いま.ブラキストンについての原稿(蝦夷地質学外伝)を書いている最中です.
ブラキストンの資料にジョン=B.=ウイルのことがでていました.「ウイル船長回想録」(杉野目康子,1989訳;道新選書)のことは,以前から知っていましたが,一時入手しようとした時に「品切れ」もしくは「絶版」ということで,放棄していたものです.ブラキストンについて書くに当り,一度読んでおく必要があるかと,市立図書館から取り寄せました.
読んでみてびっくり,少年時代に夢中で呼んだ冒険小説のような内容です.これなら,子供たちが夢中になれるビデオ=ゲームのあらすじとしても使えるかも知れない.惜しむらくは,訳者が女性なので,言葉がやわらかく,海の男の回想録としては,いまいち乗りきれません.いえ,決して訳が下手なわけではありません.もうちょっと,べらんめえ調の方が,楽しめるかと思うだけです.
それにしても,メルビルの「白鯨」のような世界が,函館を舞台にごく身近にあったことに驚きました.そして,残念なことにこの本はすでに「絶版扱い」で,入手不可能なのです.
上海から箱館へ,ブラキストン大尉を運んだのは,このウイル船長(当時は水夫)がスタッフを務めるエバ号でした.数ヶ月後,ブラキストンを上海まで連れて返り,翌々年には,二等航海士として,アキンド号でブラキストンのために製材機器を箱館まで運びました.
ウイル船長は,主にブラキストン&マール社やその親会社である西太平洋商会で働いていたため,箱館で起きた事件を克明に記録しています.箱館海戦で甲鉄艦が発射した大砲の弾が,ブラキストン邸の窓から飛び込み,居間を横切って食堂を通過し,家を飛びだして,牛の飼葉桶を粉砕した話や,それでも平然と食事をしていたブラキストンを活写しています.
また,数年後,ウイル船長が座礁した船を救出に来た時に,箱館戦争の一方の雄であった榎本提督に出会い,手助けをしてもらった話など,興味深いエピソードが満載です.ウイル船長はこの時に青函連絡船の前身ともいえる定期航路についていたのですが,こちらの仕事は,黒田清隆配下の役人に邪魔されて,撤退せざるを得なかったのに,榎本は積極的にウイル船長を援助しているのが面白い.
ただし,このエピソードはこれまでしられている榎本武揚の蝦夷地巡検の行程とは矛盾することがすでに指摘されています.
とにかく,この本を入手しない手はない.
さっそく,古書店に手配しました.
北海道新聞さん.この本を復刊してください.儲けるためだけではなく,文化のためにやってんでしょ.出版業を.
0 件のコメント:
コメントを投稿