2010年4月27日火曜日
super eccentric な「アカゲラ」くん
ここ数日ですが,早朝,奇妙な音が響き渡ります.
「カカカカカカカカンッ」というような.
通行人は,なんだかわからず,不思議な顔をして見上げますが,なんだかわからない様子.
(相当)以前,近所の公園の(半)枯れ木に,「アカゲラの『啄跡』」があるという話をしました.
じつは,このアカゲラくんの仕業です.
どういうわけか,コンクリートの電柱にかぶせてある鉄製のキャップを叩きまくっているのです.
勘違いしてるのでしょうか.それともなにか意味があるのか?
常識的に考えれば,こんなことあり得ないと思いますが,アカゲラくんは必死ですね.
思わず,笑ってしまいますが,なんか自分を見ているみたい.
常識的に考えれば,開けられず筈のない世界を必死に叩いて,開けようとしています.
今朝もまた,アカゲラくんが鉄工所みたいな音を立てています.
「がんばれよ」とは,言いづらい((^^;).
2010年4月25日日曜日
Segisaurus の展開
学名辞典(恐龍編)いじり(その11)です.
Segisaurus halli Camp, 1936 という恐龍がいます.
模式標本は頭骨を欠く,不完全な後-頭骨部[postcranial]だといいます.
それでも,現在のところ,標本の存在意義,学名の有効性を疑うような話は出ていないようですから,よっぽど特徴的な骨格標本なのかもしれません.
属名に使われているSegi-は北米アリゾナ州にあるという「セギ渓谷[Segi canyon]」からとったもの(う~ん,あまり特徴的ではないのかな?).
種名のHalliは人名Hallを形容詞化したもの.
HallはAnsel F. Hallという人物らしく,A. F. Hallは国立公園管理局・教育森林管理部門[the Division of Education and Forestry, National Park Service]の部長だとか.なにか,恐竜探査プロジェクトがあったらしく,その代表らしいのですが,記録が見つからないので,「らしい」ばかりです.
属名,種名,合わせて,「Hall氏のセギ渓谷の龍」もしくは「Hall氏のセギサウルス」という意味になります(う~~ん,なんとセンスのない!&あまり特徴的ではないのかな?).
著者であるCampのフルネームはCharles Lewis Camp.生没年月日は1893.3.12-1975.8.14.彼は米国の古生物学者で,たくさんの脊椎動物を記載しています.
あまり広がりませんでしたね.
2010年4月22日木曜日
PoMac
モバイルは何度も挑戦しては,失敗して,懲りてるんですが…(^^;
どうしても,どうしても欲しくなって,Pomeraを購入してしまいました.
私は,Mac使いなので,「Mac非対応」を公称するPoemraの導入には慎重でした.
しかし,ネットで調べると,何とか使えそうなので,購入.
Amazonで二万ちょっとだったことも,「ドンッ」でした.
案ずるより,産むが易し.
で,我がMacは簡単にPomeraおよび内蔵microSDを認識してくれました.
某ユーザーレヴューでは,認識に一分ぐらいかかるとか書かれてましたが,そんなことはありません.あっさりしたモンです.
microSDを推奨品にしたのもよかったのかもしれません(ちなみにTOSHIBA microSDHC 4GB).マニュアルに書かれてた,フォーマットをする必要もありませんでした.
うれしくなって,Mac対応ということで,Macについてたシールを貼ってしまいました((^^;).で,愛称を「PoMac」にしました.
これで,自分で書いたメモが読めなくなるという悪筆からも解放されそう.
さて,使い心地ですが,まだまだ,未完成の製品という感じです.
いい点から.
カレンダーをオープン画面にしておけば,そのまま日記がつけられます.備忘録といった方がいいでしょうか.日記なんか書く性格じゃあなかったのに,けっこう使ってます.予定なんかも(リマインダーがないので,あまり意味がありませんけどね).
画面は,必要十分なサイズです.見やすいし.
キーボードも打ちやすい.ただし,キーボードを開くときには,かなり緊張します.すごく,ひ弱そうなので.たぶん,あっという間に壊れるでしょう.
フルキーボードでなくても,電子辞書サイズで,両手で囲い込み,親指でタイプするほうがいいかもしれません.なにせ,このキーボード,平らなところに置くことを前提としてますからね.
立ったままメモ,なんてことは考えなかったようです.ブラインドタッチするヒトはフルキーボードの方がいいのかもしれないですけどね.
メモに特化したメモ機だというなら,解像度は低くても,静止画像ぐらいは撮れるべきですね.このコンセプトは,メモ機ではなく,ただのテキストライター(ただのテキストライターだと考えると,実売価格二万なにがしは高い.将来よくなることを期待しての投資のつもり).
もうひとつ,メモ機とは言い難い,残念があります.
それは,「検索機能がない」に等しいこと.
オープン中のテキストしか検索できないようです.
日記文やmicroSDHC中のテキストまで検索できれば,飛躍的に能力が上がります.
今のままだと,覚えてはいるが,思い出せない半ボケ状態ですね.
ストレージの中の検索までできるようになれば,たぶん,辞典なんかを自作する連中が出てきて,用途はものすごく広がることになると思いますね.
おや,いつの間にか,欠点になってしまった.
ま,要するに発展途上の機械ということですね.
始めから,あきらめてたのが,辞書の拡張.シリーズ中では多いほうの1000単語が登録できるといいますが,専門用語を使う世界にいるヒトには,1000単語なんかじゃあ,使い物になりませんね.
Mac非対応といい,一ファイルあたりの文字数制限といい,相性のよいmicroSDが少ないことといい,制約が多いという印象がぬぐえません.
OSがない.つまり,すべて独自のプログラムということだと思いますが,これはたぶん,ここまでできたのは褒めるべきことなんでしょう.しかし,やっぱり,制約が多いと感じます.
Mac非対応といってますから,Mac側からファイルをいじるのはタブーにしてます.でも,検索ぐらいはできるようにならないかな~~と,思ってます.
ファイルのバックアップは,Macからできるのかな~~~.
やってみるのが,怖いような楽しいような….
ま,なんしても,しばらく楽しめそう((^^)v).
「紫禁城の黄昏」
娘の大学入学騒ぎで中断してたので,貸し出し延長までして,読み終わるのにずいぶん時間がかかってしまいました.
岩波版は,政治的配慮なのか,なんなのか,削除されてる部分があるとか.
今回読んだ祥伝社版は,初版完訳という触れ込みです.
しかし,調べると,原本には改訂版があり,それも和訳されてるとか(旭川の図書館にはこれはありません).
微妙な世界ですねえ.
映画「ラストエンペラー」を見たくなり,DVDを探しましたが,すでに市場にはないようです.いや,一部残っているものがあるようですが,マニアの評価によると,お勧めではないそう.保留ね.
そのうち,ブルーレイのデジタル・リマスター版とか出るでしょう.
ラルフ=タウンゼントや,ヘレン=ミアーズの著作と一緒で,微に入り細にわたっているので,捏造とも考えられず.私らがこれまで教えられてきた歴史の方が間違っているのかも,と,思わせます.
なぜ,これが埋もれていた.
歴史は捏造されやすい.実感.
2010年4月21日水曜日
地球七つの謎
「七つの謎」本というのは,ありふれているというか,掃いて捨てるほどありますね.
なぜ「七つ」なのか.
その方が謎ですが,一説には,人間の脳のバッファは最大七つぐらいで,それ以上の数のイベントのことは頭から抜け落ちてしまうといいます.だから,「七つ」.それ以上のことは,脳外のバッファ>つまり「メモ」などに残しておかないと,えらい目に遭うことになります.
西洋発の「一週間」が「七日」なのも,これを単位として考えるのが,脳の性質上,楽だからだといいます.「覚えておける予定は,せいぜい一週間」ということですかね.
キリスト教の神が七日で地球を完成させたからだと主張する向きもありますが,どっちが先で,どっちが後かは難しいところですね.
ちなみに,「ラッキーセブン」なんてことも,これに関係あるとかいわれてます.
ただまあ,脳科学者のいうことは,具体的な証拠が示されることは,まずないので,これを基準にしてよいのかどうか判断ができません.
私は「地質学」をやってます(ました?(^^;).
地質学は博物学の直系の末裔なので,「もの」としての標本がないことには,そして,その標本からいえることでないと,学問の論理としては成立しないのです.
これは,決して「脳科学は科学ではない」といってるのではありませんよ.「『脳科学』と『地質学』は別の体系から成り立っている」といっているだけです(ただ,まあ,科学哲学なんかやってる人にいわせたら,「?」かもしれません.なぜって,脳科学者の脳にしかないものには,誰にも反論できないからです).
これが,今流行の「地球科学」になると,まったく異なり,(「もの」ではない)観測機械や測定器の出したデータやコンピューター・シミュレーションの結果なども学問の対象となっています.結果も,「この地域の,今後30年以内にマグニチュード7.0以上の地震が起きる確率は90%」なんて,訳の分からない結論も「科学的」とされている.
研究分野が広がったと思えば,いいのかもしれませんが,どうも,生理的な違和感がつきまといますね.「もの」がないと話が始まらない,地質屋の性分かもしれません.
閑話休題
現代の「地球の七不思議」には,どんなものがあげられるのでしょう.
たとえば,丸山茂徳・磯崎行雄(1998)「生命と地球の歴史」(岩波新書)には,「地球史七大事件」として,以下のイベントがあげられています.
1.微惑星の衝突付加によって地球の基本的な成層構造ができた(45.5億年前)
2.プレートテクトニクスの開始,生命の誕生,そして大陸地殻の形成の始まり(40億年前)
3.強い地球磁場の誕生と酸素発生型光合成生物の浅海への進出(27億年前)
4.はじめての超大陸の形成(19億年前)
5.海水のマントルへの注入開始,太平洋スーパープルームの誕生と硬骨格生物の出現(10~6億年前)
6.古生代と中生代の境界での生物大量絶滅(2.5億年前)
7.人類の誕生と科学の始まり(500万年前~現在)
また,別に,「地球生命史重大事件」というのも主たる話題として取り扱われ,以下の(これも「七つ」)イベントがあげられています.
1.原始生命の発生(約40億年前)
2.バクテリア(原核細胞)の出現(38~35億年前)
3.光合成の開始(27億年前)
4.真核細胞の出現(21億年前)
5.多細胞生物の出現(10億年前)
6.硬骨格生物の出現(5.5億年前)
7.人類の出現(500万年前)
「地球史七大事件」とは,微妙に重なり合ったり,そうでなかったりしています.要するに,著者らは,地球上で起こった重大事件は生命の進化に大きく関係があるということをいいたいようですね.
この二つの「七大事件」を見て,オヤッと思うことがあります.
それは,「地球の誕生」が挙げられていないこと.
丸山・磯崎は「地球の誕生」とはいわずに,「地球の基本的な成層構造ができた」としていますね.
なぜ,「地球の誕生」といわないのでしょう.
「地球の誕生は約45~46億年前」ということは,巷に流布したことです.どこにでもそう書いてある.しかし,45億でも46億年前でもいいですが(45.5~45.6億あたりが妥当らしい),その誕生当時の地球がどんなんだったかを説明できる学者はいないでしょう.
これは当たり前の話で,この数字は希に手に入る隕石や月の岩石の同位体元素を測定し,出てきた数字を,地球の年齢と仮定しているだけだからです.
だから,その数字が示す時の地球はどんなんだったかは,まったく判らない.
太陽系に属する惑星衛星は,ほぼ同時にできた.と仮定し,更に,太陽系に散在する隕石などの物質が,なぜか,速やかに現在の惑星の位置に集合し,可及的速やかに成長したと考えなければ,この数字は意味を持たないのです.
散在する物質は(なぜか)集合し,大きくなってゆくわけですが,どの時点を地球の誕生とするかは,これは決められません.
最初の大きめの二個がぶつかったとき?
今の地球のサイズに匹敵するほど,集まったとき?
それとも,その間の任意の時点?
どれも,意味がないですね(地球上の物質を測定したわけじゃあないですし…).
丸山さんは,PT経,布教の教祖ですから,地球上でプレートを動かさなければなりません.そこで,PTを動かすための基礎である原始的な成層構造の完成をもって「地球の誕生」としたいわけです.定義はいいですが,証拠があるわけではありません.そう考えると,都合がいいというだけです.
実際にプレートが動き始めるまでには,それからまだ数億年かかるとされています.
これに対して,地質屋はどう答えるべきか.
無理ですね.
証拠である「物質」,「もの」,「標本」が入手できないことに,地質屋は手を出してはいけません.なぜなら,地質学は博物学の末裔だからです.「もの」がないことには仕事にならない.
守備範囲外ということです.
だから,これは地球科学者の独壇場ということになります.
ついでにいっておけば,もうひとつ,違和感バリバリの事項があります.
「環境保護」という訳の分からない言葉があります.
地球環境の上で,砂漠のような過酷な環境を否定して,緑豊かな地球を守ろうということらしいのですが,意味が分からない.過酷な砂漠だって地球上の一環境だし,そこにしかない生態系があり,そこでしか生きられない生物がたくさんいます.
人間にとって都合のいい環境ということなら,そういえばいいのに,「地球に優しい」なんて言葉が「この非常時に!」みたいな使用法で用いられています.
地球環境は変動しているから,多様な生物が存在している筈,なんですがね.
それはさておき,「地球=生態系」という考え方が,すべての基本みたいに扱われているのに,「地球の誕生」は,だだの岩石の塊ができたときなんです(英語圏では「地球」はEarth=「土塊」).
おかしいでしょう?
そう.
地球の誕生は,少なくとも「原始的な生態系」ができあがったときに置くべきだと思いませんか? 賛同はされなくても,一つの考え方としては成立すると思います.
そうすると,地球の誕生は,原始的な生態系が成立したカンブリア紀の始まりに一致するということになります.
大昔の言葉が復活し,「先カンブリア紀」は「先地球時代」として扱われることになります.そうすると,地質学も安泰なんだけどなあ….無理か(^^;
う.余談だけで,本筋に入れなかった….
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