2008年3月1日土曜日

石狩炭田の興亡

 “ライマン展”関連です.

 ここ数日,石狩炭田の歴史について調べてました.
 なにか,悲しい気持ちになりました.

 何もなかったところに,ある日ハンマーの音が響き,しばらくして,たくさんの人がやってきました.
 鉄道が敷かれ,あっという間に大きな町になり,石炭を運び出していきました.

 これからまだまだ発展してゆくのかと思ったら,あっという間に人がいなくなり,廃虚が残されました.
 べつに,石炭を掘り尽くしたわけでもないのに.


 さて,石狩炭田の興亡ですが,割りと簡単に片づくのではないかという予想に反して,手ごわいです.
 児玉清臣さんの力作,「石炭の技術史」と,地質調査所の「石狩炭田地質図」で,「幹」ができるだろうと考えていたわけです.両方とも力作なんですが,矛盾がたくさんあります.この整理が大変.まず,炭鉱の名前と位置の確認という,もっとも初原的なところから,調べ直しています.(^^;


 さて,手早いのはやっぱり,ググること.
 驚いたことに,関連の情報が山ほどでてきます.何といっても「鉄ちゃん」と「廃ちゃん」の活発な活動があるようです.このお陰で,いくつか「石狩炭田地質図」の記述が不正確だったことがわかりました.
 また,私なんかは聞いたことがないような小さな専用鉄道まで調べてあって,すごすぎる.この専用鉄道というのは,石炭を運び出すために坑口から幹線まで,炭鉱会社がひいた鉄道のことです.
 残念なことに,「鉄ちゃん」と「廃ちゃん」はやはり,マニアですから,詳細な調査をしているわりには,そして,インターネットでそれを公開などしてるわりには,ほかの人に分からせようというところが「おざなり」なんですね.

 「鉄ちゃん」と「廃ちゃん」がこれだけやってますので,普通の切り口では,かれらにバカにされそうですね.時間はほとんど無いのですが,形になるのは,まだまだ時間がかかりそうです.

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