2011年4月14日木曜日

「地震予知,やめるべき」

 
 今日のニュースで,東大教授が「日本政府は不毛な地震予知を即刻やめるべき」という論文を「ネイチャーに掲載した」とやってました.

 東大教授がそんなことをいうわけはないから,「誤報だろう」と思って記事を見ると,なんだ,外国人教授でした.それならば,あり得る.

 「なぜ,地震予知が必要なのか」ということは,若い頃からの疑問でした.

 「プレートテクトニクスの研究をすれば,地震予知が可能になる」ということで,地球科学者はたくさんの研究費をゲットしました.いまもしていますね.
 あれから,30年も経ちますが,いまだに地震予知ができるどころか,その方法論も見えてきていない.
 できたことといえば,たとえば,“ある地域で,今後30年以内に,震度6以上の地震が起きる確率は何%”とかいうもの.こういう人は,「何%」とかいう数字をだせば“科学的”と,信じているらしい.これを出してから,数年経っていますが,当たっているかどうかは疑問.
 もちろん,「予知」なんかとは,ほど遠いしろもの.

 もうひとつは,地震が起きたあとに,初期微動をとらえて,「地震速報」として出すもの.これは,実際に起きてますから,評価の誤差はあるにしても,つまり,大きさの誤差もあるものの,いずれ揺れます.でも,これは「予知」じゃあない.すでに地震は起きてますから.
 それに,このシステムが有効だったかどうかは,疑問でしょう.原発は壊れたし.


 我が師,湊正雄北大名誉教授は「地震予知の研究などするより,打たれ強い国をつくることが必要だ」と,いっていました.
 何が起きても,犠牲を最小限にするシステム.二次災害を防ぐシステム.災害のあと,周囲から援助がとどくまで,相互に助け合う国民性の養成.被害が少なかった地域から,すぐに援助できるシステム.
 ま,軍隊よりも,災害救助隊をつくっておけば,かなり有効だったはずですけどね.

 湊先生は,プレート論者でなかったためか,こういう国家作りがおこなわれたという話は無いようです.

 地震予知ができるという傲り.地震や津波を理解しているという傲り.そういう傲りは,日本列島の海岸のあちこちに,原子力発電所を建設することを養護しました.「巨大地震や巨大津波は想定外」といいわけしますが,「地震や津波に上限がある」なんて,だれがいったのでしょうね.

 二次災害を引き起こすであろう「原発」を許したのは,「地震予知ができるという傲り.地震や津波を理解しているという傲り」です.

 「安全だ教」は,「安全だ.安全だ」と唱えていれば「安全になる」というものらしいですが,そんなものは幻想だった.
 この一ヶ月で,「安全だ教」は「安全ではなかった」ことが,理解できたと思いますけど,教祖である「電源会社」や,幹部である「政治屋・お役人(なんとか安全院?)」や,布教員である「T-大教授.T-工大教授」は,まだまだ生き延びるようです.しぶといね.
 ゲラー教授は…干されるだろうな….

 ゲラー教授の論文が見られるサイトを教えていただきました.(4/15:追加)
 

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