2010年12月13日月曜日
犬の糞
「犬の糞 半年ばかりは 雪の下」
無神経な飼い主が増えたせいで,周囲の歩道ばかりか敷地内にまで糞尿を落としていくイヌが増えました.
もちろん,イヌに責任があるわけではなく,全ての責任は飼い主にあります.
驚いたのは,最近,妻が経験したことです.
妻が帰宅して車を車庫に入れようとしたら,我が家の玄関先にまいてある砂利の上で,イヌが小便をしています.もちろん,離れイヌではなく,鎖の先には飼い主の手が….
この飼い主,妻が車庫に車を入れようとしているのを邪魔しているばかりでなく,家主の前でイヌに糞尿をさせて,なにも感じてないわけです.
つい数日前の新聞に,類似のことが出ていました.
「自分が他人になにをしてるのか」気がつかない人が増えているというのですね.
狭い道路の真ん中で,右折しようとしている車.
道路に平行に一時停止していれば問題はないのに,斜めに停止して,後続車が連なっていても「意に介していない」のです.
同じく車の話ですが,狭い道路から広い道路への交差点.
「右折禁止」の看板が出ているのにもかかわらず,なにがなんでも右折しようとしてる車.
後続車が連なっていても,もちろん,なにも感じていないわけです.
町中で,蛇行運転や超低速運転をしているドライバー.
見ると必ず,携帯電話です.
自分がルール,マナー,エチケットに反していることに気付かない人たち.
それとなく注意されても,普段からそれをしているから,それらが他人に不快感を与えていることなど,思いもよらないというわけです.
これが,けっしてその人が悪人・反社会的な人なのだというわけではなく,ただ「それが理解ができない」のだそうです.
最近,マスコミを賑わしている「暴力事件」も,根は案外そんなところかもしれません.
こういう人たちは,「これこれこうだから,そういうことは他人にはしてはいけないのだよ」と教えても,「理解できない」のだから「逆ギレ」するのが関の山です.
いきおい,関わり合いたくないから,「二度とコンタクトをとらないでくれる」とお願いしても,「自分は悪くない」と思っているから,しばらくしたら又やってきます.
自分の言葉が,どんなに相手を傷つけたとしても,「あれはジョークだ」ですまそうとする人たちです.「ジョークが理解できないおまえが悪い」とか,言い出しそうです.
どんな動物も,必ず,相手とは距離をおいて生活しています.
相手を傷つける恐れがあるからです.
人間だけは,空間的にも精神的にも非常に密接して生活しています(ヒトが飼っている家畜もそうですね).
これは,「ヒト」の性質だというわけではありません.
単に,コントロールする(権力者)側にとってコストパフォーマンスがいいから(集約的)というだけの理由です.
ヒトも動物ですから,他のヒトと常に接して生活していると,それだけでストレスが生じます.
このストレスを緩和する目的でつくり出されたのが,ルール・マナー・エチケットです.
それも守れない人間が増えているということは,この社会が崩壊する寸前だということなのかもしれません.
あ.もちろん,昔だって,そういう人間がいなかったわけではないですよ.
ただ問題になるほどは密度がなかったということですね.
半年ぐらい,人間関係の汚物をおおってくれる「白い雪」はないモンでしょうかね.
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