知人岬の神橋
「釧路市の知人岬(シレトミサキ)に,海の中へ突き出ている二条の水成岩脈があって,干潮のときにはそれがこわれた橋の杭のように見えた.これは昔はカムイ・ルイカ(神の橋)といって,海の神様であるレブンカムイ(鯱)が,陸の神様のところへ会いに行くとき,ここを通って行くためにつくった橋であるという」
「北海道の口碑伝説」(北海道庁編)より
「水成岩脈」というのは,地質学用語としては,ほとんど「死語」です.「地学事典」にも載っていませんね.
もともとは,neptunian dike (Strickland, 1840)の和訳として使われていたようです.
詳しい経緯は判りませんが,dike(=岩脈)といえば,通常 igneous dike(=火成岩脈)であるのに対し,そのdike rock (=脈岩)がclastic rock(=砕屑岩)からできているので特別な言葉として造語されたものでしょう.
あるいは,その昔,「岩石は火が造ったものである」=「plutonism(=火成論)」という説と「岩石は水が造ったものである」=「neptunism(=水成論)」という説をめぐって論争が繰り広げられた時期があり,この関係でneptunian dikeとして名付けられたものかもしれません.
現在は,「水成岩脈」という言葉は使われず,もっぱら「砕屑岩脈(clastic dyke)」が使われます.
この場合,既にできあがっている地層を切って未固結の砕屑物が侵入してくるわけですが,既存の地層にできた割れ目の下から貫入してできたものを「injection clastic dyke(=貫入砕屑岩脈)」とし,上から侵入してできたものを「neptunian clastic dyke(=ネプチュニアン砕屑岩脈)」として分けることもあるようです.
上から来たか下から来たかで分ける意味があるのか無いのかについては,私には判りません.あしからずご了承ください.
なんにしても,知人岬には巨大な砕屑岩脈があり「橋(あるいは橋脚)のように見えた」.そして,これはアイヌにとって特別な意味を持っていたということです.
しかし,残念なことに,この砕屑岩脈は釧路港の築港工事のとき,一つはハッパでこわされ,もう一つは土の中に埋められてしまったそうです(一説には,地元の人が破片を見つけ出し,地元の神社に奉納したともいわれています).
ちなみに「知人(シレト)」は,アイヌ語が語源で,「シリ・エト°」=「大地の鼻」.すなわち,「岬」のこと(更科源蔵「アイヌ語地名解」より).「知床(シレトコ)」と同じ語源ですね.
この知人岬の砕屑岩脈には,別の伝説もあります.
「義経が阿寒の山にいたとき,ここから十勝の方へ橋をかけようとしたときの,橋杭のあとだとも言う」
「東蝦夷夜話」(大内余庵)より
いわゆる,「義経伝説」のひとつです.
詳しくは判りませんが,アイヌに伝わる「義経」は創世神話の「神」とゴッチャになっていることがあるようで,詳しい検討が必要なようです.
どなたかご存じであれば….
さて,この砕屑岩脈には,まったく別の系統の伝説もあります.
知人岬の神石
「釧路築港が出来る前まで知人岬に,ノッコロカムイ(岬の神)といってうやまっていた二つの神石があった.大昔,世界の初まりに,男と女の二つの星が,人間共に幸福を授ける為に天から天降って,ここに鎮まったと伝えられている.大きい方の石をピンネカムイ(男神)といい,小さい方をマチネカムイ(女神)といって,春の漁期にはこの岩に向って,大漁を祈願する祈願祭が行なわれた」といいます.
「北海道の口碑伝説」(北海道庁編:佐藤直太郎氏輯)より
どっちにしても,アイヌにとっては,特別な意味を持つものだったわけですね(それを和人は壊してしまったわけです).
この知人岬の砕屑岩脈は,知人岬だけにあるわけではなく,付近の興津浜には「春採太郎」と呼ばれる幅4m以上,長さ数キロにわたる砂岩脈が知られています(北大の川村信人氏のブログに詳しい).
これは「北海道地質百選」にも選ばれています.
川村氏によれば,春採太郎だけではなく「次郎」,「三郎」,「四郎」とも呼ぶべき砂岩脈があるそうです.してみると,もっともっとたくさんの岩脈がありそうな….
なお,柴田賢(1958)によれば,この砂岩脈には「(洪積世と云われている)化石破片を含んでいる」そうです.そうであれば,この砂岩脈は,まさしく「上から侵入してきた」「neptunian clastic dyke(=ネプチュニアン砕屑岩脈)」=「水成岩脈」であるわけです.
そうすると,洪積世(洪積世もじつは死語.「更新世」が正しい)には,このあたりには幅4mを越える亀裂が多数できるような事件があったわけで,それは,いったいどのような出来事だったのだろうと恐ろしく思うわけです.まったくイメージが湧きませんが….