2010年10月30日土曜日
小山内煕さん
例によって,古いノートを整理しています.
穂別地域の地質についてメモしているノートが出てきました.
最初に書いてあるのが,つぎの論文でした.
小山内煕・石山昭三・松下勝秀・三谷勝利・高橋功二(1967)石狩炭田南部穂別炭鉱地域の地質.
北海道地下資源調査資料, 109号.
報告書の内容は,表題の通り,穂別炭鉱付近の地域地質について,です.
この地域は,地質学史から見ても重要な地域です.まだうまくまとまっていませんけど.
わたしが学生のころ,小山内さんにはアルバイトで大変にお世話になりました.
アルバイトの雇い主でした.
このころは,某・地質コンサルタントの偉い人でした.古いタイプの地質屋の臭いのする人で,とてもすてきな人でした.地質屋には,こういう魅力的な人たちがたくさんいたので,わたしは一生地質にかかわって生きていたいと考えてたんですけどね….
小山内さんは,この報告書のころは,道立地下資源調査所(現・道立地質研究所)にいらしたのですね.どうして,地質コンサルタントに転職されたのでしょうか.北大で教授をやってても不思議はない人だと思いますけどね.
亡くなられてから,もうだいぶ経ちますね.生没年もわからない….地質図の生みの親といわれるスミスと英国地質学会の関係を想い出します.
どうせなら,小山内さんの業績をまとめておこうと,論文・報告書などを検索すると…,出るわ出るわ,凄まじい量です.簡単にはまとまりそうもない.これは,おいおいやってゆくことにします.
小山内さんは,道内のたくさんの五万分の一地質図幅および説明書に関係していらっしゃいますし,地下資源調査所の報告書類も毎年のように出されています,そのどれもが北海道の地質にとって重要な資料です.それは「論文」ではなくて「報告書」.いかにも北大地鉱教室出身.ライマンの末裔ですね.
たぶん,これらをまとめたら,北海道の一時代の地質研究史が浮かび上がってくると思います.楽しみのひとつです.
あるとき,小山内さんがポツリと,こうつぶやきました.
「俺は,息子に裏切られた」
“へ?”と思いながら,小山内さんの顔を見ると,別に裏切られて悔しいと思っている人の顔ではなかったような気がしますが….
そのときのわたしには,それがどういう意味だったのかは,理解できませんでした.
いまは,なんとなく.
小山内さんの息子さんは,現在,某大学大学院の教授をなさっています.日高山脈中軸部の変成岩類の研究で著名な方です.
「日高造山運動」なるものは存在せず.
日高山脈は,ただ,プレートのせめぎ合いによって偶然できたものに過ぎないと塗り替えられていった時期に,日高山脈の地質を研究されていた方です.いまも生き残っているのだから,どういう立場の人かは理解できるでしょう.
そして,小山内・父といえば,湊・舟橋両教授の健在なころの北大地鉱教室出身.もしかしたら,親子二代で地向斜造山論からPT論への葛藤があったのかもしれません.
小山内・父子は二人とも日高山脈周辺の地質を研究されてますからね.
そのあたりは,小山内・ジュニアに記録を残しておいてもらいたいものです.当分,公表はしないにしても….
わたしは,小山内さんがうらやましいです(わたしには,路を開いてくれた親もいなければ,志をついでくれる子もいない:雑草は雑草ということ).
地質学に一生を捧げられただけではなく,親を乗り越えてゆく立派な息子まで育てたのですからね.小山内さんの「俺は,息子に裏切られた」という言葉は,むしろ,「息子は俺を越えていった.その息子を誇りに思う.」という意味だったのかもしれません.
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1 件のコメント:
> 北大で教授をやってても不思議はない….
「不思議」か….教授で人格者ってのはまれにしかいないモンね(^^;.
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