れない人間が増えているということは,この社会が崩壊する寸前だということなのかもしれません.

 あ.もちろん,昔だって,そういう人間がいなかったわけではないですよ.
 ただ問題になるほどは密度がなかったということですね.

 半年ぐらい,人間関係の汚物をおおってくれる「白い雪」はないモンでしょうかね.

 

2010年12月8日水曜日

地質学から見た北海道学

 
 ここ半月ばかり,某団体から依頼を受けて,「地質学から見た北海道学」というテーマで,講演をやってました.
 一回二時間で六日間.

 内容は,以下のような感じ.

Ⅰ)蝦夷と地質学=近代地質学の導入と北海道=
 1)前史:和地質学
  a) 蝦夷キリシタン=大千軒岳金山=
  b) 「山相秘録」by 佐藤信淵
  c) 冒険家たちの地質学
 2)本史:蝦夷地質学
  a) 箱館鉱山学校=近代地質学の導入=
  b) "Japan in Yezo" by Thomas Wright Blakiston:箱館戦争の勇者たち
  c) もうひとつの「日本地質調査所」=ライマン調査隊=
 3)後史:札幌農学校から北海道帝国大学理学部地質学鉱物学教室へ(調査中につき略)
  a)「地質測量生徒」の地質学=石川貞治・横山壮次郎の生涯=
  b)北海道帝国大学理学部地質学鉱物学教室,開室す.
  c)地質学の滅亡=北海道大学理学部地質学鉱物学教室,閉室.

Ⅱ)地球の時間=地球観=
 1)我々の先祖はいかにして地球を認識したか
  a)ゴーギャンの問いかけ
  b)自然史の系譜
  c)地質学と地球科学
 2)近代地質学の成立=山脈の研究
  a)聖書地質学
  b)(神がいなくても)地球は回る=アルプスの真実
  c)近代地質学の誕生
 3)地球の時間
  a)地球時間認識の歩み
  b)古生代・中生代の生物群
  c)地球時計・地球カレンダー

Ⅲ)化石の意味
 1)化石とは
  a)「化石」とは?
  b)ベリンジャー事件
  c)化石化作用
 2)生き物としての化石
  a)「生きている化石」の研究
  b)「絶滅してしまった古生物」はどうするか
  c)類縁の生物が見つからない古生物はどうするか
 3)記録書としての化石
  a)示準化石と示相化石
  b)化石による地層同定
  c)動植物と地質時代

Ⅳ)失われたものたち=北海道の化石・古生物=
 1)穂別の化石から
  a)長頸竜
  b)ウミガメ
  c)滄龍類
 2)同時代の道内の化石から
  a)翼竜
  b)アンモナイト
  c)イノセラムス
 3)道内の博物館から
  a)中川町エコミュージアム
  b)足寄動物化石博物館
  c)沼田町化石館

Ⅴ)我々の時代=第四紀=
 1)魔境へ
  a)魔境へ(フランケンシュタインの誕生)
  b)そして,魔境へ(アルプスと北極海)
  c)第四紀年表
 2)氷河期
  a)四つの氷期(?)
  b)氷期のイメージ
  c)氷河がもたらす変動
 3)新古生物学(現世生物学と古生物学の合体)
  a)ナキウサギ
  b)ヒグマ
  c)サケ

Ⅵ)北海道地質構造発達史=テーテュスの末裔の旅=
 1)テーテュス海
  a)パンゲア - パンタラッサ - テーテュス海
  b)テーテュス海の消長
  c)動物群の進出
 2)テーテュス動物群
  a)化石種
  b)現生種
  c)(略)
 3)北海道地質構造発達史
  a)穂別町地質構造発達史
  b)平朝彦「日本列島の誕生」
  c)北海道地質構造発達史

 最終回は今度の金曜日なので未了.

 いずれも,以前にやったことがある内容なので,それほど負担ではないのですが,しばらく放置してあったので,ブラシ=アップが大変でした.
 なにせ,ほとんどの図はイラストレーター10で作成したものなので,描き直そうそしたら,現在使用中のイラストレーターCS3はファイルの書き換えを要求します.
 ま,これが,メモリ足りない事件の始まりね(^^;.

 またこんな講演というか授業をする機会があるだろうかな~~.
 でも,久しぶりに充実してました.
 

メモリ増設

 
 前回,ブツクサたれましたが,今はとっても快適です(^o^).

 ちょっと,あるMac用メモリ専門の販売会社を想い出したからです.
 大昔になりますが,G3MTの寿命を延ばしたときにも,この会社のお世話になりました.

 同社のHPを読んでいると,我が愛機のメモリ搭載量は,アップル公式には4GBなんですが,実際には6GBまで積めるとか.
 さっそく,追加分を注文したら,先ほどとどいて,新しいメモリをインストールしおわったところです.

 なんとまあ(!),ストレス無くアプリが動くこと(!)

 ありがたい会社があるモンです(感謝!!).

 それにしても,virus barriersがほとんどメモリを独占してるなあ.
 今度は余裕があるからいいけど(^^;

 

2010年11月29日月曜日

バージョンアップって

 
 最近,愛機Macの調子が今ひとつだったので,どうせならと思い,レパード(OS 10.5)からスノーレパード(OS 10.6)に入れ替えました.
 メモリ管理もよくなっているという話だったので.

 一時的に動作は安定しましたが,すぐに,鈍くなりました.

 アクティビティ・モニタで観察していると,どうやら,ブラウザとウィルス・ワクチンソフトでほぼメモリを食い尽くしている様子.
 ほかのソフトを立ち上げようとすると,メモリ不足になり,邪魔をするんですね.
 ネットでいろいろ調べながら,ワープロで記録なんて,単純なことがやりにくくなってきた.
 画像ソフトなんか立ち上げると,しばしば立ち止まります.

 なんだかなあ

 OSをバージョンアップすると,アプリが(未対応で)使えなくなり,アプリをバージョンアップするとメモリが足りないと不平を言う.
 やっぱ,OSのver. up.なんて,するモンじゃあないのかな.

 それにしても,レパードからスノーレパードなんて,ただのバグアップだと思っていたら,相変わらず,インストール時からアクセス権の不備があり,これは修正ができません.
 なんなのこれ.意味ないじゃん.

 そのくせ,64ビット化とかで,新しいアプリはメモリをたくさん要求するし,インストールに必要なディスク容量も倍々ゲームで増えてゆく.データファイルも共通ではなく,しょうがないので書き換えると,ファイルサイズが三倍近くに一挙に増える.
 軽い動作のver. upを売り物にするアプリメーカーはないものでしょうかね.

 タイムマシンはやたら動きが活発になり,毎回Gバイト単位でバックアップやってるので,当分のあいだ持つだろうと踏んでいたバックアップ用の外付けHDもすぐに一杯になりそう….

 えーい.こうなったら,新しいマックを….
 あ,メーカの思うつぼだ(^^;

 

2010年11月6日土曜日

マラリア

 
 北海道におけるマラリア発生数(明治43~大正2年)

年度        人口        患者数        死亡者数        人口対患者数(%)
大正 二        1,803,181        6,440        9        0.357
大正 一        1,739,099        9,794        2        0.563
明治四四        1,667,593        12,559        14        0.753
明治四三        1,610,545        11,748        48        0.357

(西島浩,1967「北海道開拓と虫害(二)」より)



 一時期,「地球温暖化が起きると,日本でもマラリアなど南方の伝染病が流行るであろう」というキャンペーンがありました.最近はあまり聴きませんけどね.

 この話は,なにかおかしいな.と,思っていたのですけど,この資料を見つけました(実際には,数年前に見つけていたんですが,その後,入院したりなんだりで,失念してたヤツです).
 この記録によると,明治末期から大正にかけて,北海道の開拓が本格的に始まった時期ですが,死者が出るほどマラリアが流行っていました.
 もちろんこれは,公式な記録がとられ始めてからのものということで,実際には,明治の初めから発症の記録があるそうです.
 媒体であるハマダラカは北海道の気候に適応して生きていたということが記録されています.当時の北海道は,現在よりはるかに寒かったのにもかかわらず.


 北海道におけるマラリア発生数(昭和22~38年)

年度 患者数 罹患率 死者数 死亡率(%)
昭和
38        1        0.0        1        0.0
37        -        -        -        -
36        -        -        -        -
35        -        -        -        -
34        -        -        -        -
33        -        -        -        -
32        4        0.1        2        0.0
31        17        0.4        1        0.0
30        9        0.2        -        -
29        12        0.3        -        -
28        5        0.1        3        0.1
27        7        0.2        1        0.0
26        21        0.5        2        0.0
25        18        0.4        2        0.0
24        47        1.1        3        0.1
23        111        2.8        6        0.1
22        186        7.4        11        0.3

(西島浩,1967「北海道開拓と虫害(二)」より)



 別表ですが,昭和に入ってからも,北海道ではマラリアによる死者があったということです.昭和28年はわたしが生まれた年ですが,この頃になっても,まだ死者がいました(@_@;).
 この間,いま売れっ子である「戦場カメラマン」がいってましたが,現在の日本にはマラリアを治療できる施設がないそうです.たった半世紀でそうなってしまった.

 昭和32年以降は死者が記録されていませんので,この頃になってようやくマラリアの恐怖から脱したということになります.意外と最近まで,マラリアは流行っていたんですね.
 日本で,マラリアが流行しないのは,流行源であるハマダラカが生息しにくい環境を作りあげてきたためで,沼地・藪などを放っておけば,(別に温暖化などなくても)流行しているはずだということです.気温には関係がない.
 いまだに,不勉強なマスコミ関係者がポロッと「温暖化が進むと日本でもマラリアが流行る」などと平気でいってるのを聴きますが,歴史は「それはウソだ」ということを教えてくれています.

 なお,昭和38年に死者が一名出ているのは,敗戦後の南方からの復員兵であり,例外です.

 

2010年11月4日木曜日

旭川市長選

 
 まことにつまらない話題ですが,旭川市長選が始まりました.

 「アイディア園長>アイディア市長?」で触れたようなことにはなりませんでした.
 小菅さんが立候補を取りやめたのです.

 先日,「広報」が配布され,「公約」なるものが一般公開されました.
 候補者は政治屋と業者という,まことにつまらない争いになりました.
 期待していただけに,反動で興味が全くなくなりました.
 少しは文化的な街になるかなという期待を持っていたのですが,また同じです.
 同じでは,この街は後退するばかりということが,政治屋と業者にはわからないようで.


 小菅さんが立候補を取りやめたのは,(本当のところはわかりませんが)ja民党の影がちらほらし,市民を基盤とした運動にならなかったからだともいわれています.
 そら,そうだわなァ.
 「文芸復興」を看板に掲げてくれれば,全面的に協力できるけど(わたしの協力があっても,意味ないか(^^;),背後にja民党の影があったら,小菅という人物は,ただの「人寄せパンダ」だものなあ.


 市長選が終わるまでは,広報をとっておこうと別にしておいたのですが,いつの間にか古新聞と一緒になってました(象徴的).
 そうだわな. “公約”らしきものが,書いてないもの.

 ないに等しい業績を強調する人と,“公約”というものがわかってない人と,相変わらずの「あれもやります.これもやります」タイプと….
 不毛の選択というヤツですね.


 ところで,首長の「育児休暇」が流行ってるとか.
 いいなあ.長女が生まれたとき,上司に育児休暇のことを話したら,無視された.してみると,首長というのは,田舎町の学芸員より「必要ないもの」なのですかねェ(時代もありますけどね).
 そうだろうなあ.日本では,いろんなレベルで,お役所公務員が“優秀”だから,首長が首長らしいことをやる機会なんて,ほとんどないですモンね.


 もっと必要ないのが,市町村議会の議員ですね.
 なにしてるかわからない無駄の最たるもの(市政のダニとまではいいませんが).
 ボランティアの町内会長で十分代用がきくと思いますね(議会開催時の日当だけ払えばよい).
 全面廃止がいいと思いますが,即刻半数に減らしてもかまわないでしょう.

 ああ.つまらないことを書いてしまった(-_-;

 

2010年11月1日月曜日

小山内煕さん pt. II

 
小山内煕さんの業績リスト(とりあえず,ネット上で検索できるものと,北大関係だけです)

1950:
小山内煕(1950MS) 胆振国洞爺湖西部及び西南部の地質.北大理地進論,262号.
日高進・澁谷五郎・森脇孝洋・小山内煕・秋葉力・山田與ニ(1950)洞爺湖周辺の地質.新生代の研究,(2): 23.

1951年卒業
小山内煕(1951MS) 石狩国樺戸山地東部周縁の地質.北大理地卒論,号.

1951:
小山内煕(1951)石狩国樺戸山地東部周縁の第三系.地質学雑誌,57(670): p. 281.

1952:
長尾捨一・小山内熙・ 酒匂純俊(1952)石狩国上川郡南富良野村・金山鹿越および幾寅附近の石灰石鉱床.北海道地下資源調査資料,(4): 1-14.
斉藤昌之・小山内煕(1952)西南北海道東部地域の地質(第1報 登別泥流についての2,3の問題).北地要報,20号,1-6頁.

1953:
小山内熙・酒匂純俊(1953)五万分の一地質図幅「室蘭」および同説明書.札幌-第69号,北海道立地下資源調査所.

1954:
長尾捨一・小山内煕・酒匂純俊(1954)五万分の一地質図幅「大夕張[石狩鹿島]」および同説明書.札幌-第24号,北海道開発庁.
小山内煕(1954)五万分の一地質図幅「稚内」および同説明書.旭川-第3号,北海道立地下資源調査所.
斎藤昌之・小山内熙・酒匂純俊(1954)五万分の一地質図幅「登別温泉」および同説明書.札幌-第61号,北海道立地下資源調査所.
勝井義雄・石川俊夫・鈴木淑夫・秋葉力・酒匂純俊・小山内熙・木崎甲子郎(1954) 大雪火山熔岩の岩石学的特性(講演要旨).地質学雑誌,60: 320.
柴田松太郎・小山内煕・藤江 力・松井 愈・三谷勝利(1954)天北炭田・知来別川上流における宗谷爽炭層と鬼志別層との関係についての一観察ー炭田における海成層と非海成層の関係についての考察.新生代の研究,(19): 360-366.

1955:
酒匂純俊・小山内熙(1955)五万分の一地質図幅「下川」および同説明書.網走-第12号,北海道開発庁.

1956:
小山内煕・杉本良也・北川芳男(1956)五万分の一地質図幅「札幌」および同説明書.札幌-第21号.北海道地下資源調査所.
長尾捨一・小山内熙・三谷勝利(1956)金山炭田調査報告.北海道地下資源調査資料.(19): 1-30.

1957:
小山内熙・三谷勝利・石山昭三(1957)五万分の一地質図幅「知来別」および同説明書.旭川-第5号,北海道開発庁.

1958:
小山内煕・長尾捨一・三谷勝利・長谷川潔・橋本亘(1958)五万分の一地質図幅「石狩金山」および同説明書.札幌-第25号,北海道開発庁.
三谷勝利・小山内煕・橋本亘(1958)五万分の一地質図幅「足寄太」および同説明書.釧路-第19号,北海道開発庁.

1959:
小山内熙・三谷勝利・北川芳男(1959)五万分の一地質図幅「宗谷・宗谷岬」および同説明書.旭川-第4号・第1号,北海道立地下資源調査所.
長尾捨一・小山内煕・石山昭三(1959)五万分の一地質図幅「恵庭」および同説明書.北海道開発庁,31p.
小山内熙・武田裕幸・石山昭三(1959)北見国中頓別町の石灰石.北海道地下資源調査資料.(55):27-38.
小山内煕・松下勝秀(1959)日高山脈西縁の白堊系.1 双珠別・千呂露・シビチャリ地域の白堊系の層序.北海道地下資源調査所報告,(21): 17-28.
長尾捨一・小山内熙(1959)勇知油田調査報告.地下資源調査所報告,(21):42-45.
小山内熙(1959)枝幸町管内の石灰岩.地下資源調査所報告,(21): 59-60.
酒匂純俊・藤原哲夫・松下勝秀・小山内熙・斎藤昌之・武田裕幸(1959)士別市の地質と地下資源.地下資源調査所報告,(21): 065-094

1960:
小山内熙・松下勝秀(1960)日高山脈西縁の白亜系 2右左府,糠平川,新冠川,宿主別川,イドンナップ川,アブカサンベ沢,高見,三石,鳧舞川地域の白亜系の層序. 地下資源調査所報告,(24): 19-37.
小山内熙・三谷勝利・高橋功二(1960)五万分の一地質図幅「共和」および同説明書.旭川-第26号,北海道開発庁.
小山内煕(1960)美瑛町白金温泉付近地質調査報告.地下資源調査所報告,(24): 67-72.
長尾捨一・小山内熙・三谷勝利・斎藤尚志(1960)奥尻島ホヤ石川支流の石炭地下資源調査所報告,(24): 74-74.

1961:
小山内煕(1961MS)日高山脈西縁に発達する蝦夷層群の研究 : 特に堆積相・表質構造の考察.北海道大学理学部,博士論文4029.
橋本誠二・鈴木守・小山内煕(1961)五万分の一地質図幅「幌尻岳」および同説明書.釧路-第50号,北海道立地下資源調査所.
小山内熙・三谷勝利・松下勝秀(1961)五万分の一地質図幅「厚岸」および同説明書」.北海道立地下資源調査所.
鈴木守・小山内煕・松井公平・渡辺順(1961)五万分の一地質図幅「イドンナップ岳」および同説明書.釧路-第56号,北海道開発庁.
小山内熙・松下勝秀(1961)日高山脈西縁の白亜系3 堆積相の考察・地質構造・総括.地下資源調査所報告, (25): 79-107.
長谷川潔・小山内熙・鈴木守・松下勝秀(1961)北海道中軸地帯の先エゾ層群-地層区分の提案-.地下資源調査所報告, (25): 108-115.
小山内熙(1961)三石町三石川の石灰石鉱床.地下資源調査所報告,(25): 158-158.
小山内熙(1961)浦河町春別川の石灰石鉱床.地下資源調査所報告,(25): 158-159.

1962:
三谷勝利・斉藤尚志・小山内熙(1962)増幌背斜-天北油田北部-地域の石油および天然ガス.北海道地下資源調査資料.(79): 1-16.
酒匂純俊・小山内煕(1962)五万分の一地質図幅「千呂露[千栄]」および同説明書.釧路-第40号,北海道立地下資源調査所.
小山内熙・早川福利・大井戸恭(1962)幌別川工業用水ダム地点地質調査報告.地下資源調査所報告, (27): 49-60.

1963:
小山内煕・三谷勝利・石山昭三・松下勝秀(1963)五万分の一地質図幅「中頓別」および同説明書.北海道開発庁, 58p.
三谷勝利・斉藤尚志・松下勝秀・小山内熙(1963)増幌川源流および南部-天北油田北部-地域の石油および天然ガス.北海道地下資源調査資料,(88): 1-18.
松下勝秀・小山内熙・鈴木 守(1963)北海道爾志郡乙部村字豊浜に発生した『地すべり』について-豊浜地すべりの地質的考察-.地下資源調査所報告, (31): 31-40.
小山内熙・斎藤尚志・石山昭三(1963)遠別町の天然ガスおよび温泉.地下資源調査所報告, (31): 58.
土居繁雄・小山内 熙・松下勝秀(1963)美深町の地質.美深町,35p.

1964:
小山内煕・斎藤尚志・石山昭三(1964)遠別町の天然ガスについて.地下資源調査所報告,(32): 63-70.
小山内熙・石山昭三(1964)穂別町福山の石灰石.地下資源調査所報告, (32): 78-79.

1965:
小山内熙・庄谷幸夫(1965)五万分の一地質図幅「恩根内」および同説明書.旭川-第27号,北海道開発庁.
小山内煕・石山昭三・松下勝秀(1965)上富良野町十勝岳温泉について.地下資源調査所報告,(34): 53-58.
三谷勝利・小山内煕・松下勝秀・鈴木守(1965)五万分の1地質図幅「函館」および同説明書.32p,北海道立地下資源調査所.

1966:
斎藤尚志・内田豊・小山内煕・石山昭三・竹林 勇・鈴木豊重(1966)遠別町の天然ガスについて (第2報) -旭地区のボーリングおよびその結果-.地下資源調査所報告35,北海道立地下資源調査所.

1967:
小山内煕・石山昭三・松下勝秀・三谷勝利・高橋功二(1967)石狩炭田南部穂別炭鉱地域の地質.北海道地下資源調査資料, 109号,1-18.
酒匂純俊・小山内煕・松下勝秀・金山喆祐(1967)五万分の一地質図幅「落合」および同説明書.札幌-第28号,北海道開発庁.
松下勝秀・平田一三・小山内煕・石山昭三(1967)五万分の一地質図幅「標津・野付崎」および同説明書.網走-第63・64号,北海道立地下資源調査所.

1968:
小山内煕・酒匂純俊・松井公平・松下勝秀(1968)五万分の一地質図幅「西達布」および同説明書.釧路-第15号,北海道開発庁.

1969:
小山内熙・三谷勝利・松下勝秀・石山昭三(1969)留萌炭田住吉炭鉱地域の地質.北海道地下資源調査資料,(117): 19-27.

1970:
小山内煕・松下勝秀・長尾捨一(1970)五万分の一地質図幅「士別」および同説明書.旭川-第36号,北海道立地下資源調査所.

1971:
高橋功二・小山内熙・松下勝秀・三谷勝利・中村耕二(1971)五万分の一地質図幅「蕗之台」および同説明書.旭川-第31号,北海道開発庁.

1972:
松下勝秀・藤田郁男・小山内煕(1972)札幌・苫小牧低地帯およびその周辺山地の形成過程.地質学論集 (7): 13-26.

1973:
小山内煕ほか(1973)八雲町の地質.八雲町(→1974).

1974:
小山内煕・鈴木守・松下勝秀・高橋功二・山岸宏光・山口久之助・国府谷盛明・寺島克之・横山英二(1974)八雲町の地質.八雲町,75頁.
小山内煕, 長谷川潔(1974)札幌ー定山渓地質案内 : 地質巡検案内書.日本地質学会北海道支部,32頁.

1977:
松下勝秀・寺島克之・小山内煕(1977)五万分の一地質図幅「剣淵」および同説明書.旭川-第40号,北海道立地下資源調査所.

1978:
長谷川潔・小山内煕 (1978)国富ー定山渓地域の地質と鉱床ー地質構造発達史を中心として—.北海道立地下資源調査所調査研究報告,5: 1-37.

2010年10月30日土曜日

小山内煕さん

 
 例によって,古いノートを整理しています.
 穂別地域の地質についてメモしているノートが出てきました.

 最初に書いてあるのが,つぎの論文でした.

小山内煕・石山昭三・松下勝秀・三谷勝利・高橋功二(1967)石狩炭田南部穂別炭鉱地域の地質.
北海道地下資源調査資料, 109号.

 報告書の内容は,表題の通り,穂別炭鉱付近の地域地質について,です.
 この地域は,地質学史から見ても重要な地域です.まだうまくまとまっていませんけど.


 わたしが学生のころ,小山内さんにはアルバイトで大変にお世話になりました.
 アルバイトの雇い主でした.
 このころは,某・地質コンサルタントの偉い人でした.古いタイプの地質屋の臭いのする人で,とてもすてきな人でした.地質屋には,こういう魅力的な人たちがたくさんいたので,わたしは一生地質にかかわって生きていたいと考えてたんですけどね….

 小山内さんは,この報告書のころは,道立地下資源調査所(現・道立地質研究所)にいらしたのですね.どうして,地質コンサルタントに転職されたのでしょうか.北大で教授をやってても不思議はない人だと思いますけどね.
 亡くなられてから,もうだいぶ経ちますね.生没年もわからない….地質図の生みの親といわれるスミスと英国地質学会の関係を想い出します.

 どうせなら,小山内さんの業績をまとめておこうと,論文・報告書などを検索すると…,出るわ出るわ,凄まじい量です.簡単にはまとまりそうもない.これは,おいおいやってゆくことにします.
 小山内さんは,道内のたくさんの五万分の一地質図幅および説明書に関係していらっしゃいますし,地下資源調査所の報告書類も毎年のように出されています,そのどれもが北海道の地質にとって重要な資料です.それは「論文」ではなくて「報告書」.いかにも北大地鉱教室出身.ライマンの末裔ですね.
 たぶん,これらをまとめたら,北海道の一時代の地質研究史が浮かび上がってくると思います.楽しみのひとつです.


 あるとき,小山内さんがポツリと,こうつぶやきました.
 「俺は,息子に裏切られた」
 “へ?”と思いながら,小山内さんの顔を見ると,別に裏切られて悔しいと思っている人の顔ではなかったような気がしますが….
 そのときのわたしには,それがどういう意味だったのかは,理解できませんでした.
 いまは,なんとなく.


 小山内さんの息子さんは,現在,某大学大学院の教授をなさっています.日高山脈中軸部の変成岩類の研究で著名な方です.
 「日高造山運動」なるものは存在せず.
 日高山脈は,ただ,プレートのせめぎ合いによって偶然できたものに過ぎないと塗り替えられていった時期に,日高山脈の地質を研究されていた方です.いまも生き残っているのだから,どういう立場の人かは理解できるでしょう.

 そして,小山内・父といえば,湊・舟橋両教授の健在なころの北大地鉱教室出身.もしかしたら,親子二代で地向斜造山論からPT論への葛藤があったのかもしれません.
 小山内・父子は二人とも日高山脈周辺の地質を研究されてますからね.
 そのあたりは,小山内・ジュニアに記録を残しておいてもらいたいものです.当分,公表はしないにしても….


 わたしは,小山内さんがうらやましいです(わたしには,路を開いてくれた親もいなければ,志をついでくれる子もいない:雑草は雑草ということ).
 地質学に一生を捧げられただけではなく,親を乗り越えてゆく立派な息子まで育てたのですからね.小山内さんの「俺は,息子に裏切られた」という言葉は,むしろ,「息子は俺を越えていった.その息子を誇りに思う.」という意味だったのかもしれません.
 

2010年10月28日木曜日

「お馬鹿タレント」と「東大タレント」続き

 
 大学入試は制度疲労をおこしてるみたいですが,大学そのものも制度疲労をおこしているようです.

 歪んだ大学入試が高校の授業を歪め,たくさんの教科が選択になりました.
 そのため,ほとんどの大学では,第一年目の学生に高校の補習授業を行っているそうです.なぜって,なんの話をしても,「あ,日本史とってない」とか「あ.世界史とってない」とか,「あ,物理とってない」とか,「あ,生物とってない」という学生が必ずいて,授業にならない(もちろん,地学を選択した学生なんて皆無に等しい).
 学生のレベルを合わせないと,大学でやるような多少なりとも専門的な授業は不可能ということです.

 某大学で,しばらくの間,地学系の授業の非常勤をしてましたが,近代地質学の成立の話をしたら,授業についてのアンケートに「なんで,地学で歴史の話をするのか」と抗議の声がありました.
 わたしとしては,「西欧では産業革命が近代地質学を成立させた」,「日本に近代地質学が入ってきたのは,明治維新前のことで,この北海道が最初である」という話を授業のイントロに使ったつもりですが,高校では歴史が選択科目になってるので,基礎知識がなく,感情的に拒否反応を起こしたものらしいと,いまは思っています.

 たぶん,それとおなじ様なことが,すべての分野で起こっているのでしょう.
 大学レベルの授業を行おうとしたら,まず,高校程度の授業をやりなおして,学生のレベルをそろえてからでないと授業にならない,ということなんでしょう.


 就職氷河期といわれてい久しい現在,酷いことに,大学生は四年生になると,大学の授業なんかそっちのけで就職活動をはじめるそうです.
 つまり,四年生大学で大学レベルの授業を行えるのは,たった二年間ということになります.大学の短大化ですか.

 やってたのが非常勤で,それをしなくなってからも久しいので,実情は噂で聞くばかりですが,なにか,大学で授業をするというのは,わたしにとって非常に「おもしろいこと」だったのですが,「また機会があったらやってみたい」というその「欲」がなくなっている自分に気付きました.

 と,いいつつ,たのまれればなんでもやりますけどね((^^;).
 

2010年10月27日水曜日

「お馬鹿タレント」と「東大タレント」

 
 一時期の「お馬鹿タレント」ブームは過ぎ去ったようですが,「お馬鹿タレント」といわれた人たちは,相変わらず活躍してるようで,ご同慶の至りでございます.
 って,私の方には関係ないか((^^;).

 彼らは,「お馬鹿」といわれている割には,才能豊かで,頭の回転も速く,「頭がよいとはどういうことか」を考えるについての,すごく良い材料だと思いますね.
 彼らは,本当は「頭がいい」のだと思いますね.
 あの,頭の回転の速さは,だだものではありませんね.
 ただ,「学門方面」については,ほとんど訓練がなされてないので,その回転の速さも正解に結びつかず,突拍子もない結論に結びつき,そのギャップが笑いを誘うということですかね.

 彼ら,あるいは彼女ら自身が好きなことについては,とんでもない知識を持っていそうです.ただ,TV(こちらこそ「お馬鹿TV」ですよね)では,それを披露しても,うけそうもないので,やらないということですか.

 小学校・中学校時代は,どのように過ごしていたのでしょうか.気になるところです.
 彼らは,一種の天才なので,普通の授業では,頭に入らなかったのかもしれません.現在の義務教育の画一的な授業のあり方を考える材料にもなりそうです.


 さて一方で,我が国の“最高学府である東大”の学生あるいは卒業生がTVタレントとして,時々出ているようですが,彼らの,思ったより(東大ということで)頭の回転の悪さ,常識のなさに,「オヤッ」と思った人はいないでしょうか?
 最近は,特にその思いを強くしています.

 これは,大学の入試制度のせいだと思います.

 現行の入試制度は,受験生の現在の能力を測るものではなく,受験生の将来性を測るものでもないからです.
 ひたすら,受験テクニックを「細かく」測定するものでしかないのですね.
 それは,親が金をかけて,家庭教師を付けたり,塾に通わせたりすれば,身につくものです.本人の素質ではない.

 共通一次やその末裔が,学問の滅びにいたる道筋をつけている.しかも,今やかなり巨大な路になっている.
 そんな感じですね.

 もうすでに,かなりの数の,受験テクニックだけで東大に入り,お役所に入って,高級官僚になった人が出ているはずですから,お役所,国のやることがちぐはぐなのも….
 悲しいね.間違いであって欲しい.

 

2010年10月25日月曜日

そこそこオーディオ pt. ii

 
 復活させたステレオシステムの音には満足してるのですが,なにしろ20年近く前のものです.自分では,けっこう贅沢したつもりの機器です.しかし,時代に合わないこと,はなはだしいのですね.とくに入出力関係が….しからば,なにか適当な機械はないものかと…あさってみるのですが,よくわからない.

 オーディオの特集を組んでいる雑誌を何冊か購入して読んでみると…,もっと酷いことになりました.どれも,わたしの身分で購入できるような金額じゃあないのですね.オーディオ評論家なるひとたちがいて,凄まじいことをいっています.CDプレーヤー,アンプ,スピーカーの最低限のシステムでも30万円はかけないと音にはならないそうで,普通で50万円は必要だとか.それだけではダメで,専用のオーディオルームも必要だとか.
 なにが評論家かね.そんだけの金額を出したら,いい音が聞こえてあたりまえなんで,別に評論家の意見を聞く必要もないですね.
 おまけに,いっていることがよくわからない.
 なにか,疑似科学やオカルトのひとたちの言葉使いに,非常によく似ているような気がします.
 一見科学的な言葉を使ってるようですが,なにかちがう.理解できる言葉・論理が,ほとんどないんですね.明らかに「おかしなこと」も出てくる.

 しからばと,「オーディオ」と「オカルト」でGoogleすると,出るわ出るわ.
 そうか.オーディオ界とは,オカルトの世界だったんだ.
 と,納得(ためしにやってみてください(^^;).

 ま,趣味の世界ですから,お金をかけたい人は,それは好きにやってもらってかまわないんですが(たとえば,スピーカーコード:一本ン万円とか(・0・) (O_O) (@_@;)),わたしが思っているような,「リーズナブルな音と金額の最低限はどれか」などということガイドしてくれるオーディオ評論家はいないようで(ひょっとして,わからないということかな?).

 たとえば,某商品価格サイトで,売れ筋のオーディオ機器を調べてみると2~3万円というところで(もちろんこれは,ミニコンポ,セットコンポといわれるものですね),たまに4~5万円.かなり贅沢してるかなというところで10万円程度ですね.
 評論家さんと現実とは,大きなかい離がありますね.
 結局,アンプ一台50万円なんてものを購入するのは,わかっていてやっている「よっぽどの好き者」か,あるいは「洗脳されたかわいそうな人」ということになるのでしょうか.

 これでは,コンポーネントステレオで音楽を聴こうという人はいなくなって,みな,イヤホンにメモリカードというスタイルになるもの無理はありませんね.これなら,本体は1万円そこそこで入手できるし,あとの予算はソフトウェアの購入に回すことができますからね.

 もうしばらくたてば,必然的に,スピーカーを普通にならす,なんて技術は死に絶えてしまうかもしれませんね.
 

2010年10月24日日曜日

そこそこオーディオ

 
 最近,ますますTVがつまらなくなってきたので,独りでいるときはTVを消して音楽を聴いていることが多くなりました.

 最近のTV番組は,どうしてこんなにつまらなくなってしまったのでしょうね.
 ッて,原因は明らかですね.不況をいいわけに,お手軽番組しか作らなくなってしまったからですね.音楽番組もないし.映画も新作宣伝用以外は,ほとんどなくなった,ドキュメンタリーなんて,最近は見たこともない.科学番組・教育番組と称するもののほとんどは,あるある系ですしね.
 お笑いタレント集めて,お笑いではなく,スタントマン代わりをさせて,戸惑う姿を写して喜んでいるなんて,作る側も見る側も最低ですね.お笑いをさせろ!お笑いを!

 TVには,まったくお金を使いたくありませんが,地デジ騒ぎで,強制的に使わされてしまいましたね.まったく不愉快ですね.今度はどんな手で無駄なお金を使わせる気でしょうね.企業代表政府は….エコカー補助金(=無駄な政策)は,おわってよかった.どこが「エコ」なんだ?


 物置に放り込んだままだったステレオシステムを,今年の二月に,10数年ぶりに仕事部屋に復活させたら,ほぼ同時期に,血圧がドラスティックに下がったという不思議な現象がありました.以来,若いころに買ったアナログレコードのCD化版をさがして購入するということをやってました.
 さがせばいろいろあるモンです.
 こういうときは,「ネットで通販」は強い味方ですね.

 ジャズのCDは,だいたい満足するぐらいあって,とりあえずは購入する気はないのですが,若いころに聞いていたレゲエは,ほとんどアナログレコードしかもっていなかったので,さがしてみました.そうするとボブ・マーレィの復活盤なんて,大量にでてるじゃあないですか!.思わず,たくさん,あさってしまいました.
 「Kaya」なんか,聴いてると涙が出てきますね.
 「Exodus」,「Survival」は,元気が出る(カラ元気に近いですが…(^^;).
 ライブのCDがこんなにでているとは思いませんでした.これはむかしもっていたアナログレコードと同じものだけじゃあなくて,いろいろ購入((^^;).「Africa」はちょっと録音が残念だけど,「In Japan」や「at the Roxy」は十分満足できます.とくに「at the Roxy」のdisc twoはいい.
 もちろん,本家本元の「at the Lyceum」は鳥肌が立つくらい.「Babylon by Bus」もいいなあ((^^;).
 Bob Marley 万歳!

  

  




 サード・ワールドもいくつか発見しましたが,入手不可能なものも多いです.一番聴きたいのが,ない!(悲しい).
 しょうがないので,それはベスト盤をプラスしてガマン((--;)

  

 スティール・パルスは,むかしもっていたアナログレコードと同じものはとりあえず入手しました.

  


 そんなことをやっていたら,ついに,まずいものを発見してしまいました.
 それは,カルメン・マキ&OZの「ライヴ」(アナログレコードのときは「ラスト・ライヴ」だったと思いますが…).ロックはあまり聴かないのですが(とくに和製ロックは,ただのうるさい歌謡曲ですからねえ…),これは別((^^;).ロックです!(ただの,「思い込み」,「思い入れ」のたぐいですけどね(^^;).
 気がついたら,買ってました((^^;).

  


 あ,肝心の「そこそこオーディオ」に行き着かなかった((^^;)

 

2010年10月20日水曜日

アモンナイトに関するノート

 
 本棚付近が乱雑になってきたので,整理していたら,むかしやっていた「アモンナイト*分類に関するノート」がたくさんでてきました.

 博物館に勤めるようになってから,まもなくでしたが,大学の先輩から電話があって,「アンモナイトに関する普及書を書いてみないか」と誘われたのでした.いっしゅん食指が動きました.「博物館に勤めたら,当然そういう仕事ができるんだろう」と期待していたからです.
 でもその頃はすでに,就職した“博物館”が博物館としての機能をもっていず,「普通の博物館として存在する」までにも,相当時間がかかるだろうと思い始めていたころでしたから,「残念だけど…」と,断ってしまいました.

 それでも,いつかはそんなことができるようになるだろうと,あきらめきれずに,密かに空き時間を見ては,書きためていたノートでした.その博物館は長頸竜化石の発見を発端としてつくられた博物館でしたから,当然,同時代の古生物である「アモンナイト」も大量に“保管”されていました.
 「収蔵」といわずに「保管」としたのは,分類・整理もされずに「ただおかれて」いただけだったからです.採取地や採取者も判然としない「化石」が乱雑に積み上げられていたのでした(ただの納骨堂ですね).(ちなみに,研究もせずに,発見された資料を展示しているだけの博物館を「墓標型博物館」といいます.「~~文学館」とか「~~記念館」ってのは,たいていその典型です)

 これを「博物館に収蔵されている」といえるようにするまでには,実際に仕事を始められるようになってからも,3~4年かかりました.実際にというのは,なにせ,「収蔵品の整理・管理は博物館(=学芸員)の仕事である」ということを館長をはじめ教育長など役場の人たちは,まるで理解してなかったから,できなかったのです.
 学芸員の仕事といえば,図書館長と町史編纂室長を兼ねている博物館長の雑用係と考えられていました.だから,本来の博物館(=学芸員)の仕事である収蔵品の研究や整理,それからそれが進んでゆけば,当然考えられてくる系統的な資料の収集なんてことは,当初は夢のような状態でした.
 化石の採集に山に入っていたら,役場では「学芸員は遊んでばかりいる」と噂になっていたのにはビックリしました(誰が噂の元かは見当がつきますね.同様に,化石の整理のために論文を読んでいたら「学芸員は研究ばかりしている=役場職員としての仕事をしていない」といわれたものです:しょうがないので,こういうことは,ほとんど自宅で夜にやりましたね).

 あ,また血圧があがってきた((^^;).

 話を戻します.
 そんな中で書きためたものですから(いまから見れば非常に中途半端なものですが,書き込みをみると必死なようすがわかります(^^;),棄てるに棄てられず,とりあえず,いま,PDF化しています(役に立つ日が来るんだろうか.もう,すでに「日暮れて路遠し」の状態だというのに(^^;).
 そんな中に,松本達郎九州大学名誉教授からきた手紙が入っていました.あるアモンナイトを調べているときに,どうしても記載論文がみつからず,直接,松本名誉教授に問い合わせたときの返事です.
 それには,「それはnomen nudum**で,そのまま使っており,すべてわたしの責任です」と書かれてありました(やべ!,逆鱗に触れたかな(^^;:だれも,若いころは怖いもの知らずなモンですね).

 その後,博物館を訪れたアモンナイトの研究者の一人は,「アモンナイト分類の再編成を早急に行わなければならないのだが,M教授存命のうちは不可能だろう」といってました(理由はご想像ください).
 松本名誉教授は,昨年なくなられましたが,アモンナイトの分類が整理改訂されるとは思っていません.なぜなら,時代が変わって地質学が滅びたから,生層序学(とくに大型化石による)なんて,もう学問のうちに入ってませんし,地層の時代を知りたければ,微化石か物理化学的手段で行われるのが科学的(現代的)と思われているからです.
 したがって,いま,正当な職場についているアモンナイト研究者なんて存在するのかどうか….いたとして,アモンナイト分類の再検討なんていう研究が,研究として認められるはずはないと思われますしね.

 よっく,考えてほしいのですが,アマチュアでアモンナイトに興味を持っている人は,まだ,たくさんいますし,子どもたちが最初に科学に興味を持つのは,化石を集めるとか,鉱物を集めるとか,昆虫を集めるとか…,そういう「博物学的」行為からなのです.
 科学技術立国をめざすなら,最先端科学を優遇するのもいいのかもしれませんが,まず,基盤をしっかりさせないとね.そんなんだから,たくさんのひとたちが,科学の世界からはじき出されて,どんどん増殖している疑似科学やオカルトの餌食になってしまうのですね.

 IT長者になりたがる子らより,何げない自然の不思議に気がついて,目を輝かせている子どもたちのほうが好きですね.

 「飛び出せ!科学くん」エライッ!
 田中,ガンバレ!
 しょこたん,ガンバレ!!((^^;)

---
* アモンナイト:一般的には「アンモナイト」と表記されていますが,これは“和製”英語(もしくはただの日本語).Ammoniteですから,「アッモーン・アイト」が本当ですが,英語では「アモナイ」,もしくは「アモンナイト」のほうがより正確なのです.

** nomen nudum:記載無しで使われている学名.本来あり得ない事態ですが,科学的でない事情により,しばしば「ある」ことでもあります.
 

2010年10月15日金曜日

キノコ pt. ii

 
 キノコといえば,博物館時代におもしろい先生にであいました.
 地元の高校の先生として赴任していらした方です.

 出会いはといえば,そこの不良高校生が,我が家のテント式の車庫に入り込み,たばこを吸ってあちこちに穴を開けたので学校に注意をうながしたら,あやまりにやってきたのがその先生だったのです.
 地元の子どもたちの名誉のためにいっておけば,その不良高校生は地元の子供たちではありません.学生数の減少した地域は廃校にするという道の方針があり,そのための対策として,他地域では受け入れられない高校生を入学させたためです.
 そして,その高校生のための通学バスの待合場所が,なぜか我が家の前だったということです.

 話を戻します.

 その先生は植物の専門家で,とくにキノコが好きだったらしい.

 その先生によれば,毒キノコというものはほとんどなく,ほとんどのキノコは食べられるのだといいます.ただし,食べてもうまくないキノコが多いのも事実だそうです.

 毒キノコかどうか知りたければ,食べてみるのが一番だといいます.
 口に含むと,毒キノコは「苦い」か「しびれる」のだそうです.そしたら,吐き出せばよいということです.飲み込んではいけません.
 口に含んだだけで即死,なんてキノコは日本ではまだ発見されていず(世界ではどうか知りませんが),吐き出してうがいをしておけば大丈夫といいます.

 それよりも,名も知られていないキノコで意外な効果のあるものが間々あり,それを体験するのがおもしろいといいます.
(すごいな.このひとは研究者でしょ.高校の先生にしておくのはもったいない.)

 いわゆる麻薬はもちろん,その辺に生えているタイマやケシ*は法律で栽培を禁止されてますし,野生のものをもってるだけでもやばいことになりますが,キノコはほとんど研究されてないので,明確に禁止もされていないとか(その当時の話で,現在はどうなっているか知りません).
 そういうのを体験してみるのがおもしろいのだとか.学者だなあ.わたしにはまったくマネができません.

 キノコといえば,山歩きの最中にしばしば見かけましたが,とる気がしないし,もちろん食べる気もしないですね.自分でとったものは.
 キノコはすごく奥が深いのですね.ある地域で食用にされるものが,別な地域では毒キノコだとされて食されることはない,などということもあるそうです.
 唯一自分でとって食べたのは「マツタケ」だけです.
 え?,あるんですよ.某地域には.
 本州でいうマツタケとは少し種類が違うそうですが….

---
*タイマやケシ:タイマはともかく,ケシはその辺には生えてないだろとお思いのあなた.ありますよ.何年か前に見かけて,保健所に連絡したことがあります.保健所もお役所なのか,なにかまったく反応がなく,信頼できなかった(「対処する」といわない.なぜだろ?HPでは「見つけたら連絡を」とか書いてあるのにね)ので,警察に再連絡したら,すぐに跳んできました.図鑑を見せて説明したらすぐに対処してくれました.
 

キノコ

 
 今年は「毒キノコ」騒ぎが多く,今朝も朝のニュースで特集をやっていました.
 それで,博物館時代の不愉快な出来事を想い出してしまいました.腹が立つので記憶の奥に封印してたヤツです.

 大学院を追い出されて,某博物館に学芸員補として勤め始めて,まもなくのことでした.
 朝一番に事務のお姉さん(アルバイト)から…「苫小牧のキノコの専門家とおっしゃる方から電話です」.
 その博物館に勤めてから,そんなに時間も経っていないし,苫小牧にも,キノコの専門家にも知り合いはいないはずなので,戸惑いましたが,“まあ,しょうがない,とりあえず用件を聞いておくか”と,電話を回してもらいました.

 ちょっと聞き取りづらかったですが,先方はかなり怒っている様子.
 「え~と,うちの博物館が鑑定したキノコが間違っているということでしょうか?」
 「Yes」
 「うちの博物館が鑑定したという記事が新聞に載っている?」
 「Yes」

 というわけです.
 お姉さんも,だいぶ怒られたらしい.

 「え~とですね.うちの博物館には,化石と地質の専門家しかいないので,キノコの鑑定などたのまれてもしませんが…」と,受け答えしていると,事務のお姉さんが朝刊をもってきました.
 確かに,○○町立博物館が「非常に珍しいキノコ」を見つけたという記事が載っています.館長のコメントも.

 苫小牧在住のキノコの専門家曰く,「記事に載っているキノコは知らない人には珍しいが,比較的よくある食用にもよく使われるキノコである」とのこと(ここでは丁寧に書いてますが,実際はほぼ罵倒されています(^^;).
 「この件に関しては,わたしはまったくタッチしておらず,これはなにかの間違いと思われますので,前後関係を調査してご連絡申しあげます.」ということで,いったん電話を切りました.

 もちろん,前後関係は推測がつきます.
 館長のコメントが載っているからです.苫小牧在住のキノコの専門家は「館長とは何者か」と,ここに一番ご立腹の様子.
 「館長は,役場から派遣されている一般事務職(管理職)で学芸員の資格はありませんし,キノコどころか,なんの専門家でもありません.」

 ここからが,腹が立つところですが,館長にこの件に関して質問したところ,質問途中で「逆ギレ」(この当時は「逆ギレ」なんて言葉はなかったですね(^^;)して,わけの判らないことを怒鳴り出しました.
 わたしは,それまで若干腹が立ってましたが,逆に冷静になって「この人には,何を言っても無駄だな」と判断しました.しかし,館長の逆ギレはおさまらず,それ以後,数々の「いやがらせ」をされることになりますが,そのことは想い出したくない((^^;).

 折り返し,苫小牧在住のキノコの専門家さんに電話.
 「館長に問い質したところ,間違いを認め,反省しております(ウソです.(^^;)」
 「当館では,専門家不在なので,今後,キノコの鑑定を引き受けるつもりはありませんが,今後その様なことがあった場合,相談に乗ってくれないでしょうか.毒性のあるものもありますからね.(ホントです(^^;)(ただし,そのあと,○○町立博物館は「古生物の専門館」であることを前面に打ち出してゆきますので,キノコの鑑定など依頼されることはありませんでした)」
 苫小牧在住のキノコの専門家さんは機嫌を直して,協力を約束してくれました.


 ま,館長も実はかわいそうな人であることは,確かなのです.
 役場の人事異動で“館長”にはなったけど,「博物館とは何か」とか,まったく知らないわけですから.
 館長として,館長と呼ばれるようなことをしようと思ったら,あっという間に「フライイング」だったというわけです.この件に関しては,あとで少し冷静になったときに「今後こういうことは絶対にやらない」と約束させました.実は,ほかにも二・三(もっとかな(^^;)やってるんですが,それは別の機会に…(あまり想い出したくないですね(^^;).

 われわれ学芸員は,専門の学問分野を学ぶのに短くても二~三年,長ければ10年以上かけてますし,それとはまったく関係がない学芸員資格をとるのにも数年かけています.
 ところが,役場職員は辞令をもらったその日から「館長」なのですから…,ある意味たまらんでしょうね.この問題館長は就任期間が結構長かったですが,館長のポストは役場人事の緩衝材的なところがあり,頻繁に替わります.
 しょうがないので,人事があるたびに,数日あるいは数ヶ月かけて「博物館の意味」とか「仕事」とか「存在意義」について解く必要がありました.若いころはそれでも,「この博物館を世界的なレベルに!」と思ってましたから,邪魔されては困るので熱心にやりましたが,あるとき病気をして体力をなくしてから,気力もなくして…何があっても笑顔でというわけには,いかなくなりました.
 だって,館長どころか,教育長まで「博物館なんかいらん」と職員の前で公言する町でしたからね…(外部から博物館をほめられると態度が豹変するんですが…ね).

 問題館長の本音を聞いたことがあります.
 おなじ建物に図書室が併設され,博物館長は図書館長も兼ねていました.図書館には,もちろん正式な「司書」がいます.この司書と館長が,露骨に仲が悪かった.
 「あの女,資格を持ってるから,威張ってやがる.」(わたしにいうな!(^^;)(二重に差別ですね.性差別に,有資格者差別)
 これが,役場(事務)職員の本音らしいです.
 自分は図書館長も兼ねているのに,図書館でトラブルが起きると,すべて仕事はわたしに回ってきました(わたしは博物館の仕事で忙しいっちゅうに).もっとも,司書のほうも「(館長の)顔も見たくない」と公言してました.

 あ,いくらでも想い出しそうだ((^^;).
 封印!封印!

 キノコには後日譚があります.
 収蔵庫で収蔵品の整理中(赴任したときには,収蔵目録もリストもなかった!)に,問題のキノコが腐った状態でみつかりました.腐った小鳥も一緒に(もっと酷いものも…).
 今度は冷静に.
 それをネタに交渉して,収蔵庫の管理権を学芸員のものにしました.それまでは,ものの出入りは学芸員を無視しておこなわれていました.そのせいで,さまざまなトラブルがあったのです.
 博物館協力会が販売していた物品も収蔵庫にあるという不思議な状態で,これを撤去させるにはかなり時間がかかりましたが,最終的には解消しました(後日聞いたことですが,販売物品の出し入れに面倒だということで,鍵をかけていなかった時期もあったそうです:もちろん,そのせいで起こるべきことも起きていたとか).

 あ,これでまた,記憶を封印できるかな((^^;)
 

2010年10月11日月曜日

レアアースって?

 
 最近世間を騒がせている“レアアース”っていうマスコミ用語ですが,あれ,どうにかなりませんかね?

 マスコミでつかう“レアアース”っていう言葉は,よくわかりませんが,ニュースで示しているその「もの」は,「レア・アース・エレメント[rare earth element]」もしくは,「レア・アース・メタル[rare earth metal]」のことのようです.どっちを示しているのかは判りませんが.
 業界の人は,長ったらしい名前をつかうのを嫌う傾向がありますから,符丁として「レアアース」と呼んでいるのでしょうけど,それをそのままニュースでつかうのはどうなのでしょうかね.
 「レアアース」だけでは「地球にめずらしい」という意味にしかなりません.そういうものは,数限りなくありますけどね.マスコミが好きな「絶滅危惧種」なんてのも“レアアース”のひとつといってもいいんじゃあないでしょか.

 たぶん,しばらくしたら,したり顔の解説者が「「レアアース」というのは正しい言葉じゃあなくて,「レア・アース・エレメント」もしくは,「レア・アース・メタル」のことを言います」とか,いうんでしょうね(元NHKアナ.の「なんでも知ってるおじさん」とかが(^^;).
 でも,だいたい,言葉の乱れなんて,マスコミが発生元ですけどね.そのくせ,言葉の乱れを指摘するのもマスコミという不思議.いわゆるマッチ・ポンプですね.

 たとえば,「ナイト・ゲーム[night game]」というのをいやがって「ナイター」などといったのはマスコミですし,「それは英語ではない」と指摘するのもマスコミです.
 「UFO」にいたっては,もともと軍事用語で「Unidentified Flying Object[未確認飛行物体]」のことです(だいたい最初にレーダーでみつかるので,それがなんだか目視で確認されるまでは,みな「UFO」と呼ばれる)が,マスコミでは勝手に「宇宙人の乗り物」という意味でつかっています.「UFO」に火星人が乗っていることが確認されたら,それは,「UFO」ではなくて「火星人の乗り物」なんですけどね((^^;).
 もっとも,ここでは「宇宙人」という言葉そのものがおかしいのですね.宇宙空間では「人」と呼ばれるような高等生物が発生するわけはなくて,宇宙空間のどこかの星に発生するはずですから,その「星」の名前をつけなければならない.それら,個々の星にすむ「~~星人」全体を表す言葉として使っているというなら,われわれ「地球(星)人」もりっぱな「宇宙人」です.
 英語では,「a being (creature) from outer space」というそうですから,日本語に訳すと「外宇宙人(もしくは生物)」ですから,こちらなら論理的.

 さて,“レアアース”ですが,これは,もともと,化学・地球化学で使用している「希土類」という言葉がありますから,こちらを訳語として使うべきでしょう.「レア・アース・エレメント[rare earth element]」ならば「希土類元素」ですし,「レア・アース・メタル[rare earth metal]」ならば「希土類金属」です.「元素」と「金属」は別な意味を持つ言葉です.だから,別な言葉.
 希土類元素を含む混合物として輸入しているのか,純粋な希土類金属として輸入しているのか,それはわかりませんが(正確に報道してくれない;提示された映像では鉱石状のようなものも,金属様なものもありました),どっちにしても「地球にめずらしい」という中途半端なことばですましていい「もの」とは思えませんでした.

 「科学技術立国」を目指している国としては,情けない.
 ま,ノーベル賞受賞者あたりがいえば,聴いてくれるんでしょうけど….
 

2010年9月27日月曜日

高速道路

 
 高速道路を走っていると,こぎれいな軽自動車と大型トラックが併走しているのがみえた.

 大型トラックには,荷台に幌もついていないのに,たくさんの人が乗っているのがみえる.
 その運転席は赤や金色で塗られていて,ドライバーと助手だけは,けっこういい服を着ている.
 それに引き替え,荷台の人たちは,風に煽られ生きた心地もしていないようだ.よく見ると,荷台の前のほうには,小さな風よけがついていて,ごく一部の人たちには居心地がいいようにしてあるらしい.

 ドライバーと助手は仲が悪いらしく,時々怒鳴り声が聞こえる.
 こわいなあ,高速道路だというのに.
 助手は腹いせに,軽自動車のほうに罵声を浴びせた.
 でも,高速道路.風で何も聞こえない.

 そのとき,助手は後をふり向き,こう怒鳴った.
 「おまえらの居心地が悪いのは,あっちの軽自動車の奴らが,おまえらの取り分を奪っているせいだ.」
 「悔しかったら,あっちに飛び移って嫌がらせをしてこい!」

 高速道路を走っている車から車へ飛び移るヤツもいるまい,と思う.
 しかし,いた!.

 一人の作業服の男が,軽自動車の屋根に飛び乗り,しがみついている.
 怖くて,失禁したようだ.
 こぎれいな,軽自動車は男の小便まみれになった.

 軽自動車のドライバーは,パーキングエリアで男を大型トラックに帰してやり,失禁について軽く抗議すると,大型トラックのドライバーはこういった.

 「俺たちのトラックには幌がない.」
 「トラックの上の空気はどこまでも続いているから,あんたの車の上の空気も俺たちのものだ.」
 「文句があるなら実力で来い!」

 この一言で,喧嘩が始まった.トラックと軽自動車?
 いやいや.軽自動車のドライバーと助手のあいだでだ.どうやら,ドライバーと助手のあいだで,運転席を巡っての争いがあるらしい.
 トラックの運転手と助手は先ほどまで怒鳴りあいをしていたのに,いまは仲がいいようにみえる.その乗客は,一見,一致団結して軽自動車の悪口を言っているようだが,ほとんどの人は口をつぐんでいる.

 そして,双方の乗客も混じって,怒鳴りあいが始まり,壮大な「パイ投げ」が始まった.

 この二台,高速道路に戻っても,パイ投げを続けるつもりらしい.
 乗客にとっては,ただ移動するだけのつまらない時間に暇つぶしができたと考える人もいるようだ.ドライバーへの不満を言えば怖い目にあうが,まわりの自動車へ罵声を浴びせるのは奨励されている.

 ….

 よっく,考えてほしい.
 みんな,高速で移動中なのだ.
 安全に走行するためには,ルールだけではなく,マナーやエチケットも必要なのだ.
 みんなが,「俺が!,俺が!」といって走っていては,いずれ事故が起きる.
 高速道路で起きた事故は,即,大事故につながる.

 ドライバーの義務は,他車より速く走ることではないですね.乗客を安全に目的地まで届けることです.
 ドライバーは,はっきりと「わたしには乗客の安全を第一に考える義務がある」というべきです.どちらのドライバーもね.
 あ,そういえば,車の乗り心地が悪いことを,そばを走っている車のせいにして,責任回避したりしてはいけないですね.車のオーナーの責任です.

---
 注:このはなしは,アジアのどこかで起きているちょっとした騒ぎのことを寓話化しているのではありません((^^;).
 昨日,高速道路で,室蘭まで行ってきたのですが,例の実験開始以来,あまりにも,ひどいドライバーが目につくので思いついた話です.マナーやエチケットどころか,ルールもしらんのではないかと思わせることが次々と起きます.無料化実験はただちにやめてほしいものです.

 あ,そういえば,大型トラックの人たちは,軽自動車の人たちが,むかし,装甲車に乗っていて,そばを走っている車を次々と踏みつぶした過去があるのをわすれてるようですね.
 追い詰めれば,軽自動車の乗客の中にも「軽自動車はやめて装甲車にしよう」と主張する人たちがでてきます.
 第一次世界大戦で敗北し,過酷な負債をおわされたドイツにヒットラーがでてきた歴史の必然をわすれてはいけません.窮鼠は猫を咬むのです.
 むかし,軽自動車を装甲車に乗り換えようとしたのも「外国の驚異」でしたし,実際に乗り換えが決定的になったのも「ABCD包囲陣」という資源を禁輸するという処置が引き金になっていたはずですね.

 高速道路は仲良く走らないと,危険なのです.

 それにしても,運転技術の未熟な素人ドライバーが高速で駆け抜ける高速道路は怖いですね.相手のドライバーが避けてくれるから事故が起きていないようなものじゃあないかと思いますね.
 車の性能は格段にアップしてますけど,それを運転する人間の性能は100年以上前から,さっぱり向上していないですからね.

 

2010年9月21日火曜日

広瀬隆「二酸化炭素温暖化説の崩壊」

   

 
 地球温暖化論争は,すでに科学論争とは別の次元の話なので,ほとんど興味をなくしています.

 たまたま書店に行ったら,目にとまったので買ってしまいました.広瀬隆の論理は明快なので,読むのに苦労しません.だから,新刊があると,つい,買ってしまう((^^;).
 益田昭吾「病原体から見た人間」は読みにくいと書きましたが,こちらはまだ読みおわっていません.「病原体から…」は,読むのに非常に疲れますので,休憩が必要.その休憩のときに,広瀬隆の本一冊は,簡単に読みおわってしまいます.
 つまり,わたしの読解力が落ちているのではなく,益田の本が難解なのだという証明になります(実際には,病気の後遺症もあり,かなり読書力が落ちているのは実感していますけど (^^;).

 話を戻します.

 地球温暖化論については,「IPCCのデータ捏造」が明らかになった時点で終息に向かうべきなのに,世界ではまだ続いていますね.
 IPCCの“ホッケー・スティック”図は見た瞬間に「おかしい」といえるもので,これが正しいとすれば,「中世の温暖化」とか,「天明の大飢饉」をおこした「小氷期」はなかったことになってしまいます.したがって,稲作地帯の北限の上昇がないから,蝦夷(えみし)が追い詰められることはなかったし,天明の蝦夷(えぞ)地開拓(計画)もなかったことになります(ばかな!).

 地球の温度は,どうやって測るのか,いまだに理解できません.それは置いといて,地球上のどの地点をとっても,気温は,日単位,週単位,年単位,数十年単位(さらには数万年,数百万年単位)で変動しているのは明らかです.でも,いま現在どちらの方向に向かっているかなんてことを判断できるデータは,見たことがありません(われわれの住む北半球では,これから冬に向かいますので“寒冷化”しますけどね).

 氷河期(あるいは地質学的時間)というレベルの時間単位では,寒冷化しているととらえるのが一般的です(最近の氷期・間氷期を一サイクルとする気温変化は急激な温暖化とゆっくりとした寒冷化のパタンをとっているからです:この間,比較的暖かい気温がつづく時期を間氷期,比較的寒冷な気温が続く時期を氷期といっているに過ぎません)が,これは人間の時間感覚とは,かなりずれがあると思います.人間はせいぜい数年か数十年の単位しか理解できませんが,地質学的な時間は,これより遙かに大きな(長い)単位なのです.
 現代の科学力では地震予知なんかできないのとおなじで,数年後のあるいは数十年後のある地点の年平均気温なんか推定できるとも思えません.
 「PT論を研究すれば地震予知ができる」といって研究費を稼いでいた人たちは,いったいどこへ行ってしまったのでしょうね.

 ただ研究費がほしいだけの学者と,ただ騒ぎたいだけのマスコミのジョイントで起こしている騒ぎとしか思えませんが,裏では,米ソ冷戦構造でうまい汁を吸っていたひとたちが,儲けネタがなくなったのでつくり出したあたらしい“火事場騒ぎ”というのは,いかにもありそうなことです.“火事場には儲け話が転がっている”といいますからね.
 領土問題なんかで,反・隣国運動をおこして軍事費を拡大させる手とおなじですね.ありもしない驚異を並べ立てて…濡れ手で粟….


 ところで,今年の夏は暑かったですね.
 不思議なのは,思ったほど「地球温暖化論者+マスコミ」が大騒ぎしなかったこと.これは,やはりIPCCのデータ捏造の発覚が影響してるのでしょうか.


 日本人は怪談話が好きですが,某カルト教団がおこした騒動のあと,TV界ではUFOや心霊現象の話題は,なりを潜めてました.しかし,時が過ぎてしまい,忘れっぽい日本のマスコミは某カルト教団およびその末裔はもう存在しないかのように振る舞っています.それと並行して,某カルト教団のおこした騒動の前のような,悪質な怪談話・心霊話が復活してきているような気がします.

 忘れっぽいですからね.75日も過ぎれば,温暖化狂想曲がまた復活しますかね.いま,冬に向かってますけど….


 ところで,広瀬隆「二酸化炭素温暖化説の崩壊」です((^^;).わかりやすいですが,なにか目新しい話があるわけではありませんでした.ネタはほとんど尽きているのですね.
 特記すべきは,一番最後にでてくる「エネファームの普及が,一番地球の負担を減らすだろう」という方針の提示ですかね.
 ENEOSは偉かったんだ….

 

2010年9月17日金曜日

感染症とはなにか:三論

 
 漠然とですが,「感染症というものは存在しない」のではないかと考えていました.
 生物同志は共生に向かうのが成りゆきで,出合った生物同志の共生がスムースにいけば外観上は何も起きないですし(遺伝子レベルなり,細胞レベルで共生関係が成立する),多少トラブルが起きて発熱その他の異常が出れば,それを“感染症”と呼ぶのではないかと漠然と考えていたのです(感染自体は不断に起きている).
 つまり,「感染症」という状態は「共生にいたるまでの葛藤」なのではないか,と思っていたわけです.

 それで,それこそ10数年ぐらい前には,そのあたりのことを考察している生物学者ないしは医者がいないかとさがしていたのですが,みつからなかった.
 言い過ぎかもしれませんが,近視眼的な「感染症(=病気)」の概念の主張しかなかったので,しばらく放ってあったわけです.
 しかし,最近になって,「感染症」というものの全体像をとらえようとするひとたちがでてきたようです(ま,昔からいたんでしょうけど,そういう主張を文章に(本に)する人がいなかったということなのですかね).
 「傷はぜったい消毒するな」を読んで,またぞろ刺激されて,探索を再開したということです.
 以下,その探索で,それらしきことが書いてあるような「表題」の本を三冊選んでみました.

 悲しいかな,某「科学本の書評サイト」で「医者の書いた本は,概して面白くない」と書かれてありましたが,実際その通りです.
 書かれている内容がつまらなければ(だいたいが近視眼的),読書をすぐに放棄すれば,それでいいのですが(だから,すぐには購入しないで,図書館から借りだして数頁読んでみる.合格点であれば購入),内容自体は興味深いものなのに,文章がヘタクソで,理解にものすごく時間がかかるものが多いのです.
 編集担当者がいないか,「わかりやすい文章を書いてください」といえる編集者が皆無に近いようなのです.ま,相手は大学教授や大病院の医者あるいは国公立研究所の大先生ですからね.いえないよね.
 
 簡単に言ってしまえば,「AはBである.BはCである.よってAはCである」というような明快な文章ではなくて,「AであるBは,CであるDのようだが,EであるFはDであり,またGでもあるので,HはIである.なお,HとはJとされている.」みたいな….複合文章で,省略されている主語が異なっていたりなんて有り得ないことが起きていたりもする(もしかしたら,著者の意図はちがっているのかもしれないですが:どっちにしても難解なのでわからない(^^;).

 そんなわけで,読書にものすごく時間がかかるのです(もちろん,老化でわたしの読書力が落ちているということもありますけど(^^;).
 さて,本題に戻します.

 まず一冊目.
●本田武司「病原菌はヒトより勤勉で賢い」(三五館)

  


 最近は,こんな立派な装丁で,¥1,400なんて本はお目にかかれなくなりました.¥1,000台後半の定価なのに,開くこともままならない糊で頁をくっつけただけのお手軽装丁の本ばかりになりましたからね.

 この方の文章は,わかりやすいです.比較的スムースに読むことができます.
 しかし,「細菌の発見史」や「細菌そのもの」についての説明が長く,なかなか,「病原菌がヒトより勤勉で賢い」という話には進んでゆきません.
 もしかしたら,著者の中では「そういう話」をしているつもりなのかもしれませんが,どうもピンとこない.
 別な方面からいえば,「細菌そのもの」についてが,一般に対しあまりにも普及されていないので(この医学が進んだ日本での状況としては,理解ができないですが),本題よりも基礎知識のほうにページを割かなければならない背景があるということでしょうかね.
 逆に言えば,「細菌の発見史」や「細菌そのもの(個々)」について知りたければ,非常によい本ということになります.

 いくつか気になった記述があるので,ご紹介しておきましょう.
「病原菌は本来,人間の体などには入りたくないのに,人間の不注意によって偶然に食べ物の中に紛れ込んだために,あるいは空中を遊泳(?)中に呼吸で無理やり吸い込まれたりして,ヒトの体の中に入ってしまうという“偶然の取り込み”が起こる可能性がある.」

 病原菌(菌にとっては不本意な名称ですけど)は早くヒトの体から脱出したいが為に,下痢や咳などの症状を起こす(そして,飛び出す).と,考えられるわけです.
 それを,人間が勝手に「病気」と呼び,かれらを「病原菌」と呼んでいるというわけですね.

 もうひとつ.

「一説によると,ジャングルの野生動物たちの中で共存していた微生物が,その動物が絶滅しかけたために新たな宿主としてヒトを選んで,戦いを挑んできた(病気を起こしだした)のではないかという.」

 これは気になる点です.
 宿主を殺してしまえば,困るのは“病原菌”のほう(宿主が居なくなるという単純な事実)なのに,なぜ「病気」をおこすのか.
 ヒトに対する攻撃が一段落すれば,「共生関係」が成立し「病気」ではなくなるのか.そのあたりは,残念ながら記述されていません.


 二冊目.
●吉川泰弘「鳥インフルエンザはウィルスの警告だ!=ヒトとウィルスの不思議な関係」(第三文明社)

  



 「ヒトとウィルスの不思議な関係」という副題から,前述の「共生関係の成立」などのことが書かれているかと思いましたが,残念ながら,この著者の頭にあるのは「病気そのもの」のことです.
 前半の内容からは,ひょっとして「そういう話にいたるのかな」と,思わせましたが,期待はずれでした.なにが「鳥インフルエンザはウィルスの警告」なのかもよくわかりませんでした.
 中身は表題をこえていないという,よくある本です(たぶん,出版社側で決めた表題なのでしょう).

 本としては,「病原菌はヒトより勤勉で賢い」と似たような内容で,どちらか一冊読めば充分でしょう.わたしとしては「知りたいことが書かれていそうで,書かれていない」もどかしさだけが残りました.
 

 三冊目.
●益田昭吾「病原体から見た人間」(ちくま新書)

 すっごく,読みづらい本です.

  


 途中で何回も読み返す必要があります(文章構造が難解.途中で文脈が跳んでいるような気がする.専門用語の説明がないか,あとからでてくる)し,書かれている内容が「です・ます体」とは不調和なので,文体は違和感バリバリです.
 とはいえ,既存の本とは異なり,個々の病気についての解説ではなく,「病気」そのものがトータルにとらえられているので,もしかしたら,わたしの知りたいことに話が進んでいくかもしれない.
 しかし,ものすごく読みづらいので,図書館の返却起源に間に合いそうもありません.しょうがないので購入してしまいした.すでに,第四章の途中まで読んでいたのですが,結局,また最初から読みなおしています.

 著者の主張のツボは,生命の「階層構造」にあります.
 (通常は)あらゆる生命は,すぐ上の階層構造とは仲良くやっているのが普通(共生関係が成立している)ですが,さらに上の階層とは仲良くできるとは限らない.これが「病気」なわけです(詳しくは,やはりこの本を読んでもらわないとね).
 たぶん,この話が進んでゆくと,「ヒト」という生命体は(すぐ上の)上部構造である「地球=環境」とは仲良くやってゆくのが当たり前ですが,「ヒト」の下位構造である「脳=知能」は直接の上部構造であるヒトとは仲良くやってゆけますが,ヒトのさらに上部構造である「地球=環境」と仲良くやってゆけるとは限らない.という話にいたる(ヒトはそのもつ「知能」のせいで,地球についての「病原菌」になってしまう)ものと予想されます.

 そして,最初に書いたわたしの「病気とは,共生にいたるまでの葛藤である」という予測は,見事に外れることになります.
 
 

2010年9月6日月曜日

「傷はぜったい消毒するな」pt. ii.

 
 最後まで,興味深く読めました.
 何しろ,「傷の治し方」から始まって,現代医術批判になり,科学論の様相を呈したあと,生命の進化の話にいたります.

 いくつかのパーツは,すでに読んだことのある本に書かれていることですが,こんなに,「全体的な世界観・生命観」が描かれているのは,ホントにめずらしい.

 以前に,サーチしたときには,こういう世界観の本は,めったに見あたらなかったので,あきらめて放置していたのですが,いつの間にかたくさんでているようです.
 いま,調べ直しているところ(なぜかうれしい(^^)).

 なぜか,そういう時代なのか,新書形式で出版されているものが多いので,我が町の貧弱な図書館でも蔵書になっているのが相当数あり,「読んでおもしろければ購入」という手が使えそうです(逆に,普通の装丁の本だと,まず蔵書にはなっていないですけどね).
 

2010年9月5日日曜日

「傷はぜったい消毒するな」

 
 先日の「感染症は実在しない」という本と一緒に借りた本が,マイナス分を取り返すほど,非常におもしろいので….

 それは,夏井睦「傷はぜったい消毒するな=生態系としての皮膚の科学」(光文社)です.
 まだ読書途中ですが.

   

 書かれていることの真偽は,あたしゃあ医者じゃあないのでわかりません.が,この本には,「パラダイムシフト」の非常におもしろい例がいくつも示されています.まじめで深刻な本なのに,笑いながら読んでます.

 「パラダイム」という用語には,もともと,いろいろな用法,意味がある*のですが,この本の著者は,「ひとつの盲信」と考えているようです.つまり,「パラダイムシフト」とは,「ひとつの盲信から,べつの盲信に変わること」ととらえているわけです.

「するって〜と,なにかい? ご隠居.」
「PT論者がよく使う「PT論は新しいパラダイム」という言葉の意味は,「PT論はあたらしい盲信」という意味かい?」(長屋のクマさんの口調で)


 そうでしょうね.わたしらはずーっと,「地向斜造山論」も,「PT論」も,「仮説」に過ぎないって,いってましたけどーっ.語尾に「論」がついてるしー.
 歯に衣を着せぬいい方をすれば,「仮説とは証明されていない盲信」に過ぎないともいえるでしょうね.

 後半,もっとおもしろいことが書かれてそうなので,読書を続けます((^^;).


* 中村雄二郎「術語集=気になることば=」(岩波書店)など

   
 

2010年9月4日土曜日

「感染症は実在しない」

 
 久しぶりに,大タコな本にであってしまいました.
 それは岩田健太郎「感染症は実在しない」(北大路書房)

 この本は言葉のマジックというか,言葉のトリックというか…,腹の立つレトリックも使われています.

 最初に「病気は実在するか」という話題から入ります.
 だまされてはいけませんよ.設問は「病気は存在するか」ではなく,「病気は実在するか」です.

 そもそも,「実在」という言葉は,自然言語でもなければ,われわれが普通につかう言葉のひとつでもありません.哲学者が「(われわれから見れば)言葉の遊び」としてつかう用語のひとつです.
 哲学者の頭の中に「リンゴが実在」しようが,しまいが,われわれには無関係のことです.
 たとえてみれば,理論物理学で「宇宙の果てはどうなっているか」と考えるようなもの.宇宙の果てが「無」であろうが,果てから向こうはわれわれの行けない世界であろうが,あるいは,崖があって,すべてが落ちている世界であろうが,…話としてはおもしろいでしょうけど(もちろん,おもしろくないと考える人もいるでしょうね),われわれ一般人の生活にはまるで関係がない.
 それと,おなじです.

 われわれにとって,「リンゴ」とは,見てリンゴだとわかり,触れることもできて,食べたらリンゴの味がすれば,それでいい.
 流行りの脳科学者ならば「それは,脳がそう感じているだけで,実際にあるという証明にはならない」というでしょうね.
 でも,われわれには,どっちだってかまわない.なんだってかまわない.

 たとえば,10歳で不治の病にかかって死んだ少女がいたとしましょう.
 われわれ外部の人間にとっては,10歳で死んだ少女がいただけです.身内か,他人か,その情報を知っているか,知らないかで,われわれがいだく感情は,多少,あるいは大きくちがうでしょうけど,われわれがどんな感情を持とうが,死んだ少女にはまるで関係がない.
 ところで,その少女にとって,死の瞬間に「そのとき死なないで,幸せな青春時代を送り,幸せな結婚をして,おおくの家族に看取られて死んだ」夢を見たとしましょう.
 それは,それは,夢だったかもしれないが,少女は幸せな人生を送って死んだのです.「実在」しようが,しまいが,脳の作用のひとつであろうが,なかろうが,哲学者や脳科学者がとやかく言うことではない.少女の「夢」のほうが,哲学者の「言葉の遊び」より,「(それこそ)実在した」のでしょう.

(似たようなお話)

    



 じつは,著者も「言葉の遊び」であることを,知っているらしくて(あるいは,途中でめんどくさくなったのか),途中で「病気は「現象」であって,「もの」ではない」とネタバレをやってます.
 始めからそう書けばいいものを,哲学者気取りで,一般人を惑わすような言葉をつかう,いやなヤツです.

 さて,読むには,相当なガマンを強いられますが,読み続けると,著者のいいたいことがわかってきます.
 それは,「医者個人には,医者としての適正の問題がある」し,「現行の医療システムにも問題がある」.そして,それを統括する「医療行政(具体的には厚生(労働)省のお役人)の能力にも,大きな問題がある」ということです.それならわかるでしょ.しかし,問題はそのあとです,
 「そんなに問題があるなら,解決に向けて努力したらどう?」と普通は思うし,それほどの問題点を指摘できる医者なら,「そうではない「医者」・「医療体制」・「医療行政」をどう目指すか」という話になるのが,当たり前だと思うのですが,この著者はそうではない,それは,「別な選択をしない患者(あるいは,まだ患者でもない一般市民)が悪いのだ」というのが,結論なのです.

 「別な選択とはなにか?」というと,一般市民が,一人一人,医者(それも,普通にいう「名医」)並の知識を身につけ,自分が死の直前にいたとしても,目の前の医者と「(自分に対して)どういう治療をするか」という議論ができるほどの能力を身につけることです.
 そんなことできるか?
 具体的にいうと,「医療を拒否して死ぬという選択」しかないわけですね.

 なにか,最近の「裁判員制度」をおもいこさせます.
 高い給料をもらっている専門職である「裁判官」がたくさんいるのに,自分の仕事がなくなってしまう危険を冒させながら,素人を裁判に引きずり込むというアレです.で,終われば,死ぬまで明かしてはならない秘密をしょわされて,放り出されるというアレです(裁判員として選ぶなら,退職後の時間のある老人か,失業中の人のみにしてほしいものですね.それで,名判決を下したら,そのまま裁判官として雇用するとか(^^;).
 早い話が,プロがプロとしての責任を負わない無責任体制です.


 ということで,読んでいて相当血圧が上がり,なかなか下がりませんでした.ヤバイなあ.
 
 え? なんでそんな本を,ガマンしてまで読んだのかって?
 じつはあることで,「感染症」について,知りたかったのです.
 この本にも,一部書いてありましたが,「人は感染したからといって,必ずしも病気になるわけではない」ようなのです.
 新型インフルエンザが「パンデミック」をおこしたのは,検査すれば「“ピタリ”とあたる検査薬」が使用されたためで,そんなものがなければ,「ただの風邪ですね」ですんでしまった人や,ちょっと不調なだけの人も「新型インフルエンザ患者」になってしまったようだと(あいまいながらも)書いてあります.
 もちろん,「新型インフルエンザ」に感染しながらも,なんの症状も示さずに,普通に過ごしてしまった人もいたのではないか,という疑問があることです(もちろん,重篤になってしまった人もいるでしょうけど).
 
 感染症のメカニズムには,もっと奥深いものがあるのじゃあないかと,比較的新しい「感染症の本」に,当たったら,大タコの本に当たってしまったという次第.

 なにかというと,人間のDNAには(にも)いつ感染したのかもわからない,ウィルスのDNAが隠れているようだという話をなにかで聞いたことが関係あります.それが,延々と受け継がれているかもしれないというわけです.
 人間の体の中,外,細胞の中には(にも),別の生物がたくさん生きています(感染してます).腸内細菌や皮膚常在菌,はてはミトコンドリアまで.
 むかし,劇症を引き起こすといわれた病気で,今は消えてしまった病気があります.
 なにか,こうモヤモヤしたものがあって,このあたりを考察した書籍はないものかと….

 ダメか.
 

2010年8月31日火曜日

“幻”の対馬銀山

 
 いわゆる“対馬銀山”は日本最古の銀山といわれ,八世紀から十三世紀にかけて,日本でほとんど唯一の産銀地とされています(十三世紀以後は,その始まりははっきりしませんが,石見銀山が加わるとされています).

 現在追求中の「海洋史観」の初期には,対馬から産した銀が朝鮮半島との交易において重要な位置を占めていることが示されています.しかし,「対馬銀山」とは,どのようなものだったのかとなると,ほとんどはっきりしません.
 それで,あちこち調べると,ますます混乱してゆく一方なのですが,このブログは,調査の「メモ書き」のつもりですから,とりあえず,どの程度混乱しているのかを示しておきたいと思います.

●名称
 いわゆる“対馬銀山”と,書きましたが,「対馬銀山」という言葉には,なにか実態があるわけではありません.歴史資料に「対馬銀山」という言葉が出ているものはないようです(「ないようです」というのは,わたしは歴史の専門家ではありませんので,知りうる範囲はごく狭いですし,お宝のような史料には,もちろんアクセスできる権利がない:歴史のほとんどは,公開されていない史料から成り立っているのです).
 誰が,最初に「対馬銀山」という言葉を使ったのかも,不明です.

 平林(1914)は「佐須鉱山は対馬国下県郡佐須村字樫根にあり.本邦に於ける銀の最初の発見地である.」としています.続けて,「即ち,旧記に載する所の天武天皇白鳳三年(西暦六百七十五年)於対馬国佐須山得銀云々とは,此山であつて往昔に専ら銀鉛鉱のみを採掘したるものである.」とあります.
 この言葉が正しいとすれば,“対馬銀山”は,本来「佐須銀山」と呼ばれるべきものです(ちなみに,いっぱんに「石見銀山」と呼ばれているものは,正式には「大森銀山」が正しいようですね.石見国にあるから“石見銀山”,対馬国にあるから“対馬銀山”というようなセンスです.もちろんこれでは,ひとつの「国」に銀山が二つ以上あったら混乱を招くことになりますね.実際,石見銀山には混乱があります).
 なお,「対馬国下県郡佐須村字樫根」とは,現在の「長崎県対馬市厳原(いずはら)町樫根(かしね)」にあたります.また,「旧記」というのはなんであるかの記述はありません.

 また,上原(1959)によれば,「佐須鉱山,安田鉱山などその一部が銀山あるいは銀・鉛鉱山として個々に小規模に稼行された」とあります.
 1941(昭和十六)年,東邦亜鉛株式会社が「対州鉱山」を買収,鉱山の運営をはじめますが,この頃には,付近の鉱山は「対州鉱山」として統合されたようです.そうすると,「対州銀山」という名前も候補に挙がりますが,“旧記”にかかれた鉱山が「対州鉱山」のように統合されたものに匹敵するのかというと,問題ありです.
 なお,上原は「対州鉱山」を三つの鉱帯(東部・中央・西部:どうでもいいですが,「東部」・「西部」なら,「中央」ではなく「中央部」でしょうね.なぜわざわざアンバランスな命名をするのか,わかりかねます)に分け,その各々に,いくつかの「ヒ(金偏に通;以下おなじ)」(鉱脈)を割り当てており,「中央鉱帯」には「佐須[ヒ]」・「安田[ヒ]」の名前もあります.したがって,“旧記”にかかれた“銀山(銀坑)”とは,「佐須[ヒ]」のことである可能性が高いです.
 しかし,実態はまったく不明ですが,開坑年代の不詳な“間歩”もたくさんあるようで,「間違いなく佐須[ヒ]のことをいっている」と断言することはできないようです.

平林武(1914)本邦に於ける銀鑛の鑛床に就き(承前).地質学雑誌, 21(244): 12-36.
上原幸雄(1959)対州鉱山の地質鉱床とその探鉱について.鉱山地質,9(37): 265-275.


●地質
 対州鉱山(というよりは)“南部対馬島”(一時期は「下県郡」と呼ばれたこともあるようです)の地質図は,いくつか公表されていて,それらによれば,古第三系とされる対州層群(砂岩・頁岩およびその互層)と,これを貫く花崗岩が分布し,花崗岩から分岐したと思われる石英斑岩や玢岩が,岩床状あるいは岩脈状に分布しているといいます.
 これらの貫入岩類には,著しく変質したものと,そうでないものがあり,鉱脈とされるものは,この著しく変質した貫入岩類に関係があるようです.
 ただし,この石英斑岩や玢岩の一部は発泡し,熔岩状に見えるものもあるという記載があります.そうすると,これらの火成岩は対州層群の堆積時に同時的に活動した可能性もあります.
 二つの解釈は,花崗岩との関係(対州層群は花崗岩の貫入により,ホルンフェルス化しているとされる)で,矛盾を生じますが,貫入岩類には,堆積とほぼ同時期のものと,花崗岩の貫入にともなう二系統があるのかもしれません.

 なお,上原(1959)は「いずれの[ヒ]も地表における露頭はほとんどな」いとしており,史上最初の鉱脈の発見はいかなる経緯によるものなのか,興味深いところがあります.

●鉱床および鉱脈
 鉱床および鉱脈については,上原(1959)が精密に分類していますので,それを参照してください.ここでは省略します.なお,各[ヒ]の主要構成鉱物は方鉛鉱を主体に閃亜鉛鉱を伴い,わずかに磁硫鉄鉱を随伴するのが主で,閃亜鉛鉱主体の場合も[ヒ]によってはあるようです.
 「銀」については,記載がありません.

 なお,ネット上では,「対馬銀山」は「黒鉱」であるという情報が流れていますが,上記「地質」の状況からは,「黒鉱」である可能性はありません.
 対馬北部の地質を考えても,黒鉱の鉱山の存在は考えられません.
 これらの誤情報は,某ネット百科事典から流出しているもののようで,それには,「黒鉱」と書いてあります.なお,このネット百科事典の記述は,某百科事典を引用していますが,百科事典を引用文献とするのは奇妙なことで,百科事典の編集者が地質や鉱床の研究をしているわけはなく,百科事典自体がなにかの研究を引用しているはずです.ここでは,その詳細はわからないので「名称」のところで,定義にこだわったわけです.
 

●銀もしくは鉱石
 残念ながら,対州鉱山で採取される鉱石がどのようなものなのか記載したものは,ほとんどありません.
 たった一つ,みつかったのが,平林(1914)に示された鉱石の分析値です.これは,平林が1910(明治四十三)年に調査したときのものとされています.

鉱程     金  銀    鉛   亜鉛
笊揚鉛鉱   0  0.2207 76.10  ―.―
同亜鉛鉱   0  0.0208 ―.―  49.70
手選塊亜鉛鉱 0  0.0062 ―.―  48.60

 ただし,これは,一般的な鉱石の分析値とか,高品位な鉱石と思われるものの分析値とかではなく,選鉱課程のいくつかの鉱石について,金・銀・鉛・亜鉛の値を示したものに過ぎません.単位は示されていませんが,たぶん重量%と思われます.したがって,どのような意味を持つのかということは一概には言えません.
 全鉱山中で,この鉱石が「銀」の含有量が多いのか,少ないのか,普通なのかといったことすらわかりませんが,いえることは,この鉱石の「銀」の含有量は驚くほど少ないのではないでしょうかと.
 要するに,「銀山の鉱石」とは言いがたいのではないかと言うことですね.

 これが,この鉱床の一般的な含有量だとすれば,同鉱床で「自然銀」があったとは考えにくいのではないでしょうかね.そもそも,このタイプの鉱床に「自然銀」が産出することがあるのかどうかは,鉱床学の専門家に聞いてみなければわからないですし,残念なことに,こういう具体的なことに触れた鉱床学の教科書も見あたらないもので,なんともいえません.

 一般的には,「銀」と「鉛」は親密性があり,方鉛鉱にはしばしば,銀が含まれています.これを「貴鉛」と呼ぶことがあるそうですが,先ほどの平林(1914)には,興味深い記述があります.
 「当山に於て所謂る[ヒ]筋と称せるものは真実此断層に伴へる粘土を指せるものにして,採鉱は専ら此粘土を追へるものなり.此鉱床は元来方鉛鉱を目的として採鉱されしものにして,現在見られ得べきものは其抜掘跡なりとす.故に鉱石の大部分は閃亜鉛鉱にして,稍々多量の磁鉄鉱及び少量の方鉛鉱を見るのみなるも,若し今後地下深所に及び古人の未着手なる部分に達せば,方鉛鉱の量は恐らく稍々多量に出づへきものなるべしと考ヘらる.」
 当時,残存していた粘土脈には,古人が銀採取のために,選択的に「方鉛鉱」を抜き取った形跡があり,閃亜鉛鉱が残されているようだということですね.つまるところ,“古人”は,方鉛鉱に,少ないながらも「銀」が含まれていることは承知していたのかもしれません.

・銀の産出量
 いくつかの記述には,“対馬銀山”の産出量とおぼしき記述があります.
 それは,(書き方があいまいなので,「たぶん」でしかないのですが)「延喜式」に“税金”として「1200両を納める」とあるらしいです.これは,自動的に「1200両/年」と解釈されています.もうひとつ,「對馬國貢銀記」にも「1200両」という記述があり,これもその裏付けとして扱われています.

 「對馬國貢銀記」のその部分を見ると,「満千二百両以為年輸」とあります.これだけですと,「1200両を一区切りとして,一年間の仕事とし,(国に)納めた」という意味かと解釈することが可能かとも思われます.じつはそのあとの文が問題で,(現代文訳は困難なのですが)「その一区切りが終わったからといって終わりにはできない.坑道を放置すれば,雨水が坑道に満ちてしまうからである」と書いてあるようです.
 してみると,1200両分の銀が確保できたとしても,鉱山としての業務は続けていたとするべきなのでしょうか.ただし,じゃあ「更に銀を掘っていた」ということも,たんに「排水作業のみを行っていた」とも解釈できるので,断定はできないですね.
 そう,1200両というのが、何を意味しているのかは依然と問題なわけです.

・銀の価値 
 対馬が国に納める銀の量は年間1200両と決められており,これは,我妻(1975)によれば,以下のように判断されています.
 当時の「両」には,「大両」と「小両」があり,どちらをとるかで換算量が異なります.“旧記”の「両」がいずれに当たるのかは不明なのですが,1200両は,現在の重さに換算すると大両ならば45kg,小両ならば15kgになるそうです.

 現在,銀の相場は,2010.08.30現在で1gあたり¥53前後なので,¥2,385,000もしくは¥795,000程度になります.これは,“対馬銀山”に関する記録では,対馬銀山が産出した銀の量として,しばしば記述されているものです.しかし,現在の度量・価値に換算すると驚くほど少ないという感じですね.
 しかも,これは天皇に収めた銀の量だけしか表していませんので,“対馬銀山”総体では,どのくらいの量の銀を産出したのかという話にはならないわけです.

 “対馬銀山”が産出した銀の量は「不明」ということです.
 ただし,一般人について,当時の「銀」にはどういう価値があったのかということを考えると,一般人は「そんなものは持っていてもしょうがない」というのが常識的なところかと思います.(当時の社会体制・経済機構は,わたしにはわかりませんが,)銀は対朝鮮半島,対中国の貿易についてのみ意味があって,個人にはあまり意味がなかったのじゃあないかと思います(こういうことを解説している歴史書はないもんでしょうかね).
 そうすると,“対馬銀山”の銀産出量は1,200両/年以外のものはなかったと考えるのが妥当ということになります.
 一方で,産出量の半分を天皇に召し上げられていたとすれば,2,400両/年となり,1/10を召し上げられていたとすれば,12,000両/年となります.
 いずれにしても,わからないことだらけということなんですが…(歴史は,こういうあいまいなことで成り立っているのですから,怖いですね).
 

 我妻 潔(1975)「対馬国貢銀記とその製錬法」(日本鉱業会誌,91(1051): pp.不詳:日本鉱業会誌は公開されていないですが,カマサイ氏のHP「冶金の曙」(番外編>銀製錬事始>★「対馬国貢銀記とその製錬法」)に一部が転記されています(わたしにとっては,虎の巻のようなありがたいHPです).


●幻の金山
 日本学士院編「明治前日本鉱業技術発達史」によれば,「続日本紀」による記述とことわったうえで,以下の記述があります.

 「天皇の五年三月に,さきに対馬に派遣した三田首五瀬から金が献上された.天皇は大いにこれを賞賛し…(中略)…賞与をあたえた.そして,天皇はこの対馬からの献金を記念して年号を大宝と改元し,天皇の五年をもって大宝元年と定めた.」

 つまり,対馬に金山があったという記述です.
 しかし,これは,三田首五瀬(みたのおびいつせ)の起こした詐欺事件であったとも書かれています.

 対馬国から最初に銀が献上されたのが,674(白鳳三)年とされていますから,「銀があるんだったら,金があってもいいだろう」ぐらいの感覚で派遣されたのでしょうけど,まんまと引っかかったものです.

 しかし,その献上された「金」はどこから産出したものなのでしょうね.

 この金山詐欺事件のことを知ったときには,先ほどの「銀の産出量」のことも絡めると,いっしゅん「銀山」も詐称ではないかと疑ってしまいました.

 歴史には,わからないことがたくさんあります.
 わからないことがあるのはいいんですが,わからないことがあいまいなまま,いい加減な情報が一人歩きして,歴史が構成されているというのは…,どうもね.
 

2010年8月28日土曜日

海洋史観

 
 「文明の海洋史観」という本で,歴史の見方を変えなければならないという強迫観念みたいなものができてしまって,あちこち探し回ってました.
 でも,また,だまされてたみたいです((^^;).

 なにかというと,簡単なことでした.
 以前,「蝦夷の古代史」のところで,ちょっと触れてますけど,朝鮮半島の影響下にある“西日本”をネグレクトしてしまえば,それこそ,縄文時代(もしかしたら,旧石器時代から?)からこの方,海域を舞台としたダイナミックな「人と物」の移動があったことが見えてくるわけです(逆に,この西日本の“大和”政権の勢力圏が,どんどん拡大して,固定していくのが,公的な“日本の歴史”ですけど).

 “日本の歴史”の中では,縄文時代なんか,素朴な小集団が手近にあるもを採集して,その日暮らしの生活をしていたなんてイメージで教えられてきましたね.だけど,かれらは移動するのが常態なので,少人数の集団でしかありえないし,だから国家なんかつくってるヒマもない.かれらの文化が原始的なのではなくて,それがかれらの文化なわけです.
 “日本の歴史”を見直していたんでは,「日本の歴史」はわからないというパラドクス.

 さて,以前に読んだ本ですけど,また読みなおすことにしました.

中橋孝博「日本人の起源」
池橋 宏「稲作渡来民=「日本人」成立の謎に迫る」
海保嶺夫「エゾの歴史=北の人びとと「日本」」
瀬川拓郎「アイヌの歴史=海と宝のノマド」
後藤 明「海を渡ったモンゴロイド=太平洋と日本への道=」
後藤 明「海から見た日本人=海人で読む日本の歴史」
 などなど.

 それにしても,読んだはずの本が,新鮮だこと((^^;)
 & 読むスピードが遅くなってること…((^^;).

   
   
 

2010年8月27日金曜日

最近ビックリしたこと

 
 地質学雑誌に,JGL(=日本地球惑星科学連合ニュースレター)というのが,添付されるようになって久しいです.
 このニュースレターには,しばしば無神経な記事が載るので有名ですが,最新号(vol. 6, no. 3)にもそういう記事がありました.
 あ,いや,別に不快感を表明しているわけではなく,こちらとしては,無料で「トンデモ本」みたいな記事を送ってくれるので,おもしろ半分に読んでいるだけです.

 その記事は,「白堊紀末の大量絶滅と小惑星衝突」というもの.中身は,マスコミ受けがいいので,しばしばTVの“科学番組”などでもやりますから,周知のことですが,おもしろいのはその副題「30年の論争に終止符」というやつ.
 勝手に終止符を打たれても困りますが,すごいのは,“反論はしてはならぬ”というメッセージ.
 わたしなんかは,意見の違う人が互いの意見をぶつけ合うので,科学が前進すると思ってますから,「論争は終わった」ので,“部分的な反証など,あげてはならぬ”などということが文章になっていると,ゲシュタルト崩壊をおこしてしまいます.ましてや,それが,科学を標榜する“学会”のニュースレターに記事としてのってるなど….

 一つの仮説に対して,「それに沿わない事実がある」ということを表明するのを拒否する学会ってなんなんだろう.
 もちろん,そういうことを気にする研究者なり団体なりがいたとして,「この記事はおかしいのではないか」と表明したら,例の如く「これは投稿記事なので,当局は一切責任を負わない.反論したければ,その記事は掲載してもよい」となるんでしょうね.

 学問は別に多数決でするわけではないですね.
 各々が,信じる仮説の証明に向かって進めばよい.反証をあげる人がいたら,その部分が仮説の完成には足りないわけだから,そこを掘り下げればよい.それだけの話(逆にありがたい話でしょう).
 他人の研究や,その公表の邪魔をしたら,「…穴二つ」になってしまわないですかね.
 「一つのことしか考えるな」というのは,ちょっと前なら「ファシスト」とよばれたかも.


 もっとも,この「日本地球惑星科学連合」というのは,たぶん,パラダイムのちがう異種の学問の野合集団なので,論争が成立しにくいのも事実だと思います.なんのためにできた連合なのか,まだよくわからないですからね.
 数年後,数十年後に,この「日本地球惑星科学連合」が,科学史上,科学論上,どのような位置づけになっているのか楽しみでもあります(その頃には,もう生きとらんだろうなあ).
 学問体系ではないのに“科目”として,文部省の都合で無理矢理でっち上げられた「地学」が,その故に崩壊したように,おなじ道をたどるのではないかと…,老婆心ながら….
 
 

2010年8月26日木曜日

「黒鉱」その後

 
 前に書いたように,鉱床学や鉱山の歴史を概観した研究というのは無いようなので(いい方が不正確ですね.経済学的見地から「鉱山の歴史」を概観した研究ならあります),なんでもいいから,入手可能な「鉱山関係」の本ということでさがしたら,以下の二冊が入手可能だったんでみてみました.

鹿園直建(1988)「地の底のめぐみ=黒鉱の化学=」(裳華房)
石川洋平(1991)「黒鉱=世界に誇る日本的資源をもとめて=」(共立出版)

    


 残念ながら,両方とも,わたしの目的にはあわない本でした.
 本の題名からいえば,普通なら「黒鉱研究の歴史」を略述してあっても,ふしぎはないはずですが…,まあ,あることはあるんですが,読むとますます混乱してしまいました.研究史だけじゃあなくて「黒鉱」そのものについても.

 わたくし,一応地質学を専攻していたんで,理解できるであろうという前提でいたんですが,どうも無理でした((^^;).原因はいくつかあるようですが,わかりやすいところから.
 両氏とも,普通にいう「地質屋」ではないのですね.鹿園氏は,「地球化学者」を名のっていますし,石川氏は「金属鉱山学」者ということです.


 鹿園氏は,本の中のおおくの知識が「地質学」を基盤としているのに,地質学の成果を軽視しています.そこでは「研究史」を「地質学の時代」,「地球化学の時代」と「ダイナミックスの時代」に分けてはいますが,地質学の扱いは,あまりにも粗略なので(1961年以降の成果はないように書いてある),「ひょっとしてこの人は地質学が嫌い」なのかなと思わせます.
 分析値についての製図は素晴らしいのに,地質学的成果は(ほとんど引用ですが)凄まじくいい加減.引用図の凡例にあるマークやシンボルが,図そのものに存在しなかったりしますし,「だれだれ,何年」から引用と書いてあるのに,その引用文献そのものが示されてないから,確認のしようもない.
 内容自体がかなり高度なのに,引用文献による補足や確認もできないのですね.

 一番気になったのは,どの程度の人たちを読者層としてかんがえているのかということです.引用文献を示さないということは,「読み捨て」を前提としていて,この本の読者から「後継者が育つ」ことは意識していないということだろうと思われます.「読み捨て」する読者を前提としているなら,もっとわかりやすい文章・内容でなければならないと思います.中途半端なんですね.

 本人も,書き終わったあとで,気にしたらしく,「あとがき」で,言い訳らしきものを書いていますけど.どうもね.

 と,いいつつも,わたくし,学生時代のことを想い出してしまいました.
 それは,(金属)鉱床学実験のときには,これまでみたこともない鉱石をみたり触ったり,さまざまな実験をしたり,非常に楽しかった.また,実際に鉱山にいって,斜抗を下ったり,坑道を歩いたり(これはすごい体験でした),鉱山技術者から現場の話を聞いたことも,わくわくするような経験でした.
 ところが,「鉱床学概論」みたいな(理論的な)授業は,まったく理解ができなかった((^^;).
 最初の授業で,「あ,これは単位を落とすな」と直感した連中は数人ではなかったですね.その原因は,鉱床学という学問は,かなり応用地質学的なところがあり,広範な知識を要求されるので,ちょっと地質学をかじったぐらいの学生では,なかなか全体像が理解できない(今,何を勉強しているのかが理解できない)ところがあります.
 一方で,一つの鉱山を構成する地質・鉱床・鉱石を理解できたとしても,別の鉱山に応用がきくとは限らない.金属鉱床をある程度理解できたとしても,非金属鉱床には応用がきかない.石油・石炭はもちろん.ま,要するに一筋縄ではいかないわけです.
 だから,まあ,ある程度仕方がないというわけですね.

 それにしても気になることが一つ.
 後半には,鉱床の成立には海嶺から噴出する熱水が関係ある(要するに,海嶺で時々見いだされるチムニーとかブラック&ホワイトスモーカーとかいわれる現象が頭にあるらしい)ようなことが書いてありますが,黒鉱は日本独特な鉱床形態という前提なのに,なぜ中央海嶺?
 中新世のグリンタフ地域に海嶺があったということなのかしら?
 地質学的には,黒鉱の周囲は酸性火山岩で蔽われているのが普通と書いているのに,玄武岩が噴出する中央海嶺とイコールで結ぶのはなぜ?(無理しゃりにでも,PT論に結びつけたかったのでしょうかね?)

 ま,鉱床学は難しいから仕方がないか(部外者に理解させる気はないのね).


 石川氏の「黒鉱=世界に誇る日本的資源をもとめて=」についても,似たようなことがいえます.

 こちらは,鉱山地質学者ですので,地質学的な成果の引用は多いのですが.ふと,こう思いました.この人は「黒鉱」全体の説明をしてるのではなく,東北地方にある一部の黒鉱鉱床についての説明をしてるのではないか,と.
 それを一番感じたのは,第6章の「新鉱床の発見」のところです.なぜ,こんなところに,不自然に,ローカルな新鉱床発見の話があるのか?

 黒鉱鉱床の法則性が明白になったから,その応用で新鉱床が発見されたというシナリオなら,なんとなく理解できますが,どうもそうではないよう.その辺しか知らないから,その話題を入れたのかな,と勘ぐってしまいます.
 それにしても,1991年出版といえば,もうPT論全盛の時代のハズですから,PT論による「黒鉱成因論」をやっててもいいはずですが,「これからやる」というような話です.本文の解説のほうでは,どうも地向斜造山論がパラダイムだったような気もするし,残念!残念!!残念!!!です.

 ということで,現在入手可能な二冊の「黒鉱」の本を読んでも,「黒鉱の全体像」ことはわかりません(もっとも,わたしの脳のレベルが低いのでわからないということかもしれませんけど.も少し経ったら,読みなおしてみよう).


 いろいろさぐっていたら,おもしろい著述を見つけたので,最後に紹介しておきます.
 それは,北卓治「わが国の黒鉱(式)鉱床について(1)〜(4)」です.これは,地質ニュースの121号から134号に渡って掲載されていました.これらは,無条件で「産総研HP」からダウンロードできますので,興味のある方はDLしてみてください.非常に詳しいですし,黒鉱鉱床について理解させたいという熱気が伝わってきますよ.
 残念なのは,時代が時代ですから,PT論による解釈というのが全くないことです.
 PT論による知見も入れて,書き直してくれれば,ありがたいのですが….

 

2010年8月23日月曜日

アイディア園長>アイディア市長?

 
 「アイディア園長」として有名な,小菅正夫さんが,次期旭川市長選に出るそうな.

 わたし,この人は「アイディア園長」なんかじゃあないとおもう.
 あの程度のアイディアなら,現場の職員なら,常に二つや三つ持っているハズだからね.逆にあの程度で「アイディア〜〜」とつくなら,「アイディア~~」の底が知れるというものです.

 小菅さんを評価するとするならば,その「マネジメント力」だとおもう.

 小都市の住民統治機構(首長+役場職員+議会議員を含む.場合によっては町内会長なんかも)というのは,完全なる邑社会で「大ボス・中ボス・小ボス」が,がっちりスクラムを組んでいる.
 獣医出身で,現場たたき上げの園長のアイディアなんて,(アイディアというだけでは)取り上げてくれるわけがない.完全に部外者だからだ.博物館の学芸員なんてのもおなじで,完全に外人部隊である.だまって働けばいい(いやなら出て行けといわれる)だけであって,意見なんか採り上げてもらえるはずがないのが普通である(いいたいことは,いっぱいあるが,グッとこらえる(^^;).

 そこを,わずかづつとはいえ,予算を確保し,少しずつ理想に近づけていった,その「マネジメント力」こそを評価すべきなのだ.

 なぜ,「アイディア園長」とよばれたのか?
 これは一つの戦略であるとおもう.

 展示が有名になれば,必ずマネをするヤツがでてくる.実際に,あちこちから視察があったろう.そのときに,「金(予算)がなくても,アイディアがあれば」といっておけば,かなりの数の連中がだまされる.「足らぬ足らぬは,工夫が足らぬ」というヤツ.
 視察のメンバーとして,役場職員や管理職,議会議員などを送り込んだ自治体は,たぶん簡単にだまされたろう.現場のことなんか,なんにも知らないからだ(そもそもが,「視察にいこう」なんて発想そのものがね…).
 帰ってから,現場職員に「アイディアを出せ」,「金は出さぬ」といってればいいのだから.

 しかし,視察メンバーに「現場職員」を入れた自治体は,だまされなかっただろう.だって,「現場職員」だ.旭山動物園がやったようなアイディアなんか,始めから持ってるに決まっているからだ.
 かれは,帰庁して,どう報告するだろうか.
 「アイディアを実現できるだけの必要最低限の予算*をつけないと,突破口はありません」というに決まっている.

 アイディアなんかいくらあっても,それだけではしょうがない.現実に「予算」というヤツをつける(ぶんどってくる)能力がないと,なんにもならないのだ.

 市長選では,「アイディア〜」よりも「マネジメント力」がキーポイントだね.必要なところに予算をつける能力さ.


 もうひとつ.
 小菅さんの業績を上げておかなければならない.

 それは,「文化は金になる」ことを示したことだ.いい方は汚いけど,「金」しか頭のない人たちには,こういういい方をしないとね. 

 「福祉・教育・文化」に予算が回ってくるのは,ものすごく景気のいいときで,しかももう,ほとんどのところに予算をつけてしまって,ほかにつけるところがなくなったころに,ようやっと予算が回ってくる(景気の後退が,はじまりかけたころね).
 で,景気の後退が始まると,真っ先に予算が取り上げられる場所でもある.

 理由は,「福祉・教育・文化」では,潤う業界が,ほとんどないからだ.「大ボス・中ボス・小ボス」が連なっている邑社会だからね.

 ところが,小菅さんは,旭山動物園の成功で「文化も金になる」ことを示してしまった.正確には「文化で人を呼ぶことができる」し,「人が集まれば,金が落ちる」ということだけどね.

 小菅市長が誕生して,これまでの邑社会では気付かなかった分野,「旭川の文化」を「街おこし」にジェネレートする実験をおこなってほしいものだとおもう(郷土史研究会もない悲しい町ですけどね).
 支持する市民は,「あの人なら,なにかするかもしれない」という単純な発想だと思うけどね.それで充分.今までの政治屋には無い臭いが…,すればよい.
 ん? 象の臭いか? (トラの臭いかもね(^^;)


* 必要最低限の予算:これは,効果を生み出すための「必要最低限」という意味で,ついてりゃいいという程度の「必要最低限」という意味ではない.「費用と効果」は完全に比例するものではなく,「少し」の予算では効果がみられない範囲というものがあるので,予算はそこまでつけなければ意味がないのだ.
 

2010年8月20日金曜日

反プレートテクトニクス論,読後

 
 星野通平「反プレートテクトニクス論」(イー・ジー・サービス出版部)が到着したので,読んでいました.
 ほとんど新知見はないですね.しかし,プレートテクトニクスに対する疑問の集大成というところ.どの主張にも違和感を感じないのが,逆にふしぎ.

 Ⅰ章は,「プレート説の誕生」で,ごく短い略説.
 Ⅱ章は,「プレート説が主張する観測事実の検討」で,この本のほとんどを占めています.
 Ⅲ章は,「地球の歴史」ですが,これは星野さんの独擅場.
 Ⅳ章は,「プレート説流行の背景」.これが,この本の本論ですね.

 わたしは,単純に「プレート論は「軍事科学」と「キリスト教」が創りだしたもの」という話を授業でしたことがありますが(そんな話をしてるから,非常勤講師を切られるんだな(^^;),こんなにたくさんのデータをそろえてしゃべったわけではありません.

 で,読んでいて,気分が高揚してきたかというと,どんどん沈んできました.
 なぜなら,この本に対する反応は,「たぶん,ない」だろうから.

 理由はたくさんありますが,第一に,PT論者にとっては“プレートテクトニクスは観測された事実”であるから,今さら,土俵を下げて相手をしても「得るものがない」からですね.
 だから,無視される.

 第二に,実際には,PTが「パラダイム」でなければ困る人は(その他のテクトニクスでなければ困る人たちにしても),ホントはごく少数だと思われること.
 地質学会に,いったい何人の会員がいるかは知らないですが,圧倒的多数が,(個々の)論文レベルでも(個人の)研究テーマレベルでも,別に「どっちでもかまわない」人たちでしょう*.地向斜造山論がパラダイムのときは,地向斜造山論で解釈し,PT論がパラダイムのときはPT論で解釈するだけ**.
 したがって,自分に向かっていわれているとは,だれも思わない.よって反論も肯定もしない.

 悲しい.

 そういえば,「パラダイム論」そのものも,「唯一絶対神」の影が見えるなあ.

* 化石の記載論文や,新鉱物の記載論文,露頭現象の記載論文,はては地域地質の記載にいたるまで,「地向斜」とか「プレート」とかの存在を前提としてしか書けない論文は,これまで,いったい,いくつあったのでしょうか.

** たとえば,昔の「鉱床学」の教科書などを読むと,もちろん「地向斜造山論」に調和的に書かれていますが,よく読むと,「マグマの活動に関係がある」といってるだけで,背後に「地向斜」があろうが「プレート」があろうが,そんなに関係ないことがわかります.PT論による新しい「鉱床成因論」など,ないだろうかとさがしていますが,そんなものはみつからない.以前それらしき論文を見つけたとき,いっしゅん喜びましたけど,書かれていたことは,鉱脈を裂罅としてみて応力場解析をやっているだけで,鉱床成因論をやってるわけではなかったですね.
 つまり,現象を「解釈」しているだけでした.
 

2010年8月15日日曜日

リンク

 
 ごくまれにですが,それまでなんの関係もないと思い込んでいた複数の事項が,ある日突然リンクして,「ああ,そういうことだったのか」とふしぎに思いつつも,納得することがあります.

 そんな例を一つ.
 たとえば,「海洋史観」を身につけようと,彷徨している最中に,見つけた本一冊.

 村井章介「海からみた戦国日本=列島史から世界史へ=」(ちくま新書127)

    


 個人的な興味で調べている「アイヌ史」「石見銀山」が一つの本に載っているというのは,はじめてのことです.
 日本海を内海とした交流・物流の視点から見る「コシャマインの戦い」.
 石見銀山の「起承」.
 銀山革命と世界史.

 ただ,残念なことは,この本は,どうやら歴史をよく知っている人のためのようで,ダイジェスト版にしか見えません.書いていないことが多すぎるような気がします.
 もちろん,わかっていないことも多すぎるのでしょうけどね.
 アイヌ民族の成立と世界史がどうかかわっているのか.北方世界の交流と物流.
 たしか,むかし,函館で「学芸職員研修会」をやったときに,「館」の発掘の話があったと記憶します.当時は,発掘が進んでいるというような,現状報告に近いものだったかとおもいますが,少しリアルになったような,まだまだ,霧の中のような….

 石見銀山の話もそうです.
 たんに掘り出した銀鉱石を朝鮮半島へ運び出すだけだったものが,朝鮮半島にあった銀製錬の技術が日本に渡ったことで,石見銀山に革命が起き,世界の銀の1/3を産するほどになる.たぶん,そこで活躍したであろう「倭寇」.

 でも,まだわからないことのほうが多すぎる.
 たとえば,石見銀山よりはるか以前からあった「対馬銀山」の位置づけはどうなっているのか.
 そこでおこなわれていた「鉱山技術」・「冶金技術」は…?.

 謎解きは,まだまだ続く.
 

2010年8月13日金曜日

「黒鉱」

 
 鉱床学は地質学の滅亡とほぼ同時に滅びた学問のようです(滅亡の原因は多少異なるようですけどね).だから,現在では鉱床学関連の書籍をさがすのは容易ではないです.
 さらには,日本の鉱床学あるいは鉱山の歴史を概観した本というのは,もはや入手不可能なようです.

 「鉱床成因論」などは,大学において「鉱床学」が普通に研究されていたころは,パラダイムは「地向斜造山論」でした.成因論は「造山運動論」に密接に関係していたと思います.
 しかし,PT論でしかものを考えてはいけない現在では,どのような解釈がおこなわれているのか.これは,以前から気になっていたことです.

 やっと,それらしき本がみつかりましたので,紹介しておきます.
 それは,石川洋平(1991)「黒鉱」(共立出版株式会社)です.その第7章「黒鉱研究の将来」の7-3に「黒鉱とプレートテクトニクス」という節がとってあります.あとでゆっくり読むつもりです.
 ただ,入手してから気付いたのですが,「PT論による黒鉱成因論」と「地向斜造山論による黒鉱成因論」どちらがよりリーズナブルなのかということは,わたしには,判断能力がありませんでした(困ったもんだ (^^;).
 なにせ,「鉱床学」はむずかしい.ま,努力してみるつもりですけれどね.

    

 ところで,興味深いことに気付いたので,特記しておきます.
 それは,この本は「地学ワンポイント」シリーズの一冊で,このシリーズの編集者は,「藤田至則・南雲昭三郎・森本雅樹」の三人です.後二者の方は存じ上げませんが,「藤田至則」氏は「グリンタフ造山運動」の提唱者として有名であり,藤田氏は「グリンタフ造山運動」は「PT論」では説明できないとしていました.

 しかし,石川氏は著書「黒鉱」の「はじめに」で,藤田氏へ「原稿を読んでいただいた」として謝辞を述べています.もちろん,藤田氏は人格者なので,PT論による各種解釈の出版を邪魔するような人でないことは,多くの人の知るところでした.
 そういえば,わたしの北大地鉱教室の先輩であり,尊敬する卯田強さん(新潟大学)も「さまよえる大陸と海の系譜=これからの地球観」を訳されたときの「訳者あとがき」で,つぎのように記しています.

「本書の翻訳は,新潟大学積雪地域災害研究センターの藤田至則教授から紹介された.本書の内容が自らの地球観とは相反する内容であるにもかかわらず,翻訳を勧められたばかりか,原稿を読んでさまざまな指摘から細かな語句の訂正までしていただいた.藤田先生の熱心さと寛大さにあらためて敬服するとともに,御厚意に心から感謝を申しあげたい.」

   


 ちなみに,卯田さんは(当時,大学院生でした),一般的には“地団研の牙城”とよばれた北大地鉱教室にいながら,PT論による地質現象解釈をおこなっておられましたが,同時に地団研の会員でもあり…,というよりは,当時,私ら学生にとっては,ほとんど指導者的な立場におられました.
 わたしが学部移行した年の,春の自主巡検に全行程でつきあっていただき,非常に熱心に指導していただきました.その後も,ことあるごとに,卯田さんのはたした影響は大きいものだったと,いま,想い出します.
 当初は,あまりにも“うるさい”(失礼(^^;)ので,若干苦手な先輩でしたが,ただひたすらに「熱い心を持った人」なのだと気付いたときに,大好きな先輩の一人になりました.

 話がずれました.元に戻します.
 現在,「地団研=悪の帝国.PT論者=虐げられた正義の人たち」,みたいな単純な図式が大手を振ってまかり通ってますが,このたった二つの「謝辞」からも,そんな単純なものではないことがわかるかと思います.
 わからないかな?
 「善悪二元論」,「勧善懲悪」,「ばいきんまんとアンパンマン」のほうが,わかりやすいもんな.

 わたしのように,「ちがう立場でものを考える人がいるから,学問が前進する」と考えるのは,幼稚なようで…(でも,書いておかなくっちゃ(-_-;).

 

2010年8月8日日曜日

反プレートテクトニクス論

 
 「反プレートテクトニクス論」という本の新刊案内がとどきました.
 著者は,星野通平さん.

 「う~~ん,ガンバルなあ」という気持ちと,「もう,いいんじゃあない」という気持ちが半々.星野通平さんには,わたしがまだ学生のとき,湊正雄教授の部屋でお目にかかったことがあります.もちろん,わたしのことなど覚えていないでしょうけど.
 当時もじいさんだったから,いまは相当な歳かとおもいますが,元気いっぱいのようですね.

 「まえがき」が紹介されています.

「私が本書で主張したかったことは、プレート説一辺倒の地球科学の世界に、若い人たちがおのおのの仮説をもって、もっと自由闊達に討論をまきおこしてもらいたいことである。そして、科学の世界だけでなく、政治・経済・教育など、あらゆる分野にはびこっている、閉塞感あふれた世の中の風潮を、少しでも打ち破ってもらいたい、というねがいを、本書にこめたつもりである。」

 これは無理だと思います.

 皆が口をそろえて「おなじこと」をいうことを「パラダイム」といいます.ちがうことをいうのは,先行する「パラダイム」に矛盾が蓄積し,その「パラダイム」ではどうしようもなくなってきたときに,やっと始まるとなっています.
 数十年前に「地向斜造山論」から「プレートテクトニクス」というパラダイム変換が起きました.これは,「地質学」から「地球科学」へというパラダイム変換でもあったらしい.
 前者はともかく,後者のパラダイム変換は,近代地質学が成立したといわれているのが1800年代の初めですから,170年はかかっているわけです.ここしばらく,これに匹敵するパラダイム変換は起きそうにない.

 しかも,現代の科学者が求めているのは,「地球の真実」などではなく,学会における自分の立場.しばらくの間,「プレートテクトニクス」と「地球科学」というパラダイムに安住できるわけです.「ちきゆう」なんていう船は,このための強力な盾(武器ではないです)(「ちきゆう」は,どうして,仕分けの対象にならなかったのだろう?)(地質学は政治的に不要だけど,地球科学はまだまだ,政治的に「つかえる」のかな?).


 わたしは,「パラダイム論」にも「パラダイム論」が適用されるだろうと思っています.しかし,それが当分のあいだ,くずれないであろうことは,「プレートテクトニクス論」の本は市販ルートにのりますが,「反プレートテクトニクス論」の本は,市販ルートにのらないことからもわかります(もちろん,地質学雑誌にものらない).

 勝ち馬にのること自体は,決して恥ではないとはおもいますが,大多数が「勝ち馬にのっている」以上,自由闊達な議論など,起きるはずがない(そもそも,パラダイムがちがうのだから,議論自体が成立しない).
 ちなみに,わたしは,地向斜造山論者でもPT論者でもないので,どうでもいいのですが,科学史・科学論の興味深いテーマが,ここに転がっていますので,先ほど,ファックスで,この本を注文をしました.

 

2010年8月7日土曜日

ハリマオ+α

 
 土生良樹「神本利男とマレーのハリマオ=マレーシアに独立の種をまいた日本人」という本があります.

   


 おもしろい本でした.
 村上もとかの「龍-RON-」を彷彿とさせる冒険小説です.
 一気に読めます.しかし,読んでる途中で,違和感「バリバリ」になります.

 なぜなら,最初から最後まで,当事者しかわかるはずのない「会話」が多用されていることから,これはフィクションである筈なのです.
 いくつか,神がかり的なエピソードも挿入されています.

 しかし,「序文」では,拓殖大学総長・小田村四郎が,これを「伝記」とよんでいます.同時に,「一時的に史実を歪曲捏造し,祖国の歴史と父祖の偉業を敵視する自虐史観に充ちた,独立国家にあるまじき歴史教科書が出現した…」とかいていることから,かれは,これを「ノンフィクション」であり,「歪曲」されていない事実と見なしていると考えられます.

 また,帯に示された一文「アジア解放の理想を胸に戦争のさ中、「マレイの虎・ハリマオ」こと谷豊を救出、ともにイギリス植民地主義と戦った一代の快男児・神本利男。マレーシア在住の著者により10年がかりで明らかにされた、その壮絶な生涯。」とあります.
 「明らかにされた…」が微妙ですが,普通ならこれは「(調査によって)明らかにされた」と読むでしょう.たとえば,Amazonの分類では「ノンフィクション」に入っていますし,現在,一つだけある「書評」も「ノンフィクション」という前提で書かれています.
 しかし,本文を読めば,これはどうも「(筆力によって)明らかにされた」ということしか考えられません.

 前の記事「ハリマオ」で,紹介した二冊は,「不明」のところは「不明」とかく,あきらかな「ノンフィクション」ですが,そういう姿勢は,こちらにはありません.
 どちらかというと,前二冊の「ノンフィクション」が「伝説」を解体しようとしたのに対し,こちらは「伝説」を製造する側であるらしい.

 断っておきますが,「冒険小説」としてはおもしろいし,ある程度のレベルに達していると思います.しかし,これを「事実」と見なすひとたちがいるのは,どうも….
 怖いので,これ以上立ちいる気はありませんが,「歴史論争」なるものの,一端を見たような気がします.

 あ,もうひとつ.
 この本は,少数の理想主義者がいたとしても,「軍人」は無知蒙昧であり,「軍」は暴走するものだから,「正義の戦争はあり得ない」ことを示していますが,こちらは,フィクションではないようです.
 しかし,「自虐史観」という妙な言葉を使う人たちは,このことには触れないようにしているようですね.
 

2010年8月2日月曜日

ハリマオ

 
 「海洋史(観)」で,彷徨を続けています.

 手当たり次第によんでいますが,いまひとつピンとこないですね.
 そこで手をだしたのが,「ハリマオ」.

     



 もちろん,これはこれで,おもしろい話題なんですが,背景のほうが重要.
 谷一家のように,「マレーにいって一旗」あげようというような人たちが,普通にいたことです.
 わたし自身は,いちど居ついたら,まず腰をあげないタイプなので,日本人にも,海外で「一旗」という人たちが,けっこう居たことが,実感できないのです.しかし,子供のころみたTVドラマが,(その背景に)そういう人たちが居たことを証明しているわけです.

 もちろん,TVドラマの「ハリマオ」は子供だまし(荒唐無稽に近いもの)ですが,子供のころみたものは,なんとも,否定しがたい((^^;).

 現在,そのDVDが販売されているようですので,ついでに,紹介しておきましょう.

    
 
 いかが?


 そういえば,むかしカラオケでよく歌った「石狩挽歌」の歌詞.
 「沖を通るは笠戸丸」の笠戸丸は,ブラジル移民で有名な船ですね.

 わたしの親父は,戦争中,軍属として北支にいました.青春を過ごした北支が懐かしいのか,死ぬ数年前に北支に旅行に行きました.親父の子供のころは,そういうのが当たり前だった時代なんでしょうね.
 わたしの子供のころは,海外で生活するなんて,考えられない時代だった.
 なにせ,一ドル=360円の時代ですからね.
 これが外に出たいと思わない理由なのかな.

 してみると,海外を彷徨するなんてのは,じつは普通にやってたことなのかもね.
 

2010年7月27日火曜日

ケントゥリオドンの眠り

 
 崖が,また少し崩れたようだった.*1
 崩れる岩の音と落下の感触で,ボクは目覚めかけた.
 でも,すぐにおさまったので,また寝ることにした.
 ボクは少し落ちたようだ.


 崖?,崖ってなんだろ?
 まあいいや.眠たい.
 ずいぶんと寝たようだけれど,まだ寝足りない気がする.*2
 あくびがでて,ボクはまた眠りに落ちた.


 「あ,骨だ」という声がした.*3
 ボクは持ち上げられて,運ばれているようだ.
 しばらくすると,乾いた気持ちのいい場所に連れてこられていた.
 あんまり気持ちがいいので,また,寝ることにする.


 酸っぱい臭いがする.*4
 どうやら,ボクは「酢のお風呂」に入れられているようだ.
 真っ暗だったボクの視界が,いちまい,いちまい,ベールを剥ぐように明るくなってきた.
 もうすぐ,目覚めの時間のようだ.


 「おはよう」と,男の人の声がした.
 目を開けると,メガネに髭の人がいた.頭にハチマキを巻いている.この人がボクを見つけてくれたようだ.
 あとで仲間に聞いたら,「学芸員」というんだそうだ.
 ボクは,「ヒゲの学芸員さん」とよぶことにした.


 学芸員さんは,博物館からおうちに帰る前に,ボクを「酢のお風呂」に入れてくれる.一晩をそこで過ごす.
 朝は一番に,真水で洗ってくれる.ボクの体のあちこちを点検して,壊れそうなところに,接着剤を塗って補強してくれる.
 そんなことが何日もつづいた.


 「イルカの頭みたいだな」と,ヒゲの学芸員さんがいう.
 そうだ.ボクは長い眠りにつく前には,海で泳いでいたんだ.
 「残念だけど,キミはもうここに居られない.」と,ヒゲの学芸員さんがいう.
 ボクは少し驚いた.ヒゲの学芸員さんを好きになりかけてたし,ずーっとここにいられるもんだと思っていたから.


 「仕事が忙しくて,キミの研究は,とてもできないんだ」*5
 「本当は,ボクの手でキミを世界に送り出してあげたいんだけど」
 「キミのことは,Iさんにたのんだ」
 「Iさんはキミのことを研究したがっていたので,よくしてくれるとおもう」


 ボクは,箱に詰められて,Iさんのもとに送られた.
 Iさんは,ボクの回りに残っていた石のかけらをキレイに取りのぞき,それから,毎日ボクをながめている.
 ボクとIさんの長いつきあいが始まった.
 Iさんは,ボクの弟をつくってくれた.弟は真っ白な顔をしている.*6


 ボクと弟は,Iさんと一緒にニュージーランドやアメリカに旅行した.
 なんでも,ボクの仲間は世界中の地層からでているんだそうだ.
 Iさんは,ボクに名前をつけてくれた.
 ケントゥリオドン・ホベツ[Kentriodon hobetsu]というんだ.*7


 ボクは世界でも一つだけの,めずらしい化石らしい.
 外国の仲間とは,少しだけ,ちがうんだそうだ.
 ボクのことは,日本語や英語の論文になった.
 ボクは世界に羽ばたいた.ヒゲの学芸員さんの願いどおりになった.


 忙しい日々が終わり,ボクは懐かしい博物館に帰ってきた.
 ヒゲの学芸員さんにあえると思ったけど,いなかった.
 となりのミンククジラさんに聞いたら,退職したそうだ.*8
 残念だけれど,しょうがない.ボク一人では,どこにも行けない.


 博物館は気持ちがいい.
 毎日,たくさんの人がボクたちを見に来てくれる.
 毎日が,穏やかに過ぎる.
 ボクはまた,寝ることにした.今度起きるのはいつのことだろう.


【解説】
*1:日高山脈とその周辺は,かつて海だった.かつての海に平らに堆積した地層は,日高山脈の上昇に伴い,山脈の肩にのった格好で陸地化した.そのとき以来,地層は傾斜し,褶曲作用がつづいている.
 陸地化すると同時に,風化浸食作用がはじまり,以来,つねに,どこかの崖が崩れている.

*2:この小さなイルカは,いまから約千五百五十万年前の“滝ノ上”海とよばれる海に生息していた.それ以来,発見されるまで,滝ノ上層とよばれる地層の中で,眠っていた.

*3:化石は生物の遺骸なので,どれも特有の組織と構造をもっている.慣れてくると,岩石の表面に飛び出している化石のわずかな断面だけで,貝殻であるとか,動物の骨であるとかが判断できる.

*4:産出する化石の多くは,石灰質団球(俗に「ノジュール」ともいう)の中に見いだされ,母岩は「酸」に溶けやすい.これを利用して,化石の剖出をおこなう場合があるが,化石自体が石灰質の場合が多いので,細心の注意が必要である.まさに,ベールを剥がすような作業である.

*5:小規模博物館の学芸員は,俗に「雑芸員」とよばれるほど,雑用が多い.その大部分は設置自治体の無理解とご都合によるもので,学芸員本来の業務を圧迫している.この場合,化石の採集や研究,その化石による普及活動が「本来の業務」であるが,実際は,そのほとんどが「それ以外」の“業務”である.中には,文字にするのが差し支えるような“業務”も多い.業務に真剣な学芸員ほど,ジレンマに悩むことになる.

*6:化石の研究には,レプリカ(=複製)を多用する.実物は貴重で,代替がきかないからである.展示用には,多くは(実物に類似した)着色したレプリカをもちいるが,研究用には不要である.したがって,素材の色そのままのレプリカも数多くある.

*7:Kentriodon hobetsu Ichishima, 1994:ケントゥリオドン属[Kentriodon]は世界中で数種が発見されている.それらと,明らかに異なる点があるために別種であると見なし,「穂別(産)のもの」という意味で,種名をホベツ[hobetsu]と命名された.なお,Ichishimaは命名者名.1994は命名した論文が発表された年である.
 「針」のことをギリシャ語で「ケントゥロン[κέντρον]」といい,これをラテン語風につづると,「ケントゥルム[centrum, kentrum]」になる.これが,語根となり,centr-, centri-, centro-, kentr-, kentri-, kentro-とつづられる.
 一方,ギリシャ語で「歯」のことを「オドン,オドントス[ὀδών, ὀδόντος]」といい,これをラテン語風につづると,「オドン,オドントス[odon, odontos]」となる.
 ケントゥリオドン[Kentriodon]はこれらの合成語で,「針の歯」という意味.上顎,下顎に針のような歯が並んでいたのだろう.ケントリオドンと書かれることも多いが,不正確.
 なお,ケントゥリオドン・ホベツの化石は頭骨の前半部が欠けており,歯は発見されていない.

*8:ミンククジラ[Balaenoptera acutorostrata]:じっさいに現代の海を泳いでいたクジラの骨格標本.化石ではない.化石との比較用に標本とされたもの.ケンタくんの傍に置いてある.お話しでは,ケンタくんが帰ってきたときには,わたしは居なかったことになっているが,展示はわたしの手でおこなった.
 

2010年7月25日日曜日

ザ・ブーム(4)

 
 またぞろ,夏休みの“大恐竜展”をやってるようで.

 化石ブームは去りましたね.
 ッて,じっさいに山から化石を掘り出してくるブームのことです.
 なぜかというと,もう,ほとんど化石がなくなってしまったからですね.

 わたしが,学生のころは,ちょっとした山に行けば,アモンナイトがはいった原石など,もってくる気がしないほどたくさんありました.
 それが何回かのブームがとおり過ぎたせいで,山には化石がなくなりました.

 現役の学芸員のころ,化石の保護を定着させようと,ついでに化石関係の博物館の連携や話題づくりをしようとしてましたが,挫折しました.
 障害は山ほどあったのです.
 ここには書けないようなことが,たくさん.

 もう時効だからいいようなことなら….

 ある朝,博物館協力会の会長が,大きな声で話しながら,館長のところへやってきました.
 「いや~~.はじめて化石取りに行ってきたさ.化石会の連中につれてってもらってさ.こ〜〜んなアンモナイトがとれたさ.」と両手で輪を作っています.

 で,どうしたかって?
 それだけです.なんにもおこらんかった.

 後日,その会長が経営しているお店で,値札のついたアンモナイトが置いてあるという話を聞きましたが,事実を確かめるのも怖いし,バカバカしいし….

 ホントになにもおきなかったです.
 化石会の連中から,化石採集にいくという連絡もなかったし,その後,そのとき採集された化石が博物館に寄贈されたという記録もないはずです.
 ちなみに,化石会とは博物館協力会・化石部会のことです.


 たくさんあった貴重な北海道の化石を,みんなのものにしたいという希望は実現しませんでした.
 上記はその背景の一つ.
 ブームは怖い.

 あ,そうだ,自治体の博物館建設ブームも終わったようで,閉館する館が増えてきているそうです.
 まっこと,ブームは怖い.

 

ザ・ブーム(3)

 
 自然保護がブームだそうです.
 保護されなきゃならないような,ヤワな自然って,見たことないけど.

 大昔のことですが,ある町の自然保護の会の会長宅に伺ったら,庭に高山植物の鉢がたくさんありました.
 なんもいえんかった.

 あんたらから保護せにゃならんようですね.

 保護したいのなら,わすれられた里山の手入れをすればいい.
 里山から向こうの自然は放っておいてください.人間が+の影響も-の影響も与えてはいけないと思う.
 人間が手を出していないのに消滅してしまう種あるいは生態系は,人間が手を出したって,消滅してしまうのだろうとおもう.
 それが消滅しても,代わりの種が侵入してきて,あらたな生態系を創りあげるだけ.それが自然なのだから,それで,自然が壊れるわけではないですね.


 「遺伝子汚染」だとか「外来種」だとかいう言葉が,猛威をふるってます.

 どこやらで,莫大な税金をかけて,繁殖させてる「トキ」は「遺伝子汚染」ではないのでしょうかね?
 「外来種」を絶滅させようとかしてる人たちは,トマトとか食べないのかしら.野菜のほとんどは「外来種」だと思うけど.

 いわゆる「外来種」が繁殖をはじめたら,それはすでに新しい生態系に組み込まれてるのであって,それを絶滅させるのは「不可能」に近いと思うけど.

 純血種の「ニホンザル(Macaca fuscata (Blyth, 1875))」を守るために「タイワンザル(Macaca cyclopis Swinhoe, 1863)」との混血を殺戮します? 
 ッて,いまGoogleしたら,ホントにやってるんじゃあないですか!
 びっくり!

 あのね.混血ができて,それらが繁殖するなら,それらは「同一種」!
 分類体系のほうが間違っているの! 

 これが,自然保護ブームの実態.
 勘違いばかり.
 シーシェパードとかいう連中も,別な勘違いをしてるんだろうな.