2010年11月29日月曜日

バージョンアップって

 
 最近,愛機Macの調子が今ひとつだったので,どうせならと思い,レパード(OS 10.5)からスノーレパード(OS 10.6)に入れ替えました.
 メモリ管理もよくなっているという話だったので.

 一時的に動作は安定しましたが,すぐに,鈍くなりました.

 アクティビティ・モニタで観察していると,どうやら,ブラウザとウィルス・ワクチンソフトでほぼメモリを食い尽くしている様子.
 ほかのソフトを立ち上げようとすると,メモリ不足になり,邪魔をするんですね.
 ネットでいろいろ調べながら,ワープロで記録なんて,単純なことがやりにくくなってきた.
 画像ソフトなんか立ち上げると,しばしば立ち止まります.

 なんだかなあ

 OSをバージョンアップすると,アプリが(未対応で)使えなくなり,アプリをバージョンアップするとメモリが足りないと不平を言う.
 やっぱ,OSのver. up.なんて,するモンじゃあないのかな.

 それにしても,レパードからスノーレパードなんて,ただのバグアップだと思っていたら,相変わらず,インストール時からアクセス権の不備があり,これは修正ができません.
 なんなのこれ.意味ないじゃん.

 そのくせ,64ビット化とかで,新しいアプリはメモリをたくさん要求するし,インストールに必要なディスク容量も倍々ゲームで増えてゆく.データファイルも共通ではなく,しょうがないので書き換えると,ファイルサイズが三倍近くに一挙に増える.
 軽い動作のver. upを売り物にするアプリメーカーはないものでしょうかね.

 タイムマシンはやたら動きが活発になり,毎回Gバイト単位でバックアップやってるので,当分のあいだ持つだろうと踏んでいたバックアップ用の外付けHDもすぐに一杯になりそう….

 えーい.こうなったら,新しいマックを….
 あ,メーカの思うつぼだ(^^;

 

2010年11月6日土曜日

マラリア

 
 北海道におけるマラリア発生数(明治43~大正2年)

年度        人口        患者数        死亡者数        人口対患者数(%)
大正 二        1,803,181        6,440        9        0.357
大正 一        1,739,099        9,794        2        0.563
明治四四        1,667,593        12,559        14        0.753
明治四三        1,610,545        11,748        48        0.357

(西島浩,1967「北海道開拓と虫害(二)」より)



 一時期,「地球温暖化が起きると,日本でもマラリアなど南方の伝染病が流行るであろう」というキャンペーンがありました.最近はあまり聴きませんけどね.

 この話は,なにかおかしいな.と,思っていたのですけど,この資料を見つけました(実際には,数年前に見つけていたんですが,その後,入院したりなんだりで,失念してたヤツです).
 この記録によると,明治末期から大正にかけて,北海道の開拓が本格的に始まった時期ですが,死者が出るほどマラリアが流行っていました.
 もちろんこれは,公式な記録がとられ始めてからのものということで,実際には,明治の初めから発症の記録があるそうです.
 媒体であるハマダラカは北海道の気候に適応して生きていたということが記録されています.当時の北海道は,現在よりはるかに寒かったのにもかかわらず.


 北海道におけるマラリア発生数(昭和22~38年)

年度 患者数 罹患率 死者数 死亡率(%)
昭和
38        1        0.0        1        0.0
37        -        -        -        -
36        -        -        -        -
35        -        -        -        -
34        -        -        -        -
33        -        -        -        -
32        4        0.1        2        0.0
31        17        0.4        1        0.0
30        9        0.2        -        -
29        12        0.3        -        -
28        5        0.1        3        0.1
27        7        0.2        1        0.0
26        21        0.5        2        0.0
25        18        0.4        2        0.0
24        47        1.1        3        0.1
23        111        2.8        6        0.1
22        186        7.4        11        0.3

(西島浩,1967「北海道開拓と虫害(二)」より)



 別表ですが,昭和に入ってからも,北海道ではマラリアによる死者があったということです.昭和28年はわたしが生まれた年ですが,この頃になっても,まだ死者がいました(@_@;).
 この間,いま売れっ子である「戦場カメラマン」がいってましたが,現在の日本にはマラリアを治療できる施設がないそうです.たった半世紀でそうなってしまった.

 昭和32年以降は死者が記録されていませんので,この頃になってようやくマラリアの恐怖から脱したということになります.意外と最近まで,マラリアは流行っていたんですね.
 日本で,マラリアが流行しないのは,流行源であるハマダラカが生息しにくい環境を作りあげてきたためで,沼地・藪などを放っておけば,(別に温暖化などなくても)流行しているはずだということです.気温には関係がない.
 いまだに,不勉強なマスコミ関係者がポロッと「温暖化が進むと日本でもマラリアが流行る」などと平気でいってるのを聴きますが,歴史は「それはウソだ」ということを教えてくれています.

 なお,昭和38年に死者が一名出ているのは,敗戦後の南方からの復員兵であり,例外です.

 

2010年11月4日木曜日

旭川市長選

 
 まことにつまらない話題ですが,旭川市長選が始まりました.

 「アイディア園長>アイディア市長?」で触れたようなことにはなりませんでした.
 小菅さんが立候補を取りやめたのです.

 先日,「広報」が配布され,「公約」なるものが一般公開されました.
 候補者は政治屋と業者という,まことにつまらない争いになりました.
 期待していただけに,反動で興味が全くなくなりました.
 少しは文化的な街になるかなという期待を持っていたのですが,また同じです.
 同じでは,この街は後退するばかりということが,政治屋と業者にはわからないようで.


 小菅さんが立候補を取りやめたのは,(本当のところはわかりませんが)ja民党の影がちらほらし,市民を基盤とした運動にならなかったからだともいわれています.
 そら,そうだわなァ.
 「文芸復興」を看板に掲げてくれれば,全面的に協力できるけど(わたしの協力があっても,意味ないか(^^;),背後にja民党の影があったら,小菅という人物は,ただの「人寄せパンダ」だものなあ.


 市長選が終わるまでは,広報をとっておこうと別にしておいたのですが,いつの間にか古新聞と一緒になってました(象徴的).
 そうだわな. “公約”らしきものが,書いてないもの.

 ないに等しい業績を強調する人と,“公約”というものがわかってない人と,相変わらずの「あれもやります.これもやります」タイプと….
 不毛の選択というヤツですね.


 ところで,首長の「育児休暇」が流行ってるとか.
 いいなあ.長女が生まれたとき,上司に育児休暇のことを話したら,無視された.してみると,首長というのは,田舎町の学芸員より「必要ないもの」なのですかねェ(時代もありますけどね).
 そうだろうなあ.日本では,いろんなレベルで,お役所公務員が“優秀”だから,首長が首長らしいことをやる機会なんて,ほとんどないですモンね.


 もっと必要ないのが,市町村議会の議員ですね.
 なにしてるかわからない無駄の最たるもの(市政のダニとまではいいませんが).
 ボランティアの町内会長で十分代用がきくと思いますね(議会開催時の日当だけ払えばよい).
 全面廃止がいいと思いますが,即刻半数に減らしてもかまわないでしょう.

 ああ.つまらないことを書いてしまった(-_-;

 

2010年11月1日月曜日

小山内煕さん pt. II

 
小山内煕さんの業績リスト(とりあえず,ネット上で検索できるものと,北大関係だけです)

1950:
小山内煕(1950MS) 胆振国洞爺湖西部及び西南部の地質.北大理地進論,262号.
日高進・澁谷五郎・森脇孝洋・小山内煕・秋葉力・山田與ニ(1950)洞爺湖周辺の地質.新生代の研究,(2): 23.

1951年卒業
小山内煕(1951MS) 石狩国樺戸山地東部周縁の地質.北大理地卒論,号.

1951:
小山内煕(1951)石狩国樺戸山地東部周縁の第三系.地質学雑誌,57(670): p. 281.

1952:
長尾捨一・小山内熙・ 酒匂純俊(1952)石狩国上川郡南富良野村・金山鹿越および幾寅附近の石灰石鉱床.北海道地下資源調査資料,(4): 1-14.
斉藤昌之・小山内煕(1952)西南北海道東部地域の地質(第1報 登別泥流についての2,3の問題).北地要報,20号,1-6頁.

1953:
小山内熙・酒匂純俊(1953)五万分の一地質図幅「室蘭」および同説明書.札幌-第69号,北海道立地下資源調査所.

1954:
長尾捨一・小山内煕・酒匂純俊(1954)五万分の一地質図幅「大夕張[石狩鹿島]」および同説明書.札幌-第24号,北海道開発庁.
小山内煕(1954)五万分の一地質図幅「稚内」および同説明書.旭川-第3号,北海道立地下資源調査所.
斎藤昌之・小山内熙・酒匂純俊(1954)五万分の一地質図幅「登別温泉」および同説明書.札幌-第61号,北海道立地下資源調査所.
勝井義雄・石川俊夫・鈴木淑夫・秋葉力・酒匂純俊・小山内熙・木崎甲子郎(1954) 大雪火山熔岩の岩石学的特性(講演要旨).地質学雑誌,60: 320.
柴田松太郎・小山内煕・藤江 力・松井 愈・三谷勝利(1954)天北炭田・知来別川上流における宗谷爽炭層と鬼志別層との関係についての一観察ー炭田における海成層と非海成層の関係についての考察.新生代の研究,(19): 360-366.

1955:
酒匂純俊・小山内熙(1955)五万分の一地質図幅「下川」および同説明書.網走-第12号,北海道開発庁.

1956:
小山内煕・杉本良也・北川芳男(1956)五万分の一地質図幅「札幌」および同説明書.札幌-第21号.北海道地下資源調査所.
長尾捨一・小山内熙・三谷勝利(1956)金山炭田調査報告.北海道地下資源調査資料.(19): 1-30.

1957:
小山内熙・三谷勝利・石山昭三(1957)五万分の一地質図幅「知来別」および同説明書.旭川-第5号,北海道開発庁.

1958:
小山内煕・長尾捨一・三谷勝利・長谷川潔・橋本亘(1958)五万分の一地質図幅「石狩金山」および同説明書.札幌-第25号,北海道開発庁.
三谷勝利・小山内煕・橋本亘(1958)五万分の一地質図幅「足寄太」および同説明書.釧路-第19号,北海道開発庁.

1959:
小山内熙・三谷勝利・北川芳男(1959)五万分の一地質図幅「宗谷・宗谷岬」および同説明書.旭川-第4号・第1号,北海道立地下資源調査所.
長尾捨一・小山内煕・石山昭三(1959)五万分の一地質図幅「恵庭」および同説明書.北海道開発庁,31p.
小山内熙・武田裕幸・石山昭三(1959)北見国中頓別町の石灰石.北海道地下資源調査資料.(55):27-38.
小山内煕・松下勝秀(1959)日高山脈西縁の白堊系.1 双珠別・千呂露・シビチャリ地域の白堊系の層序.北海道地下資源調査所報告,(21): 17-28.
長尾捨一・小山内熙(1959)勇知油田調査報告.地下資源調査所報告,(21):42-45.
小山内熙(1959)枝幸町管内の石灰岩.地下資源調査所報告,(21): 59-60.
酒匂純俊・藤原哲夫・松下勝秀・小山内熙・斎藤昌之・武田裕幸(1959)士別市の地質と地下資源.地下資源調査所報告,(21): 065-094

1960:
小山内熙・松下勝秀(1960)日高山脈西縁の白亜系 2右左府,糠平川,新冠川,宿主別川,イドンナップ川,アブカサンベ沢,高見,三石,鳧舞川地域の白亜系の層序. 地下資源調査所報告,(24): 19-37.
小山内熙・三谷勝利・高橋功二(1960)五万分の一地質図幅「共和」および同説明書.旭川-第26号,北海道開発庁.
小山内煕(1960)美瑛町白金温泉付近地質調査報告.地下資源調査所報告,(24): 67-72.
長尾捨一・小山内熙・三谷勝利・斎藤尚志(1960)奥尻島ホヤ石川支流の石炭地下資源調査所報告,(24): 74-74.

1961:
小山内煕(1961MS)日高山脈西縁に発達する蝦夷層群の研究 : 特に堆積相・表質構造の考察.北海道大学理学部,博士論文4029.
橋本誠二・鈴木守・小山内煕(1961)五万分の一地質図幅「幌尻岳」および同説明書.釧路-第50号,北海道立地下資源調査所.
小山内熙・三谷勝利・松下勝秀(1961)五万分の一地質図幅「厚岸」および同説明書」.北海道立地下資源調査所.
鈴木守・小山内煕・松井公平・渡辺順(1961)五万分の一地質図幅「イドンナップ岳」および同説明書.釧路-第56号,北海道開発庁.
小山内熙・松下勝秀(1961)日高山脈西縁の白亜系3 堆積相の考察・地質構造・総括.地下資源調査所報告, (25): 79-107.
長谷川潔・小山内熙・鈴木守・松下勝秀(1961)北海道中軸地帯の先エゾ層群-地層区分の提案-.地下資源調査所報告, (25): 108-115.
小山内熙(1961)三石町三石川の石灰石鉱床.地下資源調査所報告,(25): 158-158.
小山内熙(1961)浦河町春別川の石灰石鉱床.地下資源調査所報告,(25): 158-159.

1962:
三谷勝利・斉藤尚志・小山内熙(1962)増幌背斜-天北油田北部-地域の石油および天然ガス.北海道地下資源調査資料.(79): 1-16.
酒匂純俊・小山内煕(1962)五万分の一地質図幅「千呂露[千栄]」および同説明書.釧路-第40号,北海道立地下資源調査所.
小山内熙・早川福利・大井戸恭(1962)幌別川工業用水ダム地点地質調査報告.地下資源調査所報告, (27): 49-60.

1963:
小山内煕・三谷勝利・石山昭三・松下勝秀(1963)五万分の一地質図幅「中頓別」および同説明書.北海道開発庁, 58p.
三谷勝利・斉藤尚志・松下勝秀・小山内熙(1963)増幌川源流および南部-天北油田北部-地域の石油および天然ガス.北海道地下資源調査資料,(88): 1-18.
松下勝秀・小山内熙・鈴木 守(1963)北海道爾志郡乙部村字豊浜に発生した『地すべり』について-豊浜地すべりの地質的考察-.地下資源調査所報告, (31): 31-40.
小山内熙・斎藤尚志・石山昭三(1963)遠別町の天然ガスおよび温泉.地下資源調査所報告, (31): 58.
土居繁雄・小山内 熙・松下勝秀(1963)美深町の地質.美深町,35p.

1964:
小山内煕・斎藤尚志・石山昭三(1964)遠別町の天然ガスについて.地下資源調査所報告,(32): 63-70.
小山内熙・石山昭三(1964)穂別町福山の石灰石.地下資源調査所報告, (32): 78-79.

1965:
小山内熙・庄谷幸夫(1965)五万分の一地質図幅「恩根内」および同説明書.旭川-第27号,北海道開発庁.
小山内煕・石山昭三・松下勝秀(1965)上富良野町十勝岳温泉について.地下資源調査所報告,(34): 53-58.
三谷勝利・小山内煕・松下勝秀・鈴木守(1965)五万分の1地質図幅「函館」および同説明書.32p,北海道立地下資源調査所.

1966:
斎藤尚志・内田豊・小山内煕・石山昭三・竹林 勇・鈴木豊重(1966)遠別町の天然ガスについて (第2報) -旭地区のボーリングおよびその結果-.地下資源調査所報告35,北海道立地下資源調査所.

1967:
小山内煕・石山昭三・松下勝秀・三谷勝利・高橋功二(1967)石狩炭田南部穂別炭鉱地域の地質.北海道地下資源調査資料, 109号,1-18.
酒匂純俊・小山内煕・松下勝秀・金山喆祐(1967)五万分の一地質図幅「落合」および同説明書.札幌-第28号,北海道開発庁.
松下勝秀・平田一三・小山内煕・石山昭三(1967)五万分の一地質図幅「標津・野付崎」および同説明書.網走-第63・64号,北海道立地下資源調査所.

1968:
小山内煕・酒匂純俊・松井公平・松下勝秀(1968)五万分の一地質図幅「西達布」および同説明書.釧路-第15号,北海道開発庁.

1969:
小山内熙・三谷勝利・松下勝秀・石山昭三(1969)留萌炭田住吉炭鉱地域の地質.北海道地下資源調査資料,(117): 19-27.

1970:
小山内煕・松下勝秀・長尾捨一(1970)五万分の一地質図幅「士別」および同説明書.旭川-第36号,北海道立地下資源調査所.

1971:
高橋功二・小山内熙・松下勝秀・三谷勝利・中村耕二(1971)五万分の一地質図幅「蕗之台」および同説明書.旭川-第31号,北海道開発庁.

1972:
松下勝秀・藤田郁男・小山内煕(1972)札幌・苫小牧低地帯およびその周辺山地の形成過程.地質学論集 (7): 13-26.

1973:
小山内煕ほか(1973)八雲町の地質.八雲町(→1974).

1974:
小山内煕・鈴木守・松下勝秀・高橋功二・山岸宏光・山口久之助・国府谷盛明・寺島克之・横山英二(1974)八雲町の地質.八雲町,75頁.
小山内煕, 長谷川潔(1974)札幌ー定山渓地質案内 : 地質巡検案内書.日本地質学会北海道支部,32頁.

1977:
松下勝秀・寺島克之・小山内煕(1977)五万分の一地質図幅「剣淵」および同説明書.旭川-第40号,北海道立地下資源調査所.

1978:
長谷川潔・小山内煕 (1978)国富ー定山渓地域の地質と鉱床ー地質構造発達史を中心として—.北海道立地下資源調査所調査研究報告,5: 1-37.