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2012年11月29日木曜日

北海道スタディズⅡ

 
この話は「試験をする=成績をつける」という作業に合わないので,レポートを課することにしました.

レポートの題は,
1)赴任先の学校の児童が,奇妙なものを見つけてきました.
 どのように対処しますか.
2)児童が発見した「奇妙なもの」の現場では,正体は不明なものの,たくさんの骨様のものが岩盤に張り付いていました.

 どのように対処しますか.
以上二点について,授業の内容を参考に「教師の立場」で自分の行動を考察しなさい.
でした.

苦肉の策ね((^^;).
教育大での授業なので,首尾よく教師になれたとして,という前提で考察させました.

あまり,どうなるかを考えていなかったのですが,面白い結果が出ました.
なんと,みんなほとんど同じ((^^;)


一番感心したのは(私は予期していなかったことですが),1)の最初に多くの学生さんが「真っ先に,それが児童にとって危険なものでないかどうか確かめる」と述べたことでした.

もちろん,わたしらには「山には危険がいっぱい」なんてことは,当たり前のことなので,いわれて始めて「ああ,なるほど」((^^;)

次に多かった答が「褒める」こと.決して児童の行動を無視したり,否定するようなことをしてはいけないということ.
可能であれば,それを「学習」レベルまで高めたいという答があったこと.
教科書が全てで,それ以外のことは避けたいという答はありませんでした(文部科学省の人,残念ですね(^^;).
もちろん,多くの学生さんは「私がそういう答えを期待している」と思ってのことでしょうけど((^^;).

あとは,緻密に「どう対処してゆくか」を考察した学生さんが多かったことに感心しました.

2)に関しては,ちょっと残念でした.
もちろん,教師としての赴任先に,どこでも理解のある学芸員が存在するとは限らないので,というよりはそんなことがあれば「非常にラッキー」というのが実情なんでしょうけどね.
「自分は化石に関しては素人であるが,自分で進める」という怖い答が多かったことです.
「「あっ」といったがこの世の分かれ」なんて例も多いのがこの世界です.資料は「この世にたったひとつ」なんてこともね.そんなことで「闇から闇」へ消えていった資料も多いことと思いますね.

もちろん,同僚や上司に相談したり,教育委員会や大学,博物館職員に連絡を取るという答も多かったんですよ.

あと,まともな博物館の学芸員は,児童が発見してきたものを取り上げるなんてことはしませんよ((^^;).
「貴重なものだから,公的な機関に寄贈して欲しい」と説得はするでしょうけど.

ま,一時期,危ない学芸員がたくさんいたのは事実ですし,今でも大学では自分たちのものにするのは当たり前と考えている人がいるのも否定できませんけど((--;).

 

北海道スタディズ

 
11/06と11/13に「北海道スタディズ」という授業をしました.
題は「北海道産脊椎動物化石=その発見と社会的影響=」にしました.

内容は,表題の通りで,北海道で発見された脊椎動物化石とそれが起こした事件と起こさなかったこと.
たくさんの人の協力があって,博物館建設まで漕ぎ着け,子どもたちを含めた地元の人たちに還元されていった話.
ただの化石が子どもたちの郷土愛や自覚に繋がる話.

糸が途中で途切れて,化石そのものが忘れられていった話.

久しぶりに,今教育長や都田哲さん,笠巻袈裟男さんの話をしました.この人たちは太い糸.
ほかにも細い糸がたくさん.

滝川で切れた糸が,沼田や穂別,札幌で繋がった話.
まだまだ太い糸で繋がっているという話.

天塩中川では,ほぐれたままの糸が,町民の努力によって少しずつ太い糸になって,今では道北随一の自然誌博物館になっているという話.

忠類では,ゾウの化石であることを見抜いた子どもがいたのに,地元の先生方の努力によって発掘がなされたのに,糸が切れたままの話.

足寄では,点に過ぎなかったデスモスチルスの発見が,地元民の努力によって奔流となり,繋がってユニークな博物館となった話.

さて,これからどうなることやら.

 

2009年7月30日木曜日

案内

 
あたらしいHP を始めました.

題名は「北海道化石物語」です.
左の「リンク」からもいけるようにしました.

このマニアックなブログとは異なり,化石に興味ある一般人や,将来古生物を専攻しようとしている高校生・大学生を対象としたつもりです.
つまり,「わかりやすい」を前提.

まだ工事中のところが多いのですが,「ナキウサギ」については,一通り読めるところまで漕ぎ着けました.

読者のご批判をいただける場所の作り方がわからないので,今は一方的になってますが,そのうち,そういうページも貼り付けるつもりです,


関係する本の紹介とかをしたかったのに,こちらの「Googleサイト」はAmazonのリンクが貼り付けられないようです(自動的に拒否される).これは困ります.
そのうちできるようになるかもしれませんので,ここは気長に待つこととします.

2009年3月26日木曜日

Qoo-chan


 
 釧路に住む友人がQoo-chanの写真を送ってくれました.

 なんで,これが私のブログのテーマに関わりがあるか?って

 実は「おおあり」です.
 北海道産の大型化石の著名なものに,滝川産の「タキカワカイギュウ」(=滝川海牛)というのがあります.このタキカワカイギュウの発見後,道内ではいくつものカイギュウの祖先が発見され,北太平洋でのカイギュウ類の進化が明らかになってきています.
 第四紀に入っては,カイギュウ類は北の海に適応し,巨大化して脂肪を蓄えてゆきました.このカイギュウ類の生き残りが「ステラーカイギュウ」です.

 ステラーカイギュウは1741年に発見されました.
 ベーリングを隊長とする探検隊はアラスカ探検の帰途で遭難.ベーリングは死亡.ドイツ人の医師で博物学者のステラー(George Wilhelm Steller)がかわって隊の指揮をとりますが,たどり着いた無人島(現・ベーリング島)に,この海牛が群れをなして棲んでいたのでした.まるで,平和な牧場の牛の群れに見えたとか.
 で,隊員は,この海牛を食料として生き延び,ロシアに生還します.

 ステラーは,海牛のほかにも珍しい動物をいくつも報告しますが,そこで注目を浴びたのが,この「ラッコ」!.
 
 ラッコの毛皮は,超高級品でした.
 ラッコの毛皮を求めて,商人やハンターたちが大挙してベーリング島へ.困ったことに食料は「海の牛」といわれる,この「ステラーカイギュウ」でした.
 ハンティングというよりは,殺戮に近かったようです.
 かくて,発見から30年もたたないうちに,ステラーカイギュウは絶滅.地球からいなくなりました.

 カイギュウ絶滅の原因は,もちろん人間どもの欲望でしたが,その直接の目的は「ラッコ」の毛皮でした.「ラッコ」はもともと「アイヌ語」.つまり,北海道を含む北太平洋に広く生育していたんですが,彼らも絶滅寸前です.
 最近は,人間の圧力も少し弱まったので,ちょっと釧路川まで戻ってきたという次第.

 江戸時代が終わったのは,アメリカ人がクジラの乱獲を進めていたせいですが,ロシア人が日本に開国を迫ったのは,このラッコの毛皮のため.

 大黒屋光太夫が遭難したとき,ロシア人によって助けられたのも,彼らについてカムチャッカからシベリアをさまよったのも,ラッコの毛皮を求めてロシア人がやってきていたためでした.
 最上徳内が択捉島であったロシア人・イジュヨもハンターでした.ただし,イジュヨは徳内の記述によると非常に知的レベルが高く,単なるハンターではなく,相当の背景を持って北辺まで流れ着いた訳ありの人だったと思われます.

 いってみれば,クジラとラッコが日本を開いたということですね.


 さて,ラッコの化石というのは,日本付近では発見されていないようですが,北米西海岸の後期更新世から発見されているようです.ちゃんと調べてないので,それは別の機会に.

 一般に,海に適応した生物は変異が激しいので,その進化を追うのは大変でしょうね.
 ラッコが胴長短足で愛らしい体型をしているのは,実は水中生活に適応したせいです.水中では手足はあまり役に立たないのですね.クジラしかり,トド・アザラシしかり,オタリアしかり,というわけです.
 そういう目で見ると,水中生活に適応しているとはいえ,まだまだ陸上に適応しているということになりますね.どんどん進化してゆくとアザラシやオタリアのようになってゆくんでしょうか.

現世種:Enhydra lutris (Linnaeus, 1758)
化石種:Enhydra macrodonta (Kilmer, 1972)

 

2008年6月26日木曜日

長頸竜の海



 トートツですが,私の書いた本を紹介しておきます.
 昔は,胆振・日高地域では有名人でしたのですよ.(^^;
 ローカルにしか流通してませんが,下記から買うこともできます.

http://www.tomamin.co.jp/book/book.htm

 前半は,「苫小牧民報」の日曜版で連載していたものです.
 後半は,退職するすこし前,肺炎を起こしてボロボロ・ヨレヨレの状態で,花巻の宮沢賢治イーハトーブ館で講演したものを膨らませて…って,講演自体が賢治の「イギリス海岸」を膨らませたものですから,膨らませ過ぎで原形をとどめてませんが…(^^;.

2008年6月14日土曜日

Y. mikasaensis OBATA et MURAMOTO pt.2

Y. mikasaensis OBATA et MURAMOTO pt.2

 今朝の,北海道新聞の「卓上四季」に“エゾミカサリュウ”のことが載っていました.

 この筆者は,驚きです.
 ものすごく,滄龍や長頸竜に詳しいですね.

 今日いっぱいはこの記事は無料で見られるとおもうので,ぜひ見てください.
 一読の価値ありです.

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/

 こんなに理解ある記者がいるのに,道新はどうも「古生物」の扱いが….
 私に解説記事でも書かしてくれないですかねえ.(^^;

2008年6月13日金曜日

Yezosaurus mikasaensis OBATA et MURAMOTO


Yezosaurus mikasaensis OBATA et MURAMOTO

 今朝,北海道新聞に“エゾミカサリュウ”についての記事がありました.
 中身は,今更ながら,「“エゾミカサリュウ”は海トカゲの新種でした」というもの.発見後,30数年もたって,ようやく“あたりまえ”になったという感じ?

 いえいえ.新聞記事にはおかしなことがたくさん載ってました.

 まずは,「当初の鑑定も含め,論文などでの正式発表はなく,学術的に『未判定』だった」とあります.

 エゾミカサリュウは,図版つきですでに出版されています.

村本喜久雄(1977)「恐竜への道=エゾミカサリュウの発見=」北苑社.

 すでに絶版あつかいですが,アマゾンでも取り扱っています(現在マーケットプレイスでも在庫なし).

 図版はこの記事の最初にのせたものです.

 かなり奇妙なもので,記載論文として扱えるかどうかは微妙なものですが,とにかく印刷物として残っています.
 新聞記事には「近く米国の科学専門誌に発表する」とありますが,この本は無視してすすめられるのでしょうか.もっとも“エゾミカサリュウ”は話題になるたびに,「近く正式に論文になる」といわれて30数年経った過去があります.

 「今度もならない」とはいえませんが,疑問があります.
 それは,“エゾミカサリュウ”は天然記念物に指定されていて,鑑定のために傷をつけることはおろか,その位置を移動するにも「文化庁」の許可が必要だといわれてきました.いったいどうやって「鑑定」したのでしょうかねえ.

 そもそも,なんだか正体のわからないものを「天然記念物」とした「文化庁」にも「?」なんですが,こんどは研究のためにとはいえ「クリーニング(骨格の形状を確かめるためにバラすこと)」を「天然記念物」の解除を許可したんでしょうかねえ.
 「天然記念物」の扱いって,そんなに軽いものなんでしょうか?

 それから「海トカゲ」って新聞にはでてましたが,昔から使われている「滄龍類」という学術用語があります.「長頸竜」も「クビナガリュウ」などというマスコミ用語がしばしば使われていますが,JK語じゃあないんだから,勝手につくってほしくないですね.

 さて,問題の“エゾミカサリュウ”はタニファサウルス属の一種だとでていました.
 綴りは,Taniwhasaurusですね.
 Taniwhaというのはニュージーランドは,マオリ族の伝説に登場する「海の怪獣」のこと.もちろん,最初のTaniwhasaurusはニュージーランドの上部白亜系から発見されています.マオリ族はなんと発音しているのかわかりませんが,その発音を英語化したものでしょう.本来は学名に使用する場合はラテン語化しなければならないのですが,そのまま使っているようです.
 なぜなら,ラテン語に「w」という綴りはなく,「u」を使うからです.従って,「タニウハサウルス」というのがラテン語的呼び方.タニファと読ませたいのなら,「Tanifa」と綴るべきでした.
 でも,いっぺん印刷物になってしまった学名は変えることができません.残念.


 日本産の滄龍類については,最近どんどん再検討が進んでいるようで,私が論文化したTylosaurus sp.も現在では「?」だとされているようです.当時は,比較標本もなく,過去に報告された論文を入手するのも大変でしたが,最近は,海外へ出かけて,実物そのものを見てくることが当たり前のようにできるようになりました.
 うらやましい限りです.

2008年2月22日金曜日

Mantelliceras

 マンテルは,医者を続けながら,たくさんの化石を集めていました.
 彼も生層序学の開発者の一人だったのです.

 ある時,それまで集めたたくさんの化石を,当時貝化石の目録を作成中だったジェームス=ソワビーに送りました.マンテルが送った標本に感激したソワビーはその中の一つにAmmonites mantelli J. Sowerby, 1814と名付けました.

 これに感激したマンテルは,さらに化石の収集を続け,やがてこれが世界で最初の恐龍の発見につながっていきます.

 マンテルの名が付けられたアンモナイトは,百数十年後,分類学的な再検討が行なわれ,Mantelliceras mantelli (J. Sowerby)と訂正されます.
 この仲間は,北海道の上部白亜系からも発見され,イングランドの海と日本の海が,約8千万年前にもつながっていたという証拠になります.

 このため,「化石による地層の対比」が可能になるわけです.

Mantellの言葉

「小川の岸で小石を一個拾っても」
「その石に絡む自然界の全てがきっと分かる」
Gideon Mantell (1849) Thought on a Pebble.

いいなあ,このフレーズ.
小石一ヶで,たくさん勉強が出来るのに,今は誰も気にも留めない.
がんばれ!小石!!

2008年1月26日土曜日

古生物の授業

 ついに,非常勤講師の仕事が無くなってしまいました.(^^;
 これで旭川の大学では,「化石に関係した授業」をしているところは無くなることになります.

 それは,それぞれの大学の都合なのですから,仕方のないことですが…….

 「地球と生命の歴史」をテーマに授業を作ってきました.
 内容が内容ですから,過去の生命の証拠である「化石」を実際に見せたいので,個人のコレクションからその授業・授業に関係のある化石を見せて,触らせて実感してもらってました.
 大学には標本が一つも無いのです.

 学生さんが「三葉虫」や「大型脊椎動物」の標本に触ったことがないのは「それはそうかな」とおもいましたが,北海道では有名な「アンモナイト」やすぐそばの沼田町で保護している「タカハシホタテ」なども,見たことも触ったことも無い子らが,ほとんどなのです.
 ついでにいえば,「石炭」も見ても,触らせても「石炭」であることがわからなかった(ハハッ(^^;).(あ,石炭は化石じゃあ,ありませんよ)

 それで気になって,旭川のほかの大学では,化石の標本を授業で使っているのか,それよりも,大学自体が「地球と生命の歴史」に関連した授業をおこなっているのか,を調べてみました.
 危惧は当りました.
 旭川には,一応大学を称する施設が四校あります(高専が一校ありますが,ここでは除外しておきます).教材として「標本」を授業でつかう大学は「皆無」でした.
 「『地球と生命の歴史』に関連した授業をおこなっている」と答えた大学は二校あったのですが,授業で標本は使わないそうです.
 ついでに担当者の専門を訊くと,「地質学」や「層位学」,「古生物学」を専門とする人はいませんでした.

 再度いっておくと,
 それは,それぞれの大学の都合なのですから,仕方のないことですが……((^^;).

 さて,「地球」や「環境」という言葉が新聞やTVに出ない日は無いぐらいだと思いますが,地球やその環境の変遷を示す具体的な証拠をあつかっている大学が,旭川には無いのです.
 旭川だって,いろんな人が,毎日のように「環境が…,環境が…」などと議論しているとおもいますが,一体何を基盤にしゃべっているのでしょうね,と,思ってしまう.

 公園に生えているイチョウやコブシの木の意味や,庭に植えてあるトクサや嫌われ者のスギナの意味.ブタナやコウリンタンポポにおされぎみなセイヨウタンポポのルーツ,昔から生えていた(エゾ)タンポポとセイヨウタンポポの関係.
 ナキウサギやヒグマが北海道にいることの意味.
 海底平野に眠るマンモスの意味.
 絶滅したはずのタンチョウヅルが釧路湿原で生き延びていることの意味.
 二百数十年前,はるか北のベーリング海で生き延びていたステラー海牛が人間によって「絶滅」させられましたが,その先祖が北海道の各地で発見される意味.
 八千万年前の海から,長頸竜や滄龍,オサガメの先祖が甦ってくる意味.北海道の脊梁を作る日高山脈が山脈として存在する意味.

 こういうことは,これからすべて,旭川の外でやらなきゃアならないのね.悲しい.

 ついでに言っておけば,夕張が財政再建団体になってしまった意味というのも,ありますけどね.

2007年7月1日日曜日

授業「北海道の化石」

 最近,忙しくって書くペースが落ちてますね.
 七月五日に,旭川の北星公民館で「北海道の化石」についてお話しします.「女性大学」というのがあるんだそうですが,その中の授業の一つとしてですね.

 旭川で,「地球と生命の歴史」を市民相手にお話しするのは,一つの夢でしたから,たいへんにありがたいことだと思っています.そういう仕事が出来ればと思って旭川に「Uターン」してきたのに,市教委からはそんな人はいらないっていわれましたからね.

 マスコミで,「環境」って言葉がでない日はないのに,根本である「地球と生命の歴史」に関する扱いってのは,最低っていっていいんじゃあないでしょか.

 旭川にも大学がいくつかあるンですが,この間調べたら「地球と生命の歴史」に関連する授業をおこなっているのは(私が非常勤でいってる大学を除いて),二校でした.しかし,いずれも関連する標本は「一つもない」と答えてます.つまり,「生命の歴史」をやりながら,「化石」一つ見たことがない学生を育ててるってことです.

 これはまあ,ある程度しかたのないことなんですね.というのは,一校は現世の生物学の先生が教えており,もう一校は(自称)「木製バットの専門家」が教えているそうです.要するの畑違いの人がやってるんですね.大学も経営がきついですから「地質学」や「古生物学」の専門家なぞ置く余裕がないということでしょう(フム.これが,昔の地質学科がみな「(地球)環境学科」に看板かけなおしてる理由か).
 「化石」を見たことがない先生が「化石」について授業をして,「化石」を見たことのない学生が卒業していってる・・・.

 いま,非常勤でいってる大学でも,自分のコレクションの中から関連するものをさがして授業で使ってますが,大学自体には「一つの標本」もありません.

 「女性大学」の講演では,できるだけたくさんの化石を見せるつもりですが,そうすると,旭川の“大学”で,一番標本をつかってる大学になったりして・・・.