2010年12月16日木曜日

石炭の名前(3)「和漢三才図会」

 
 1712年に出版された「和漢三才図会」(寺島良安著)では,やはり「石炭」という用語が使われていますが,こちらの「よみ」は「いしずみ」.別の読み方として「シツタン」と振ってあります.これは「石炭」を中国語読みすると[shí-tàn]になることからきているのでしょう.
 別名として,「煤炭」・「石墨」・「鉄炭」・「焦石」・「烏金石」があげられています.

 我々が見ることができるのは,東洋文庫版「和漢三才図会」と国会図書館のweb page(近代デジタルライブラリー)で公開されているものです.

   


 さて,困ったことに,本文には「本綱石炭南北諸山出處多」とあります.これは,「『本草綱目』には『石炭』は『南北の諸山』に『出』る『處』,『多』し」と読むようです.すると,「本草綱目」には「石炭」という見出しがあることになってしまいます.
 それでは,なぜ見出しが「石炭」で,「別名」に「煤炭」があげられているのでしょう.
 「本草綱目」の原著にどのように書かれているのか,確認が必要です.日本にも原著がいくつか現存するようですが,典型的な「お宝」のようで,わたしには確認不可能です.

 もし「本草綱目」に「石炭」という見出しがあったのだとすると,「石炭」から「煤炭」に変わったのは「本草綱目」が出版された1596年から,「天工開物」が出版された1637年のあいだのこと.なぜなら,1637年刊行の「天工開物」には「煤炭」という見出しがあるからです.


 なお,九州大学図書館のweb pageで公開されている「天工開物」の見出しは「煤炭」ですが,平凡社・東洋文庫版の「天工開物」での見出しは「石炭」になっています.

   


 東洋文庫版はうかつにも「原本」が明記されていず,確認はできません.しかし,章末に示された図版には「南方求煤」と書かれており,もとは「煤」もしくは「煤炭」と書かれていた可能性を示しています.

 また,東洋文庫版では「注」として「中国語で石炭を俗に煤とか煤炭という。」と書かれています.そうすると,「正=石炭」&「俗=煤 or 煤炭」ということを強調していることになります.
 付け加えておくと「古くは石炭を石墨とよんだ。顧炎武の『日知録』巻三に墨が煤に誤ったという。」していますが,これは明らかに説明不足です.

 「古くは石炭を石墨とよんだ」というのなら,証拠をのせるべきです.
 後半は,日本語として変です.何通りにも読み取ることが可能です.「顧炎武」の「日知録」(巻三)を見ることができれば,なにが起きたのか知ることも可能ですが,ま,それは不可能でしょう.お宝ですから.

 さて,東洋文庫版の「注」が「顧炎武が『日知録』で「昔は『墨』・『石墨』とされていたのを『煤』と誤記するようになったのだと指摘していたのだ」とすれば,顧炎武の『日知録』が出版されたのは1670年ころといいますから,実は「石墨」と“石炭”とは別のものだということがわかり,それに「煤」という名を与えたのは,誤記ではなく区別のためだったのかもしれません.いずれにしろ,あいまいなことばかりですが….


 なお,「和漢三才図会」では,「石墨」は「石炭」の異名のように書かれていますが,石炭で「字を書いたり,眉を描いたり」というのは「妙」なので,「石炭」と「石墨」の区別がついていないのだと思われます.
 なお,東洋文庫版では「石墨」に「せきぼく」と読みを振っていますが,国立国会図書館蔵のweb page公開版では「ふりがな」は振ってありません.訳者の勇み足なのかもしれません.


 末尾に,石炭は「筑前の黒崎村」,「長門の舟木村」で産するとし,現地の人は薪の代用にしているとあります.
 

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