●オキナイ石炭
(地名)
天鹽國ルヽモプペ郡サントマリ村*1ヲビラシベッ川上*2オキナイ*3
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*1:サントマリ村:三泊村(留萌郡三泊村:留萌村と合併して消滅.一部は小平蘂村(現:小平町)として独立.)
*2:ヲビラシベッ川:小平蘂川.
*3:オキナイ:沖内(現在の留萌郡小平町沖内)
(鑛山實況)
「ヲビラシベッ」を遡るヿ七里餘にして,字「カムイハッタリ」*1に炭層有り.發見人詳ならず.
維新前,マシケ商人・八川喜七なる者試掘し,中途にて廢坑.
維新後,山口縣人某,試掘するも是亦廢坑し,其後「オタル」の人・大竹作右衛門,炭質良好の由を聞き,明治十六年七月中,同所へ出張し,拾名にて河舟二艘を仕立て「ヲビラシベッ」を遡り,三日目に漸く「カムイハッタリ」へ着し,實験せしに,炭層數ヶ所露出し,炭質も亦善しく見へたるに付,立戻り再ひ炭礦に馴れたる者を雇ひ,仝年八月中出張し,再び「カムイハッタリ」え出張し,三日間仝所に滞在し,取調たるに,炭質は宜けれとも多くは断層にて見込無く,大に落膽し,歸路川筋の兩岸に所々露出有り.數層の内,尚緻蜜の調査を遂けなば,必す良層有る見込にて,右近傍七日間調査したるに,小層は所々あれとも其幅薄く,翌十七年六月,復仝所へ出張し,先きの人夫を雇ひ,十三日間所々を探討せしに,「ヲピラシベッ」の支流「ヲキナイ」川上にて(海岸を去る六里程)漸く良礦を發見せしに付,仝年八月中試掘を出願し,仝十八年一月十三日を以て工部卿より許可になれり.
仝年六月より川筋幷に道路普請等に着手し,最初の見込と違ひ炭質柔軟,且降雪に會ひ引上けたり.
翌十九年三月中,試掘延期出願す.七月中,川上を数日間探索せしに,漸く當時の炭層に當り,仝年十二月,借區壹万坪を願ひ,仝二十年二月廿五日,許可を得たり.
仝年,雪消の後,道廳鑛山係より地質調査として同山え出張し,調査済の上,同年九月より着手せしに,河筋道路破損幷に坑内水害等,非常の困難を來し,其上降雪に際し巳を得ず同年十二月中より休業,二十一年五月より着手.
先づ川筋大破の道路普請に取掛り,未た實地坑業に着手せず.
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*1:「カムイハッタリ」:kamuy-hattari(魔神/神の淵).現在の「おびらしべ湖」から見える天狗山の麓にある「天狗の滝」あたりを云うらしい.天狗山の西麓には「小平夾炭層」が分布する.
●舊記
開拓使事業報告に曰く,天盬國マシケ郡ショカムベッ*1,ルヽモペ郡「ユフトロップ」,「ノホリケシヨマ」*2等,炭脉あれとも質甚た不良にして,且運輸便ならす.開採するに足らす.
ルヽモペ郡「オヘラシベツ」*3の脉は堅鈚東南東に登り,三十度の斜勢あり.層厚さ一丈二尺,幅七尺.分析左(下)の如し.
(表135)
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*1:天盬國マシケ郡ショカムベッ:暑寒別(現:増毛町暑寒別)
*2:ルヽモペ郡「ユフトロップ」,「ノホリケシヨマ」:ルヽモペ郡は留萌郡であるが,「ユフトロップ」,「ノホリケシヨマ」は不詳.
*3:ルヽモペ郡「オヘラシベツ」:「小平蘂」と思われるが,同じ章で語句表現が異なるのは不明.
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