アイヌの伝説と火山(1)
駒ヶ岳噴火
噴火湾の人々
室蘭の岬の絵鞆部落(エトモコタン)に男三人,女三人の兄弟がいたが,生活が苦しいので噴火湾の対岸に移ろうと,ルクチ岳*を日当てにして舟を漕いでいると,突然に駒ヶ岳が爆発し,噴出した軽石が海上に浮んで,舟を動かすことができなくなってしまった.
(八雲・椎久トイタレケ翁伝)
(更科源蔵「アイヌ伝説集」)
このあと話は続き,鯱神を呼んで助けてもらい,舟は訓縫と黒岩の間に着き,その後この人たちの子孫は「岬の族(エンルムウタラ)」と呼ばれ長万部や瀬棚の方まで広がって繁栄したといいます.
でも,その話はわれわれには関係が無いので,駒ヶ岳噴火に集中します.
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北海道駒ヶ岳は3万年前より以前に活動を開始した.駒ヶ岳溶岩噴出後,3~4万年前頃に駒ヶ岳岩屑なだれが生じた.その後,2万年以上の休止期をおいて,約6000年前に降下火砕物と火砕流が噴出し,再び500年余りの休止期をおいて,約5500年前に降下火砕物と火砕流(Ko-f)が噴出した.更に5100年余りの長い休止期の後,江戸時代になって火山活動が再開した(宝田・吉本,1998).
気象庁HPより
この話が3~4万年前のものとは思えないので,約6000年前からこちらの話なのでしょう.またアイヌの一族が世代を越えて繁栄したというのですから,明治以降も除外してもよいでしょう.
そうすると,可能性のあるのは...,
1640(寛永十七)年 大噴火:山体崩壊.津波発生.
1694(元禄七)年 大噴火:軽石降下.火砕流発生.
1856(安政三)年 大噴火:軽石降下.火砕流発生.
くらいでしょうか...
このうち,長期間の休止期を破って起こした噴火は山体崩壊を伴った大噴火となっています.岩屑なだれが起き,内浦湾では津波が発生(この時七百余名が溺死と伝えられる)していますから,舟で絵鞆から黒岩あたりに渡ることは不可能かと思われます.
そうすると,元禄の噴火,あるいは安政の噴火ということになりますが,安政三(1856)年から,世代を越えて各地に繁栄したというのも考えにくいですね.つまるところ,この伝承ができたのは元禄の大噴火のときということになりましょうか....
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*ルクチ岳:現在の八雲町黒岩は,昔はルクチと呼ばれていたらしい.その海岸に黒い岩があり,アイヌは「クンネ・シュマ(黒い岩)」と呼び「シュマ・カムイ(石神)」として崇めていたらしい.それで和人はこのあたりを「黒岩」と呼んだのだそうだ.
ところで,現在「ルクチ岳」と呼ばれる山はない.「ルコツ岳」がそうだという説があるが,「ルコツ」は「道のある沢」という意味で山の名ではないという(更科源蔵,1982).そうすると,この話の当時,その山が「ルクチ岳」と呼ばれていたというこの話には疑問が生じるが,詳細は不明である.
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