2017年6月22日木曜日

アイヌの伝説と火山(4)

アイヌの伝説と火山(4)
大雪山

大雪山の伝説
大雪山*には、昔から非常に偉い神様が住んでいて、石狩アイヌの上に何か危険なことが起きかけると、人間の姿になって現われて救ってもくれた。
この神様は大雪山附近に住みついて、山に火を噴かせる魔神などを押えていてくれたので、魔神はここをのがれて、美瑛川の上流地域にかくれているから、美瑛川上へ行ってはならないと伝えられている。
大雪山の山腹に、赤く焼け土の現われているところは、神様の遊び場といって、天の雷神が来て休むために、あたりが焼けて赤くなったのであるという。
(近江正一「伝説の旭川及びその附近)*
更科源蔵「アイヌの伝説集」より
*この一節は,更科源蔵は近江(1931)から引用したように記しているが,
近江(1931)には以下のように書かれている

由来ヌタツプカムシュペというのは石狩国中に二個所あって一は大雪山系を指し(中略)ヌタツプといふのは川がうねり続いてゐる所に突き出てゐる所の義で石狩川の長流が幾筋となくうねつて居る所に高く突出してゐるからであらう.夏シヤモ**(和人)が見ても見られる筈であるがヌタツプ山腹に赤く禿げた所が一面にある。此処をアイヌはカムイミンダラ***と云ってゐる.カムイは神ミンダラは遊ぶ所,カムイミンダラで神の遊ぶ場所といふ意味となる.アイヌウタリ****は物凄く響く雷鳴を屢々聴いて雷が暫らく此処で休むのであると考へたのであるさうだ.それでアイヌは来客が腰を下ろして話をする鴨居を称してミンダラと呼んでゐる.
× × ×
ヌタツプカムシユペには山のカムイ(熊)の大将が凄んで居る.其の大将は石狩アイヌの危急な場合には必らず人の姿に化けて彼等を救ひに来てくれる.胆振の樽前山のやうに火を噴いても焼け石やら山崩れのしないやうに其の大将は常に石狩アイヌを守護して火を噴く悪魔を征服して居てくれる.それでも火を噴く悪魔は石狩アイヌを亡ぼさうと思ってゐるので美瑛川の上流にホンペといふ所があるが其處から上方には行かれなかったものであると云ふ。(後略)
近江正一(1931)

 有珠や駒ヶ岳には噴火のことが詳細に記されていますが,大雪山にはそれがありません.ただ,火を噴く山であるらしいことや,山腹が焼けた裸地であることが記されています.現在も噴気があるほかは,有史以降の火山活動の記録はなく,アイヌも見たことがないのかも知れません.
 野口・和田(1998)は,大雪火山の形成史を「前カルデラ期」,「カルデラ期」,「後カルデラ期」の三つにわけています.さらに細分もしていますが,ここでは触れません.要するに大雪火山は,基本は一つのカルデラなわけで,これは「お鉢平カルデラ」と呼ばれています.現在活動しているのは後カルデラ期の火山群というわけですね.
 後カルデラ期:約3万年前から現在へ.お鉢平を取り巻く火山群が活動した.
 カルデラ期:約3万年前.お鉢平カルデラが形成された.
 前カルデラ期:約100万年前~3万年前.たくさんの成層火山が形成された.

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* 大雪山:「大雪山」という名称は,和人が後代に与えたもの.アイヌは近江(1931)が示すように「ヌタップカムシュペ(nutap-ka-us-pe;ヌタプ・カ・ウシ・ペ:由良,2004)」と呼んでいた.nutapは川の流れが蛇行し取り囲んでできた「袋地」のこと.全体の意味は「ヌタプの上にいつも居るもの」で,石狩川が取り囲んでいる“大雪山系”の形状を意味していた.もっぱら和人の都合で大正末期に「大雪山」と書きかえられたものである.
** シヤモ:sí-sam(しさむ)=①隣国,②隣国人,異人,③日本人(知里,1956).
*** カムイミンダラ:kamuy-mintar(かむぃみんたる)=①熊の遊び場,②古くは山上の祭場をさしたらしい(知里,1956).
**** アイヌウタリ:aynu(あぃぬ)=人,男(知里,1956).utar, utari(ウタル,ウタリ)=同族,人々(不詳).地域によって微妙に使い方が異なるが,aynuは「(神に対する)人」),utariは「同族,仲間,親戚」のように使い分けているようだ.


愛別サン山の神
石北本線愛別にある愛別川の奥にサンという山がある。この山には昔からサン・コロ・カムイという神様がいて、病魔などが来ると一喝のもとに追い払う力を持っていて、天然痘の流行して来たときには、川下の人々は皆この山より川上に逃げると、サン・コロ・カムイが途中で疱瘡神を喰い止めてくれるので、それ以上人間を追って来な(い)といって、この附近の人々はこのサン・コロ・カムイを徳として、祭りや願い事に酒をつくると,必ずこの山にも酒をあげるのをならわしとしていた。
(川村ムイサシマツフチ伝)
更科源蔵「アイヌの伝説集」より

 「サン」(和名:石垣山)という山は,国道39号線を旭川から層雲峡方面へ向かうときに,中愛別付近の直線道路を進行中に,右手に見える平坦な山がそれです.見事な柱状節理が石垣様に見え,まさに石垣山ですね.
 しかし,これは和人の見方.アイヌは山の形状を重視し「サン」と名づけました.そこに「神がいる」というわけです.当時のアイヌの心情を推し量ることは困難ですが,なぜここに神がいるのか,少し考えてみます.「疱瘡神」が出てくるということは,これは和人との交流は起きてはいますが,まだ和人がそれほど多くはなく,また奥地にも入ってきていない時代と思われますね.このころ,和人が持ち込む流行病とくに天然痘は,免疫のないアイヌ達にとっては,部落一つが全滅するほどの恐ろしい病気でした.まさに「別の神でしか食い止めることが出来ない」恐ろしい「悪神」の仕業と映ったわけですね.部落に感染者がでた場合,速やかにコタンを放棄して逃げるしかなかったわけです.そうして,石狩川沿いに奥地へと逃げると,逃げられるのは感染していない元気な人間だけですから,上流部に逃げた人間達は無事であった.「なぜか?」と考えたら,「善神の仕業にちがいない」,それであたりを見渡すと,いかにも神のいそうな,悪神を防いでくれそうな「石垣の山」があった....というわけではないかと想像するわけです.サンには神がいるのに違いない.そんなことから「サンコロカムイ」は生まれたのではないか,などと((^^;).
 又,この石垣山の柱状節理には「洞窟」があり,江戸時代に間宮林蔵や松浦武四郎が野宿したとして有名です.

 さて,地質学的には「石垣山」の本体は,東山熔岩(藤原・庄谷,1964)と命名されています.
 地質図幅調査時は一括して平坦熔岩と呼ばれるものの一部として鮮新世の活動とみなされていましたが,1980年代末期になって,地域によって活動時期や岩石の性質が異なることが示され,石垣山の東山熔岩を含む米飯山熔岩は中~後期中新世の火山活動であると見直されました(渡辺・山口,1988).
 たぶん,北見グリンタフ地域の周辺部に当たり,グリンタフ活動末期の火山活動の一部なのでしょう.これが引きつづき第四紀に入って北東北海道の現世火山に繋がってゆくわけですね.もちろん,大雪山や十勝岳をつくるたくさんの活火山がこれに入ります.

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*サン・コロ・カムイ:san-kor-kamuy=サンを-支配する-神.アイヌは,現愛別町の石垣山を「サン(san)」と呼んでいた.san, saniは①坂,②出崎,③棚;棚のような平山,④山から浜へ吹きおろす風,などを意味(知里,1956)し,この場合は大雪山から突きだした②出崎でも,全体の形が③棚のような平山でも,あてはまる.


層雲峡のパウチ・チャシ
大雪山の入口層雲峡*には奇岩が連なっているが、これは昔,パウチ・チャシ又はパウチカラ・コタンと呼ばれ,パウチという妖精がつくった部落で、この奇岩はパウチの砦であるというのである。
パウチ**とは,パウチカムイともいわれ,元は神々の着物をつくらすと、誰も真似のできないほど立派なものをつくる技をもっているが、元来心の良くない神様で、これに憑かれた人間は男も女も素裸になって、世界中を踊り狂って歩き、あらゆる狂態を演ずるもので、これらの一族は今も世界中を廻っていると言われている.
(名寄市日進・北風磯吉老伝)
更科源蔵「アイヌの伝説集」より

 知里(1961)は「パウチたちは,(このように)ふだんシュシュランペツの川のほとりで踊り暮しているのである」と述べています.シュシュランペツ(あるいはススランペツ)は,もともと「tusu-ram-pet(トゥスランペツ)=巫・神・川」の意味で,パウチたちは,北海道のアイヌには淫魔と思われていますが,樺太(サハリン)の古謡では巫女の意味にもちいられ.その憑神をもいう語だったといいます.
 淫魔の砦じゃあ,ちょっとなんですが,ギリシャ神話でいうエロス風の妖精だとすれば,その砦ならば,層雲峡の美しさにあうかも.
 さて,この層雲峡の奇岩は,層雲峡溶結凝灰岩(国府谷ほか,1966)と呼ばれています.これは,大雪山連峰の前身である“御鉢平火山”が約三万年前に大爆発を起こし,大量の火砕流・降下火砕物を噴出しましたが,それらが積み重なり,熱によって溶結してできたものです.元はきれいな柱状節理でしたが風化が進み,いわゆる奇岩として現代の我々の目に触れているわけです.

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* 層雲峡:「層雲峡」とは和人が和風の名前に書きかえたもの.もとは層雲峡の入り口付近にソーウンペツと呼ばれる部落があったからと思われる.現在でも「双雲別川」と呼ばれる川が流れているが,このあたりにあったものか.so-un-pets=滝-そこにある-川,の意味.それより上流がso-un-petsであるコタンで双雲別と呼ばれていたか.
** パウチ:「パウチはむしろ淫魔とか淫乱の神とか訳すべきもの」(知里,1961「えぞおばけ列伝」)

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