● モイワ銀銅鑛
(地名)
後志國フルウ郡オキシナイ村字ムサワ*1、盬越澤*2、サカヅキ村*3、サカヅキ川*4,アカエ川*5、カブト山*6
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*1:後志國フルウ郡オキシナイ村字ムサワ:不詳(茂岩川のことか?).
*2:盬越澤:塩越川.
*3:サカヅキ村:現・泊村興志内村.
*4:サカヅキ川:泊村盃村.
*5:アカエ川:不詳.
*6:カブト山:泊村兜山.
(試掘の實況)
明治二十一年四月試掘出願.
仝五月,許可を受く.試掘人は益田孝*1なり.
仝月より着手せり.
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*1:益田孝:益田孝(1848.11.12.-1938.12.28).三井財閥中心人物の一人.
(掘採方法)
鑛石を掘採するとき,一坑ロを付するに竪五尺余横三尺余とし,之を掘進するに,一晝夜を二十四時間三交退となし(仕業時間一交代を八時間とす),坑夫坑業中は大工鎚・鶴嘴・タカ子*1の道具を以て磐石を碎き,或は穴ロを穿ち火藥を用井るヿあり.右(上)方法にて既に坑口十二ヶ所を起せり.其内最も鑛石を採取したるは一番二番三番坑なりとす.
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*1:タカ子:鏨(タガネ)
(職工坑夫賃金は左(下)表の如し)
自明治廿年五月至仝廿一年四月 職工坑夫賃金表
(坑夫工程)
壼ヶ所の坑ロを假定し,譬へは縦五尺余横三尺余の坑ロを開掘するに,石質堅柔により一定せずと雖とも,概畧三寸乃至六七寸切延すを一工とす.
(人員表)
右(上)事務所員中二名,廿年九月,當鑛山を辞し,其他諸工夫は種々雇入れの方法を設け置たれとも時々出入あるを以て滿壹ヶ年の平均を示す.
(諸職人食料給與方法)
諸職人に對する需用品は該鑛山事務所に於て買入れ置き,請求の時々貸渡ものとす.而〆之に貸附くるに通帳を製し銘々に壹通を渡し置き,月末に至りて仕業金高を勘定するの際諸物貨(ママ)代價を精算せしむ.
●舊記
開拓使事業報告に曰く,明治十三年五月後志國フルウ郡オキシナイ村*1海岸に於て銅鉛鑛を發見す.其鑛脉,厚さ尺餘にして熔鑛運輸の便あり(鑛物分析表を記せり).
東蝦夷日誌に曰く*2「サカツキ」の名義は金銀鑛あるの義なり.此所,金銀及び鉛鑛あり.故に名く.又「モイワ」にも鉛氣あり.
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*1:後志國フルウ郡オキシナイ村:後志国古宇郡興志内村(現:古宇郡泊村(大字)興志内)
*2:東蝦夷日誌に曰く…:「蝦夷地質学」参照.
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