2010年12月17日金曜日

石炭の名前(7)「本草綱目」

 
 なにか,完全な間違いが生じていたようです.

 あいまいな書き方をする文献を先に読んでいたので,「石炭」は日本独自の用語であり,中華圏ではこの用語は使われなかったと解釈していました.が,より原著に近い文献に当たれば当たるほど,「本草綱目」には「石炭」が使われていたのではないかという疑問が生じてきました.

 なんとかその記述を見られないか,と,ネット上をサーフィンしていたら,以前にも見たことがある頁に当たりました.
 それは,国会図書館のweb pageで公開されているものです.
 以前見たときには,先入観から,日本でつくられた写本だろうとおもって放置してあったヤツです.頁の構成がわかりづらいので苦労しましたが,結局これは李時珍撰の初版本と見なされていることがわかりました(「石炭」の記述にいたるまでも,けっこう苦労しました(-_-;).

 つまるところ,「本草綱目」には「石炭」という見出しがあったわけです.

 テキスト化されたものも,現代訳されたものも見あたらないので,「ヘタ訳」してみました((^^;).
 途中までですけどね.
 けっこういろいろなことがわかります.

 時珍は,「石炭は即ち烏金石」だと言っています.「烏金石」とはなにかというと,辞典を引いても無駄で「石炭のこと」と書いてあります(ドードー巡り(^^;).
 これは,たぶん,いわゆる「メナシ炭(目無炭)」のことだと思います.
 「メナシ炭」は,通常の石炭とは異なり,植物の樹脂が主体となって炭化したもので,均質緻密なため,細工物の原材料として使われていたものです.日本でも,古墳の中から「装飾品」として発見されたことがあるそうです.
 この実物は見たことがありませんが,児玉清臣「石炭の技術史 摘録」に書いてありました.

 また,やはり,「上古は『石墨』と書にしるされている」と書いてあります.
 “石炭”で字を書くとか,眉を描くとか書かれていた二次文献がありましたが,これは誤解を招く説明不足です.“石炭”で紙の上に字を書いたら破けてしまいますし,眉を描いたら痛いだけです.
 これは“石炭”そのままで書いた(あるいは描いた)のではなく,微粉末にした“石炭”を用いたもので,ほぼ現代の「墨」と同じ役割を果たしていたわけです.

 さらに,「今は,俗に『煤炭』といわれている」と,あります.
 これは「煤[méi]」と「墨[mò]」とは発音が似ているからだそうです.

 わかる限り,最初は「石墨」と言われていたと時珍は判断しているわけです.
 それが,時珍の時代には,俗に「煤」・「煤炭」・「石煤」と呼ばれるようになっていたわけですね.
 もちろん,「本草綱目」成立後は,公式には時珍が選定した「石炭」が使われていたはずです.その一方で,俗称のほうも現場を中心に使われていたのでしょう.
 なんとなく,「殭石」が「化石」になった経緯と似ていますね.

 

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