いくつか理由があって,北海道の古代史について知識を仕入れようと,かなり頑張ったのですが,判らないということが判りました((^^;).
まず,北海道の古代史が本州の古代史とは異なる道筋を通ってきたことは明らかです.少なくとも江戸末期から明治初期に「日本」に組み込まれるまでは….じゃあ,どこまで遡れるのかということで,関連の資料を集めてみました.
例えば,工藤雅樹さんの一連の「古代蝦夷」に関する著述,海保嶺夫さんの一連の「近世蝦夷地成立」に関する著述,関連して高橋崇さんの一連の「東北古代史」など.ほかにも類書はたくさんあるようですが,この御三方の著述が系統的で判り易いかと(若干,私には理系と文系の壁があるようにも感じられますけど).
これらを読んでいるうちに気づくことは,「日本の歴史」のほとんど大部分は判っていないんだなあということです.「北海道」と「西日本」の歴史が大きく異なることは,誰でも納得することと思いますが,間に挟まる「関東~東北」日本の歴史は「西日本」の歴史に収斂するかどうかは難しいところですね.この背後には「日本は一つ」幻想があり,これらはナショナリズムと固く結びついていますから,なかなかほぐし難いところがあるのだと思います.
むしろ,「沖縄の歴史」を持ってきて,日本には少なくとも「四つの地方史」があるとした方が,受け入れられ易いかもしれません.
以下,いくつかの疑問から羅列してみましょう.
●「縄文式土器」,「縄文文化」,「縄文時代」,この三つの言葉の違いを説明せよ.
これができる人は少ないと思います.辞書なんかを見ると,「『縄文式土器』をもつのを『縄文文化』といい,その時代を『縄文時代』という」なんてことが平気で書かれていたりします.確かに,そうなんでしょうけど,これは「定義」ではありませんね.
では,
●「縄文時代」と「弥生時代」の違いはなんでしょう.
●「縄文式土器」と「続縄文式土器」の違いは?
北海道では,「弥生時代は無く,代わりに続縄文時代がある」なんてことが平気で書かれています.「語るに落ちる」で“本州の時代区分”は北海道とは合わないことを示しているのですが,上記設問にしたがって「縄文式土器」と「続縄文式土器」の違いを調べると,「特徴は連続していることが多く,厳密な区分はできない」なんてことが書かれています.区別ができないのに区別をするのは,いったいなんなんでしょう.
重要なことは,“本州”で弥生(式)土器がでるころを北海道では「続縄文時代」ということらしいですね.これも,背後に「日本は一つ」幻想があることの現れなのでしょう.
●「弥生式土器」と「弥生土器」の違いはなんでしょう?
「弥生」は「縄文」と違い,土器の形式ではありません.単に「弥生」という地名のとこから出た土器というのが元々の意味ですから,「弥生式土器」というのは存在しないのです.
では,
●「縄文式土器」と「弥生土器」の違いはなんでしょう?
ついでに,
●「弥生土器」と「弥生文化」と「弥生時代」の三つの言葉の違いはなんでしょう?
弥生土器は土器の形式ではなく,弥生文化に伴う土器のことですから,多種多様なものがあります.縄文式土器のように「縄文」があるから「縄文式土器」というわけにはいかないのです.
これらの混乱は,次の「古墳時代」になっても続きます.
「古墳時代」には,日本全国に「古墳」があるとされています.この時代の「古墳分布図」を見ると,(北海道を除いて)なるほど全国に「古墳」があるように見えます.
ところが,典型的な「古墳」があるのは,実は「西日本」だけのようにも見えます.最近はGoogle Earthなどという便利なものがありますので,実際に見てもらえれば判りますが,「西日本」の古墳と「東日本」の古墳では一個の大きさ,群としての数・密度,比べ物になりません.
面白いことに,北海道にも古墳があるんですが,これは北海道の時代区分では「擦文時代」に当たります.困ったことに,「擦文時代」は「西日本」ではすでに古墳時代が終わってしまったあとになり,すでに平安時代を迎えています.
「…文化」を「…時代」に置き換えるのは大変危険なことなのだと思いますが,「日本は一つ」幻想に便利なせいか,個々の遺跡の「時代」が総合的に判定されることは,まだまだ少ないようです.
最近,C14法などを駆使して測定すると,求められた年代が予想外に古く,縄文時代,弥生時代の開始の下限がぐっと下げられたようです.それはそれで,大陸の遺跡との対比はどうなるのかという問題を生んでいますが,それよりも,時代の分解能が上がったせいで,当然のごとく,各地での弥生文化の始まりが不揃いになり,「弥生時代」の始まりをどうするかという議論がやっと出ているようです.
で,調べれば調べるほど,“日本”の歴史は判らなくなってくるのですが((^^;),実は,ヒントがあちこちに落ちていることに気づきました.
例えば,高校の歴史参考書です.
吉川弘文館「日本史年表・地図」の「縄文式文化」には「縄文式文化遺跡の分布」という図があるのですが,そこには縄文式土器には本州の東西では文化相の違いが見られることが示されています.
「山川日本史総合図録」の「縄文文化〈I〉」には「縄文文化遺跡と貝塚の分布」という図があり,それは「(草創)・早・前期」・「中期」・「後・晩期」の三期に分けられており,「(草創)・早・前期」には北海道・本州・四国・九州に散発的に現れた縄文文化が,「中期」には関東地域に密集し,「後・晩期」になると東北地方へ,その中心が移動していく様子が見て取れます.
つまり,精密な時間軸が設定できれば,どこかで新しい文化が発生し,発展して伝播して行く様子,消滅して行く様子を見ることができそうだということになりそうですね.逆に,現在の見方のように,団子状態にすると,当然,日本全土に縄文文化があったことになります.
次の「弥生文化遺跡」では,「山川日本史総合図録」では「弥生文化〈I〉」に「弥生文化遺跡の分布」の図がありますが,これは弥生時代を一つにまとめているために北海道および本州最北端を「続縄文文化」としているほかは,すべて弥生文化で日本中が統一されているように見えます.
吉川弘文館「日本史年表・地図」でも,「弥生式文化」の「弥生式文化遺跡の分布」では,一見すると,本州最北端(と北海道)を除き,弥生文化で統一されているように見えます.しかし,よく見ると,この図には時間による区分が取り入れられていて,前期には「西南日本」にしかなかった弥生文化が,中期になると「関東地域」に進入し,後期になると東北日本最北端を残しほぼ日本全域に広がった様子が見て取れます.
弥生文化を示すもう一つの文化要素=青銅器ではもっと極端で,これらは,ほぼ西南日本のみにしか分布していません.
つまるところ,「縄文-弥生」は時間軸の上下関係にあるだけでなく,(もちろん,「縄文」と「弥生」が同時に存在する時間もある上で)縄文は東日本,弥生は西日本という地域的な関係にもあるわけです(もちろん,沖縄地域はまた別な関係にある).したがって,日本全土を「縄文-弥生-古墳」という時代区分するのは「おかしい」ことになるのですが….
この辺までは判ってきたのですが,「南日本(沖縄地域)」-「西日本(朝鮮半島影響下にある地域)」-「東日本(西日本と北日本双方の影響を受けている地域)」-「北日本(北海道)」の四つに分けた日本の古代の解説を見いだすことができません.ほとんどみなが「西日本」の歴史を「日本の歴史」として区分し,その時代に「その外の三つの地域」では何があったかは「西日本」との関わりで示される.そうでないところは,結局ほとんどがよくわからないということになりそうです.
こういう認識をすると,「南日本」・「西日本」・「東日本」・「北日本」という名称自体にも問題がありそうですが,これ以上は…「北海道の歴史」を概観するついでに「日本の歴史」の概略を押さえておきたいというだけなのに,あまり深入りしてもしょうがないようです.
2 件のコメント:
ボレアロプー様
いつも愛読させていただいております。
道南の厚沢部町で文化財の仕事をしています。
>「縄文式土器」、「縄文文化」、「縄文時代」の違いについて、下記URLにて自分なりに整理してみましたので、ご笑覧下さい。
http://assabu.exblog.jp/tb/9116772
コメントありがとうございます.
感想は貴ブログにて(^^;
コメントを投稿