●舊記
(ユーラプ銀鉛鑛*1幷に「イチノワタリ」銀鉛鑛*2の事「アンチセル」の調書*3にあり)
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*1:ユーラプ銀鉛鑛:遊楽部銀鉛鉱(八雲鉱山).
*2:「イチノワタリ」銀鉛鑛:一ノ渡(市ノ渡).
*3:「アンチセル調書」:「教師報文録」の「第二」中の「第三 銀及鉛」に記述がある.
(ヨイチ川上流銅鑛)
開拓使事業報告に曰く,明治十年九月後志國ヨイチ郡ヨイチ川上流の山崩壊により,鑛物を發見す.其見本二種を農學校化學師「ペンハロー」に分析せしむ云云.
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*:この記述では,特定不能.
(大澤金鑛、渡島國)
蝦夷實記*1に曰く,古く夷地諸山より黄金を出せり.元祖開國以來溪雲公*2第七世の代,元和三年始て大澤より黄金を出せり.
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*1:蝦夷實記:不詳.松前廣長の著といわれる.所在不詳.
*2:溪雲公:二代目松前藩主・松前公広.元和三年に家督を引き継ぐ.「蝦夷地質学外伝」参照.
(フクシヤタウシ金鑛)
納沙布日誌*1に曰く,大島の「フクシヤタウシ」に至れば*2,往昔金坑の掘跡あり云云.
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*1:納沙布日誌:松浦武四郎の著.
*2:「フクシヤタウシ」に至れば:「フクシヤタウシ」は「茖葱取多」と書く.アイヌネギの多いところと解説している.場所は現在の「厚岸町幌万別ピリカオタ」のあたりか.地質的には「根室層群チンベ礫岩層(床潭図幅)」なので,金鉱床は考えにくい.
(タブケワタラ金鑛)
蝦夷艸紙附錄*1に曰く,「ウルツプ」島に「タブケワタラ」と云ふ島あり.此處に黄金の山色あり云云.
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*1:蝦夷艸紙附錄:蝦夷草紙(最上徳内著).吉田常吉編では,「下巻(巻之三)・ウルツプ嶋の事」にあたる.「ウルツプ」島は日本名「得撫島」.
(ウラカワ金鑛)
蝦夷艸紙に曰く,「ウラカワ」と云ふ所に金山諸々あり.是は掘たらば出べきと思はる.
其外「エリモ」邊「ラツコ」島等にあり.又,深山に有るべきか.未開の大國なれば,明細に探索に及ひ難し.時を得て逹すべし.
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* 吉田版「蝦夷草紙」に,この記述は見あたらない.須藤版「蝦夷草紙」には「ウラカハと言所の金山跡あり,是は堀たらば出べきと思われるなり」とある.この違いは写本元の違いと思われるが,詳細不明.
(クスリ岳金鑛)
北海随筆*1に曰く,「アツケシ」の手前「クスリ」ヶ嶽*2の麓に金山あり.「コカ子」山と云ふ云云.
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*1:北海随筆:坂倉源次郎の著といわれる(蝦夷地質学外伝参照)
*2:「クスリ」ヶ嶽:「薬ヶ嶽」(不詳);釧路沖から見える山岳と思われるが不詳.
(コガ子山金鑛)
蝦夷行程記*1に曰く,「ハママシケ」*2の奥こがね山*3と言へる金坑あり.
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*1:蝦夷行程記:阿部将翁著.松浦武四郎校正.安政三年(1856)刊.
*2:「ハママシケ」:浜益(現:石狩市浜益区)
*3:こがね山:黄金山;浜益図幅によれば,黄金山北方を流れる群別川流域には「黄金鉱山」と呼ばれた試掘鉱山があったとされる.
(シュマン金鑛)
窃々夜話*1に「ホロヘツ」川源は十勝岳の續にて,川下より貳里程上,「シュマン」*2と云ふ處,金掘の古跡など有るよし書載せたり.
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*1:窃々夜話:「東夷窃々夜話」のことか?(未見)
*2:「シュマン」:不詳.この記述では特定困難かと思われるが,現・日高幌別川の約10km(約2里半)上流には「シマン川」があり,記述と整合的である.なお,西舎図幅には,この地点の金鉱の記述はないが,南の尾根ひとつ越えた様似郡様似町海辺川上流・箱の沢に含金石英脈からなる鉱床が松前藩によって探鉱されたとある.のちの「ウンベ金山」・「日高金山」・「日昇金山」である.
(力子カルウシ金坑)
東蝦夷日誌に曰く「カ子カルウシ」*1と云ふ處,昔し金坑を開きし處なり.是れも寛文の亂*2に廢坑せし由.
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*1:「カ子カルウシ」:「蝦夷地質学外伝・其の九・東蝦夷日誌・五編」参照.
*2:寛文の亂:「寛文の乱」;「蝦夷地質学外伝・其の四 シャクシャイン蜂起す」参照.
(カ子カルウシナイ金坑)(カ子カルウシと同しからん)
東蝦夷日誌に曰く「シトナ」川の澤に「カ子カルウシナイ」と云ふ所あり.「寛文年間まで金を掘し跡多し.又,此山盛なる比は金丁共多く移住し,畑を開きし由,今に其跡多し.土人の話に,其頃は此處まて諸色の運送に車を用ひし由,今に車道の名残れり.其古坑より常に砂金流出たり.可惜の甚しき事なり.」
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上記参照
(ホロナイ川金鑛)*1
東蝦夷日誌に曰く,「ホロナイ」川(日高国),源は小名多し.「ウタシマイ」幷「マサコロク」に至る.昔し政二郎と云ふ金丁,多くの山子を置し跡あり.
「イチウシオ子」「ヲホナス」共に右の方,鮭多き由にて,秋は和人共來り,梁を架るなり.
橋あり「シヽヤモリウカ」と云ふ.往古金山盛の時架たると.其名于今残れり.
此邊より川筋敷條に分れ島となる.屈曲婉轉す.「ハラトウ」「トメナ」共に往昔山丁多く住みし跡あり.兩岸小字多く「ヲマクシナイ」「チフクシナイ」等,其源は「フンベ」岳より來る.樹木多し「サツヒウカ」「ケハウ」,其源「ムコヘツシルトル」岳より來る.水性透明なるヿ實に不思議なり.是れ恐らくは金氣ある故か.山中金坑多し.
「キムンチヤン」「ヘケシリ」上に「ヘケレシリ」山あり.此山金銀の氣立つ故,昔し神か號せしと.
寛文年間迄佐州より金丁多く入込たりと.「シヤクシヤイン」の亂より廢せしと云ふ.「トブシ」「ヲフイチヤシ」,山上に城跡あり.是,寛文亂燒打に成りし跡なり.
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*1:(ホロナイ川金鑛):吉田版「東蝦夷日誌」には以下のようにある.
(五六町)ポロナイ(西岸)相應の川なり。源小名多く、ウヌシコイに到る。(幷て)マサブロク (西小川、人家有)、昔し政三郎と云金丁、大勢の山子を置し跡と。(過て)イチウシホネ(幷て)ヲホナス(小川)、共に右の方(人家十一軒)鮭多き由にて、秋は和人共來り梁を架る也。
橋有、シヽヤモリウカといふ。往古和人ども金山盛の時架しと、其名残れり。此邊より川筋數條に分れ、島と成、屈曲婉轉す。ハラトウ(右)、トメナ(右、人家十三軒)、共に往昔山丁多く住し跡あり。
兩岸小字多く、ヲマクシナイ、チフクシナイ等、其源はフンベ岳より來る。樹木多し。
過て(右)ヤシクヌキ(小川)、ヲロヲマフ(右川)、此處一里餘の廣野、シヤマニ〔様似〕川筋より此處へ出る。(向に)ベケレメナ(左川)名義、明屈曲川の義。人家三軒。余は小使イトハクテ家にて宿す。畑よろし。
此メナ兩岸字多く、サツヒウカ(右)、ケハウ(左)、其源ムコベツシルトル岳より來る。水性透明なること、實に不思議なり。是恐くは金氣有故か。山中金坑多し。
過てキムンチヤシ(左川)、山城の義なり。ベケシリ(左川)上にベケレシリという山有、譯て明き山の義なり。此山金銀の氣立故、昔し神が號しと。寛文年間迄は佐州〔佐渡〕より金丁多く入込たりと。奢久者允亂より廢せしと。トブシ(左)、ヲフイチヤシ(左)、山上に城跡と云ものあり。是寛文亂燒打に成し跡也と。
:様似から海辺川沿いに日高幌別川へ抜けたところあたりの記述と思われる.現在でも「トメナ川」・「オロマップ(ヲロヲマフか?)」などの地名が残る.
(サンナイ金銀鑛)*1
東蝦夷日誌に曰く「サ子ナイ」,本名「サンナイ」にて下る義なり.兩山峻しく水急なり.「サ子ナイ」幷に「ウクシナイ」兩山間より「シヤコタン」川筋へ越ゆるヿを得.此川筋金銀鑛ありと云ふ.
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*1:(サンナイ金銀鑛):不詳
(キヨベ銅鑛)(渡島國)
加模西葛社加風説考*1に曰く,「マツマエ」*2西方「アカガミ」*3の西に「キヨベ」*4と云ふ處に銅山ありと.
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*1:加模西葛社加風説考=加摸西葛杜加国風説考;赤蝦夷風説考の写本にしばしばつけられている書名.
*2:「マツマエ」:北海道松前郡松前町.
*3:「アカガミ」:北海道松前郡松前町赤神.
*4:「キヨベ」:北海道松前郡松前町清部.
(アカガミ銀鉛鑛)
蝦夷風俗言上書*1に曰く,松前城下より三里程にして「アカガミ」と云ふ處に鉛山り.
蝦夷巡覽筆記*2に曰く,「アカガミ」村端に川あり.幅二三間.當所澤を行ヿ一里位,兩丘切立木立原を行き鉛山あり.
加摸西葛社加風説考*3に曰く,「マツマエ」西の方,松前城下より三里程有之.「アカガミ」と云ふ處に鉛山あり.
蝦夷舊聞*4に曰く,赤夷風説考に曰ふ,「マツマエ」より西の方三里「アカガミ」の地に鉛山ありと.
北征日記*5に曰く,寛永八年,西部「アカガミ」より銀を出せり.
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*1:蝦夷風俗言上書:不詳.
*2:蝦夷巡覽筆記:1797(寛政九)年,松前藩士高橋壮四郎(寛光),下国才歳,南條郡平,牧田唐九郎の四名が,藩命により蝦夷地を調査して編纂した松前蝦夷地の地理書.「松前東西地理」の別名あり.(北海道大学「北方関係資料総合目録」より)
*3:加摸西葛社加風説考=加摸西葛杜加国風説考;赤蝦夷風説考の写本にしばしばつけられている書名.
*4:蝦夷舊聞:蝦夷旧聞,鈴木善教(不詳)が安政元年に著した蝦夷地に関する記載(未見).
*5:北征日記:不詳.「北征日記」と呼ばれる著書がいくつかあるようであるが,どれも非公開のため,確認できず.
(ヲボコ岳鉛鑛)
蝦夷國風俗人情沙汰*1に曰く,鉛山は「ケンニチ」村*2の奥「ヲボコ」岳*3最上なりと云ふ.先年渡島「エサシ」村*4の者掘りたる時に一ヶ年に三百箇程出來たり.
蝦夷舊聞*5に曰く,西蝦夷「ミイテ」(ケンニチ村ならん)の奥「ヲボロ」岳(ヲボコ岳ならん)に最上品の鉛を出せり.其地保山多ければ産鑛の地あるべけれとも,探索に及ばざれば知る事を得ず.
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*1:蝦夷國風俗人情沙汰=蝦夷國風俗人情之沙汰:最上徳内の著.
*2:「ケンニチ」村:「見日村(北海道二海郡八雲町熊石見日町)」を指すかと思われるが,「見日村」という表現は見あたらない.
*3:「ヲボコ」岳:雄鉾岳.
*4:「エサシ」村:北海道檜山郡江差町.
*5:蝦夷舊聞:蝦夷旧聞,鈴木善教(不詳)が安政元年に著した蝦夷地に関する記載(未見).
(ヤマコシ鉛鑛)*1
東蝦夷日誌に曰く,「ハンケルヘシベ」(膽振国),今は鉛川と云へり.安永年間,鉛を掘しに山崩して死人多し.故に廢坑となりし由.然るに又た,吉岡某等開坑を思ひ立ち盛に掘出せしと云ふ.
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*1:(ヤマコシ鉛鑛):記述からはのちの「八雲鉱山」かと思われる.
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