2012年4月5日木曜日

石油が!

ガソリン価格を始めとする石油製品価格が,冗談ではないぐらい高沸している.
このところ,「政府はなんのためにあるのだろうか」と思うことが多いのだが,今回もそうだ.

無策.

このままでは,産業も生活も破壊されてしまうのではないだろかと思うのに,あの竜兵もどきは,なにが起きても「消費税」なんだそうだ.

このところ,こういう政治家が多いとおもう.
最初は,小泉純一郎か.この人は「おはようございます」と挨拶されても,「郵政民有化!」と叫んだそうだが,竜平もどきも,なにが起きても「消費税増税!」と叫んでいるみたいだ.

被災地の復興が進まないのは,政治のせいだと思うが,いつの間にか瓦礫を受け入れない地方自治体のエゴだということになっている.批判をかわそうとしているのか.
瓦礫を片付ければ,復興がなるのだろうか.
壊れた原発をそのままにして,原発再開を既成事実化していこうという姿勢も見える.

何がしたいのかサッパリわからないが,説明しようともしない.
たぶん,やったことの責任もとろうとしないだろう.

昔,国を無責任に戦争に突入させ,無責任だから,戦争をやめることもできなかった連中にそっくりだ.国の中心に巣くう連中の特質なのだろうか.頭ではなく,空気でものを考えているのだろう.

いずれ,この人たちは政治の世界から消えてゆくのだろうけど,背後からひたひたと押し寄せてくる連中もいる.またぞろ,ご真影と日の丸,君が代の影に隠れて,無責任を押し通そうとする連中が….
 

デフレーションの正体

我が国政府は,物価は下がっているとおっしゃる.
それを根拠に,困ったことが起きているのも事実だと思う.

だけど,本当に物価は下がっているのだろうか.

たとえば,10年前に買った衣類は,まだ十分に着られるし,これからも着られると思う.
だけど,去年買った衣類は,一シーズンすぎれば,「これはちょっと…」と思うぐらいよれよれになっている.
ま,メーカーとしては,毎年毎年購入してくれるほうが有難いだろうけど.

コストパフォーマンスの良さ悪さは明確だと思う.
でも,見かけ上は物価は下がっているように見えるのだ.

家電などは,一流メーカーの製品でさえ「タイマー付き」と揶揄されるほど,壊れやすくなっている.
ただ壊れやすくなっているのではなく,「タイマー付き」なのだ.補償期間が過ぎると,面白いように壊れる.

一応,販売終了後,10年間は部品確保が義務づけられていると聞く.
でも,これは正確には「部品」ではない.「アセンブリー」というヤツで,回路のパック,部品のパックなのだ.
昔は,たとえば,コンデンサー一個を交換すれば,また数年は使えるという故障&修理が普通だった.
でも,現在は,故障修理はマニュアル化されていて,「こういう故障はこういう対応」と決まっているのだ.結果,アセンブリーをごっそり交換することになる.

これがまた,うまい具合な価格設定になっていて,一万円をわずかに切るとか,二万円をわずかに切るという風になっている.結局,コンデンサー一個を交換すれば済む故障に,一万円+出張料+技術料+&….
結果,ものによっては,新品を買ったほうが安いということになる.
実にうまい設定である.

百均がスタートしたころは,「こんなものが100円で!」と思うような商品が山積みだった.
現在では,「百均は百均」.百均でもいいものしか買わないという判断が必要だ.
たぶん,コストが上がっているのだと思う.おなじような商品でも,確実に品質が下がっている.
ということは,物価はやはり上がっているのだ.

高校の「政治経済」でならった,デフレは「ウソ」だった.
品質の悪いものは売れないのが当たり前だが,品質は二極化していて,貧乏人は品質の悪い,したがって「持ち」も悪いものを選択せざるを得なくなっている.
これが,下がっているといわれる物価の正体….

高給取りの国会議員には理解できないはずだ.
 

2012年4月1日日曜日

最近購入した本

山賀進氏の本を二冊購入しました.
いまだに,このような本を出版してくれる会社があるのかと,ある意味感動しました.
中身はまあ,一般向け「地球の本」というところで,新知見はほとんどありません.
しかし,教育者らしく情報のバランスがとれているので,持ち合わせている知識の整理,再検討にはうってつけかと.

      

さっと速読して,若干違和感がありました.
いえ,中身に間違いがあるとかそういうことではありません.

一つは,地質屋として勉強してきた私には,具体的な物証のない「理論」は,「こうである」といいきるべきではないと思っているので,この本に書かれていることの大部分は,面白いけど興味を持てない(物証のない)世界であることです.
地質学は,博物学の直接の末裔であるので,手に取ることのできる標本が示すことではない「論」にはついていけない面があります.

たとえば,スーパーコンピューターを使って,三葉虫の進化をシミュレーションしたら面白い結果が出るでしょう.でもそれは,シミュレーションにすぎないので,シミュレーション結果にあわない三葉虫の新種が発見されたりしたら,その時点で「まるで意味の無い空論」になってしまいます.
地質学的な発見は,アマチュアの高校生が発見したものでも,事実は事実です.理論より強い証拠なのです.

マグニチュード8より上の地震は理論的には起きないといわれていたのに,実際に起きたら,ありとあらゆるものの評価が変わってしまったのも,事実と理論は違うという証拠です.
1000年に一度の巨大津波は,1000年に一度は「起きる」ものなのに,「ためにする議論だ」といってまるで,非科学的なものののように扱われてきました.
でも起きちゃった.
科学者は,たいして反省することもなく,また新しい研究費の獲得に向けて,運動を開始したようです.
あ,そういえば,プレートテクトニクスを研究すれば,地震予知が可能になるし,そうすれば災害はなくなるって,いってませんでしたっけ?


最近の歴代地質学会会長は,どの人も,プレートテクトニクスは「理論ではなく,観測された事実だ」とおっしゃいます.口が滑ってるのかもしれないですけれど.
そういう人は,地質学会会長ではなく,地球科学会の会長に立候補したら? と,思います.どうでもいいですけれど.
本人たちも,地質学者は名のらずに,地球科学者を名のってますから,ますますそうあるべきでしょうね.
手にサンプルを持った地質屋は,手に石器を持った原始人みたいな連中のことですから….


山賀さんは,「かつては地球を研究する学問は,地質学,岩石・鉱物学,古生物学,…(中略)…などと細分されていました」といい,「これらが,いまでは地球科学,さらには惑星までも視野に入れた地球惑星科学となってきました」と断言しています.
そして,「こうした視野で自然を見ることも大切だということが少しでも伝われば幸いです」とおっしゃられています.

たしかにそういう視点は大切です.そう思います.
でも,山賀さんがあげた「細分化された学問」は,相互に矛盾することもある学問であり,互いに独立した学問でもあります.おのおのが「不足した体系」ではなく,その中で「完結した体系」だったのです.
矛盾したものをすりあわせてなにができるのか.
そう,矛盾したものは,すりあわせられて,削り取られてなくなってゆくのです.
いちばん悲しい目にあっているのは,「古生物学」カナ?
山賀さんの二冊の本の中にでも,古生物学の成果は,ほとんどないに等しい記述です(地質学も怪しい).
古生物学の成果は,古生物学の本で書くしかない.それはもう,日本では不可能に近い.


もう一つ,違和感を感じたのが,「地球について,まだわかっていないこと」の「まえがき」です.

「起きない」といわれていた,「マグニチュード9」の地震,地震では壊れないといわれていた「炉心」,起きないといわれていた「原発事故」….ありえない「津波」(実際には,過去に起きていたことが,すでに論文にもなっていた),これらに言及し,「まだ(我々には)わかっていないこと」のほうが多いのだと明言していること.もちろん,この本自体が「まだわかっていないこと」をテーマしにした本,そのものなんですけどね.

わたしは,地球科学というのは「なんでもわかっている/わかる」という「傲慢」という枠組みだと思っていたので,山賀さんのような方がおられることで,私自身の視野の狭さを思い知らされました.
地球科学的枠組みでも,人類は無知であるという自覚が可能なんだ.

地球科学者は「地質学は錬金術にも等しい存在で,地球科学こそ真の科学である」といってたモンですからねえ.

反省を込めて,二度目の精読に入ろうっと….

PS.:地球の本なのに,生命の痕跡がほとんどないのが悲しい.隠生累代に戻ってしまったのかしら.それとも,「地球科学的枠組み」というヤツに問題があるのだろうか.