2018年11月5日月曜日

新石器時代と“縄文”・“弥生”時代

 以前,「蝦夷の古代史」で縄文文化や弥生文化はあっても,縄文時代とか弥生時代はないのではないか…と書きました(2008.09.14)が,それは関根達人さんの「モノから見たアイヌ文化史」(2016)に図として明示されていました(2018.06.17).

 

 これは本土の時代区分と「東北地方」と「北海道」について示した図で,しかも,“弥生時代”末期からしかありませんが,このように図示することで明確になっています(関根氏は考古学者なので古い時代が上に示されていて,地質学を基盤とするわたしにはもの凄く違和感があるのですが…(層位学の原則として,下にある地層は古く,上にある地層は新しいから).それは別として…(^^;).



 これを別な面からサーチしたのが崎谷満(2008)「DNAでたどる日本人10万年の旅」です.明確に,日本列島には沖縄と本土(とくに関西)と北海道(ときどき東北も含む)の,最低でも三つの歴史がある,としています.これを図示してくれれば,ありがたいのですが,かれは分子生物学者で,他分野との無用な軋轢は避けようとしてるのか,言葉で示しているだけです(最近は「日本はひとつ主義者」たちも五月蝿いですしね).
 崎谷氏は歴史区分を「旧石器時代」と「新石器時代」にわけたうえで(新石器時代を「縄文と弥生」時代には分けていない:つまり,日本列島に縄文文化が散在するところに大陸から弥生文化がやってきて広がっていった:なお,「縄文人」といういい方もじつはおかしい;“縄文人”には複数のグループが混在している)議論しているのでわたしとしてはスッキリ.日本の歴史には「旧石器時代があるのに新石器時代がない」という,ずっと気になっていた違和感も解消.というわけで,学校で習った(即,国定の)「日本の歴史」はチャラに.こんなことを書くと,歴史家の方から,「地質学だって第三紀と第四紀があるのに,第一紀・第二紀はどしたんだ」といわれそうですが,これには深い(不快?)ワケがあります(「北海道化石物語」(構築中断中)の「新生代」あたり参照).簡単にいってしまえば,「第一紀~第四紀」という区分は廃止して,「古生代・中生代・新生代」という枠組みに組み直したはずなのに,新生代の区分は「第三紀と第四紀」を引き継いでもかまわないと考える研究者がいたことと,新生代を区分する「パレオジン・ネオジン」に「古第三紀・新第三紀」という誤訳を与えてしまった日本地質学会の重鎮がいたことです.この誤訳は,いまだに尾を引いています.

 崎谷(2008)について,もう一つ残念なのは,表題は「DNAでたどる…」なのに,材料がY染色体だけによるパースペクティブなこと.
 一方,篠田謙一「日本人になった祖先たち」(2007)は,こちらも副題「DNAから…」なのですが,ミトコンドリアDNAがメイン(一部,Y染色体についての記述もあります).こういったことをまとめて解説できる研究者はいないのでしょうかねえ….


 さて,全部一度(一度以上かな?(^^;;)読んだのですが,忘れている…というか,まったく自分のものになっていない((^^;;;).一遍全部通しで読みなおして,常識を再構築しなければ(^^;;;;).
 


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