2010年9月4日土曜日

「感染症は実在しない」

 
 久しぶりに,大タコな本にであってしまいました.
 それは岩田健太郎「感染症は実在しない」(北大路書房)

 この本は言葉のマジックというか,言葉のトリックというか…,腹の立つレトリックも使われています.

 最初に「病気は実在するか」という話題から入ります.
 だまされてはいけませんよ.設問は「病気は存在するか」ではなく,「病気は実在するか」です.

 そもそも,「実在」という言葉は,自然言語でもなければ,われわれが普通につかう言葉のひとつでもありません.哲学者が「(われわれから見れば)言葉の遊び」としてつかう用語のひとつです.
 哲学者の頭の中に「リンゴが実在」しようが,しまいが,われわれには無関係のことです.
 たとえてみれば,理論物理学で「宇宙の果てはどうなっているか」と考えるようなもの.宇宙の果てが「無」であろうが,果てから向こうはわれわれの行けない世界であろうが,あるいは,崖があって,すべてが落ちている世界であろうが,…話としてはおもしろいでしょうけど(もちろん,おもしろくないと考える人もいるでしょうね),われわれ一般人の生活にはまるで関係がない.
 それと,おなじです.

 われわれにとって,「リンゴ」とは,見てリンゴだとわかり,触れることもできて,食べたらリンゴの味がすれば,それでいい.
 流行りの脳科学者ならば「それは,脳がそう感じているだけで,実際にあるという証明にはならない」というでしょうね.
 でも,われわれには,どっちだってかまわない.なんだってかまわない.

 たとえば,10歳で不治の病にかかって死んだ少女がいたとしましょう.
 われわれ外部の人間にとっては,10歳で死んだ少女がいただけです.身内か,他人か,その情報を知っているか,知らないかで,われわれがいだく感情は,多少,あるいは大きくちがうでしょうけど,われわれがどんな感情を持とうが,死んだ少女にはまるで関係がない.
 ところで,その少女にとって,死の瞬間に「そのとき死なないで,幸せな青春時代を送り,幸せな結婚をして,おおくの家族に看取られて死んだ」夢を見たとしましょう.
 それは,それは,夢だったかもしれないが,少女は幸せな人生を送って死んだのです.「実在」しようが,しまいが,脳の作用のひとつであろうが,なかろうが,哲学者や脳科学者がとやかく言うことではない.少女の「夢」のほうが,哲学者の「言葉の遊び」より,「(それこそ)実在した」のでしょう.

(似たようなお話)

    



 じつは,著者も「言葉の遊び」であることを,知っているらしくて(あるいは,途中でめんどくさくなったのか),途中で「病気は「現象」であって,「もの」ではない」とネタバレをやってます.
 始めからそう書けばいいものを,哲学者気取りで,一般人を惑わすような言葉をつかう,いやなヤツです.

 さて,読むには,相当なガマンを強いられますが,読み続けると,著者のいいたいことがわかってきます.
 それは,「医者個人には,医者としての適正の問題がある」し,「現行の医療システムにも問題がある」.そして,それを統括する「医療行政(具体的には厚生(労働)省のお役人)の能力にも,大きな問題がある」ということです.それならわかるでしょ.しかし,問題はそのあとです,
 「そんなに問題があるなら,解決に向けて努力したらどう?」と普通は思うし,それほどの問題点を指摘できる医者なら,「そうではない「医者」・「医療体制」・「医療行政」をどう目指すか」という話になるのが,当たり前だと思うのですが,この著者はそうではない,それは,「別な選択をしない患者(あるいは,まだ患者でもない一般市民)が悪いのだ」というのが,結論なのです.

 「別な選択とはなにか?」というと,一般市民が,一人一人,医者(それも,普通にいう「名医」)並の知識を身につけ,自分が死の直前にいたとしても,目の前の医者と「(自分に対して)どういう治療をするか」という議論ができるほどの能力を身につけることです.
 そんなことできるか?
 具体的にいうと,「医療を拒否して死ぬという選択」しかないわけですね.

 なにか,最近の「裁判員制度」をおもいこさせます.
 高い給料をもらっている専門職である「裁判官」がたくさんいるのに,自分の仕事がなくなってしまう危険を冒させながら,素人を裁判に引きずり込むというアレです.で,終われば,死ぬまで明かしてはならない秘密をしょわされて,放り出されるというアレです(裁判員として選ぶなら,退職後の時間のある老人か,失業中の人のみにしてほしいものですね.それで,名判決を下したら,そのまま裁判官として雇用するとか(^^;).
 早い話が,プロがプロとしての責任を負わない無責任体制です.


 ということで,読んでいて相当血圧が上がり,なかなか下がりませんでした.ヤバイなあ.
 
 え? なんでそんな本を,ガマンしてまで読んだのかって?
 じつはあることで,「感染症」について,知りたかったのです.
 この本にも,一部書いてありましたが,「人は感染したからといって,必ずしも病気になるわけではない」ようなのです.
 新型インフルエンザが「パンデミック」をおこしたのは,検査すれば「“ピタリ”とあたる検査薬」が使用されたためで,そんなものがなければ,「ただの風邪ですね」ですんでしまった人や,ちょっと不調なだけの人も「新型インフルエンザ患者」になってしまったようだと(あいまいながらも)書いてあります.
 もちろん,「新型インフルエンザ」に感染しながらも,なんの症状も示さずに,普通に過ごしてしまった人もいたのではないか,という疑問があることです(もちろん,重篤になってしまった人もいるでしょうけど).
 
 感染症のメカニズムには,もっと奥深いものがあるのじゃあないかと,比較的新しい「感染症の本」に,当たったら,大タコの本に当たってしまったという次第.

 なにかというと,人間のDNAには(にも)いつ感染したのかもわからない,ウィルスのDNAが隠れているようだという話をなにかで聞いたことが関係あります.それが,延々と受け継がれているかもしれないというわけです.
 人間の体の中,外,細胞の中には(にも),別の生物がたくさん生きています(感染してます).腸内細菌や皮膚常在菌,はてはミトコンドリアまで.
 むかし,劇症を引き起こすといわれた病気で,今は消えてしまった病気があります.
 なにか,こうモヤモヤしたものがあって,このあたりを考察した書籍はないものかと….

 ダメか.
 

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